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清宮海斗の「顔面蹴り」と「平和ボケ」■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2023-02-08 11:47180ptプロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は清宮海斗の「顔面蹴り」と「平和ボケ」です!
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冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…
――武藤敬司の引退試合の相手が内藤哲也に決まりました!
小佐野 じつは「内藤じゃないかな……」とは思っていたんです。後出しになっちゃうんですけどね(笑)。
――ほほう(笑)。
小佐野 まあ現実的に候補は絞られていたでしょう。最初は棚橋弘至やオカダ・カズチカかなと思った。でも、棚橋とはけっこう絡んだけど、武藤は内藤とほとんど絡んでないでしょ。
――武藤は新日本のイッテンヨンで、棚橋弘至&海野翔太とトリオを結成して、内藤哲也&SANADA&BUSHIと戦いましたね。でも、そこまで両者の絡みはなくて。
小佐野 そこで「これは内藤だろう」と。
――1月1日のノア日本武道館でムタvs中邑真輔をやって、ムタファイナルでスティングを呼んだから「最後にどんな大物を連れてくるのか」ってハードルが上がったところはありましたけど。意外性のある大物ってもう残っていなかったですよね。
小佐野 変な話、真輔やスティングだったらムタの試合ということで出落ちでもいいところはあるでしょ。でも、武藤敬司の引退試合はそういうわけにいかないから。とりあえずちゃんと試合を見せなきゃいけない。じゃあ、誰がいいかとなれば内藤は有力候補になるよね。
――現実的ですね、小佐野さん!
小佐野 やっぱり物事は現実的に考えるよ(笑)。
――絶対にありえないロック説が流れてるから「そんなことがありえるの?」って落ち着かなかったんですけど(笑)。
小佐野 ロックはいまや最も稼ぐハリウッド俳優だからありえないよね。金額的にとても呼べない。
――呼べたとしてもノアは潰れますよね(笑)。
小佐野 それにロックとやったところでいい試合になるわけないから。
――ムタでいえば、中邑真輔が相手だから、あんなに素晴らしい試合になったところはありますよね。
小佐野 武藤とムタは違うんだけど、真輔だからムタとせめぎ合えたよね。真輔は入場だけで元が取れてるようなところはあって。あの入場だけは記者室のモニターでは見たくなかったから記者席で見ました(笑)。しかし、あんな試合をやっちゃうとセミの清宮海斗vs拳王の色が残らなかったよねぇ。全部消されたもんね。
――あれ、メイン・セミの試合順が議論になったじゃないですか。清宮vs拳王のタイトルマッチがメインではないのか、と。これはこれでいい煽りになったんですけど、結果的にこの試合順でよかったという。
小佐野 ハードな攻防から清宮と拳王の意地は見られたけど、何をやっても消されちゃうよね。ファンとしては真逆の試合が見られてよかったのかもしれないけど。
――形は違いますけど、武藤さんや中邑さんも若い頃はハードなことをやってましたよね。
小佐野 そういうことをしなくても魅せられるレスラーになったってことだね。あの存在感を築き上げた歴史があるわけだし。入場に関しては初めからムタのほうが「ここは真輔の時間だ」ってことで諦めるくらいだからね(笑)。なによりお客は入ったし、お金はかなりかかったとは噂では聞くけれども、東京ドームへの宣伝効果もあるとしたらよかったんじゃないかな。
――そこはスティングも同じなんでしょうね。
小佐野 スティングは日本では見られないだろうからねぇ。
――スティングはもう63歳なので基本は動けてなかったんですけど、あれでも動いていたほうでしたね。
小佐野 スティングは頑張ってたよ(笑)。ちゃんと日本仕様になってたね。
――びっくりしたのは、AKIRAさんのコンディションがめちゃくちゃよかったことですね。AKIRAさんがこの試合に懸ける思いを感じたというか。
小佐野 彼も作ってきたんだろうね。結局、武藤と同期でバリバリできるのは他にいないじゃない。船木誠勝は同じノアで特別感はないし。歴史を感じたのは会場から帰るときに「白使って新崎人生だよね?」って話をしているファンがいたこと。白使を知らない世代も来てるんだなと。そりゃあ武藤も引退しますよ。
――それこそムタと白使の物語もありました。
小佐野 新日本の東京ドームね(1996年4月29日)。ムタはまったく白使を寄せ付けないという。
――オリエンタルキャラは2人もいらないという強烈なメッセージだったという。歴史を振り返りつつ、最後は内藤哲也相手に締めると。
小佐野 やっぱり武藤としても、最後にちゃんとした作品を残して去っていきたい。それはメモリー的な試合ではなくてね。そこは天龍さんと一緒でしょう。天龍さんだって普通だったら長州さんや藤波さんらと絡むタッグマッチで引退してもよかったのにオカダとやったわけだから。ただ、心配なのはこの前のスティングとの試合でたぶん足を痛めてるでしょ。途中から足がおかしかったし、気にしていた。どこでやったんだろうあ(後日、両足の肉離れをしていたことを公表)。
――こうなると真剣勝負の引退試合ですね……。
小佐野 内藤もすごい大役だし、新日本ファンだった彼にしてみたら、こんなドリームはないよね。
――11年前の東京ドームでシングルをやったときは内藤は大完敗。評価を落とした試合でしたね。
小佐野 内藤の物語もある。今度の武藤引退ドームはオールスター戦じゃないけど、いろんな団体が集まって試合をするから、プロレス界にとってもいい効果は出てくるはずだよ。
――ボクなんかWWEのロイヤルランブルにムタがサプライズ登場するんじゃないかと思って、久しぶりにリアルタイムで見ましたから。いろんな波及効果がありますよ(笑)。
小佐野 あー、真輔がノアに出るってことは逆に……。あってもおかしくないよね(笑)。武藤はそれだけのトップスターだったってことだよね。
――ドームのセミはオカダ・カズチカvs清宮海斗。ムタファイナルの翌日、新日本vsノアの横浜アリーナのタッグマッチでオカダと清宮のタッグマッチがありましたが、清宮が放った顔面蹴りが議論になっています。翌日にこのカードが発表されましたが、不満のオカダはボイコット宣言。
小佐野 清宮には批判もあったりするけど、みんなが大騒ぎすればいいんじゃないの?って感じだよね。正直、平和ボケしてるところはあるからさ(笑)。
――平和ボケですか(笑)。
小佐野 だってあんな蹴りはプロレスではあたりまえでしょ。べつに不意打ちでもないし。
――全然不意打ちじゃないんですよね。・G馬場「やられたらやり返すのがプロレスの礼儀」
・前田日明の長州力顔面蹴りとは違う
・天龍さんと輪島さん
・藤原喜明「プロレスは、お互いの身体の壊し合いだった」
・対抗戦はぐちゃぐちゃするもの
・諏訪魔の不穏がうまく転がらない理由……など続きは会員ページへ
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冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…
――小佐野さんも選考委員として参加された2022年の東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞が発表されました。今回の結果から何か思うところってありますか?
