• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 24件
  • 「真剣師 小池重明/団鬼六」■笹原圭一の書評やれんのか2015

    2015-06-14 19:45  
    33pt
    かつてはPRIDEやDREAMの運営に携わり、格闘技界一の読書家として知られる笹原圭一氏がお送りする書評コーナー。今回取り上げる本は「真剣師 小池重明/団鬼六」です最近、ホントに痛ましい事件が多いように感じている笹原です。

    ニュースを見れば、胸を締め付けられるような事件ばかり。
    ただ平和に暮らしたいというささやかな願いすら踏みにじられ、力を持たない者が、傲慢な強者に蹂躙される。日本は、世界は、一体どうなってしまうのかと自問せずにはいられなくなります。

    そんな陰鬱な気持ちに、さらに追い打ちをかけるような事件が発生しました。

    神田うのさんが、自宅から3,000万円以上のバックや貴金属やらブランド品を、家政婦に盗まれたそう。ベビーシッターは4人いて、犯行に及んだのはそのなかで一番信頼していた古株の家政婦だったようです。
    言葉を無くすほど痛ましい事件です。

    3,000万円ものブランド品を持っていかれても気づかない人の優しさにつけ込んだ凶行。4人もベビーシッターがいる家族の幸せを蹂躙した犯人は、厳しく罰せられるべきでしょう。

    と、あんまりやると怒られそうな気がするので、話題を変えます。

    最近私が一番興味を惹かれたニュースは、将棋の「電王戦」の話題です。ご存知ない方のためにザッと説明しましょう。

    電王戦は、プロ棋士とコンピュータ将棋ソフトによる将棋の戦いです。これまで不定期に行われ、昨年のプロ棋士vs.コンピュータの5対5対抗戦がラストマッチだったのですが、先日改めて「新棋戦」として行われることが発表されました。
     
  • 高岩竜一インタビュー「90年代ハチャメチャ新日本プロレスと俺が愛した橋本真也」

    2015-06-12 10:41  
    110pt
    ボク、新日本に9年しかいなかったんですけど、おそらくいまの新日本プロレスの選手よりも給料をもらってたと思うんですよね90年代は新日本で世界最高峰のジュニア戦線で激しいファイトを繰り広げ、00年代は大谷晋二郎らとゼロワンを支え、現在はフリーとして各団体で活躍する高岩竜一。ハチャメチャだった90年代、みんなが愛した橋本真也、運命を変えたブラックタイガー……15000字で振り返る超竜のプロレス人生!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! par16は大好評インタビュー9本、8万字オーバーで540円!!  試し読みも可能です!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar802757par16
    ①理不尽小僧・金村キンタローがすべてをぶっちゃける!

    「インディで年収1500万……一銭も残ってないです!」

    ②「おまえ平田だろ!」平田淳嗣のスーパーストロングなプロレス人生

    「働いていた新聞配達店に山本小鉄さんから電話があったんです……」

    ③小佐野景浩のプロレス歴史発見……デンジャラスK・川田利明物語

    「三沢光晴を追いかけて――」

    ④元・日本テレビアナウンサー倉持隆夫インタビュー

    作られたスポーツを実況するということ――「古舘伊知郎はすべてを知ったうえでしゃべっていた。私は何が起こるかを知らず実況していたんです」

    ⑤タイトルマッチ惨敗! 堀口恭司はどうして攻略されてしまったのか? 大沢ケンジが解説!

