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【近日更新】借金王・安田忠夫が語る「カネと博打、相撲協会」――!!
2017-12-20 09:30
世間を連日騒がせる日馬富士暴力事件報道――大相撲という特殊な世界の出来事を語ってもらうのは、超特殊なあの男しかない!……というわけで元・小結にして元IWGPヘビー級チャンピオンの安田忠夫が登場します! 「某繁華街で見た」「パチンコをやっていた」「タイの飲み屋にいた」と目撃情報が相次いでいるフーテン男。濃厚すぎるロングインタビューは近日更新予定! <関連企画>解説、待ったなし!! 元大相撲力士が語る日馬富士騒動/「将軍岡本」あらため岡本将之【11月の好評記事ランキング】
1位 藤田和之…こんなプロレスラーはもう現れないだろう。だからプロレスで燃え尽きて欲しい2位 近藤有己「最近ですよ、他団体とけっこう違うんだなってわかったのは…」3位 海外メディアに見るクリス・ジェリコ新日本電撃参戦の舞台裏■MMA Unleashed4位 金原弘光、重病で緊急入院!! 「高山くんはもっと大変。またリングに -
ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■斎藤文彦INTERVIEWS
2017-12-20 08:5266pt80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」です!<関連企画>海外メディアに見るクリス・ジェリコ新日本電撃参戦の舞台裏■MMA Unleashedhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1366741Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー<NEW!>■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」
■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る
■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期
■超獣ブルーザー・ブロディ
■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜
■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか
――フミさんは新日本プロレスのオフィシャル携帯サイトで、イッテンヨンで実現するスーパーファイト、クリス・ジェリコvsケニー・オメガについて解説されてましたね。
フミ はい。クリス・ジェリコはWWEのスーパースターなんですが、90年代に日本で活躍していたことを知ってるファンは少なくなっているんですね。
――あの「ライオン道」が2018年にこうして世界を騒がせることなんて想像もつきませんでした。
フミ いまの新日本ファンやWWEユニバースと呼ばれてるファンは、現在進行形のプロレスしか見ていないようなんですね。新日本ファンに関して言えば、3〜5年くらいの観戦歴の方が多くて「クリス・ジェリコって誰だろう?」という方も決して少なくない。
――ああ、なぜクリス・ジェリコクラスの選手でもそんな反応になってしまうのか心あたりがあるんですけど。ボクがプロレスを真面目に見始めたのは90年代に入ってからなんです。となると10年ほどさかのぼって勉強すれば、まあまあそれなりにプロレスファンとしての知識は得られたんですが、2010年代から見始めたファンって、自分に当てはめて考えると、30年分の学習が必要になってくるし、なおかついまってリアルタイムの情報量が尋常ない(笑)。
フミ とても追いつかないと。
――決して不勉強で、過去に興味がないというわけではなくて、どのジャンルでも起きてる現象じゃないかと。
フミ 乖離(かいり)しちゃってるということですね。だからこそ時代を超えて解説が必要になってくるんですけど。今回のクリス・ジェリコvsケニー・オメガって「アメリカから見た日本のプロレス」というテーマから捉えると凄く面白いんです。それは80年代から日本とアメリカのあいだで起こり続けている現象なんだと思います。
――クリス・ジェリコvsケニー・オメガの原点は80年代にある!と。
フミ アメリカから日本のプロレスがどう見られてきたかということですね。いま「乖離している」という話が出ましたけど、アメリカも90年代を境にファン層が乖離してるところがあるんです。WWEとWCWの月曜テレビ戦争からミレニアム以降の世代と、それ以前のおらが町のプロレス、要するにテリトリーのプロレスがあった世代ですね。
――後者はNWA全盛を知るプロレスファンにあたるわけですね。
フミ たとえばテキサスに住んでいたら、鉄の爪エリック一家のワールドクラスが世界最大のプロレス団体だと思い込んでいたところはあったんです。そんな時代にアメリカのマニアックなファンが日本をどう見ていたかと言えば、80年代には日本とアメリカのあいだをプロレスの試合が録画されたVHSテープが行き来するという、アンダーグラウンドな文化が存在していたんです。
――日米のファン同士はどうやって知り合うんですか?
フミ ペンパルの文通です。eメール以前のことですから、いまのファンには「ペンパルってなんですか?」って話になっちゃいますよね。ネット社会が訪れるのは90年代後半からミレニアムにかけてですから、それまではアメリカと日本のプロレスファンは、それぞれの国のプロレスの試合をVHSに録画して交換していたんです。郵便で送りますから2〜3週間ほどかかっちゃうんですけどね。
――そうやって送られてきた貴重な試合映像をダビングで拡散していくんですね。
フミ そのアンダーグラウンドカルチャーの始まりは、新日本プロレスの初代タイガーマスクvsダイナマイト・キッドの試合をアメリカのプロレスファンがどうしても見たかったからなんですよ。「あの試合は凄いぞ!」と噂になった。でも、当時のアメリカは日本のプロレスをリアルタイムで見る術がなかったですし、逆もまた然りで。
――日本のファンもアメリカのプロレスを見られなかった。
フミ 日本のファンもNWAクロケットプロやWWFの試合が見たかったんです。だからビデオトレードというカルチャーが生まれた。日本から送られてきたタイガーマスクvsキッドの試合は、ダビングされまくってアメリカ中のプロレスファンのあいだに出回ったんです。ダビングされすぎちゃって画質がカスカスになったものを、ボク自身もアメリカのプロレスファンの自宅で見ましたから。
――マスターテープから何十回も録画されたんでしょうね。“80年代のリツイート”という(笑)。
フミ 90年代に入ると、新日本、全日本、新生UWF、そしてテレビ放映がなかったFMWや、スピンオフのW★INGやIWAジャパンもデスマッチ特集の映像としてまとめられてアメリカに渡っていたんです。男子だけじゃなくて日本の女子プロレスも流通して好評だったんですが、最も衝撃を与えたのは先日引退した豊田真奈美だった。
――豊田真奈美人気は凄かったみたいですね〜。
フミ 豊田真奈美はアメリカのマニアにとっては“神”なんですよ。
――TOYOTA is GOD!! 名前からして世界の強さがありますもんね(笑)。
フミ 言葉の壁を飛び越えて、なんの知識もなく楽しめるのがプロレスのいちばん凄いところですけど、豊田真奈美の試合を見たマニアたちは「こんな凄いプロレスラーがいる!!!!!」って感動しちゃったんですよ。
――そして拡散コースなんですね(笑)。
フミ 意外かもしれませんが、UWFもアメリカのマニアには好評だったんです。第ニ次UWFはVHSではなく、いまはもう消滅したレーザーディスクで発売されたんですね。
――そのレーザーディスク、パンクラス元代表の尾崎允実さんが制作に関わってたそうですね。
フミ UWFはレーザーディスクによってアメリカに渡っている。それがVHSに落とされて、アメリカのファン同士に流通していったんです。ここまでくるとプロレスファンの執念ですよね。
――アメリカのプロレスファンは、あのUWFスタイルをどう捉えていたんですか?
