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  • “お隣”韓国の知られざる格闘技事情■PKヤドラン

    2024-11-10 21:524
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    もっと知りたい韓国格闘技事情!PKヤドラン@PKyadoran さんに解説してもらいました!(聞き手/ジャン斉藤) ★11月1日に配信されたものを活字化したものです


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    ・「これがRIZINか……」佐藤将光、センターラインを超える



    ――
    SNS上で韓国格闘技情報を発信しているPKヤドランさんにお話を聞いていきたいと思います。

    ヤドラン 初めまして、X上で「PKヤドラン」として活動しているものです。

    ――
    韓国といえば隣の国ですけど、じつは韓国格闘技界のことは知らないことが多いんじゃないかということで。まず、ヤドランさんはどういった経緯で格闘技界に関わるようになったんですか?

    ヤドラン
     もともと私はK-1で活躍してた長島☆自演乙☆雄一郎選手が大好きだったんです。その試合を観に行くようになったことが始まりですね。

    ――
    それは、日本に住んでいて?

    ヤドラン
     いや、韓国から試合のたびに来日していました。私はもともとアニメが好きで、長島選手もアニメオタクとして活躍していたじゃないですか。そこがちょうどマッチしたんですよね。といっても、最初は私は長島選手のアンチで「格闘技を舐めてるのか!」みたいな(笑)。

    ――
    ハハハハハ!

    ヤドラン
     でも、ファイトスタイルを見たらめちゃめちゃ面白くて、見ているうちに「この選手は面白いな」と日本まで応援に行くようになりましたね。

    ――
    そこから日本語も覚えていったんですか?

    ヤドラン
     日本語を初めて覚えたのはアニメだったんですけど、もっと詳しく学ぶようになったのはやっぱり格闘技です。

    ――
    現在は格闘技関連のお仕事もされてるんですかね?

    ヤドラン
     主にキックボクシングに関する仕事ですね。日本から試合のオファーがあったら韓国でキックボクシングをやっている選手を紹介してアテンドするという。

    ――
    マネジメントとまではいかないまでも、窓口としての活動をされているわけですね。キックの韓国人ファイターといえば、最近はRISEとかに参戦している印象がありますが、他の団体でもオファーはあります?

    ヤドラン
     大阪のDEEPキック、名古屋のホーストカップ、NJKF(ニュージャパン)、あとはKPKB(九州プロキックボクシング)という団体にも関わらせていただいてます。

    ――
    けっこう需要があるんですね。

    ヤドラン
     やっぱり韓国人ファイターは勝っても負けても試合が面白いと言ってくれる関係者が多くて。それに地方都市の興行も、日本人同士の対決より日本人vs海外選手のほうが盛り上がりますから。

    ――
    そもそも自演乙さんを知る前から格闘技のファンではあったんですかね?

    ヤドラン
     ファンというか、格闘技を見るようになったきっかけはチェ・ホンマンですね。

    ――
    チェ・ホンマンといえば韓国相撲シルムの横綱で、K-1にも参戦していた大巨人ファイター。

    ヤドラン
     私はそもそもK-1やPRIDEはまったく知らなかったんです。チェ・ホンマン選手がシルムを辞めてK-1に行くというニュースが韓国で流れて「K-1って何?」と。もちろんチェ・ホンマン選手が出場する前にも2004年にK-1韓国大会が開催されてますが、そこまで韓国でK-1は浸透してはなかったんですね。本当にチェ・ホンマン選手がK-1出場してから人気がパッと広がっていったので、私もそれで知ったうちのひとりでした。

    ――
    じゃあ、チェ・ホンマンを獲得したのはK-1にとって凄く大きかったんですね。ちなみに、いまシルムって完全になくなってるんですか?

    ヤドラン
     なくなってはないんですけど、正直盛り上がってはいないですねえ。80年代、90年代は凄く人気があったんですけど、いまはプロのシルム選手といっても本当に誰がいるのかとわからないくらいで。それに、協会のゴタゴタとかでシルムの団体も全部解体して。チェ・ホンマン選手がK-1に行くことになって「オレもK-1に行く」という選手たちもたくさんいましたし。

    ――
    韓国相撲という日本の相撲を連想しちゃいますけど、組織としてはけっこう不安定だったんですかね。

    ヤドラン
     けっこう内部でも揉めごとがあったりして。韓国ではそういうところがあるんです。だから格闘技団体も1回、2回、パッと格闘技の興行を開いて、お互い揉めて潰れるというのはよくある話です(苦笑)。

