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計量オーバーはバカほど過剰にバッシングする説!
2019-07-15 19:2981ptこの記事は「パンクラス試合中止」を語ったDropkickニコ生配信を編集・再構成したものです(語り:ジャン斉藤)【1記事¥70〜から購入できるバックナンバー】・【堀口vsDC徹底解説】コールドウェルはなぜパウンドを打てなかったのか?■水垣偉弥
・原因不明の難病からの復活勝利! 征矢貴インタビュー「やっとスタート地点に立てた」
・【フジメグはRIZINをこう見た】藤井惠「浜崎朱加が冷静に打撃勝負したことが勝利に繋がった」
・【vs那須川天心】「負け様」に気づいた、きれいな亀田興毅を見た
・堀口恭司2団体制覇を米MMAメディアはどう伝えたのか■MMA Unleashed・追悼・青木篤志さん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
・RIZINで魚井フルスイングが炸裂! 大沢ケンジ絶叫セコンドの裏側!・ツイッターを凍結させれられた人喰いプロレスラー■アメプロインディ通信「フリーバーズ」
・「ハッスルがなかったら日本は原始的なプロレスのままだったかも」木原のオヤジ
・新日本プロレスデビュー記念、ジョン・モクスリーがWWE離脱理由を激白
先日のパンクラスの試合消滅の件ですが、なかなかのズンドコだったんです。
◎瀧澤謙太とバンタム級(61.2キロ 以下 56.7キロ 以上)で対戦予定だったリッキー・チャンプが親族の不幸のために試合を辞退。
◎代役のダスタン・オムルザコフの体重は69.8キロ。バンタム級vsライト級。
◎パンクラスのオフィシャルールには以下の記載。
(2) 公式計量に合格できなかった場合の再計量は、公式計量の開始時刻から 2 時間以内とする。再計量にも合格できず、なおかつお互いの体重が異なる階級にある場合は 2.2kg(5 パウンド相当)を超える差があってはならない。
◎瀧澤謙太vsダスタン・オムルザコフは無差別級として行われることになる。瀧澤謙太も了承。
◎試合当日、瀧澤謙太vsダスタン・オムルザコフの2試合前になってダスタンが血液検査を提出してないという理由で中止が発表される。瀧澤健太、酒井代表、ドクターがケージに登場。ドクターが「メディカルチェックを通過せず、選手が安全に試合ができる環境が担保できなかったため試合は中止となった」と説明。酒井代表は「パンクラスを続けていかなくてはいけないんです。選手を守らなくてはいけないんです」と試合中止の理解を求めた。
中止自体はもう仕方ないことですよね。選手が試合直前に出られなくなったという緊急事態。パンクラス側の失態でこんなことになったわけじゃないですし、興行として成立させるためにギリギリまで動いた。ただ、なんだかなあ……と思ったのは「選手を守らなくてはいけない」という酒井代表のマイクですよね。それなら血液検査を通過してないのに試合をやっちゃいけないし、軽量級で10キロ差近くある無差別級マッチは組むべきじゃないですよね。
個人的なスタンスでいえば「興行的事情があるなら無差別級マッチも仕方ない。ただ、しっかりと安全にやってください派」であり、「適正体重の相手がいなかったら中止にすべき」とは思わないです。どんな規模であれ興行的事情は出てきますし、目立ってないだけでどの団体もおかしなことは起きています。
この続きと、ミルコの軌跡、中井りん、和術慧舟會、ウルティモ、スミス新日離脱などの記事がまとめて読める「13万字・記事23本の詰め合わせセット」はコチラ
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UFC新記録! ホルヘ・マスビダルの史上最速5秒KO劇を多角検証する■MMA Unleashed
2019-07-12 10:0687ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマはUFC新記録! ホルヘ・マスビダルの史上最速5秒KO劇を多角検証するです!!【1記事から購入できるバックナンバー】
・虐待から救ってくれた一筋の光、それは大日本プロレス■アメプロインディ通信「フリーバーズ」
・UWF系プロレスラーが語る「エキシビジョンマッチ」■金原弘光・ケニー・オメガ「新日本でやり残したことはもうそんなにない。もっといろいろなことに挑戦したみたい」・【新生FMW崩壊編】リッキー・フジ「解散興行もできずに終わっちゃいましたからねぇ……」・ドーピングはデッドボールと同じで違法ではない? 煽りビデオと酒鬼薔薇事件の類似点とは? 米MMA訴訟最新事情
日本時間7月7日(日)に開催されたUFC 239では、UFC史上最短の秒殺KO劇が繰り広げられた。選手生活苦節16年、MMA戦績47戦の大ベテラン、ホルヘ・マスビダル(34)が、MMA戦績19勝無敗のレスリングエリート、おしゃべりクソ野郎のベン・アスクレンにいきなりの飛びヒザ蹴りを敢行、これがものの見事にヒットすると、アスクレンは身体を硬直させたままダウン、試合時間わずか5秒という戦慄の失神KOとなったのである。
マスビダルといえば、もともとは「目には目を、歯には歯を」がモットーの、マイアミのストリートファイトシーン出身で、あの故キンボ・スライス氏を有名にした裏庭での殴り合いYouTube動画には、若き日のマスビダルも登場している。その後はストライクフォース、ボードッグ、戦極と、オファーがあればどこにでも出没するジャーニーマンタイプのファイターとして、古くからのMMAファンにはおなじみの存在となった。ベラトール第1回大会のメインイベントに登場したのもこの人だったのだ。UFC入りしたのは2013年のことで、これまでのUFC戦績は11勝6敗と、けして抜群とはいえない。ここ一番という試合を落とすことも多かったマスビダルが、まさか2019年に大ブレイクを果たすとは思ってもみなかった人も多いのではないだろうか。
この試合でマスビダルは、完全失神しているアスクレンに対し追撃のパウンドを放ち、そのことで一部でひんしゅくを買っている。また、レフリーが試合を止めた後にも、ダウンしたアスクレンの隣でマットにタップしたり、アスクレンが硬直してダウンするさまをマネをするなど、不謹慎な喜び方が批判を招いた向きもあった。
ということを踏まえて、マスビダルの試合後記者会見の模様を一部抜粋してご紹介しよう。
Q 飛びヒザ蹴りの後のパンチは不必要だったのではないかとの批判があります。
大いに必要だよ(食い気味に即答)
Q なぜ必要なのですか
なぜって、何だよ?
