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記事 25件
  • 止まらないMMA薬物汚染 非常ベルが鳴っている!■MMA Unleashed

    2015-02-12 23:21  
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    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回のテーマは次々に報じられるMMAの薬物汚染……について!

    ジョン・ジョーンズがコカインで、ニック・ディアスがマリファナで、アンデウソン・シウバがステロイドで薬物検査に失格し、再びMMAの薬物問題に脚光が当たっている。その後もジョン・フィッチ、ヘクター・ロンバードと、大物選手の失格があとを絶たず、ニュースを追いかけているだけでも疲れてきてしまうほどだ。いったい何が問題なのだろうか。そして実態はどうなっているのであろうか。

    そこで今回は、特にアンデウソン・シウバの失格に焦点を当てて、さまざまな角度からの意見を集めて紹介してみたい。

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    英The Guardian紙でJosh Gross記者は次のように論じている。

    ジョン・ジョーンズとアンデウソン・シウバという2人のスター選手が、試合前の薬物検査に失格していたにもかかわらず試合を行ったことについて、ソーシャルメディアを中心に、ネバダ州コミッション(NAC)が試合が中止にならないように意図的に結果を隠蔽していたのではないかとの疑惑がささやかれている。NACはプロモーターからゲート収入の6%、およびPPVをふくむテレビ放映権収入等に応じて最大5万ドルの州税を徴収することと定められており、1月のUFC2大会で、NACにはには50万ドル程度の税収があったとみられている。

    NACエグゼクティブディレクターのボブ・ベネットはこのような疑惑を「突飛なものだ」と否定している。

    UFCはこれまで、パフォーマンス増強薬(PED)対策では段階的に前進してきた。州コミッションの管轄外の海外大会などでは、UFCは自ら、さまざまなレベルでの薬物検査を実施してきた。しかし今年に入ってUFCは、年間を通じた競技期間外の抜き打ち薬物検査プログラム実施計画を白紙に戻している。VADAといった第三者機関や米国アンチドーピング機構といった専門機関に委託するのではなく、UFCでは今後もこれまで同様、州コミッションによる緩い規制に頼ることとしたのである。

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  • 【フリー公開記事】これであなたも観戦デビュー!? 格闘技イベントのススメ■MMAオレンジ色の手帖

    2015-02-12 23:07  
    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回は「格闘技イベント 観戦デビューガイド」です!  ■Dropkickメルマガ 2月度更新記事一覧http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201502・【単品販売】小原道由の壮絶狂犬インタビューなど、7万文オーバーの記事詰め合わせ!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719107非会員でも購入可能!・記事詰め合わせ一覧① http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719126・記事詰め合わせ一覧② http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719119早いもので2015年も2月に突入。修斗もパンク
  • 【悲願の日本人王者誕生へ】堀口恭司、UFC王座挑戦! 関係者が語る電撃決定舞台ウラ!!

    2015-02-12 10:15  
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    4月25日カナダで行なわれるUFC186 で堀口恭司がデメトリアス・ジョンソンの持つフライ級王座に挑戦することになった。堀口恭司はUFCデビュー以来現在4連勝中。デメトリアス・ジョンソンは5度の防衛に成功しているスーパーチャンプだ。これまで日本人の王座挑戦経験者は山本喧一(vsパット・ミレティッチ)、近藤有己(vsティト・オーティス)、桜井マッハ速人(vsマット・ヒューズ)、宇野薫(vsBJペン)、岡見勇信(vsアンデウソン・シウバ)の5人。いずれも王座獲得に失敗しており、悲願の日本人王者誕生が期待されている。というわけで、今年最大の大一番となるビッグカード決定の舞台ウラを、山本KID徳郁やストラッサー起一、そして堀口恭司のマネジメント業務を担当する石井史彦氏にうかがいました!Dropkickメルマガ 2月度更新記事一覧http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201502
    ――石井さん! つい先ほど堀口恭司選手のUFCフライ級王座挑戦が電撃発表されました!
    石井 ああ、ついに発表されましたか……。
    ――ハハハハハハ! 
    石井 決まっちゃいましたか(笑)。
    ――決まっちゃいました(笑)。このカードはいつ頃、決定したんですか?
    石井 話が来たのは2月4日ですね。
    ――1週間前!(この取材は2月10日に収録) そこから交渉したんですか?
    石井 交渉もないもないですよ。マッチメイカーのシェーン・シェルビーからのメールも簡単なもんでしたけど。「UFC186モントリオール」「フライ級タイトルマッチ デメトリアス・ジョンソンvs堀口恭司」だけ。
    ――なんだか走り書きのメモみたいですね(笑)。
    石井 こちらは「Yes sir!」で即答ですけど。
    ――即答! 堀口選手には確認してないんですか?
    石井 聞いていないですよ。だってチャンピオンになるためにUFCで来たんですよ? 異論はないじゃないですか。それに堀口選手は与えられた試合をやるというスタンスですし。それでも今回の決定はちょっと驚いてましたけど(笑)。
    ――それでも「ちょっと」だけですか(笑)。
    石井 そもそも堀口選手には「タイトルマッチがあるかも」という話はしていたんですよ。これはジョンソンが「堀口と戦うかもしれない」というコメントをするずっと前のことです。
    ――へえー、そういう読みがあったんですね。 
  • 「私が戦った暗黒・新日本プロレス」……“元・社長”草間政一インタビュー