小佐野 全体的な話をいうと、やはり新日本プロレスとスターダムが図抜けているということだよね。ただ、プロレス大賞の発表になると、毎年ファンからいろいろ批判が出るよね。「なんでこの選手が選ばれないんだ」とか。そういう声は出てあたりまえだと思うんだけど。
――それぞれプロレス観は違いますからねぇ。
小佐野 たとえばベストバウトになると、いい試合って数限りなくあるんですよ。
――正直、現代プロレスに「悪い試合」ってほとんどないですよね(笑)。
小佐野 めったにないよね。そんな中、どうやってMVPを選ぶのかというと、やっぱり何年か経って「2022年は……」という話になったときに、頭の中で浮かぶ試合だと思うんですよ。そうすると、50人100人しか見られていない試合は、どんなに内容が素晴らしくてもベストバウトには選びづらいと思うんですよね。
――その年の象徴として刻むなら何か?という話ですね。
小佐野 やっぱり誰かに見てもらってなんぼの仕事だから、より多くの人の目に触れるのは大事な要素のひとつだとは思うよ。多くの人から評価されないと意味がないわけで。
――この手の話題になると「忖度」という言葉が使われますけど、「忖度」ってネガティブな意味合いで捉えがちですよね。「忖度」という言葉の雑な使われ方、ホントによくないなって思ってて。
小佐野 なんか安倍(晋三)さんの件から、そんな扱いになっちゃったわけだけど。
――実生活において忖度なしで生きているのって、単なる“無敵の人”でヤバイだけですよ(笑)。みんな何かしらに配慮しながらバランスを取ってるわけですからね。
小佐野 やっぱりマスコミの立場からしたら、どの試合に反響があるのかも問われると思う。東スポで大きく記事を割ける選手や試合、週刊プロレスだったら表紙になる選手は誰か?とか。人気商売だから実際問題としてそういう評価の仕方は出てくるよ。それは忖度ではないでしょ。だって業界に利益をもたらしてくれてるってことは必要なことだもん。私の場合はいまフリーだけど、たとえば週プロの人間だったら、いかに週プロを売ってくれるかが重要になるよ。もちろんそればっかりでプロレスラーとして評価するわけじゃないんだけど。極端にいうと、プロレスは客を呼べる人がチャンピオンですよ。
――NWA世界王者の時代から。
小佐野 もちろん強さも必要ではあるけれど、客を呼べるか・呼べないかっていうのは大きなことだから。そうなると、やっぱり新日本やスターダムとか露出が多くて人気選手がいる団体が強いよね。大きな大会もやってるわけだし、それだけ多くの人の目に晒されてるわけだから。
――そうなると2022年のMVPはオカダ・カズチカだと。
小佐野 G1も連覇したし、やっぱり新日本の顔でもあるし。猪木さんが亡くなって、彼はアントニオ猪木の弟子ではないんだけど、猪木さんという存在を継承していくんだという決意を見せた。あれって、なかなか言えることではないと思うよ。本来ならば猪木さんと関わりがある人間が打ち出すところだろうし、「オマエじゃないよ」って言われたら、それまでだから。でも、彼はそのリスクを顧みずに、猪木さんがご存命中で、新日本とそこまで関係が良くない頃から、ああやって呼びかけていたから。
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プロレス界の歌ウマ王は誰だ?■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2022-10-11 11:14150ptプロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回はプロレス界のあらゆるニュースを語ります”
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冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…
──小佐野さん、今日は配信というかたちで、よろしくお願いします!
小佐野 よろしくお願いします。
──今回はここ最近のプロレス界のニュースを振り返るということなんですが……トップニュースは藤波辰爾さんがNHKの番組で、伝説の迷曲『マッチョドラゴン』を熱唱しました(笑)。
小佐野 その番組、見ました(笑)。
──藤波さんはホントに真剣に歌われていて、感動すらおぼえたんですけども。
小佐野 そういう意味では、藤波さんにとっていいパブリシティになったんじゃないのかな。
──あの曲自体がなぜつくられたのか?も解説されていて、藤波さんのレスラー人生においても重要な歌なんだなって勉強になりました。
小佐野 その一方でね、香織夫人や蝶野がディスるのがよかったです(苦笑)。
──夫人がいちばん辛辣でしたね(笑)。蝶野さんも番組の趣旨をわかっていてギリギリを攻めていて。「えっ、歌うんですか?」と大げさに驚くことで、これから大変なことが起きますよ……って暗示するという。
小佐野 そこはやっぱりテレビ慣れした蝶野正洋ですよね(笑)。
──昔のプロレスラーってレコードやCDをよく出してましたよね。
小佐野 歌がうまかったのはマイティ井上さん。あの人はうまかったなあ。
──プロレス界の歌ウマ王はマイティ井上!
小佐野 ファルセットが効く感じの甘い歌声でね。『星降る街角』( 敏いとうとハッピー&ブルー)とかめちゃくちゃうまかったもんね。
──まさかマイティ井上さんの歌のうまさを解説される日が来るとは思わなかったです(笑)。
小佐野 井上さんもレコードを出してるから。それこそ生きていたらジャンボ鶴田さんもNHKで『ローリングドリーマー』を歌っているかもしれない(笑)。
──「♫人は誰でもローリングドリーマー」(笑)。
小佐野 『マッチョドラゴン』と双璧だったからね。鶴田さんは当時だと「リサイタル」といってコンサートを開いたりしてましたけど。
──鶴田さんはよく考えたら革新的なことやってますね(笑)。
小佐野 佐々木健介は、茜(ちよみ)ちゃんとデュエットでCD(『縁は異なもの味なもの』)を出してましたね。
──茜ちよみさんは、ターザン後藤さんを支援していた演歌歌手ですね。
小佐野 木村健悟さんやキラー・カーンもよくレコードを出してましたね。あと阿修羅・原さんは『ゆき子』 大仁田厚は『星空のグラス』というレコードを出していた(笑)。原さんは中森明菜の歌がうまかったなあ。
──それは修羅な組み合わせです!
小佐野 長州(力)さんだってLPで出してるんだから。佐山(聡)さんがエルビス・プレスリーを歌ったり。
──佐山さんは体型もプレスリーみたいになっていくという(笑)。
小佐野 天龍さんはノドがガサガサなんだけど、吉幾三の『雪国』をよく歌ってたね。川田利明は『みちのくひとり旅』かなあ。
──2人とも渋いですね(笑)。
小佐野 猪木さんはテレビで『若鷲の歌』を歌ってたけど、決してうまくはなかった。
──馬場さんの歌はどうでした?・馬場さんの歌は? プロレスの音痴王は?
・フワちゃんのプロレスデビューの是非
・武藤敬司東京ドーム引退
・全日本プロレス50周年記念興行
・スタン・ハンセンの「ユース」が伝わらなかった理由
・CMパンク騒動から見る昭和のトラブル……などなどまだまだ続く
この続きと追悼・猪木、西川大和、平本蓮、スマックガール、ベラトール……などの10月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「15万字・記事16本」の詰め合わせセット」はコチラ
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この旦那にしてこの妻あり!! 天龍源一郎を支えたまき代さん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2022-09-01 00:00150ptプロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は天龍源一郎を支えたまき代さんです。
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冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…
――先日お亡くなりになった天龍さんの奥さん・まき代さんとは、小佐野さんはかなり長いお付き合いだったんですよね。
小佐野 そうですね。全日本プロレスの担当記者になったのが1984年なんですけど。あの当時って携帯電話がなかったので、シリーズオフの取材は自宅に電話するしかないんですよ。そうすると奥さんのまき代さんが電話に出るので「『週刊ゴング』の小佐野と申しますが、天龍さんお願いします」と。接点はそこからですよね。その頃のまき代さんは会場にも来ない。あとから聞いたら、世界最強タッグの最終戦だけ見に来ると。
――1年の終わりに顔を出すってことですね。小佐野さんが顔を合わせてお付き合いを始めたのは、いつ頃になるんですか?