    ――
    そういえばボク、K-1韓国大会に行ったときに「韓国ってチケットを買う習慣がないんだよ」と言われたことがあるんですよね。

    ヤドラン
     ああ、一般のチケットは売れないですね。たとえば、ジムの選手が出たらその会員さんがチケットを買って観に行くみたいなことはありますけど、一般のファンがチケットを買って見ることはほぼないです。韓国は格闘技にお金払わなくても観れるんですよ。たとえば、日本だとUFCやRIZINはPPVでお金払って観ますけど、韓国はUFCもテレビで無料で流されてますから。いまはそれも徐々に変化してるんですけど、基本的に格闘技にお金払う文化がないですね。

    ――
    ボクが観に行ったK-1は1万人以上のお客さんが入ってましたけど、あれはほとんど招待券なんですかね?

    ヤドラン
     うーん、そこはわからないですが、たとえば「韓国スポンサーのショッピングサイトで一定の値段以上を買ったらキャンペーンでチケットもらえます」みたいなキャンペーンはよくありますね。私も一番安いチケットを買ってK-1を観に行ったことがあるんですけど、会場にいたら「無料でいい席に移れますよ」という感じでリングサイドで観たことがあります(笑)。

    ――
    そういう中、チェ・ホンマンが参戦していた旧K-1がなくなって以降、韓国格闘技界はどうなっていったんですか?

    ヤドラン
     韓国にはもともとキックの団体はなかったですし、いまはKTKという団体が長く続いているんですけど、そこも1~2ヵ月に1回のペースで大会をやってるぐらいです。でもそれ以前は、ほぼやっては潰れ、やっては潰れての繰り返しで。

    ――
    やっぱりお金を払って観る習慣がないから経営も大変という。

    ヤドラン
     それもそうですし、さっき言ったとおり結局、揉めて潰れてるんで(苦笑)。

    ――
    とにかく揉める! 一方でMMA団体はいつぐらいからできるようになったんですか?

    ヤドラン
     じつは2003年から韓国でも総合格闘技団体はあったんですよ。ただ、それはちゃんと競技場じゃなくて、日本でいうクラブみたいなところで開催されていたというか。

    ――
    いわゆるクラブファイトのような。

    ヤドラン
     Gimme Five(ギミー・ファイブ)という団体なんですけど。それは選手が事前に準備して試合に出るわけじゃなく、本当にその場その場で登録して舞台に上がって試合するんです。そして勝てばファイトマネーが日本円で4万円、負けても2万円という。お金がほしいから格闘技経験がなくても上がる人とかもいましたね。ただ、死亡者が出てしまったことがきっかけでイベントが潰れて、代表もめちゃめちゃ借金に追われてという。

    ――
    それで法的にも開催が難しくなっていったんですね。

    ヤドラン
     法律もそうなんですけど「格闘技は怖い」という印象が植えつけられて、いまも昔の人たちは格闘技に対していい思いを持ってない人もけっこう多いです。いまもROAD FCに目をつけている市議員が「総合格闘技はスポーツではない」という発言をしてたり。だから、ROAD FCのジョン・ムンホン会長は政治家たちとも仲良くしてめちゃめちゃ頑張ってるんですよ。

    ――その後、国内団体に関してはいつくらいから定着してきたんですか?

    ヤドラン
     ROAD FCは2010年の立ち上げで、その時期は日本格闘技界の冬の時代にも重なるから、ROAD FCには日本人ファイターも参戦していたんですよね。そのあと中国のスポンサーがついて、そこから韓国の総合格闘技がどんどん定着しはじめた感じです。

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    ・日本格闘技界はドーピングにどう向き合うべきか■大沢ケンジ☓タケ ダイグウジ


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    <配信予定>
    斎藤裕「RIZINとコロナは格闘技をどう変えたのか」
    ・語ろう「RIZIN名古屋」 ゲスト扇久保博正

    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/202411

     
  • 日本格闘技界はドーピングにどう向き合うべきか■大沢ケンジ☓タケ ダイグウジ

    2024-11-09 20:52
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    9月に配信された大沢ケンジ☓タケ ダイグウジのドーピング対談の活字版19000字です!(聞き手/ジャン斉藤)


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    川尻達也vs鈴木芳彦「RIZIN開国の不毛な議論」23000字




    ――
    今回のDropkickスタジオ配信のテーマは「ドーピング」です。まずはドーピング関連の話題でお世話になっているトレーナーのタケ ダイグウジさんです。

    タケ よろしくお願いします!

