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記事 24件
  • スーパー・ストロング・マシンが戦った熱き時代■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2018-07-13 11:37  
    87pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「スーパー・ストロング・マシンが戦った熱き時代」です!【関連企画】
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    小佐野 (さえぎって)いや、平田さんが引退したんじゃなくてスーパー・ストロング・マシンが引退したんだけどね。
    ――あ、失礼しました(笑)。
    小佐野 平田さんは一度もマシンの正体を口にしていない。素顔の平田淳嗣で戦ったことはあるんだけどね(笑)。以前Gスピリッツでヒロ斎藤と対談をやったことがあったんです。カナダから帰ってくるまでの内容は平田淳嗣として語っていて、次号の帰国後の話はスーパー・ストロング・マシンが登場している。そこには強い拘りがあるんですよ。
    ――引退式の挨拶では、今年に入って奥さんが亡くなられたことを明かしていましたね。
    小佐野 そのことは知らなかった。新日本プロレスとの契約が切れた時期と、奥さんが亡くなったのが被っちゃったみたいで……本当に気の毒だよねぇ。
    ――言葉に詰まりますねぇ……試合からは遠ざかってましたが、道場のコーチとして練習生の指導をされていて。
    小佐野 私が道場に取材に行くと、平田さんだけじゃなくて道場管理人の小林邦昭さんもいたりして。新日本の選手が巡業に出ているときは、長州さんやヒロちゃんが練習に来たりするから、まるで昭和の新日本道場にタイムスリップしたかのような雰囲気なんですよ(笑)。 
    ――新日本の道場ってオープンですよね。
    小佐野 オーナーが変わって新しい会社になったけども、新日本のOBが顔を出しづらいとかはない。長州さんたちは功労者だから練習するぶんには全然OKなんでしょう。若い選手もOBと接することで何かしらの勉強になるわけだしね。そういえば、棚橋弘至がケガしてシリーズを欠場して道場に残っていたときに、長州さんと長らく話をしたらしいよ。
    ――そういう交流もあるんですねぇ。小佐野さんはマシンとはいつくらいから面識があるんですか?
    小佐野  私は『ゴング』に入る前に新日本プロレスファンクラブをやっていたから、もともと面識はあったんですよ。『ゴング』では全日本担当だったから、取材するようになったのは全日本を主戦場としていたカルガリー・ハリケーンズ時代になるんだけどね。
    ――ヒロ斎藤、高野俊二(高野拳磁)とのユニットですね。
    小佐野 カナダから帰ってきてストロング・マシンになった頃の彼は、反骨の人だったよね。
    ――温厚な性格という話ですけど……。
    小佐野 激しいものを芯に持っていた人だから、マスクを被ると別人格になるってよく言われるし、マスクマンが性に合っていたんだと思う。とくに帰国直後は新日本に対する怒りや不満が充満していた。会社不信の理由の一つは海外遠征でメキシコに行かされたこと。最初はカルガリーに行く予定で、当時新日本に参戦していたブレット・ハートとも仲が良かったんだよ。ところがメキシコに変更になったと聞かされたときは、合宿所の部屋の鍵をかけて閉じこもっちゃって、合同練習にも出てこなくなっちゃった。平田さんの心情を理解していた山本小鉄さんも怒らなかった。
    ――そこまでショックだったんですか!(笑)。
    小佐野 当時のメキシコは身体の小さい人が行かされる、島流しのイメージが強かったんだよ。「ああ、あいつはメキシコか」なんて残念がられてね。なぜメキシコに変わったかといえば、長州さんがメキシコに行っていたでしょ。帰国後に「噛ませ犬」発言でブレイクしたんだけど。その長州さんの代わりのヘビー級選手をよこしてほしいというリクエストがあったんだよ。当時の平田さんは黒のタイツに白いシューズ。長州さんと似たような出で立ちということもあって。
    ――本人からすれば、たまったもんじゃないですねぇ。
    小佐野 1年ぐらいして自力でカナダに渡って。アメリカ本土で試合をしたいからキラー・カンと話をしてテキサスに行こうとしたら、坂口さんから「テキサスの前に一度帰ってこいよ」と。当時の新日本はUWFや維新軍が抜ける直前で大ピンチだったから。 
    ――それで帰国してみたら……。
    小佐野 マスクマン計画があると。本人はイヤでイヤでしょうがなかったけど、仕方なく命令に従った。それが幻の「キン肉マン」。
    ――日本テレビでアニメを放映していた「キン肉マン」をテレビ朝日に登場させるって凄い企画ですよね。結局、契約がまとまらずボツになって。まあ乱入しちゃったんですけど(笑)。
    小佐野 凄い見切り発車だよ(笑)。本人もよくわかってなかったんだよ、裏事情は。とにかく「マスクマンになれ」という命令だけで。「キン肉マン」がダメになったら「素顔にするか」みたいな話にもなったんだけど、あそこまで大々的に仕掛けておいて、いまさら素顔で出ていくわけにはいかないでしょ(笑)。
    ――適当にもほどがありますよ!(笑)。そもそも「キン肉マン」ってベビーフェイスじゃないですか。
    小佐野 初乱入したときから若松さんがマネージャーについてるんだよね(笑)。本人はマスクを被って乱入を繰り返しているうちに「これはこれで楽しい」と魅力を感じるようになってね。いくつかのデザインの中からあのマスクを選んだ。目はメッシュで、口は裂けていて表情がまったく見えない。無機質なマスクで、まさにマシン。斬新なデザインだったし、マスカラスは別格として、タイガーマスクとマシンのマスクはプロレスファンなら誰もが欲しがったと思うよ。
    ――タイガーマスクや獣神サンダーライガーなんかはマンガの原作がありますけど、マシンはオリジナル。そのフォロワーも数多く生んでますし、日本のマスクマン史上最大のヒット作ですよね。
    小佐野 彼の帰国第1戦は猪木さんとのシングルマッチ。それも凄い話じゃない。だってキャリアはまだ5年程度だからね。でも、本人はまったく緊張しなかったんだって。 
    ――そこはマスクのなせる業なんですかね。
    小佐野 プロレスラーは喜怒哀楽を見せながら戦うものなんだけど、マシンはあのマスクデザインだから表情が見えない。そうやって人間性を殺しちゃったことで猪木さんとも普通に渡り合えた。無個性なところが個性になったし、ストロングマシン2号、3号……とドンドン増殖することになったわけだしね。あの増殖は自分のアイデアではないらしいけど。 
    ――魔神風車固めも必殺技としてかっこよかったですよね。
    小佐野 あれはね、苦し紛れに作ったみたい(笑)。
    ――苦し紛れであの完成度!
    小佐野 前田日明が12種類のスープレックスを引っさげて凱旋帰国したでしょ。何かの取材で「俺は20種類のスープレックスを使える」と言っちゃったんだって。そうなると新しいスープレックスを出さざるをえなくなって考えて、無理やり編み出したのが魔神風車固め。海外では一度も使ったことはないんだけどね(笑)。
    ――人材不足でマスクマンになったとはいえ、メインに抜擢されたのは才能を見込まれていたところはあったんですか?
    小佐野 三沢光晴は5ヵ月でデビューした天才と言われてたけど、あの人は3ヵ月だからね。まあ藤原(喜明)さんは入って1週間でデビューしたんだけどね(笑)。
    ――入門した際の、ドン荒川さんの盛り過ぎエピソードも有名で。 
    小佐野 「顔は三浦友和でジャンピングスクワットを何百回もやる奴が入ってきた」ってやつだよね(笑)。実際は小鉄さんの前で腕立てとスクワットをちょっとやってOKだったんだけどね。
    ――そして3ヵ月でデビュー。
    小佐野 2日前に猪木さんに言われてデビューしたらしいね。当時は受け身もロープワークもロクにできない。柔道はやっていてプロレスファンだったから、なんとなく試合はできちゃったみたいだけど。その頃の新日本の前座はグラウンドレスリングが中心だったからね。相手も藤原さんだったりするから道場の練習と同じ。あとは試合をしながら覚えていく。カルガリーでは安達さん(ミスター・ヒト)さんに教わって、現地で抗争していたロン・スターとの試合がいい勉強になったみたい。毎回違う試合をしてくるから「こうやってプロレスをやるもんなんだ」と。
    ――海外で幅を広げたんですね。
    小佐野 日本にいたら相手は決まっていたからね。毎回前田日明とガンガンやりあって、ニールキックで唇が取れた……みたいな試合ばっかですよ(笑)。
    ――強くはなりますけど、うまくはならないですね(笑)。
    この続きと、マサ斎藤、マシン引退、天心vsロッタン、北原光騎、WWEvs新日本……などの記事がまとめて読める「11万字・記事19本の詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/article/ar1639388
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  • コーミエ・レスナーのアングルは是か非か 「やらせだ、フェイクだと言っているヤツらは、一生貧乏してろ(コーミエ)」

