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記事 21件
  • 義足でプロレス復帰する凄いヤツ! 谷津嘉章■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2021-06-13 10:47  
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    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは義足でプロレス復帰する凄いヤツ! 谷津嘉章です!




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    全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
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    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿

    ――2019年に糖尿病の影響から右足を切断した谷津さんですが、「サイバーファイトフェスティバル」で義足を装着してプロレス復帰。谷津さんって人当たりがいいんですけど、プロレスラーとしての評価はイマイチなところがあったんですが、ここにきてプロレスラーとして一番輝いているような……。
    小佐野 現役の頃より必死にプロレスに取り組んでる雰囲気があるよね。生き方も前向きでポジティブだし。
    ――いろんなものを失っていく中で最後に残ったものが“プロレス”だったのかもしれないですね……。
    小佐野 谷津さんが右足を切断したのは長州さんの引退の頃でしょ。「なんで長州は幸せで、俺はこんな目にあうんだ」みたいなことを言ってたけど。リハビリをやり通してオリンピックの聖火ランナーをこなしたり、こうやってプロレスに復帰した。こんな前向きな人だったんだなって尊敬しますよ。
    ――あの歳で義足でリングに立って試合をするのは相当なことですよね。
    小佐野 だって義足でタックルってなかなかできることじゃないよ。片足であんな動きができるのはちょっと信じられない。
    ――いくら義足の性能がいいとは言っても。
    小佐野 だって片足の感覚がないわけだから。 ヘッドロックをやるにしても3点のバランスが成り立たたないとできない。谷津さんはロープワークやスープレックスまでやっちゃうんだから、すごい身体能力ですよ。
    ――いまになってこんなに“すごいヤツ”だと(笑)。
    小佐野 すごい人であることはわかってたんだけど。30歳のジャパンプロレスのときにレスリングのプロアマオープン化で、日本選手権に出て男子フリースタイル130キロ級で優勝した。普通は出ないですよ。負けたら格好悪いもん。
    ――あのときの谷津さんの優勝って「プロレスラー最強幻想」を高めるひとつのピースになりましたよね。
    小佐野  ああいうことにチャレンジできちゃう人なんだよ。北原光騎はあのときの谷津さんの勇姿を見て、スーパータイガージムをやめて、長州さんたちがいなくなったあとのジャパンプロレスに入ったわけだから。
    ――よく馬場さんは反対しませんでしたね。
    小佐野 あのとき谷津さんはジャパンプロレスの人間だったから。プロレスはともかく他の活動は何も言えない。
    ――レスリング連盟の福田(富昭)さんに頼まれたこともあったんでしょうけど、谷津さんは勝てる自信はあったんでしょうね。
    小佐野 なにしろ「日本レスリング史上・重量級最強の男」と呼ばれていたわけだから。切断手術してから数ヵ月後のときのリハビリ映像を見たら、もう歩いていたからね。普通の人なら無理ですよ。 一時期はすごく痩せたけど、いまは身体の厚みもあるし。
    ――手術前ですらリングに上がれるような身体には見えなかったんですけどね。
    小佐野 そうだよね。明らかに不健康だったから。 
    ――それが右足がなくなってからのほうが元気に見えるという。
    小佐野  そういう前向きな気持ちになれるようにサポートしてくれた人たちもいたってことですよね。なかなかひとりでは頑張れないから。 片足がなくなってしまったことは不幸だけど、いま谷津さんは人生の中では不幸な時期ではないんじゃないかな。
    ――もともと谷津さんはスーパールーキーとして新日本に入団したわけじゃないですか。
    小佐野 新日本としては80年代は谷津さんをエースにしようと考えていたはずなんだよね。東西冷戦の西側諸国によるモスクワオリンピックボイコット後、すぐに新日本に入団して。日本代表の赤のジャケットを着た谷津さんの入団会見を私も取材してますからね(笑)。
    ――歴史の証人ですね(笑)。
    小佐野 そのときの谷津さんは、とくに気負った感じはなく、こっちが拍子抜けするぐらい力が入ってない。のちのち本人に聞いたら「自信があった」と言っていたんだけどね。入団する前に猪木vsルスカがあったでしょ。そのときのルスカの公開練習で谷津さんはスパーリングの相手をやったんですよ。
    ――大学生時代の谷津さんですよね。裸では谷津さんが圧倒したけど、柔道着だとボコボコにされて。ルスカを猪木さんに繋いだのは福田さんだから谷津さんが選ばれて。
    小佐野 猪木さんとも入団前に知り合ってはいたはずだから。
    ――レスリングでアメリカ遠征中に猪木さんと会う機会があって、猪木さんから小遣いをもらったことがあったとか。 
    小佐野 谷津さんは「やれば一番になれるのかと思ったら、プロレスは強さだけじゃなかったんだよね」と。谷津さんが不幸だったのは、誰にも教わらないでいきなりデビューしちゃったこと。 新日本の道場で基礎練習をやらされるんだけど、谷津さんは充分に体力はあるから、それよりも早くプロレスの技術を教えてほしかった。ちゃんと教えてもらえないうちにニューヨークに行かされてね。仕方ないからニューヨークにいたキラー・カーンに受け身を教わって。 
    ――大物新人をなんという扱いなんですかね(笑)。育成システムは当時は確立されてなかったというか。
    小佐野 谷津さんはカール・ゴッチのところに送り込まれなかった初めての新日本のレスラーなんですよ。 だいたいはタンパのゴッチのところで教わるんだけど、谷津さんの場合は実験的にいきなりニューヨークだから。あの頃の新日本はもうゴッチの教育はいらないと判断したのか。谷津さんは最初から強かったしね。
    ――シュートテクニックを身につける必要はないと。同じオリンピアの長州さんもゴッチさんのところで揉めちゃいましたね……。
    小佐野 ニューヨークに渡ったのはジョン・レノンがニューヨークで殺されて数日目とか言ってたよ。2~3週間後にMSGでデビューだからね。
    ――すごい扱いですよね。
    小佐野  パット・パターソンに預けられたんだけど、べつに何か教えてくれるわけでもなく、ただ居候してるだけ。それでいきなり日本でもデビューさせられちゃった。
    ――伝説のデビュー戦ですよね。
    小佐野 猪木さんと組んでブッチャー&スタン・ハンセンとメインで戦うという、これまた破格の扱いなんだけど、ボコボコにさてしまってね。大流血。
    ――何も知らないうえにブッチャー&ハンセンなんだから、そりゃそうですよね(笑)。
    小佐野 あのときはブッチャーが移籍したばっかりで張り切ってるし、ハンセンと「どっちが強いか」って張り合いが谷津さんに向けられてしまったというね(笑)。
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  • AKIRAインタビュー⑤「新日本プロレスと全日本プロレスの違い」

    2021-06-09 12:00  
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    野上彰として新日本プロレスでデビューしたAKIRAインタビューシリーズ第5弾(聞き手/ジャン斉藤)AKIRAインタビューシリーズ①新日本プロレス入門、野上彰だった頃


