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中井祐樹の「東奔西走日記」12月1日〜14日編
2015-12-16 08:2651pt日本格闘技界の礎を築いたレジェンド、中井祐樹先生@yuki_nakai1970 が日常を綴る新連載! 今回は12月1日から14日までの東奔西走ぶりをお届けします!12月1日 火曜日 曇り G.R.I.P. 朝。BGMはクリフォード・ブラウンの…じゃないや、アート・ブレイキーの『バードランドの夜』。これ、録音状態が悪い、と☆☆2コしかつかなかったレビューが昔あったけど、このリマスターCDだと音も最高なんだけどなぁ…。 世評と自分の好き嫌いはいつもかなり違うんで気にしてませんがね。 書類を揃えて今日は長男の高校の入学手続きへ。嗚呼、いよいよサイは投げられた。 町田へ。ナカイの定番はノータイムリミット、サブミッションオンリー。試合が近いひとには試合に合わせるのでその限りではないですが。 あ、練習は是非直接「お願いします」って自分から言ってきて下さいね。私もやりたいときは自分からお願いしにいきますからね。 そりゃそうと18年前、1997年の今日はパラエストラ東京(当時はパレストラ)設立の日。そんな記念日に来年から発動する『G.R.I.P. (グリップ)』というイベントを発表させて頂いた。 いわば出張版・昼柔術。ただ単なる練習会にとどまらずミニセミナーや質疑応答、全員と絡むマンツーマンと参加者どうしの交流に茶話会などひっくるめてイベント化する、というわけです。 以前から中井セミナーでは後半スパーリングタイムがだいたいあって希望者全員と組んできたものの2、3分が関の山だし、ならばスパーに限らずに全員と絡むイベントを、と考えたわけです。 まさにナカイにしか実現できないイベント、是非ご期待を!12月2日 水曜日 曇りのち雨 ストップ&ゴー 図書館。今回はいつものジョニ・ミッチェルにラリー・コリエル、ディラン、アストラッド・ジルベルトほか。本も音楽もの多めに、ランダムに借りた。知的停滞は深刻やな…(泣)。 午後は中学校にて部活動協力員、ラスト2回ほどだ。若者よ、今を大切に!!(泣?) 夜、中島太一が帰国し顔を出した。早くも次にむけ動き出していた。明日を見据えよう。12月3日 木曜日 曇り 歯医者では敗者。 朝クラスでは中井お得意の技の比較文化論。このあたりは専門家です、ハイ。 結論は、「ルール等のフォーマットによって必要とされる技術は変わってくる、しかしそれにより発想が固くなるきらいがありそのために異文化・他競技を知ることが有効である」ってこと。それが楽しさを増すコツだしね。 とかなんとかエラソーに言ってても午後からの歯医者さんで泣きが入るワタシは情けなや情けなや…(苦笑)。12月4日 金曜日 晴れ カレッジレスリング話 夜はフォークスタイルことカレッジレスリングの話になった。日本はこんだけアメリカに影響されてんのにどうしてカレッジスタイルの試合だけ輸入しなかったのかね? 何回でも言うけど相手を下にし続けることや、自力で下から返すことに加えエスケープすることにポイントという目に見える評価を与える格闘技はこれしかない。この米国のみで受け継がれるレスリングスタイルがUFCをはじめとするアメリカンMMAの攻防やジャッジ観の礎になっていることは明白だ。 ただ、それを真似し同じものを導入しただけでは本家を抜かすことはできない。(それでも無いよりはマシだが。)必要なのはキッチリ認識することとそれを可能ならしめるシステムの発明だと思う。 パラ東では練習システムとしては認識させられつつあるが、何しろそれを分かりやすくポイント化した「競技」がない。(ポイント競技そのものを批判する向きもあるが笑止千万である。ポイントがあるから学習が進むのだ。ノーポイントと両立させれば良いだけだ。) せめて投げやテイクダウンのポイントがあるならリバーサルには同等、スタンドにエスケープすることにもその半分くらいのポイントは戻ってくる競技ルールが必要であろう。 目覚めよニッポン。12月5日 土曜日 晴れ REAL! 今日は横浜文化体育会にてREAL FIGHT CHAMPIONSHIP3。大晦日(日付は元旦、26時30分より)に放送になるTOKYO MXテレビでの実況解説としての仕事でした。 スタッフさんにひとしきり挨拶。レニー・ハートさんには梨やリンゴやらアーモンドをお裾分け頂きました。 そして解説のパートナーは旧知の高橋義生さん。やっぱ半端なく面白く、ヤバかった! OAにも乞う御期待、初詣にスマホでも観戦可能とのことです。12月6日 日曜日 晴れ デラヒーバカップ 毎年恒例のトリビュート大会、デラヒーバカップ。今年も会場はワタシにはお馴染み光が丘ドーム。普段はフットサルなどに使われてます。デラヒーバ先生と再会を喜びあいました。 今年はのべ500人にもおよぶ参加者。いったいどーしちゃったんだデラ杯! 以前は大会終了後デラヒーバ先生のセミナーも開催できてたのに。 これは長く継続されて広く受け入れられてきた証。また、忘年会前で時期が良かったり、DUMAUがIBJJFじゃなく独自ルールとなったことが影響したり、一般参加の増加だったり、JBJJF「改革路線」下のBJJプラスや柔術新聞などとの連携が功を奏した結果だと思う。 オールスタンディングのライヴハウス状態のなか、熱い試合が続きました。選手、関係各位お疲れ様でした!この続きと、謙吾、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ -
武尊vs那須川天心はなぜ実現しないのか?〜あるいは馬場イズムのキック公園〜
2015-12-14 00:0976pt年末格闘技興行RIZINに新生K−1勢が参戦! K-1 WORLD GP 55キロ王者の武尊、HIROYAを軸とした2試合がK−1ルールで行われることが発表されたが、RIZIN実行委員長の榊原信行氏は記者の質問に答えるかたちで「武尊vs那須川天心」の実現に向けて動いていたことをあきらかにした。キックファンがいまもっとも見たいカードとして挙げられている武尊vs那須川天心。以前から那須川サイドが対戦アピールを繰り返しているが、キック界では実現の気配はなかったため、第三者の舞台で地上波テレビを背景とするRIZINに期待が寄せられたというわけだ。古くは猪木vs馬場、記憶の新しいところでは田村潔司vs桜庭和志など、実現の可能性は浮かんでは消え、ファンをヤキモキさせ続けたスーパーカードはいつの時代にもあった。田村vs桜庭は数年の時を経てリングで対峙したが、この武尊vs那須川天心はどうなるのか。このカードの背景を格闘技ライターの高崎計三氏に伺った。
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◉事情通Zの「プロレス 点と線」・シュートで始まり、シュートで終わった棚橋弘至vsHARASHIMAの衝撃……煽りパワポではなくシュートパワポだった!・藤田和之vs諏訪魔の地獄はまだ続く!?・大晦日TBS魔裟斗vsKIDはガチで戦うのか?◉格闘技界のレジェンドが東に西へ!中井祐樹の「東奔西走日記」11月1日〜31日編◉OMASUKI FIGHTのMMA Unleashed・マーク・ハントの壮絶人生「BORN TO FIGHT」・ロンダ・ラウジーKO負けの衝撃波・進化するUFCのスター選手製造ノウハウ…明日のスターは誰だ!?・UFC独占禁止法違反集団訴訟が本格的に審議入りhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar920826
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――新生K−1(Krush)の武尊選手とRISEの那須川天心選手が「やる、やらない」で盛り上がってるので、本日はキックボクシング事情に精通している高崎さんにいろいろとお聞きします!