    2015-02-11 16:40  
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    再び黄金期を迎えようとしているテン年代の新日本プロレスだが、10年前は“瀕死のプロレス団体”として「明るい未来が見えません!」(鈴木健想調)というズンドコ状態であった。そんな暗黒・新日本プロレス時代に社長として改革を推進しようとしたのが、今回登場する経営コンサルタントの草間政一氏である。外部からの招聘、新日本にとっては初の非レスラーの社長就任ということで話題を呼んだ草間氏。当時はその政策や言動が選手、マスコミから批判されていたが……暗黒・新日本のズンドコエピソードが次から次に飛び出すインタビュー! 嗚呼、ユークスやブシロードがいて本当に良かった……。・小原道由の壮絶狂犬インタビューなど、7万文オーバーの記事詰め合わせセット!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719107・記事詰め合わせ一覧① http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719126・記事詰め合わせ一覧② http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719119――暗黒時代の新日本プロレスを改革しようとした元・社長の草間さんですが、当時は選手やマスコミ、そしてファンからも新日本に混乱をもたらす“悪の元凶”としてバッシングされましたよね。
    草間 一部の悪いことをしていた社員及び一部のマスコミからは、そういう扱いをされていましたね。しばらくしてユークスが新日本の親会社になったらさ、俺がやろうとしてたことをそのまま実行してるわけじゃない。「俺がやろうとしたことと同じじゃないか」「いまとなってみたらそうです」って、ある役員からは言われたね。それは、自著「知りすぎた、私」を読み返していただけければわかります。選手の年俸を抑えたこと、棚橋弘至や中邑真輔を売りだそうとしたこと、ダメな社員を排除したこともそうだけどさ。
    ――草間さんは新日本プロレスを企業として再生しようとしたわけですよね。
    草間 いま人気があるもんね、新日本って。『闘魂ショップ』をやってる力道山夫人の田中敬子さんとよくしゃべるんだけど、1枚4000円くらいのTシャツがいまは売れ残らないんだって。あと面白いのは、『闘魂ショップ』には外国人のお客が多くて、香港、韓国、台湾、中国からやってくるんだというんだよ。いまの新日本は女の子のファンも増えてるという話だけど、じつは外国人のファンも多くなってるらしいんだよね。
    ――国内外でも人気が上がってるんですね。もともと草間さんは経営コンサルティングとして、猪木さんが猪木事務所や新日本に送りこんだわけですよね?
    草間 そうだよ。猪木さんも猪木事務所や新日本の内部がメチャクチャだってことは知ってたんだよ。悪い連中がさ、お金をごまかしていたってことは。
    ――最初に財務調査されたのは猪木事務所なんですよね。
    草間 当時、猪木さんのパチンコ台がヒットしてたでしょ。そのお金が消えてるのよ。
    ――当時のパチンコ業界の中でも大ヒット機種でしたから、莫大なお金ですよね。
    草間 そりゃあ莫大ですよ。何億円の世界ですよ。それなのになぜお金が消えてるかといえば、猪木事務所のスタッフが陰でいろいろとやってたんだよね。それでいろいろと調べたら契約金とかの数字がおかしいんだよ。事務所に入るべきお金がちゃんと入ってない。そのことを猪木さんに報告したら、猪木事務所の連中が俺を排除しようとしたんだよね。
    ――草間さんの報告を受けた猪木さんは、事務所のスタッフを追放しようとはしなかったんですか?
    草間 あのね、猪木さんが面白いことを言ってたんだよ。「草間さん、俺が人生で一番嫌なことは週刊誌にいろいろと書かれて1カ月間、家から一歩も出られなかったことだよ」って。猪木事務所の奴はそういうネタを持ってると言うわけよ。
    ――追放したら何かスキャンダルを暴露されるんじゃないかと?
    草間 こないだ力道山時代のプロレス関係者と話をしたんだけど、力道山のガウンを盗んでどこかに売っちゃう奴がレスラーや関係者にいたんだって。それと同じようなことが猪木事務所でも起きていた。猪木さんのガウンやベルト、トロフィーは事務所に飾ってあったんだけど、いつのまにかなくなってるんだよね。
    ――ファッ!? 
    草間 「猪木さん、どこにあるんですか?」「いや、◯◯が管理してるんだよ」だって。で、◯◯に聞いたらトボケるんだよね。噂によると、どこかに売り払ったそのお金は、女にやらせてるバーだかクラブに流してたみたいなんだけど。
    ――言葉もないですね(笑)。
    草間 酷いよ(笑)。猪木事務所の連中は「金がない」というわりには高級車をしょっちゅう買い換えてるわけよ。それで猪木さんも「おかしい」と気付いて俺が調べることになったんだよね。
    ――当時はビッグイベント華やかりし頃でしたし、猪木事務所は選手マネジメントでも儲かってましたよね。
    草間 あの頃、ブラジルから来てた選手いたでしょ? なんだっけ?
    ――リョートですね。猪木事務所を離れたあとにUFCと契約してチャンピオンになった。
    草間 そうそう。リョートってどこに住んでいたと思う。汚い小さいアパートの部屋に3人で住んでいたんだよ。それでファイトマネーもろくにもらわず試合に出ていたんだよ。
    ――そんな環境でBJペンやリッチ・フランクリンをぶっ飛ばしてたんですか!
    草間 リョートの親父は日本人で、啓介さん(アントニオ猪木の弟)と仲がいいでしょ。「なんでそんな場所に住まわせるんだ」って抗議の連絡があったんだよ。いろんな大会で活躍してるのにさ。
    ――しかも食費だトレーニング費だとかをファイトマネーから天引きしていたんですよね。不当に搾取されるフィリピンバーの女の子みたいな扱いで。
    草間 猪木事務所が儲かってないわけないんだよ。K−1やPRIDEに選手を出したら、けっこうなお金が入るわけだから。事務所を通してやってるから選手本人は正確な金額は知る由もないんだけどね。大晦日の件も裁判になったときがあったでしょ。
    ――03年の『猪木祭り』のファイトマネー未払いですね。
    草間 あれだって億近い金額を猪木事務所はもらってないはずなんだよ。猪木事務所の連中はあのときの主催者と仲がいいはずなのに取り立てる気配もなかったようだからね。おかしいでしょ。
    ――そんなわけだから猪木さんのところにお金は入ってなかったんですか?
    草間 払ってはいたんだよ。猪木さんにはニューヨークに奥さんがいるでしょ。
    ――離婚しちゃいましたけど。
    草間 あ、それは知らなかった。奥さんも思ったよりお金が入ってないことを怪しんでいたんだけど、それはさ、奥さんのところに行くまでに猪木さんが発明に使っちゃうんだよ。
