• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 21件
  • さらば“人間”ロード・ウォリアーズ■ジャン斉藤

    2020-11-13 11:05  
    110pt
    不定期更新「ジャン斉藤のMahjong Martial Artas」――今回のテーマはさらば“人間”ロード・ウォリアーズです!【1記事から購入できるバックナンバー】・リアリティショーからこぼれ落ちたハルク・ホーガンの「リアル」
    ・ボクシング界の闇……亀田兄弟vsJBCはなぜ揉めているのか?
    ・猪木、高田、PRIDE、K-1…マイク・タイソンに踊らされた人々
    ・女王は父親の死後、柔道を始めた――ドキュメンタリー「ロンダ・ラウジー 父の信じたもの」



    9月22日にアニマル・ウォリアー(享年60)が死去したこともあり、あちこちでその偉大な業績が語られているザ・ロード・ウォリアーズ(パートナーのホーク・ウォリアーは2003年に亡くなっている)。
    筆者はかつて『俺のプロレス』(扶桑社・刊)という雑誌でウォリアーズ大特集を組んだことがあるが、そこに掲載された選手・関係者の証言をもとに伝説の暴走戦士を振り返ってみた。 
    「日本のメタル・ゴッド」こと音楽評論家の伊藤政則氏は、ロード・ウォリアーズの大躍進にはMTVの影響もあったと分析した。MTVとは1981年にスタートした24時間音楽のビデオクリップを放送する音楽専門チャンネル。映像の作品性を高めることで、音楽を「聞く」ことから「見る」ことへと変えた80年代を代表するメディアである。
    あの当時はもうMTVが誕生してメタルのプロモーションビデオもガンガン流れてた頃なんだよね。82~83年ぐらいにはモトリー・クルーなんかのLAメタル勢がガンガン流れてたから、ウォリアーズあたりもああいうビジュアルイメージを考えるのは非常に簡単だったと思うよ。 ジューダス・プリーストのロブ・ハルフォードもそうだし、ああいうスタッドをつけたコスチュームっていうのはテレビでアピールしてたからね(伊藤政則)
    ロード・ウォリアーズのテーマ曲はブラック・サバスの『アイアンマン』。アニマルはこの選曲をこう述懐していた。 
    『アイアンマン』はロード・ウォリアーズにぴったりの曲だっただろ。あれはホークとクルマに乗っていたときに、カーラジオから流れてきたんだ。「おい、これだ! これを入場曲にしようぜ!」という感じで決まったんだ。俺のお気に入りの曲だったんだよ(アニマル)
    伊藤政則はこの『アイアン・マン』の選曲センスを絶賛。
    日本におけるロード・ウォリアーズの幻想が膨らんだのは、疾風のようにリングインし、あっという間に相手を片付けて去っていく“秒殺”スタイルだが、これは“プロレス文化の誤解”から生まれた副産物だった。ウォリアーズの知名度を大きく挙げたのは、テレビ東京の番組『世界のプロレス』。そこで放送されたウォリアーズの試合はいわゆるテレビ向けのプロモーションマッチで、格下相手に秒殺劇を繰り返していたが、ウォリアーズ以外のトップレスラーもテレビマッチでは短時間でフィニッシュしていた。なるほど日本のプロレスファンはテレビマッチの強さをウォリアーズの実力と捉え違えてしまったわけだが、それでもあの肉体から繰り出す怒涛の波状攻撃とは見事にマッチしていた。

    この続きと、アポロ菅原vs鈴木みのる、斎藤裕、和田京平&木原文人、ウォリアーズ里…などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
     
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1970192
    この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!

     
  • Uインターのヤバイ新弟子の話■金原弘光

    2020-11-13 10:43  
    100pt
    伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光が格闘技界黎明期を振りかえる。今回はDropkickニコ生で配信されたものをお送りします!【1記事から購入できるバックナンバー】・山本小鉄さんと天山広吉のイイ話■金原弘光