高崎 精通は微妙かもですが(笑)、お話できる範囲でよろしくお願いします。
――本題に入る前に、キックってプロレスと同じくリング外の問題でゴタゴタするイメージがありますよね。
高崎 キックは最近ゴチャゴチャしてるんじゃなくて、ずっとゴチャゴチャしてるんですよ(苦笑)。
――あらまー。そういえば、私も90年代はキックをよく見に行ってたんですよ。佐久間晋哉が全日本キックのチャンピオンだった頃まで。
高崎 なぜ佐久間晋哉が区切りに(笑)。
――そのあとの分裂をきっかけにあまり興味がなくなって。
高崎 なるほど。昔から揉め事はよくあったんですけど、要は情報化社会になって、より表に出てきた。これまではキックマニアしか知らなかったことが、なんとなく聞こえてくるようになったから「キックってそんなことになってるの?」と受け止められているところはありますね。
――ゴタゴタの主な原因は移籍絡みなんですよね。
高崎 それが多いですね。キック界がなぜ移籍に厳しくて、移籍金が発生することになったのかを考えてみたんですけど、70年代後半からテレビの後押しによるキックブームが起きたじゃないですか。あの頃にできたんじゃないかな、と。
――ボクシングに習ったわけじゃなくて?
高崎 もちろん参考にしたのはボクシングだと思います。初期のキック界はいろんな点でボクシング界を参考にしてきてて、階級もボクシングと一緒じゃないですか。連盟、加盟ジム方式も同じ。逆にMMAの場合は、お手本というか原型がプロレスだったんですよね。いまのMMAイベントは元をたどればプロレス興行の流れですし。ただ、いまはDEEP、パンクラス、修斗以外に単発のイベントも増えてきたじゃないですか。イベントをやり始めると「じゃあチャンピオンを作るか」ってことになって王座が乱立してきて、だんだんキックと同じ道をたどることになりそうですよね。
――日本のMMAイベントのあいだには「引き抜きはしない」という暗黙の了解みたいなルールがあるようですが、MMAファイターのジム移籍に関しては比較的自由ですよね。
高崎 キックは70年代のブームでお金を生んでいたから、移籍金なんかのルールができたんだと思うんですよ。MMAジムも早くから「選手がお金になる」ということになっていれば、話は違ってきますよね。
――実際にキックでは移籍トラブルで一時的にリングに立てなくなったり、そのまま引退せざるをえなくなった選手もいるんですよね。
高崎 そうですね。出て行かれたジム側が怒って、各団体にお触れを回したりすることもあるんですよ。「アイツを使うな」と。
――お触れ!
高崎 空手でもそういうことがあると聞いたことがありますけど。
――お触れを破るとどうなるんですか?
高崎 あんまり強引にやると、そこのジムの選手を試合に出してもらえなくなったりとか、団体を運営することであとあと面倒なことになったりしますね。
――なるほど。キックボクシングはひとつの統治された世界ではなくて、団体やイベント、ジムのそれぞれが独立国家として成り立ってるけど、同盟やら不可侵条約がボンヤリとながら結ばれているという。
高崎 そうですね。団体が少なかった頃は、お互いに「商売敵」という意識がもっと強かったと思うんです。たとえば90年代の全日本キックとMAキックですよね。それでも交流戦や対抗戦はありました。いまは選手の貸し借りはもっと当たり前にあるし、プロレス界と一緒でどこに誰が出てるのか複雑すぎてわからないというか。
――交流が当たり前の状態なんですね。行き来していない団体間はあるんですか?