フミ UWFって日本の場合は映像と活字を伴った現象ですよね。
――正直、試合自体だけだと理解できないところもありますが……。
フミ 当時の日本には「UWFをわからない奴はダメだ」という論調がありましたけど、アメリカでも「わからない奴はマニアじゃない!!」という同じような現象が起こったんです。
――えええええええ!?(笑)。
フミ 「UWFがプロレスを変えたぞ!」とアメリカのマニアのあいだでも絶賛されたんですね。
――それはプロレスの表現方法としての新しさを評価したんですか?
フミ いや、それはいまになってからの評価ですよね。当時は「プロレスを真剣勝負にした」という。
――ああ、そこも日本と同じ受け止め方。
フミ 海の向こうの日本で起こったことだから、どうしてもアメリカ人基準の誤解も起きてしまった。「プロレスに格闘技やマーシャルアーツ、武道を加えたらこのスタイルになった」と解釈していたんです。ロックアップする前に蹴ったり、掌底という東洋の武道的な技を出してましたから。
――プロレスのセオリーであるロープワークも拒否してるわけですもんね。
フミ 「プロレスを真剣勝負に変えてくれたUWFが3派に分裂しちゃったの?」ってアメリカのマニア層がショックを受けていたんですね。その後、リングス、藤原組、Uインターに分かれますが、Uインターには多くのアメリカ人レスラーが登場するじゃないですか。その中のダン・スバーンは同時期にUFCにも出ている。
――ああ、日本とアメリカが“U”を介して繋がっちゃうんですね。
フミ Uインターだけは『BUSHIDO』というタイトルでアメリカのケーブルテレビで放映されて、「日本の格闘技」という触れ込みだったんです。リングスやパンクラスの映像もファンの手によってアメリカに渡っていますが、パンクラスにはケン・シャムロックが出ていた。そのケン・シャムロックはUFCでホイスと戦って超有名になるんですね。
――マニアからすれば「俺、知ってるよ! UWF最後の松本大会でメインで船木誠勝と戦ってるよ!」と(笑)。
フミ UFCでケン・シャムロックは時の人になるんですが、アメリカでは最初から格闘家という扱い。マニアからすれば「俺は日本のときから知っている!」となるわけですね。藤原組にも出ていて、船木たちと一緒にパンクラスも旗揚げした。ケン・シャムロックとダン・スバーンの2人はアメリカ人には特別な選手としてチェックされていたんです。
――ケンシャムはWWE入りまでしちゃうんですから、マニア冥利に尽きますよね。
フミ WWEはもちろんプロレスラーとして契約するんですが、パンクラスのときと同じ格好で試合に出ているんです。そこで何が起きたかというと、リングコスチュームとしてレガースを付けたアメリカ人レスラーが増えてくる。
――UWFカルチャーが輸出されたんですね。しかもWWEに!この続きと、村浜武洋、日馬富士、ヤマモ騒動、佐々木健介、『プライド』解説の記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ
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【全文公開中】宇宙大戦争と「さとり世代」の私■二階堂綾乃
2017-12-16 18:58新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回は「みちのくプロレスの宇宙大戦争」だあああああああ!!
2013年、「さとり世代」という言葉が流行語大賞にノミネートされた。1990年代に生まれた若者たちがあまりに無欲なため生まれた言葉である。1988年に生まれた私はというと、車を欲しいとは思わず一軒家への憧れもない。高級ブランドよりもユニクロ。クルージングディナーより、くら寿司。結婚式を挙げたいと思ったこともなく酒は自宅ではもちろん外でもほとんど飲まない。趣味は家にいること。これは1988年生まれも、さとり世代と言っていいのではないかと思うほどのさとりっぷりであると自負している。
そんな私の自宅に今年の夏レコーダーが導入された。先代が故障してから数年間おあずけを食らっていた私 -
「情」で生きる佐々木健介の激烈人生!■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2017-12-16 13:4887ptプロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「佐々木健介」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!
<これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE 暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生
“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー
輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
「プロレス取材の難しさ」
一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――今月のテーマは佐々木健介さんです! ヴァー!!
小佐野 健介とはこないだ久しぶりに会ったんだよ、天龍プロジェクトの島田紋奈代表の披露宴で。その前に会ったのは2015年3月のサイパン。レストランで奥さんとメシを食っていたら健介ファミリーと偶然会って。
――健介さんとはいつからの付き合いなんですか?