    ・殴られる理由が酷すぎたUWFインターナショナル■金原弘光・佐伯さん、KINGレイナはどうなるんですか!?・【格闘技ブームをつくった男】石井和義館長に訊く「国立競技場の借り方」
    ――Uインターの新弟子だった金原さんにも後輩ができていくわけですけど、夜逃げする新弟子はたくさんいるんですよね。
    金原 いっぱいいるよ、いっぱい。入門して1日で逃げる奴もいるし、「コイツは続くかなあ」と思っていても逃げる奴もいるしね。 
    ――夜逃げの原因はなんですか?……とはいってもだいたい理由はわかりますけど(笑)。
    金原 それはやっぱり練習のストレスもあるし、寮の共同生活のストレスもあるよね。
    ――神奈川の綾瀬にあった寮も途中から場所が変わったんですよね?
    金原 もともと髙田さんの自宅を寮にしてて、道場(世田谷区大藏)から遠いから車で高速に乗って通ってたんだよ。それはさすがにキツイってことになって。それと田村(潔司)さんがなかなか寮から出ないんだよね、居心地がよくて。
    ――牢名主じゃないですけど(笑)。
    金原 垣原(賢人)さんが寮長になってもいい頃なのに、なかなか田村さんが出ない。最後は新弟子の俺らが「寮と道場の往復はキツイし、道場の近くにアパートを借りてください」と事務所に頼んで。自分たちで新しい寮を見つけて「ここなら自転車で道場に通えます」と報告してね、それで田村さんが出る前に俺らが寮を出たんですよ(笑)。
    ――出ないのなら、こっちが出てしまえ!と(笑)。
    金原 田村さんは俺らが出たあとも、しばらくは誰から寮に住んでたからね。相当居心地がよかったんじゃない(笑)。
    ――金原さんたちがいた頃は、新弟子がいろいろと雑用をやってくれますし。
    金原 食事はできてるし、洗濯もやってくれるし、お風呂も一番最初に入れるしね。なんでもやってくれるもん。
    ――それは出て行かないですよ(笑)。
    金原  本当に出ていかなかったもんなぁ、ホントに。「どうして出て行かないんだろう? こうなったら俺らが出てくしかないな」と話し合って(笑)。 
    ――新しい寮の居心地はよかったんですか?
    金原 道場からも近かったし、俺もようやく個室をもらしね。住んでいたのは垣原さん、俺、高山(善廣)くん、あとサク(桜庭和志)とヤマケン(山本喧一)。それ以外にも練習生が入ってをやめ、入ってはやめていったんだけど。
    ――強烈な新弟子って覚えてます?
    金原  うーん、強烈な奴といえば、ひとり◯◯がいてね。
    ――いきなり強烈ですね!

    この続きと、アポロ菅原vs鈴木みのる、斎藤裕、和田京平&木原文人、ウォリアーズ里…などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
     
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1970192
    この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!


     
  • どうなる朝倉海vs堀口恭司の再戦! 「UFCでも通用する両者の戦い」■大沢ケンジ

    2020-11-13 10:27  
    100pt

    「おしゃべりアベマ野郎」こと大沢ケンジが朝倉海vs堀口恭司、朝倉未来vs斎藤裕について語ります!












    【6月その他のバックナンバー】・俺たちのスーパースター!! 皇治を100倍楽しむ方法■大沢ケンジ


    ・リアリティショーからこぼれ落ちたハルク・ホーガンの「リアル」

    ・格闘家・石渡伸太郎の奥様は小料理屋の美人女将だった!

     

    ・素晴らしき最狂プロレス団体IGF対談■鈴木秀樹×サイモン・ケリー















    ――大沢さん!今日は大晦日で実現するであろう朝倉海vs堀口恭司と、11月の朝倉未来vs斎藤裕の展望をお願いします!
    大沢 いやあ、どっちも楽しみですよねぇ。まず海と堀口くんの試合ですが……海は足を使ってずっとステップできるし、打撃でいえばいくつも武器を持ってますよね。右ストレート、左ハイやボディ、アッパー……攻撃パターンがたくさんあるから同じ展開で攻めてこないんですよ。
    ――それは相手からすれば厄介ですねぇ。
    大沢 堀口くんも同じなんですよ。いろんな入りがあるから攻撃が絞りにくくなるんですよね。堀口くんも足をめっちゃ使いますね。足を使うと集中力を使うから疲れるから、それで足を止めちゃう選手もいるんですけど、海はあんまり止めない。足を使ってずっとフェイントをかけるから、足を止めたほうが相手は見やすいんですけど。「どっちが足を止めるの?」ってなったときに相手を見始めたほうが止まる。でも、相手の足が止まったら戦うほうからすると楽なんです。
    ――そこも見どころのひとつなんですね。
    大沢 堀口くんはUFCでも通用ししましたけど、海もずっと足を使えるからUFCでもイケると思いますね。 絶対に通用する。 海は組みもできるじゃないですか。日本人選手の傾向って組みだけが強いか、打撃だけが強いかという選手が多くて。打撃が強い選手は組みが若干弱い、組みが強い選手は打撃が弱い。どっちかに偏ってるんですよね。UFCで勝てる選手はすべての面がそれなりにできて、かつ“何か”がとんでもなく強い。
    ――すべての能力がオール5は当然として、“何か”がその5を突き抜けている選手が勝てるのがUFCという世界。
    大沢 そうです。堀口くんや海はそんな感じですから。何かが弱いまま UFCで勝負しちゃって負けるパターンが日本人には多いんですけど。
    ――その2人が大晦日に再戦する流れですが、どうなりますか。
    大沢 ウチで練習を見てたりして身内寄りと言われるかもしれないけど、海に勝ってほしいですね。それはなぜかというと全盛期をこれから迎える人がUFCに挑戦してもらいたいから。堀口くんは一番いい時期にRIZINで戦っているイメージがあるんですよね。ここからまた伸びるかもしれないけど、大怪我しちゃいましたし……。これでまた堀口くんがUFCに戻って負けたときに「あのときUFCに行ってれば……」とケチがつくのがイヤだなあと。