高崎 ありますね。今後どこがどういう関係になるかはわからないから言いませんけど(笑)。
――今日の味方は、明日の敵になる(笑)。
高崎 団体間の交流が活発だから、どこかとトラブルになった選手はすぐ情報が回って他でも敬遠されますよね。だいぶ変わってきてはいますけど、まだまだキックジムって「押忍!」の世界なところが多いんです。選手にリングの選択権はほとんどなくて、そこはジムの会長が決めてきたりする。それに最初にジムに入門するときって「家の近所にあったから……」とかの理由じゃないですか。だけど、そこのジムはイベントAと付き合いが深くて、別の団体Bには出られないとか。そんなことを最初から理解してジムに入る選手って少ないじゃないですか。
――たしかに(笑)。
高崎 しかもイベントAに出られるからと思って入ったのに、情勢が変わって団体Bにしか出られなくなるようなケースも充分に起こりえるんですよ。この続きと、謙吾、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ -
柔術新技!? 逆亀ガード■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO
2015-12-13 23:5435pt新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回のテーマは「柔術で絶対に負けないポジション?」いろいろあって最近柔術がご無沙汰の私ですが、もうそろそろ復帰しようと思い柔術書をチラ見し始めました。数ヵ月柔術から離れていたのでどうしても以前よりは弱くなっているでしょう。きっと私より後に入会した人とかにもぼっこぼこにやられてしまうのでしょう。気分屋の綾乃ちゃんのことだから、スパーでも負け続けるとやる気がなくなってしまうかもしれませんね。そこで私は考えました。技を知らなくても、勝てなくてもいいから絶対負けない方法を。
そして私が思いついたテクニックがこちら。「逆亀」です。手をコンパクトに収納した土下座のことを柔術では「亀(タートルガード)」と言うのですが、ぐりぐりやればバックがとれたりコツを知っていればわりと簡単にひっくり返せるので、私は「亀」の体勢になることはほとんどありません。
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【大晦日サップ再戦】曙インタビュー「プロレスファンの皆さん、俺と一緒に入場してください!」
2015-12-10 21:4555pt大晦日RIZINの曙vsボブ・サップの再戦は厄介な試合である。元横綱と当時人気絶頂だった怪物のK−1ルールによる対決は、いまから12年前――2003年の大晦日『Dynamite!!』で行なわれ、NHK紅白歌合戦の視聴率を民放番組が初めて上回る快挙を成し遂げた。その一方で、あまりの内容のなさとあいまってゼロゼロ年代格闘技界の視聴率主義を象徴するカードとして、我々の心に黒い影と笑いを差し込んでいた。
その再戦を、K−1のライバルイベントだったPRIDEを運営してきた榊原信行氏が全面に立つRIZINがマッチメイクする。格闘技復興を掲げたRIZINが視聴率獲得のために手を伸ばしてもなんら不思議ではない。では、プロレスラーとしての地位を固めつつある曙はなぜ再戦は受けたのか? そこには12年間にわたる曙の執念があった。
「俺もおもいきりプロレスがやりたいですよ!」
――プロレス転向後、プロレスラーとして高評価を受けている曙選手が、再び格闘技に出られるということでプロレスファンは驚いてるんですよ! 失礼な言い方になっちゃいますけど「もう格闘技はいいんじゃないか」と。
曙 いや、格闘技っていっても今回だけですよ。それに俺はこれからもプロレスラーですし。でも、12年前の大晦日にボブ・サップに負けたことへの思いはずっとあったんですよ。「くやしい」「つらい」という気持ちをずっと持っていたからプロレスを続けられたところもあるんです。だからこれからもプロレスをやるためにも、この試合はやっておかなきゃいけない。これ、正直な気持ちなんですよ。
――今回のRIZINもサップとの再戦だから受けたところはあるんですね。
曙 オファーが来たときもサップだったら受けると。ほかの相手だったらやらない。格闘技界に足を踏み入れたのはサップ戦だったし。これは偉そうに言うつもりじゃないですけど、相撲界でも実績を残してるし、プロレス界でも実績を残してきた。実績を残していないのはここ(格闘技界)だけなんで。
――そこはずっと心残りなんですね。
曙 それはありますね。
――サップに負けて曙選手の人生も何か変わったところはあるんですか?
曙 サップに負けて? いや、自分の人生に何か変わったことはないんですけど。いつもどおり前を向くしかないなって。でも、サップにあんな負け方したら、ハワイに戻って誰もいない島に隠れて生活してもよかったわけだし。
――それほどの負け方だった……と。
曙 そうじゃなくてね、倒されても立ち上がって前を向いて進むしかないということです。プロレスに行ったときもプロレスファンは最初、決して温かくは迎えてくれなかった。でも、やるしかなかった。
――プロレスファンの冷たい反応は肌で感じました?
曙 もちろんです。最初は客寄せパンダというか……。
――でも、曙選手の頑張りでプロレスファンの評価も変わっていったと思うんですよ。
曙 もちろんそこも感じましたね。きっかけは浜亮太が全日本に入ったことですね。この続きと、謙吾、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ -
コナー・マクレガーが仕掛ける同時多発的メンタルゲーム■MMA Unleashed
2015-12-10 21:2155ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……目前に迫った大一番!ジョセ・アルドvsコナー・マクレガーです!「フロイド・メイウエザーはいま、MMA事業への進出を検討しており。ジョン・ジョーンズの一本釣りを狙っているとの噂もある……」
今週日曜日(日本時間)、UFC194では、いよいよUFCフェザー級王座統一戦、「正王者ジョセ・アルド対暫定王者コナー・マクレガー」の大勝負が実現する。今週末のUFCは、日本時間で11日(金)の「UFN80:ナマユナス vs. ヴァンザント」、12日(土)の「TUF22フィナーレ:エドガー vs. メンデス」、そして13日(日)の「UFC194:アルド vs. マクレガー」の3大会を連続して行うため、「アルド vs. マクレガー」は、言ってみれば前座試合を30試合以上も従えての大トリに登場することになる。
マクレガーはこの試合について、「アルドを1ラウンドで倒す。時間は4分、フィニッシュはKOだ」と予告をしている。マクレガーはこれまでも、こうして試合結果を予告して、多くの場合で実現してきた。しかし今回ばかりは、あのジョセ・アルドが対戦相手なのだ。アルドのことを脅威だとは思わないのだろうか。
「思わないね。説明してやろう。勝者は勝利に執着する。敗者は勝者に執着する。オレは勝者として、勝利にこだわっているだけなんだ。よく、『自分はこの対戦相手と戦うためにずっと準備してきた』などというヤツがいる。オレもかつて、そういう対戦相手と戦ったことがあるが、あっという間にひねり潰してやったよ。だって、オレは勝者として、勝ってベルトを取ることだけに集中しているからだ。ベルトを誰が持っているかは関係ない。仮にジョセが姿を見せなくても関係ない。どうせ客はオレを見に来ている。それは、オレが勝つことに執着しているからだ」
事実、アルドが負傷欠場したUFC189では、マクレガーはヒザのケガを押して出場し、チャド・メンデスをKOしている。この続きと、謙吾、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ
