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<菊地成孔の日記 令和二年 2月25日 午前6時38分記す>
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<菊地成孔の日記 令和二年 2月25日 午前6時38分記す>

2020-02-25 10:00
  • 38

 あんまりにも忙しいので(忙しい時に、「これこれで忙しい」って公表できないの、ものすごく辛いですね笑)、初の試みで、ここ数日で思ったことを箇条書きにしてみます。

 

 1)「今年からこの連載、写真が戻ってきます」と言っておきながらスンマセン。今、スマートフォンを持たない、僕のような人間に対する差別が手酷いことになっていて、完全に、最新型の差別だと思います。「スマホさえ持ってりゃすぐじゃん」という事が多すぎる。断固戦います。写真はスマホを使わずに何とか安定供給します。

 

 2)WACKの代表の渡辺淳之介は、坊主頭しか知らなかったんだけれども、髪伸ばして金髪に染めたら、何とカートコベインにロレックスだなあ。と思っていて、「もしや、、、、」と思っていたら、やっぱりだった(ニルヴァーナ聴いて高校中退したそうです。テレビで言ってた)。

 

 3)キングヌーは、音楽的には、ブルーハーツ型の音楽の教養主義型だから、物凄く図式的に現代的で、大変素晴らしいと思いますが、音楽そのものより、「ウルフ(単独行動)」から「ヌー(群棲行動)」の時代へ、という移行のセンスが素晴らしく、ヴォーカルの人がaikoと愛し合っても大好き!(僕、あんなことしたら、、、、っていうか、そもそも出来ないけど笑、、、、即死しちゃうと思います。脳の動脈瘤が破裂して笑)ただ、「クラシックやってた人は普段はクールで、ステージだとトランスする」という、見飽きたヨーロピアン・ヒステリーは是非モンで超克して欲しかったのでそこだけ残念。タバコを吸うところも藝大っぽい。藝大じゃない組はジャズ組っぽくて、そのミクスチュアもカッコ良いよね。

 
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他28件のコメントを表示

本日の吉田豪の格闘技本の書評集の出版イベントの対談相手が中井祐樹で、まさかゴルドーの話に触れるの?と思っていたら触れるどころか、近年会って話をしたとの事でした。
実にサラッとしたもんでした。

今ならYoutubeで見られます。(いつまで見られるか不明)
https://youtu.be/PUTQmsik0yE

No.31 57ヶ月前

ヘレディタリーもミッドサマーも、凄いものを見せられた気もするけど凄く陳腐なものを見せられたような気もしてモヤモヤしてたのですが、チャゼルのフォロワーと言われてようやく腑に落ちました。
緩急を付けるのがショック描写のみで後は適当に面白い絵面が平坦に並べられてる作りもSNS時代ならではなのかなと思います。

No.32 57ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>30

 「躁鬱 SOU・UTU」ですね笑。あれもマジで素晴らしいです。「サルトルで眠れない」とか、要するに、「フレンチ好きでもない癖に」あれが書けるので、そこがすごいです。大貫妙子さんが書くとか、高橋ユキヒロ(当時)さんが書くとかじゃなくて、「フレンチロリータ歌謡」として秋元康が書いてしまう。というのが、後の「一番偉い人へ」とか、「川の流れのように」とか、全部が本業じゃないし、全部が本業。という感じで、数少ない、日本の、本物の職人だと思いますね。

 48グループへの提供も、演繹的/巨視的に「アイドルグループが本業じゃないのに(以下同文)」という言い方も出来なくもないですが、単なる作詞家ではなくGP&CEO業兼。「アイドル」というカルチャーの、マーケットを超えた文化的な肥大。という係数を入れると、秋元康は単純に「変わったのだ」ということができます。何でも演じられる天才だった渥美清が、生涯を車寅次郎役に捧げた、という形式に似ていると思っています。もう「奇跡の職人芸」は見れないし、引き継ぐ者も見当たりません(僕も無理)。

 セシルとセシルだけではなく、当時、一つのコンテンツとしてカウントされていた「擬似フレンチロリータ/アニュイ」という枠があって、まあ、好景気熱病みたいなもんですが笑、僕の青春というか、気が緩むとアレになっちゃうんで笑、自分のルーツの一つとして大切にしながら、エモい物や技巧的な物を書いています。