小佐野 ジャパンプロレスで彼がデビューする前から知ってるんだけど。新弟子時代から引退まで見届けた選手ってそんなにいないんですよ。あの時代でデビュー前から知ってるのは小橋建太、菊地毅、小川良成とかになっちゃうんですよね。
――小佐野さんにとって健介さんも思い出深いレスラーのひとりになるんですね。
小佐野 ジャパンプロレスの歴史自体は短かったけど、健介と私を結びつけたのは、あの団体なんです。ジャパンが崩壊して、彼が長州さんたちと一緒に新日本プロレスに移ったあとも、私個人に連絡はあってね。海外遠征先のハノーバーから電話をくれたんだけど、当時の健介の気持ちはジャパンプロレスのままなんですよ。「いまの新日本は、いまの長州さんは……」って批判をしてて。彼は新日本に移籍したわけじゃなくて「長州軍団として殴り込んでる!」という意識が強かったから。
――でも、ボスの長州さんは新日本の現場を仕切ってますよね。
小佐野 長州力は新日本の中枢に入っていった。でも、健介は「なんで同じ控室で新日本の奴らと仲良くなきゃいけないんだ!?」っていう感情があったんです。だから本人は新日本に移ってからもジャパンのジャージを着ていたし、新日本の控室に入らない。通路や階段のところにいたんです。
――反骨精神ですねぇ。
小佐野 話は前後するけど、健介は馳浩より2ヵ月先にジャパンに入門したんだけど、そのときはデブだったんですよ。身体を大きくしないと入門できないと思ってかなり太ってた。
――健介さんは背丈はないですから、厚みを増そうとしたんですね。
小佐野 でも、馳が入門した頃には20キロ近く痩せていてね。なぜそんなに激ヤセしたかというと、もちろん練習も厳しかったんだけど、雑用がもの凄く大変だった。当時ジャパンの新弟子は健介ひとりだったから。
――すべての雑用を健介さんがこなしていた。
小佐野 練習が終わりそうになると、買い出しに出かけて、1時間以内にひとりでちゃんこを作る。巡業のときはひとりでセコンドについて、その合間に先輩たちがホテルに戻るためのタクシーを呼んで、控室では先輩レスラーの汗を拭いたりする。ホテルに帰ったらみんなの洗濯。
――休むヒマもない!(笑)。
小佐野 ホテルの近くにコインランドリーがない場合は、自分の部屋の風呂場で洗濯。洗濯ヒモを持ち歩いていたから、ホテルのボイラー室で洗濯物を乾かして。やっと雑用が終わっても、当時は24時間のコンビニなんかないから、メシもろくに食べられない。早起きして先輩たちを起こさないといけないから、寝る時間もない。そうやって20キロも痩せたところに馳がさっそうと入団したので「この2ヵ月はなんだったんだ!?」と(笑)。
――心がボルケーノと化したんですね(笑)。
小佐野 しかも馳は年上だから「さん付けで呼べ」と命令されて。馳は長州さんの付き人だけが仕事。長州さんの面倒を見ればいいけど、健介は全員の面倒を見る。
――もしかして健介さんは新弟子というよりは、雑用係として採用されたいうか……。
小佐野 たぶんそうだろうね。前回の馳でも言ったけど、長州さんは「育てるのに時間のかかる選手は獲らない」と即戦力以外は欲しくなかったんだから。健介は一番下っ端でつらい思いをしたからなのか、全日本で同じ境遇だった小川良成と仲が良かった。全日本もずっと新弟子が入ってこなかったから、小川良成がひとりで雑用をやっててね。晩年健介がNOAHに上がっていた頃も凄く仲が良くてね。「小川」「佐々木」と呼び合う仲。
――苦楽を共にしたんでしょうねぇ。
小佐野 健介は新日本に移ったあとも全日本の会場に来てたからね。試合を見たり、小川に会うために。それが許されていた。入り口には元子さんがいるから、新日本に移ったレスラーたちは出入り禁止なんだけど、健介はオッケーだった。元子さんからすれば「この子は何も事情がわからないまま、先輩についていくしかなかったのね」ということで。
――小佐野さんは前座時代のプロレスラー佐々木健介には、どんな印象があったんですか?
小佐野 試合はね、正直モノにならないと思った。不器用だし、身体は小さいし。回転エビ固めをやってもきれいに回れない。新日本の前座時代は見てないんだけど、藤原(喜明)さんに教わったりしてたみたい。あとはマサ(斎藤)さんのマンションに住んだことが大きかったらしいね。マサさんは「おまえは身長がないんだから、身体を大きくしろ!!」と。マサさんも背は低いけど、身体をブ厚く鍛えることでアメリカで生き抜いてきたでしょ。
――「パンプアップしろ!」ってことですね。
小佐野 マサさんの影響で健介もああいう頑丈な身体になった。マサさんには凄く感謝しているから、健介オフィスを法人化したときにアドバイザーとして迎え入れたんだよ。
――WJ崩壊後行き場を失っていたマサさんに恩返しをしたんですね。
小佐野 健介はいろいろと言われがちだけど、情は深いんですよ。涙もろいところもあってね。海外遠征は最初プエルトリコ。「ササキサン」というリングネームを勝手につけられて、ミスター・ポーゴと組んでたんだけど。そのときにジャパン女子からイーグル沢井とムーン章子も遠征に来てて。彼女たちが先に日本に帰るとき、空港に見送りに来ていた健介が涙を流すという(笑)。
――なぜだ(笑)。
小佐野 さびしかったのかな。イーグル沢井は健介のことをなぜか「クジラくん」と呼んでいたんだけどね(笑)。そのあとはカルガリーで北原(光騎)とタッグを組んで、そのあとハノーバー。90年春に凱旋帰国した。
――同時期に華々しくし帰国した武藤(敬司)さんとは、扱いに差がありましたよね。
小佐野 健介本人は「……またか!」と憤ったんだって。ジャパンのときは馳がポンと入ってきて、凱旋帰国のときは武藤だけがスポットライトを浴びる。だから新生UWFに行く可能性があったんだよ。
――“選ばれし者”佐々木健介誕生の可能性!