    ――そしてもう1人は、検査をしたら何か反応が出てしまうんじゃないか……という「鉄の喉」の持ち主・大沢ケンジさんです。

    大沢 ハハハハハ。たしかに怪しい顔立ちはしてますけどね(笑)。

    ――喉は壊れたことないんですか?

    大沢 ボクね、小さい頃に喉が潰れたんですよ。小学3年生ぐらいのときに声が出ない時期が1年ぐらいあって。そのときに腹から声を出さないとダメだとわかって、それで発声が変わったんですよね。喉ドーピングはしてないです(笑)。

    ――大沢さんの疑惑が晴れたところで、一時期よりは風化まではいかないですけど、ちょっと鎮火した感じがあるドーピングについて語っていきます。だいぶ落ち着いたからこそ振り返れることもあるので、よろしくお願いします。

    大沢 まあいろいろと騒ぎになりましたけど、すごく勉強になる期間だったなと。いままで噂話で耳にすることはあったんですけど、今回のことでリアリティを持ってドーピングが近づいてきてる。各方面に話を聞いたら意外とカジュアルにやってるんだな、みたいな。

    タケ それ、誤解されそうですけど、カジュアルにやっているのは格闘技界じゃないですよね?(笑)。

    大沢 あ、そうです(笑)。ボディビル方面なんですけど、トレーニングされてる方に聞いてみると、意外に……普通にやってることを口にするじゃないですか。「ちゃんと専門家に聞いてやってますよ」「あんまりネットで買わないほうがいいですよ」とか。

    タケ ボクも一時ボディメイク系の選手を指導してたことがあって。ボクが教えていた選手たちは当然ナチュラルでしたけど、「あれ?この選手、急に身体がでかくなったな?」という選手はまあまあいたんですよね。

    ――ボディメイク系以外の競技はどうなんですか?

    タケ 他の競技では基本的に聞いてないですね。

    大沢 相撲はどうですか?

    タケ まあ、相撲は無法地帯なので(苦笑)。

    ――相撲は検査がそこまで厳しくないってことですか?

    タケ いや、ゼロでしょ。まあ伝統芸能ですもんね。

    大沢 ボクは話を聞いたうえだけの知識なんで。詳しい方からしたら「違う」って言われるかもしれないですけど……ステロイドを使うとどれくらい身体が大きくなるのかを聞いてみたんですよ。ドーピングなしで本気でトレーニングして、食事をめっちゃくちゃ取る場合、筋肉量は年間マックスで2キロぐらいですよね?

    タケ ナチュラルだと2キロですね。

    大沢 で、ステロイドありだったら半年で5キロ増えますって。

    タケ ですね。年間10キロは増えますよ。

    大沢 あと練習がガンガンできるようになるんですよね。アナボリック・ステロイドだったら1日3部練は安定していけると。

    タケ そこは薬の種類によってだと思うんですよね。完全に筋肥大だけ狙ってくると逆に心臓に負担かかってしまうから。

    大沢 ボクはいままで、ステロイドでパンパンの60キロと、ナチュラルでパンパンの60キロは結局筋肉だけだったら同じじゃないの?って思ってて。ステロイドを取ってもあんまり意味ないんじゃないと思ってたんですけど、練習量が増やせるとなると、ちょっと話は変わってくるんですよね。

    タケ そこが相当なメリットじゃないですか。回復力もアップして、靭帯や腱も強くなってケガをしにくくなる。

    ――これだけで現場に携わっている大沢さんでも、日本のMMAソーンにドーピングが浸透している雰囲気は感じなかったわけですよね。

    大沢 全然です。これは本当の話ですよ。HEARTSはあんまり出稽古してないし、そんなに積極的に外で練習する奴はいないんですよ。だからあんまり情報が入ってこなくて。噂では「◯◯はやってる」と聞くことはあるんですけど、実際はどうかはわからない。体感としてはなかったんですよ。

    ――大沢さんの現役時代もですか?

    大沢 そうです。

    タケ ボクも日本人に関しては耳にしなかったですね。けど、ボクがMMAファイターを見出したのはここ15年ぐらいだから。それは2010年の手前ぐらいで、国内でいうと格闘技が下火になってきて、軽量級の選手が多くなったとき。身体の大きい日本人選手が少なくなっていたから、それ以前のことはわかんないですよね。

    ――2000年代の頃は怪しい選手はチラホラいたんですけど。

    タケ ちょっと名前が出せないけど、「うーん……」っていう選手はいましたね。

    大沢 それはヘビー級ですよね?

