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どんな異常も毎日続けばやがてそれが日常になる。爆弾の雨が降り続く中でも人は眠るし、腹も減るし食べるし、排泄もすれば、セックスもして出産もする。なぜならそれが生命としての、すなわち生きることの本質だからだ。だから異常が日常になってしまうと「この日常は異常だよ」と声高に叫ぶひと握りの人間の方が気が狂っていると思われてしまう。
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時代の変化は人の変化でもあるのでしょうね。進化とはそういうことなのでしょうね。
しかし日本は第二次世界大戦で戦争の恐ろしさ、愚かさを学んだはずです。進化の過程に学習ということがなければ、また同じ過ちを繰り返します。
攻撃に対して武装する、確かに防衛という観点から必要なことでもあるのでしょう。しかし、過剰になると、また過去のあの日々と同じ道を歩み始めることになるかもしれません。
小原信治(著者)
>>1
戦争の恐ろしさ、愚かさは確かに学んだけれど、実際に教科書で学んだだけで経験はしていない。そういう世代がほとんどなのが現実だからこそ同じ過ちを繰り返そうとしているように思います。もちろん僕自身も学んだだけで経験はしていません。ただ心配症でビビリで、経済なんかよりも命の方が大事だと言い切れてしまうので今の防衛の在り方には疑問を抱いてしまうのですが、現実にこの国を支えている人たちは「経済がひと握りの命よりも優先される異常な世界」が既に日常になっているからこそ今のような防衛を推進する政府に賛同しているような気がするのです。