    ⑥ピエロの狂気! 矢野啓太「胸いっぱいのプロフェッショナルレスリング論」矢野啓太

    ⑦マット界事情通Zの「プロレス点と線」トーク

    ・高橋奈苗退団から見えてくる世IV虎の今後

    ・諏訪魔vs藤田和之を実現させる方法

    ・高木大社長W-1CEO就任と静かなる帝国GENスポーツエンターテイメントhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar802757
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■読み応えタップリ! 詰め合わせセットの一覧はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/tag/%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88%E8%B2%A9%E5%A3%B2高岩 取材なんて珍しいなと思ったんですよ。あんまりないですから。
    ――インタビュー自体は久しぶりですか?
    高岩 そうですね。前に金澤(克彦)さんのところに大谷(晋二郎)と一緒に出ましたけど。
    ――ああ、『ゴング』ですかね?
    高岩 いや、その前にやってた本ですね。
    ――『Gリング』だとすれば、ずいぶん前ですね……。今日はいろいろとお聞きしたいんですけど、高岩さんはどんなきっかけでプロレスラーになろうとしたんですか?
    高岩 きっかけはですね、ウチは凄いビンボーだったんですよ。普段お父さんが家にいなくて、お金も全然入れてなかったんでしょうね。大阪に住んでいたんですけど、何回も引っ越してたんです。小学生のあいだだけで9回も引っ越して。要は夜逃げだったんですね。
    ――転々としていたところではないですね……。
    高岩 工場の2階に住んでいたときもあったんですよ。天井は低いし、音はうるさい。ウチは3人姉弟でお母さんと4人で住んでたんですけど、さすがに生活が苦しいのでお姉ちゃんをお母さんの実家に預けたりしてて。ボクは高校卒業後は専門学校に進んだんですけど、入学費が高いじゃないですか。新聞配達の奨学金で入ったんですよ。
    ――相当苦労されていたんですね。
    高岩 新聞配達自体は5年くらいやってましたから、さすがに嫌になりましたよね(苦笑)。そんな生活をずっと送ってきたのでビンボーは嫌だったんです。それで儲かる仕事は何かと考えて、親は警察官にさせたかったみたいなんですよね。やっぱり公務員は安定しているじゃないですか。ボクも公務員試験を受けたりしてたんですけど、そのまま公務員になっても人生に面白味がないなと思っちゃって。それに公務員はそんなには儲からないじゃないですか。
    ――それで金を稼ぐためにプロレスラーに?
    高岩 相撲かプロレスか、どっちかをやろうかなと。でも、昔の相撲って中学からやってないとダメな感じでしょ。
    ――高卒で相撲未経験だと厳しい世界ですね。
    高岩 それでプロレスにしようと。その当時、プロレスにはそんなに興味がなかったんですけどね。テレビでも裏番組の『3年B組金八先生』を見ていましたし(笑)。
    ――90年代のプロレスラーってプロレスファン上がりが多いんですけど、高岩さんの動機は違ったんですね。
    高岩 プロレスを知ってることは知ってましたけどね。ただ、プロレスラーになろうにも勝手がわからないじゃないですか。そんなときに本屋で『ゴング』を読んだらリングスが新弟子を応募していて。
    ――たまたま告知していたのがリングスだった(笑)。
    高岩 要はどこでもよかったんですよ(笑)。それで新横浜にあったリングス道場にテストを受けに行ったんですけど。あのときはボクを含めて4人受けたのかな。道場には前田(日明)さん、長井(満也)さん、新弟子の成瀬昌由や山本宜久もいたんですよね。最初にヒンズースクワット500回やらされたんですけど、回数じゃなくてタイムを測るんですよ。
    ――どのくらいのスピードでクリアできるのか、と。
    高岩 その前にヒンズースクワットって何をやるのかよくわかってなかったんですけどね(笑)。
    ――えっ、ヒンズースクワットを知らずに受けたんですか?(笑)。
    高岩 じつはそうなんですよ。周りのやり方を見て真似したんですけど、あれは足がパンパンになるんですよねぇ。
    ――なりますねぇ(笑)。テストに何も備えなかったんですか?
    高岩 走るくらいかな。柔道はやっていたし、専門学校がインストラクターの養成所だったので、体力には自信はあったんです。次に腕立てをやらされたんですけど、回数は決まっていないんですよ。限界までやる。スクワットで足がパンパンだったし、16回で終わっちゃいました(笑)。あと腹筋とブリッジもやったかな。結局4人とも落ちましたね。
    ――そのあとに新日本のテストを受けたんですか?
    高岩 はい。リングスのテストが91年9月だったんですけど、12月に新日本のテストがあったんです。それまでにリングスのテスト内容の倍のメニューを毎日やりましたね。
    ――リングスの倍以上をやっとけばいけるだろう、と。
    高岩 毎日スクワット1000回やって、そのあとに腕立て伏せ100回。それで新日本のテストを受けに行ったんですけど、人数が多かったですねー。リングスは4人でしょ。新日本は25〜30人くらいいましたから。ゼッケン40番まであったんですけど、歯抜けもあったんですよ。
    ――申し込んだけど当日来ない人間がいたんですね。
    高岩 そうそう。ボクはゼッケン2番だったんですけど、1番の人間も来なかったんですよ(笑)。だからボクがどの種目も最初にやることになって。
    ――試験官は誰だったんですか?
    高岩 長州さんがいたでしょ。山本小鉄さん、越中(詩郎)さんもいたのかな。なんかね、ボクは長州さんに注目されていたんですよ。それはボクが韓国人だからだと思うんですけど。ボク、ハーフなんですよね。
    ――高岩さんがそのことを公にしたのは、ゼロワンの天下一ジュニア決勝のときですよね。試合前に韓国国歌の演奏があったりして、突然のことなので「これはどういうことなんだろう?」って驚いたんですけど。
    高岩 あれは橋本さんがネタでやれって。
    ――ネ、ネタですか!?
    高岩 みんなボクがハーフのことを知ってるのになんでいまさら言わせるんだろうって。橋本さん、そういうことをやるのが好きなんですよ(笑)。
    ――でも、プロレスファンで知らない方も多かったんですよ。
    高岩 橋本さんとしては、ゼロワンに韓国人のレスラーがいるってことで、韓国のスポンサーを獲得する狙いもあったみたいで。
    ――そんな狙いがあったんですか!(笑)。
    高岩 韓国の金持ちを捕まえようとしてたんですよね(笑)。
    ――橋本さんは靖国神社の奉納プロレスのときも、謎の中国人武道家が開催に抗議するっていう仕掛けをやったじゃないですか。
    高岩 あー、はいはい。ありましたねぇ。
    ――デリケートな話をリングに持ちこもうしてますよね。◯◯の科学と◯◯協会の宗教戦争プロレスを東京ドームでやりたがっていたそうですし。
    高岩 そうなんですよね。でも、橋本さん本人は大して詳しくないんですよ(笑)。
    ――ああ、詳しかったら踏み込まないですよね。あの猪木さんですら民族や宗教対立、領土問題はスルーしますから。
    高岩 橋本さんはなんか盛り上がりそうだということでやっちゃったんでしょうね(笑)。で、入門テストのときは長州さんが「あの韓国人を見とけ!」って言ってたらしくて、目をかけられていたというか、注目されていたんですけど。一番最後の3分ブリッジのときに、2分半で潰れちゃったんですよ。「ああ、また落ちた……」と思ったんですけど、最終的にその場で合格が伝えられて。6人合格したのかな。「後日、新日本の事務所に来てください」と。テレビ朝日に事務所があったときですよね。
    ――そこで面接があるんですよね。
    高岩 面接というか心構えですよね。小鉄さん、馳(浩)さん、長州さんたちに「キツイよ?」とか言われて。厳しいことはわかっていたんですけど、デリケートな人がいたんでしょうね。ひとりビビってやめましたもん。たしかにスゲーことを言われてたんで。血の小便がどうのこうのって。
    ――テストを合格してるのにもったいないですねぇ。
    高岩 まあ、どの人生が正解かはわからないですけどね。それで入門初日の集合時間が11時。ボクは10時40分には着いたんですけど、大谷は普通にいたんですよ。大谷はアニマル浜口ジム出身なんで、浜口さんから「1時間前には行け」と言われてたんじゃないですかね。
    ――同期で新日本でデビューできたのは高岩さんと大谷さんだけですか?
    高岩 大谷とボクですね。ほかにはマッハ純二、OKUMURAもいたんですよ。最終的に残ったのがボクと大谷だけでしたけど。
    ――当時は多団体時代に突入し始めた頃ですから、新日本をやめてもほかに受け皿があったんですね。
    高岩 新日本の練習生なら体力はあるし、なんとかなるじゃないですか。新弟子生活は体力があってもキツイんですよ。精神的に本当につらい。