小佐野 新日本の前座でやりあっていた鈴木みのるから誘われたんだと思う。健介に「なぜ行かなかったの?」って聞いたことがあるんだけど、本人は「情」と言っていた。自分ひとりの力ではなく、みんなのおかげでプロレスラーになれたからUWFには行けなかった。新日本のほうがUWFより団体として魅力があるとかじゃなくてね。
――自分を育ててくれた長州さんやマサさんのもとでやっていきたいという。
小佐野 それまではジャパンプロレスの意識が強かったけど、「自分の根っこは新日本だ」って折り合いをつけたみたいだね。そこから新日本に順応するのは早かった。だって馳と一緒に道場のコーチをやってたくらいだし。
――外様の2人があのキャリアで道場を仕切るって凄いですよね。
小佐野 当時の新日本って専属のコーチはいなかったんじゃないかな。昔は山本小鉄さんが教えてんだろうけど、その時々道場に熱心にくるレスラーが自然に……。
――一番練習熱心だったのは馳と健介だったそうですし。
小佐野 橋本は道場にいる時間だけは長かったんだろうけど。エアガンでスズメを撃ったりとか遊んでいたからね(笑)。
――道場滞在時間は同じでも内容が違う(笑)。
小佐野 健介は橋本真也のことを凄く意識してたよね。2人は感情をガンガン出していくタイプだったし、年齢も近い。でも、健介は橋本のように身体が大きくないから練習するしかない。馳が「なぜ三銃士と互角に試合ができたかといえば、あの人たちはナマクラだから」って(笑)。
――そこまで三銃士って練習してなかったんですか(笑)。
小佐野 彼らが新日本に入った頃のコーチは荒川さんでしょ?(笑)。
――ハハハハハハ! 荒川さん、亡くなってしまいましたねぇ。ご冥福をお祈りいたします!
小佐野 荒川さんにはダンスを踊らされたとか、ソープランドに連れて行かれたとか、そんな話ばっかだから(笑)。練習に耐えられなくなった武藤が小鉄さんに「やめます」と言ったら、「やめるな!」と引き止められた世代だし。
――早すぎた“ゆとり世代”だったんですかね(笑)。
小佐野 試合会場に置いたあった祝杯用のビールを橋本と武藤が「これはいいや」って試合前に飲んじゃったとか(笑)。
――とてもコーチを任せられない!!(笑)。
小佐野 そうじゃなかったら、あの3人がいるのに馳と健介がコーチをやってるのは変だもん(笑)。そこから健介の“鬼コーチ伝説”が始まるわけだけど……
――健介さんの鬼指導はいろいろと伝説になってますね。
小佐野 みんな言うよね。小島聡は「石鹸の匂いを嗅ぐと、新弟子の頃と思い出す……」と。風呂場の掃除がダメだと殴られるから。真壁刀義は包丁で野菜を切るときに健介を刺すことを想像しながら、ちゃんこを作ってたとか(笑)。
――ど、ど、ど、どんな目に遭ってたんですか!!(笑)。この続きと、村浜武洋、日馬富士、ヤマモ騒動、ジェリコvsケニー、『プライド』解説の記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ
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試合で一時死亡していたMMAファイター、彼を救ったカットマン、それぞれの再生物語■MMA Unleashed
2017-12-15 09:5951ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「試合で一時死亡していたMMAファイター、彼を救ったカットマン、それぞれの再生物語」です!CJハンコック(32)は、何発かの打撃を受けて、よろめくように後方に倒れ込んだことは覚えている。
次の記憶は、覚醒してみると病院にいた、ということだった。周りでは家族が自分のことをのぞき込んでいた。
11月3日、米国ヒューストンで開催された『LFA(レガシー・ファイティング・アライアンス) 26』で、ハンコック(MMA戦績2勝3敗)はチャーリー・オンティヴェロス(MMA戦績9勝5敗)と対戦した。
LFAはUFCの登竜門的な団体であり、ハンコックもUFC入りを目指して試合を重ねていた。元々ライトヘビー級だったハンコックは、ミドル級を経て、この試合はウェルター級転向2戦目だった。ただ、ショートノーティスのオファーを受け、試合前3日間で215パウンドから170パウンドまで、急激な減量を行っていた。
「相手の方が3倍もキャリアが豊富だったが、レスリングと柔術は自分の方が上だと踏んだんだ」とハンコックは語っている。
高校生時代からレスリングをしていたハンコックは、減量には慣れていた。だから減量中にサウナや塩水風呂で吐き気を催した時にも、とにかく根性で乗り切った。
「気分は良くなかったが、押し切れると思った。減量が身体に良くないことは知っていたが、まさかこんなことが自分に起きるとは思わなかった。こんな目に遭っている人も知っているが、自分はタフだから大丈夫だと思ったんだ」
ハンコックは前日計量には合格した。驚いたことに、その段階では体調は爽快だった。もちろん完調ではないが、これなら十分に戦えると感じた。彼がこれほど急な減量をしていたことは、試合前には彼の陣営以外は誰も知らなかったし、州のコミッションによる確認もなかった。
ところがケージに足を踏み入れた途端、ハンコックは自分の心拍数が急上昇していることを自覚した。試合が始まると、よく練習していたはずのテクニックをうまく出すことができなかった。この続きと、村浜武洋、日馬富士、ヤマモ騒動、佐々木健介、ジェリコvsケニー、『プライド』解説の記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ
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解説、待ったなし!! 元大相撲力士が語る日馬富士騒動/「将軍岡本」あらため岡本将之
2017-12-14 21:5587pt2011年に大相撲を揺るがした八百長問題に巻き込まれて力士を引退、その後はプロレス転向を果たした岡本将之(元・将軍岡本)が日馬富士騒動を解説する!! 四股名・霧の若として10年以上も土俵に立ち続けた男の目には、このたびの混乱はどうように映っているのか――?――日馬富士騒動が新聞やテレビで連日報道されていますが、相撲界に10年以上いらした岡本選手は、このニュースを聞いたときにどう思われたんですか?