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2016年問題が格闘技業界を襲う!?■「MMAオレンジ色の手帖」
2015-12-10 21:1433pt格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回のテーマは「格闘技も他人事ではない!? 2016年の会場問題!今週末、ツイッターを大いに盛り上げてくれたニュースと言えば、トレンディエンジェルが薄毛ネタで押し切った「M-1ぐらんぷり」と毎回想像を超えるサプライズを巻き起こす格闘技イベント「REAL.3」でしょう。「M-1」は5年ぶりの復活という事もあって放送開始前からタイムラインを独占。トレンディエンジェルの「パズドラ課金します」、ジャルジャルの「雷坊主の添い寝節」、タイムマシーン号の「風呂の水がヘルシア」等、ネタの中での印象的なフレーズがトレンドワードになる等、改めて国民的なイベントである事をこれでもかと見せつけてくれました。ちなみにオンエアバトル世代の私はタイムマシーン3号で一番笑ったのですが皆さんはいかがでしたでしょうか?一方の「REAL.3」も一部熱狂的なマニアの間では大盛り上がり。会場の暖房が効いておらず「寒い」という声や、試合終了のブザーの音が「ノイズ交じり」「インベーダーぽい」「魔界村の効果音のよう」等の細かいものから、世界的なレスリングの実力者アミール・アリアックバリの快勝を絶賛してRIZIN出場やヒョードルの対戦相手にプッシュする声(これは私)など、実にバラエティ豊かなつぶやきが寄せられました。特に注目すべきは、もはやREALの代名詞ともなった空席ツイート。旗揚げ大会以来、ガラガラの会場の写真と共に空席状況がつぶさに実況されていく様は、REALを観戦する上での醍醐味と言っても過言ではないでしょう。その流れの中で「横浜文化体育館だと広すぎる」「ディファ有明で十分」など、会場に対する意見やアドバイスも目にしましたが、もしかすると来年には自由に会場を使用出来なくなるかもしれない事を皆さんご存知でしょうか。そう、世間一般に言われている「2016年問題」です。コンピュータが誤作動する可能性があると言われた2000年問題、TBS、フジテレビ、日本テレビの3局が大晦日に格闘技を放送し、その後のトラブルのきっかけになった2003年問題など、今までも様々な年問題はありましたが、果たして2016年問題とは一体何なのか。それは2020年の東京オリンピック開催に向けて競技場やイベント会場の改修や建替え工事が続発。さらに老朽化による施設の改修が重なり、2016年以降に首都圏のライブ会場が慢性的に不足するという問題です。 -
謙吾ロングインタビュー 「スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い」
2015-12-07 10:24102pt190センチ、105キロという日本人離れした体格に、大東文化大学ラグビー部主将という肩書を引っさげてパンクラス入り。21世紀最後の大物新人とデビュー前から話題になった謙吾。格闘技がギラギラしていた時代を知る男は何を見ながら戦っていたのか――前田日明襲撃事件も語る過激な13000字インタビュー!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■記事詰め合わせセットpar22 記事内容 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar920826◉真実か妄想か……永島勝司が今頃になって告白! 1・4事変衝撃の事実が浮かび上がる!!「負けたら引退SPの結末は、橋本真也と小川直也の2人が話し合って決めたんだよ俺も猪木も長州も知らなかった――」◉ビル・ロビンソン最後の弟子鈴木秀樹が語る藤田和之vs諏訪魔はなぜ迷走したのか?「全日本やIGFより大日本のほうがお客さんは入ってる。その差が出たんじゃないですか」◉地獄のリングス前田道場卒業生、滑川康仁ロングインタビュープロレス道場、リングス、格闘家の生き様が詰まった15000字インタビュー!◉日菜太はなぜRIZINに直訴したのか?「このままだと知る人ぞ知る選手で終わってしまう。だから大晦日なんです」◉金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル「一晩100万円!?これがプロレスラーの飲み方だ!」◉大晦日を巡る男たちの物語がドキュメンタリー映画化!/監督・佐伯繁インタビュー
◉事情通Zの「プロレス 点と線」・シュートで始まり、シュートで終わった棚橋弘至vsHARASHIMAの衝撃……煽りパワポではなくシュートパワポだった!・藤田和之vs諏訪魔の地獄はまだ続く!?・大晦日TBS魔裟斗vsKIDはガチで戦うのか?◉格闘技界のレジェンドが東に西へ!中井祐樹の「東奔西走日記」11月1日〜31日編◉OMASUKI FIGHTのMMA Unleashed・マーク・ハントの壮絶人生「BORN TO FIGHT」・ロンダ・ラウジーKO負けの衝撃波・進化するUFCのスター選手製造ノウハウ…明日のスターは誰だ!?・UFC独占禁止法違反集団訴訟が本格的に審議入りhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar920826
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「前田さんがNKホールで安生さんに殴られたとき、俺は前田さんの見張り役をやっていたから」――パンクラス関連だと社長だった尾崎(允実)さん(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar613256)にも取材してるんですよ。
謙吾 へえ。生きてるんですか?(笑)。
――生きてます!(笑)。いまはイベント関係のお仕事をされてるようですけど。
謙吾 怪しい仕事をしてるとは聞いてますね(笑)。何が怪しいかはよくわからないですけど。
――謙吾さんはいまはどんなお仕事をされてるんですか?
謙吾 イングラムという会社で仕事をしてるんですけど。そこの社長さんはボクの現役時代から応援してくださっていて。格闘技をやめたあとは何も考えてなくて、半年間くらいプラプラしてたんですよ。
――何もあてはなく引退されたんですね。
謙吾 とくになかったすね。先輩が飲食をやってたからそこでバイトをしようかな〜くらいのノリでいたんですけど。イングラムはブランドやキャラクターの版権管理、ライセンスビジネスをやってる会社で。その頃にWWEジャパンと仕事する話があって。で、ボクはプロレスには詳しいというか、業界にいたから(笑)。
――立派な業界人ですよね(笑)。
謙吾 ガキの頃からプロレスは好きだったし、「担当でちょっとやってみる?」という話になって。WWEのライセンスの営業すよね。アパレルメーカーやブランドのコラボ、そういう仕事をやり始めた。たとえばリバサールのロード・ウォリアーズTシャツとか。
――あのTシャツは謙吾さんの仕事だったんですか!
謙吾 そうっすよ。
――購入させていただきました(笑)。今回謙吾さんのことはMMAマネジメントをやってる石井文彦さんから紹介してもらったんですけど、石井さんとはどういうご関係なんですか?
謙吾 KIDやクレイジービーの連中と仲が良くて、家がジムに近いからよく使わせてもらっていて。石井さんはクレイジービーの選手たちのマネジメントをやってるじゃないですか。で、自分の会社も若い選手のマネジメントもやってるんですよ。それで石井さんと情報交換じゃないですけど、いろいろと話す機会があって。
――現役のときはいまの仕事に就いてることは想像してました?