Q アスクレンはすでにノックアウトされていました。
でもレフリーが止める前だっただろ。オレの仕事は、レフリーに止められるまで、相手を殴ることなんだ。だからそんなことを非難しているヤツらは、オレが思うにろくにMMAを見ていないんじゃないか。そんなヤツらはサッカーでも見てろ。
(訳注:MMA Junkieが行った読者投票では、マスビダルの意見に賛成の読者が64%を占めている。回答数2,141)
Q 試合後の喜び方についても批判の声が上がっています。
オレはこれまで50戦以上戦ってきたが、今回ほど対戦相手のことを憎んだことはない。オレの人間性について、オレの民族やその文化について、アスクレンにはさんざんコケにされていたんだ。なあ、線はどこに引くんだよ。試合前には何を言ってもいいのに、試合後にちょっとからかっただけでダメだというのか。いいか、アスクレンへの怒りはこれで収まったわけではないぞ。スーパーマーケットで出会っても、また殴り倒してやるからな。
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【闘龍門8期生】菅原拓也「浅井さんのドラゲー復帰戦の相手は本当にボクでいいのかなって」
2019-07-11 21:5791ptゼロワン所属の菅原拓也インタビュー。闘龍門デビューから「悪冠一色」解雇、そして師匠ウルティモ校長のドラゴンゲート復帰までを語っていただきました!【1記事から購入できるバックナンバー】
・「GSPの日本人スパーリングパトーナー」が語る英雄の真実■赤沢幸典
・【格闘技実況新時代】西達彦アナウンサー「格闘技を伝えるということ――」
・生贄だったミルコ・クロコップはかくして総合格闘技のアイコンとなった
・谷津嘉章「PRIDEのときはセコンドに、どっかでタオルを投げろってあらかじめ言ってたの」
・“アイスクリーム”・クロン・グレイシー、UFCデビュー戦を語る・史上最高の引退試合……飯塚高史、無言でリングを去る
・ジャイアント馬場没20年追善興行と飯塚高史引退試合■小佐野景浩の「プロレス歴史発見
・平成という「アントニオ猪木が去った時代」■斎藤文彦INTERVIEWS
――菅原さんは高校を中退されてプロレス界に入られたんですよね。
菅原 1年だけ通ってやめちゃいましたね。
――またおもいきりましたねぇ。
菅原 そうですよね(笑)。それまで野球をやっていて、子供だからプロ野球選手になりたいと思うわけじゃないですか。でも、高校野球でもの凄くレベルの差を実感したんですよ。学年1つ上でその後ソフトバンクホークスにピッチャーとして入った人と当たったときに実力差を感じて「これは無理だ……」と。でも、将来はスポーツで何かやっていきたいということで。
――それがプロレスだったんですね。高校卒業まで待つことは考えなかったんですか?
菅原 一度決めたらやらなきゃ済まない性格なので。親には迷惑をかけちゃいましたけどね。
――プロレスをやるにしても、いろんな選択肢があったと思うんですよ。
菅原 どこの団体に行くか?ということですよね。ボクは秋田出身なので、東北のみちのくプロレスに入ろうとしたんです。親戚の関係でみちのくの気仙沼二郎さんと繋がりがあったので、そこから入門のお願いをして。でも、当時は16歳で運転免許を持ってなかったんですよね。みちのくプロレスの練習生は営業も兼ねてやっていたので、車の運転ができないと難しいと。それでザ・グレート・サスケに入門を蹴られまして(笑)。
――もしそこで免許を持っていたら、また人生が変わっていたんでしょうね。
菅原 そうなりますねぇ。そのまま入っていたらどうなったんだろうなって。当時はどこに入門するにも身長制限があったじゃないですか。いまでもあるんでしょうけど、昔ほどは厳しくないですよね。新日本や全日本は180センチ以上。俺は足りないので、沼次郎さんに相談する中で……。
――沼次郎さんがポイントなんですね!(笑)。
菅原 沼二郎さんは恩人なんですよ(笑)。いろいろと相談する中で当時の闘龍門、いまのドラゴンゲートを紹介してもらって……いう流れですね。
――ウルティモ・ドラゴン校長がプロレスラー育成を目的に立ち上げた闘龍門JAPANですね。
菅原 当時は日本初のプロレス専門学校ということで。入門して半年は神戸の道場で過ごして、そこからメキシコに渡ってデビューするという。
――菅原さんが入門した当時の闘龍門はどれくらいの練習生がいたんですか?
菅原 ボクは闘龍門8期生で、正確な人数は忘れちゃいましたけど、20人ぐらいはいましたかねぇ。道場の中に寮もあって、そこに2段ベットがたくさん置いてあって。朝、起きたら掃除から始まり、合同練習がお昼すぎまで。あとは自主練ですね。
――誰がコーチするんですか?
菅原 新井健一郎、ドラゴン・キッド、スペル・シーサー、 あとCIMAですね。浅井さん(ウルティモ・ドラゴン)は日本にいるあいだ2~3回見てもらったかなあ。
――20人全員メキシコに渡れるわけじゃないですよね?
菅原 ふるいにかけられるというか、初日で半分ぐらいいなくなっちゃいましたね。
――初日で半分も!
菅原 16歳の自分にとってはたしかにキツイ練習でしたけど、逃げるほどムチャクチャな練習はさせられてないとは思うんですけどね。やっぱり後ろめたさがあるのか、大半が夜逃げみたいなかたちで消えちゃうんですよ。夜、寮で寝てるじゃないですか。玄関から出ていくと音がするから、みんな階段の窓から外に出て。その窓を開ける音も少しするから「あ、また誰かが逃げたな……」って。
――専門学校ということは入学金や月謝はあるんですか?
菅原 払いましたね。いくらだったかなあ。半年で数十万円くらいかな。
――数十万! それで1日でやめちゃう人間もいるんですか(笑)。
菅原 それだけお金を払っているのに嫌だったんでしょうね。1泊数十万円の超高級ホテルですよね(笑)。
――半年の練習生活を耐えた人間だけがメキシコに行けるんですか?
菅原 最終的に残ったのは7人ぐらいでしたけど、そのうちメキシコに渡ったのは4~5人で。
――そこはまたジャッジされるってことですね。
菅原 そこで何があったのかはわからないですけど、ボクはメキシコに行けることになりました。ただ、メキシコに行ってからってデビューできると決まったわけじゃなくて。向こうで浅井さんが練習を見て、そこで問題なければようやくデビューできるんですけどね。
――メキシコの学校はどんなところなんですか?
菅原 メキシコシティの中心からはちょっと離れてるんですけど。治安はあまりよくない場所で(笑)。
――メキシコはおっかないですもんね(笑)。
菅原 1階にウエイトルームやリングが置いてあって、2階が住むところで。ボクが行ったときはすでにデビューしてる先輩たちもいて、20人もいなかったと思うんですけどね。
――メキシコまでの旅費は団体が持ってくれるんですか?
菅原 そうだったと思います。最初の数十万に含まれていたのかもしれないですけど。なにしろ半分以上やめてますからね(笑)。
――ハハハハハハハ! メキシコのデビュー戦はどういう感じなんですか?