    ――娑婆っ気を徹底的に抜かれるというか。まずデビューするまでは私用の外出禁止なんですよね。
    高岩 そうですね。あの当時はコンビニはなかったんですけど、道場の近所に池田屋という雑貨屋があったんですよ。そこに先輩の用事で買い物に行くのが楽しみでした(笑)。
    ――外界に触れられる唯一の機会(笑)。
    高岩 あと新弟子は何か失敗するとまず殴られます。言葉で注意される前に殴られますね。
    ――まずは鉄拳が飛んでくる(笑)。寮長は誰だったんですか?
    高岩 西村(修)さんです。西村さんは優しかったんですよ。西村さんはいろいろと仕事が多かったので、(星野)勘太郎さんの付き人をボクが手伝ったりしてたんですよ。そのときに洗濯をし忘れて殴られましたね。
    ――あ、温厚な西村さんでも殴るんですね。
    高岩 いやいや、本気でぶん殴るわけではないんですよ。「頭出せ!」ってゲンコでコツンと(笑)。
    ――形式として叱らないといけなかったんですね。優しいなあ(笑)。怖かった先輩は誰ですか?
    高岩 やっぱり佐々木(健介)さんですよね。
    ――健介さんはホントに怖かったといいますよね。
    高岩 お酒を一緒に飲める先輩だったら距離も縮まるんですけど、佐々木さんはそんなに飲まないですから。佐々木さんはボクの7個上だから、当時はまだ26歳なんでまだ若いんですよね。でも、道場に入ってくるときの勢いが凄いんですよ。「バーーーーン!!」と扉を開けて、胸をグイと張って睨みつけるように道場を見渡すんですよ、ほかの先輩もいるのに(笑)。
    ――気合いが入りすぎですよ(笑)。馳さん、三銃士らのエリートとは違うから、どこか虚勢を張らないといけなかったんでしょうね。
    高岩 あのときのコーチ役は馳さんと佐々木さん、ネコさん(ブラックキャット)。馳さんは理論派なんですよね。理論が凄すぎてボクはあんまり好きじゃなかったんですけど。
    ――それまでの新日本道場って基礎トレ中心だったのが、馳さんがコーチ役になってからは試合運びまで指導するようになったんですよね。
    高岩 ボクが入ったときはそうでしたね。小島(聡)さんの世代からそうなっていったんじゃないですか。そんな馳さんに対して佐々木さんは徹底的なシゴキで。入門初日、何をやるかわからないじゃないですか。まず鏡の前に5人並ばされてネコさんが「はい、スクワット500回〜」と。200回くらいやった頃に佐々木さんが道場に入ってきたんですよ。
    ――「バーーーーーン!!」と扉を開けて、胸をグイと張って睨みつけるように入ってきたわけですね(笑)。
    高岩 佐々木さんはネコさんとしゃべってたんですけど、ボクらにスクワットを途中でやめさせ、外に連れて行って階段ダッシュをやらせたんです。そのあとに道場前でうさぎ跳び。道場に戻って初日からスパーリングをやらされていたら、ライガーさんまで入って来ちゃって。
    ――健介さんにライガーさんって“新弟子クラッシャー”もいいところじゃないですか!(笑)。
    高岩 ある新弟子がライガーさんに絞め落とされたんですよね。それで目が覚めたときに安心したんでしょう。リングの上で小便をしちゃったんですよ。
    ――うわあ!
    高岩 そうしたら佐々木さんが怒っちゃって怒っちゃって。「テメエ、神聖な道場で何をやってるんだっ!(怒)」って。その人間はそのままやめちゃいました。
    ――ファッ!? 初日で脱落ですか……。
    高岩 1日というか数時間で。最後の締めがスクワットなんですけど「いいと言うまでやれ!」と。一人100回ずつ数えながらやるんですけど、4人いるでしょ。4往復ぐらいしたのかなあ……。1600回を超えたあたりで佐々木さんが「終わりーーーーーっ!!」って絶叫しながら竹刀をぶん投げて道場を出て行きましたね。
    ――なんという鬼教官! しかし、道場の出入りが芝居がかってますね(笑)。
    高岩 漫画の世界ですよ(笑)。これが毎日ですよ。あと、朝から掃除もしないといけないし、ちゃんこの作り方も覚えないといけないし、先輩方の雑用もある。あの当時は携帯電話はなかったんですけど、「テレホンカードを買ってこい」とよく言われましたね。道場の中に公衆電話があったんで。
    ――当時の新弟子には「やめさせるためにハードな練習をさせていた」なんて言われますよね。
    高岩 とくにボクに関してはそういうふうに言われてるじゃないですか。馳さんの本にもそう書いてあって「ホントなのかな」って?
    ――そういう自覚はないんですね。
    高岩 ないっすねぇ。ただ、契約更改のときに永島(勝司)さんや長州さんたちから「おまえ、リング屋になる気はないか?」って言われて。
    ――あ、そんな戦力外通告が。
    高岩 なかなか芽が出なかったこともあって、デビューしてから2〜3年はそんなことを言われ続けましたねぇ。そのあいだに同期の大谷がバーッと伸びていたし、「俺はもうダメかな……」と思ったんですけど、頑張って新日本に居続けようと。とにかく居座ろうと(笑)。そうすればなんとかなるかもしれないし。だって、デビューして1年くらいで月30万はもらってたんですよ。
    ――デビュー1年で30万はいい待遇ですね。
    高岩 あと付き人を2〜3人やってたんで、巡業1シリーズで洗濯代としてひとり3万以上はもらえるんで。西村さんなんか凄いですよ。9人分やってましたから給料より多いんじゃないかって(笑)。だからお金には困ったことはなかったですね。
    ――新日本の新弟子はお金には困らないと言いますね。
    高岩 キツイ人ほど小遣いの額は多いんですよね。佐々木さんの付き人は大谷がやってたんですけど、けっこうもらってましたから。ボクはマサさん、木村(健悟)さん、木戸(修)さん。みんな古い人ばっかり。大谷は佐々木さん以外に橋本さん、長州さんにもついてましたね。かわいそうになあって(笑)。
    ――厄介な顔ぶれですね(笑)。馳さんや健介さんが道場を仕切る中、三銃士はどんな存在だったんですか?
    高岩 あの3人はほとんど合同練習には来なかったですね。武藤さんは新弟子たちのことを「ボク」って呼んでいて、「ボク、それ取って」という感じで。ボクは武藤さんのムタ担当だったときあったんですけど。「コウちゃん、メシを食いに行こう」って言われて焼き肉に行ったんですけど。武藤さんはさんざん焼き肉を食べたあとに、シメがホルモン3人前にご飯ですから。
    ――さすがに食いますねぇ(笑)。
    高岩 蝶野さんはざっくばらんに喋ってくれました。橋本さんはスパーリングのときは来てましたけど、道場にいろいろと私物を置くもんだから、そこでミスター高橋さんと一悶着が起きるんですよ。高橋さんは掃除を仕切っていたので。
    ――橋本さんが道場を遊び場にしていたのは有名ですよね。玄関になぜか小銭や札束を無造作に置いていたり(笑)。
    高岩 ああ、それは玄関じゃなくてロッカー室があるんですけど、橋本さんの引き出しを開けると2〜3万円分の小銭があるんですよね。で、長州さんとかが「そのお金でジュースを買っちゃえ!」と
    ――それで橋本さんが「誰や!俺の小銭を勝手に使ってるのは!?」って激怒するわけですね(笑)。
    高岩 まあ、適当に置いておく橋本さんが悪いんですけど。言ったら悪いですけど、新弟子の俺たちも隠れて使ってましたよ(笑)。
    ――ハハハハハハ! バレないならいいだろうと(笑)。
    高岩 ほかにも橋本さんの私物がいっぱいあって。道場の大掃除は徹底的にするんですけど、橋本さんの私物ばっか出てきて困るんです。しょうがないから1回1回電話で橋本さんに確認するんですよ。「これは捨てますか?残しますか?」って。
    ――大掃除中、橋本さんはやっぱり不在なんですね(笑)。
    高岩 水中銃、空気銃、おもちゃ系。いろんなものが出てきますから。
    ――天山広吉スズメ食い事件で活躍した空気銃ですね。橋本さんが仕留めたスズメを天山さんに無理矢理に食べさせたんですよね(笑)。
    高岩 それはボクが入る前の話ですけど、どうもスズメの内臓を取ってなかったんですよ。しかも生焼けだったみたいで(笑)。
    ――ハハハハハハ! 橋本さんは道場で「真ちゃんラーメン」と名付けるくらい手が込んでいたオリジナルラーメンを作ったりしてたんですよね。
    高岩 橋本さんはラーメンをイチから作るんですよ。麺を捏ねて、出汁を取って。
    ――全国各地のラーメンを食べ歩いているから、とことん拘って。
    高岩 その日のちゃんこ番、最悪ですよ(笑)。1日中橋本さんについてないといけないから。
    ――1日中「真ちゃんラーメン」の付き合い(笑)。
    高岩 奥さんの和美さんまで道場に来ちゃって2人で作ってるんですよ(笑)。
    ――ハハハハハハ! 自宅でやってくださいよ!(笑)。金銭感覚が麻痺した新日本バブル時代、“1・4事変”、橋本真也との別れ、絶望を救ってくれたブラックタイガー……15000字のロングインタビューはまだまだ続く!この続きと、小橋建太物語、ウォーリー山口、世4虎引退騒動、「週刊プロレス」回顧録、川尻達也激勝の記事が読めるお得な「詰め合わせ」セットはコチラ 
  • 【デビュー戦決定】自分より圧倒的に大きい相手に勝つ方法■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO

    2015-06-12 10:40  
    33pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、試合出場を目論む模様をイラストレポートすることになった当コーナー。ついに二階堂さんのデビュー戦の日時、相手が決定しました〜。来る6月28日日曜日、元ライトヘビー級キングオブパンクラシスト、KEI山宮さん主宰の組み技限定アマチュア格闘技大会『湘南魂14~サンデーキャッチレスリング10執念inレッスル武道館road to茅ヶ崎~』(http://shonanspirit.shin-gen.jp/index.html)に出場させて頂くことになりました。アマチュアの大会なので、なんと一般観戦は無料!!です。お得~! 会場は蕨市にある“アイスリボン道場”レッスル武道館。寝技の大会ですが、初めての試合がプロレスのリングとはなんだかおもしろいですね。今年1.3「大プロレス祭」でもリングには上がりましたが、リング上で動き回るのは4年前新日本プロレスの「プロレス道場夏教室」に一人で参戦して以来です。あの時仲良くなった、彼氏に連れられて参加したあんまりプロレスファンじゃないお姉さん元気かな。。。
    出場資格は、あんまり強くない人、シャレが通じる人、プロレスを楽しめる人という、安全第一、入場時コスプレ可のプロレスファンによるプロレスファンのための大会です。山宮さん曰く「日曜日の運動会感丸出しの手作り大会」だそうな。もし見に来てくださるもの好きな方がいらっしゃいましたら、娘の運動会を応援する親のような気持ちで観戦して頂ければ幸いです。
     