謙吾 うーん。仕事を始めるにあたって、最後はアメリカにいたから、向こうの選手を日本に呼んだりとか、そういうことができる環境にいたから。まあ、格闘技をやめてから、社会の仕組みというものをおぼえましたね(笑)。
――現役中に社会を学べなかった(笑)。
謙吾 そうっすねぇ(笑)。お金の稼ぎ方や使い方も知らなかったですから。どんどん貧乏になっていた。最初が景気良かったから、俺は。ハッハッハッハッ!
――謙吾さんのデビュー戦のバス・ルッテン戦、チケットを買って武道館に見に行きました(笑)。
謙吾 ホントっすか。あれで10年食えましたからね(笑)。ムチャクチャなマッチメイクだったけど。あの当時だからできたという感じじゃないですかね。プロレスと格闘技が一緒だったというか、プロ格時代。いまはベツモノじゃないですか。
――いまはデビュー戦でチャンピオンをやることは考えられないですよね。
謙吾 デタラメっすよ(笑)。
――デタラメなデビュー戦(笑)。
謙吾 冷静に考えたらデタラメですよ。でも、本人は喜んでやってましたからね。勝ったらそのまま引退しようかとか考えてましたよ。ナメてますよね(笑)。
――ハハハハハハハハハハ!
謙吾 最初は海外のケージの大会に出るって話もあったんです。それがなくなって日本武道館で相手がバス・ルッテン。「マジっすか?」って。イヤな「マジっすか……?」じゃなくて、テンションの上がる「マジっすか!?」(笑)。
――ノリノリだったんですね(笑)。
謙吾 試合前日かちょっと前に船木さんに呼ばれて。リングの上でスーパーセーフをつけて「いまからおもいきり掌底で殴るから全身に力を入れろ」って。
――試合間近なのに!(笑)。
謙吾 何発か殴られて「まあ、衝撃はこれくらいだな」って。それはおぼえてるなあ。試合のことはおぼえていない。3回倒されてKO負け。1回目に倒されたときが一番効いてるんですよ。倒れたときにちょうどレフェリーの梅木さんが割って入ったんですけど、自分の頭に梅木さんの足が当たって目が覚めて(笑)。
――ホントはそこでKOだった。
謙吾 あれで終わってたかもしれない。それはそれで目が覚めたからよかったですよね。そのあと2回倒されて盛り上がったから(笑)。
――それで謙吾さんといえば、ラクビー出身ですけど。大東文化大学ラグビー部のキャプテンまで務めて。
謙吾 ラグビーブーム、きましたねぇ。
――ラグビーワールドカップで日本代表が南アフリカに勝利したことは謙吾さんにとっても衝撃だったんですか?
謙吾 考えられないですよ、日本代表が南アフリカに勝つなんて。自分がデビュー戦でバス・ルッテンにKOして勝つくらい考えられない(笑)。
――あれまー(笑)。
謙吾 日本ラグビー協会の人たちも誰も予想してなかったんじゃないですかね。エディ(・ジョーンズ)や選手たちはその意識はあったんでしょうけど。現場の選手たちも最初は思ってなかったけど、エディがその意識を変えたんじゃないですか。
――高阪(剛)さんが総合格闘技の見地からタックルの指導してたそうですね。
謙吾 そうみたいですね。そこはラクビーに通じる部分はあるんじゃないですかね。トップリーグなどのチームにレスリングのコーチも来てる話も聞くので。あとはやっぱり意識的なところもあるんじゃないですかね。戦うスピリッツじゃないですけど。
――キモは戦うスピリッツですか。
謙吾 そこが一番じゃないですかね。格闘技ってそういう部分がないとダメじゃないですか。実際ラグビーって格闘技ですからね。軽トラがいきなり突っ込んでくるようなもんだから。俺なんて二度とラグビーはやりたくないですよ(笑)。
――軽トラが突っ込んでくるスポーツ(笑)。
謙吾 むしろ格闘技のほうがまだいいですよ。ラグビーはケガをするのが日常的というか、ヒザの靭帯を切るのがあたりまえ。チームで年に1〜2人は靭帯を切りますよね。両ヒザの靭帯を切る奴もいますよ。
――しかもケガはヒザだけじゃなんですよね。
謙吾 どこをケガするかわかんない。ラグビーは事故的なんですよ。格闘技は向き合って戦うじゃないですか。苦しくなったらタップできるし、まあKOの場合は仕方ないけど。
――ラグビーはすべてカウンターというか。
謙吾 そうそう。意識していない方向から100キロ以上の人間が突っ込んでくるから。それはアレっすよね。ヤバイですよね。
――ラガーマンは格闘技に転向しても強そうですよね。
謙吾 それはありますね。身体がでかくて、スピードがあって、スタミナもあって。身体能力は凄いっすよね。
――謙吾さんも身体はでかいし、運動神経は抜群だったんですか?
謙吾 いいほうだったんじゃないですかね。
――ラグビーは自分からやり出したんですか?
謙吾 そうっすね。小学生・中学生のとき夕方に『スクール☆ウォーズ』の再放送があったんで。それを見て洗脳されちゃいました(笑)。
――『スクール☆ウォーズ』は強いですよね(笑)。
謙吾 頑張ったのか、センスがあったのか、いい感じで県の選抜から高校の日本代表にも選ばれちゃって。高校も大学も推薦入学。そんなにお金もかからないから親には感謝されて。
――大学の頃は何キロくらいあったんですか?