    ②海外修行で感じた異様な新日本プロレス

    ③小林邦昭さんが言ったんですよ。「JJジャックスはイヤだろ?」って


    ④「平成維震軍と新巻鮭、新日本退団と復帰」
    ──AKIRAさんが新日本プロレスに復帰した頃は、ちょうど新日本が暗黒時代と言われていた時期に突入するんですけど。猪木さん周辺がビッグマッチのたびにマッチメイクに介入したりして、現場の雰囲気は相当悪かったと聞きますね。
    AKIRA あの頃はボクもスポット参戦になっちゃってたんで。だから、どっぷり道場にいたいう感じではなかったですね。
    ──現場の空気感はわからなかったと。
    AKIRA うん、勝手気ままにやってましたね。もう関わんなくていいや!くらいに思ってたので。
    ──現場がゴチャゴチャしていたのは知ってたんですか?
    AKIRA なんか嫌な空気はなきにしもあらずでしたけど。みんなガマンしてやってるところはあったと思うんで。控室でもTEAM2000や外人レスラーと一緒だったので、あんまり嫌な感じはなかったですけど。本隊の控室へ行くとシーン……としてましたよね。
    ──暗黒の渦に巻き込まれないで、比較的自由な立場でやられていたと。
    AKIRA 自由にやってましたね。新日はそのあと、もっとどんどん落ちていったのかなあ。
    ──長州さんや橋本(真也)さんが新日本をやめて、それぞれ新団体を作ったり、武藤(敬司)さんは全日本プロレスに移籍したりとか。
    AKIRA あぁ、そんなこともあったんですね。グチャグチャだったんですね、その頃。
    ──グチャグチャだったんです(笑)。AKIRAさんも全日本に行くわけじゃないですか。
    AKIRA そうですね。どういう経緯だったっけな……。そこは新日本から「契約は打ち切りで」って言われちゃったんです。全日本は武藤さんに誘われたんじゃなくて……渡辺(秀幸)さんかな?
    ──新日本のマッチメイカーで、武藤さんたちと一緒に全日本プロレスに移籍した渡辺さん。
    AKIRA 当時のボクはお芝居でなかなか食えてたんですよ。だから別にプロレスはいいやと思っちゃってて。だから新日本に契約をしてくれないなら、それはそれで。無理に「次のリングを探さなきゃ!」っていう感じでもなかったんですけど、渡辺さんから連絡もらって。スポット参戦でいいなら全日本に出してもらいたいなと。
    ──全日本プロレスの居心地はどうだったんですか?
    AKIRA 自分の中では、ちょっと楽な感じがありましたね。っていうのは試合自体も、新日の試合だと朝起きてから、そこに集中してもってかないといけないところがあったんですよ。それが全日だと、そこまで集中しなくてもいいのかなと。新日の場合はそれが3~4試合目でもやっぱりキチっとやんなきゃみたいな張り詰めたものがあったというか。「行ってきます」と家の玄関を出るけど、「また家に帰れるかなぁ……」みたいなモヤモヤはいっつもあるんですけど、全日はそれが意外となくてですね。朝のうち子供とさんざん公園で遊んで、それから夜に試合という感じで。
    ──全日本はメリハリがついていたという。
    AKIRA あるときの地方巡業なんて昼ごはんのときに「ビール飲め」と渕(正信)さんからジョッキが回ってきて(笑)。「おまえ、これを飲んだら俺が全部払ってやるよ」と。要は「人生もっと楽しみながらプロレスやったらいいんじゃないか」っていう提案だったんでしょうね、渕さんとしては。
    ──渕さんのほうが古き良き巡業の風景なんでしょうけど。新日本は現場監督の長州さんがそういう雰囲気が好きじゃなくピリピリするもんなんだっていう。
    AKIRA それはたぶんそうですね。長州さんが現場監督だったときが一番厳しかったです。巡業で何連戦かでみんなクタクタで、会場で「今日はゆっくりしたいな」ってだらけてるように見えると、長州さんは「オマエら何やってるんだ!練習しろ!!」って怒るんですよね。
    ──で、全日本のほうはもう昼間からビール飲んじゃえ!みたいな。
    AKIRA でしたね(笑)。毎日じゃないですけどね、もちろん。全日本のそういうやり方も、もっと楽しめばよかったんですけど、性格上そこまでは……まぁ飲むには飲んだけど、なかなか。「早く酒を抜いて試合に間に合わなきゃ」とかそんな感じで。
    ──そこは新日本の感覚が抜けきってない感じだったんですね。
    AKIRA でしたね。渕さんおもしろいですよ。当時は毎晩のように六本木に連れられて朝まで飲むことは多かったですし。渕さんは当時、千駄ヶ谷かどっかそのへんのマンションに住んでいて。あるとき渕さん、荒谷(望誉)さんの3人で飲んで渕さんのマンションに泊まって。朝起きたら横に荒谷さんがごろっと寝てたんですね。そうしたらムクって起きて「すみません、AKIRAさん! こんな汚いところ泊めちゃって!」って謝ってきて。自分の家と勘違いしたんですけどね(笑)。
    ──ハハハハハ! 渕さんとは頻繁で飲んでいたんですね。
    AKIRA 渕さんの部屋には壁一面に映画のコレクションが並べてあって。ゆくゆくは小説家になりたいとか言ってました。
    ──渕さんの小説は読んでみたいです! いまのプロレス界ってコロナ関係なく六本木で飲むってこと自体があんまりないですよね。
    AKIRA あー、そうですね。節制ばかりで、お酒を飲みに行く人も少なくなってるみたいですね。食事会で「酒を飲む」って言ったら「えーっ!? 」って顔されちゃう時代ですからね。
    ──全日本のあとは『ハッスル』ですよね。
    AKIRA 全日本も契約更新されなくなって。そのとき本当に役者になろうか迷ってたんですよ。その頃にたしかNODA MAPや今井雅之さんの舞台に出てたりとか。それだけでもなかなかの額になったから、焦んなくても全然よかったんですよね。
    ──プロレスが柱ではなかったんですね。
    AKIRA そんなときに『ハッスル』から話があって……最初は和泉元彌さんのコーチで。
    ──当時世間を騒がせていた狂言師の和泉元彌さんがプロレスデビューにするあたって、AKIRAさんが指導されてたんですね。
    AKIRA 練習はとくに……あれですよ、役柄ですよ(笑)。
    ──あ、設定上の話ですか?(笑)。
    AKIRA 「受け身がこうやって」って感じでもなく。すごい運動神経のいい方で、そこそこかたちでやれば成立する感じだったんですけど。それに相手がKENSOさんだったんで、なんとかなっちゃったんですけどね。
    ──要するにAKIRAさんは箔をつけるために呼ばれたんですね。
    AKIRA そういうことですね。でもビックリしましたね。『ハッスル』のワンマッチでまとまったお金もらえたんで。
    ──相当バブルでしたよね、『ハッスル』。
    AKIRA そうですね。それでダメになったんでしょうけど(笑)。あれはお金かかってましたよね。あんな調子でみんなにギャラ払ってたら、それはもうもたないですよね。
    ──『ハッスル』のいままでにない作り込みのプロレスってどう思われました?
    AKIRA プロレスの評判があの頃は逆に最悪だったと思うんですよ。ああいうかたちでもってかなきゃいけないほど、プロレスは居場所がないというか。やっぱりK-1だなんだ、そういったものが本物だっていう認識が高かったですからね。そこでプロレスは「俺たちはこんなにやってるぜ」って言える状況じゃなかったですから。なので、『ハッスル』のようなアメリカンプロレス的なものを提供するしかなかったんじゃないかなって思いますね。あのあと何かのきっかけでまた新日に出たことがあったけど、そのときにアメプロというよりはもう『ハッスル』的なものをやってて。
    ──レッスルランドですね。
    AKIRA あぁ、そんなんですね。「あー、新日もこんなんやっちゃうんだなー」って思いましたからね。
    ──AKIRAさんとしては故郷がそうなっちゃったのは寂しい思いはあったんですか? それとも望んでいた理想郷になったのか。

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  • 那須川天心の1vs3ハンディキャップマッチとは何か

    2021-06-07 13:25  
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    この記事は那須川天心の1vs3ハンディキャップマッチとは何かを語ったDropkickニコ生配信を編集したものです(語り:ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・【歴史探偵】那須川天心のツイートは何に怒っているのか・井上尚弥、那須川天心の拳を守る「バンテージ職人」永末ニック貴之
    ・魔裟斗の川尻達也批判にイライラする理由・ボンサイ柔術の戦友が語るクレベル・コイケの強さ■関根シュレック秀樹
    皆さん、那須川天心選手が「1vs3」を提案するYouTube 動画をご覧になりましたか。Dropkickメルマガの読者なら、あの動画を見て「あれ?」っと思ったんじゃないでしょうかね。 ボクが「那須川天心はなぜ怒ってるのか」の記事で見立てたとおりだったから! これはもう「ジャン斉藤さん、すごいですね!さすがですね!!」という絶賛リプが殺到するだろうとウキウキしながら待ち構えていたんですけど、一向に飛んでこないので自画自賛ツイートしました。どうなってるんだよ。
    あの動画ってRIZIN記者会見中にアップされましたけど、タイミング的には何か怪しいですよね。わざわざ会見の真裏にぶつけるのは偶然ではなく何か意図するものがあるだろうと受け取るのが普通です。それは置いといたとしても那須川選手の怒りのツイートが仕込みだったかといえば、そんなわけはなくてナチュラルなんでしょう。あれがもし仕込みだったら、もうちょっとスムーズに話は進んで、少なくとも緊急事態宣言の延長でチケット販売停止となる5月31日までには何かしらの動きはあったはずですから。これはナチュラルアングル、すなわち自然に起きた出来事をうまく転がそうとしたものでしょう。そこからたどり着いたのが1vs3のハンディキャップマッチだったと