小佐野 天龍さんが全日本プロレスをやめた翌日ですね。天龍さんが全日本プロレスをやめたのは1990年4月。4月19日に最後のジャンボ鶴田戦を終えた天龍さんは、26日に馬場さんと最後の話し合いをして退団。そのニュースが業界中を駆け巡りますよね。私はその日の夜に天龍さんに電話をして「インタビューさせてほしい」と頼んだんですが、もう全日本所属ではないから全日本の事務所では取材できない。どこで取材するとなったら、手っ取り早いのは天龍さんの自宅しかないわけですよ。その取材で初めて天龍さんの自宅に行ったときに、まき代さんとお会いしたんです。
――やめた翌日の4月27日にはさっそく取材をしたんですね。
小佐野 そうですね。その頃、天龍さんは千歳船橋のマンションに住んでました。帰りはまき代さんの車で千歳船橋の駅まで送ってもらって。そのときは天龍さんがいないから、まき代さんと2人っきり。そこで初めて一対一で話をした。私が「天龍さんがこんなかたちになっちゃって不安はないですか?」と聞いたら「13歳でカバンひとつで福井から出てきたわけだし、家族さえ見失わなければそれでいいんです」と言っていたことを覚えてますね。
――そこからまき代さんは天龍さんのマネージャー的存在として関わるようになったんですか?
小佐野 いや、まだそういうわけではなかったです。SWSのときは団体所属だから何かやることはなかったけど、SWSができるまでの取材応対は彼女がせざるをえない。だから私だけじゃなくて、週プロや東スポの取材応対もするし。
――まき代さんは性格的にはどんな方だったんですか?
小佐野 すごいさばさばした、京都の人、関西の人と感じですね。印象に残ってるのは、88年に『ひるのプレゼント』というNHKの番組に、元子さんと保子さん(ジャンボ鶴田夫人)とまき代さんの3人で出たときがあって。
――伝説の番組ですね(笑)。
小佐野 そのときのまき代さんの受け答えがすごく面白かった。たとえば「夫婦関係はどういうものですか」みたいな質問が出ると、保子さんなんかは「テニスのラリーのようなもの」なんて、ちょっとおしゃれなこと言ったりするんだけど。まき代さんは「いや、プロレスです」と。「ご主人の趣味はなんですか?」「プロレスです」「ケガは心配じゃないですか」「本人が納得してやってるんだからしょうがないんじゃないんですか」とサバサバ答えていて。その番組を阿修羅・原さんが見てたらしくて「いやー、源ちゃんの奥さん最高だったね。いかにも源ちゃんの奥さんらしいよ」と笑ってたのを思い出しますね。
――だから天龍さんも任せられたんでしょうね。
小佐野 それこそ天龍同盟の頃は肩で風を切って歩いてる天龍源一郎だから、この旦那にしてこの妻ありで。あと覚えてるのは、天龍さんが89年2月にWCWに出たとき。1人でアメリカ遠征中の天龍さんの家に泥棒が入ったんですよね。まだ幼稚園生だった娘の紋奈さんが逃げていく泥棒の後ろ姿を見てしまったという。そのときはマンションじゃなくて購入した一軒家。泥棒が入ったことがあってマンションに引っ越すんだけども。まき代さんはアメリカにいる天龍さんに泥棒のことは言わなかったんです。アメリカの天龍さんに心配させたくないから。
――そこまで気遣いが……肝も据わってますねぇ。
小佐野 でも、全日本の関係者が天龍さんに泥棒の件を教えちゃって。天龍さん、いったん日本に戻ってきて、家族の無事を確認してから、またアメリカに行きましたね。
――天龍さんもさすがですねぇ。まき代さんはそうなることがわかってるから黙っていたと。
小佐野 そういうことですね。あのときは全米PPVの大会の出場も予定されていて、WCWに正式に招待された初めての日本人選手だったから。全日本との絡みがなければ、WCWは天龍さんが欲しかったんです。そんな重要な仕事があるのに日本に戻しちゃいけないと、まき代さんは思ったはずなんですよね。
――全日本離脱の決断は天龍さんに任せたんですよね?
小佐野 そうですね。「家ではとにかくプロレスの話を全然しないから何もわからない」と言ってました。SWSがダメになってWARが旗揚げしたんだけど、経理ができる人間がいない。まき代さんは経理ができるので、経理担当ということでWARに入っていく。弟の武井正智さんも初めは本部長というかたちでWARに入って、のちに社長になるんだけど、その頃の天龍さんは家族に対してプロレスの話をまるでしないから。まき代さんや武井さんに「大将は何を考えているのか」とよく聞かれたもんです。全日本をやめる前には、天龍さんがポロッと漏らした「ジャンボに負けたらやめるよ」という言葉を私が表紙にして、結果的にスクープになったんだけど。メガネスーパーから話があって迷っていたことは、もちろんまき代さんも知ってましたけど、『ゴング』の表紙を見て「何これ?やめるなんて言っちゃったの?」って驚くという。
――家族にすら何が起きているかを教えないのは天龍さん独特なんですかね。当時のプロレスラーの基本姿勢だった感じもありますけど。
小佐野 人によりけりだと思うけど、おおかた天龍さんみたいなスタンスだったと思う。鶴田さんなんかは、普通に奥さんにしゃべってたような気がするけど。天龍さんが家に帰ってきて、ご飯を食ってて、ごほっと咳したら、額から血が吹き出てきて家族がビックリしたとか(笑)。タイガー・ジェット・シンのサーベルでやられた傷みたいだけど。
――笑いごとじゃないですけど、やっぱり特殊な職業ですね(笑)。
小佐野 でも経理として関わるとなると、知らないじゃまずいよね。実際その後の天龍さんはファミリービジネスになっていくわけだから。天龍さんがいろいろとご家族にしゃべるようになったのは、たぶんフリーになってからじゃないですかね。WARも終わって、新日本に外敵軍団として上がった2004年あたりぐらいかな。
――変な話ですけども、プロレスの情報公開のあり方が緩やかになってきている時期とかぶりますね。
小佐野 天龍さんが全日本に復帰したのは2000年。その前にFMWで大ハヤブサになったでしょ。当時FMWのプロデューサーだった冬木(弘道)さんに頼まれて。
――冬木さんとはWARの契約の件で裁判中だったんですよね。それなのにお願いされたから天龍さんの男気で引き受けるという。
小佐野 あれ、私が冬木さんに頼まれて天龍さんに連絡したんだけど。この件も天龍さん、家族にしゃべってなかったから。娘の紋奈代表に聞いたら、家に帰ったらハヤブサのマスクがあって、本人がシャワー浴びてて「何これ?」と。家族に何も言わず大ハヤブサに変身して家に帰ってきたと(笑)。そんなこともあったから、天龍さんが全日本に戻るときも、元子さんから頼まれて天龍さんに話を持っていったんだけれども「嶋田家の今後にとって非常に大事な話になると思うので、まき代さんもぜひ一緒にお願いします」と。天龍さんひとりで決められちゃうと私としても責任を感じちゃいますよね。そのあとどうなるかわからないから。