謙吾 一番でかいときは105キロくらい。格闘技のときでも100キロくらいだから。
――やっぱりでかいですねぇ。
謙吾 でも、大学1年のときにヒザの靭帯を切っちゃって。リハビリして2年の秋に復帰したんですけど、3年の夏か秋にまたヒザの靭帯を切っちゃって。そこで手術しちゃうと4年のシーズンに出られるかどうかわからないから、手術しないでやってましたね。
――なんとかなるもんなんですね。
謙吾 なんとかするしかないですよね。日常生活もなんとかなったし、不安定な感じですけど、ラグビーもやってましたよね。切れたまんま格闘技にも行って。どんだけバカなんだよって(笑)。
――靭帯切れたままデビューですか!(笑)。
謙吾 いま思えば「なんでその状態で格闘技をできると思ってるんだ?」って話ですよ。若さって素晴らしいですよね〜(笑)。
――ラグビーもなんとかなったんだから格闘技もできるだろうって(笑)。
謙吾 だからルッテン戦のときは蹴れなかったんですよね。デビューして半年後には手術したんですけど。
――あのときの手術は格闘技のケガじゃなくてラクビー時代のものだったんですね。
謙吾 「デタラメじゃねーか!」って話ですよね(笑)。まあ、いい思い出だなあ。あと憧れのほうが強いからけっこうムチャしてやったんじゃないですかね。格闘技をやってみたかったから。
――でも、ラグビーの社会人チームからの勧誘も当然あったんですよね?
謙吾 はい。けっこう誘われましたからね。そうそうたる企業から。
――それは企業に就職してラクビーをするというかたちになるんですよね。
謙吾 いまはプロ契約の選手もいたり、契約のパターンにもいろいろあるみたいですけど。当時は15時、16時くらいまでは仕事をして、夕方からラクビーの練習するみたいな。普通のサラリーマンの給料に何万円かのラクビー手当がつく。チームの成績によってはボーナスも出たり。
――契約金はあるんですか?
謙吾 就職ですから、ないですね。プロ契約じゃないから。いまはあるのかなあ?
――ラグビーをやめたあとも会社には残れるんですよね。
謙吾 そうっすね。仕事ができなくても一生窓際にはいられるんじゃないですか。でも、仕事ができなくて精神的にやられちゃう奴もいますよ。先輩や後輩にもそんな奴はいた。大学卒業するのが22歳で、30歳くらいまではラグビーができますよね。仕事をちゃんとやっていれば会社でも出世できるけど、やってないとラグビーをやめたあとがつらいんじゃないですかね。
――出世も仕事もできないまま定年まで過ごすのは精神的にキツそうですねぇ。
謙吾 その代わり安定は手にできますよね。潰れるような会社じゃないですから、ラグビーチームを持ってる企業は。
――謙吾さんはその安定を選ぼうとは思わなかったですね。
謙吾 まったく。当時プロがあったらそっちに行ってたかもしれない。仕事をしたくなかったから。
――要はサラリーマンにはなりたくなかったということなんですかね。
謙吾 そういうことなんですかね。10代後半から、なりたい願望がパンクラスだったから。
――謙吾さんが大学生だったときに高橋(義生)さんと出会ったことでパンクラス入りすることになったんですよね。
謙吾 そうっす。“人喰い義生”が自分の人生を変えましたね。大東のラクビー部が打ち上げだ合コンだで使う焼肉屋が池袋にあって。そこの常務さんがラグビー大好きで、よくしてくれて。その店に高橋さんも日大のレスリング部の頃から来てたことで、たまたま紹介してもらって。そのあとも偶然会ったりしたんですけど、こっちは格闘技好きじゃないですか。パンクラスも見てるし。高橋さんがUFCに出る前かな。一緒に酒を飲みながら話をしてるうちに「俺もやりたいすね!」って。
――格闘技経験はなかったんですよね?
謙吾 ないない。
――ケンカは強かったんですか?
謙吾 どうっすかね。でも、身体はでかいしね。やられないから。
――ヘビー級のラガーマンにケンカを売ってるくる奴もいないでしょうし(笑)。
謙吾 そうなんですよ(笑)。「俺もやりたいっすね」「やるんだったら面倒を見てやるよ」「マジっすか?」って。20歳の頃からやる気でいましたから。
――両親やラクビー部の監督には話ずらいんじゃないですか?
謙吾 かあちゃんは反対してたかなあ。親父は諦めてたから。親父は学校の先生だったんですけど、放任主義で。ラグビー部の監督は、3年の終わりごろに「就職どうする?」って話になったときに「パンクラスという格闘技にやるのでラグビーは考えていないです」って。先生は「とりあえずいろんな企業から話が来てるから、一通り話を聞け」と。最初から全部断るつもりだったんですけど、さんざん接待受けて。うまいものも食べて、もう◯◯◯な接待も受けて(笑)。
――ハハハハハハハハハハ! さすが90年代、バブルですねぇ。
謙吾 いまはそんな接待はないみたいですけど。サプリメントをもらえるくらいじゃないですかね(笑)。
――サプリメントと◯◯◯じゃ天と地の差がありますよ!
謙吾 フフフフフ。凄いっすよね。
――パンクラスの条件は聞いてたんですか?
謙吾 高橋さんは「普通のサラリーマンより給料はちょっといいくらいじゃないか」って。実際はそこまでよくはなかったんですけど(笑)。
――パンクラスはそこまで待遇はよくなかったと聞きますよね(笑)。謙吾さんはパンクラスに入りたかったんですか? それとも格闘技をやりたかったんですか?
謙吾 強い男へのの憧れじゃないですかね、ただシンプルに。ガキの頃からプロレスが好きだったし。小学生の頃は猪木にホーガン。中学生の頃は三銃士、ジャンボ鶴田が史上最強の40代と呼ばれて。そこからU系のほうに流れていったんだけど。Uインターも見てましたし。
――パンクラスに入れるんだったら入っちゃおう!と。
謙吾 そうだったんじゃないですかね。入門テストもなかったし。自分が入ったことでパンクラスも話題になりましたよんr。
――謙吾さん、デビュー前に『週プロ』の表紙になりましたよね(笑)。
謙吾 ホントっすよ(笑)。どんだけ持ち上げられてるんだって。
――持ち上げられてることは意識されてました?
謙吾 チヤホヤされてるから嬉しかった……いや、調子に乗ってたなあ(笑)。
――ハハハハハハハハハハ!
謙吾 どうなんですかね。浮かれてる感じっすよね。
――入団前に船木(誠勝)さんに会われたんですか?
謙吾 パンクラスでNKホールでやったときに見に行って。試合後の控室で高橋さんから船木さんを紹介してもらって。船木さんが「そんな身体でサラリーマンをやるのはもったないよ。一緒にやろう!」と言われて「はい、考えます」とか言ったのかな。そのあとに「考えますじゃねえな」って思い直して、高橋さんに電話して「さっき考えますって言いましたけど、俺、やりますから」って。
――当時のパンクラスは東京道場と横浜道場に分かれてましたよね。
謙吾 分かれたばっかです。俺は船木会系高橋組なんで東京道場です。高橋さんの付き人枠。頭を丸めて、ちゃんこ番だ掃除だってやってましたね。
――同期は誰だったんですか?