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  • 菊地成孔☓佐藤大輔■「ローリング20」におけるRIZINと東京オリンピックの行く末

    2021-06-04 16:26  
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    RIZINの煽りVや「RIZIN CONFESSIONS」などRIZINの演出を統括する佐藤大輔と、ジャズ・ミュージシャンで文筆家の菊地成孔氏の対談。16000字であなたの脳みそを煽ります(聞き手/ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・「魔法の煽りVをつくる男」 RIZIN演出統括・佐藤大輔17000字インタビュー・朝倉兄弟とYouTube論■菊地成孔・プロレスラー、SNS、リアリティショー……この3つを背負うのは重すぎる■菊地成孔
     
    佐藤 こうして菊地さんと対談するのは10年ぶりになりますね。感慨深いですよ。
    菊地 感慨深いですか。
    佐藤 だってあれから格闘技の仕事が続けられているってことですから。何回も諦めかけましたけど。
    菊地 ハハハハハ、諦めかけたんですか?(笑)。
    佐藤 ホントですよ。
    菊地 10年前ということは東北大震災のあとくらいですかね。
    佐藤 あとです。対談したのはKAMINOGEだったけど。
    菊地 あのときはアウトサイダーがいかに面白いかという話を佐藤さんにしていたと思いますよ。
    佐藤 そうですね。アウトサイダーの良さ、面白さを語っていて……あのときアウトサイダーに朝倉兄弟っていましたよね?
    菊地 いや、朝倉兄弟がアウトサイダーに上がる前ですね。
    佐藤 ああ、そうですか。朝倉兄弟じゃなくて、リングス軍団と対抗戦をやったりとか、米軍が出たりして面白いぞって話でしたね。でも、ボクの耳には菊地さんの話が全然入ってこなくて「ホントに面白いの?」って。いまやRIZINがアウトサイダーになってしまったという(笑)。
    ――いまのファンからすればアウトサイダーといえば朝倉兄弟ですけど、それ以前の黎明期のことですね。
    菊地  初期のアウトサイダーですよね。 DVDの1~2本目だと客席にボクが映ってますけど、毎回会場まで見に行ってました。あまり行かなくなった頃に朝倉兄弟が台頭し始めて、リングスの広報の方から「朝倉兄弟というヤバい奴が出てきたから、ぜひ見に来て何か書いてください」と。でも、大した理由もなく行かなかったんですよ。 「イヤだ」という強い意志があったわけじゃなくて、その日の大会に時間的に間に合わなかったとか、あるいはアウトサイダー全体に少しづつ興味を失いつつあって、アウトサイダーの拡大路線に対してアクティブさが下がってましたね。運命とは一手違いで、あのとき見に行ってたら朝倉兄弟をずっと見てきた人生になっていたかもしれない。そのあと朝倉兄弟がRIZIN入りしたという噂を聞いて……RIZINの大晦日は毎年見てるんですけど。 
    佐藤 ありがとうございます! 
    菊地 それきっかけで朝倉兄弟のYouTube なんかも見てますし。
    佐藤 地上波あってのRIZINと言われてますけど、じつはこの2~3年なんとなくRIZINが盛り上がってる感じがするのはYouTubeの力が大きいんですよ。選手が勝手にYouTubeに乗ってくれたという。
    菊地 そこは世の中的には自然の成り行きではありますよね。「この続きはTELASAで」とか、地上波の番組がインターネットに誘導するエサみたいになってますし。『アメトーーク』という強い番組ですら特別編はネットで流れるわけじゃないですか。
    佐藤 そうなんですよね。RIZINも下支えしているのはやっぱりYouTube だなって。コロナ直撃は興行的には大ダメージなんですけど、YouTubeのおかげでファンの熱は意外とずっと続いていて。「YouTuber格闘技」ですよ。
    菊地 すんげえ昔に、谷川さんが「これからはYouTube格闘技があってもいい」って発言してて、その時点では完全なフライングでしたけど、無意識のうちに現実化したっていうところが、懐かしの“黒魔術”ですね(笑)。
    ―― RIZINってコロナになってから元気になりましたよね。もちろんこれだけ延期だ入場規制だと続くと経営は大変なんでしょうけど、熱だけでいえば。
    佐藤 そこで頭を下げやすくなったというのはあるよね。たとえばクラファンもそう。あと外国人が呼べないことをいいことにより完全に箱庭化して、そこのケンカを楽しむ。正直「これでいいのかな……」って不安もあるんですけど。
    ――RIZINはこれまでワールドワイドに展開しようとしてましたけど、「日本人vs外国人」よりも「日本人対決」のほうがYouTuber効果も手伝って煽れるし、双方のファンが憎しみあって燃えるところもあるんじゃないですかね(笑)。
    佐藤 そうだねぇ。朝倉未来vs斎藤裕で盛り上がっちゃったわけだからね。でも、プロレス業界はどうなんですか?
    ――新日本プロレスの場合、北米侵攻シフトを組みつつあったところでのコロナでしたからね。運の悪いことに組み立てたアングルもすべて裏目に出てしまって。
    菊地 幾星霜はさんでIWGPの歴史も編纂したうえで、とはいえ、昭和の新日本とはえらい違いですね。インターナショナルだった日本プロレスが新日本プロレスになるとカール・ゴッチさんしかいなくてドメスティックにやるしかなくて、日本人で回したところで成功したのに。
    佐藤  たしかにそうですね(笑)。新日本って格闘技の先を行ってるだけじゃないのかなって。 RIZINも鎖国状態だと早晩行き詰まるよ。 そんな感じしない?
    ――うーん、UFCというかアメリカ市場には敵わないから、コロナじゃなくてもいずれ国内路線の道は……。
    佐藤 まあ、そうだね。
    菊地 各県のヤンキー比べという競技の構造上、ドメスティックでやらざるをえなかったアウトサイダーみたいなものの面白さもありますけど。いまは大義名分があるじゃないですか、ドメスティックには。今年のフジロックはドメスティックなんですよ。海外からは誰も呼ばすに邦人だけでやると。
    佐藤 それでもいいメンバーですよね。
    菊地 フジロックが今年大成功して大満足になったとしたら「これでいいじゃん」ということになる。本当はダフトパンクの日本における解散公演は昨年のフジロックでやる予定だったけど、 コロナでできなくてそのまま解散しちゃったからって言われてますしね。
    佐藤 うわ、コロナは罪深いですねぇ。
    菊地  そういう悲喜こもごもがありつつドメスティックでやっていけるかどうかは、マーケットが評価するんでしょうけど。新日本には外国人のスターが誰もいなくて、猪木さんが作ってくしかないっていう感覚はよかったんですよね。ともあれRIZINのいまのテーマはYouTubeとコロナということですよね。
    佐藤 そうです、その2つです。
    菊地  かつて映画という巨大産業がテレビという新興勢力が出てきたときにどういう態度を取っていたか? という歴史があるじゃないですか。映画は最終的にテレビに負けたんですけど、テレビが新興勢力だった時期はプライドを保っていたんです。撮影所にいる人たちが「テレビドラマを撮ってきます」っていうと嫌味言われるとかね。それがテレビにすがらないと映画を見に来る人がいなくなるという時代になってしまった。いま地上波がインターネットという新興勢力にどういった態度なのか?という話ですね。
    佐藤 RIZINは YouTubeに部分的に擦り寄っていますよね。シバターのRIZIN登場はその代表例で。
    菊地 大晦日の傾向は加速してるわけですか。
    佐藤 加速してますけど、完全にYouTube をやっちゃうと、すべっちゃうんですよね。 地上波マナーを守らないと、何か変なことになるんですよ。
    菊地 そこは「この人、面白いな」とを気づいたらYouTuber だったとか。まずはパラサイトする、というようなかたちですよね。 
    佐藤 ただ、なんでも選手をコントロールする気はなくて。RIZINがうまくなんとか続いてるのは、 ボクらがあまり我を出してないんですよね。朝倉兄弟にこうしろ、あれをやっちゃダメとか言わないし、 彼らが言うことをただただ聞くわけでもないし。