No.33 57ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>31

 中井氏が「明日の格闘技」というツイッター本を出した時に対談のオファーがオファーがあったんですが、余りにシリアスな方ですし(悪い意味ではありません)、なにせ「対談したら、絶対にゴルドーの話を聞いてしまうな。だったら止めておこう」と思い、丁重に辞退させていただきました(他にも、「高専柔道について知らなすぎる」とか、理由は多層的でしたが)。

 ただ、バリトゥードジャパン第一回の時から、中井選手のゴルドーに対する怨讐の念は感じませんでしたし、というか、当時はバリトゥードを総合格闘技ではなく、命懸けの果たし合いだと捉えるのが一般的だったこともあり(これは、文化的によくあるケースとはいえ、やはり凄いですね)、ゴルドーはゴルドーなりにそうしたのだ。という敬意すら感じました。なので、タブーではなかったのだな、やはり、と思いますね。

No.34 57ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>32

 「とんでもない短編があるから見てみろ」と言われて(そいつが信頼できるやつだったから。というのもあったんですが)油断してついつい見てしまったら

       ↓

 「男の子が/父親をセクハラ(事実上の、毎夜のレイプ)をしている家族/母親は見て見ぬ振りをしているが、息子が嫌がる父親にフェラチオしたりしているのを日々目の当たりに/父親は狂って外に飛び出し、死亡/母子家庭に/色々あるが最終的に母親が息子を殺す

 という、とにかく「悲惨なら何でも良い」ような短編で、それがアリ・アスターの作品でした笑。まあ単純に、短時間だったし、そのうち忘れるから良いとしても、はっきりと後悔はしましたね笑。

 僕は、極限的な表現を認めないわけでは全くありません。そして大体において、「極限的」と言えば、これもフロイドですが、人が溜め込んで、「極限的に噴出させなければならない物」は、幸福とか平和ではなく(「ハードコア・ピース」というのは、平和の極限値が戦争と円環的に繋がっている。という意味です)、暴力だとか、悲惨さだとか、概ねソッチ方面に偏りがちですが、それでもなお、優れた表現はあると評価しています。

 ガロ時代の根元敬のイマジネーションとか(一見、冒頭の短編など、物がちゃんと見えないト民に「根本敬の漫画みたいな」とか言われそうです)、ペンデレツキのトーンクラスターとか、我が国の、メルツバウ等々、優れたハードコアノイズだとか、ボッスの巨大絵画とか。小説でも、僕のオールタイムベストの一冊には、ジャージ・コジンスキーの「異端の鳥」という凄まじいのがあり、これは始まりから終わりまで、残虐で悲惨な描写がずーっと続く小説です(コジンスキーはホロコーストトラウマで失語症を数年間患った病歴があり、57歳で自殺しています)。発表当時は賛否両論となったデイミアン・ハーストのエグい作品(「1000年」という題名の、腐った牛の首を、たかっている蝿や蛆ごと展示がブレイクスルーですね。ハーストは今でも元気ですが)も、まあ、すごく力はあるよな。病理のあり方がベタすぎてアレだけど。と思います。鬱状態にある患者が「明るく元気な物語は気が滅入る。むしろ悲惨な話の方が救われる」と感じることにも、全面的に支持は出来かねますが(僕はこれを、いわゆる逆療法とは考えず、ソフト自傷と考えるので)、全く理解できない。という話ではありません。

 ただ、こうしたものが評価できるのは、その作者や作品、という第一リージョンも重要ですが、その1歩前に、「総合芸術ではない/大衆娯楽に奉仕するものではない」という濾過を経ており、大衆娯楽であり(もう、「ミニシアター系」というコンセプトは、実態を失い、ピュア・コンセプトになっちゃってますし、実際アスターの作品は地下の映写室ではなく、世界中のシネコンで上映されます)、不完全ながら総合芸術である「映画」というシーンでは、かなりハードルが上がると思っています。