この続きとメイウェザー、木下憂朔、チャーリー柏木、天龍夫人、ファンキー加藤……などの9月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「12万字・記事14本」の詰め合わせセット」はコチラ
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頑固一徹! 追悼・ターザン後藤さん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2022-07-28 12:00140ptスーパーFMWのサイトよりプロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は頑固一徹! 追悼・ターザン後藤さんです。
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冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…
――今年の5月29日にお亡くなりになったターザン後藤さんについてお聞きします。
小佐野 突然のことだったので、ちょっとビックリしました。去年の12月に電話でしゃべってるんですよ。私が書いた三沢光晴の本に協力してもらった関係で、謝礼の振り込み先を聞いたときが最後かな。そのときは全然元気で。その取材のときも直接は会ってなくて電話取材だったんです。
――小佐野さんが後藤さんと知り合ったのは全日本プロレスの時代ですよね。
小佐野 彼が九重部屋をやめて、全日本へ入ってきたのは80年の4月。私が『ゴング』でアルバイトを始めたのが80年の3月なんですよ。その頃の『ゴング』は週刊誌じゃなくて、現場に毎日出ていたわけじゃないから選手と密だったわけではないけれども。いつも「お疲れさまでございます」とすごく丁寧に挨拶してくれる新弟子の印象がありましたね。親しくなったのは、日本テレビ系列の『底ぬけ脱線ゲーム』の特番があったからです。全日本の選手も参加していて、私が取材に行ったら、現場で後藤から声を掛けられて「すいません、誰かアイドルと写真を撮ってもらえませんか」と(笑)。番組に出演していた石川秀美に声を掛けて、ツーショット写真を撮ってあげたんです。
――取材の体でプライベートショットを(笑)。
小佐野 それをパネルにしてあげたら、彼は実家に送ったみたいです(笑)。で、彼は相撲出身で気が利くから、まだ未成年なのにウイスキーの瓶を持ってきて「この前はありがとうございました」と。
――大人の世界がわかってるんですね(笑)。
小佐野 あと全日本プロレスのグアム合宿で一緒に酒を飲んだりしてね。週刊になる前に親しくなった初めての全日本の選手かもしれない。当時の全日本に若い選手っていなかったから。三沢(光晴)が入ってきたのはその1年後。週刊の時点で若い選手は1個上の冬木(弘道)さん、1個下の三沢、2個下の川田(利明)と後藤。新日本には若い選手がいっぱいいたけど、全日本はみんなおじさんばっかりだから。
――そういう世界で若手が新弟子からやっていくのは大変だったんでしょうね。
小佐野 彼の入った頃の若手は越中詩郎さんぐらいしかいなかった。そのあと何人か入ってきてんだけど、みんなやめちゃうんだよねぇ。私は『ゴング』に入る前は新日本のファンクラブをやっていて、新日本の選手は知ってたけども全日本の選手って知らない。それに年上の人ってなんとなく近づきにくいから、自然と若い子たちとまず仲良くなっていきますよね。
――後藤さんというとコワモテのイメージがありますけど、当時はどういう方だったんですか?
小佐野 コワモテといっても、結局はターザン後藤にリングネームを変えて、ヒゲを生やして、コスチュームもワンショルダーのアニマル柄になってからだから。もともと童顔だから以前は子供っぽく見えたんです。性格は真面目で細かい。彼が寮長になったときは厳しかったよ。「夜遊びしちゃダメ」とか(笑)。きっちりした人だった。
――川田さんとは同い歳だけど先輩だったり、年下の後輩に三沢さんが売り出されたり、けっこう複雑な立場ですよね。
小佐野 後藤いわく「自分のほうが年下だから、ことさら三沢に対して先輩風を吹かせてたと思うけど、三沢のほうが大人だったから、そのへんは許してくれてた」と。三沢がタイガーマスクになってスターになっても、ずっと「後藤さん」って変わらず接してくれたと。後藤はずっと三沢のことは意識してたみたい。彼は三沢みたいな華麗なファイターではなくパワーファイター。当時のコーチ役だった佐藤昭雄さんに「彼らと同じ動きしたって誰も喜ばないよ。おまえは動くな。荒々しくやれ」と。初めの頃は「自分も三沢と同じ動きができる」とハイスパートなプロレスやってたら、昭雄さんから「おまえがやるプロレスはそれじゃないよ」と注意されて。馬場さんからは「やれることは何でもやれ」って言われてたんだけどね。昭雄さんの指示でヒゲを伸ばして、タイツも変えて“ターザン後藤”にしてもらった。
――後藤さんの腕組みイメージは佐藤昭雄さんのプロデュースからきてるんですね。
小佐野 試合にしてもバタバタ動かず重厚にやりながらも飽きさせない。昭雄さんがいなかったら、なかなか芽が出なかったと思う。いつまでたっても小僧みたいな感じだったし、やっぱり三沢や川田のほうが顔つきは精悍だから。後藤は目がクリクリっとしてて、ヒゲがなかったらかわいい顔立ち。昭雄さんにしてみれば、若手をそれぞれに個性を持たせて、ちゃんと育ててあげたいっていう思いがあったんだろうね。
――あのキャラクターは“ターザン後藤”以外の何者でもないですもんねぇ。
小佐野 海外遠征に行く前にロード・ウォリアーズとテレビマッチで抜擢されて。秒殺で負けたとはいえテレビに出してもらったからね。それは彼が頑丈だからウォリアーズ相手でも大丈夫ってこともあった。
――相撲出身の頑丈さですね。
小佐野 彼は八角理事長と同期だからね。
――つまり安田(忠夫)さんとも同じってことですよね。すごいメンツです(笑)。
小佐野 彼がようやく海外修行に出れるようになったとき、いずれ三沢の敵役みたいな感じで戻れたらいいなって気持ちはあったみたいだね。
――アメリカ修行には出ましたけど、全日本には戻ってこなかったじゃないですか。いったい何があったんですか?
この続きと、佐藤大輔、『Breaking Down』、青柳館長、ターザン後藤などの7月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2113070この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事130円から購入できます!