    この続きと、アポロ菅原vs鈴木みのる、斎藤裕、和田京平&木原文人、ウォリアーズ里…などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
     
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1970192
    この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!


     
  • ロード・ウォリアーズの衝撃■斎藤文彦INTERVIEWS

    2020-11-08 20:16  
    110pt

    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはロード・ウォリアーズの衝撃です!

    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■日本発世界…コロナ禍の近未来ビジネスモデル

    ■追悼! 佐山タイガー最大の難敵・初代ブラックタイガー

    ■WWEが体現する「ウイズ・コロナ」 の時代のプロレス■全女消滅後の女子プロレス新世界

    ■木村花さんはドウェイン・ジョンソンのようなスーパースターになるはずだった■無観客レッスルマニアが生み出した“異常な2試合”

    ■女子プロレスの景色を変えた女帝・ブル中野■マッハ文朱が女子プロレスというジャンルを変えた■棚橋弘至vsクリス・ジェリコから見る新日本・AEW提携の可能性

    ■エンド・オブ・デケイド――プロレス界の2010年代■新日本プロレスの“ケニー・オメガ入国妨害事件”という陰謀論■WWEvsAEW「水曜日テレビ戦争」の見方■WWEペイジの伝記的映画『ファイティング・ファミリー』■AEWチャンピオンベルト盗難事件■「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの偉大さを知ろう■ウルティモ・ドラゴンの偉大なる功績を再検証する■ネット社会に出現したニュータイプAEW、その可能性■都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される ■レッスルマニアウィーク現地取材レポート■平成という「アントニオ猪木が去った時代」■アメリカの新団体AEWは脅威になりえるか■それでもケニー・オメガは新日本プロレスに残るか■【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」