    2018-07-13 10:33  
    72pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「コーミエ・レスナーのアングルは是か非か」です!<1記事から購入できるMMA Unleashedオススメコラム>
    ・ベストバウトは新日本が独占? アメリカメディア2017年ニュースオブザイヤー




    ・試合で一時死亡していたMMAファイター、彼を救ったカットマン、それぞれの再生物語
    ・昨日やったことは忘れてしまうが、何年も前のことは覚えている」 マーク・ハント欠場問題の背景
    ・ダニエル・コーミエ「何が悲しいって、ジョーンズには本当に薬物などやる必要があったとは思えないということなんだ」・UFCにはなぜ、ゲイの男子ファイターがいないのか(仮説)





    コーミエ 「お前ら、DC様の話を聞け。昔から腐れ縁の男がいる。ヤツはオールアメリカンのレスラーで、元UFCチャンピオンでもある。この男と戦うことになるとは思わなかった。ブロック・レスナー、上がってこいや!」
    (オクタゴンに登場したレスナー、いきなりコーミエを突き飛ばす)
    コーミエ 「今のうちにもっと突き飛ばしてみろや。あとでおねんねするのはお前だ!」
    レスナー 「はっきり言ってやろう。オレは今日、ヘビー級の醜態を見た。ガヌーはクソ野郎、ミオシッチもクソ野郎だ。DC、やってやろうじゃないか、マザーフXXカー!」
    (レスナー、マイクをカメラに投げつける)
    日本時間7月8日(日)に開催されたUFC 226では、スティペ・ミオシッチを下して、ライトヘビー級、ヘビー級の2冠王者となったダニエル・コーミエが、試合後にブロック・レスナーを呼び込んで、上記のようなアングルが打たれたのであった。
    日本でもRENAと浅倉のアングルで喧喧諤々の議論が沸き立ったように、コーミエとレスナーのアングルにも米MMA記者やUFCファイターの間で賛否両論が渦巻いた。どんな論点が見られたのかをまとめてみよう。
    『せっかくのコーミエの輝かしい瞬間が、プロレスまがいの大騒ぎで台無しになった』問題
    ファイターの中には、TwitterでWWE流の茶番劇を批判する者がいた。
    カーティス・ブレイズ
    もう手練手管はたくさんだ。最初はCMパンク、今度はブロック・レスナー。これはまだ格闘技なのか。オレはマーシャル・アーティストとして成長し、どんどん強くなっていく。カジュアルファンを引っ張ってくるために、あんなWWE流のブルシットに頼るつもりはオレにはない。
    ショーン・オコネル
    何たる茶番。せっかくの舞台も台無しだ。
    アルジャメイン・スターリング
    まるで2018年のレッスルマニアの宣伝だ。しかもステロイド入り。今のMMAは一体どうなってしまったんだ。みんなも、我々がオクタゴンで真剣勝負をしていることを忘れてしまうのではないのか。試合にシナリオはないんだぞ!
    ジミ・マヌワ
    まるまるWWE。
    記者の中にも批判派は存在する。
    デイモン・マーティン記者
    私がいつも、正気を失わないでMMAを見るには、「資格」という言葉をボキャブラリーから取り除きなさいと説明している。そう、ブロック・レスナーにはタイトルショットの「資格」はないが、彼はタイトルに挑戦し、コーミエとともに大金を稼ぐことになる。
    ESPNのジェフ・ワーゲンハイム記者は、次のような論説を発表し、物議をかもした。
    この続きと、マサ斎藤、マシン引退、天心vsロッタン、北原光騎、WWEvs新日本……などの記事がまとめて読める「11万字・記事19本の詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/article/ar1639388
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  • 三沢光晴への決別の書……馬場元子『ネェネェ馬場さん』/Dropkick読書会