  • ビジネス的はメリットなんか1つもないが、スポーツ的にはメリットだらけだ ~ UFCアンチドーピングプログラムでざわつく人たち■MMA Unleashed

    2015-06-12 09:03  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。前回に引き続きUFCの歴史的改革アンチドーピングプログラムについて。今回は各方面の反応! MMAが間違いなく変わる!! 
    ビジネス的はメリットなんか1つもないが、スポーツ的にはメリットだらけだ ~ UFCアンチドーピングプログラムでざわつく人たち
    UFCが6月3日に発表した「UFCアンチドーピングプログラム」は、米MMAメディアでは英断だとして高い評価を受けている。他方で、州コミッション関係者からは、UFCの新しいポリシーと、どの程度うまく連携してやっていけるのかと、不安の声も聞かれる。そこで今回は、UFCアンチドーピングプログラムへの反響や波及効果をとりまとめてみた。
    *****
    「新しいアンチドーピングプログラムにより、ドーピングの抜け穴はドンドン塞がれ、ドーピングのもたらす結果は突如として極端に重いものとなった。選手は競技期間外の薬物検査を年に5回も受けるのだ。UFCファイターはこれまでより用心深くなる必要があるだろう。いかめしい顔をした役人が管理している新しい世界だ。プロテインシェイクやサプリメントに何が入っているのか、各自でしっかり把握しておくほうがよい。今回の件はポジティブな一歩と言うだけではない。必要な一歩なのだ。もちろん代償はあるだろう。人気選手がいなくなる。評判が地に落ちる。期待のビッグマッチがキャンセルされる。大会のキャンセルもあるかもしれない。『選手が薬物を使っていないことを、私は願っているし、祈っている』ダナ・ホワイトは語っている。『まずはどうなるかみてみよう』」(MMA Fighting)
    *****
    「USADAのような中立の第三者機関を立てることの必要性は、アンチドーピングの専門家が長年にわたって指摘してきたことだ。UFC自身は自己規制の罠に陥ることから身を引き、権限を専門家に委ねたのだ。ただし、口は出さないがカネは出した。ロレンゾは『数百万ドル』と表現している。能書き通りに機能すれば、これは実に大きな打ち手となる。日数計算をしてPEDを体内からサイクルアウトさせれば何の問題もなかった時代は終わりを告げた。出場停止期間は2年~4年に延長され、もはやリスクに見合った見返りはない。
     
  • イケメン俳優は空手世界一!テイラー・ロートナー主演の『ミッシングID』■

    2015-06-08 18:35  
    33pt
    映画ライターで北米MMA事情通の高橋ターヤンがプロレス格闘技関連の映画を紹介するコーナー。今回取り上げる作品は『ミッシングID』です!格闘家を俳優に育てるのと、俳優に格闘技を教えるののどちらが本格派のアクションスターを育てる近道なのだろうか?
    アクション映画好きにとっては永遠の命題であり、なかなかに結論が出ない問題である。「格闘家を俳優に育てる」というプランは、近年多くの成功者を生み出している。ランディ・クートゥアなんかはその代表例であるし、クイントン“ランペイジ”ジャクソン、ジョルジュ・サン・ピエール、ジーナ・カラノ、ロンダ・ラウジー辺りは成功を収めているし、本コラムでも以前紹介したオレッグ・タクタロフは俳優として一過性でない息の長い活動を続けている。 
  • マネジメントから見たUFC日本大会、ユニホーム制度

    2015-06-08 18:01  
    55pt

    山本KID徳郁や堀口恭司など多くの日本人ファイターをマネジメントする石井史彦氏が北米MMAを語る不定期シリーズ。今回はファイターから不満噴出中のユニホーム制度、日本大会について!
    ――UFC日本大会の9月27日開催が正式発表され、その出場権を懸けたTUFJAPANフェザー級トーナメントも行われることになりましたね。

    石井 インターネットなどではすでにTUFの撮影が始まっていると書かれてましたが、概要については当然ほかのTUF同様テレビで放映されるまではシークレット扱いになってますね。いま番組枠を買うことのできる日本のテレビ局は限られているとは思いますが……。
    ――日本大会のメインカードは、そのTUFのコーチ対決ジョシュ・バーネットvsロイ・ネルソンになります。
    石井 ……うーん、過去の日本大会のメインカードと比べるとちょっと微妙ですよね。
    V日本市場向けでジョシュは“あり”かなとは思うんですけど。たしか石井さんは去年のマーク・ハントvsネルソンにも微妙な反応だったような……(笑)。 
  • 【プロレスなんでも屋】ウォーリー山口「ジャイアント馬場と竹内宏介、ふたつのG魂」

    2015-06-06 00:00  
    110pt
    1970年代の古き良きプロレス界――少年時代からプロレス業界に入り込み、外国人レスラーとの交流を重ねていたウォーリー山口。のちにプロレスマスコミに転身、「ピラニア山口」として『ゴング』を中心に活躍する一方で、プロレスショップの経営、学生プロレスの育成、はてには「ヤマグチ・サン」という日本人マネージャーとしてWWEのリングにも足を踏み入れた。プロレスに関することならなんでも引き受けたウォーリー。その「プロレスなんでも屋」の歴史を振り返ってもらった。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! par16は大好評インタビュー9本、8万字オーバーで540円!!  試し読みも可能です!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar802757par16
    ①理不尽小僧・金村キンタローがすべてをぶっちゃける!

    「インディで年収1500万……一銭も残ってないです!」

    ②「おまえ平田だろ!」平田淳嗣のスーパーストロングなプロレス人生

    「働いていた新聞配達店に山本小鉄さんから電話があったんです……」

    ③小佐野景浩のプロレス歴史発見……デンジャラスK・川田利明物語

    「三沢光晴を追いかけて――」

    ④元・日本テレビアナウンサー倉持隆夫インタビュー

    作られたスポーツを実況するということ――「古舘伊知郎はすべてを知ったうえでしゃべっていた。私は何が起こるかを知らず実況していたんです」

    ⑤タイトルマッチ惨敗! 堀口恭司はどうして攻略されてしまったのか? 大沢ケンジが解説!