    菊地 YouTubeや配信でいえば、オリンピックもざっくばらんに言っちゃうと会場観戦してる人は賑やかしで、 見てる人のほとんどがテレビを通してじゃないですか。 もともとオリンピックは中継で成り立っていたわけなので、会場観戦はほんの一部の特権的な人だけで、世界中の人たちはテレビで見ていたわけだから、 今回の無観客ということをコロナへの恐怖とニコイチでなんとなくマッシュアップして、無観客オリンピックは意味がないと言われますが、 とっくに無観客で大丈夫だったんじゃないかって見方もできますよね。万博みたいに期日が半年ぐらいあって、世界中の人が見に来るんだったら別ですけど。
    佐藤 たしかにテレビで見るものがオリンピックですね。 
    菊地 ボクが会場で見たことのあるオリンピックは、1964年の東京オリンピックなんですよ。
    佐藤 うわ、会場で見てるんですか。
    菊地 1歳のときですけど。佐藤さんは何歳ですか?
    佐藤 ボクは74年生まれの今年47歳です。 
    菊地 ボクは高田統括本部長と一緒の58歳です。
    佐藤 あ、なるほど。ボクはミルコ・クロコップと一緒ですね(笑)。
    菊地 あの東京オリンピック以降はテレビでしか見ていない。世界中の人にとって地元でやらないかぎりはテレビで見るもんでしょっていう。オリンピックが無観客であることに対してそんなネガティヴになる必要はなくて。 
    佐藤 ちなみにボクはオリンピックをやったほうがいい派なんですよ。
    菊地 ボクもですね。
    佐藤 あ、そうですか。東京オリンピックをやったほうがいいという理由は完全にポジショントークなんですけど 、オリンピックが開催されることで他の興行もやれるんですよね。オリンピックをやらないと全部潰される可能性があるから。
    菊地 ボクもポジショントークプラスけっこうギリギリですけど、今年のフジロックはオリンピック担保ですよね。去年のフジロックは中止になりましたけど、オリンピックがやれるんだからフジロックもやれるだろうと。オリンピックが担保になってる側面はゼロではないと思います。
    佐藤 オリンピック後にフジロックですもんね。
    菊地 ボクはオリンピック開催に関する社会的な流れというか、ネットの趨勢はわからないんですけど。今回のオリンピックに近代史上一番前衛的なものになると思ってまして楽しみなんですよ。
    佐藤 シュールなオリンピック(笑)。
    菊地  いままでいろんなオリンピックがあったじゃないですか。 ミュンヘンみたいにテロリストが選手村を襲うという悲劇があったり、モスクワのときは冷戦の影響で西側の諸国がボイコットしたり、 あるいはナチスがベルリンオリンピックを政治利用したり。日中戦争があったから東京が蹴って中止にしたこともありました。ボクのアンチ・オリンピックに関しては、おそらく誰よりも早くて、石原(慎太郎)さんが都知事選の公約ぐらいの強さでオリンピックを誘致するということで、それに際して歌舞伎町を浄化するんだとなったあたりから、ボクはずっとアンチ・オリンピックの立場を取り続けてきたんです。実際に「次のオリンピックはろくでもないことが起こる」と書いてきて。
    佐藤  エッセイでもそうやって書かれてきましたよね。
    菊地 アンチ・オリンピックで一冊、書いちゃいましたからね。そのオリンピックは神の采配によって中止になったんですけど、「まだ菊地さんはオリンピックにアンチなんですよね」ってずっと思われていて。つい先日、ある通信社から「今回のオリンピックをどちらかというとクサしてくれ」みたいな、はっきりとは口にはしませんけど、アナタそういう本を出してますよねという目配せインタビューがあったんです。 「でも、ボクが腐していたオリンピックはもう終わったんですよ」と。
    佐藤 ハハハハハ、1年前に(笑)。
    菊地 そうです。「今年のオリンピックは次のオリンピックなので期待しています」という話をしたら通信者の人はじゃっかん困ってまして(笑)。「少し元気になりました」と言って帰りました。だいぶ話はしたんですが、記事はすごく小さくなっちゃいましたね。今年のオリンピックは大失敗する可能性はあるんですけど、逆に大成功する可能性もあって。選手も3年待たされたら腐るでしょうけど、1年ぐらいだったらちょうど盛り上がってるところで突っ込んで演技をするんじゃないかって。 
    佐藤 ボクもめっちゃ盛り上がると思うんですよね。
    菊地 なので、いまオリンピックをやっても意味がないとか腐してる人たちはバカとは言わないけど、考えが足りないと思ってますね。
    佐藤 ハハハハハハハ。よくわかります。 やったらやったで、どうせ死ぬほど盛り上がりますよ。みんな開幕式から見るに決まってますし。
    菊地 「どうなることやら」という興味ですよね。
    佐藤 開会式は椎名林檎チームにやってもらいたかったなあ。文春スキャンダルでなくなっちゃいましたけど。 開会式をあえてやらないという手もありますよね。ノー煽りでやる競技会。 
    菊地  それもいいと思います。 MXで中継しているWWE 中継なんかを見ると、観客席にテレビ画面を置いてリアルタイムで応援している人の顔を映し出してるんですよ。
    ――サンダードーム方式ですね。 
    菊地 あれって1人1人の顔がアップでくっきり見えるじゃないですか。映画の「サマーウォーズ」じゃないけど、ほらこの人が応援してるよとわかる。オリンピックもこれをやればいいんじゃないかなって。オリンピックがWWE の手法をそのままコンバートしないとは思いますけど(笑)。 
    ――開会式の演出であっても面白そうですね。
    菊地 海外のVIPや皇室の方が出るには最適でしょう。それでいえば最近毎日のように市川崑の「東京オリンピック」と NHKが編集した万国博覧会記録会を見てるんですよ。昔は良かったなあって(笑)。
    佐藤 最高に煽られる作品ですけどね(笑)。 
    菊地 映像を見ると当時は貴賓席がちゃんと仕切られてなくて、かぶりつきのところに美智子様がいたり、カットが変わるとスーツを着た王・長嶋が談笑していたり。いまみたいにガッチガチのVIP的に扱ってるわけじゃなくて、それもまた64年とていうのはいい時代だったなと思わざるをえないんですが、2021年のオリンピックが何かを打ち出すだとしたら、皇室の方々がWWEのように画面に顔が出てくるという。各国の王室や首相、大統領なんかも出てくると。
    佐藤 プーチンが出てきたら絵になりますよね(笑)。
    菊地 いまの状況だったらプーチンは来日できないでしょうから、それで出るしかないし、 世界中の要人が「いま実際にこうやってオリンピックを見てます」という担保にはなりますよね。 まあ、この時期にこんな話をするくらいオリンピックは何も決まってないんですけど。
    佐藤 それがまたまた変なワクワクがありますけど。
    菊地 いまは何かと予備知識を詰め込みすぎて、みんなアップアップになってるじゃないですか、情報が多すぎて。
    佐藤 よくわかります。
    菊地 昭和は何も知らずに見て楽しんでいたんですよね。
    佐藤 昭和・平成はまだそうでしたよね。PRIDEもボクらインサイダーが発信する情報がすべてだったんです、極端にいえば。いまは情報がバーッとたくさん溢れている中で、さあどうするの?って突きつけられてる気がして。
    菊地 全員が情報通の中で凄い神経戦になってるというか。ボクの話だと急に古臭くなるんですけど、昭和・新日本に「はぐれ国際軍団」っていたじゃないですか。そのときは小学生だったから急に「はぐれ国際軍団」と言われても困るわけですよ(笑)。
    佐藤 「はぐれ」も「国際」も繋がってないですからね(笑)。 
    菊地 国際がなぜはぐれたのかもわからない。当時はそういう情報の受け止め方だったんですよね。「わからない」ということに関しては熱狂で埋めてくれる。情報はあとからついてくればいいと。でも、いまって「この事務所から一番近くのタバコの吸える喫茶店」をネットで探せばすぐにわかるじゃないですか。
    佐藤 そういう意味では今度のオリンピックは何も「わからない」ですね。16000字対談はまだまだ続く……