菅原 向こうでは年に4回ぐらい闘龍門の自主興行があるんですよね。そこでデビューできて。デビューしてからは地元の団体とかにも出れるんですけどね。
――なるほど。こうやってみるとウルティモ校長って凄いシステムを作ってたんですね。プロレスラー志望の若者をメキシコまで連れていってデビューさせて逆上陸させる。
菅原 なかなか凄いですよね。闘龍門出身レスラーってアチコチに散らばってますしね。浅井さんがいなかったらボクもプロレスラーにはなってないですし、また教え方も日本のやり方とは違うんですよ。浅井さんは感覚が外国人というか、野球のメジャーリーグでいうと型にハメない指導をするじゃないですか。浅井さんも自由にやらせるんですよね。
――自由にやらせて長所を伸ばすというか。そうして菅原さんもメキシコでデビューして。
菅原 はい。闘龍門の自主興行で本名のまま素顔でデビューして。そのあとは地元の団体というか……メキシコってプロレスそのものが文化なんですよね。たとえば五反田だったら「今日は1丁目、2丁目でプロレスがある」って街の中でいくつもやっているのが日常で。
――プロレスが社会に寄り添ってるわけですね。
菅原 大衆娯楽みたいな感じですよね。ちゃんとした団体もあるんですが、スポーツジムの中にリングが置いてあって、プロレス教室をやるとオジサンや小学生も参加したり。
――プロレスをやるのがあたりまえの文化というか。
菅原 部活で野球をやるみたいな感じですよね。どこでもプロレスをやってるから試合数はかなりやりました。1日3試合とか4試合とか(笑)。
――経験がガンガン積めるわけですね。それは闘龍門同士の試合なんですか?
菅原 そういう試合もありますし、向こうは愛国心が強いのでメキシコ対日本みたいな試合が凄く盛り上がるんですよね。おもいきりブーイングを浴びせられて。新人の頃からこういう経験をできるのは日本では難しいと思うんですよね。
――昔のプロレスでいえば、海外武者修行でプロレスの幅を広げることを闘龍門では新人の頃からやれちゃうわけですね。
菅原 相手もいろいろですよ。中には来日経験があってキャリアを積んでいるレスラーもいるんですけど、大抵は素人みたい選手が多いんですよ(笑)。
――「よし、お祭りだから一丁やるか!」みたいな(笑)。
菅原 メキシコのプロレスって一応ライセンス制度があるじゃないですか。たぶん持ってなかった相手も多いですよ(笑)。
――草プロレスならぬ違法プロレス!(笑)。
菅原 そこらへんにいるオッサンがマスクを被って試合をしてますからね(笑)。
――それだとファイトマネーもそんなに出なかったりするんですか?
菅原 出なかったですねぇ。2000円もらえたらいいほうでしたね。ちゃんとした大きい団体の試合になれば、もっともらえますけど。野良プロレスはそんなもんですね。生活費はどうしてたかなあ。寮でメシが出てたのでお金に困った記憶はないですね。
――まさかメキシコから逃げ出す練習生いなかったんですよね?
菅原 片道の航空券ですから、さすがに難しいですよね(笑)。自分で飛行機のチケットを買わなきゃいけないので。
――メキシコでしっかりと経験を積んで菅原さんも帰国するわけですね。
菅原 そのときT2P(闘龍門2000プロジェクト)を旗揚げする直前で。そのメンバーに選ばれたんですね。
――ミラノコレクションA.T.らのイタリアン・コネクション、菅原さんが「ヘンリーⅢ世・菅原」として加入していたロイヤル・ブラザーズ(アンソニー・W・森、フィリップ・J・福政)のユニットが活動していた闘龍門内組織ですね。闘龍門出身レスラーって独特のキャラクターが与えられましたよね。あのキャラクターは誰が決めたんですか?
菅原 全部浅井さんですね。思いつきだと思うんですけどね。ボクは王子様キャラでしたけど、あとから聞くには、浅井さんの娘さんが持っていた人形が3人組の王子様だったそうなんですよ。だったらウチも3人組の王子様にしようと(笑)。
――娘さんのおもちゃがアイデアなんですか!(笑)。それはイヤとは言えないんですよね?
菅原 言えないですねぇ。ボクはチャンスだととらえましたね。あまりやりたくはなかったんですけどね(苦笑)。
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【興行論・考】堀口恭司戦は朝倉海をいちばん高く売れるカードである
2019-07-11 21:2081ptこの記事は「RIZINのマッチメイク」を語ったDropkickニコ生配信を編集・再構成したものです(語り:ジャン斉藤)【1記事¥70〜から購入できるバックナンバー】・プロレス番記者が見た「北尾光司の真実」■柴田惣一
・人間風車ビル・ロビンソンから何を学べるか?■対談・中井祐樹×鈴木秀樹
・前川久美子「どっちかが死ぬんじゃないか…と思う試合はいくらでもあった」
・この試合がキックを変えた! 平成の立ち技ベストマッチ5■高崎計三
・平成アメリカンデスマッチベストバウト5
「プロレスとは興行である」とはプロレスの本質を突いたアントニオ猪木のけだし名言ですが、8月のRIZIN愛知大会で実現する堀口恭司vs朝倉海も「興行」のあり方を考えたくなるカードですね。
猪木さんのこの言葉は「興行を盛り上げるためなら何をやってもかまわない」というわけではなく、そこには仕掛けの説得力が当然求められます。猪木さんって「興行のプロ」に見えますが、何度も失敗している「しくじり先生」ですからね。なにしろ怒った観客が暴動を起こして会場に放火するんですよ? 「しくじり先生」に呼ばれたらエピソードが溢れすぎて1時間2時間じゃ済まないですよ!(笑)。
さて、今回の堀口vs朝倉海には「朝倉海にはまだ早いよ!」「バンタム級四天王より先なんて!」という声が聞こえてますが、堀口恭司という存在が突き抜けてしまっているので、そう言いたくなる気持ちはわかります。ただ、仮にRIZINバンタム級ランキングがあるとすれば朝倉海選手は1位か2位なんですよね。あの階級で堀口選手の次に勝利数を挙げているのは朝倉選手。四天王の石渡伸太郎選手、扇久保博正選手は堀口選手に2度負けていて、元谷友貴選手も1度負けている。未対戦の佐々木憂流迦選手はRIZINで1勝しかしてないし、ケガで朝倉海戦をキャンセル。堀口選手への挑戦権を巡って四天王同士がぶつかり合う必要はあったんです。
今回の愛知大会で堀口選手の対戦相手は3人の候補に絞られていたんじゃないかと考えられます。朝倉海、水垣偉弥、DEEPバンタム級王者ビクター・ヘンリーのいずれか。となると、この中でもっとも露出していて、愛知が地元の朝倉選手を選択するのは興行として自然なことなのかもしれません。それにいまの朝倉海選手を一番高く売れるカードではありますよね。チケットも売れる。そういえばRIZINがプレイガイドと提携してやってる「選手応援シート」ってヤバイですよね。だって一般人気が実数で計られちゃうわけじゃないですか。手売り実績どころの騒ぎじゃない。昔デンジャー松永光弘さんが「会場人気」と「チケット人気」は実際は異なると言いましたけど、現代のウェブ社会でいえば、話題を集めてるけど券売には繋がなっていない……なんてことも可視化されるわけですよね。これ、他の団体も導入したら大変なことになるぞ!(長州力風)。
商品価値が高まっている朝倉選手に初参戦の外国人ファイターなんかを当てることは、商品価値のリスクが高まるわけです。朝倉選手に勝ったその選手がそのまま価値を引き継いでくれればいいんですが、そうはうまくいかないケースもある。だから初参戦の外国人ファイターって噛ませ犬タイプが多かったりするじゃないですか。最近のMMAは弱い選手を連れてくるほうが難しくなってますが、そうやってファイターの価値を守ることばかりに徹底しているとファンに見透かされる。どうやって価値を高めるか、どこで高く売るか。その見極めはセンスが問われるということですよね。
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地獄の青春!! 平成の昭和格闘技集団「和術慧舟會」を語ろう/門脇英基×大沢ケンジ
2019-07-08 10:59102pt「和術慧舟會」とはなんだったのか? 全国に支部を展開、多くのプロ格闘家を送り出し、「ケージフォース」や女子格闘技などのイベントを運営。PRIDEやK−1などメジャー団体にも影響力を与えていた格闘技集団を探る不定期企画。今回は門脇英基さんと大沢ケンジさんに対談してもらいました!