    タケ ヘビー級もそうですし、中・軽量級でも……。

    大沢 ……あ~(笑)。ちなみにボクの知り合いの選手がアメリカで試合したときに試合前に興奮剤を1錠飲んだけど、全然興奮しなくて。試合直前にもう1錠、飲んだんですよ。そうしたらめっちゃ興奮して1ラウンドはガーッとめちゃくちゃ攻めたけど、2ラウンド目は鬼のように失速して結果はドローになった先輩がいて(苦笑)。

    ――急に失速する外国人ファイター、けっこういましたよね(笑)。

    大沢 高阪(剛)さんが言っていたのは、高阪さんがUFCに出ていた頃(90年代~2000年代初頭)って海外の連中はとにかく気性が荒いと。控室でも吠えまくってるんですよ。しばらく経って気づいたのが「みんな興奮剤をやってるから興奮しているんだな」と。そんぐらいカジュアルというか、あたりまえに浸透していたってことですよね。

    ――ちょっと前まで海外のメディアが「PRIDEは薬物天国だった!」と騒いでましたけど、正直どの口が言ってるんだと思ってましたよ(笑)。

    大沢 他のスポーツでいえば、自転車もドーピングがハンパじゃなかったですよね。ランス・アームストロングとか。

    タケ あのへんは血液ドーピングの始まりみたいな時期ですよね。

    大沢 もちろん格闘技も昔の動画を見ると、とんでもない身体してるなって思いますよ。肩周りとかハンパじゃないし。

    タケ 国内だとZSTに出ていた某外国人は「あ、入れたな」ってわかりましたね。明らかにテンションがおかしかったし。

    ――昔は外国人が吠えながら入場してくるじゃないですか。試合前だから無駄なスタミナを使う必要はないんですけど、いまとなってみては興奮剤がものすごく効いていたんだなと(笑)。

    大沢 これ、名前を出していいのかわからないですけど、修斗にも参戦していたUFCファイターの◯◯。控室が同じだったんですけど、めっちゃテンションすごくて「これはやってんのかな」って思っちゃいましたよ。

    タケ あっ、ボクと水垣(偉弥)もUFCのときに◯◯のテンションはヤベえだろって話になったんだけど、ナチュラルなんじゃないかなって。ただテンションの高い人(笑)。

    大沢 マジっすか? あれ、尋常じゃないですよ?

    ――結論としては選手の皆さんは控え室でおとなしくしたほうがいいんじゃないかってことですね(笑)。

    ・軽くなる計量オーバーの罪悪感
    ・赤沢幸典という男
    ・「選手が使いたい」と言い出したら…
    ・ドーピングは「精神と時の部屋」
    ・練習しない奴に効果なし?……19000字対談は会員ページへ続く


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  • 【全女伝説】前川久美子「どっちかが死ぬんじゃないか…と思う試合はいくらでもあった」

    2024-11-06 10:20
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    90年代から伝説のプロレス団体・全日本女子プロレスで活躍した前川久美子ロングインタビュー!!(この記事は2019年4月に掲載されたものです)


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    ・“3人目のクラッシュ”が回想する『極悪女王』の時代■伊藤雅奈子




    ――
    前川さんは90年代の全日本女子プロレスというシャレにならない時代を生き抜いたわけですよね。

    前川 シャレにならないというか、まあ当時はあたりまえのことでしたけどね。

    ――あ、ご自分では普通だと感じていた。

    前川 うーん、普通というか……たとえばスターダムで起きた世志琥の事件(安川惡斗戦)とかも全女では日常茶飯事だったし、あんなので謝罪会見するほうが間違っていますから。

    ――試合が壊れちゃったやつですね……。前川さんと同じ意見はあの事件直後も出てましたね。

    前川 訴えられるだなんだで言ったら、そんなの全女の先輩たちの制裁シーンなんかいくらでも映像に残っていますよ。たとえば、北斗晶さんが三田英津子さんと下田美馬さんと一緒にラス・カチョーラスというユニットをやっていたときに、試合で何もできなかった2人を北斗さんがバックステージでボコボコにしてた映像とか。ウチらもそれが普通で育ってきているから。

    ――では、そういうお話も含めてお聞かせいただければと……。前川さんの全女デビューは1991年ですが、入門のきっかけはなんだったんですか?