    2018-07-13 09:47  
    72pt

    Dropkickのプロレス格闘技本読書会!!  今回取り上げる本は馬場元子の『ネェネェ馬場さん』です。この記事はDropkickニコ生配信で語られた『プライド』の感想を再編集・加筆したものです(語り・ジャン斉藤)
    【Dropkick読書会バックナンバー】◯「神になれなかった男」の狂気――ミスター高橋『流血の魔術 最強の演技』◯ゼロゼロ年代のレフェリング論――島田裕二の『島田は見た!』◯ボブ・サップ『野獣の怒り』と、谷川貞治『平謝り』から読むK-1崩壊
    ◯高田vsヒクソンの真実とは? 金子達仁『プライド』◯格闘技界を解放できるのか……『覚醒』那須川天心
    【関連企画】最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
    今回取り上げる本は、先日お亡くなりになった馬場元子さんの「ネェネェ馬場さん」です。感想からいうと、あまり面白くないというか(笑)、最後まで読むと後味の悪さを感じてしまうんですよ。
    「ネェネェ馬場さん」はジャイアント馬場さんが亡くなってから1年ちょっと経ったあとに出版されたもので、全日本とNOAHに分裂する前の本なんですが、馬場さんのことしかしゃべっていない。「ネェネェ馬場さん」というタイトルどおりなんですけど(笑)。ボクらが本当に知りたい馬場さんのとっておきのエピソードなんかはほとんど出てこないんです。馬場さんとの出会いから恋愛、死別までを元子さんの視点で書いていて、それはたしかに貴重ではあるんですが、かゆいところに手が届かない感じが……。
    たとえば、他のプロレスラーの話はまったくいっていいほど出てこない。名前は出るんですが、その選手のエピソードが明かされるわけでもなく、やっぱり「ネェネェ馬場さん」というタイトルどおりで(笑)。この本は268ページもあるんですが、宿命のライバルだったアントニオ猪木さんの名前は一度も出てこない。これって凄くないですか? 馬場さんと猪木さんとのあいだにはいろいろあったわけですし、知りたいのは2人の関係じゃないですか。じつは馬場さんは猪木さんに対してこういう感情を持っていた、こんなことを言っていた……とか。
    これは猪木さんだけじゃないですよね。ジャンボ鶴田に対しても、天龍源一郎に対しても同じです。元子さんから見た馬場さんの話しか書いてなくて、他者との関わりに触れてないから薄く感じてしまうんです。 元子さんはジャイアント馬場や全日本プロレスのことを一番知ってるはずなのに。いや、知りすぎていることで逆に言えないことがあるのはわかるんですが、それにしても……という内容で。
    あっ、天龍さんに対しては悪口を言ってるんですね。 SWSのときに金で裏切ったとか。ちなみに元子さんと懇意にしていたと主張するターザン山本さんの名前も出てきません(笑)。
    かつて馬場さんは「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させていただきます」と言いましたが、元子さんは「私、馬場さんを独占します」という内容なんですよ。本の中でさえも馬場さんのことを独占して他者と関わらさせない。それが過剰すぎて、とても広報業務を担っていたとは思えない言動が多いんです。

    体のことに関して興味本位的に扱われるようなものは、私はいっさい受けつけたくなかった。取材ではなく、道を歩いてすれ違いざまに「うわあ、でっけえ」などと不躾に言う人もあったが、そういうときも私はピシッと言い返した。
    「ジャイアント馬場が小さけりゃ、ジャイアント馬場じゃないっ!」                        『ネェネェ馬場さん』より

    一般人にこんなことを言い放ちますかか、普通?(笑)。馬場さんの気持ちを慮るというより、「馬場さんのことをわかってるのは私だけ」という感情のあまり攻撃的になっている。こんな性格だからスタッフたちともケンカしまくるんですけど、いまから紹介するエピソードもおかしいんです。
    この続きと、マサ斎藤、マシン引退、天心vsロッタン、北原光騎、WWEvs新日本……などの記事がまとめて読める「11万字・記事19本の詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/article/ar1639388
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  • JEWELS旗揚げメンバーが語る女子格……杉山しずか「格闘技を続けてよかったなあと、しみじみ思います」

    2018-07-09 19:41  
    76pt
    「RIZIN11」で中井りんと対戦する杉山しずかインタビュー! 大学生時代にJEWELS旗揚げイベントでデビューし、就職、結婚を経て戦い続きてきたこれまでの道のりを語ってもらいました!(聞き手/松下ミワ)
    【関連企画】
    【復帰戦完勝】中井りん「フライ級なら私が世界最強です! イノシシだって倒せます!!」元祖・女子総合格闘家 高橋洋子がジョシカク黎明期を語る「いまは普通に試合があるから幸せですよね」仮面女子・川村虹花インタビュー「1回やって終わりじゃないです。総合格闘家としてホントに強くなりたい!!」浜崎朱加×ジェシカ・アンドラージ「格闘技を続けない理由なんか、どこにもない!」

    朱里インタビュー「チャンピオンになって、ASUKA選手とプロレスのリングで再会したいです」石岡沙織、10年目の大舞台「女子格闘技に転機が訪れてますけど、私にとっても転機を迎えました」

     KINGレイナの大暴走インタビュー 「私、どれくらい強いのか自分でもわからないから」【爆勝MMAデビュー】世志琥「プロレスラーとして、いつでも戦えるように準備していました」しなしさとこ 総合格闘技と女性の戦い 
    藪下めぐみ〜ゼロゼロ年代のジョシカク〜 「私、総合格闘技の練習をしたことが一度もないんですよ」