【1記事から購入できるバックナンバー】・和術慧舟會創始・西良典インタビュー「総合格闘技がなかった時代の話をしよう」
・語ろう青春の和術慧舟會!〜ゼロゼロ年代格闘技界の裏側〜――今日は日本格闘技界の礎を築いた和術慧舟會を語ろう!……ということで「門脇スペシャル」の開発者として知られる門脇さんと、大沢ケンジさんの対談を組ませていただきました。
大沢 慧舟會はホントに凄い集団だったと思いますよ。いまでも格闘技会場なんかに行くと、慧舟會の血筋の選手がたくさんいますからね。
門脇 ……大沢とは話が合わないんですよ。大沢とずいぶん会話したことで、かなりの時間を無駄にしたなって思いますよぉ。
大沢 開始早々何を言い出してるんですか!(笑)。
――不穏な立ち上がりですけど、2人は長いお付き合いなんですよね。
大沢 ボクがまだアマチュアの頃ですよ。ボクは慧舟會のA3というジムに通ってて、門脇さんは東京本部。A3にはプロが誰もいなくて指導者もいないし、本やビデオで技術を勉強するみたいな同好会レベルだったんですよ。その中で一番技術がある平田ってヤツが「東京本部に門脇さんという凄い人がいる」と。
――噂の男だったんですね。
門脇 なんもないですよ。
大沢 「寝技が凄い」と。門脇さん、トイカツ(戸井田カツヤ )、塩澤(正人) の3人の寝技がヤバイと聞いていて。トイカツはどこからでも極めちゃう独自のタイプなんですけど、門脇さんはしっかり練られているというか、こうきたらこう極める、ああきたらこう極められる。塩沢は門脇さんの弟子みたいな存在で。
門脇 戸井田はひらめきでやるタイプ。練習したことしか出せないのはボクと塩沢くん。
大沢 ボクも考えるタイプだから、東京本部で練習をするようになってから門脇さんとファミレスでよく技術の話をしてましたよね。夜中から朝までずっと。
門脇 ……ラーメン屋でUFOや幽霊が存在する・しないで言い合いになったことは覚えてますね。
大沢 ハハハハハハハ! 門脇さんは「幽霊は存在する!」って強く言い張るんですよ。
門脇 いまはもう大沢は適当な人間だとわかってるから不毛な議論は一切しないですけどね。あの頃はちょっと押せばボクの考えがわかってくれるんじゃないかと。でも、大沢は1ミリにも寄らずに朝を迎えたんですね。いま思えば本当に不毛な時間でしたよ。
大沢 だっていないですよ、幽霊。
門脇 いる。いないと物質自体は存在しえないので。素粒子とかも存在しえない。どういう形で存在しているのか。それはおそらく物理学者たちも答えを出せないんですよ。見えない世界があるという前提じゃないと存在しえないんですけど。
大沢 俺は「アリをたくさん殺してるけど、アリの幽霊に恨まれるのか」っていう話をしたんですけどね(笑)。
門脇 ほら、大沢はこうやって揚げ足取りをするんですよね。だから時間の無駄なんですよ。
――幽霊の話はサスケさんあたりを交えてあらためて決着を付けていただくとして(笑)、門脇さんはどうやって和術慧舟會に入門したんですか?
門脇 ボクは西良典先生がやられていた長崎本部の寮生だったんですよ。雑誌に「平成の松下村塾という作る」という募集があって。
大沢 門脇さんはそういう言葉に惹かれるんですよ。吉田松陰とか好きそうだもんね。
門脇 先生に惹かれたんですよ。
大沢 吉田松陰も好きでしょ?
門脇 まあ…………吉田松陰も好きだけどね。
――ハハハハハハハ。長崎から上京することになったんですか?