    前川 クラッシュギャルズの影響ですね、とくにライオネス飛鳥さんの。私は高3のときに合格したんです。全女のオーディションって中3から高3までしか受けられないんですけど、最初に書類を送った中3のときは書類だけで2000人の応募があって、フジテレビで面接を受けたのが約300人、最終的に合格したのが10人前後でしたね。

    ――狭き門すぎますねぇ。当時はそれくらい憧れの職業で。

    前川 もし私が中3で合格していたら井上京子さんや井上貴子さんと同期でしたね。私は高3のときにようやく受かりました。ただ、毎年最終面接までは行っていたんですよね。

    ――毎年あと一歩だった。

    前川 高3となると、いよいよ卒業後の進路を決めなきゃいけないんですけど、私は高校で就職組のクラスにいたから、そのまま普通にしていると夏ぐらいに就職が決まっちゃうんですよ。でも、それだと翌春のオーディションを受けられないので、いきなり進学組にクラスを変えたんです。ただ、その年にかぎって全女のオーディションが1月じゃなくて3月になって焦ったんですけどね。

    ――3月って進学も就職もほぼ決まってる時期ですよね。

    前川 専門学校の試験はだいたい1月にあるんですけど、私は「3月に試験がある学校を受けるから」と言い張ってました。担任の先生に「なんで、わざわざ3月の厳しいときに受けるの?」と言われたんですけど、担任にはプロレスやりたいということは明かさずに「ちょっといろいろあるので」と。

    ――担任の先生も凄く謎だったでしょうね(笑)。

    前川 だって、専門学校は受かったら1週間以内に入学金100万円とかを納めないといけないんですよ。行くかどうかわからないのに、そんな無駄なことはできないじゃないですか。だから、オーディションを基準に受験できる専門学校を選んで、全女がダメならダメで、そっから受験すればいいやと思って。

    ――で、高3では無事合格するわけですね。

    前川 合格がわかった瞬間に「全女に受かったから専門学校は受験しません!」と言いました。そしたら先生も「なんだ、そういうことだったのか」と納得してましたけど。

    ――オーディションを受けるうえで、何か対策はされてたんですか?

    前川 私は小・中学校のときに水泳をやっていたんですけど、プロレスラーになるために受け身を教わりたいと思っていたんですよ。そうしたら自分の担任の先生が合気道初段、柔道初段、空手三段ということがわかって「柔道を教えてほしい」とお願いすると、なぜか空手まで教えられちゃって。「受け身を教えるから、空手もやれ」と。

    ――前川さんの蹴り主体のファイトスタイルは、そこが源流だったんですね。

    前川 高校は女子校だったんですけど、その空手部もウチらが入ったとき立ち上げられて、1年生で愛好会、2年生で同好会、3年生で部に昇格したんですよね。県大会で勝って関東大会に行ったりもしていたんですけど、ウチらが卒業してからその先生も他の学校に移っちゃったんで、そのまま空手部も廃部になってしまったんです。

    ――じゃあ、前川さんのためにあったような部活じゃないですか。

    前川 どうなんでしょう(笑)。部員もけっこういたんですけどね。

    ――高3で全女に合格したときは相当うれしかったでしょうね。

    前川 うれしかったけど、そこからがしんどかったですね……。練習のツラさではなく、先輩の理不尽さが。

    ――全女が過酷な世界だってことは、あらかじめわかってなかったんですか?

    前川 いや、全然です。同期は一般で入った私と違って、ほとんどが練習生あがりだから多少は知っていたかもしれないですけど。

    ――練習生は一般オーディションとはまた違う入り方があるということですか?

    前川 当時の全女は練習生というシステムがあって、月謝を払ってスポーツジムに通うみたいな感覚で全女の道場に通う人がいたんです。その子たちも最終的には一緒にオーディションに参加するので、受かるかどうかはわからないんですけどね。ただ、練習生の人たちはオーディションの流れもわかっているし、態度がデカいから「ああ、あの人たちは練習生なんだろうな」というのはすぐにわかりましたけど。


    ――「私はオーディションの連中とは違うんだ」という雰囲気を出すんですね。

    前川 でも、練習生あがりの人たちもけっこう複雑な面があって。たとえば、貴子さんは下田さんよりも後輩なんですけど、練習生でいったら貴子さんのほうが先輩らしいんですよ。でも、貴子さんがオーディションに受かったとき、もう下田さんは全女に入っているわけで、全女のキャリアでは先輩になるという。

    ――もうわけがわかりません!(笑)。入門当時の1日のスケジュールというはどういう感じですか?