    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期


    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか
    ――フミさんはロード・ウォリアーズとは長い付き合いだったんですよね。
    フミ かれこれ36~37年の付き合いでした。ホークの家にもアニマルの家にも行ったことがありますし、ホークの結婚式にも行きました。1回目の結婚式ですけどね(笑)。
    ――“1回目”(笑)。
    フミ いま40代から50代のプロレスファンだったら、ロード・ウォリアーズが歴史に残る偉大なタッグチームだったということは認識できているはずですけど、プロレスファン層にも乖離があって。30代のファンからすると、WWEのリージョン・オブ・ドゥーム時代のウォリアーズの姿しか知らない。そうすると「プロレスの歴史を変えたタッグチーム」として見えなかったりするんです。
    ――80年代の彼らの快進撃を見ないと、ウォリアーズの衝撃は伝わらないですね。
    フミ それはウォリアーズにかぎらず、すべてのプロレスに世代の断層はできているのかもしれませんが、ボクの中の理解ではWWEにいた頃のウォリアーズは幸せなチャプターではなかった。WWEで光るスーパースターもいれば、 WWEの中では光を消されるというのかな、そういうタイプのスーパースターもいた。他団体のメインイベンタークラスがWWEと契約した途端、WWEの方法論の中に押し込まれてしまって、なかなか魅力を発揮できないケースは多かった。光を消されてしまったプロレスラーがいたのは事実です。
    ――ウォリアーズが最も輝いていたのはWWE入りする前のことですね。
    フミ ロード・ウォリアーズとしてのデビューは1983年。ホークとアニマルは前年にそれぞれシングルプレイヤーとしてデビューしてるんです。2人は出身地のミネソタ州ミネアポリスにあったエディ・シャーキー道場でプロレスを学びました。マニアならばエディ・シャーキー道場のことは知っていると思いますが、そこからロード・ウォリアーズ以外にもリック・ルード、 バリー・ダーソウ(クラッシャー・クルスチェフ、デモリッション・スマッシュ)、ジョン・ノード(バーザーカー)、トム・ジンク、ウェイン・ブルームとマイク・イーノス、アニマルと親友だったニキタ・コロフ、ちょっと年下だとウォーロード、女子ではメドゥーサを輩出していますね。 
    ――そうそうたるメンツですねぇ。
    フミ エディ・シャーキー道場出身ではないんですが、スコット・ノートンはホークの高校の同級生でした。
    ――ホークとノートンが同級生って“暴力教室”の匂いしかしないですね(笑)。
    フミ “ミスター・パーフェクト”カート・ヘニングもミネソタ出身で、ホークと同じ学年で隣町の高校。お父さんがラリー・ヘニングという有名なプロレスラーだったこともあって、ハイスクール時代はエバっていたらしいんですよ。
    ――リングだけじゃなくて高校時代も鼻持ちならない キャラだった(笑)。
    フミ ホークとヘニングが18歳の頃、ボーリング場の駐車場でみんなが見ている前で決闘してるんですよ。ホークがヘニングのことを「殴る」と言い出して。デビューしたあと2人は親友の間柄になるんですけどね。じつはエディ・シャーキー道場とはいっても、 ちゃんと看板を掲げてレスリングスクールをやっていたことは一度もなくて。スポーツジムの一角を借りて若者を集めて稽古させていたんです。しかもリングはなかったので、マットの上でどったんばったん練習をするという。
    ――実態はプロレススクールと呼べるものではなかったというか。
    フミ プロレスラーになりたい若者のたまり場でもあったんです。ホークたちは80年代初頭に通ってましたが、エディ・シャーキーがコーチとして初めてデビューさせたレスラーは70年代のジェシー・ベンチュラなんですよ。ベンチュラは80年代WWFの名物解説者として人気があり、俳優業もこなしてアーノルド・シュワルツネッカーの『プレデター』にも出演。その後は政治家に転向してミネソタ州ブルックリンパークの市長にもなり、なんと1998年にはミネソタ州知事にまで上り詰めましたからね。そのベンチャラはミネアポリスに会員制ウェイトトレーニングジムを経営していたんですが、そこで毎日トレーニングしていた20歳の頃のホークがベンチュラに「プロレスラーになりたい」と相談したんですよ。でも、ベンチュラは「オマエじゃあ無理だ」と。
    ――あのホークに!
    フミ その頃のホークはジムでウエイトトレーニングをしている素朴な青年ですからね。それにAWAで人気レスラーだったベンチュラにそういった相談する若者はゴマンといたと思うんですね。ホークは何度もベンチュラに相談して、そのうちエディ・シャーキーを紹介されたんです。エディ・シャーキーは元レスラーなんですけど、本職はプロレスのコーチではなくバーテンダーだったんですよ。現役時代、バーン・ガニアと揉めてAWAの事務所のドアにピストルを撃ち込んだという有名なエピソードの持ち主。犯罪まではいかないですけども、危ない仕事をなんでもこなすオッサンで。
    ――『あしたのジョー』の丹下段平的キャラというか。
    フミ  教えることは嫌いではなかったんで、集まってきた若者は昼間はジムでウェイトをやって、夜は酒場のバウンサー。日本でいうと用心棒なんですけど、 アメリカのバーというのは必ず入口のところに体格のいいバウンサーが座ってて、いわゆるセキュリティですよね。エディ・シャーキーがバーテンダーをやっていた「グランマビーズ」というバーのバウンサーをしてたのがアニマル、ニキタ・コロフだったりするんです。
    ――バウンサー軍団だったリングスオランダに引けを取らない(笑)。
    フミ ホークが働いていた「モービーディッグ」というバーには、WWEで囚人キャラをやっていたネイルズもバウンサーとして働いていました。なぜこれだけプロレスラー志望の若者が多かったといえば、ミネアポリスはAWAの本拠地だったので伝統的にプロレス人気の高い土地。それにレスリングはハイスクールだとウィンタースポーツですよね。北部で雪国のミネソタはレスリングが強い土地柄だったんです。
    ――土地にプロレスが根付いていたんですね。
    フミ  AWAという団体は日本のプロレスと構造が似ていて、選手を30人近く抱えながら北部、中西部の各州をサーキットしていたんです。テレビ中継は土・日の朝11時から放送してて、週末には家族が集まってAWAのプロレス番組を見るのがミネソタの習慣。プロレスが身近にあったことでプロレスラー志望の若者が多かったんですが、その入口としてはミネソタにはレスリングスクールが2つあった。そのひとつのエディ・シャーキー道場はどちらかといえば裏街道、もうひとつはメインストリームのブラッド・レイガンズ道場。レイガンズ先生は76年のモントリオール五輪のレスリング代表でした。 
    ―― 経歴だとバーテンダーとは格が違いますねぇ。
    フミ レイガンズ先生はプロレスに転向したんですけど、選手としてはそこまで欲がなかったというか、大成しませんでしたが、どちらかといえばトレーナーやコーチタイプとして優秀なんですよ。レイガンズ先生がコーチする選手は、すでにデビューしていてブラッシュアップが必要な選手だったり、上がるリングが決まっていた選手だったり、他のアマチュアスポーツで実績を残してる選手がプロレスラーに転向するときに、8週間とか短期間で集中的に教えてくれるんです。
    ――特別キャンプを張るわけですね。 
    フミ レイガンズ道場でトレーニングしたのはベイダーやWWEで活躍したJBL、 マサ斎藤さんからの依頼で新日本でデビューすることが決まっていたトニー・ホームやドン・フライ、すでにデビューしていたんだけど、試合経験が足りなくてあまりうまくなかった新日本来日直前のスコット・ノートン。レイガンズ先生が手塩にかけて指導して、新日本プロレスのリングに送り込んでくるわけです。 蛇足になりますけど、レイガンズ先生の最高傑作はなんといってもブロック・レスナーですね。
    ――逸材を商品として磨き上げるのがレイガンズってことですね。 
    フミ そんなレイガンズ道場とは違って、エディ・シャーキーに習った人たちは、プロレスラー志望の地元の若者たちでした。アニマルはザ・ロード・ウォリアーやジョー・ローレンというリングネームでノースカロライナで、ホークはクラッシャー・フォン・ヘイグというドイツ人キャラでカナダのバンクバーでそれぞれデビューするんですけど、シングルプレイヤーだとあまりうまくいかずミネアポリスに帰ってきちゃうんです。 しばらくしたらジョージアのマッチメイカーだったオレイ・アンダーソンが選手を探しにミネアポリスにやってきます。彼の目的は、まだ露出しておらず、そこまでギャラが高くない才能のあるルーキーを探すこと。オレイ・アンダーソンは視察したエディ・シャーキー道場の若者の中から、「キミとキミ」とホークとアニマルの2人を指差してアトランタに連れて帰ります。それがロード・ウォリアーズが誕生した瞬間でした。