門脇 その当時、和術慧舟會として関東圏を統括していたのが久保(豊喜)社長で。久保社長から「東京に出てこい」と。そこから東京本部。
大沢 当時の東京本部の雰囲気は凄かったですよね。 強くなること以外はどうでもいいみたいな人間ばっかで。まあ、みんなおかしい人間の集まりなんですけど(笑)。
門脇 西先生も怖い方だったので長崎から逃げるように上京したところもあったんですけど。東京に来てみたら久保社長も西先生以上に怖い方で。
大沢 ハハハハハハハ! 最初の頃はプロ練なかったので、一般練習にプロが混ざってましたよね。
――当時は小路晃さんや宇野薫さんが活躍していたから、入門者は後を絶たなかったんじゃないですか。
門脇 凄かったですね。狭い道場が芋洗い状態だったから、プロが蹴散らす感じで。「オマエらは何時までいちゃダメだ!」とか勝手にルールを決めて無理やり帰らせましたからね。
――一般会員を追い出す道場!(笑)。
大沢 そんな環境だから一般会員も強い人しか残らないんですよ。とにかく「強くなりたい」という高い意識のヤツばっかで。
門脇 強くなりたい意識は高かったけど、人間として意識が高かったのかは別の話です。
大沢 まあ、人間性は高くない連中ばっかですよ。学校のクラスでいうと、はしゃいでる奴らを教室の隅から睨みつけてるような人間が集まってましたね(笑)。
――正直、通いたくないです(笑)。
大沢 A3から出稽古に行くのもドキドキしましたからね。最初は試されるんですよね。若い奴、下の奴が「やりましょう」とスパーをやって。ある程度、手の内がわかったら「……じゃあ、やろうかあ」って上の人間が出てきて。
――手の内を知ったうえで締めるわけですね!(笑)。
門脇 格闘技道場ではよくある光景かもしれないけどね。ただ、練習メニューはまだ練られてなかったですね、当時は。 ボクがプロシューターになったときは、ヒザ立ちからしかスパーをやらせてもらえなかったですからね。
大沢 そうでしたね。
門脇 させてもらえなかったというか、自分がやらなかったと言われれば、それまでですけど。試合のときは立った状態から始まるから「どうしたらいいんだろうな……」って戸惑いましたから。
大沢 ボクがアマチュアで試合をして「レスリングをやらないと勝てないなあ」と思ったから、A3で見よう見まねでレスリングっぽい練習をしたんですよ。そうしたら「ウチはそういうのはいらねえんだよ!」って怒られて(笑)。ボクはけっこう新しいことを言うタイプだったので、パウンドありの練習をやろうとしたら門脇さんは反対しましたよね?
門脇 ……ボクもだいぶ洗脳されていたというか。
大沢 ハハハハハハハ。
門脇 そういう考えになっちゃってたんだろうなぁ。
大沢 打撃の練習はそこまで文句は言われなかったけど、立ちからのスパーはダメでしたよね。
門脇 そこは久保社長と守山(竜介)さんが拓大柔道部で培った考えなんでしょうね。
――あの木村政彦先生を輩出した拓大柔道部!
門脇 柔道だから立ち技もあるんですけど。ボクの想像ですけど先生方は打撃がある格闘技は経験してないのからかなあ、と。これは先生の批判ではないですよ。
大沢 わかります。慧舟會の特色はとにかく練習量をやらされることなんですよ。あれが尋常じゃなかったんです、本当に。いまでもあそこまで練習をやらされるところはないと思いますね。大学の柔道部やレスリング部の練習をやらされてるようなもんですからね、そりゃあ強くなりますよ。アスファルトの上で手押し車をやらされるんですけど、軍手を持ってくるの忘れちゃったりすると素手でやらされて。終わったあとに手がボロボロになってたりしますからね。
――うわあ……。
大沢 門前仲町から大手町の平将門の首塚まで走って、帰りは電信柱ごとにジャンケンして肩車で帰ってましたからね。東京駅の脇を汗だくのガタイのいい奴が肩車で走っていくみたいな(笑)。
門脇 当時の道場には「どんなに優れた技も三倍の力の前では無力」という文が貼られていたんですよ。久保社長が貼ったんでしょう。
――フィジカル重視の現代的な発想ではありますね。
大沢 門脇さん、強化練習やプロ連をよく休んでましたよね?
門脇 ボクは固い意志を持って出ませんでしたよ(笑)。
大沢 ボクも全部出席はしなかったですね、キツすぎて。練習メニューもいろいろと変わって、顔面パンチありのスパーリングを週5回でやるようになったじゃないですか。壊れるという感覚がなかった。
門脇 「防具をつけたほうがいい」という知識を持ってる人もいたかもしれないけど、万人には勧めてなかったね。自分のことを守るだけで精一杯(笑)。
大沢 ハハハハハハハ。最近だと「ガチスパーはあんまりやらないほうがいい」って言われるじゃないですか。でも、言われるほど壊れないですよね。
門脇 大沢が頑丈なんだよ(笑)。
大沢 いまだにそれが一番強くなる方法だと思いますよ。ヨソから出稽古に来た人もガンガンやってたじゃないですか。高谷(裕之)くん、宮田(和幸)さん、秋山(成勲)さん、HERO'Sの外国人や曙さんとか来てたし。
――HERO'Sの外国人!(笑)。
門脇 ロシア人のルスラン・カラエフもずっと来てましたよ。
大沢 ヘビー級のルスラン・カラエフとボクらがスパーをやったりするんですよ(笑)。ルスラン・カラエフはガチガチにやるから、あるとき秋山さんが怒って。テイクダウンしてマウントを奪って制裁して。
――キラー秋山!(笑)。
大沢 ルスランは「ごめんなさい!」って謝ってましたよ(笑)。
門脇 ルスランは悪い奴だから、ブレイクなのにやってくるんですよね。
――タチが悪いですね(笑)。
門脇 大沢も外国人とスパーやったとき、ブレイクになって相手が背を向けた瞬間におもいきり蹴っ飛ばしたでしょ(笑)。
大沢 あったなあ!(苦笑)。熱くなって蹴ったあとに「やっちゃったあ……」と思ったんですよ。
――修羅場になったとき周囲はどうするんですか?
大沢 あの当時はスパーでケンカになっても周りは止めないんですよ。練習のルールを超えるようなことをやったら止めますけど、ルールの中でやってるぶんには「アイツ、熱くなってるなあ……」ぐらいで。首を絞めたりとか、変なことをやったらダメですけどね。
――お互いのプライドがルールというわけですね!(笑)。
門脇 ボクからすると治外法権で恐ろしいなぁと。ボクも怖かったし、止めることができなかった自分もいますよね。
大沢 ヨソのジムで選手を壊しちゃうからクビになっちゃったような奴が最後に来るのが東京本部ですよね。
門脇 各方面で「もう来ないで」と出禁になった奴が東京本部では落ち着いてましたね。
大沢 「アイツ、あちこちでクビになってるらしいよ」「危ねえなあ」と言いながら受け入れて練習するんですよね。
――東京本部のアウトロー耐性(笑)。
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【門番マネル・ケイプ戦】水垣偉弥インタビュー「堀口選手にラブレターを送り続けます!」
2019-07-08 10:09堀口恭司戦のアピールをしていた水垣偉弥のRIZIN参戦が発表された。対戦相手はRIZINの門番、日本人の壁とも言えるマネル・ケイプ。さっそく意気込みを伺った。【1記事から購入できるバックナンバー】
・原因不明の難病からの復活勝利! 征矢貴インタビュー「やっとスタート地点に立てた」
・【フジメグはRIZINをこう見た】藤井惠「浜崎朱加が冷静に打撃勝負したことが勝利に繋がった」
・【vs那須川天心】「負け様」に気づいた、きれいな亀田興毅を見た
・堀口恭司2団体制覇を米MMAメディアはどう伝えたのか■MMA Unleashed・「ハッスルがなかったら日本は原始的なプロレスのままだったかも」木原のオヤジ
――水垣選手、先日は堀口恭司vsコールドウェルの分析記事ありがとうございました。かなり反響がありました!