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大谷晋二郎選手の試合中の事故について■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2022-04-28 10:27130ptプロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は大谷晋二郎選手の試合中の事故についてです。
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DDT25周年……「文化系」から文武両道プロレスへ<new>
『至高の三冠王者 三沢光晴』を書いた理由
新日本プロレスvsノア対抗戦から見えた個人闘争の炎
令和の横アリ大実験!新日本vsノア対抗戦
東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021
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武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」
『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…
――4月10日のゼロワン20周年記念興行で、杉浦貴選手とシングルマッチで対戦した大谷晋二郎選手が頸髄損傷の重傷を負ってしまう事故が起きてしまいました。
小佐野 あの日は昼間にDDTの解説があって、時間がかぶっちゃうこともあってゼロワンの会場には行ってないんです。事故が起きた瞬間の試合映像は見てます。
――杉浦選手のターンバックルに投げるジャーマンを受けた直後のことでした。
小佐野 その技は杉浦が普段は繋ぎ技としてやってる攻撃なので、その技が決まった瞬間自体は衝撃映像ではなかった。叩きつけられた大谷が自分で首を起こそうとするんだけど、そこから動くことができない。そのときの周りの判断が難しくて、試合を止めるまでに時間かかっていた。杉浦は「これからだオラ!」って煽っていたけど、大谷は起き上がれない。杉浦はいったんその場を離れるんだけど、大谷のセコンドは「起きてください」と声を送っている。レフェリーが大谷本人に確認して、そこでようやく試合を止めた。すぐに止めていいかどうかプロレスは本当に難しいね。格闘技の場合は「おかしい」と思ったら、すぐに止めるでしょ。でも、プロレスの場合はそうじゃない。
――プロレスはそこが難しいですね……。
小佐野 格闘技ってルールで守られてるじゃないですか。「こうなったら止めます」というルールの中で試合をしてる。でも、プロレスの場合は、5カウント以内の反則がオーケーであったりとか、グレーな部分があって。そこがプロレスの醍醐味でもあったりするから。あとは「 Show Must Go On」じゃないけど、いわゆる純粋な格闘技的な見方をしてくれないから、戦っているレスラーたちも中途半端なところではやめられないという意識の高さはある。たとえば昔の全日本で三沢(光晴)と川田(利明)がやったとき、試合開始5分で三沢が川田の蹴りで眼窩底を骨折して、三沢本人も吐き気がしてるから大ケガをしたことがわかってるわけ。でも30分時間切れ引き分けまで戦い抜いた。あと大阪で川田が裏拳をやったときに折れたことはすぐにわかったけど、そのまま試合をやって最後はパワーボムまでやっちゃって。
――言い方が難しいですけど、ストーリー以外のハプニングもあっても続ける場合があるわけですね。
小佐野 ホントに止めなきゃいけないケガもあるし、いまの三沢たちのようにそのまま続ける場合もあるから、すぐには止められない。ひょっとしたら、まだ起きるかもしれないと。それこそ猪木さんの舌出し失神事件と一緒ですよ。坂口さんが無理やり猪木さんをリングに上げたよね。
――1983年6月2日、第1回IWGPリーグ優勝戦のアントニオ猪木vsハルク・ホーガン。エプロンでホーガンのアックスボンバーを食らって場外転落した猪木さんが起き上がれず、セコンド陣が猪木さんをリングに上げて……。
小佐野 結局あれは猪木さん1人の演出だった……という話になってるわけだけど、猪木さん本人が何も語ってないから謎は謎のままだよね。
――右腕だった坂口征二さんが「人間不信」の書き置きを残して失踪しちゃうくらいだから、何かがあったことはたしかとはいえ。あと天山広吉vs小島聡のIWGP&三冠統一戦では、60分フルタイムドロー直前に天山選手が脱水症状を起こしてレフェリーストップ。これも予想外のアクシデントのように見えましたね。
小佐野 変な話、試合中に選手がおかしな状態になって立てなくなる場合がある。このままだとレフェリーのダウンカウントが10まで数えられちゃうから、相手が慌ててストンピングを入れて相手を起こして試合を継続させたりすることもあるから。「こんなとこで終わっちゃ、まずい」という判断だよね。
――場外カウントもレフェリーが配慮することがありますよね。
小佐野 とくに全日本の場外カウントは10カウントだから。和田京平さんは本当にダメだったら数えちゃうけど、行けそうだったら数えないで、なんとか試合を成立させようとする。
――そこの見極めは難しいですね。試合の流れ的に決着はまだ先に見えて、これは起きてこられないんじゃないか……ってときはありますし。
小佐野 この前の全日本プロレス後楽園ホールで諏訪魔と大日本の野村卓矢のシングルがあったけど、諏訪魔の最後のラリアットなんて、野村本人の意識がない角度から横殴りに入ってるから。京平さんはそのままワン・ツー、ちょっと間をおいてスリーを叩いた。昔の全日本でいえば、ジャンボ(鶴田)のパワーボムを食らった天龍さんがもう絶対に起き上がってこないと思って3カウントを叩いたそうだね。
――それはつまりレフェリーとしても「ここでは勝負は終わらないだろう」「ここで終わると思ってなかったけど……」と読みながら臨機応変にレフェリングしてるってことですね。
小佐野 川田が三沢のタイガースープレックスを食らったときに、京平さんが返すだろうと思ってツーで止めけど、川田は返せなかったんだよね。三沢が「京平ちゃん、いま返さなかったでしょ?」と聞いたら「レフェリーが叩いてないんだから返してる」と。それで三沢は仕方なくもう一発タイガースープレックスを決めてワンツースリー。
――川田さんからすれば災難ですねぇ。
小佐野 今回大谷も「立ってくるだろう……」とみんな思っていたはず。必殺技ではなかったからね。いつもと違う点をいえば、ノアのリングだとターンバックルが3つに分かれたセパレートタイプ。ゼロワンは1本なので、そこの当たり方の違いはあったのかもしれないけど……ターンバックルへの技が必要かといえば、必要ではないと思う。わざわざターンバックルにぶつけなくたっていいとは思うけど、この技は初めてやったわけじゃないからね。いま非難するんだったら、初めて使ったときに非難されるべきで。杉浦以外にも使うレスラーはいっぱいるし、ターンバックルにパワーボムをやる人だっているわけだし。あとは大谷の首が悪かったのも事実だから。
――ターンバックル・ジャーマンだけに問題があったわけではないという……。
小佐野 2016年9月10日のリアルジャパンのディファ有明大会で、大谷が船木誠勝に勝ってリアルジャパンのチャンピオンになったことがあったんですよ。その試合中に大谷は頚椎損傷をやっちゃって1ヵ月休んでるんです。そのときから首はどう考えても悪いはず。去年の4月の全日本のチャンピオンカーニバルでは右肩をやって欠場して、今度は9月に左腕もケガしたでしょ。肉体的にかなりキツくなってたのは事実だと思うんだよね。
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DDT25周年……「文化系」から文武両道プロレスへ■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2022-04-04 10:12120ptプロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回はDDT25周年……「文化系」から文武両道プロレスへです!
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『至高の三冠王者 三沢光晴』を書いた理由
新日本プロレスvsノア対抗戦から見えた個人闘争の炎
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『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…
――小佐野さんはDDT25周年興行の解説をやられてましたね。
小佐野 面白かったけど長かった。6時間半だよ。
――椅子に座ってるだけで大変ですね(笑)。
小佐野 前半3時間半、後半は3時間。その前日の東京女子の解説もやってるんだけど、それが前半2時間半、後半2時間の合計4時間半。DDT翌日の全日本大田区大会の解説もトータル4時間だから3日間で15時間ですよ(笑)。
――おつかれさまです!
小佐野 出場選手が多くて、それぞれの流れも全部把握しなきゃいけない。なによりDDT&東京女子の両国はけっこう寒くてね。底冷えするんだけど、休憩にならないとトイレも行けないから、水分を控えに控えた3日間でしたよ(苦笑)。
――いまのビッグマッチは昼過ぎに始まって21時前後までやるから、長くなってあたりまえで。プロレスファンも慣れっこになってますね。
小佐野 たまに試合数が多すぎて、どうやって大会進行するんだろう?って興行もあるよね。
――25周年記念イベントはどうでした?