岡本 まず最初に思ったのは「貴ノ岩関がよっぽど失礼な態度を取ったんだろうな」って。まずそこですね。そうでもしないと横綱が下の人間にあそこまで手を出すことってありえないんですよ。
――身内同士のケンカと思われた騒動は、世間を巻き込んで大騒動に発展していきましたね。
岡本 被害届が出たら日馬富士関は引退するかもしれない。ただ、そこは横綱審議委員会が世論の動向を伺いながら決めると思ってたんです。
――ところが日馬富士関は自ら進退の決着をつけました。
岡本 自分から引退届を出すとは思わなかったです。横綱審議委員会が世論の声にガマンできずクビにするだろうなと思ってたんですけど……。
――岡本選手としては日馬富士関の決断は意外だったんですね。
岡本 まだまだ相撲を続けたいだろうなとは思ってたんで。でも、騒動の過熱ぶりを見て無理だと判断したんでしょうね。そこでしがみつくくらいなら男らしく……っていう。あの方はモンゴル人だけど、日本人っぽいですから。礼儀もうるさいけど、しっかりした方なので。
――岡本選手は相撲現役時に日馬富士関と接点はあるんですね。
岡本 ボクの一年下なんですけど、日馬富士関が酒癖の悪いイメージはないんですよ。親しくしていたわけではないので、深くは知りませんが、ご一緒させてもらったときは全然普通でしたね。酒を飲んでいても、ちゃんとしていたし。
――だから事件の報を聞いたときに「貴ノ岩関がよっぽど無礼な態度を取ったんじゃないか」と。
岡本 現場で何があったのかはわからないですが、ニュースを聞いてそう思いました。さっきも言いましたが、横綱って自分から手を出すことってないんですよ。朝青龍関は別ですけど。
――さすが朝青龍です!(笑)。
岡本 横綱本人が手を出すことはよっぽどのことなんです。基本的に何かあったら周りが手を出すんです。
――角界にかぎらずですが、縦社会のトップって下の人間に直接、手を出さないところはありますね。
岡本 テレビの情報だけを鵜呑みをすると、貴ノ岩関は日馬富士関に怒られたわけじゃない。白鵬関に対して失礼な態度を取った。だから周りにいた日馬富士関が手を出した。白鵬関と日馬富士関はほぼ同期なんですけど、白鵬関のほうが先輩横綱。先輩横綱に失礼な態度をとった、だから怒ると。ただ、やり過ぎ感は否めないですよね。いまの風潮だと、いかなる理由があれど手を出したことは悪いわけですから。
――相撲では10年前に暴行死亡事件が起きましたし……。
岡本 だから世論は「日馬富士が悪い!」というムード一色になると思ってたんですけど、そこで日馬富士関がスパッとやめてしまったことで微妙になっていきましたよね。あと正直、貴乃花親方の動きが不可解すぎるところもある。ここまで世論が真っ二つに割れるとは思わなかったです。
――岡本選手は貴乃花親方にはどういうイメージを持ってるんですか?
岡本 ボクが相撲に入ったときはすでに横綱だったんですけど、関わり合いがほぼなかったんですよ。ただ、あの人は凄いストイックなんだなって。何をやってもストレートな人という印象はあります。周りの噂や情報に流されない。自分がこうと思ったらそのまま突き進む。あそこまでの大横綱になれたのもその一途さがあったからでしょうね。貴乃花親方って引退後に激ヤセしたときがあったじゃないですか。
――病気なんじゃないかって騒がれましたね。
岡本 あのとき支度部屋で夏場なのにモモヒキを履いてストレッチをちゃんとやっていて、凄く小さいお弁当を持ってきてて。「あれしか食べないの??」って驚くほどの少量。その姿を見たときに「だからあんな大横綱になれるんだな」って。
――何事にも自分の信念を持って動くんですね。
岡本 今回の行動も自分自身で考えてるかどうかは知りませんが、こうと決めたら真っ直ぐですね。一度走り出したから引くに引けないんじゃないかと思いますけど、あの精神力はハンパないですよ。普通の人じゃ折れます。ただ、さすがに折れたのか協会への協力を約束したみたいですけどね。
――相撲と世間ではルールが違うことを是とする人もいれば、否定的に捉える向きもありますね。「世間と違うからいいのに」と「世間と違うんだからダメなんだ」と。
岡本 そりゃ違いはあるでしょ。そこはどこの業界だってあると思いますよ。世界が違えば景色も違うし、そこに外から口を出すとおかしくなることもありますよね、とくに相撲界は。
――その世界観と貴乃花親方の相性が悪かったということですか?