【堀口vsDC徹底解説】コールドウェルはなぜパウンドを打てなかったのか?■水垣偉弥 -
UFCミネアポリス大会レビュー:ガヌーは進化したのか、そしてベナビデスはタイトルに挑戦できるのか
2019-07-05 20:4787ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマはUFCミネアポリス大会レビュー:ガヌーは進化したのか、そしてベナビデスはタイトルに挑戦できるのかです!!【1記事から購入できるバックナンバー】
・堀口恭司2団体制覇を米MMAメディアはどう伝えたのか
・ヘンリー・セフードはUFCフライ級を救ったのか? 米MMAメディアはこう見ている!
・MMA奇譚集:奇習シューイーのなぞ、採血する女とされる男、他
・ネット荒らし、そして壊れるメンタル…あまりにも現代的な悲しきモンスター、ラーズ・サリバン・新日本プロレスデビュー記念、ジョン・モクスリーがWWE離脱理由を激白日本時間6月30日(日)に開催されたUFCファイトナイト・ミネアポリスでは、フランシス・ガヌー旋風がまたしても猛威を振るった。
前々回はカーティス・ブレイズを45秒で、前回はケイン・ベラスケスを26秒でノックアウトしたガヌーは、今回は実力者ジュニオール・ドス・サントスと対戦、第1ラウンド1分11秒、オーバーライトハンドをかわされたドス・サントスの横面をガヌーが張り倒すと、もはやドス・サントスは立ち上がることができなかったのである。
ガヌーのパンチはクリーンヒットする必要すらないようだ。荒々しく不格好なパンチがかすっただけで、相手は致命的なダメージを負ってしまう。試合後のドス・サントスは、「この階級では誰もが危険だが、フランシスはちょっと独特だ。とにかくパワーが別格だった」と次のように敗戦を振り返っている。
「ゲームプランに即して、もっと注意深く戦うべきだった。調子は良かったし、パンチもキックも当たっていた。ただ、自分はなぜあの時、オーバーハンドライトを出してしまったのだろうか……戦略通りにストレートやジャブでいくべきだった。ただ、チャンスがあると思えたものだから、つい欲が出てしまった」
「ある意味、勝利を彼に譲ってしまった。オーバーハンドライトであんなに相手に近づいて、反撃のチャンスを与えてしまうなんて・・・それが彼のやり方だということは知っていたのに……。彼は、相手がパンチを空振りするのを待っているんだ。大きなミスだった。私はデリック・ルイス戦でも同じミスを犯したが、あの時は何とかやりすごせた。しかし今回はどうにもならなかった」
これほどまでに暴力的な秒殺劇をいとも簡単にやってのけるのはガヌーしかいないだろう。ただ、ガヌーにとって初めてのタイトル挑戦となったミオシッチ戦敗戦以降、彼が本当にファイターとして進化を遂げたのかどうかについては、こうした短い試合からハッキリとした答えを導き出すことは難しい。
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世界を目指す日本人誕生――堀江圭功、UFC電撃契約の裏側■石井史彦
2019-07-05 09:5681ptアメリカのチーム・オーヤマでトレーニングで励んでいた堀江圭功。左はコリン・オオヤマ氏。緊急ニュースが飛び込んできた。現在パンクラスのフェザー級で活躍する堀江圭功選手が世界最高峰のMMA団体UFCと契約をかわした。デビュー戦は7月28日カナダ・エドモントン『UFC240』。対戦相手は9勝1敗(UFC2勝1敗)のハキーム・ダオドゥだ。大半の日本人格闘家がRIZINやONEに流れる昨今、以前からUFCを目標に掲げていた堀江圭功は現在8勝1敗。現時点でUFC日本人ファイターは事実上、佐藤天たったひとりという絶滅危惧種状態だったが、堀江の契約で2人目となった。
それにしても契約即出陣は急ではある――多くのMMAファイターをマネジメントし、堀江選手も担当する石井史彦氏に今回の契約締結の裏側を聞いた【1記事から購入できるバックナンバー】壮絶過去の天才ファイター、ローズ・ナマユナスは、本当に引退してしまうのか?カルト人気上昇中! ベアナックル・ボクシングとは何か■MMA Unleashed“アイスクリーム”・クロン・グレイシー、UFCデビュー戦を語る「元気でやっている。治療も受けている」 トニー・ファーガソン、試練の時
ジョルジュ・サンピエールが引退記者会見で語ったこと
――石井さん!パンクラスで活躍中の堀江圭功選手がUFCと契約しましたが、デビュー戦は7月28日カナダ・エドモントンの『UFC240』。ずいぶん急な話ですね。
石井 今年4月から堀江選手のマネジメントをやるようになったので、その時からUFCと交渉を始めたんです。堀江選手は前から強いUFC志望を持っていたんですが、とくにUFCに働きかけはしてなくて。いくつかマネジメント候補はあったようですが、ボクがマネジメントするようになりまして。
――いまのUFCだとオファーを待ってるだけではなかなか難しいですね。
石井 そうなんですよね。堀江選手はUFCを狙える逸材なので、UFCに一本に絞って交渉しましたし。とりあえずU堀江選手はもっとレベルアップを図るためにアメリカのチーム・オーヤマに5月下旬から行ってもらってたんです。
――UFCとの交渉はどのように進んでいたんですか?
石井 マネジメントすることになってすぐに連絡したらUFCは乗り気でした。堀江選手は8勝1敗のうち5KO。1Rか2Rでフィニッシュしてますからね。マッチメイカーのショーン・シェルビーは「好きなファイターだよ」と言ってくれて。ただ、フェザー級の枠がないという話なんですよ。
――フェザー級はギッチギチなんですねぇ。
石井 「空きが出たら連絡するから数週間待っててくれ」という話だったんですが、これがなかなか連絡がなくて。こっちがプッシュしてもどうなる問題でもないですし。こないだ朱里選手が出たUFCのときにショーンと話をしたら「全然空きがない。コンテンターズシリーズのほうが優先されるからますます空きがなくなるんだよ」と。
――UFCファイトパスでやってる「ダナ・ホワイト チューズデーナイト コンテンダーズ・シリーズ」ですね。
石井 あの企画の出身選手のほうがUFCとしては売りやすいんでしょうね。TUFはスパイクTVでやってましたけど、リアリティショーということでメディア受けする狙いがありましたけど、コンテンターズシリーズはUFCの登竜門的な企画で。この試合で勝ったり、活躍できたら契約ができるというものですからね。
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安納サオリ「プロレスで360度から見られることで人生が変わりました」
2019-07-04 19:1987pt舞台女優出身で現在はアクトレスガールズ所属のプロレスラーとして活躍する安納サオリインタビューです!