 僕は映画でいうとシュレンドルフの「ブリキの太鼓」をセーフティラインにしており「高いねー。ラインが」と言われることも多々あるんですが笑、映画はコードがあるので描写そのものの内容は上限が保証されていることも手伝い、その表現に感動させるものがあるかどうか、のラインで、「神々の黄昏」はギリでセーフですし、「ソドムの市」は楽々セーフです。ダーレン・アレノフスキーの初期作品「レクイエム4ドリーム」とかは完全にアウトですね(アレの試写会場で最初のパニック発作があった。そして、必死に前の席の人のスーツを掴んだら、振り返ったのが蛭子能収さんだったという悪い思い出笑、も加味され)。

 それこそ料簡を変えて(つまり「改心」し)「レスラー」とか「ブラックスワン」とか作ったアレノフスキーや、グロではないけど「セックスと嘘とビデオテープ」(僕はこれ、アドラー心理学と日本のAVを勘で結びつけた珍品として好きですけど)から「改心して」、オーシャンズや「恋するリベラーチェ」までやってるソダーバーグなどは評価しますが、「後で改心する監督の、若気の至り」と、「生涯それやってた」との差を、ブレイクスルー作の時から見極めないと、批評家とは言えないと思っています。僕が「ハーストではなく、チャゼルの方のデミアン君には改心の余地を与える」と、上から目線で言ったのはそういう意味です。「ファーストマン」では、少し改心して偉かったねデミアン坊や笑。という感じで、アリ・アスターは今、若気が至ってる最中、に僕が有り金ぜんぶ置きますね。5年後ぐらいにHBOで学園モノとか撮ってると良いよ。太古の昔からあったエグフェチにSNSが引き起こす病み方を掛け合わせて適合してるだけだろ。別にいいけど、そんなマーケットどうでも良くない?もうカルトとかB級とかないんだからさ。

No.35 57ヶ月前

チャゼル、次作はムーンライトのアンドレ・ホランド主演でパリのジャズクラブが舞台のNetflixドラマだそうです。どうなりますことか。

でも菊地さんのチャゼルへの一番クリティカルな批判が音楽やジャズがどうこうではなく映画評論ど真ん中の話だった事をプロアマ問わず誤解されてる方が今だに沢山いらっしゃいますね。

No.36 57ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>36


 誤解や斜め読みはもうしょうがないですね。SNSでテラレヴェルに爆発したとはいえ、昔からあったし、表現行為に含まれる不可欠要素だし。

 チャゼルは「一音間違えたら射殺されるという状況でコンサートをするクラシックピアニストの話」というのが「LALAランド」の後に控えていたんですが笑、あいつただのハラスメントへのトラウマ持ちですよ笑。

 音楽、特に初動の教育には、ハラスメントが生じる可能性がかなり高いんですよね。僕は、それによって折れてしまって、音楽が怖くなってしまった人々の元に、音楽の喜びを奪還させるためにペン大をやっている側面もあります。

 だからつまり、チャゼルの本質はハラスメントへのTPSDだから、物語が書けない。TPSDっていうのは一種の静かな錯乱状態なんで、錯乱してんのね。呪って呪って、一発バチコーンって打ったら、あとは惚けちゃうわけですね。話が転がせない=30分以上の観客の誘導が出来ない。かましてフラフラになってる客に、グダグダな仕事見せて「すげえもん見た」と思わせるだけの

 んで、これを

 1)昭和の、やりすぎ熱血少年漫画(梶原一騎世界)みたいに誤解しちゃって、バカの中年が萌える(オッサンの杜撰さ=可愛さ)

 2)SNS時代に、セコいPTSDでがんじがらめになってるクソみたいなガキ(とは限らない。というか、「ガキ」は14から44ぐらいまで)の感受性にぴったりくる(単なる現代病=サブカル嫌いのサブカル自家中毒)。

 という現象が起こるわけ。そして、恐るべきことにはですなあ、(1)+(2)の合算数は侮り難く、っていうよりシンプルに言ってメジャーでしょう。マイノリティである僕の正しい意見なんか、マッチョでバカの集団に対しては耳鳴りみたいなもんですよ笑。