    ――猪木さんも猪木さんですよ!(笑)。その発明とは永久電機のことですよね(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar511058?access_from=ichiba)
    草間 猪木さん、資金繰りに困ってたよ。その発明会社に払うお金が月600万かかるわけ。
    ――つ、つ、つ、月600万!? 
    草間 それくらいかかる。浜松町の近くに事務所があって、そこに俺の机もあったんだよ。
    ――研究所自体は筑波にあったんですよね。開発者は元・日立製作所の人間で。
    草間 俺は研究所には行ったことがないけどね。社員みたいなのが何人かいて、経費だけで月に600万はかかるんだよね。最初の頃は地方のパチンコ屋だなんだから猪木さんがお金を借りてくるわけ。3000万借りれば何カ月は持つでしょ。でも、貸すほうも保証がないと貸せない。それで新日本の保証を入れていたわけよ。
    ――新日本の保証で永久電機の借金ですか……ああ、新日本がユークスやブシロード体制に変わって本当によかったなあ(笑)。
    草間 新日本だから貸してくれたよね。でも、猪木さんは借りたら返すという感覚がない人だからさ。
    ――ハハハハハハハハハ!
    草間 お金がさ、自分の手元に入るわけじゃないでしょ。右から左に動くわけだから借りた感覚は生まれないですよ。あのときは途中で訴えられて裁判にもなったんだよ。要するに猪木さんだから貸したんだ、と。猪木さんはその発明会社の役員から降りちゃったの。そうしたら金を貸した人が訴えたんだよね。
    ――しかし、猪木さんは永久電機の完成を本気で信じていたんですかね?
    草間 猪木さんは信じていたみたいだよ。「完成すればね、ブラジルに電気がどうのこうの……」と言ってたんだけど。
    ――猪木さんがインフラ整備にうるさいのは、ブラジル移民時代の過酷な生活が原点にあるからですね。
    草間 でもまあ、できるわけがないじゃない、そんなの。
    ――ちょっと科学の勉強をすればわかることなんですけど……。ズバリ、猪木さんは詐欺に騙されていたんですか?
    草間 詐欺とも言えないんだけど……まあ外から見ると詐欺なのかもしれない(笑)。――それを世間一般では詐欺っていうんですけどねぇ。草間 俺が新日本の社長になったときも「金がどうにかならないか」と言われたんだよ。嫌な顔をするもんだから、直接オレに言わないで、猪木さんの親しい人を通じて言ってくるわけ。「猪木がそう言ってるから貸してやれよ」って。でも、あの頃の新日本は裕福じゃないじゃない。俺が社長になったことでようやく銀行が信用してくれて、貸し出しもしてくれるようになったのに。猪木さんの発明に数千万単位で持っていかれるのは厳しいよねぇ。それに、社長とはいえ会社の金を役員会の承認もなしに貸し出しすることはできませんから。
    ――ドブにお金を捨てるのと変わりないですからね(笑)。亡くなった実兄の快守氏も猪木さんと同じく山師タイプでしたよね。
    草間 ああ、お兄さんは週刊誌でもいろいろとスキャダルを書かれてたでしょ。1回会ったことがあったなあ。「ホテルみたいな霊園を作る」という計画を猪木さんに持ちかけたんだけど。
    ――快守さんは、熱海に江戸城とその城下町を再現させるという壮大な計画も猪木さんに持ちかけてましたね(笑)。
    草間 猪木さんから「これはいくらなんでもありえない。草間さん、なんとかやめるように説得してくれないか」と頼まれてさ。
    ――あの猪木さんもドン引きするレベル!(笑)。
    草間 でも、あの兄弟は似ているんだよ。猪木さんってさ、普通の感覚じゃないからね。海外に行けばもっとわかる。どこへ行っても特別待遇だから、やっぱり変わった考えになるんだよ。イタリアに行ったときなんてパトカー先導で空港から連れて行かれちゃうしさ。あと飛行機に乗ろうとしたらパスポートがないわけ。それなのにあの人は「俺はアントニオ猪木だ!」と言い張って飛行機に乗ろうとするんだよ(笑)。
    ――ハハハハハハ! 顔を見れば誰だって猪木さんだってことはわかりますけど。
    草間 さすがに乗れなかったんだけど、パスポートを持ってくるまでのあいだ飛行機が待っていてくれたんだからね。ありえないでしょ。
    ――国賓待遇なわけですね。
    草間 国賓待遇。モハメド・アリとやってるから名前が通ってるわけでしょ。
    ――話を戻すと、草間さんは猪木事務所の不正を猪木さんに伝えたわけですよね。いくらスキャンダル嫌いの猪木さんとはいえ、スタッフを切らざるをえなかったと思うんですけど。
    草間 猪木事務所の株主総会の前日には「アイツらを切る!」と猪木さんは言ってるんだよ。でも、いざ当日になると「……うんうん」と話を聞いて頷いてるだけ。あとで「猪木さん、昨日までの話と違うじゃないですか」って聞くと「アイツら泣きついてきたんだよ。泣きつかれると弱いんだよな……」って。
    ――優しい人ですよね。いつの時代もその優しさにつけこむ“猪木の威を借りる狐”が絶えないだけで。
    草間 優しいんです。だからダマされるんです。昔、豊登っていたでしょ。
    ――日本プロレス2代目社長ですね。
    草間 あの人の借金の面倒を見たのは猪木さんだけだよ。豊登なんてさ、力道山の葬儀のときに姿がなかったんだって。どこに行ったかと思えば、博打をやりにいってたんだって。
    ――ギャンブル狂で言えば、猪木さんが安田(忠夫)さんの面倒も見てましたね
    草間 安田もいろいろと大変だったんだよ。契約更改のときに机をバンバン叩いて怒鳴るのは安田だけなんだよ。アイツはね、急に怒り出すんだよ。一生懸命説得して「ギャンブルをやめろ!」と話をしたんだけど。アイツの引退興行のときもちょっと関わったことがあったよ。
    ――引退興行のあとにブラジルに相撲を教えにいくという話ですね。
    草間 あのとき「俺の引退興行なのに金が入ってこないのはおかしい!」と言い出したんだよ。でも、安田は引退興行をやろうとしてる人たちから、お金をもらって生活してたんだよ。お世話になってることを忘れてやがんの。
    ――まあ、安田さんはその瞬間だけで生きてますから(笑)。
    草間 結局、マネジメントしてるところと揉めちゃって、それでブラジルの話もダメになっちゃって。その人間はケンドー・カシンの知り合いなんだけどね。
    ――安田さんはカシンの紹介で農場で働いてましたね。
    草間 豚の農場で働いていたんだけど、車で街に降りていってパチンコやってたいうんだから(笑)。
    ――猪木さんはそういう“ダメ人間”の面倒を見てたんですね。
    草間 猪木さんはそういう人なんだよ。以前、猪木さんの常宿は最初オークラだったたけど、途中から変わったときがあって。それは△△△△△△に追いかけられていたからだし。
    ――ああ、その件はけっこう大騒ぎになってたんですよね!☆このインタビューの続きと、小笠原和彦、堀口恭司、斉藤仁の思い出、天龍vs神取対談、パンクラス酒井、大仁田厚物語など8本7万字の記事が読める「お得な詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar739331
     