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アジャコングインタビューシリーズ
①「あの頃の全女はAKB48やジャニーズだった」②恐るべし全女の異種格闘技戦/ダンプ松本、究極の親分肌③偶然と必然が折り重なった「アジャ様」覚醒の瞬間④ブル中野・2年間戦争/バイソン木村との哀しき別れ⑤対抗戦ブームの終焉と全女退団……⑥さらば! 私が愛した全日本女子プロレス
――「木原のオヤジ」こと木原文人リングアナが安納さんとの出会いを「薬師丸ひろ子を初めて見たときと同じ衝撃だった!」と紹介いただいたんですが、薬師丸ひろ子さんはご存知ですか?
安納 フフフフフフ。はい、知っています。木原さんがツイッターでそうやって私のことを書いてくださったことで、いろんな選手に知ってもらえたんです。初めてお会いするのに「木原さんのツイッターで知ってるよ」とか声をかけられたとか。
――では、「プロレス界の薬師丸ひろ子」として認知されてるわけですね(笑)。
安納 恐れ多いです!(笑)。
――安納さんはもともとは舞台を中心に活動されていたんですよね。
安納 はい。でも、プロレスをやると決めたときに舞台の仕事はやめたんです。切りました、全部。とりあえず3年間はプロレスに集中しようと思って。
――退路を断ったというか。
安納 そんな感じです。 最初は批判がけっこうあったんですよ。プロレスと芸能の「二足のわらじ」じゃないですけど、「プロレスをナメるなよ!」みたいな。
――安納さんは2015年のプロレスデビューですよね。その時代にもそんんな批判があったんですね。
安納 そうですね。「オマエのことをプロレスラーとしては認めない」と言われたこともありましたけど、その言葉があったから逆に認めてもらうために頑張れたのかなと。プロレスの楽しさや厳しさを先輩たちから教わって、どんどんとプロレスにハマっていきましたよね。
――プロレスをやろうと思ったきっかけはなんだったんですか?
安納 もともとプロレスを見たことはなかったんですよ。存在自体は知っていたんですが「怖い」というイメージが強くて。いまのアクトレス・ガールズ代表に「プロレスをやらないか」と声をかけていただいたときも「運動神経が悪いですし、絶対に無理です!」と。スポーツとか何もやったことなかったですからね。 練習に通うことになったんですけど、どれだけやめようと思ったか。
――そんなにイヤなのにどうして(笑)。
安納 そこはまず女優として活動していても、いつになったら自分の目標にたどり着けるんだろ?という疑問というか不安が強くなってたんですよね。
――安納さんはいつから芸能活動を始めたんですか?
安納 18歳の頃ですね。 滋賀から出てきて、東京も10年目になるんですけど。何も知らない状態で「東京に出たら売れるだろう」ぐらいの軽い感覚だったんですよね(笑)。親の反対も押し切って。
――というと、プロレスを始めたのは24歳ですね。それまでに田舎に帰ろうとは思わなかったんですか。
安納 それが思わなかったんですよ。理想どおりの仕事ができていたかといえば、全然そんなことはなかったんですけど。諦めようと思ったこともなかったです。不安はあったんですが、諦めなければなんとかなるかなって。やめることが怖かったし、両親の顔や応援してくれてる方々の顔が浮かんで「ここで帰ったら情けないなぁ」と思って。そんなときにプロレスをやってみないかという話をいただいて。でも、やりたくなかったんですよねぇ(苦笑)。
――本当にイヤでイヤで仕方なかった。
安納 最初はイヤでしたよ。すぐやめたかったです。「病気になったから滋賀に帰ります!」ってウソをつこうかなって考えましたから(笑)。やっぱりプロレスは怖いですよね。やっぱり女の子ですし、「かわいい」と思われたいじゃないですか。ちょっと誤解される言い方かもしれないですけど、プロレスラーには厳つい、ゴツいイメージもあったんですよね。
――プロレスラーは強さを見せないといけないわけですもんね。
安納 それにその頃の私はけっこう太ってたんですよ。プニュプニュだったんです。そんなコンプレックスがある中で、さらにゴツいイメージになることにも抵抗があって……。
――やっぱり「かわいい」って思われたいですもんねぇ。
安納 それに戦うっていうことは叫んだりして、乱れたりするじゃないですか。自分の人生でそういう経験はなかったこともあって。あの当時はメチャクチャ太ってて、いま振り返るとあんなに太ってる身体をよく晒していたなって(苦笑)。
――どれくらい太ってたんですか?
安納 写真、見ます?(笑)。
――うわっ、これはたしかに太ってますね! 失礼ですけど(笑)。
安納 太ってますよね(笑)。
――別人に見えます。たびたび失礼ですけど(笑)。
安納 当時はコンプレックスだったんですけど、いまではネタにしてるんですよ。「プロレスをやることで変われた!」ってことで。 昔はもうちょっと髪型は派手だったんですけど、デビュー戦のときは黒髪に戻して。自分のことがよくわかってなかったので変に清楚ぶってましたね(笑)。<続きは会員ページへ>
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革命戦士・長州力、笑顔でリングを降りる――■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2019-07-04 18:11102pt
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は、先日現役を引退された長州力を語ります。
<1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>追悼・青木篤志さん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」<New!>望月成晃×小佐野景浩〜空手家がプロレスラーになるまで〜三銃士、四天王、UWF、邪道…平成のプロレスを変えた5つの勝負ジャイアント馬場没20年追善興行と飯塚高史引退試合北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」多発するプロレスラーのケガを考える愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さんあの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん
中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ
「情」で生きる佐々木健介の激烈人生!
プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE 暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー
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全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
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高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
「プロレス取材の難しさ」
一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿
――小佐野さんは後楽園ホールで行なわれた長州さんの引退興行は現地でご覧になったんですよね。
小佐野 チケットはあっという間に完売だったでしょ。記者席もすぐに埋まりそうだから早めに後楽園に行ったんだよ。そうしたら記者席自体がなくてね。いやあ、凄い人でしたよ(笑)。全国の映画館でパブリックビューイングも盛況だったみたいだし、素晴らしい引退興行だったよね。
――98年1月4日に1度目の引退をしたときと比べても幸せな空間だったというか。
小佐野 長州さん本人の中では、今回は引退とはまた違うんだと思う。引退ではないんだよね、たぶん。リングシューズを脱いでリングを降りた……というだけで 。
――どういうことですか?