    ⑥ピエロの狂気! 矢野啓太「胸いっぱいのプロフェッショナルレスリング論」矢野啓太

    ⑦マット界事情通Zの「プロレス点と線」トーク

    ・高橋奈苗退団から見えてくる世IV虎の今後

    ・諏訪魔vs藤田和之を実現させる方法

    ・高木大社長W-1CEO就任と静かなる帝国GENスポーツエンターテイメントhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar802757
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
    山口 今日は何を聞きたいの? 俺の何を知りたいんだよ?

    ――ウォーリー山口さんのプロレス界の歩みについてお聞きしたいな、と。

    山口 それについて話し出したら30時間以上かかっちゃうぞ〜(笑)。

    ――ネタは尽きないですか(笑)。

    山口 長くなるぞ〜。今日は手短に話すけどさ(笑)。

    ――じつは1年前くらいにウォーリーさんの取材をしようとしたんですけど、住所だけしか入手できなくて。たしか品川近辺を尋ね歩いたことがあるんですよ(笑)。

    山口 へえー。その住所は◯◯◯◯になってる?

    ――あ、違いますね。

    山口 違う? じゃあ西馬込?

    ――そうそう、西馬込です。

    山口 ロング・ロング・タイム・アゴーだよ。延べ16年は住んでいたけど、西馬込から離れて10年近くは経ってる。あそこまで行ったんだ?

    ――近所の聞き込みもしましたね。「ウォーリー山口さんという方は住んでなかったでしょうか?」って(笑)。

    山口 西馬込の事務所にはリングも置いてあったんだよ。

    ――ウォーリーさんが経営していたプロレスショップ『マニアックス』ですよね?

    山口 『マニアックス』と言っても、そこには長い歴史があるからさ。もともとは、俺が大学時代に、かの竹内宏介(『ゴング』創始者)に命名されたユニットなんですよ。当時のマニアックスにいた仲間が清水“会長”勉、宍倉“アナクラ氏”清則、小佐野“トド”景浩、小林“ヤシクン”和朋、寺内“にぶんのいちベエ”正孝、そしてジミー“カチャーラ”鈴木~かな。
    ――のちのプロレスメディアを支えるメンバーが集っていたんですね。

    山口 俺が店舗として『マニアックス』をやり始めたのが中原街道沿いのステーキ屋の下。『タモリ倶楽部』から取材を受けたりしたよ。んで、その時点で西馬込に引っ越すことは想定されていたというか。半地下にリングを置いて、俺の事務所兼お店もやってね。

    ――リングを作ったのは何かビジネスを見据えてのことなんですか?

    山口 なーにも考えていない。道楽だよ、道楽。リングを作るのに400万もかかったから、道楽では済まないけど(笑)。

    ――そのうち学生プロレスに貸すようになったんですよね?

    山口 うん。そうしたら学生プロレスやTPG(たけしプロレス軍団)の連中がやってきた。

    ――邪道さんや外道さんも『マニアックス』のリングで基礎を学んだんですよね。それはTPGから依頼があったんですか?

    山口 ないよ、そんなもの。彼らはゴミみたいな扱いだったからね。銀河スタジオでTPGの公開オーディンションがあってさ。それを見に行ったらマサ斎藤さんがテストをやらせてるわけだよ。

    ――『ビートたけしのオールナイトニッポン』の番組内で行なわれた入団試験ですね。

    山口 そこで高山(外道)や秋吉(邪道)たちと「おまえらトップ取りたいよなあー」「そうですね……」なんてやりとりをしてね。ウチにリングがあると知って10人くらい来たかな。スペル・デルフィンもその一人だよ。

    ――そこで練習することでプロレスラーの道は見えていたんですか?

    山口 なーんもない。保証も未来もへったくれもないよ。TPGもそのうちどうにもなくなったでしょ。だからゴミみたいな扱いだったって言ったの。

    ――『マニアックス』は行き場を失ったレスラー志望者の受け皿になったんですね。

    山口 あのリングがなかったらいまの邪道&外道、デルフィンは生まれていないよな。

    ――邪道&外道はいまや新日本とNOAHの現場を取り仕切ってますからね。ある意味でトップに上り詰めたという。

    山口 よし、俺との対談を組もう!

    ――絶対に嫌がると思いますよ(笑)。2人の見込みはありました?

    山口 秋吉はしょっぱかったねぇ。

    ――外道さんは?

    山口 高山はボービー・イートンだったね。ミッドナイト・エクスプレス! “日本のボービー・イートン”だったよ、俺的には。バンプの取り方もナチュラルだし。
    ――その『マニアックス』のリングに馬場さんが現われて、学生プロレス勢を指導したという信じがたいエピソードがありますよね。

    山口 あったなあー。俺と馬場さんの関係はおいおい話をするけど、こっちから「社長、来てください!」なんてお願いしていないよ。元子さんから「ちょっとアンタ、リングを作ったの? お父さんが行きたいって」ということで。天上人が下界に降りてきたわけですよ(笑)。

    ――ハハハハハ!当時の学プロって、プロからすればタブーじゃないですか。

    山口 そうだよ。プロからすれば「ふざけるな!」という世界ですよ。

    ――それがどうして馬場さんが指導を?

    山口 なんでだろうね? まあ、ヒマなんだよ。当時のお父さんはヒマだったんだよ(笑)。

    ――ヒマだから!(笑)。

    山口 理由を聞いたことないけどね。「社長、なんで来たんですか?」なんてはさ。当時の全日本は景気も良くなって後楽園ホールも毎回満員。馬場さんは前座で悪役商会とやるようになって余裕があったんだろうね。馬場さん、ジャージ姿で来たもんな。元子さん、和田京平さんの3人でさ。それで最初はソファーに座って学プロの練習を見てるんだよ。
    ――学プロの選手もそれはそれは緊張したでしょうねぇ(笑)。

    山口 そうしたらさ、しばらく練習を眺めていた馬場さんが立ち上がって、リングで指導し始めるんだよ(笑)。

    ――うわあ!(笑)。

    山口 天下のジャイアント馬場が学プロ連中に手取り足取り教えるんだよ(笑)。
    ――学プロのベーシックな動きが全日本流なのは、馬場さんの指導の影響が大きいんですかね。
    山口 そうかもしれないね。そこにいたのがMEN'Sテイオー。彼は全日本というか馬場さん大好きだもん。