  • “格闘技団体”としてのあり方――パンクラス酒井正和代表インタビュー

    2015-02-08 22:45  
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    パンクラスの代表に就任して今年で3年目を迎える酒井正和氏。1993年12月に産声を挙げた老舗格闘技団体は、何度かの崩壊危機を乗り越え、酒井体制の改革路線のもと、他団体との交流や地上波放映の復活などの攻勢で勢いを取り戻している。今回のインタビューではパンクラスが歩む新たな方向性を示していただいた。・小原道由の壮絶狂犬インタビュー、ほか田中ケロなど記事が読める詰め合わせセットhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719107・記事詰め合わせ一覧① http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719126・記事詰め合わせ一覧② http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719119――酒井さんはパンクラス以前に『ハッスル』や『スマッシュ』などのプロレスイベントに携わってきましたが、格闘技興行の運営を始められたのはどういう理由があったのでしょうか。
    酒井 ボクがパンクラスを始めたのは、2011年の東日本大震災という出来事が大きいんです。あの日以降、いろいろと考える中で、表現の仕方がプロレスより格闘技のほうに惹かれてしまったところがあるんですね。それはプロレスがダメというわけではなくて、あくまでボクの中の価値観の変化なんですけど。いまは新日本プロレスの勢いが凄いじゃないですか。当時はどちらかというと格闘技のほうが衰退気味ではあったんですけど、格闘技でも何かやりようがあるかな、と。そこにちょうどドン・キホーテさんからお話があったんです。
    ――当時のパンクラスはドン・キホーテさんが親会社でしたね。
    酒井 いまではUFCやベラトールがイベントとしてもエンターテインメント性に優れてるじゃないですか。日本の格闘技イベントも、のし上がれる可能性があると思うんです。世界的にはMMAはブームになってましたし、それは日本においても再び盛り上がることも充分ありえる。ただ、海外のMMAイベントを見て回って思うのは、当時は日本だけがガラパゴス的に取り残されていた部分はあるんですけど、そこを一つ一つ整備していけばビジネスになると思ってました。
    ――ガラパゴスというのは閉鎖的であるということですか?
    酒井 閉鎖的なんですかねぇ。もうちょっと世界を見たほうがいいんじゃないかな、と。MMAがブームになってる国が何をやってるのか。日本はMMAという文化が生まれた国でもあるから「このままでいい」という頭の固い考えもあったと思うんですよ。ボクは格闘技村の人間ではないですし、海外の手法をどんどんと取り入れたいと思っていたので、新生パンクラスに「世界標準」という言葉を掲げたんです。そこを謳っていかないかぎりは、やる意味がないと思ったんですよね。
    ――酒井代表体制になってからのパンクラスはプロモーションに力を入れてますね。 
    酒井 いやいや、それは最低限やらなきゃいけないことなんですよ。ウチが最低限。よくプロモーションに「お金を使ってる」と言われるんですけど、かけてないですよ、全然(笑)。アジアのMMA団体のほうがよっぽどお金をかけてますよ。観に行くとビックリしますもん。
    ――いまの日本のマーケット事情ですと、まず最初に削るのはプロモーション費用ですよね。
    酒井 そうなってくると、小じんまりしてくるんですよね。格闘技団体をやってる以上は、強気でいけるときは攻めないと。小じんまりしちゃうとすぐに忘れ去られちゃいますよね。宣伝にしても力を入れることで、団体や選手に新規のスポンサーがついてきたりするから、そこはバランスですよね。これだけのお金を使うから、これだけのものを取ろう、と。そこを高く置くか、低く置くか。
    ――つまり費用対効果ですね。
    酒井 どうしても興行というものはハイリスクハイリターンの部分があるんですけど。ボクはまだ小さいところでやってるので。
    ――酒井さんとしては、リスクのある仕掛けはやってないわけですね。
    酒井 だから「お金を使ってる」と言われると戸惑うんですよ(笑)。格闘技が流行ってた頃のようなお金のかけ方はしてないんですからね。昔はもっと凄かったじゃないですか。
    ――地上波ゴールデン番組クラスの予算がありましたからね。
    酒井 これくらいの収益が見込めるから、このクラスの選手を呼ぼうとか計算しながらやってるので。パンクラスは単月でも黒字ですし。
    ――パンクラスは外国人選手を頻繁に呼んでいますけど、渡航費や宿泊費がかかることで経費面からすると呼びづらいですよね。
    酒井 そこはお金がかかりますね。でも、ボクは格闘技イベントを観に行ったときに「こうなったらいいのにな」と思うことをやっていきたいんですよね。そこは願望でもあり、投資でもあるんです。
    ――投資ですか?
    酒井 はい。それは格闘技団体としてどこかで資金を作ってでもやらないといけないことなんですよ。それは2つあると思います。各階級に実績のある海外選手とランカーを試合させて経験を積ませることの投資。2つ目はボクがパンクラスを引き継いだときは、重い階級の試合が組めないことにガックリしたところはあるんです。やっぱり重いクラスがあって軽いクラスも引き立つ。軽いクラスの魅力を理解してもらいたいから重いクラスの試合を組む。いまは運営も安定してきましたし、今度はヘビーとミドルを厚くしていこうかなと考えてます。ヘビーはね、2選手の外国人選手と複数回契約を結びました。
    ――UFCですら人材不足の階級なのにチャレンジしますね。
    酒井 重いクラスをパンクラスは取り戻していこう!と。単なるデブは試合に出さないですよ(笑)。ファンだってケージがぶっ壊れるかもしれない試合が見たいじゃないですか。
    ――ただ、外国人選手の試合を組んでも券売にはなかなか結びつかないところはあると思うんです。
    酒井 おっしゃるとおりですね。いまはプレイガイドの販売ではなく選手の手売りが主流だなんて言われるじゃないですか。ウチは手売りを強制しないですよ。そのために練習ができなくなるのは本末転倒ですから。強制はしないですけど、プロとして手売りをするのは大事。それはボクシングも同じじゃないですか。そこで気をつけないといけないのは、団体がどこまで後押しするかだと思うんですよ。選手が手売りしやすいようにPRしてるのか。やっぱりイベントの認知度はあると売りやすい。外国人選手を呼ぶこともそうですが、まずはパンクラスが格闘技団体としての価値を高めれば、選手のスポンサー獲得もそうですけど、後押ししやくなるんですね。
    ――なるほど。格闘技団体としての体裁を整えてるわけですね。
    酒井 極端なことを言えば、各階級の半分くらいは外国人でもいいくらいなんですよ。そのほうがレベルは高くなるじゃないですか。そうなったほうがパンクラスにとっては面白いですよね。
    ――ウィンボーナス制の導入も、プロモーターからすれば、お金がかかるだけに導入したくなかったと思うんですけど。
    酒井 そこは選手への還元でもありますね。ただ、海外じゃウィンボーナスはあたりまえのシステムじゃないですか。それにそこまで大きな金額を出してるわけではないので(苦笑)。身の丈にあった中で、なるべく選手に還元する。そういうことができると、魅力的な団体になってくると思うんです。認知度があって、ボーナス等のシステムもあれば、選手も試合がしたくなるじゃないですか。モチベーションが高ければいい試合になりやすいし、口コミで評判が広がってお客さんも集まり、スポンサーもついてくる。そうやって団体の価値へとつながってくるんですよね。
    ――外国人招聘もウィンボーナスも団体への“投資”なんですね。☆このインタビューの続きと、草間政一、小笠原和彦、堀口恭司、斉藤仁の思い出、天龍vs神取対談、大仁田厚物語など8本7万字の記事が読める「お得な詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar739331 
  • 柔術白帯が初期UFCを見てみました■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO⑲

    2015-02-08 10:40  
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    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、試合出場を目論む模様をイラストレポートすることになった当コーナー。今回は「柔術の帯」と「初期UFC」について!前回あれだけ「楽して勝ちたい」「技を覚えたくない」「手足がバラバラの動きをする技がわからない」等とのたまった私ですが、ある日を境に突然柔術に目覚めました。何がきっかけかまったくもってわからないのですが、急にやる気スイッチが入ったのです。こうなると先生にもやる気が伝わるのでしょうね。やる気スイッチが入って数日後には1本目のストライプを巻いてもらえました。
    ちなみに柔術の16歳以上の帯制度について説明しますと、最初は皆白帯から始まり、青→紫→茶→黒と強くなっていきます。茶帯までのそれぞれの帯はストライプ0本から4本の5つのレベルに分類され、ストライプを4本もらうと次は帯の昇格になります。なので私が青帯に昇格するにはあと3本ストライプを巻いてもらわなければなりません。うーん、長い道のり!さらに青帯から紫帯に昇格するには最短で2年間の修了期間が定められています。紫帯以上は指導者になれるのですが、中邑真輔選手は紫帯なのでぜひともプロレスファンの柔術家向けにセミナーを開いていただきたいですね。
    そしてこの「ストライプ」、帯の端っこの黒い布の部分に白い線を引いてもらうのですが、私は実際にストライプを巻いてもらうまでいったいどうやって黒い布に白い線を引いているのかわかりませんでした。結局このストライプは細く切ったテーピングを黒い部分に巻いていたのですが、これが意外と何度洗濯をしても全然取れないんですね。地味に驚きました。
     