小佐野 去年あたりに長州さんに話を聞いたときに「いまだに現役ですしね」と振ったら「俺はもう現役じゃないよ。俺が現役だなんて胸を張ったら大変なことになるぞ!」と始まってね。
――「大変なことになるぞ!」という長州節!(笑)。
小佐野 きっと長州さん本人の中では現役生活は終わってるんだろうね。リングに上がってる自分は現役とはまた違うものである、自分はもう終わってる。あるいは第一線ではないっていうことなんだろうけど。肝心なのは、これは引退を発表する前に聞いた言葉だから。
――引退を決意する前から現役感はなかった。それってなかなか自分から言えないですよね。だからテンカウントゴングもなかったという。
小佐野 そういうことなんだろうね。あの人はよく「怖い」っていう表現もするでしょ。試合中に「怖い」と思ったらリングを降りる、ということは前々から言ってきたことだから。
――試合をすることが怖くなってきた、ということですね。
小佐野 引退を発表するその何ヵ月か前に、ある雑誌で天龍さんとの対談があったんだよ。そこで「視力が悪くなった」という話になって。長州さんはいつも新日本のリングで練習してるけど、各団体リングの大きさは違うし、視力が悪くなったこともあってロープワークのときに歩数が合わなくなってきている。晩年の猪木さんがロープに走ったときにロープが掴めなくて、長州さんはその姿を見て「ヤバイ」と思ったんだって。そして自分があのときの猪木さんと同じ状況になってるから「怖い」と。
――どんな「プロレスの達人」にも老いが訪れるってことですよね、あたりまえですけど……。
小佐野 長州さんは「リング上のテンションと自分の身体がギクシャクする。そのときが一番悔しい」とも言ってて。明らかに気持ちに身体がついていかないのが悔しいんだろうねぇ。
――長州さんのプロレス観って要所要所に「死」がキーワードになったりしますよね。「怖い」もそこに繋がってますし。
小佐野 やっぱり福田(雅一)くんの事故があったからね。リングで倒れた福田くんのことをカメラマンがバシャバシャ撮ったことに怒って「こんな奴らの前で俺はくたばってたまるか」と。カメラマンもマスコミの仕事としてやってるんだけど、長州さんの中では「コイツらナメてんだろう?」と。
――昭和の時代、冬の地方体育館で試合を見ず、石油ストーブに暖まっているマスコミに対して憤っていたという話もありますね。
小佐野 「俺らが命懸けでやっているのにオマエらは……」っていう感覚はあるんだと思う。マスコミの中にも真剣に仕事をやってる人はいるんだよ。してないマスコミもいるけど。それはレスラーも同じでしょ。真剣にやってないプロレスラーだっているんだから。 そこに長州さんなりのマスコミの偏見があると思う。
――伊橋剛太選手に「オマエはプロレスやめろ!」と怒鳴った件も、プロレスは命に関わるから怖さを人一倍感じてるってことなんでしょうね。
長州力の「オマエはプロレスやめろ!」事件とは何か?■事情通Zのプロレス点と線
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小佐野 でも、俺らからすると伊橋のときの長州さんはキレてないよ。長州さんの周りにいた人も「キレちゃないですよ」「長州力がキレたらあんなもんじゃない」って、いつかの長州さんじゃないけど、そんな感じだったと思う(笑)。
――フフフフフフフ。
小佐野 あそこまでダメ出しされる伊橋は幸せだったと思うよ。普通は相手にされないもん。ホントにキレていたら二度と自分の興行に上げないけど、また伊橋を呼んだでしょ。まだなんとかなる余地があるからダメ出しをしたんだろうし、そこは昔と違って優しくなったところなのかもしれないけど。
――あのダメ出しは手を差し伸べたってことですよね。
小佐野 あの人は新日本の現場監督だったときも、みんなに平等にチャンスを与えてたからね。どんなレスラーにもう1回はチャンスは与えている。ダメだったらそのあと干されても選手本人は「何で使われないのか」という理由はわかる。もしかしたら長州さん自身も芽が出るまでだいぶ時間がかかったから、頑張ってれば1回はチャンスをあげるようにはしてたんだと思う。
――西村(修)さんも金本浩二さんもアンチ長州ですけど、何度もチャンスをもらって。金本さんなんて長州さんから「一緒に食事しよう」と誘われても嫌がるくらい仲が悪いのに(笑)。
小佐野 長州さんはエコヒイキしないって言うもんね。よく「佐々木健介ばかりかわいがって!」って言われがちだけど、意外とそういうわけでもないんだよ。
――長州現場監督時代、一番引き立てていたのは一番仲の悪かった橋本さんですもんね(笑)。
小佐野 そうなんだよ(笑)。武藤敬司や蝶野正洋ではなくトップだったのは一番長州さんとぶつかっていた橋本。その闘魂三銃士を追っかけているのは馳浩と健介で、まだ三銃士が心もとないときは大きな大会になると天龍源一郎を呼んでくる。失礼な言い方だけど、長州さんってあんなに感情的な人なのに、ビジネスになると冷静。好き嫌いがあるように見えるんだけど、そんなことはない。強権発動で一度こうを決めたら他人の意見は聞かないし、口答えは許さないんだけど(笑)。
――これが長州さんじゃなくて藤波さんが現場監督に就いていたら……プロレス界の歴史は大きく変わっていたでしょうねぇ。
小佐野 藤波さんだったら、みんなの意見を聞いちゃうでしょ。あっち行って「そうだね」、こっちに行って「そうだね」って頷いて結局ブレちゃうでしょ。長州さんの場合は「俺の言ったとおりにしろっ!!」って一方的に決めつけるタイプだから。そのぶん周りの永島勝司さんや越中さんは大変だったと思うよ。彼が言わんとしてることを理解して形にしなきゃいけないし。 長州さんのあいだに入っていた越中さんは、しょっちゅう橋本とぶつかったと言っていた。長州さんには報告しなかったけど、まあぶつかっていたと(笑)。
――昔のプロレスは面倒くさくて面白い(笑)。それでプロデューサーとしてちゃんと結果を出したんですもんね。
小佐野 選手の査定も自分でやっていた。強権発動する代わりにちゃんと査定するのが自分の責任だと思ったんだろうね。「年俸が上がったヤツはいても下がったヤツはいないはずだ」って言っていたよ。 主観的のように見えて客観的なのか。俯瞰してものを見えるようタイプには見えないんだけど、プロデューサーとしてもの凄く優秀だった
――そこはプロレス脳に優れてるんでしょうね。
小佐野 そこでポイントになるのは、試合後の会見でやたら猪木さんの名前を出していたでしょ。
――「あの方をずっと見てきた。リングの上のアントニオ猪木に近づくのはとてつもなく大変なこと」……。
小佐野 あそこまで猪木のさんのことを口にするとは……やっぱり長州さんは猪木チルドレンなんだなってあらためて思ったよ。猪木さんってプロレスが面白くするなら私情を捨て、他人を平気で裏切るでしょ(笑)。あの猪木さんに刺激を受けていたから現場監督としても辣腕を振るえたんだろうね。
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