    ――杉山選手にとって念願の中井りん戦が決定しました! RIZINからオファーが来たときはどういう心境でした?杉山 完全に「ラッキー!」という感じでした。だって私、前回のRIZINで渡辺華奈ちゃんに負けちゃったので、順番は彼女よりは後ろだと思っていましたから。
    ――榊原代表によると、6月のDEEP JEWELSに参戦した渡辺選手のダメージも考慮しつつ、同じ大会での杉山選手の戦いぶりを見て決めた……ということでしたね。
    杉山 まあ、いろんな考えがあるとは思っているんですけど、それでも結果的に試合ができない人たちがいる中で、RIZINのような大きな舞台で戦えるというのは感謝すべきだなと思います。
    ――杉山選手は、以前から中井選手を意識されていた感じですよね?
    杉山 それは、周りから「そろそろ中井りんとの試合が組まれるんじゃないの?」と言われることが多かったので。当時は私がJEWELS、彼女がVALKYRIE(ヴァルキリー)に参戦していたので、自分ではあまり認識していなかったんですけどね。でも、実際に試合を見ると「なんてヤル気に満ちた人なんだ!」と思いました。
    ――たしかにヤル気に満ち満ちています(笑)。
    杉山 彼女は誘惑が少ない環境にいると思うんですよ。だから、格闘家という職業と、戦うということに集中できている選手だと思いますね。――中井選手は地元・愛媛で日々練習されているわけですからね。それはつまり東京は誘惑が多いということですか?
    杉山 そうですねぇ。私の場合は、“格闘家”という職業を使って、いろんな仕事をさせてもらっているし、生きていくためにそういうことを覚えたので(笑)。
    ――たとえば、テレ朝の深夜番組『超人女子』にレギュラー出演したり。
    杉山 はい。だから、ほかの選択肢を持たず、ただただ格闘技に打ち込めるというのは、きっと学生のときの部活みたいな気分なんだろうなって。そういうのがまだ続けられているのかと思うと、羨ましいですね。
    ――試合の作戦はもう立てていますか?
    杉山 相手を見すぎてダラダラと攻め込まれるのはもったいないので、いままでの彼女の試合を加味しすぎずに、自分の好きなように戦いたいですね。たぶん、向こうは“カブトムシ戦法”で攻めてくると思いますので。
    ――か、カブトムシ戦法? なんですか、それ?
    杉山 ……え? 中井選手って、カブトムシを獲って生活しているから、そう言われてませんでしたっけ?
    中井りん、カブトムシを捕まえるhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1119759――ええっと、確かにカブトムシは獲っているようですが、“戦法”に関しては初耳です(笑)。
    杉山 あ、戦法というのは、村田夏南子ちゃんとの試合のときの話ですよ。
    ――2016年末の両者の対戦のときですか?
    杉山 夏南子ちゃんってレスラーだから、中井選手はスゴく重心を低くして戦っていたじゃないですか。そういう状態で攻撃してくるから、カブトムシ戦法…………ん?  もしかしたら私、勝手に名前付けちゃったのかもしれないです!
    ――どおりで初耳だったわけです(笑)。つまりは重心の低さに気をつけたいということですね?
    杉山 そうです! 私とも身長差があるので、距離感には気をつけながら戦うつもりですね。
    ――その点では、同じジムの村田選手からは何か情報は得ましたか?
    杉山 はい。夏南子ちゃんのレスリング能力はピカイチなので、私は同じ戦い方はできないんですけど、あれだけタックルにスピードがあったのに「なぜテイクダウンできなかったのか?」ということについて話しました。あとは、相手のセコンドの声を聞くなとも言ってましたね。
    ――相手のセコンド……。それは、中井選手の師匠である宇佐美館長のことですね!
    杉山 私、記者会見では「相手のセコンドの声を、よく聞きたいです」と言ったんですよ。たとえば、「右に回れ!」とセコンドが言っていたら彼女は本当に右に回るから。それを聞いて自分の攻撃に活かしたいなと思っていたんです。でも、夏南子ちゃんに聞いたら、戦っているとスゴく気が散るから「絶対に聞いちゃダメですよ!」って。――なるほど(笑)。
    杉山 でも、試合になったら聞かざるをえないんでしょうねえ。相手は選手とセコンドの一体感が凄いですから。
    ――たしかに一体感がありますね(笑)。ところで、今回の試合は女子格闘家でもキャリアの深い2人の対戦となりました。杉山選手自身は東海大学在籍時にJEWELSでデビューしたのがキャリアのスタート地点ですよね?
    杉山 そうです。それまではバレーボールをやっていたので、格闘技には触れていなかったです。もともと体育の教員になりたくて、そのために空手道禅道会に入ったんですよ。
    ――「そのために」というのは?
    杉山 私が教員免許を取る時期に、ちょうど柔道やダンス、あと剣道あたりが学校で必修になる時期だったんです。でも私自身、柔道はもちろん、バスケットすら接触スポーツはイヤだったんですよ。東海大は柔道が強い大学だったので、柔道にはちょっとは興味も湧いたんですけどね。
    ――東海大といえば、井上康生さんをはじめ、数々のメダリストの出身大学でもありますもんね。でも、そういった競技を経験していないと、先生になれないということですか?
    杉山 いや、経験せずに教師になる人もいるんですけど、採用されたり職員になってから「できない、どうしよう……」と、先生同士で教え合うということもあるんですよ。でも、私自身は先にそういう競技を経験しておきたかったんですね。ただ、部活じゃなくて、密かに習得できればいいなあという感じでしたけど。
    ――それで独自に習得できるとこを探したんですね。
    杉山 で、自分の家の近くでできそうなところに入ったんですよ。でも、それが禅道会という空手の道場だったんです(笑)。
    ――柔道ではなかった(笑)。
    杉山 いずれにしても部活のように集中して練習するというのは好きなので、大学でも何かに打ち込みたいとは思っていたんです。何かで「一番になってみたい」って。だから、打ち込めるものが見つかってよかったんですけどね。
    ――でも、こんなにハマると思いました?
    杉山 思わなかったですねえ。いまだに続いているわけですから不思議ですね。その後、おかげさまで無事に体育の教員免許も取れまして、じつは大学を卒業して5年ぐらいは臨時教員として働きながら試合に出ていたんですよね。
    ――「戦う体育教師」だったわけですね。杉山選手は2008年のJEWELS旗揚げ大会でデビューされるわけですが、そういう女子格闘技イベントが誕生することについて、当時はどう思っていたんですか?
    杉山 なんか、そういうのは全然わかっていなかったです。JEWELSに出て初めて総合格闘技に触れたみたいなものなので。私、ほとんど何も経験せずに、いきなり試合に出たような感じだったんですよ。
    ――では、JEWELS参戦のきっかけは?
    杉山 禅道会の大会とかアマチュアルールで戦っている試合を、JEWELSの関係者が見に来られていたんですね。それで「階級的にも大きいし、ぜひ出てみませんか?」と声をかけてくださったんです。
    ――実際、総合格闘技の初試合はどんな感覚でした?
    杉山 スゴく楽しかったです! 全然怖くなかったですし。それに、空手の道場に通っていたのに、私、デビュー戦はチョークで一本勝ちしているんですよ。まあ、寝技もまったく練習していなかったわけでないないんですけど。
    ――そこから4連勝、5連勝と、立て続けに勝ってしまうわけですから、総合格闘技にフィットしていたんですね。
    杉山 そうですね。でも、初期のJEWELSってパウンドなしルールだったから、連勝できたのはルールに助けられたのかもしれないです。パウンドありだったら、本当は負けてたんじゃないかなと思ったりもしますね。
    この続きと、マサ斎藤、マシン引退、天心vsロッタン、北原光騎、WWEvs新日本……などの記事がまとめて読める「11万字・記事19本の詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/article/ar1639388
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  • テイクダウン神話の崩壊……「打撃の時代」になれば日本人は有利になる■大沢ケンジ

    2018-07-09 18:24  
    72pt
    ハイスピードで進化を遂げるMMAに日本人ファイターはどう向き合えばいいのか? 「おしゃべりアベマ野郎」こと大沢ケンジ師匠が解説! 