謙吾 俺より前は石井(大輔)さんで、その前に超人がいて。
――ミノワマンですね(笑)。
謙吾 その上に渡辺大介さん、山宮(恵一郎)さん、國奥(麒樹真)さん。
――一番下が謙吾さん。
謙吾 まだ渡辺さんや石井さんは練習生で、美濃輪さんはデビューしてたけど、この4人で雑用を回してましたね。俺、ミノワマンにちゃんこを教わったんですよ(笑)。
――当時からミノワマンはヘブンな感じだったんですか?
謙吾 あの頃はパンク時代だから。赤い髪のときだから。
――あー、そうだった(笑)。
謙吾 練習生は半年間は外出禁止とかあったなあ。
――練習生時代はきつかったですか?
謙吾 いや、なんか楽しくやってましたよ。格闘技の技術をおぼえられるし、プロレスの新弟子生活できるじゃないですか。楽しくやってたのかな。あんまりつらい思いではないです。練習はきつかったですけどね。朝起きてメシ食って、9時10時くらいから練習生は補強トレーニングを1時間くらいやって。12時に先輩が来てスパーリングとか全体の練習。ちゃんこ番のときは補強だけやって買い出しに行って。練習が終わった14時頃にちゃんこを食うから。夕方は筋トレ、夜はP's LABの手伝いがあって。
――当時の練習はどんな内容だったんですか?
謙吾 スパーリングが多いですよね。極めあい、打撃の殴り合い。いまなら格闘技のジムで柔術とか習ってイチからおぼえていくけど。パンクラスはプロレスの流れだから、先輩たちに極められて極められておぼえていくみたいな。まず逃げ方をおぼえる。
――まだ昭和の新日本スタイルだったんですね。後輩は実験台というか。
謙吾 そうそう。そういった感じすよね。技術をイチから覚えていく感じではなくて、そういうもんだと思ってたし。で、ちょうどノールールが始まる頃でパンクラスもパンクラチオンマッチとかやってたじゃないですか。
――頭突きりの“なんでもあり”ですね。
謙吾 練習でグローブとスーパーセーフをつけて実践形式でやってたんですけど。おもいきり殴るからスーパーセーフが割れるんですよ(笑)。
――新弟子でも先輩を殴れるんですか?
謙吾 船木さん相手でもおもいきりぶん殴れるんですよ。でも、おもいきり絞め落とされる(笑)。それはそれで面白かったですね。
――当時の業界の噂で、入団したばかりの謙吾さんが船木さんをぶっ飛ばした……というのがあったんですけど。
謙吾 いや、それはないなあ。
――新弟子でも先輩を殴れるシチュエーションがあったから、そういう噂が流れてたんですね。
謙吾 都市伝説ですね(笑)。そのスパーのときはグラウンドで下になるのはダメってことで。下になったら殴られるじゃないですか。
――頭突きもあると断然、上のポジションが有利ですよね。
謙吾 だから下になると、船木さんと高橋さんがスタンガンでやってくるから。
――下になる罰がスタンガン!(笑)。
謙吾 スタンガンがイヤだから立ち上がれるというか。痛いんですよ、スタンガン(笑)。
――そりゃそうですよ!(笑)。でも、U系にも「下になるな」という考えが定着してきた頃だったということですね。
謙吾 じゃないですかね。船木さん高橋さんが中心になっていろいろと試行錯誤して。オリジナルといえばオリジナルですよね。
――しかし、なんでスタンガンなんてそんな物騒なものを持ってるんですか?(笑)。
謙吾 当時リングスと抗争してたから。
――あー、なるほど(笑)。
謙吾 街で前田(日明)さんと会ったときのためにというか。高橋さん、スタンガンのほかに鉄ヌンチャクも持ってたかなあ?
――橋本(真也)さんもそうでしたけど、男の子は武器を持ちたがるんですかね(笑)。
謙吾 なんか武器に憧れるんですかね(笑)。そうしたら尾崎社長も高橋さんの何倍の威力もあるスタンガンを買って(笑)。
――ハハハハハハハハハハ! 尾崎さんは実害があったからセーフということで(笑)。この続きと、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ -
潮崎豪NOAH登場/フジテレビの夢よもう一度■「プロレス 点と線」
2015-12-03 21:4933pt事情通Zがプロレス業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー「プロレス 点と線」。今回はのテーマは「潮崎豪NOAH登場/フジテレビの夢よもう一度」です(聞き手/ジャン斉藤)。――全日本プロレスを離脱した潮崎(豪)選手が11月26日のNOAH後楽園大会で復帰を果たし、その後も数戦こなしたあと、NOAH今年最後のビッグマッチ大田区体育館大会にも参戦します。この流れは予定通りだったんですかね?
事情通Z そのへんはよくわからないというか、それだったら全日本をやめるタイミングが早過ぎたと思うんだよねぇ。たとえば(鈴木)鼓太郎選手や金丸(義信)選手と同じタイミングで全日本をやめて、突然NOAHに出てきてほうがインパクトはあった。そこはNOAHの状況を見ながらの調整だったんじゃないかな、と。
――潮崎選手は全日本離脱後、どこのリングにも上がってませんでしたね。
Z “フリー潮崎豪”を強調するためにNOAH登場前にどこかのリングでワンクッション置くという考えもあったと思う。しかし、フリー初戦からNOAHにしたのは、大田区の集客を考えて数戦の煽りを入れていたほうがいいという判断なんだろうね。
――潮崎選手が登場した後楽園ホールのファンはどんな反応だったんですか?