岡本 結果論そうかもしれないです。ただ、相撲界を本当に変えたいならやり方はあったはずなんで、そこはよくわからないですよね。相撲界を変えたいという気持ちは正しいし、そこに賛同する人も多いんでしょうけど、一般常識に照らし当てて警察に任せるなら、ほかの部分も一般常識に合わせてやったほうがいいですよね。貴ノ岩関が初場所を休むという話も出てますけど、だったら診断書は出さないといけないですし。入院して無理だというならわかるんですが部屋にいるんでしょ。休場が貴ノ岩関の意思なのかどうなのかも見えない。警察の事情聴取を受けるまで何も話せないというのはよくわかるんですが、貴乃花親方の行動には見えないことが多すぎますね。
――政治的な動きに見えるし、貴乃花が協会に不信感があるとも見えますね。
岡本 協会と話し合いをしたくないのはわかるんですけど、協会もべつに警察の事情聴取を受けるなと言ってるわけじゃないですよね。一般常識でやりたいなら、相手の都合も合わせないと事は進まないんじゃないかって。貴乃花親方が被害届を出したことは悪いことではないんですけど、出し方があるだろうとは思います。相撲協会に不信感を持ってるのであれば、それはそれでいいんですけど、ひとつやり方を変えればすべて筋は通ったんですよ。相撲協会に事件があったこと、被害届を出すことを伝えたうえなら筋が通ってます。なのに被害届を出したことを協会側に隠していたわけじゃないですか。そこが読めない。相撲協会が隠蔽体質だって言うけれど、貴乃花親方の行動によって逆にオープンにもできなくなったこともありますしね。
――どうしても相撲協会は隠蔽するんじゃないかというイメージがついて回りますね。
岡本 相撲協会も場所前になぜ発表しなかったのかと思いますが、話を聞こうとした両親方から「知らない」「わからない」と言われれば協会として不正確すぎて発表できないのも間違ってないと思うんです。
――いろんな事件があって、いままでの相撲協会のイメージが先行しちゃってるというか。
岡本 イメージ先行は強いですよね。そこはしょうがないですよね。あとやっぱり貴乃花親方は日本人の大横綱だったのでみんな味方するんですよ。
――一部の報道では、モンゴル人同士の飲み会をやることでナアナアの関係になってしまい、無気力相撲に巻き込まれることを貴乃花親方は嫌ったんじゃないかともされてますね。
岡本 そこらへんは貴乃花親方が公式にコメントしてないからわからないですけど、そんなこと言ったら日本人だってナントカ県人会とか繋がりはあるじゃないですか。普段の付き合いもアウトになりますよね。前・鳴戸親方なんかは「出稽古に行くな」と禁止してましたけどね。出稽古先でナアナアになるから「出稽古にも来るな」と。
――そこまで徹底してたんですね。
岡本 だから稀勢の里関は出稽古できなかった。いまはやってますけど。そこは師匠がどう考えるかなんで、部屋ごとにルールを作ればいいんですね。・相撲界ではもうできない「かわいがり」とは何か?・着せられた八百長力士の汚名・枡席が売れなくても黒字!! 最強の格闘技団体、それが大相撲・次期理事長に最も近いのは貴乃花親方だったが……続きは会員ページへ!この続きと、村浜武洋、日馬富士、ヤマモ騒動、佐々木健介、ジェリコvsケニー、『プライド』解説の記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ
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金子達仁『プライド』……高田延彦が語った「ロープつかみ」の真実
2017-12-12 22:2651pt唐突に更新する「ジャン斉藤のMahjong Martial Artas」――今回のテーマは金子達仁『プライド』……高田延彦が語った「ロープつかみ」の真実です!【関連記事】・藤田和之…こんなプロレスラーはもう2度、現れないだろう。だからプロレスで燃え尽きて欲しい・ケビン・ランデルマンが生き抜いた時代・『ファイヤープロレスリング』とUWF、純須杜夫の死――ノンフィクション作家・金子達仁氏が高田延彦vsヒクソングレイシーの舞台裏を追った『プライド』が12月13日に幻冬舎から出版されました。めったに過去を振り返らない高田延彦を始め、関係者を総力取材したとの煽りだったので、かなり期待していたんですが、が、が……が!!
ネタバレになるのでここでは触れませんが、金子氏に“ある事実”が知らされるシーンで本書はひとつのクライマックスを迎えます。その“ある事実”を読んだボクはなぜそんなことで大興奮できるか理解できず失笑してしまったんですが……しばらく考えて「これは高田延彦と榊原信行氏の友情物語として捉えればありなんだな。うん、そうなんだあああ!」と無理矢理に思い直した次第です。感動できるか、失笑するか――。そんな『プライド』の感想は今週日曜日のニコ生(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/live)でしゃべらせていただきますが、本書には以前にDropkickで取り上げた「高田延彦はロープつかみNGを本当に知らなかったのか?」にも触れられていたので、その件について報告します。
長年に渡って謎だった「高田延彦のロープつかみ」問題。PRIDE.1で高田延彦はヒクソンのタックルをロープをつかむことで防ぎましたが、レフェリーの島田裕二から反則だとして注意を与えられます。あと1回の注意で反則負けとなる高田延彦はロープつかみが反則だと知らなかったと言われてきました。そのときの様子を高田陣営の一員として金原弘光選手はこう振り返っています。
金原 最大の誤算は、ロープつかみの禁止だよね。試合中に注意されたことで高田さんはかなり動揺しちゃったんだと思う。
――ロープつかみの禁止を事前に知らなかったんですか?
金原 知らなかった。
――……ホントですか?
金原 と思うよ。試合直前に高田さんと柔術の先生、俺らでミーティングがあったんだよね。
――いわゆる戦略会議ってやつですね。
金原 それは試合の何日か前。先生が「絶対に寝技になるな」「自分が上になってもすぐに立て。打撃で勝負しろ」ってそれしか言わないの。俺はそれを聞いていて「なんかイヤだなあ……」って思ってたんだけど。「じゃあ寝技にならないにはどうすればいいか」って話になったときに、テイクダウンをされなければいい。だから高田さん、試合開始と同時に低く構えたでしょ。
――ガニ股気味に構えましたね。
金原 ヒクソンに組まれて寝技に持ち込まれそうになったら、ロープをつかめばいいと。ルールもグレーな状態だったからその作戦が決まったんだよ。
――試合直前なのにルールはグレーだったんですか?