    【関連記事】・【徹底解説16000字】福田正人RIZIN審判部長に聞く「RIZINと競技運営の現状」・「中井さん、なぜそこまで強さを追求するんですか?」■中井祐樹☓大沢ケンジ・【選手必読!!】判定基準が10倍よくわかるジャッジ対談■福田正人RIZIN審判部長×大沢ケンジ・これでわかったRIZINの判定基準!■福田正人RIZIN審判部長×大沢ケンジ〜模擬ジャッジ編〜大沢 ここ数年、日本人がUFCとか海外で苦戦してるじゃないですか。まったく関係のないAbemaTVの『格闘代理戦争』トーナメント1回戦 から気づくことがあったんですよ。「ここの意識を変えないと世界には勝てないな」と。
    ――その話、凄く興味あります!
    大沢 その前にいきなり話は脱線しますけど、この『格闘代理戦争』って2試合だけの収録だったんですよ。最近の格闘技イベントってどこも試合数が多いじゃないですか。いつもよりグッと集中できて(笑)。
    ――あー、わかります。子供の頃、ボクシングはメインにならないと満員にならないって聞いて「なんで? 全試合、楽しめばいいじゃん!」って意味がわからなかったんですけど、いまなら理解できます。全試合見るのってホント大変ですし。
    大沢 お客さんが完全に集中して見られるのはMAXで7試合ぐらいなのかもしれないですねぇ。『格闘代理戦争』もイベントのテーマに沿った試合だから盛り上がるわけですし、極端なことをいえば、超ビッグマッチだったら全4試合くらいでいいかもしれないですよ。
    ――UFCのメインカードも5〜6試合ですし。
    大沢 で、本題なんですけど、こないだDropkickで福田さんとのジャッジについて対談させてもらったじゃないですか。『格闘代理戦争』の解説で、あの対談が凄くためになったんですよ。
    ――この対談ですね。・【選手必読!!】判定基準が10倍よくわかるジャッジ対談■福田正人RIZIN審判部長×大沢ケンジ
    ・これでわかったRIZINの判定基準!■福田正人RIZIN審判部長×大沢ケンジ〜模擬ジャッジ編〜大沢 福田さんは「一昔前だとテイクダウンして上をキープすると評価されていたような傾向はありましたけど、いまはテイクダウンのためのテイクダウンはそこまでは評価されてない傾向にはあるかもしれないですね」「カリフォルニアのユニファイドルールの指針では、あくまでテイクダウンはテイクダウンで、その先に何があったかを見て評価しないといけないと教わりました」と言っていて。
    ――じつは「テイクダウン神話」が崩壊しているという。
    大沢 決め手がなければテイクダウンがポイントになるけど、いまのジャッジは打撃を重要視しているってことですよね。今回の『格闘代理戦争』で秋山(成勲)さんの推薦選手ユン・チャンミンと、(那須川)天心くん推薦の前田(浩平)くんが戦ったんです。結果だけいうと2ラウンド判定でユン・チャンミンが勝ったんです。
    ――公式結果は以下のとおりですね。
    https://twitter.com/reversal0907/status/1010565449803653120
    第2試合  フェザー級(5分2R・延長有り)
    ×前田浩平[天心推薦/65.65kg]
    2R判定 0-3
    ○ユン・チャンミン[秋山推薦/65.75kg]
    レフェリー:福田正人
    ジャッジ:豊永稔18-19(1R10-9/2R8-10)
    高本裕和18-20(1R9-10/2R9-10)
    片岡誠人17-20(1R9-10/2R8-10)
    大沢 2ラウンドでユンが圧倒したので、この判定結果に異論はないんですけど。1ラウンドは前田くんが何度もテイクダウンして押さえ込んでいて、後半ユンにパンチで殴られたんですよ。一緒に解説をやっていた青木(真也)くんが「もしかしたら、後半のパンチでユンにつける人がいるかもしれない」って言っていて。ボクも1ラウンドは前田くんが取ったのかなと思ったんですけど、まあユンに入ってもおかしくないかかなって。
    ――1ラウンドはユンにつけたジャッジが2人いますね。 
    大沢 試合後に青木くんと「あれでユンに2人つくんだね」って話をしていたら、ジャッジをやっていた片岡くんがやってきて。片岡くんは実況席の近くでジャッジをしていたから、ボクらの解説の声が聞こえたらしいんですよね。「いやあ、2人の話に引っ張られそうになりましたけど、ユンにつけました」って自信満々に言っていて。ボクが片岡くんに質問したのならともかく、わざわざ言ってくるわけですからね。それは自分の見方に相当自信があるってことですよ。
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  • 【契約問題】アンディ・サワーもRIZINもやれることがあった■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    2018-07-08 09:59  
    62pt
    多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるコーナー。今回のテーマはアンディ・サワー契約問題です!【1記事から購入できるバックナンバー】・「30代のアジア人でもUFCと契約できます!」・格闘家の皆さん、契約書はちゃんと読みましょう!!
    ・雷神学園の胡散臭さの「正体」とは?
    ・「最後にせめて失神くらいはしたかったよね」 ……不運大王イアン・マッコール、無念の引退
    ――マネジメントの立場からすると、アンディ・サワーの契約問題はどう見えるんですか?(榊原信行がアンディ・サワー問題を語る)
    シュウ 私は契約の詳細は知らないんですけども、RIZINとサワーは口頭契約ということですよね。サワーはシュートボクシング経由で契約をしていたそうですが、RIZINさんを非難するわけじゃないですけども、どんなビジネスも口頭契約だけでカードを発表しちゃうのはマズイんじゃないかなとは思いますね。
    ――榊原さんも「こちらの脇が甘かった」とは言ってますね。アンディ・サワーとシュートボクシングは太い絆で結ばれていただけに、こうなるとは思ってなかったのかなと。
    シュウ 長い付き合いですし、「まさか」というところはあったんでしょうね。
    ――詳細はわからないとのことですが、口頭合意の有効性ってどこまであるんですか?
    シュウ 日本だとメールのやり取りだけでは契約として認められないじゃないですか。ただアメリカだとメールのやり取りだけでも効力はあるんです。これが電話だけのやりとりだと記録がないわけですから、厳しいですけど。基本的にどの団体も複数回契約を交わして、試合のたびに試合合意書というものを発行してサインするんですよ。そこまでやってからカード発表する。これからはその工程をちゃんと踏むしかないですよね。 
    ――独占契約を交わしていない中で口頭合意だけで済ませていたのはRIZINのミスなんでしょうね。
    シュウ ただ、これまで長いあいだシュートボクシング経由でブッキングされて活躍してきた選手なので、どんな理由があるにせよアンディ・サワー側も、もうちょっとやれることがあったんじゃないの? と思いますね。五味さんと戦ってからONEと契約してもいいじゃないですか。またはONEと契約しても、この五味戦だけは約束しているからこの1試合だけはやれる契約で。ONEにとってはSuper Seriesでサワーを使いたいんだと思うんで、MMAで五味選手に負けてもそんなにキックの戦績的にはダメージないですし。
    ――サワーはMMA2勝3敗ですし……。
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  • 悪いヤツほど得をする? 米MMA反則事情■MMA Unleashed