  • 男と女の壮絶プロレスとは何だったのか? 天龍源一郎×神取忍 対談

    2015-02-08 09:54  
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    “ミスタープロレス”天龍源一郎、引退表明――!! マット界に残した偉大な足跡は語り尽くせぬものはある天龍だが、“ミスター女子プロレス”神取忍の顔面をボコボコにした壮絶な試合も印象深い。いまから3年前にDropKickでその両雄の対談が実現。あの一戦をテーマにミスタープロレスとミスター女子プロレスの痺れるプロレス観がほとばしる内容となったが、いまあらためて再録したい。◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯試し読み可能! 非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! par12は大好評インタビュー7本、7万字が540円!!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719107①元・新日本プロレス小原道由が語る1・4事変の壮絶な舞台裏!「石澤が止めなかったら、俺は◯◯を殺していたでしょうね」②リングアナのカリスマ田中ケロの新日本プロレス伝説「新日本プロレスで起きた暴動はすべて体験してます」③格闘技バブルとK−1の時代 佐藤嘉洋インタビュー「判定問題のせいで闇に葬り去られていますけど、魔裟斗戦はMAX史上最高の盛り上がりだったと思います」④小佐野景浩「プロレス歴史発見」は超獣ブルーザー・ブロディ
    「ブロディが生きていたら、鶴田&ブロディvs天龍&ハンセンが実現していたでしょうね」⑤元『週刊プロレス』記者安西伸一の底が丸見えの底なし沼トーク「安西さんはどこでプロレスは真剣勝負ではないと思ったんですか? 」⑥年末年始のイベントを振り返ろう!/大沢ケンジ⑦MMAシーン再編成!? ベラトールCEOスコット・コーカー「榊原信行氏はいろいろとやりたいと言っていた。もちろん協力するよ」◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯・記事詰め合わせ一覧① http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719126・記事詰め合わせ一覧② http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719119

    天龍 (ホテルのラウンジに到着して)おう、お待たせしました。
    神取 天龍さん、今日はどうぞよろしくお願いします!
    天龍 こちらこそ。(退席する隣の男性集団を見ながら)いまの、隣に座ってた背広の集団は神ちゃんのSP?
    神取 いやいやいやいや、SPなんて、そんなのいないですよお(慌てて)。
    天龍 フフフ、冗談だよ。でも、いまのくだりもちゃんと原稿に書いてよ(ニヤリ)。
    ーー承知しました(笑)。さっそく始めさせていただきますが、そもそも、このビッグ対談を企画させていただいたきっかけは、4月末にTBSで放送された『ガチ相撲』なんですよ。
    天龍 ああ、『ガチ相撲』ね。安田(忠夫)なんかが出てたヤツでしょ? 神ちゃんも出たもんね。
    神取 はい、出させていただきました(神取はサバンナ八木に見事勝利。『ガチ相撲』の中でも屈指の名勝負となった)。
    ーーその神取選手の紹介Vの中に、天龍源一郎vs神取忍の試合の映像が映ったんですが、神取選手のボコボコに腫れ上がった顔を見た方々のなかで、「あの試合はいったいなんだったんだ!」という声が凄く挙ってまして。なので、今日はあらためてあの対戦についてお二人におうかがいしたいと思っております。<a href=
    天龍 はい、わかりました。
    ーーと言っても、あれは2000年7月2日の試合なので、気がつけばもう12年も前になるんですよね(※この対談収録は2012年)。
    神取 12年も経つのかあ。もう、ひと回りしてるんですね……(しみじみと)。
    天龍 あのとき神ちゃんをケチョンケチョンにやって、それから12年経ったいまも、これで飯を食えてるというのは凄いよ。
    神取 私もそのおかげでしっかり飯が食えてます(笑)。
    天龍 でもね、これは神ちゃんもそうだと思うんだけど、自分にとってはスタン・ハンセンとかもうガムシャラに闘ったヤツってね、時として友情や何かが生まれたりするんですよ。逆に言うと、何かが生まれなきゃリングで闘う意味はないんですよね。たとえば、負けても相手が上がるとかね、負けても自分が上がったとか、何かを求めてリングに上がってるというのが闘うヤツの本性だと思うんですよ。
    ーー天龍選手はそういう試合はたくさん経験されてると思うんですけど、その中でも神取選手との試合はまた特別だったというか。
    天龍 よくね、終わったあとに「神取選手をあんなにボコボコにして……」って言われるんだけど、化粧してリングに上がった神ちゃんが、試合が終わって化粧が落ちただけの話だから(アッサリ)。
    神取 えーっ! 試合後の顔が私の素顔ってことですか?(笑)。
    天龍 フフフフ。でもね、一番最初にLLPWからこの話が来たときに、俺が神ちゃんに言ったこと覚えてるよね? 「神ちゃん、いいの? 俺、プロレスなんかやらないよ」って。
    神取 はい! もちろん覚えてます。
    天龍 そしたら神ちゃんは「いや、そのつもりですよ!!」って言ったのよ。だからいい度胸してるなって思って、そっからだんだんと俺なりのテンションが上がってきたんですよね。
    ーーもう、そこから試合が始まってたわけですね。
    天龍 でも結論を言えば、リングの中には俺もそうだけど、神取忍というプロレスラーのも残ってたんだよね。だからあのとき俺がまあトップレスラーとして女子プロレスラーを迎えたけども、神ちゃんが死んだわけでもなく、立ち上がって自分の足でリングを去ったってことは、それは神取忍を殺しきれなかったってことですよ。そこに俺の逃げ口があるとしたら、プロレスって殺し合いじゃないということだけども、神ちゃんにとっては「なんだよ、立って歩ける私がいるじゃない」って、たぶん思ったと思うよ。それが今日の神取選手がプロレスをやっていくうえでの何かになったと思いますよね。
    神取 ……(うなずきながら聞き入って)。
    天龍 ただ、俺もコテンパンにやったつもりだったけど、そこまでいかなかったなって思いがある一方で、男のプロレスラーとしての意地は見せたと思ってました。
    ーー神取選手にとっては、あれがLLPWのリングだったということもポイントでしたよね。自分のリングで天龍選手を迎え入れたということが。
    天龍 だから、試合の途中で「おい、もうタオル投げろよ!」ってセコンドの女の子たちに叫んでたのを覚えてますよ。でも、神ちゃんの顔がだんだん腫れてきてるのに誰も投げないんですよね。だから、それはLLPWのトップである神ちゃんの意地であり、一種の違う感動を覚えましたよね。
    神取 でも私は、逆にああいう試合になってもの凄くうれしかったんです。極端にいえば私はもう「お願いします!」ということだけなんですよ。だからそれを受け入れてくださる天龍さんの器の大きさですよね。天龍さんとは、その前にタッグマッチで試合をさせていただいたことがあったじゃないですか。
    ーー1998年12月8日のWARですね。天龍源一郎&ウルティ・ドラゴン組vs冬木弘道vs神取忍組というカードでした。
    神取 そのときに、初めて男子の中で試合をさせてもらったんですけど、やっぱりシングルは当然それどころじゃないんですよね。天龍さんと私という、あの2人だけの空間に立てたというのは、これまでの格闘技経験のなかでもあり得ない経験で、その気持ちを受け止めていただいて、しっかり応えていただいたというなかでは、もの凄くうれしかったです。あの……痛かったですけどね(笑)。
    天龍 ただ俺の中ではね、神取忍という名前を初めて耳にしたのは、ジャッキー佐藤とかと闘ったときなんだけども、あのね、全然境遇は違うんだけど、俺も相撲から転向してきてプロレスに入ったときに、やっぱり“相撲の天龍源一郎”というのは背負ってきたし、彼女も柔道というものは背負ってきてたと思うんですよ。だから「ジャッキー佐藤とやっても負けない私がいるわよ」って思ってたと思うんだけど、その中でも、ずっともがいてたと思うんですよね。
    ーー「プロレスとどう向き合えばいいのか」ということですか?
    天龍 プロレスに来てもうまくいかない自分がいるし、柔道時代のプライドもあるしね。で、俺はちょうどその日の昼間にね、後楽園ホールで全日本プロレスの復帰会見をしたばかりだったんですよ。
    ーー当時は三沢光晴選手をはじめ全日本の選手が大量離脱してNOAHを旗揚げした一方で、手薄になった全日本プロレスに天龍選手が復帰したときでした。
    天龍 で、全日本に戻る前の天龍源一郎というのも、新日本とかあちこち行ったりしながらもがいてた自分がいて、そんな中で神ちゃんとの試合の話がきたんですよ。そのときに、「ここで女子レスラーとガンガン試合するのもいいかな」ってフッ切れた気持ちがあったんですよね。だからこそ、ガンガン行くというのが俺の中での条件だったんですよ。でもそこでね、神ちゃんが「いやいや、そんなこと言わないでくださいよ。プロレスなんですから」って言ってたらスイッチ入ってなかったと思いますよ。
    ーーそういう意味では、何かから脱却したいという同じ気持ちを持って試合に向かったということですね。
    神取 それに、私自身は自分の柔道生活を振り返ってみても、男子とばっかり練習してるんですよ。それにプロレスに入っても山本小鉄先生に教えてもらってたから、私の中では男子と女子というのはまったく境界線がないんですよね。生意気なことを言わせてもらえれば、「リング上では男も女も関係ない」って思ってるので、そういった意味も込めて「よろしくお願いします!」って言わせてもらいました。
    天龍 あのね、プロスポーツをやってるヤツってね、プロレスラーだけどナヨッとしてるヤツを見ると、「あれ、私でも勝てるんじゃない?」って思う人もいると思うよ。男でもプロだったヤツがボッとプロレス来たときに、「こんなことやってたら、ネエちゃんにも負けちゃうよ」って思うヤツもいるんですよ。とくに俺は自分を研磨する意味でもそういうことを思うことがあるんですよね。そこは、神ちゃんの場合だと、一番はじめにジャッキー佐藤と闘ったことが証明してるし、「そうはいかないよ」という自分があったと思うんですよね。だからたぶんね、プロレスに慣れれば慣れるほど、自分がイヤになった部分ってあったと思うよ。自分を殺してプロレスが上手になろうと思ってる自分がいる一方で、プロレスが上手になるってどういうことなの? って。
    神取 確かにそれはありましたね。そこに全部うまくまとまるのか、そうでない自分も持っておかなきゃいけないのかという葛藤はありました。
    ーーでも、神取選手の場合も、節目節目に“まとまらなくさせる試合”というのがありましたよね。
    神取 なんかねえ(苦笑)。その中でもとくに天龍さんとの試合は強烈でしたね。もし引退して「プロレスラー人生を語ってみろ」って言われたときには、まず語りたい試合ですから。
    ーーそんな気持ちを背負いながら、実際にリングに立った瞬間の気持ちってどんな感じだったんですか? ☆このインタビューの続きと、草間政一、小笠原和彦、堀口恭司、斉藤仁の思い出、パンクラス酒井、大仁田厚物語など8本7万字の記事が読める「お得な詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar739331
     
