ある女優さんが「家庭を大事にしたい」という理由で引退を表明した。驚いたのはそのことよりも「よくぞ言ってくれた」と賞賛する専業主婦の声が少なからずあったことだ。彼女たちによると「働く女性ばかりが輝いている」という風潮(そんな風潮が本当にあるのかどうかは分からないけれど)の中で肩身の狭い思いをしていたのだという。
草の根広告社
「女子の「みんなで一緒にゴールしようね」が今ひとつ理解できない僕が抱く男としての危機感」
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コメント
コメントを書く女子ですが(でしたが、が正しいのでしょうか笑)
「一緒にゴールしようね」
「お手洗い一緒に行こうよ」
「どこどこに行くからついてきて、一緒に来てくれない?」
などなどが、めんどうだなー、と思ってました。
でも、
「ひとりだと寂しいからついてきて」
とか言える女子の方が、かわいいのかなー?
と思いながら、でもできないし、
めんどくさいなぁ……と中学生くらいに感じた気持ちは今でも変わりません。
未だにひとり、もしくは少人数で気楽に過ごす方が好きだし、
女子の集団の、
“表面は仲良いのに、裏でなんとなく何かある感じ”
が見えてしまうと、嫌だなぁ、と思ってしまいます。
「一緒にゴールしようよ」
と言い出す人は大抵一緒にゴールしないんですよね、すごく不思議でした(笑)
人それぞれ価値観が違うのは当たり前ですが、同じ女性としてこの女優さんの選択には少し残念に思いましたし、『よくぞ言ってくれた』意見にも違和感をおぼえました。
人との繋がりはもちろん大事ですが、誰かがいるから自分も輝けるはなく、自分自身で輝ける生き方を娘たちにはして欲しいと思います。
「男の人は女性と話すとき、
女性としての一般論を求めようとしますが、
実はそんなもの存在しないのです。」
以前読んだ小説の一節に
そんなセリフがありました。
今野敏さんの小説だったと思います。
「一緒にゴールしようね」
の女子の心理を、論理じゃなく
気持ちで理解するのは
女性であるはずの私にも
難しいです(笑)
「幸せ」を難しく考えずに語り過ぎずに
未来永劫変わらないモノと
期待し過ぎたりしないで
その都度自然と降りてくる
この感じをつかまえて
福山さんのこの歌詞が好きです。
こんな風に感じ取れればいいのになって、
心配性の私はいつも思います。
「輝いている女性」人によって捉え方が異なりますが、決して働いている女性だけが輝いているわけではないと思います。専業主婦だってママだって、みんな生きている立場立場で輝きを放っているのではないでしょうか。メディアでも働いている女性に輝きがあるかのように感じられる表現をしているように感じられますが、働いていないからといって輝きがないわけではないですよね。
女優さんの引退、それは人個人として選択したこれからの新しい道であり、賞賛したり批判したりではなく、新しい道の出発を応援してあげるべきではないかと思います。
輝かしいそうでない、そんなことを決め付けているから日本は住みにくいと思われるのでしょうね。人個々に人生の選択は自由です。
「みんなでゴールしようね」確かに女子はそのようなことを言いますよね。私は群れることが嫌いなのと、裏切りが必ずあるため、一緒にゴールはあり得ないと思うのですが。変わった人なので、私(笑)
>>1
女性にこの話を訊くと大体「あー、そういう子いたけどあたしはうざいと思ってた」というのはなぜなんだろうと今回思いました。
>>2
輝かなきゃいけないって強迫観念がどうもなあと思います。夢を叶えろ、とか。たぶん、前向きな目標を持たせると「教育」がしやすいからというのが、すなわち国の教育指導要領が原因だと思うんですが。別にだらだら生きてたっていいじゃん、人に迷惑さえかけなければと「サラリーマンにはならず遊んで暮らしたい」という反社会的な目標を持っていた僕は思います。
>>3
何を幸せと感じるかって確かに日々変わりますよね。なのに男性は「これ」と決めつけたがる。女性の柔軟性、素直さを見習いたいですね。
>>4
「みんなでゴールしようね」と言ってた女の子たちはどこにいってしまったんだろうと思いつつ、そこに含まれる淋しさや臆病な感じは、かわいいですよね。おばあちゃんたちが「ひとりで死ぬの怖いからみんなで一緒にゴールしようね」と言っててもアリなんじゃないかなあと思ったりします。
>>6 光り輝く必要はないのです。だらだら生きる(輝く)!大いに結構(^^)
要は人ありきでなければいいと思っています。
家族の為に生きても いづれ子どもは親元を離れますからね。守るべきものが無くなった時に自分を見失なっていないか…です。