    2018-07-08 09:17  
    72pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「悪いヤツほど得をする? 米MMA反則事情」です!<1記事から購入できるMMA Unleashedオススメコラム>・いったい何が起きているのか? パンクラス計量シーンに米MMA記者が猛然と激怒!
    ・ロンダの異常な愛情、または如何にして柔道を捨ててボクシングを愛するようになったか ・【内幕記事に騒然!!】世界一のエンタメの舞台裏には、ビンス・マクマホンの恐怖政治があった
    ・米国女子MMAは、いちローカル団体の冒険から始まった…『フックンシュート』、22年の歴史に幕をおろす

    宴もたけなわのワールドカップ2018ロシア大会。筆者のようなサッカー音痴でも、さすがにワールドカップくらいは、と思って要領も得ないままに観戦してみると、思わずニヤリとさせられることにシミュレーション(ファールされたふりをすること)がある。あたかもプロレスで大技を食らってセールをするがごとく、もんどり打って苦しむサッカー選手たち。ありもしないファールをでっちあげるわけだから、プロレスラーも顔負けの表現力である。もっとも、本当に負傷をして試合を退く選手もいないわけではないので、ちょっとした底が丸見えの底なし沼である。
    翻ってMMAの反則に関する最近の事情はどのようになっているのであろうか。米大手スポーツサイト『ブリーチャー・レポート』が、MMAによくあるさまざまな反則についてまとめている。
    ●目つぶし
    目つぶしは最近のMMAでは問題にされることが多い反則である。そもそもMMAファイターはオープンフィンガーグローブを着用していることから、指が露出しており相手の目に入りやすい。しかもいったん指が相手の目に入れば、目に重大な障害をもたらす可能性もある。
    最新のMMAユニファイドルールでは、相手に指を向けた状態で打撃を行うことが反則と定められるなど、目つぶし攻撃を厳しく防止しようという気運が高まっている。
    それでも、今年2月に行われたUFC 221では、ホラー映画もビックリの目つぶし攻撃が見られた。ジェイク・マシューズが中国のリー・ジャンリンをギロチンチョークに捉えたところ、ジャンリンがチョークから逃れようと、両手でマシューズの顔を持ち、苦し紛れに指を目に突っ込み始めたのだ。思わず技を解いたマシューの目からは血が流れ落ちる。
    この試合を解説していたジミー・スミスは、「これはひどい。プロレスと代わらない。これではアブドーラ・ザ・ブッチャーじゃないか」と激怒していた(もっともブッチャーが相手の目を本当につぶしたことはないが)。
    この試合は結局、マシューズが判定勝ちを収めたのだが、リーのこの反則行為に対してレフリーは、なぜか減点を行われなかった。また、全体として熱戦であったことは確かだったため、UFCも両選手にベストファイトボーナスを支給したのである。
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  • あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩

    2018-07-04 17:47  
    110pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回の特別編! 小橋建太プロデュース「Fortune Dream5」でデビュー30周年&引退記念試合を終えた北原光騎さんと語らってもらいました! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!




    <関連記事>「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」…中村頼永インタビュー
    【男が男に惚れる天龍劇場】北原光騎インタビュー「俺にとって天龍さんは“神様”だよ」【濃厚18000字】トンパチ折原昌夫が明かす全日本プロレス、SWSの信じられない話!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!