小佐野 DDTが旗揚げした1997年は多団体時代でしょ。当時『週刊ゴング』編集長だった私からすれば、当時のプロレス界にとって、あってもなくてもいい団体だったんですよ。
――雨後の竹の子のように団体が出てくる時期だっただけに。
小佐野 しかも団体の中心となる高木三四郎、三上恭平(MIKAMI)、野沢一茂(NOSAWA論外)の3人はキャリアが浅かったし、コーチ役的存在だった木村浩一郎(スーパー宇宙パワー)や、仮面シューターの渡部(優一)さんもビッグネームではなかったから。プレ旗揚げ戦で集まったファンに旗揚げしていいかどうかジャッジしてもらってスタートという流れだったけど。その頃はファンタジー路線でもなく、ジャイアント馬場の遺伝子やアントニオ猪木の遺伝子を持ってない団体がポンと生まれただけで。木村浩一郎のことはその前から知っていて、彼らは旗揚げ前に編集部に挨拶に来たのかな。木村浩一郎が「マジメにやります」みたいなことを言ってたような記憶がある。
――『週刊ゴング』の編集長として視界には入ってなかったんですね。
小佐野 編集長時代は一度も会場に行ったことがない。というか、あの時代は団体が多すぎて行けなかった。まして編集長は現場取材に行く立場ではないから。それでも、なるべく現場の空気を知りたいから行くんだけど、さすがにDDTまでは手回らなかった。初めてDDTを会場で見たのは編集長をやめてからだから、99年や2000年頃かな。北沢タウンホールや渋谷クラブATOMでやっていた定期戦に行くようにしてたんだけど、けっこうカルチャーショックを受けた。お客さんがプロレスファンとは違う。あの頃のDDTは若者のサブカルのトレンドみたいな感じにしたかったと思うんけど。たとえば大学生ぐらいの女性ファンが多かった。彼女たちの会話を聞いてると、やったらDDTのストーリーに詳しい。でも、絶対にこの子たちは既存のプロレス団体を知るわけがないなっていう種類の子たち。ああ、ここを開拓したんだDDTは……って思ったよ。
――ATOMでプロレスをやる時点で新しい団体ですね。
小佐野 初めてATOMに行ったとき場所がわからなくて。コンビニで道を聞こうかなと思ったら、たまたま高木三四郎がコンビニに入ってきたから、「これから取材に行くんだけど」って連れていってもらったんですよ(笑)。
――話は変わりますけど、円山町周辺のクラブっぽい箱で、『ゴング』の発行元だった日本スポーツ出版のリニューアルパーティーがあったじゃないですか。高田延彦のジンギスカン屋『モンゴリアンチョップ』も円山町でしたし、妙にプロレス界隈が円山町づいていたなって。
小佐野 あのパーティーに私もいたよ(笑)。天龍(源一郎)さんが呼ばれたからアテンドしてね。そのとき天龍さんに「俺、会社を辞めますから」って初めて伝えて。
――そんなことがあったんですか。
小佐野 あの日、会社の新しい幹部に初めて会ったんですよ。
――ボクは新生『ゴング』に一枚噛んでいた宮崎満教さんと繋がりがあったから、なぜかカミプロの人間だったのに呼ばれたんですね。
小佐野 満教さん自体がバイタリティのあるすごい人というか、人間的には嫌いではなかったよ。一生懸命やる人で、自分で広告を取ってきたりとか。
――面白い人ですよね。山師感はすごかったんですけど(笑)。
小佐野 で、編集長じゃなくなってDDTを見に行くようになったその年の暮れだと思うんだけど。後楽園ジオポリスの大会でポイズン澤田JULIEが高木三四郎に負けて。そのあと澤田が自分の生首を持って炎の中に入っていく……という映像が流れたんだけど。それって当時としてはギリギリの演出だったんですよ。
――そんな映像が用意されているのは、おかしいってことですね。DDTは現実とファンタジーのリンクのさせ方が早い団体でしたね。
小佐野 それはWWEでいえば、試合に敗れたアンダーテイカーが棺桶に入れられて、映像が切り替わると天国に消えていくみたいなことだったから。それをDDTはやったから「うわ、日本のプロレスもここまで来たか!?」と驚いた。それは高木三四郎も冒険だったみたいで「はたして、ここまで踏み込んでいいのか……」と。
――新生FMWもエンターテイメント路線でしたけど、そこまではやってなかったと。
小佐野 映像ではそこまでやってないかな。新生FMWはリング上でのエンターテイメントだったというか。DDTの場合は最後までパッケージされたものだから、けっこう衝撃的だった。その当時はファジーって言っていたと思うんだけど、曖昧なファンタジー路線。簡単にいえばDDTの胡散臭い路線はそこから確立していったのかな。それから10年近く経ったあとに、DDT両国でポイズン澤田JULIEが蝶野正洋と一騎打ちをしたんだけど、蝶野も澤田のジャラジャラの呪文にかかって動きが止まったからね。
――新日本の練習生だった澤田が、新日本のトップを取った蝶野をDDTの世界に引き込んだ歴史的なシーンですね。
小佐野 新日本でいえば、フリーになった田中ケロちゃんが長井満也とDDTに乗り込んで「こんなくだらない団体」って煽ったこともあった。
――新日本時代の田中ケロちゃんはインディ批判が絶えなかったから、そこを火種にしてましたね(笑)。
小佐野 さんざんやりあって最後には認めあってね。
――同じエンタメ路線でも『ハッスル』の場合はいきなり大砲をぶっ放した感じですけど、DDTはちゃんとマスコミや他団体とのコミュニケーションを取りながらやっていた……から、エンタメ路線も批判が出なかったのかなと。
小佐野 やりかたがうまかったよね。『週刊プロレス』の菓子折り事件とかあったでしょ(笑)。
――DDTの誌面での扱いについて広報が菓子折り持参で編集部を訪問したら、当時の編集長に「菓子折りは必要なかった」と誌面に書かれたことが騒ぎになりましたよね。このネタ、もう何年も何年も転がして(笑)。
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新日本プロレスvsノア対抗戦から見えた個人闘争の炎■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2022-01-11 16:00110ptプロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は新日本vsノア対抗戦です!