    ――『マニアックス』にはTPG絡みでコーチ役だったアポロ菅原さんも来てたんですよね。
    山口 わけのわからない国際プロレス流のボディスラムを教えていたよ(笑)。
    ――団体によって違うんですねぇ。そんな『マニアックス』の存在が90年代のプロレス多団体時代を導いたといっても過言ではないですね。
    山口 FMW、パイオニア、ユニバーサルプロレス。全部に俺が関わっていたよ。W☆INGのイバちゃん(茨城清志)とは子供の頃からの知り合いだし。ジャパン女子は直接は関わってないんだけど、そこにいた高橋英樹とは凄く仲良くなったよ。

    ――高橋さんはFMWの営業をやっていて、全日本プロレスの営業を経て、最近「超戦闘プロレスFMW」を復活させましたね。大仁田さんもFMW旗揚げ当初は『マニアックス』を間借りして事務所にしてたんですよね。

    山口 俺は家主だったんだよ。
    ――大仁田さんいわくの「借りた5万円で電話線を引いてFMWを立ち上げた」瞬間を目撃してたんですね。
    山口 5万円もないよ。そもそも電話線もウチのを引っ張っただけだし(笑)。

    ――ハハハハハハ!

    山口 たしかに大仁田くんは何も持ってなかったんだよ。前日までドカチンで働いていたんだかね、彼いわくね。FMW旗揚げそれ以前、彼のプロレスへの未練というか葛藤は俺はさんざん聞いていたからさ。大仁田くんが引退してタレントをやってたことは全然知らない。仕事がダメになってドカチンをやってたことも全然知らなかったけど。あるとき大仁田くんとイバちゃんの3人で新宿で会うことになって「じゃあ、新しい団体をやるべ」という話になった。
    ――茨城さんが外人ブッキング担当で。本来は新間(寿)さんの世界格闘技連合としてやるはずだったんですよね。

    山口 そうそう。世界格闘技連合。でも、大仁田くんはそれを待てなかった。いつやるのかもわからないから、自分で団体を作っちゃえという話になった。千葉かどこかでパイオニア戦志の設立会見があったときに、俺や大仁田も行っててね。そこで俺の育ての親である竹内さんが「いい名前がある。フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング、FMW」って名づけてくれたんだよ。

    ――FMWはうまくいくと思いました?

    山口 経営が乗ってきたと感じ取ったのは、汐留で有刺鉄線電流爆破デスマッチをやったとき。FMWとしての売りができたからいけるかな、と。あと営業がちゃんとできる人間、高橋英樹が入ったから。それに山口家にちゃんと家賃が支払われていたから。毎月の家賃15万(笑)。

    ――家賃が滞らないなら大丈夫だ、と(笑)。『マニアックス』はインディ創世期の震源地だったんですね。

    山口 よくも悪くもプロレス界は変わったよね。電流爆破で盛り上がり、かたや四天王プロレスもあり。ベリー・リッチ、トミー・リッチですよ(笑)。

    ――ウォーリーさんはマスコミとしての立場以外に、いろんなかたちでプロレス界に関わってきたんですね。

    山口 レフェリーもやったからね。やってたもんじゃないぞ、コラ(笑)。

    ――ハハハハハハ! プロレスマスコミって団体と手と取り合いながら誌面を作っていくじゃないですか。

    山口 俺はどこのマスコミがどこの団体に繋がってやってきたか、その癒着の歴史を全部知ってるわけよ(笑)。その双璧は誰? 
    ――時代によりますけど、80年代は『ゴング』の竹内さん、90年代は『週プロ』のターザン山本じゃないんですか?

    山口 オーイエー! 

    ――あ、正解ですか(笑)。それはつまりジャイアント馬場の相談役の歴史でもありますよね。80年代は竹内さん、90年代はターザン。竹内さんからターザンにスイッチしたことで、馬場さんと竹内さんの関係は疎遠にはならなかったんですか?

    山口 いや、あの2人の関係は永遠のものだったね。馬場夫妻と竹ちゃんはずっと一緒だった。80年代は小佐野くんが全日本の担当で馬場さんとガッチリだったでしょ。それなのになぜ90年代に入ってから、馬場さんはターザン・市瀬(英俊)組に鞍替えしたのか? 全日本プロレスの四天王時代を築き上げたのは市瀬くんだよ。この続きと、高岩竜一、小橋建太物語、世4虎引退騒動、「週刊プロレス」回顧録、川尻達也激勝の記事が読めるお得な「詰め合わせ」セットはコチラ 
  • 格闘技版孤独のグルメ2015〜後楽園ホール編〜■「MMAオレンジ色の手帖」