    小佐野 初めて会ったのはジャパンプロレスに入ってきたときだよね。
    北原 ジャパンの合宿所かな。小佐野 87年5月。池尻にあったジャパンの道場に寝泊まりしてて。北原 入ったのはジャパンなんですけど、長州さんたちは新日本に戻っていたし、全日本の天龍さんや(阿修羅・)原さんの付き人の仕事もやることになったから「全日本の合宿所に来い」と言われて。
    小佐野 立場は正規軍の若手なのに、そのまま付き人としてレボリューションと一緒に行動するんだよね。
    北原 レボリューションは巡業のときジャパンプロレスのバスを使ってたんですよ。(百田)光雄さんや永源(遙)さんとか、全日本の“はぐれ親父”たちがコッチのバスに乗るようになって。あ、永源さんはジャパンだったからそのまま乗ってたのか。
    小佐野 ジャパンの残党や、クセのあるレスラーが正規軍から抜け出して、天龍さんのバスに乗ってたんだよね(笑)。あのとき何歳だっけ?
    北原 22歳とか23歳とか。
    小佐野 「今度の新弟子は佐山(聡)さんのスーパー・タイガージムのインストラクターをやっていた」と聞いて、これはまた毛色の変わった人が入ってきたなあと思ってましたよ。当時の新弟子ってみんな若かったでしょ。子供じゃなくて大人が入ってきたという印象。
    北原 いまは25〜26歳で入ってくる奴は普通にいるんですけどね。
    小佐野 大学を卒業してから入ってくる人なんかも多いから。中学を卒業したり、高校を中退してくる新弟子と違って“プロレス少年”ぽくない感じ。いままでの新弟子とは違った話やすさがあったよ。
    北原 ああ、そうだったんですか。
    小佐野 先輩レスラーよりもマスコミとしゃべっていたほうが楽だったように見えたけど?
    北原 どうですかね。たしかに先輩としゃべるのはイヤでしたけどね。……なんというか、「来るならこいよ?いつでもやってやるぞ?」って感じで(苦笑)。
    小佐野 ハハハハハハ。ギラギラしてたよねぇ。
    北原 いや、先輩の命令はちゃんと聞いてましたよ。でも、態度は凄くデカかったと思うし、新弟子なのに頭は坊主にもしてなかったし。
    小佐野 挨拶や礼儀はスーパータイガージムにいたからちゃんとしてるけど、先輩に対して「……コイツには勝てるんじゃないの?」っていう目で見てたよね?(笑)。
    北原 いつも、それ。俺にはそれしかなかったですよ。そんな俺を見て仲野信市さんが「コイツには絶対負けないぞ」と思ってたらしいです(笑)。
    小佐野 あの頃の全日本の合宿所は小橋建太や菊地毅もいたし、面白いメンツが揃ってたよね。
    北原 菊地は一つ下で、小橋が三つ下。
    小佐野 菊地は一応先輩になるんだよね。ちょっと前に入門してて。
    北原 小橋の一ヵ月後あとくらいに玉さん(田上明)が入ってきて。
    小佐野 高木功も入ってるからけっこう豊作の年だよ。お相撲さん2人にアマレスのチャンピオン、シューティングの選手。何もなかった小橋はそれがバネになったみたいだけど。
    北原 当時はまだ若いから、「……この子たち、できるのかな?」って思ってましたよ。いや、若いね、考えが(笑)。
    小佐野 シューティングをやってきてたんだから、普通はそう思うよね。
    北原 とくに先輩でも偉そうに言われると「おまえ、試合でやってやるぞ……」っていうプライドは持ってましたよ。そういうものは絶対に出しちゃいけないんだけどね。当時栗栖(正伸)さんから「リングの上で絶対に関節技の練習をやるなよ。逆立ち腕立て伏せなんてもってのほかだ」と言われて。その意味がわからなくて、あるとき逆立ち腕立てだけやってたら、ある先輩に「そんなことをやるんだったら受け身を取れ」と言われて。「ああ、栗栖さんが言っていたのはこういうことか」と。関節技も全日本プロレスには必要ないってことで。
    小佐野 不思議なのは、全日本がどこで関節の練習をやらなくなったのかはわからないけど、日本プロレス時代はやってたんだよね。もともと沖識名さんができる人だったし、途中でゴッチさんがいなくなってもその技術は残ってたんだよ。だからアキレス腱固めもあったんですよ、日本プロレス時代。それがいつのまにか……小橋なんかとはそういう練習をやってたでしょ?
    北原 やってましたよ。小橋のほうから「教えて」と。
    小佐野 彼らは覚えたいわけだもんね。
    北原 菊地はアマレス出身だから抑え込むのが得意だし。覚えるのは早かったですよ。でも、彼にはそんなに教えてないのかな、小橋のほうが熱心だったかな。さっき小佐野さんが「小橋には何もなかった」というところの貪欲さというか。俺から見ると「コイツ、いい身体してるな」って思ってたんだけど。入門したときから身体はデカかったし。
    小佐野 持って生まれたいい身体だよねぇ。小橋に関節技を教え、先輩の川田利明にはキックをコーチして。じつは新しい技術を全日本に取り入れてるけど、先輩に教えづらいよね、普通。作/アカツキ
    北原 前に川田さんと対談したときに聞いたんですよ。「あのときよく俺に聞こうとしましたね?」って。そうしたら「オマエはできるんだから、ちゃんと聞くのはあたりまえだろ」って。
    小佐野 巡業中も一緒に練習してたもんね。シューティングで後輩だったスーパーライダーの渡部(優一)さんが、高校のレスリング部で川田の先輩だったというネジれた関係だったけど。修斗初代王者/仮面シューター・スーパーライダー 渡部優一「東映の許可? 取ってますよ(笑)」
    北原 俺としてはラッキーでしたよ(笑)。水戸黄門の印籠みたいなもんで。でも、それがなくても川田さんは後輩に変なことしないんですよ。あんまり明るい人じゃないけど、意地悪をやったりするような人ではない。そういうのはまた別にいるから(笑)。
    小佐野 フフフフフ。 
    北原 そこらへんはキツかったですよね。でも、「やるならいつでもやってやるぞ」って思ってましたから。
    小佐野 「試合でおもいきり蹴ればいいんだ」ってあの頃言ってたもんね(笑)。
    北原 俺、試合で毎回ムカついてましたよ。どうしても先輩に気を遣うところがあるじゃないですか。
    小佐野 でも、やっちゃうんでしょ?
    北原 あるときスピンキックをやったらマイティ井上さんのアゴが外れちゃって。
    小佐野 うわあ……。
    北原 メチャクチャ怒られましたよ。やっぱりケガをさせちゃいけないっていう大前提があるから。
    小佐野 しかも井上さんも気が強いからね。 井上さんは山本小鉄さんと揉めたことがあるから。光雄さんはそんな感じじゃないでしょ?
    北原 光雄さんからは何か言われたことはない。「オマエの好きなことをやれ!」って。でも、光雄さんは試合内容には厳しかったですよ。第1試合の菊池が試合後にトイレで光雄さんに怒られてたんですけど、その説教がメインまで終わらないんですよ。先輩たちが「菊地はどこに行った?」って(笑)。
    小佐野 ターザン後藤さんも光雄さんのお説教タイムを食らってたなあ。付き人の仕事ができないぐらい延々と。
    北原 俺は怒られなかったなあ。バスの席が隣だったけど。
    小佐野 若手は大技を簡単に使っちゃダメな時代だけど、光雄さんに大技を試して、OKだったら他の試合でも使えるって感じだったけど。それでもあの頃キャプチュードとか普通に使ったでしょ。
    北原 俺、1試合目からドロップキックも普通にやってたし、佐山さんのサマーソルトを使ってましたからね。長州さんたちが抜けたあとで全日本も大変だったから、あまりうるさくなかったんでしょうね。
    小佐野 あのときの全日本が「若手でもやれることはやっていい」と変わりつつある時期だったのはラッキーだったよね。苦々しく思ってる先輩がいても、お客さんが喜ぶならいいやって感じで。だからって若手がレガース付けて佐山タイガーみたいな動きをするって凄いけど(笑)。
    北原  佐山さんとダイナマイト・キッドがやっていた試合を光雄さんとやってたんですよ(笑)。
    小佐野 「百田光雄キッド」(笑)。
    北原 そんな試合をやっていたらキッドの目にも止まって。キッドから「オマエ、なんであんな動きができるんだ?」と聞かれて、誰かが佐山さんの弟子だってことも教えたんでしょうね。「海外に行きたいか?」って聞かれて「行きたい」と。まあ、その場だけの適当な話だろうなって思っていたら、あとになって天龍さんに「行きたいか? 馬場さんからもオッケーをもらってるから」って。
    小佐野 それで当時の若手の中で誰よりも早く海外修行に行けたわけだよね。
    北原 天龍さんが凄いのは、みんながいる合宿所ではその話をしないんですよ。
    小佐野 嫉妬するもんね、周りの若手が。
    北原 「ちょっと外に行くぞ」と天龍さんの車に乗って、町内一周回ってるときに聞かされて。凄い気遣いですよね。
    小佐野 そうしてジョニー・スミスと一緒にカルガリーに入ったんだよね。
    北原 カルガリーのキッドの家に3ヵ月ぐらい住んでたんだけど、そのあいだキッドはイギリスに帰っていたりしてて。まあ向こうは大変でしたよ。当時のカルガリーのマーケットはクローズド寸前で。小切手が全部不渡りになっちゃったり。
    小佐野 カルガリーはWWEの侵攻を受けてヤバイ時期だったもんね。帰ってくる頃に完全にクローズドだったでしょ、プロモーション自体が。もう時効だと思うけど、観光ビザで試合をしてなかった?(笑)。
    北原 途中で捕まってから変わったんですよ。ダイナマイト・キッドとテレビマッチというときにイミグレーションに連れて行かれそうになって。スチュ・ハートがあいだに入って「明日行かせるから、テレビマッチだけは撮らせろ」と。
    小佐野 ハハハハハハ。
    北原 次の日にイミグレーションに行ったら、たまたま蝶野(正洋)さんの外国人マネージャーがいたから、手続きをやってもらったんですよ。「すぐに許可は出せないから仕事するなよ」と言われてたんだけど、隣町だったら大丈夫だろうということで、州をまたごうとしたときに交通事故に遭ったんですよね。
    小佐野 あの事故は夏のことだよね。
    北原 アメリカ独立記念日の日。7月4日。一緒に乗ってたデイビーボーイ・スミスも大ケガしちゃったから、その事故は新聞の一面にデカデカと出たんですよ。
    小佐野 デイビーボーイは有名だもんねぇ。 
    北原 一番前に乗っていたデイビーボーイはフロントガラスに頭突きしちゃって、髪の毛がガラスにへばりついてて。俺はクリス・ベノワと一番後ろの席に座ってたんですよ。ちょうど食べていたソフトクリームがどっかへ飛んで行っちゃって「俺のアイスクリームはどこに行ったんだ?」って探しましたよ。
    小佐野 それどころじゃないのに(笑)。
    北原 それでちょっと仕事が途切れましたよね。デイビーボーイがケガしちゃってスターがいないから。
    小佐野  当時のカルガリーには大剛鉄之助さんと、安達(勝治、ミスター・ヒト)さんが日本人選手の面倒を見てたけど、その人間関係も面倒くさくなかった?
    北原 そうなんですよ(苦笑)。
    小佐野 あの2人、仲が悪いもんね(笑)。
    北原 俺はプロレスファンでもなんでもなかったから、よく知らないんですよ。「ミスター・ヒト? 誰それ?」って感じで。向こうから声をかけられて「オマエか、今度来た日本人は」って。「どうも、はじめまして」って挨拶はしましたけど。
    小佐野 向こうは先輩だもんね。あの頃の人間関係でいうと、全日本系は安達さんになるのかな。
    北原  一応そうなんだけど、あの頃は馬場さんともダメだったのかな。健坊はいつも大剛さんと食事をしていて、俺も何回か呼ばれたことはあるんだけど。オフィスが違うわけだから凄く困りましたよ。 
    小佐野 健介とタッグを組んだのは帰ってくる間際だよね?  サムライ・ウォリアーズ。
    北原 そうですね。健坊とやってるときに全日本プロレスに上がったオペラ座の怪人みたいなやつでしょ。
    小佐野 ザ・ブラックハーツ。
    北原 そいつがUWFファンで「コレで行くか?」って聞いてきたから「いいよ」って。
    小佐野 フフフフフ。
    北原 健坊も「いいよ」って。テレビマッチなのにボコボコしたなあ。最後は簡単にワン・ツー・スリーを取られてね(笑)。