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令和の横アリ大実験!新日本vsノア対抗戦
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武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」
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北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…
――新日本プロレスとノアの全面対抗戦はかなり盛り上がりましたが、カード発表当初は「交流戦か、対抗戦か」という議論にもなりましたね。
小佐野 「交流戦か、対抗戦か」は選手それぞれの捉え方になっちゃうと思うんだけど、第0試合の新日本・藤田晃生とノア・矢野安崇の若手シングル対決。この試合によって対抗戦のムードがガッと盛り上がったと思うんだよね。 今大会のファンの意識はあの試合で決まったのかなと。キャリア半年の藤田とキャリア1年の矢野にはプレッシャーはあったと思うけど、お互いの団体の看板を背負ってガッチガチに頑張ったと思う。彼らが緊迫感のある試合をしたから、対抗戦として空気ができあがったかなと。
――しかもドローだったことでスイッチが入ったわけですね。藤田vs矢野は第0試合でしたけど、オープニングマッチって本当に重要ですね。
小佐野 それは新日本プロレスvs U インターの対抗戦もそうだったよね。第1試合の永田裕志&石澤常光vs金原弘光&桜庭和志の緊迫感のある試合があのときの対抗戦に火をつけた。新日本やノアのファンは普段自分たちが見ている団体を応援するだろうし、 そこには中立のファンもいるんだろうけど、 交流戦というイメージだったらチケットは完売にはならない。対抗戦だからこそ応援しようとファンも意気込むんだろうし、藤田vs矢野のぶつかり合いがうまくハマったというか。
――カード云々じゃなくて団体同士の選手が試合をすれば、やっぱり応援しちゃいますもんね。
小佐野 それにプロレスラーってリングに上がったら自分が一番でありたい生き物だから。それは普段の試合からそうなんだから対抗戦も交流戦もないんだよ。 ただ、昔はただ勝てばいいというものだったけど、いまはキャラクターが強い選手ならば、そのキャラを活かさなきゃいけなったりする。そこらへんも問われるところが昔とは違う点だよね。 勝ち負けも重要だけど自分のキャラクターを届けられるかどうか。 極端な話、負けてもいいけどキャラクターを発揮すればいいという考えの選手もいる。 第0試合の藤田vs矢野のあとにノアのファンキーエクスプレス(キング・タニー、モハメドヨネ、齋藤彰俊)が出てきたけど、彼らはファンキーな部分を見せなきゃいけないわけだよね。
――名前がファンキーだとそうですよね(笑)。
小佐野 この試合が一番最初じゃなくてよかったと思う。キャラの強いファンキーたちの試合が最初だったら会場の空気はちょっと変わっていたかもしれない。 ファンキーは第3世代(永田裕志、小島聡、天山広吉)と戦ったけど、ファンキー側は齋藤彰俊が出てきたでしょ。あのシーンはよかった。 齋藤彰俊はかつて1人で新日本プロレスに乗り込んだわけだから。
――90年代の新日本vs誠心会館の抗争ですね。
小佐野 それに当時新人だった永田裕志にとって齋藤彰俊は壁だったんだよね。上に行くために倒さなきゃいけない相手。昔から見てるファンからすると、齋藤彰俊と永田裕志から始まると当時の記憶がよみがえってきたんじゃないかな。
――今回の対抗戦で思ったのは、どういった歴史を感じたりするのかが問われるなって思いました。
小佐野 本来は、知識がなくても楽しめるべきなんだけど、組み合わせによっては過去を思い出しちゃうレスラーがいっぱいいたってことだよね。いろんな団体に出たうえで、いまは新日本所属、いまはノア所属だったりするし、 どこかのリングでその選手と接点があったりするわけだよ。石森太二が言ってたのかな。“ノアのレスラーと、いまノアにいるレスラーでは違うからと。石森は今回、HAYATA、吉岡世起と当たった。石森がノア所属だった当時、吉岡はいなかったし、最後のほうにHAYATAとは絡んでるけど、石森の中ではHAYATAはノアのレスラーという認識ではないってことだよね。石森からすれば、あくまで外からノアに来たレスラーだから。石森の意識ではノアとの対抗戦と言われても違うでしょと。 でも、それはそれで個人の闘争になるわけだから。
――横アリがレスラーの交差点になってるんですね。
小佐野 戦いながら懐かしさを感じる組み合わせもあったし、こんなところで巡り合うだという見方もあったよね。
この続きと、扇久保博正、平本蓮、船木誠勝、伊澤星花、齋藤彰俊、佐藤天……などの1月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「15万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
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東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2021-12-16 18:13110ptプロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021です!
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武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」
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冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…
――今月のテーマは、小佐野さんが選考委員の1人を務めた東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021についてお伺いします!
小佐野 今年は蝶野正洋と小橋建太が特別選考委員として参加。選考委員は19人。第1次投票で過半数の10票を上回ったら決定。過半数を満たなかったら上位3名もしくは2名に絞って投票するするというかたちで選考されました。☆MVP 鷹木信悟
☆ベストバウト 潮崎豪vs武藤敬司☆最優秀タッグ賞 タイチ&ザック・セイバーJr. ☆殊勲賞 ジェイク・リー
☆敢闘賞 竹下幸之介☆技能賞 グレート-O-カーン ☆女子プロレス大賞 林下詩美
☆新人賞 荒井優希
――MVPは新日本プロレスの鷹木信悟選手でした。
小佐野 MVPは鷹木と武藤敬司の一騎打ち。鷹木14票、武藤5票。一発で鷹木に決定しましたね。
――今年はこの2人が妥当ですよね。
小佐野 MVPは逃したけど、武藤は58歳にしてGHCのチャンピオンになったり、DDT、ノア、東京女子の3団体が集結したサイバーフェスでは禁断のムーンサルトを披露したよね。
――人工関節のヒザをマットに打ち付けると「もう二度と歩けなくなる」と、お医者さんにめちゃくちゃ怒られたやつですね。
小佐野 負けたけど、あのムーンサルト一発で主役を奪ったからね。新日本はコロナでリング上をだいぶ狂わされたところもあって、鷹木もコロナにかかってしまった。負傷欠場でカードの変更を余儀なくされる大変な状況の中、その鷹木が新日本を引っ張っていった。東京オリンピック直前の東京ドーム大会では棚橋弘至を挑戦者に迎えてのIWGP世界王座タイトルマッチだったけど、あのとき世間はオリンピック一色の中、オリンピック以外のニュースを取り上げるということで取材に来た新聞記者があの試合を見て感動したというか、オリンピック一辺倒じゃないという印象を持つくらい存在感があったと言ってたね。
――鷹木信悟はコロナやケガなんかのトラブルがなかったら、こういう展開になってなかったかもしれませんが、そのチャンスを逃さないのが鷹木信悟の強さですね。
小佐野 鷹木が受賞会見でも言っていたけど、「運とタイミング」というものがあるから、それを掴めるか掴めないか。あと彼のファイトスタイルはどちらかっていうとクラシカルなものに近いでしょ。新しいんだけど、昭和のプロレスファンも馴染めるようなもの。飯伏幸太や内藤哲也がいる中、そこも差別化できたのかもしれないよね。
――鷹木信悟は完全なアスリートプロレスではないってことですね。
小佐野 そうだね。かといって、そういったアスリートプロレスの要素がないわけではない。そんなに身体を大きくないんだけど、パワーでも勝負できる。2018年の全日本のチャンピオン・カーニバルで、巨体の石川修司と互角の勝負をしちゃったしね。あとドラゲー出身ということもあって弁も立つ。
――これでMVPは新日本プロレスの11年連続受賞ですけど、今年は「また新日本か……」という印象ではなかったですね。
小佐野 新日本プロレス所属レスラーの受賞が続いてる中でも、鷹木が風穴を開けた感じはあるよ。棚橋やオカダ・カズチカ、内藤だったりが代わる代わる取り続けてきた中、今回は鷹木がポンと出てきたわけだから。なんだかんだ業界を動かしてるのは新日本プロレスなので、新日本を引っ張ってる存在がMVPを取るのはある意味で当然の流れなのかもしれないけど。
――ベストバウトはノアの潮崎豪vs武藤敬司のGHCヘビー級選手権試合。
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令和の横アリ大実験!新日本vsノア対抗戦■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2021-12-02 00:00110pt
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は令和の横アリ大実験!新日本vsノア対抗戦です
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プロレスと結婚した風間ルミさん
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冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…
――今回、突然発表された新日本プロレスとノアの対抗戦ですが、率直に小佐野さんはどう思われました?