    2015-06-06 00:00  
    33pt
    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回はプロレス格闘技の聖地・後楽園ホールのグルメスポットをお届けします!ディファ有明名物のディファカレー。格闘技ファンには言わずと知れたソウルフード。もうお試しになったでしょうか?(ディファカレーの美味さについてはこちら)夏に向けてダイエットをしなきゃならない私も観戦の度に食べてしまう体たらく。せめてもの抑止力として観戦前に蕎麦をたぐってみても、カレーの香りに誘われてつい手が伸びてしまうから始末が悪い。蕎麦を食べた分だけ余計なカロリーを摂取する負のスパイラルに陥っています。そして最近、この中毒性に拍車をかけているのがディファ有明の巧妙な広告戦略。売店の前に「残りあと2杯」と完売までのカウントダウンを掲示しているではありませんか!?お店側の善意なんでしょうけど、ダイエット中の私にとっては悪意以外の何物でもないですよ。毎度毎度この罠に引っかかって美味しくいただいています。えーい、こうなったら心ゆくまでとことん食べてしまいましょう。旅の恥はかき捨てなら、格闘技観戦時のカロリーもかき捨てのはず! この機会に温存してきた格闘技ファン必見の激ウマグルメを久しぶりに紹介していきたいと思います。そんなわけで今回のお題は「格闘技版孤独のグルメ2015~後楽園ホール編~」。昨年の企画で紹介出来なかった後楽園ホール付近のオススメ店を一網打尽。今宵も電波と充電の続く限り、よろしくお願いします!!まず最初に取り上げるのは、冒頭のディファカレーの流れを汲んでもちろんカレー。もはや周知の事実ですが、後楽園ホールが格闘技の聖地であると同時に会場周辺の水道橋・神保町はカレーの聖地でもあります。その名店がひしめき合う様はまるでパンクラス・フェザー級。新王者ナム・ファンを筆頭に前王者・タクミに、ISAOが階級を落としてくれば、海外からはアンディ・メイン、ウィル・チョープ。さらには高谷裕之や朴光哲も参戦してきてお祭り状態です。群雄割拠でどの店に入るか毎回悩みますが、今回は迷った末の苦肉の選択。タクミばりのいぶし銀の動きを見せる老舗「まんてん」をピックアップしました。後楽園ホールから神保町方面に歩く事しばし。ひっそりとした路地裏に突如出現する長蛇の列を見かけた方も多いのではないでしょうか。列に近づくにつれてカレーの香りが漂ってきたらそれがまんてんの目印(鼻印?像印?)です。のれんをくぐるとコの字型のカウンターは学生やサラリーマンがスクラムを組むように一心不乱にカレーをかっ込んでいる様は昭和丸出し。おまけにお冷のグラスにスプーンが入って出てきた時には思わず「もはや戦後ではない」と叫びたくなりました。肝心のカレーはジャパニーズカレー、男のカレーとでも言いましょうか。かろうじて挽肉が確認できるくらいに煮込まれたルーはとにかく濃厚。ねっとりと口の中に広がっていきます。この感覚は1度食べたら病みつきになることうけあい。そしてほとんどの方が注文するトッピングがこれまたインパクト抜群。とんかつ、ウインナーも大容量で捨てがたいですが、ユニークなのはシューマイカレー。なんと揚げたシューマイがオンされています。インドと中国の異文化交流…。そう来たか。当然、抵抗はあると思いますが、騙されたと思って食べてみてください。これが恐ろしいほどによく合う!あまり期待していなかった地味な試合が予想以上にスウィングしてスタンディングオベーションってな具合です。好事家の方はぜひともチャレンジしてみてくださいませ。続いてご紹介するのは、まんてんに続いて老舗中の老舗。カウンターで美味いとんかつを食わせる店「いもや」です。 
  • これはノージョーク!UFC、乾坤一擲のアンチドーピングプログラム発表■MMA Unleashed

    2015-06-06 00:00  
    33pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回はUFCの歴史的改革アンチドーピングプログラム! 

    UFCが現地時間6月3日に記者会見を行い、「UFCアンチドーピングプログラム」を発表した。このプログラムでは、米国アンチドーピング機構(USADA)による、UFC契約配下全選手を対象とした、抜き打ちの薬物検査が年間を通じ常時行われることになる。
    UFCでは実は昨年後半から、自社で行う薬物検査の強化を検討していたのだが、昨年末には「これはUFCがやるべきことではない」(ホワイト)として計画をいったん撤回していた。撤回理由としては主にコスト負担が重いこと、および自社検査では疑いの目を晴らしきれないことなどがあげられていた。しかし、計画撤回宣言をした直後の今年初頭に、ジョン・ジョーンズ、ニック・ディアズ、アンデウソン・シウバ、ヘクター・ロンバードといった大物の失格が相次いだ。UFCではとく
  • 森嶋猛引退騒動を読む■「プロレス 点と線」

    2015-06-01 00:00  
    55pt
    プロレス事情通Zが業界のあらゆる情報を繋げ、立体的にしていくコーナー「プロレス 点と線」。今回は森嶋猛引退騒動について迫ります!迫ります!――最近は一段落しましたが、NOAHの森嶋猛引退騒動は凄いことになってましたねぇ。
    Z いやあ、森嶋選手のFacebookから目が離せませんでしたね(笑)。結局9月19日のNOAH大阪大会で引退試合をやることになりましたけど。
    ――ちょっと待ってください。まだ5月ですよ? 梅雨入りすらしていないんですよ?(笑)。
    Z ハハハハハハ! 9月までに、もう一波乱起きてもおかしくないですよね(笑)。
    ――結局この引退騒動はなんだったんですかね?
    Z ここ数年のNOAHは著しい興行不振に見舞われる中、鈴木みのる率いる鈴木軍との対抗戦が行なわれたりして、新日本プロレスとの結びつきが強くなってるじゃないですか。
    ――NOAHは新日本の“傘下”になったのなんだのと言われてますよね。
    Z 私がチラッと聞いた話では、その鈴木軍には、丸藤正道、杉浦貴、森嶋の三本柱で対抗するという流れだったんそうなんですよ。でも、丸藤選手はジュニアですし、杉浦選手もヘビーと言っても小柄なほうですから。森嶋選手みたいなスーパーヘビーが“最後の砦”としてどんと構えていれば盛り上がるじゃないですか。
    ――森嶋選手がいないとNOAHの層は薄くなっちゃいますよね。
    Z ただ、NOAHとしても鈴木軍とのハードな抗争をする中で「糖尿病の森嶋を使えるのか?」という不安はあったと思うんですね。「ここは一旦外したほうがいいんじゃないか」という行き違いが今回の騒動につながったようなんです。会社の中でうまくコミュケーションが取れていなかったことで、森嶋本人は団体の中心から外されたと勘違いしてしまったという。この続きと、高岩竜一物語、小橋建太、ウォーリー山口、世4虎引退騒動、「週刊プロレス」回顧録、川尻達也激勝の記事が読めるお得な「詰め合わせ」セットはコチラ