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  • 追悼ビッグバン・ベイダー……IWGPの輝きは皇帝戦士から

    2018-07-02 00:00  
    72pt
    この記事はビッグバン・ベイダーを語ったDropkickニコ生配信を編集したものになります(語り:ジャン斉藤)【関連企画】・皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■斎藤文彦INTERVIEWS・テン年代の仁義なき戦いか……考察・新生K−1の「那須川天心訴訟」問題・雷神学園の胡散臭さの「正体」とは?
    ・プロレスラー小川直也の心が折れた日〜『ハッスル』観客ジャッジシステム〜今回は先日お亡くなりになったビッグバン・ベイダーさんについてです。ベイダーの衝撃的なデビュー戦はあちこちで語られていますが、あれは“プロレス冬の時代”の到来を告げた瞬間だと捉えているんです。「たけしプロレス軍団」両国暴動から新日本プロレスは沈んでいくわけじゃないですか。
    その“プロレス冬の時代”の終わりを告げたのもビッグバン・ベイダーだったんです。春が訪れた日は1990年2月10日、新日本プロレス2回目の東京ドーム大会。ビッグバン・ベイダーは当時全日本プロレス外国人エースだったスタン・ハンセンと激突します。このカードはプロレス初心者にオススメしたい試合を5つ挙げろと言われたら、間違いなく入っちゃいますね。本当に凄い試合でした。
    あの日の興行は久しぶりにゴールデンタイムで放送されたんですが、2日遅れだったのかな。全国の多くのプロレスファンは、ちょっとガッカリしながらチャンネルをテレビ朝日に合わせたはずなんですよ。
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  • SNSで狂い咲く50歳プロレスラーの遅咲き人生■アメプロインディ通信「フリーバーズ」

    2018-07-02 00:00  
    66pt

    アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマは「SNSで狂い咲く50歳プロレスラーの遅咲き人生」です!
    <関連記事>・ザンディグはどこに消えたのか……血と闇を抱えたデスマッチヒーロー・男vs女はドメスティックバイオレンスを連想させる?…ミックスドマッチ事情・10メートルの高さから、蛍光灯と有刺鉄線の塔へ飛び降りろ!・CMパンク、おまえはそんなところで何をやってるんだ?・これはなんだ? レッスルマニアの裏側で「2018年のUWF」開催!!・【#MeToo】マイケル・エルガンはすべてを失ってしまったのか
    孔子の『論語』の中に「五十にして天命を知る」という有名な一説がある。米プロレス界で、今、その天命を知ったかの如く、若い選手に負けず劣らず、元気を通り越して狂い咲いている50歳の男がいる。ピエール・カール・オーレット(以下PCO)――かつてWWEでも活躍したプロレスラーだ。
    PCOは、1967年12月30日にカナダ・モントリオールのセントキャサリンで生まれる。同郷モントリオールの大御所、ルージョー家のジャック・ルージョーに声をかけられ、タッグコンビ「ケベッカーズ」のピエールとして活躍したのは、1993年から95年にかけてのことだから、今から25年も前のことになる。
    20代半ばだったPCOは、ケベッカーズとして、3度WWE(WWF)タッグ王座に就いた。タッグ解散後は、海賊男になり、ジャン=ピエール・ラフィットの名でシングルプレイヤーとして、ブレット・ハートと抗争をしていた。また、1993年にはW☆INGにバッシュ・ザ・ターミネイターの名前で来日。1999年7月にも全日本プロレスに参戦している。
    当時、海賊の象徴でもある黒い眼帯で右目を隠していたのだが、じつはあれはギミックのためだけではなく、本当に右目が見えなかったのだ。12歳の時、友達と遊んでいたところ、その友達がふざけてPCOに向けて空気銃を撃ってしまい、運悪く、弾が右目に命中してしまった。その事故が原因で、右目の視力を失ったPCOは義眼での生活を余儀なくされてしまったのである。

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