    前川 まず、9時から全女ビルの掃除、10時からは事務所の手伝いか、全女が運営していたレストラン『SUN賊』でのお手伝い。さっき言った練習生を教えるのも新人の役目なんですけど、その当番の子は16時か17時ぐらいから指導します。自分らの練習はそれが終わった18時ぐらいからですね。

    ――事務所番というのは何をやるんですか?

    前川 ファンクラブの会報を郵便局から発送したり、あとは通販モノの発送手配をやったり。本当は、新人は朝9時前に朝練をしないといけないんですけど、忙しすぎてそんなのやってるヒマはなかったですね。

    ――当時は『SUN賊』も忙しかったんですよね。

    前川 『SUN賊』のお客さんは多かったです。ファンもいましたけど、一般のお客さんが多かったですね。全女ビルってちょうどオフィス街にあるので、サラリーマンが普通に食べにきてましたし。グッチャグチャになるぐらい混むときもあって、そこで忙しくしてると「私、ここで何やってんだろう……」みたいな。基本給6万円ぐらいをもらってやってましたね。

    ――あとの収入は試合給ですか。

    前川 試合給といっても、プロテストに受かるまではお金はもらえないんですよ。プロテストに受かったら基本給が7万円になって試合ができるんですけど、1試合1500円、勝ったら2000円とかだったかな。そういう時代ですね。

    ――プロテストはどんなことをやるんですか?

    前川 基礎体力、ブリッジ、受け身です。あとはスパーリングをやったりもするんですけど、つまりは会社が「この子はもう試合をさせて大丈夫か」を見極めるテストですよね。

    ――となると、全女に入ってもプロテストに受からない人もいたんですか?

    前川 ウチらの代はいなかったかな。でも、受からない人はいますよ。受からなかったらその下の代に落とされるんです。たとえば、一個上に鳥巣朱美という子がいたんですけど、鳥巣も落とされてウチらと同期になりましたね。

    ――高校でいえば、ダブった先輩みたいなもんですね。

    前川 そうです。でも、前年に入った人だというのはウチらもわかっているから、最初は「鳥巣さん」なんて呼んでいると、「なんで、“さん”づけで呼んでるんだ!」と先輩に怒られるという。本人も1年ぶんの経験があるもんだから、いろんなことを言ってくるんですよね。そうなると、ウチらも「おまえ、落ちたクセにうるせえな!」とかケンカになってましたね(笑)。

    ――同期でもケンカは絶えないわけですね(笑)。

    前川 絶えない、絶えない。殴り合いをしている代もあったんじゃないですかね。

    ――夜の練習は先輩方も一緒なんですか?

    前川 先輩方はみんな巡業に行ってるので、道場にはいないです。でも、日帰りのときは先輩たちが帰ってくるのを待ってないといけないから、練習が終わっても寝ちゃいけないんですよ。しかも、プロテストに受かってない子は道場では待てないんです。寮で先輩たちが帰るのを起きて待ってないといけなくて。しかも、プロテストに受からないと、先輩の備品とかにもいっさい触れないんですよ。

    ――そんなルールがあるんですか(笑)。

    前川 変でしょ? だから、先輩が帰ってくるのを見計らって道場を開けておくんですけど、先輩が到着しても荷物には触れないから、ただ寮で起きて待ってるだけで。先輩が道場を締めて鍵を寮に持ってくるんですけど、鍵を持ってくるときに先輩が階段を上りはじめたら、ウチらが階段を降りて鍵を取りに行かないといけないという。

    ――はー、それは毎日気が休まらないでしょうねえ。

    前川 先輩たちが巡業で帰ってこなかったら、夜は21時頃まで練習してスエットのまま渋谷に遊びにいったりもできたんですけど、どこでファンに見られているかわからないし、ファンに見られると全部先輩にチクられるんですよね。

    ――うわっ、親衛隊たちが見張っているんですか!?(笑)。

    前川 ファンはすぐチクるんですよ。たとえば、基本的に全女では先輩を見下ろす行為というのはダメだったんです。

    ――見下ろす行為?

    前川 あるとき、先輩が帰ってくるところをたまたま屋上から見下ろしていたら、それもチクられましたね。出待ちしていたファンの子が「誰々が上から見下ろしてたよ!」って。

    ――文化大革命の密告もビックリですよ(笑)。ファンもその選手が好きだから、気に入られたいがあまりチクるんでしょうね。

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