    この続きと、斎藤裕、ボンサイ柔術、菊地成孔☓佐藤大輔、AKIRA、笹原圭一……などの6月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
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  • 「我々はカサイに無礼なことしてしまったのか?」……葛西純がアメリカでふたたび血を流す日

    2021-06-02 19:17  
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    アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマは 「我々はカサイに無礼なことしてしまったのか?」……葛西純がアメリカでふたたび血を流す日です!
    <1記事から買えるバックナンバー>
    ・「私たちは、人間よりも神に従うべきです」WWE NXTのレフェリーは陰謀論者
    ・解雇された元女子王者、WWEからゴミ袋を送りつけられる
    ・名門ハート一家の問題児テディ・ハートの転落
    ・歓声にブーイングも帰ってくる!!  レッスルマニア有観客大会開催



    アメリカが葛西純を待っていた。デスマッチのカリスマは自分たちの過ちにより、二度とアメリカで血を流してくれないと思い込んでいた。新型コロナが世界を襲う前、葛西純が所属するプロレスリングFREEDOMSは、フロリダ州タンパで団体初となるアメリカ大会を2020年4月4日に開催する予定だった。
    前年末から無期限の長期欠場に入っていた葛西純は、アメリカ大会では試合をせず、サイン&握手会を行うと発表。そんな“デスマッチのカリスマ”葛西純に、“アメリカデスマッチのカリスマ”ことニック・ゲイジが猛然と噛み付く。
    「俺ら知り合ってからもう20年か。そのあいだ、俺は悪いことして牢屋にも入っていたんだ。いくらオマエが怪我しているとはいえ、アメリカに来てサイン会だけして日本に帰っちまうってのは筋が通らねぇぜ」
    現在の米デスマッチの代表選手とも言えるニック・ゲイジの対戦要求に、葛西純はどこ吹く風と無反応。そんな挑発になかなか乗ってこない葛西純に対し、ニック・ゲイジが放った「俺とヤリてぇんだろ」。この強烈な一言には、葛西純もようやく重い腰を上げた。
    受けて立った葛西純は、パートナーに竹田誠志を指名し、タッグデスマッチとして復帰戦を行なうことを発表。対するニック・ゲイジの相棒はマット・トレモントと、日米デスマッチ四強が揃い踏みし、葛西純復帰を看板にしたFREEDOMSアメリカ大会は開催されるはずだった。
    しかし、新型コロナウイルスのパンデミックにより、大会開催は中止になる。本来ならば、ここからFREEDOMSとGCW(ゲーム・チェンジャー・レスリング)による『日米デスマッチ大戦争』が始まるはずだった。しかし、コロナウイルスの猛威が終息しない中、日米両国を股にかけたその計画は暗礁に乗り上げてしまった。この計画は、現代デスマッチの象徴、葛西純なくしては始まらなかった。
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  • 修斗はローカルなのか■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    2021-06-02 17:46  
    110pt
    多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるコーナー。今回のテーマは修斗はローカルなのかです!!(この記事はニコ生配信されたものを編集したものです)
    【1記事90円から購入できる過去記事】
    ・【フェザー級転向】佐々木憂流迦の朝倉未来戦はありえるのか

    ・【巨額負債報道】ONE起死回生の策はあるのか・世界的な詐欺事件? パンクラス商標騒動を追う
    ・平本蓮のアメリカ修行先5つの候補はこれだ!!■
    ――最近、シュウさんがツイッターで「修斗はローカルかどうか」で議論されてましたね。
    シュウ ハハハハ……今日はその話するんですか?(苦笑)。まあ、ボクはそう思って発言したんですけど、皆さんの意見はどうなんでしょう。
    ――「修斗はローカル」だと主張するシュウさんがけっこう批判されていたので、ボクも迂闊には発言できなかったんですけど(笑)。シューティング原理主義者のボクからしても、いまの修斗はローカルだよなと。
    シュウ フフフフフ。
    ――決して修斗が弱小団体だと言ってるわけじゃなくて、DEEPもパンクラスもローカルだし、それこそRIZINもローカル……いや、スーパーローカルというか。でも、意外とみんな「修斗はローカルじゃない」と言っていたのでちょっと戸惑いました(笑)。
    シュウ たしかに、昔の修斗はアマチュアからプロまで一本化したシステムがあって、UFCのマッチメーカーだったジョー・シルバだって修斗を参考にして試合を組んでいたというぐらいでしたから。
    ――佐山聡先生や初代シューター、修斗で活躍してきた格闘家、それを支えた関係者の功績を認めることと、現在の修斗の立ち位置を評するのは話は別ですね。
    シュウ つまり、かつての修斗なら話は別ですけど、現在はどう考えてもほぼ日本人選手だけの大会ですし、メジャーと言われるようなファイトマネーが出ているわけでもないですよね(キッパリ)。
    ――シュウさん、そういう率直な指摘が反発を呼んでいる可能性があります!(笑)。
    シュウ でも、プロスポーツの世界にそれ以外の物差しはないですよ。それに、PRIDE時代なんかは修斗選手の戦績も圧倒的によかったと思うんです。じゃあ、最近の修斗のトップ選手がDEEPやパンクラスと比べて圧倒的に戦績がいいかというと、そうでもないですよね。
    ――ただ、修斗の選手が勝つと「やっぱり修斗!」となるんですよね。
    シュウ いや、たとえ岡田遼選手や斎藤裕選手が勝ったとしても「やっぱり修斗」じゃないですよ。それは岡田選手や斎藤選手、そしてチームメイトやコーチ、ご家族が凄いのであって、修斗は関係ないでしょ。
    ――変な話、井上直樹選手が勝っても「さすがDEEP!」とはならないですし(笑)、渡部修斗選手が修斗の田丸匠選手から一本を奪っても「さすがFighting NEXUS!」とはあまりならなかったですね。その点、修斗を心の拠り所にしたいファンがいるなのかなあと。
    シュウ 新しいファンは忘れているかもしれないんですけど、昔の修斗はノックダウンルールがあったじゃないですか。つまりユニファイドルールではなく、修斗は修斗で独自の世界、独自の競技だったという論理が成り立っていたんです。それだったら話は別ですけど、いまはユニファイドルールで舞台もケージに変えちゃってるじゃないですか。それはもう「スタンダードに合わせましたよ」ということですよね。もっと厳しいことを言えば、アメリカのにわかファンにとってはUFCだけがメジャーであり、ベラトールだってマイナーだというヤツがいるわけですよ。その理論だと、いったい修斗はどこの位置にいるんだ? と。
    ――シュウさん、その手厳しさが反発を……(笑)。
    シュウ もっと手厳しいことを付け足させていただくとですね、ローカル団体と言われるのがそんなに不服なら、ONEのロゴをマットから外しなさいと言いたいです。修斗のロゴよりも、なんであんなに大きなONEのロゴを映像でも見ても一番目立つマットのど真ん中にあるんですか? あれこそローカル団体になった証だと思います。
    ――かといってONEともうまく何か連携しているようには見えないのは不思議なところですね。
    シュウ なぜボクがそれを指摘するかというと、問題をちゃんと直視しないと日本人選手全体が強くならないからですよ。なぜいまの修斗は昔の修斗と比べて日本人選手のメジャー団体での戦績がそんなに良くないのか? なぜ昔の修斗みたいにレベルの高い選手を国外から呼べないのか?なぜONEに協賛してもらわないといけないのか? なんで選手が他の団体に流出するのか? 修斗をよくするために改善していくことが、日本人選手全体のレベルの底上げにも直結すると信じているからなんです。――それは修斗にかぎらず他の団体にも言えることかもしれないですね。シュウ 凄くイヤなのが、アメリカでは「日本人選手は弱い」と言われているんですよ。スポンサー営業しようが団体に売り込もうが、「日本人選手は弱いからなあ」「1度や2度勝ってもね」とか言われるときもあるわけです。
    ――日本のファンが思ってる以上に、日本人ファイターの評価は低いところはありますね、くやしいことに……。
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  • 難敵と激突! 斎藤裕「もしケラモフ戦がダメだったら日本人ってことでしたけど…」