Z 多少歓迎するような歓声もありましたけど、ブーイングのほうが目立ってましたね。フリーとしてNOAHに参戦したというより、古巣のNOAHに帰ってきた印象が強いし、裏切り者のレッテルを貼られるからブーイングはしょうがない。さっそく鈴木軍が勧誘に出たけど、NOAHファンからすると、大詰めを迎えた鈴木軍vsNOAHの対抗戦に潮崎選手が入ってくるな……というムードもあった。NOAHファンはこの1年間ずっと苦しい思いをしてきたからね。「どこまでバッドエンディングが続くんだよ…」という。
――ファンにとっては苦行のような1年だったわけですね(笑)。この続きと、謙吾、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ
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ミルコ・クロコップ、13歳の息子を特訓中「私と同じサウスポーでね、クレイジーなハイキックを放つんだ」■MMA Unleashed
2015-12-03 21:4233ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは「ミルコ・クロコップ親子で日本登場!?」
11月10日、ミルコ・クルコップ(41)が自らの公式サイトで、UFCソウル大会で予定されていたアンソニー・ハミルトン戦を負傷欠場することを発表、あわせてこのまま引退することを表明した。負傷箇所は肩。「いろんな薬のカクテル」を飲んだがまったくよくならず、年齢的にもこれから復活するのはもう無理だ、などとしている。
これまで合計で9回の手術を受けたというミルコは、この夏、アキレス腱の炎症に苦しみ、ドイツの専門病院に足繁く通っていたものの、ドイツまで行く飛行機に座っているだけで「ヒザがひどく痛んだ」とか、「肩だけでなく腰も悪くて、MRIを撮るたびに、必ずどこかが悪化していた」など、体調不良に苦しんでいたことを明かしている。
ミルコの生涯戦績は、MMAで31勝11敗2NC、キックボクシングで23勝4敗だった。
ミルコが自ら引退を発表した翌日の11月11日、UFCから発表があり、ミルコ・クロコップにアンチドーピングポリシー違反があったため、2年間の出場停止に処したことを明らかにした。UFCがUSADAと提携し、新アンチドーピングポリシーを導入してから、これが出場停止処分の第1号となった。
USADAの薬物検査官がザグレブにいたミルコの元を尋ね、抜き打ち検査を実施したのは、ミルコがHGH(ヒト成長ホルモン)を使った6日後の11月4日のことだった。検査終了後、ミルコは直ちにUFCに連絡を取り、肩のケガの治療目的でHGHを使ったことを告白した。HGHは禁止物質であるため、UFCではこの件をUSADAに連絡、USADAから問いただされたミルコは11月9日にHGHを使った旨を再度告白した。この続きと、謙吾、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ
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中井祐樹の「東奔西走日記」11月15日〜30日編
2015-12-02 10:0055pt日本格闘技界の礎を築いたレジェンド、中井祐樹先生@yuki_nakai1970 が日常を綴る新連載! 今回は11月15日から30日までの東奔西走ぶりをお届けします!11月15日 日曜日 晴れ ファイティングネクサス 昼は息子たちと外食。たまにいいよね、安定の大戸屋。温そばとカツ重のセットをいつも頼んでしまう。当然五穀米に変更だ。 長男は推理小説を持参。俺もそのぐらいのとき読んでたな。赤川次郎とか西村京太郎とかな。年頃だな。 時間的には今日は比較的余裕アリ、新木場はファイティングネクサスに向かう。パラ東・大場慎之助は敗れるも良い経験をさせてもらった。地道に継続するプロモーション、とても有難い存在である。 5分2ラウンド+延長1ラウンドは試合数を多くしなくてはならない事情から生まれた苦肉の策と見受けられるがなかなかナイスアイデアではある。積極性も誘発されるし。採用するプロモーションも増えてきた。 全試合3ラウンド、さらにメインイベントやタイトル戦は5ラウンドという団体が生まれるのはいずれ必然だろうが現状はこれが程よいのだろう。 ただ、いずれかが一票取ってのドローだと延長ラウンドをやってなお1・2ラウンド生かしての採点のほうがフェアな気もするが…。まあ、考え方次第だが。 とにかくお世話になりました。11月16日 月曜日 曇りのち雨 「仮面の告白」 昼練。全編自由稽古。他競技畑の方と練習するのは楽しい、刺激的だ。 そこでひとつ近況の告白を。なるべくその方のされている競技の方式での勝ちを目指して練習するのが現在の私のスタイルなのだがそれが技法的には自然ではないかもしれないよなー、とも最近は感じている。 例えば柔術選手は現状、正直なところ他競技の人からすれば「下から返すのとバックにまわるのが上手いだけだよね、でも俺らにとってはそれは負けじゃないし!」と言われる可能性が高いと思うのだ。それに抗いたい、と。 そこで僕はなるべく抑え込んでやり、そのあとサブミッションを決めてやりたいと意気込んでやるわけだが、実はバックにまわっていくほうが身体的に無理なく自然だったりするのだ。このあたりが試合と試合ではないスポーツの端的な違いなのだろう。少しだけ今の私は自分の美学のために無理をしている、とも言える。ま、しばらくさまようとでもするかな。 夜クラスには90年代末の「パレストラ東京」の頃のメンバーさんが久しぶりに体験に来てくれて、手合わせした。嬉しいねー。また遊びに来てね!11月17日 火曜日 晴れ 治療から町田。 朝のBGMは吉田美奈子さん「スパングル」。現時点の最新オリジナルアルバムだ。それでも10年位前の作、今になって沁みてきたね。 昼から鍼治療。そこそこ調子よいみたい。感謝、感謝。 夜は町田クラスへ。今週末のK-1も気になりまくるご時世、チームドラゴン柔術アカデミーもざわざわ盛り上がってきましたよ! 帰りは腹減りすぎて吉野家牛丼寄っちゃいました。心の栄養ですな。キムチを付加するのが好きッス。ではでは。11月18日 水曜日 晴れのち雨 ガッツポーズ考 昼練、中村K太郎選手参加。しかし私はワサワサしてて結局稽古できず残念。Kちゃん、茶帯忘れていきましたよー。まあ、これによりまた来てくれるっつう事で。 少し前のゴング格闘技を読んでて、そこに柔道で勝ったあとのガッツポーズについて書いてあった。敗者に失礼じゃないか、とはよく言われることだが自制は可能なのかとか、そもそも過去の五輪メダリストたちは思い切りガッツポーズしているとか云々。 特に感じ入ったのは試合前の気合いとか威圧的な仕草は是非を問われないのか、というところ。 以前、選手の試合後の態度で問題が起きたことがあったが、私の考えはアマチュアなら当然ながら、プロは試合前の言動から何からすべてひっくるめて本人の仕事のうちだということ。それを思い出していた。今も考えは変わってはいない。