  • ブラジルでは国民的行事、アンデウソン・シウバ復帰劇の背景■MMA Unleashed

    2015-02-05 23:08  
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    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回は両者失格報道も飛び出している「アンデウソン・シウバvsニック・ディアス」について! 

    13か月ぶりに復活したアンデウソン・シウバはUFC183の大会後記者会見で次のように語った。
    「復帰して勝利を飾ることができてとてもうれしい。なにぶん、これは私の使命だからだ。コーチからも、今日の試合はキミの使命だと言われていた。勝たねばならない。勝ち星が必要だった。ブラジル国民が待っているからだ」
    「息子が泣いて言うんだ。パパ、もうやめて。お願いだから、格闘技はやめて、家に帰ってきて。だから今後のことに関しては、まず家族と話したい。格闘技は大好きな仕事だ。私そのものといってもいい。でも家族に相談する必要がある。いまの私にとって、家族の方が大切だからだ」
    今回はこれら2つのアンデウソン発言の背景に迫ってみたい。
    (1)アンデウソンにとって「勝利が使命である」とはいったいどういう意味なのであろうか。
    実はブラジルでは、アンデウソン・シウバの復帰戦は、アメリカのスーパーボウルに遜色ないほどの国民的関心事となっていた。この時期のアメリカの広告業界がスーパーボウルを中心にして回っているのと同じで、ブラジルの広告業界はここしばらく、アンデウソン・シウバの栄光からの転落、そこからの輝かしい復活物語にくぎ付けになっている。自動車保険からパーソナルケア商品、英会話学校に至るまで、アンデウソン・シウバは数多くのテレビCMに出演した。アメリカのビール会社バドワイザーは先月、ブラジルでブランドイメージの全面変更を行い、いまでは広告はアンデウソン・シウバ一色だ。テレビではほとんどのチャンネルでアンデウソンの復活ストーリーを特番で放送、なかでも「Spider Life Show」という番組にはシウバ自身も出演した。
    ブラジル地上波Globoでなんと午前4時にニアライブ中継された「アンデウソン・シウバ vs ニック・ディアズ」は、首都ブラジリアで20%、サンパウロで18%、リオデジャネイロで16%の視聴率を獲得、平均視聴者数は400万人、瞬間最高は1,250万人、占拠率は実に60%だったという。単なる一格闘家の立場を越えた、ブラジルのスポーツセレブとして、アンデウソンが当座の役割を果たすことができたと、一安心できたのは本音だったといえるだろう。
     