金原 とくに決まってなかった。「ロープをつかんではいけない」とハッキリと決まっていなかったから、そのグレーをうまく利用しようという話になった。
――たしかに禁止と決まっていたらそんな戦法は取らないですよね。
金原 うん。ロープをつかめばテイクダウンをされないし、ヒクソンが疲れたところで最後は打撃でKOを狙おう、と。
――でも、試合では、高田さんがロープをつかんだら、レフェリーは注意しましたよね。
金原 そうなんだよ。あれが大誤算だった。
――ロープつかみの際、ヒクソンも激昂した。これはつまり禁止と決まっていたから怒ったんだと思うんですけど。
金原 高田さんたちがロープつかみの件について、主催者やレフェリーに確認をしていたかどうかはわからない。でも、俺らキングダムサイドはOKという認識だった。
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「おまえらちゃんとやれ!」……アメリカ連邦議会がUFCを攻撃!■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
2017-12-12 21:3851pt多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるDropkickニコ生配信コーナー。深くてタメになるトークを活字でもお届けします!(11月に配信された一部を加筆編集したものです)。今回のテーマは、なんと! アメリカ連邦議会がUFCを「おまえらちゃんとやれ!」と問いただす!――4年振りに復帰したGSPがマイケル・ビスピンを破ってUFCのミドル級チャンピオンになりましたが、凄い試合でしたね!
シュウ TJディラショーvsコーディ・ガーブラントも凄かったですし、ニューヨーク大会は神大会でしたねぇ。でも、GSPがチャンピオンになってしまったことで、UFCの副社長が連邦議会に呼ばれて大変な目に遭ったんですよ(笑)。
――ああ、どうやら凄いことになってたみたいですけど、詳しく教えてください!
シュウ 要は「4年間も試合をしてない奴がなんでタイトルマッチをやるんだ?」と詰問されたんですね。なぜ連邦議会がそんなことを聞くかといえば、UFCというのは商品として消費者に提供されていて、アメリカの各州を渡り歩いて開催されている。なので連邦議会の管轄になるんです。連邦議会としては正しい商品であるべきだと消費者に伝えないといけない。問題がない商品だとモニターする役目があるんですね。
――話を聞くと「なるほど!」と納得できますが、さすがアメリカはロジカルすぎますね(笑)。
シュウ UFC副社長を詰問していた議員は自分でもMMAをやっていたのでかなり詳しくて。ダンヘンがビスピンのタイトルマッチに挑戦したときも、「ダンヘンはランキングに入ってなかった。1位から9位の選手はオファーを断ったのか?」と攻撃するんですよ(笑)。
――面倒くさい!(笑)。でも、スポーツとしてのあり方をどう重んじてるかということですね。
シュウ 「じゃあ、UFCはチャンピオンとランキングの意味がないってことだね。ホントの意味のチャンピオンじゃないってことだね?」と問い質されたUFCの副社長は「そうですね。世界チャンピオンではないです」と。
――認めてしまった!!(笑)。
シュウ 副社長の言い分としては「我々から見てファンが望む、その日の世界のトップと思われる人、それがUFCの世界チャンピオンだ」と。ランキングも完全なる第三者がコントロールしてるわけではないですしね。
――興行的要素はどうしても入ってしまいますよね。
シュウ なぜこんなことが行われたかというと、アメリカにはモハメド・アリ法というのがあるじゃないですか。そのルールをMMAに適用するかどうか議論されてるんですね。
モハメド・アリ法とは――
・選手とプロモーターとの契約は強制的なものであってはならないとしており、具体的には契約期間は最長でも1年と定めている。
・プロモーターは大会売り上げ(ゲート収入、テレビ放映収入、PPV収入)の一切について、情報開示しなければならないと定めている。
・タイトルはプロモーターではなく、王座認定団体が管理しなければならないとされている。また、タイトルマッチは、それらの組織が決定するランキングに基づき、トップコンテンダーに挑戦権が与えられなければならない。別々のプロモーションに属する選手のタイトルマッチが組まれる場合も生じる。タイトルとランキングは、ボクシングコミッション協会と連邦取引委員会の承認を受けなければならない。
参考記事
米MMAがボクシング化? モハメド・アリ法がMMAにやってくる?■MMA Unleashed
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059577
シュウ 連邦議会にはランディ・クートゥアも参考人として呼ばれたんですけど、「自分がピークのときに本当はヒョードルとやりたかったけど、UFCとの契約のせいで戦えなかった。あの契約はおかしい」と発言してるんですね。
――UFCの契約形態が見直される流れに……。
シュウ どうなるかはわからないですが、議会の記録に残るかたちにはなったのは凄いことです。だからってプライベート企業の方針を変えることはできないと思うんですよ。この例えはちょっと極論なんですけども、国がラーメン屋さんに「このラーメンの作り方を変えろ!」と命令はできないじゃないですか。いまのUFCのやり方がスポーツとしてフェアじゃないってところに行き着くかといえば、そうでもないですしね。この続きと、村浜武洋、日馬富士、ヤマモ騒動、佐々木健介、ジェリコvsケニー、『プライド』解説の記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ
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アメリカのデスマッチキングは銀行強盗犯…ニック・ゲイジの最狂人生■アメプロインディ通信「フリーバーズ」