    2021-06-01 13:30  
    110pt
    RIZIN東京ドームでウガール・ケラモフを迎え撃つRIZINフェザー級王者・斎藤裕インタビュー(聞き手/ジャン斉藤)。【1記事から購入できるバックナンバー】・RIZIN男塾塾長・石渡伸太郎「舐められてる自分にムカついてます」
    ・ボンサイ柔術の戦友が語るクレベル・コイケの強さ■関根シュレック秀樹
    ・【フリー公開】クレベル・コイケ「朝倉未来は特別なファイターではない」
    ・【恋のマジカルチョーク】渡部修斗「朝倉海選手が自分を選ぶなんて意外と堅実なのかなと」
    ――先ほど中村K太郎選手とグラップリングの練習をされてましたね。
    斎藤 週に1回、木曜日にパーソナルで来てもらってます。火曜日も寝技の日なんですけど、火曜日にも来てくださって細かい動きを見てもらって「こうしたほうがいいんじゃないか」とか修正してもらったりしてますね。
    ――中村選手の寝技はすごいですもんね。それはいつぐらいからですか?
    斎藤 4月に入ってくらいからですかね。
    ――それは何か理由が……。
    斎藤 いや、自分がいまやるべきことだと思ったので。寝技の細かいことや、ちょっとしたことを意識してやるだけでも違うかなと。
    ――これまでパーソナルで寝技を練習したことはあるんですか?
    斎藤 なかったですね。
    ――深読みすると、来たるべきクレベル・コイケ戦を見据えているような……。
    斎藤 まあ、そこは想像にお任せします(笑)。
    ――了解しました(笑)。インタビューが載る頃には正式発表されていますが、ノンタイトル戦ながらヴガール・ケラモフという厄介な相手をよく引き受けたなっていう。
    斎藤 フフフフ、みんなに言われます。まあでも、みんな厳しい相手を選んでやってるじゃないですか。RIZIN側が「そういう相手とやってください」ってことなんで。
    ――他に選択肢はなかったんですか?
    斎藤 どうなんでしょう。第1候補はケラモフでしたね。あと何人か日本人選手がいたのかな……。RIZINからは「外国人とやってほしい」と言われたんですけど、今回来日する外国人は結局ケラモフだけですから。もしケラモフ戦がダメだったら日本人ってことでしたけど、ケラモフでオッケーを出しました。
    ――ケラモフはアゼルバイジャンからムサエフと一緒にやってくるから出場は確実で。斎藤選手がケラモフ戦を受けてくれなかったら、「斎藤裕vs日本人」「ケラモフvs日本人」のフェザー級を1試合ずつ組まなきゃならなかったわけですよね。
    斎藤 そういうコスト的な問題はあったでしょうね(笑)。
    ――RIZINに恩を売ったほうがいいですよ!(笑)。
    斎藤 そうですね。次の試合はファイトマネーをガンと上げてもらいますよ(笑)。
    ――ガハハハハハハハ。ケラモフ戦が決まったのはいつ頃なんですか?
    斎藤 いつだったかなあ。4月の終わりくらいですかね。RIZINから「ケラモフで考えてます」って感じで話はありまして。最終的に内定したのが4月の終わりくらいですね。
    ――それで5月末のいまになっても正式発表されないと(笑)。今回の試合が決まるまでに4月の東京ドームがコロナの影響で流れて、5月も流れたじゃないですか。東京ドームが4月や5月でも出場予定はあったんですか?
    斎藤 一応、はい。
    ――そのときは相手は誰が候補だったんですか?
    斎藤 そのときはまだ具体的は挙がってなかったと思いますね。実際に開催されるかどうかの問題もあったと思うんで。
    ――実際に延期が続きましたね。やりたい相手はいたんですか?
    斎藤 うーん、ボクはあんまりそういうのないんで。
    ――っていうふうに聞いているんです、誰とでもやるぞと。だからケラモフなんでしょうけど。
    斎藤 まぁ、なんか……どうなんだろう。今回は難しかったんですね。日本人の若い選手とやるわけにもいかないし、日本人とやることになったら「どうなんだろうなあ」と思っていたので。
    ――変な話、ケラモフが来なければやれる相手がいない。
    斎藤 日本人だったら誰だったんですかね……(佐々木)憂流迦選手とかだったんですかね。
    ――フェザー級に転向した憂流迦選手と戦うのは問題ない?
    斎藤 うーん、でも、どうなんでしょう、あんまり……やる必要あるのかなって思っちゃうんですけど。
    ――それはどういう理由ですか?
    斎藤 フェザー級戦線でいうと、まだ彼は一度も試合をしてないじゃないですか。なので、どうなんだろうっていう。話題性はあるけど勝負論でいうと、ちょっと弱いのかなって。
    ――RIZIN現在参戦中でいえばドミネーター(弥益聡志)選手は、斎藤選手が勝っている未来選手に負けているしで、ドームという器を考えると堀江圭功選手くらいしか見当たらないですね。
    斎藤 ですね。ただ堀江くんも試合のダメージがあったりっていう話も聞いてたので。逆にケラモフが来るんだったら誰が相手するんだろう?とは思っていたんですけど。まあ自分だったと(笑)。
    ――正直クレベルとケラモフを選べるんだったら、キャラも実力も浸透してるクレベルを選ぶんじゃないんですか? タイトルマッチも組める。
    斎藤 自分で選べるんだったらクレベル選手のほうがいいのかなって気はするんですけど。先に朝倉選手の相手として選ばれたのがクレベル選手で。クレベル選手とのカードを2つ並べたときに、RIZINさんがどう考えたのかということだと思います
    ――そこは「チャンピオンなのにRIZINコノヤロー」みたいな感情はあったりしますか?
    斎藤 全然ないですよ! ただ勝てばいい話なんで。摩嶋(一整)選手とやったときもそうですけど、それがやるべき試合なら、やるしかないよなと。
    ――RIZIN規模くらいのイベントだと、条件が合わなくて試合が流れたりすることはしょっちゅうありますね。
    斎藤 そこで何か要求しちゃうといろいろ長引いたり……まあ、コロナで大変な状況なんで早く試合を決められたら、決めたいなって気持ちは正直なところありますね。
    ――なるほど。大人ですね。
    斎藤 いやいやいや、みんなそうじゃないですか? あんまり言い合っても長引くじゃないですか。とくにいまの状況で長引くのはイヤだなぁと。決まるなら決まるで誰とでもやるので。
    ――正直、団体側からはすごく使いやすいです(笑)。
    斎藤 こうやってギャラがアップすると……(笑)。
    ――ハハハハハハハハ。斎藤選手や未来選手にビックリしたのはフェザー級GPが秋にあるのに、ここでクレベルとケラモフとやっちゃうんだっていう。そこは先のことは考えずに目の前の強い奴とやりたいっていうことなんですかね。
    斎藤 フェザー級GPの話でいうと、まぁコロナでこんな状況ですし、予定は未定じゃないですか。
    ――そうですよね、とくに“RIZINの予定”ですし(笑)。
    斎藤 東京ドームもここまで延び延びになったので、現実的に考えても先の予定はどうなるかはわからないっていうのは正直あるんですけど。やっぱりいまここでベストの選択をすることは間違ってないと思いますね。今回も意味のある相手だと思ってますよ。
    ――そこでチェーンナップファイトはやるつもりはないということですね。
    斎藤 消化試合はないと思ってますから、基本的に。全部が勝負で。・修斗世界王座返上のタイミングとその理由・クレベル・コイケの挑発・朝倉未来の「クレベルに勝てる日本人は俺しかしない」発言について……インタビューはまだまだ続く

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  • ドラマが現実化するプロレス版・星野源&新垣結衣は?■斎藤文彦INTERVIEWS

    2021-06-01 00:00  
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    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはドラマが現実化するプロレス版・星野源&新垣結衣は?です!