  • 【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生■小佐野景浩のプロレス歴史発見

    2015-02-04 21:41  
    110pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回取り上げるのは「大仁田厚」!! FMWの邪道プロレスで天下を取った男の生き様は、そのケレン味から好き嫌いが別れるが、虚実が入り混じった最高のプロレスを見せていることは間違いないのだ。プロレスがますます好きになる小佐野節を今回も堪能してください! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします! 
    ■これまでの「プロレス歴史発見」シリーズはコチラ!!
    ・【阿修羅・原】北海道の寿司屋に身を潜める阿修羅のもとに天龍が訪れた……
    ・【理不尽大王】冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…・【ジャンボ鶴田】ジャイアント馬場の信頼を失った鶴田は怪物となった・超獣ブルーザー・ブロディがもし生きていたら
    インタビューを読む前に大仁田厚の入場曲を聞いて気分を高めるん邪!!<a href=――今日は前回のインタビューで小佐野さんが「ゴキブリ並みの生命力を持つ」と大絶賛された大仁田厚選手を取り上げます!(笑)。
    小佐野 大仁田さんは正直、猪木・馬場以降のプロレスラーの中で一番世間に名前を売ったと言っても過言ではないですよね。2012年からやっている「大花火」も全国各地で満員になって、今年からは「超花火」にグレードアップされましたし、いまの新日本プロレスに対抗できるのは大仁田厚しかいないという(笑)。
    ――そんな大仁田さんのデビューは1974年ですから、途中引退していた時期があるとはいえ、かれこれ40年近くやってるんですよね。
    小佐野 大仁田さんに関して言えば、ボクは天龍さんより前に親しくなってますから。大仁田厚とのほうが歴史は長いんですけど(笑)。
    ――初めて大仁田さんに出会ったのはいつなんですか?
    小佐野 私は大学生のときから『ゴング』で仕事をしていたんですけど。1981年、アメリカのテリトリーを3週間回って、その途中のテネシーで大仁田さんと渕正信さんに出会ったんです。
    ――海外修行時代が初対面だったんですね。
    小佐野 テネシー州のナッシュビル。81年8月17日のことですね。
    ――日付まで覚えてる!(笑)。
    小佐野 その前日にテキサスでグレート・カブキさんの試合を見たんですよ。まだカブキさんが日本に登場する前ですね。そのときにテングー(天狗の意)の名前で試合をしていた上田馬之助さんにグレイハウンドバスの停留所まで送ってもらって。そこからバスで一晩過ごして、ナッシュビルに着き、ヘアベントマッチに負けてツルツル頭の渕・大仁田組に会ったんですよね(笑)。
    ――印象的な初対面になったんですね。
    小佐野 テネシーは反日感情が凄かった土地なんです。昔から芳の里さん、ヤマハ・ブラザーズ(星野勘太郎、山本小鉄)、ヒロ・マツダ、猪木さんら、多くの日本人レスラーが試合をしていて。あの2人もヒールとして活躍してて、当時で週1200ドルは稼いでいたのかな。
    ――当時のレートだと凄い金額ですね!
    小佐野 2人はAWA南部タッグチャンピオンだったんですよ。その日は彼らのアパートに泊めてもらって、翌日はケンタッキー州のルイビルで試合だったのかな。行動を共にしたのは2日間だけでしたけど。
    ――それは『ゴング』の取材だったんですか?
    小佐野 もちろんもちろん。自費で行ったんですが、『ゴング』に記事を買ってもらうというかたちで。結局、旅費は報酬でチャラになりましたけど。そのときの大仁田さんは23歳くらいかなあ。凄くホームシックになっていてね(笑)。車を運転していても「この景色は日本の◯◯に似ている……」とボヤいてるんですよ。
    ――それはかなり重症ですねぇ。
    小佐野 その頃、日本ではツービートとかが出ていた『THE MANZAI』が流行っていて。僕は番組を録音したカセットテープをアメリカに持って行ってたんだけど、ホームシックの大仁田さんにあげたんですよ。大仁田さんが帰国してから「あのテープを何回も何回も聞いているのに笑えた」と言ってましたね(笑)。
    ――大仁田さんは凱旋帰国後、全日本プロレスのジュニアヘビー級のエースの座が用意されましたよね。
    小佐野 全日本プロレスにNWAインターナショナルジュニア王者として凱旋するんですけどね。“炎の稲妻”アイドルレスラーの大仁田厚の誕生ですよ!(笑)。
    ――じつはアイドルレスラーだったんですよね。いまのファンは知らないと思いますけど(笑)。
    小佐野 じつはそうなんです(笑)。アメリカでチャボ・ゲレロの王座に挑戦させるのは「大仁田か、渕か?」という選択になったとき、テリー・ファンクが大仁田さんを選んだんですけど。それはなぜかというと、客を惹きつけける力が大仁田さんにはあったとテリーは判断したと思うんです。プロレスって技術や強さで客は見ないところもあるじゃないですか。そこは言葉には言い表されない魅力に尽きると思うんですよね。
    ――その魅力が大仁田さんにあったんですね。作/アカツキ
    小佐野 アメリカでチャボ・ゲレロに勝ったときも、日本から来ていた倉持隆夫アナウンサーがインタビューしたら「社長、社長〜っ!!!!!」とリングサイドにいた馬場さんに向かって泣き叫んで、馬場さんも苦笑いという(笑)。倉持さんが「これで日本に帰れるよ!」と向けたら「バンザ~イ!!」と叫んでね。あの天然のリアクションは魅力的ですよ。
    ――大仁田劇場の素養は当時からあったんですね(笑)。
    小佐野 すべての感情をさらけ出すという。ただ、あのときは新日本でタイガーマスクのブームが起きていたんですよ。81年にタイガーがデビューして、大仁田厚が帰国した翌日に、タイガーはレス・ソントンからNWA世界ジュニアを獲り、その翌日にブラック・タイガーを破ってWWF世界ジュニア王座を獲得。二冠王に輝いたわけですよね。
    ――とんでもない時期に帰って来ちゃったんですねぇ。
    小佐野 大仁田さんが帰ってきた年のプロレス大賞MVPはタイガーマスク。あれは快挙だったんです。それまでは馬場・猪木しか獲ってなかったんですから。だからオカダ・カズチカが凱旋帰国後にいきなりMVPを獲ったような衝撃があったんですよね。そういった時代背景もあって、全日本からすればタイガーマスクに対抗するアイドルレスラーとして大仁田さんに大いに期待していたんですね。大仁田さんはその期待に応えるべく凱旋帰国する前にメキシコに渡ってトペをおぼえたりしてたんです。
    ――タイガーマスクのブームを意識したスタイル作りをしてたんですね。
    小佐野 ジャーマン・スープレックスも覚えなきゃいけない。というのはテネシーにいたときは、日系ヒールだから技はいらないんですよ。
    ――極端なことをいえば、下駄で殴っていればいいわけですよね。
    小佐野 パンチがうまければトップに行けますからね。でも、渕さんは常に日本に帰ってきたときのことを考えていたんですよ。だからそのあとフロリダのマーケットに移ったときカール・ゴッチを訪ねているんです。渕さんはゴッチのところか、バーン・ガニアのレスリングキャンプのどちらかでレスリングの勉強をするという計画を練っていて。
    ――帰国後のスタイルをすでに模索していたんですか。
    小佐野 アメリカのヒール時代の渕さんはタッグマッチで必ず先発するんです。なぜなら試合の立ち上がりはヒールいえどもレスリングになるじゃないですか。そこでレスリングの経験を積むために渕さんは先発を買っていたんですよね。
    ――ちゃんと考えてるんですねぇ。