小佐野 本当に唐突だなと思うよね。あの日、俺は一日中外出していたからネットも何も見てなくて、家に帰ってメールをチェックしたら、新日本からもノアからもリリースが届いてたんだけど、その会見場が同じ場所だったから「……ということは」と。
――このタイミングで対抗戦は本当にビックリですよね。
小佐野 ただ、冷静に考えれば、ノアの親会社であるABEMAというのはテレ朝関連の会社だからね。いまABEMAでも新日本の放送もやってるはずだから対抗戦をやってもおかしくはないんだけど、いままでの両団体の関係からすると、2016年には新日本から派遣されていた鈴木軍のノア撤退があり、そこからノアも会社が大きく変わって、新日本とは絶縁みたいなムードがあったから。いまのノアはサイバーファイトグループの団体として、DDTと共に「新日本を追い抜く」というスロガーンがある。それが急に興行的には手を握るわけだから意外といえば意外だよね。
――正直、なぜこうなったのかというのは見えづらいし、いろいろと語りがいのあるドッキングです。
小佐野 あり得ないことが起きるということでは、これが本当のサプライズなんじゃないかな。そういう意味でのインパクトはあったと思う。
――そもそも新日本が1月8日の横浜アリーナを押さえた段階で計画があったのか、もしくはそこに間に合わせたのか……そういうことも勘ぐりたくなりますね。
小佐野 でも、新日本とノアは全日本も含めてコロナになってから馳浩先生のところに陳情に行ったりして、プロレス界は足並み揃えてやってたからね。興行会社としての競争はあるだろうけど、馬場・猪木時代の新日本と全日本のような対抗の仕方をしているわけじゃないから。当時は本当に仁義なき戦いというか、たとえば全日本が創立10周年記念興行を蔵前でやりますと発表したら、新日本がその前日に蔵前を押さえて先に大会をやっちゃうとかさ(笑)。
――ホントにヒドいですね(笑)。
小佐野 昔はそういうヒドいことをやってたけど、いまは紳士的な競争をしている。
――両団体とも話題性としてメリットは充分あると思うんですけど、新日本は1・4と1・5の東京ドーム大会2連戦、ノアは1・1の武道館もあるじゃないですか。そこで、1・8にこの興行を持ってくるのは対抗戦に話題を食われてしまうデメリットもありますよね?
小佐野 内藤(哲也)なんかは「いまワールドタッグリーグをやってる」のにって不満を漏らしてるよね。それにスーパージュニアもやってるから、高橋ヒロムなんかも「なんでこの時期にやるの?いま大事なシリーズをやってるときに、なぜそれが吹っ飛ぶようなことをやるの?」と。その気持ちもわかるよね。1・8のカードも当然発表しなきゃいけないわけだけど、元旦やドーム大会で打ち消しあっちゃったら意味がないわけだし。
――そして、この動きは継続的にやっていくのかどうなのか。
小佐野 新日本とノアにしてみたら、とにかく一発やってみないことには何が起こるかわからないわけじゃない。やっぱりファンの反応もあるし、そもそも「交流戦」なのか「対抗戦」なのかという話にもなっているわけだし。逆に、「ここまで対抗戦の日程が決まってます」というのもおかしなことですよ。
――交流戦ならともかく対抗戦は先が見えたら緊張感がなくなりますね。
小佐野 やっぱり1・8の内容、客入り、評判、そういうものが大切になってくるし、「なんだ、まだ先があるんじゃん」となると、その時点で緊張感は途切れちゃうから。あとは、今回どんなカードが出てくるのかもわからないしね。
――まだカードは何も発表されてないですね。
小佐野 で、こういうことをやるときは団体同士は信頼関係を持ってやらないといけないけど、レスラー同士はそうはいかない。
――そこなんですよね、面白いところは。
小佐野 そうじゃなきゃ対抗戦は意味がないですよ。そこで「仲良くやりましょう」ではダメ。選手たちが対抗戦モードに入ってるのはいいことだと思うし、みんなけっこうヒリヒリしてるでしょ?
――どちらかというと新日本側は対抗戦の煽りが何たるかというのがわかってる感じが凄く伝わってきますよね。
小佐野 オカダ・カズチカの上から目線だったりね。
――棚橋(弘至)も、以前DDTでHARASHIMAとやって物議を醸したときみたいに、やっぱりメジャーとしての意識が凄く強いから面白いですね。
小佐野 やっぱり、プロレス業界を世間に響かせようという思いもあるだろうし。業界自体を活性化させようという起爆剤の一つだと思うよ。00年代のノアって業界の盟主と呼ばれるくらいの勢いがあって現場を仕切っていた仲田龍氏は新日本に敵愾心を燃やしていたんだけど、新日本が苦しんでいた時期に選手を派遣した。それは「新日本の1・4がなくなったらプロレス業界は終わり、業界全部が沈むから、新日本が沈むと困る。だから協力するんだよ」と。
――じつはプロレス業界ってそうやってフォローしあうことが多いですよね。前向きに向き合ってくれるんだったら協力は惜しまない。
小佐野 それが、馬場さんと猪木さんの時代だったら、本当に拮抗しているから潰し合いになっちゃうんだろうけど、いまは運命共同体みたいなところがあるからね。
――1990年2月10日、新日本の東京ドーム大会に全日本税が参戦したときもまさにそうで。
小佐野 スタン・ハンセンや天龍(源一郎)さんが出た興行ね。あの対抗戦も唐突に決まったからね。まるっきり話題にもなってないところにポンと出したから。
――ホントにビックリしましたね。
小佐野 あの当時の新日本は坂口(征二)体制になって、年初めに馬場さんと坂口さんが一緒に記者会見をやって「今年は仲良くやっていきますよ」ということで、スティーブ・ウイリアムスが全日本に円満移籍してきたりね。その代わり、全日本が権利を持つリック・フレアーは「新日本の東京ドームでグレート・ムタとNWA世界戦をやってください」という交流ムードはあったんですよ。とはいえね。
――天龍さんを新日本に貸し出すことはありえない。
小佐野 あのときも1月のシリーズ中に急に発表されたから、天龍さんにコメントを求めたら「大事なシリーズ中に他団体のコメントなんかできるか」とコメントしなかったんだから。つまり、いまの内藤や高橋と一緒だよね。
――そ選手の急な貸し借りといえば、全日本の川田利明のUインター参戦とかもありました。馬場さんは「助けてくれ」と言われれば助けるという。
小佐野 まあ、ただ単に助けるわけじゃないんだろうけど、あの人の場合は(笑)。やっぱりビジネスマンだからね。でも、結局2・10は本当に坂口さんとしては「馬場さんありがとうございます」で、馬場さんも「坂口は信用できる男だからカードも一任するよ」と言ってたんだけど……。土壇場になるといろいろと変わっていくという(苦笑)。
――最初は長州力&小林邦昭vs天龍源一郎&川田利明だったのが、小林さんがトンパチでお馴染みのジョージ高野さんに変わってしまって(笑)。
小佐野 だから、全日本側も川田を三沢タイガーに変えたでしょ。
――昔は「なぜ、ジョージ高野と三沢タイガーがパートナーなんだろう」とピンとこなかったんですよ。当然、長州力のパートナーは小林邦昭が合ってるし、天龍源一郎のパートナーは川田利明のほうがいいだろうと。
小佐野 たしかに、維新軍と天龍同盟になるからバランスとしては凄くいいんだけど、あそこでジョージに急に変えるところが長州力のセンスなんだろうね。
――つまり「ジョージは何がするかわからないぞ」ということですよね(笑)。
小佐野 そしたら、やっぱり全日本だって……。まあ、ジョージがどんな人かは知らないだろうけど、絶対に「これは何かあるな」と不穏な空気を感じるわけだから。そうしたら、神経が図太い三沢のほうがいいだろうということになるよね。あとは、三沢タイガーを新日本のファンに見せたいというのもあっただろうし。で、三沢は前の年の春にヒザの手術をしたばかりだったんだけど、年明けの1月シリーズからカムバックだったんだよね。
――復帰直後にあんな対抗戦に駆り出される。
小佐野 で、あの日は馬場さんは東京ドームに行ってないんだけど、(ザ・グレート・)カブキさんをお目付役で行かせて「何かあったら帰ってこい」と。
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