 僕のセッション批判を、「ジャズの専門家から見たらダメなんだろうなあ」という落とし所で合理化したすべての人々は、僕に漠然と賛同しようと、僕を「ジャズ警察」とか言って、引きずり落とそうとしようとどっちも同じ、非常に平均的なマッチョだと思いますよ。

 だって「自分はジャズわからない→でもジャズ映画について語ってる(賛美的に)→そこに「ジャズの専門家」が来て、ボロカスに言った」この段階で、怖くて仕方がないと思います。まあ、僕が、絵に描いたような「専門馬鹿」で、言ってることに説得力がなかったら一蹴できたろうけど。

 彼らは言外に、「わからないことを語ってはいけない」と思ってるのよ笑。ついでに言うと「わからないことがないように=負けないように=叱られないように=恥をかかないように、いろんな勉強をして、武器を身につけておく(アメリカに留学。とか笑)」と考えているのよ。こんなもん絵に描いたようなマッチョですよ笑。

 そんなこと言ったら、映画批評家って、専門分野の作品しか批評できなくなっちゃうし笑。よしんばそれはそれで良いとしても(サッカーのルールも知らない僕だって「少林サッカー」はすごい面白かったし、クラシックバレエについてそこそこ知っている僕が「ブラックスワン」観て「考証むちゃくちゃだなあ笑」と思っても、作品はそこそこ良いじゃないですか。それで良いんじゃないの?)、彼らがタチ悪いのは「お前わかってない」「お前、何も知らないくせに」と言って、下の者にパワハラして自分を上げたい。と云う、マッチョの行動規範に忠実なんですよ。保安官のファンは、少年マッチョか、「この人、危なっかしいけど可愛いなあ」と云う、母性の持ち主ですよ。

 マッチョは未熟な後輩をボッコボコにするし、自分を抜きかねない才能(脅威)は潰しにかかるし、一方で、自分が、自分より物知りな人に否定される=叱られる=恥をかかされる事への、尋常じゃない(殺されるぐらいの)恐怖があります。

 そしてあんな、単なるマッチョの自己防衛暴走(だってそもそも、いきなり手錠かけにきたんだから。アメリカのマッポでしょう笑。あんなもん論争でも対決でもない。不当逮捕と正当防衛の記録じゃないですか)を「菊地、町山論争」なんて云う構えでプロレスみたいに捉える奴らがト民なんだとしたら、我が都にフェミニズムなんて永遠に定着しないですよ。

 僕をセクシストだからアンチフェミニズムだとか言ってる馬鹿ト民がいっぱいいるけど笑、フェミの人はミートゥーなんて言ってないで、まず、リアルなチンコじゃなく、イデオローグとアクティブのチンコをブンブンに振り回して何とも思ってない奴らを一人一人吊るし上げて息の根を止めないと笑。僕みたいにずっと女性とバディを組んで仕事している人間だって、フェミニズムの稜線を踏み越えないように、常に女性とは向き合っています。マッチョにはこのMVは絶対に理解できないですよ。女性は女性だけでここまでの表現に辿り着いたし、今のローマ法王が(カソリックの歴史上初の)有色人種であることを知ってる人は少ないです。

 デュア・リパ/ニュー・ルールズ
https://www.youtube.com/watch?v=k2qgadSvNyU

No.37 57ヶ月前

朝倉海が前田日明をメイド喫茶に連れて行ったYouTube御覧になりましたか?
プロレスはあまり詳しくなくアマプラのくりぃむ有田の番組からの知識が殆どなのですが、いつぐらいからあんな感じの雰囲気を出すようになったんでしょう。

No.38 57ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>38

このご質問は多数寄せられてはいるんですが笑。余りに日記の内容と関係ないので、ノーコメントとさせて頂きます笑(前田さんと海くん、と云うか朝倉ブラザースが楽しく遊んでいられる状況にある。と云うのは端的にとても素晴らしいと思います)。

No.39 57ヶ月前

ハンブレッターズ、菊地さんのブログで初めて知りました

菊地さんが発信する媒体はどうあれ、菊地さんがお勧めするモノを今後も楽しみにしています!

No.40 57ヶ月前
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