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    ■晩年のロード・ウォリアーズ
    ■ロード・ウォリアーズの衝撃

    ■日本発世界…コロナ禍の近未来ビジネスモデル

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    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか



    ――ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で共演していた星野源さんと新垣結衣さんが電撃結婚されましたが、プロレス界でもリング上の恋愛ストーリーが現実化することがありますよね。
    フミ プロレス界の最強のカップルといえば、トリプルHとステファニー・マクマホンですね。
    ――おお、なるほど!(笑)。
    フミ  この2人はまさにプロレス界の王様とお妃ですよね。WWE総帥ビンス・マクマホンはもちろんまだ健在なんですけど、院政を敷いていて上皇的ポジションにいる。ビンスはいましばらくは毎週の『ロウ』とレッスルマニアをはじめとするPPVビッグマッチのプロデュースは譲らないと思うんですが、それでもゆっくりとトリプルHとステファニー・マクマホン、シェイン・マクマホンにWWEの権限を譲渡しつつある。
    ――トリプルHとステファニーの出会いはWWEのドラマの中だったんですよね。
    フミ  そうですね。あれは1999年のことです。ステファニー・マクマホンがWWEのドラマの中でもビンスの娘として登場してくるんですが、 いまは亡きテストがステファニーの婚約者という設定だったんです。そのステファニーとテストの結婚式が開かれるというストーリーの中、 トリプルHが花嫁のステファニーを誘拐して逃走。
    ――文字面としては“逃げ恥”ですね(笑)。
    フミ トリプルHはステファニーを睡眠薬で眠らせて、ラスベガスのインスタント結婚申し込みチャペルに駆け込みます。一夜の夢が見られるラスベガスの町らしく、紙切れ一枚で結婚できるんですけど、トリプルHはステファニーと“略奪結婚”してしまったわけなんです。
    ――その当時の2人は実際には交際してないんですよね。
    フミ トリプルHは当時チャイナと付き合ったんですね。2人はボストンのキラー・コワルスキー道場の同期で、 インディシーンからWWEまで一緒に歩んできました。 WWEでトリプルHは大ヒールとしての道を歩み始め、チャイナもあの時代を代表するキャラクターになった。それぞれの道を歩き始めたことで結果的にカップルを解消したのかなと。 
    ――そしてトリプルHとステファニーが実際に交際することになるんですね。
    フミ ストーリー上、交際しているということになると現実でも 一緒にいる時間が増えていきますからね。WWEスーパースターは有名なので、ドラマ以外でも1日24時間いつでも注目され続けるんですね。サーキット中にレンタカーに乗って移動してるときも、飛行場にいるときも、どこかのレストランでメシを食ってるときも、ジムで練習しているときも、つねに誰かに見られちゃってるので、リング上のキャラクターのままでありつづけることを世間が要求してくるという面がある。そうするとドラマが現実をテイクオーバーしていった、ということなんでしょうね。 
    ――現実においても自然と恋愛感情が芽生えていったと。
    フミ トリプルHは早くからトップ中のトップでメインイベンターのポジションにいたんですけど、現役と兼業でクリエイティブにも関わっていったんです。カメラが回ってないときでもマクマホンファミリーと過ごす時間が他の選手と比べて桁違いに増えていた理由もありますね。 ブレット・ハートやショーン・マイケルズ、ストーンコールド、ロック様とは違う大物ポジションを築いていったわけです。 
    ――トリプルHはトップレスラーだけではなくフロントとしての地位も固めたということですね。
    フミ そこはそれまでのスーパースターとは違うところですね。トリプルHとステファニーがリアルとファンタジーを超えた次元で生きているカップルだと思うのは、どんな雑音が聞こえてきてもトリプルHとステファニーのそれぞれのキャラクターは揺るぎないものであり続けるし、他のどんなカップルよりも何か強い意志が働いているように見えます。 現在のステファニーは女社長に近いポジションですよね。ある意味、兄のシェイク・マクマホンよりも格上に見えてしまう。 もともとあまりにも美人だったのでTVデビュー当初は「ビンス・マクマホンの本当の娘じゃなくて女優さんなんでしょ?」って言われてたんです。でも、本当の親子じゃなかったらドラマとしてはつまらなかったはずなんですよ。
    ――本当の娘がドラマでも娘を演じるから面白かった。そこは現実の世界も垣間見えるということなんでしょうね。 
    フミ トリプルHとステファニーはプライベートな場面は見せていないのに、本当に交際している2人を第三者が目撃していくエンターテイメントになっていったんです。 
    ――ドラマと現実のテイクオーバーといえばランディ・サベージと、マネージャーのエリザベスが有名ですね。

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  • 【1記事から購入できる!!】5月記事バックナンバー

    2021-06-01 00:00  
    1記事から購入できる5月記事バックナンバー1位 レイザーラモン「学生プロレスから見たプロレスが変わった瞬間」

    2位 【歴史探偵】川尻達也の魔裟斗戦は“売名行為”だったのか
    3位  なぜリデットはノアを救い、GLEATを立ち上げたのか■GREATな社長・鈴木裕之
    4位  井上尚弥、那須川天心の拳を守る「バンテージ職人」永末ニック貴之インタビュー
    5位 ボンサイ柔術の戦友が語るクレベル・コイケの強さ■関根シュレック秀樹
    6位 AKIRAインタビュー④「平成維震軍と新巻鮭、新日本退団と復帰」