    小佐野 で、大仁田さんが考えていたことは、いかにそのテリトリーで成功するかってことなんです。そこで成功することで馬場さんの顔を潰さない、と。海外に出してくれた師匠の顔を潰しちゃならないという意識が彼の中では強かったんですね。
    ――期待に応えるためにメキシコでトペを覚えたりするわけですね。
    小佐野 あの頃の全日本にはウルトラセブンが出てくるじゃないですか。
    ――高杉正彦選手が正体のウルトラセブンですね。
    小佐野 大宮スケートセンターにウルトラセブンが初登場したときは、高杉選手が「これが私が連れてきたウルトラセブンだ」と紹介したんです。中身は替え玉なんだけど、その替え玉もプロレスラー志望で、メキシコに渡ったときに高杉さんと知り合ったんです。大仁田さんがメキシコに渡ったときに、その彼と一緒に練習をしてるんですよ。その青年はデビューもしていないのにジャーマンを普通にこなしてるから、大仁田さんは「なんでオレはできないんだ……」って焦ったそうですけど。
    ――お話を聞くと、ジュニアアイドル路線の大仁田厚は、会社主導のキャラクター設定だったんですね。
    小佐野 “炎の稲妻”というネックネームが付けられたことで、サンダーファイヤーという必殺技を編み出したんだけど、これがまだ全然説得力がない必殺技(笑)。
    ――ハハハハハハ!
    小佐野 FMWになったときサンダーファイヤーパワーボムに進化したんだけど。当時はカナディアン・バックブリーカーで担ぎあげて後ろに投げるだけ。「いったいどこが効くんだ!?」というね(苦笑)。
    ――そもそもキャッチフレーズが先なんですね(笑)。
    小佐野 なぜ“炎の稲妻”になったかといえば、トミー・リッチっていたじゃないですか。彼のニックネームはワイルド・ファイヤー、野生の炎だったんです。それにあやかって大仁田厚はサンダーファイヤー、“炎の稲妻”になったんですよね。それは馬場さんと、私の師匠である竹内宏介さんの合作なんですけど(笑)。
    ――仕掛け人は竹内さん! なんだか全日本時代の大仁田厚は、“ブレイクできなかったオカダ・カズチカ”みたいですね(笑)。
    小佐野 フィニッシュホールドはブロックバスターホールドに変更して定着しましたけど。大仁田さん本人も用意された設定には苦労したと思いますよ。でも、ポジティブな方なので悩んでる印象はなかったですね。それは期待されてることには心地よかったと思います。ただ、アメリカに渡る前、天龍さんが入団したときはやめようと思ったそうなんですよ。彼は16歳で入団して苦労してきたでしょ。3~4年間も下でずっとやってきたのに、年齢は上とはいえ途中から入ってきたお相撲さんがポコっと上のポジションが与えられた。「プロレスはそういう世界なんだ……」とショックを受けたわけですよね。そういう純なところもある人なんですよ。
    ――いま振り返ってみてジュニア時代の大仁田厚はどう評価しますか?
    小佐野 ジュニア時代はそこまで人気爆発というわけにはいなかったんです。どうしてもタイガーマスクと比較されますし、ほとんど評価はないと思いますね。というのは、大仁田さんが帰ってきたのは82年5月。翌年の4月にはヒザを壊しちゃうんですよ。
    ――ヒザの怪我で長期欠場しますよね。
    小佐野 84年5月にカムバックしたんですけど、もうヒザが曲がらないわけですよ。だってヒザのお皿が5つに割れちゃったんですもん。
    ――うわあ……。
    小佐野 東京体育館でヘクター・ゲレロとの試合が終わって、エプロンからリング下にポンと飛び降りたんです。それで「ウッ……」と倒れてしまった。もともとヒザが悪かったんでしょうね。おぼえてるのは、タンカで運ばれるじゃないですか。ヒザの状態を見るためにサポーターを外すと、ないんですよ、ヒザが……。
    ――え……!?
    小佐野 へっこんでるんですよ、ヒザが割れちゃって。本人も周りも「ヒザがない!」って騒いじゃってねぇ……。
    ――そのケガが一度目の引退の原因になるんですよね。
    小佐野 本人はまだ27歳だったんですけどね。とりあえずカムバックした当時はマイティ井上さんがジュニアのチャンピオン。8月26日の田園コロシアムで大仁田さんが井上さんに挑戦して負けちゃうんですよ。そのときに「引退をかけてもう1回挑戦させてください」と言っちゃったんですよね。それが引退のきっかけなんです。
    ――全日本が引退勧告したわけではないんですか?
    小佐野 本人がやめると言わなければ、引退しろとは誰も言わないです。馬場さんも言わないですよ。なぜ本人がそんな発言をしたのか。その田園コロシアムで三沢光晴がタイガーマスクとしてデビューしてるんですよ。
    ――あー、なるほど!
    小佐野 まあまあ、大仁田厚としては「もう俺の出番はないな……」と悟ったんでしょうね。
    ――タイガーマスクに因縁のある人生なんですね……。
    小佐野 その年の12月の後楽園ホールで井上さんに挑戦して負けて、それで引退。試合後、馬場元子さんがグッズ売り場から控室の階段まで降りてきて「大仁田くん、大丈夫?」って抱きしめてね。馬場夫妻は大仁田厚がかわいかったんですよ。16歳で入門して、必ずしも優等生ではない。オッチョコチョイで馬場さんの荷物をどこかに忘れたりしてね。
    ――そんな少年がチャンピオンとなり、ケガで挫折をして、若くして引退するわけですからね……。
    小佐野 全日本だって商売ですから、三沢タイガーという次のスターを作りますよね。そして翌年の85年1月から長州さんらジャパンプロレスが全日本に上がりますが、大仁田さんは1月3日後楽園ホールで引退セレモニーをやったんです。
    ――三沢タイガーにジャパンプロレス。もう大仁田厚の居場所がなくなっていたんですね。
    小佐野 引退した年の6月の武道館大会でタイガーvs小林邦昭があって、小林さんが勝ったんです。そのとき試合を見に来ていた大仁田さんを小林さんが挑発するんですよ。大仁田さんは上半身裸になって乱闘にしてね(笑)。
    ――それは何かの伏線というわけではないんですよね?
    小佐野 全然ないです。あのとき大仁田さんは「嬉しかった」んですって。「引退した俺なんて相手にしなくていいのに、なんの面識もない小林邦昭がかまってくれた。まだ同じプロレスの世界の人間として扱ってくれた」と。リアルジャパンプロレスで大仁田さんが小林邦昭を挑発してリングに上げたでしょ。それはあのときの恩返しなんですよね。
    ――数十年の時を経たドラマ! わかりづらいです(笑)。☆このインタビューの続きと、草間政一、小笠原和彦、堀口恭司、斉藤仁の思い出、天龍vs神取対談、パンクラス酒井など8本7万字の記事が読める「お得な詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar739331
     
  • 新ジャンル“ケンカMMA映画”『スペシャルID 特殊身分』が凄い!■高橋ターヤンのバトル映画地獄編

    2015-02-03 09:33  
    55pt
    映画ライターで北米MMA事情通の高橋ターヤンがプロレス格闘技関連の映画を紹介するコーナー。今回取り上げる作品はドニー・イェン主演『スペシャルID 特殊身分』です!新ジャンル“ケンカMMA映画”『スペシャルID 特殊身分』が凄い!
    <a href=2012年11月10日、中国で初めてのUFC大会がマカオの名門カジノホテル、ザ・ベネチアン・マカオにある屋内競技場コタイ・アリーナで開催された。
    福田力、漆谷康宏、手塚基伸、水垣偉弥、五味隆典といった日本人ファイターが多く登場し、メインではベトナム系アメリカ人で、中国映画にも多数出演しているカン・リーが、元UFCミドル級王者リッチ・フランクリンに衝撃的なKOで勝利した劇的展開のこの大会。観客席にはマカオに隣接する香港のアクションスターが少なからず来場していたが、その中でテロップ付きで紹介されたのはドニー・イェンだった。