2017-12-12 21:2755ptアメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマはアメリカのデスマッチキングはモノホンの銀行強盗だった!<関連記事>・知ってるようで知らないアメリカ第3の団体ROH・アメリカ第3の団体ROHを変えた2人の日本人プロレスラー・あの日本人もここからWWEに? 時代の最先端を走る「PWG」!!2010年12月、クリスマスを3日前に控えた22日の昼下がり、アメリカ・ニュージャージー州コリングスウッドのPNC銀行に、これから強盗をしようというのに、なんの変装もしていない一人の男が入ってきた。
街中がイルミネーションに彩られ、キリスト教ならクリスマス、ユダヤ教ならハヌカ、アフリカ系アメリカ人ならクワンザと、それぞれの祝日に合わせて人々が休暇をとり、家族と共に過ごすホリデーシーズン真っ只中だ。彼には家もなく、金もなく、そのうえ「オレのことなんて誰も知りやしない」と思い込んでいるフシがあり、そこに男の誤算があった。
その日の夕方、楽しい時間を過ごしていたはずの一人の女性が、ニュース番組を見て釘づけになった。そこには、銀行の防犯カメラに、強盗を犯し、銀行から出て行く自分の彼氏「ニック・ゲイジ」の顔がはっきりと写っていたからだ。
ニック・ゲイジとは、大日本プロレスに、ザンディグ率いるCZW軍の一員として来日経験もあるデスマッチレスラーだ。
ゲイジは、10年ちかく強い鎮痛剤を乱用してきたせいで、ドラッグ中毒になっていた。
この半年前に、CZWのデスマッチトーナメント大会「TOD 9」で、彼と対戦したアブドーラ小林は当時を振り返り「ニック・ゲイジの目が怖くてねぇ。まるで人を殺すかのような目つきだったね(笑)」と以前、彼の経営していたお店「海坊主」で語ってくれた。
この日もクスリをキメて、ハイになっていたゲイジ。
銀行に入り、備え付けの入金表に金額を殴り書きし、「金を出せ!出さなきゃ撃つぞ!」と叫びながら窓口の女性銀行員に近づいた。
ゲイジが指示した金額はとても大金とはいえない約3000ドル(当時のレートで換算すると約25万円)。店員はその金額分の札束を差し出すと「サンキュー。大丈夫だ」と受け取って銀行から出て行った。後の事は何も考えていない行き当たりばったりの犯行だった。
ゲイジはガールフレンドを誘い、アトランティックシティのカジノへ行った。彼女は写真が公開されるまで、彼が銀行強盗をしてきたことなど全く知らなかった。
ニュースで映像を見たプロレスファンたちのあいだで「あのニック・ゲイジが銀行強盗をしでかした!」と衝撃の事実が知り渡るまでに、そう時間はかからなかった。この続きと、村浜武洋、日馬富士、ヤマモ騒動、佐々木健介、ジェリコvsケニー、『プライド』解説の記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ
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ホームレスからUFCの次代の大物へ:フランシス・ガヌーの驚くべき冒険■MMA Unleashed
2017-12-08 15:3155ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「ホームレスからUFCの次代の大物へ:フランシス・ガヌーの驚くべき冒険」です!<MMA Unleashedオススメ過去記事>ロンダの異常な愛情、または如何にして柔道を捨ててボクシングを愛するようになったか
「ダスティ・フィニッシュ」の意味は? オックスフォード英英辞典に見るプロレス隠語集シュートマッチ勃発で全世界震撼!? レスナーvsオートンWWEサマースラムの舞台裏!
塾長ドン・フライ、堂々のUFC殿堂入り! 万感のスピーチを読め!
来るぞ、来るぞと高まっていた周囲の期待を大きく越えるパフォーマンスで、UFC 218でアリスター・オーフレイムを一撃で撲殺し世界にショックを与えたUFCヘビー級超新星フランシス・ガヌー。試合後にはUFCプレシデントのデイナ・ホワイトも「この調子でいけばこの男は世界的なロックスターになる」と絶賛、「アフリカ初のUFCチャンプ誕生へ」「賭け率ではスティペ・ミオシッチの方がアンダードッグ」「ブロック・レスナーとのメガファイト実現へ」など、米MMAメディアも久々の大型スター誕生にはしゃぎ気味だ。ここにきて来月のUFC 220(1月20日)でミオシッチの持つタイトルへの挑戦が内定したとの報道も流れるガヌーのこれまでの歩みをリサーチしてみた。
ガヌーは1986年9月、カメルーンのバティエ(Batie)で生まれた。バティエは人口2千人の寒村で、”サンド・ビレッジ”というニックネームの通り、主な産出品は砂だ。
ガヌーが生まれた当時、カメルーンには無償の教育システムが整っていなかった。カメルーン人の平均年収は1,500米ドル以下で、バティエはその中でも貧しい町である。ほとんどの子どもは、学費を稼ぐために自分で働いていた。「カメルーンの子どもには課題が多すぎる」とガヌーは語っている。「カメルーンの子どもは、生まれる前からすでに全てが失われていると考えている。夢見ることなど許されないし、大志を抱く余裕などないのだ。ただ、目の前の生活の犠牲になることを受け入れるしかない」。
ガヌーも12歳の頃から、砂の採掘場で働き始めている。 朝から晩まで、砂を一杯に積んだ重さ90キロのバケツを、採掘現場からトラックまで運ぶ肉体労働だ。
両親はガヌーが6歳の頃に離婚。ガヌーは母親と3人の兄弟とともに、親戚をたらい回しにされた。その頃の母親の苦労を目の当たりにしたことが、ガヌーがプロファイターを目指した大きな理由になっている。この続きと、村浜武洋、日馬富士、ヤマモ騒動、佐々木健介、ジェリコvsケニー、『プライド』解説の記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ
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