    7位 解雇された元女子王者、WWEからゴミ袋を送りつけられる

    8位  日本ムエタイの至宝・梅野源治はなぜRIZINキックで戦うのか


    9位  【歴史探偵】那須川天心のツイートは何に怒っているのか

    10位 すごいぞベラトール2連勝!! 渡辺華奈インタビュー「試合内容は悔しいです……」


    【その他】
  • サトシ、クレベル…ボンサイ柔術の大恩人・坂本健インタビュー

    2021-06-01 00:00  
    110pt
    ボンサイ柔術日本支部を支えた男坂本健インタビュー。『ブラジリアン柔術&総合格闘技専門店 ブルテリア』オーナーでサトシは来日当初から、クレベル・コイケは中学生の頃から見守ってきた。坂本氏がビックマッチを控える2人を語ってくれた。
    【1記事から100円から購入できるバックナンバー】・ボンサイ柔術の戦友が語るクレベル・コイケの強さ■関根シュレック秀樹
    ・井上尚弥、那須川天心の拳を守る「バンテージ職人」永末ニック貴之インタビュー
    ・日本ムエタイの至宝・梅野源治はなぜRIZINキックで戦うのか
    ・【歴史探偵】川尻達也の魔裟斗戦は“売名行為”だったのか
    ――坂本さんが浜松にブラジリアン柔術&総合格闘技専門店『ブルテリア』を始めたのは2000年代前半のことなんですよね。
    坂本 2002年に一番最初のお店をオープンしました。当時はブラジリアン柔術はそんなに広まってはなくて……PRIDEは始まっていましたけど。
    ――ブラジリアン柔術の需要があると見込んで始めたわけですか?
    坂本 自分は一選手として柔術をやってたんですが、当時は柔術着がなかなか手に入らなかったんです。浜松にはブラジル人が多くて柔術をやってる人もいたので、道着を扱うお店もあったんですが、値段がかなり高かったり。
    ――ブラジル現地から輸入してくるから、そのぶん高めの価格なるってことですかね。
    坂本 そうですね。なので知り合いがブラジルに行ったときにわざわざ買ってもらったりしたんです。
    ――だったら自分でお店を始めてというのが『ブルテリア』の原点なんですね。ボンサイ柔術との出会いはその頃なんですか? 
    坂本 2004年にサトシやマルキーニョスのお兄さんであるマウリシオ先生が来日したんですね。知り合いから「ブラジルからすごい柔術家の先生がやってきた」と紹介を受けたんです。 当時私たちも柔術はやってたんですけど、習っていたジェルソンという先生がブラジルに帰ってしまって。先生不在の状態でサークルのようなかたちで続けていたんですね。 そこにマウリシオ先生がやってくることになって。その頃は道場はなくて、磐田市の武道館でマウリシオ先生と試しに練習してみようと。でも、 ジェルソン柔術の残党の中には気性の荒い人もいて。ケンカが強くなるために柔術をやってるというような。
    ――グレイシーvsルタ・リーブリの抗争もそうですけど、アウトローな一面もあったりしますね。
    坂本  なので最初はマウリシオ先生のことを穿った目で見てた人もいたんです。私は最初から尊敬の目を持ってマウリシオ先生のレッスンを受けたんですけど、他の人たちはレッスンに参加をしないで横目でみながら自分たちで練習していたんですよね。
    ――はー、それは緊張感がありますね(笑)。 
    坂本 「失礼だな」と思いながらも自分は普通に練習に参加して。最後のスパーリングのときにそれまで横目で見ていた人たちが入ってきたんですよ。
    ――どんなもんか腕試ししてやろうと。
    坂本 そうしたらマウリシオ先生がみんなをボッコボコにしたんです(笑)。そこからマウリシオ先生にみんな尊敬の念を持つようになって。絆みたいなものが生まれましたね。それがボンサイ柔術ジャパンの原点です。
    ――地域的にもブラジルからの出稼ぎの方が多いから柔術が盛んだったということなんですよね。
    坂本 浜松は東京と比べると田舎なのに、柔術の道場の数は昔から多かったんですよね。マウリシオ先生が来た頃には自分たち以外にも道場が4~5つぐらいありましたからね。
    ――その頃もうクレベルは日本にいましたよね?
    坂本 はい。クレベルとそのお兄ちゃんのクリスチャンはお父さんの勧めで柔術をやるようになって。マウリシオ先生がみんなをボコボコにした中にクレベルもいたと思います。その場でボコボコにされたかはわからないですけど、あとでボコボコにされたのは間違いないですね(笑)。
    ――どのみちボコボコにされていると(笑)。坂本さんはその頃からクレベルのことをご存知なんですね。 
    坂本 当時はヤンチャがけっこう酷くて。いまでも面影は残ってるんですけど、だいぶ落ち着いたと思いますね。 お兄ちゃんのクリスチャンは物静かでクールで怒らせると怖い。クレベルはとにかくヤンチャで揉め事を起こしてばかりで(笑)。
    ――そこにサトシが合流してくるわけですね。
    坂本 マウリシオ先生のあとにマルキーニョスがやってきて。そのとき「マウリシオ先生の弟に凄い奴がいる」という前評判だったんです。で、サトシが来るときは「そのマルキーニョスよりもすごい弟がいる」と。当時のサトシは17、18歳ぐらいで、まだ紫帯だけど黒帯をボコボコにしてしまうと。来日したら前評判どおり、みんなボコボコにされて。身体が大きい人や黒帯もみんなサトシにやられちゃいましたし、当時からスーパースターのオーラが漂ってました。
    ――サトシは日本に来た理由はあるんですか?
    坂本 お兄さんのマウリシオ先生に呼ばれてきたんですよ。 ブラジルは経済的に不安定で、日本のほうが平和で治安もいいし、仕事もあるということで。サトシは来日当初は最初は工場で働いて……『ブルテリア』のスタッフにエベトン(エヴェルトン・イワナガ)という人間がいて、当時からサトシやクレベルと一緒なんですけど。一緒に話をしてもいいですか?
    ――ぜひ!
    エベトン こんにちは。私はサトシ、クレベル、マルキーニョスと一緒に暮らしていたこともあります。
    ――強すぎる集団生活ですね(笑)。
    エベトン サトシはすぐに日本が気に入ったみたいで、わりと平穏な生活を送っていました。来日して1ヵ月ぐらいは工場で働いて、そのあと磐田のボンサイの道場で朝のクラスが始まったので、そこで指導を始めました。 
    ――どうして1ヵ月だけ働いたんですかね?
    坂本 そこは経済的な問題ですね。 お兄さん2人も工場で働いていて、やっぱり道場だけでは生活はできなくて。柔術はアマチュアスポーツなのでファイトマネーもないですし、スポンサー収入もなかなか厳しくて。 
    ――ボンサイ柔術の道場設立は坂本さんがサポートしたそうですね。
    坂本 そうですね。 マウリシオ先生が道場を作るとなったときに、やっぱり異国の地ですから外国人だとなかなか難しいじゃないですか。金銭面を含めて自分がサポートをさせていただいて。箱を作って道場が始まりました。
    ――そこまで親身になるって凄いですね。
    坂本 浜松には柔術道場はたくさんあって、いい道場もあったんですけど。 マウリシオ先生の人となりや技術を肌で感じて、自分が守りたいと思うようになったです。それで2004年にボンサイ・ジャパンが立ち上がって。
    ――サトシはスター候補でしたけど、当時のクレベルはどういう評価だったんですか。
    坂本 ボンサイ柔術の中のコンペティションチームの1人ではあったんですけど、当時のクレベルは勝ったり負けたりで。お兄ちゃんのクリスチャンのほうがすごかったんですよ。柔術の大会に出るとお兄ちゃんがたいてい勝って、クレベルが2位だったり。兄弟でワンツーフィニッシュする感じでしたね。でも、クリスチャンは結婚して子供が生まれたあとに柔術からフェードアウトしちゃったんですよね。
    ――ああ、格闘技だけでは生活が……もったいないですねぇ。 
    坂本 サトシは紫帯のときに来日したんですが、そのときクレベルも紫だったんですよね。そうすると比べられやすいですし、 クレベルもサトシにボコボコにされてましたね。それは他のみんなもそうなんですけどね(笑)。 

    左からマルコス・ヨシオ、マウリシオ、坂本氏、サトシ、クレベル・コイケ。

    マウリシオから坂本氏とクレベルに黒帯が授与されたときの記念撮影。
    ――ボンサイの中ではクレベルがMMAで最も成功してますが、彼はMMAを始めたきっかけはなんですか?
    エベトン クレベルはあの気性のとおりケンカが強かったんです(笑)。戦いが好きだったんですよね。その延長線上でMMAを始めたところはありますね。
    坂本 ボンサイにはそういうマインドがあって、根底には“なんでもあり”の考えがあるというか。
    ――シュレック関根さんが言うには「サトシはMMAをやるつもりはなかったけど、MMA に通じる柔術をやっていた」と。
    坂本 そうですね。柔術って技の数も多いし、他の格闘技と違ってルールの制約も少ないので、スタイルが幅広いんですよね。 同じ柔術でも戦い方は本当に人それぞれで、たとえばひたすら固めてポイントで勝つ人もいれば、 サトシやクレベルのようにボンボン一本を奪っていったり。なので柔術が強くても MMAに合う人・合わない人はいるんです。その点、ボンサイでやっていた柔術はMMAにマッチしやすかったのかなって思いますね。
    ――クレベルもMMAで活躍できたということですね。
    坂本 でも、クレベルはあそこまで行くまでに、すごく苦労したんですよ。
    ――お兄さんのように格闘技をやめる可能性もあったということですか。
    エベトン それはなかったです。クレベルはずっと格闘家でやっていくという信念がありました。途中でもう無理かなと思うことはなかったと思います。
    ――柔術とMMA、どちらを極めたいと思ってたんですかね。
    エベトン  最初は柔術でトップを狙ってました。MMAはお金のためにやってるだけであって。あと趣味ですよね(笑)。
    ――ケンカ好きだから(笑)。
    坂本 以前インタビューでクレベルが言っていたんですけど、外で他人を殴ったりしたら怒られちゃうし、場合によっては逮捕されちゃうけど。 MMA だと他人を殴ってお金をもらえると(笑)。

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