    この続きと、アポロ菅原vs鈴木みのる、斎藤裕、和田京平&木原文人、ウォリアーズ里…などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
     
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1970192
    この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!

     
  • 【王道トーク】和田京平&木原文人「いまのプロレスってレフェリーの存在に意味があるの?」

    2020-11-06 00:00  
    110pt
    和田京平レフェリーと木原文人リングアナの「語ろう全日本プロレス」第2弾…全日本を知り尽くした男たちのジャイアントな対談をお読みください! 前回はコチラ→和田京平&木原文人の「全日本プロレスを知り尽くした男たち」対談!!

    【1記事から購入できるバックナンバー】全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話■木原文人✕小佐野景浩

    TAKAみちのくvs火野裕士のシュートマッチは実現するか?■事情通Zの「プロレス 点と線」アポロ菅原インタビュー第3弾「剛竜馬とパイオニア戦志、北尾光司」
    追悼ロード・ウォリアーズ■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」


    サイモン・ケリー番外編インタビュー「長州さんを現場監督に戻したときのハナシ」

     

    ――先日ロード・ウォリアーズのアニマルの訃報が知らされました。今日はそのウォリアーズを含め、全日本プロレスを彩った外国人タッグチームのお話を聞かせてください!
    京平 タッグチームの話でいうと、俺が最強だと思うのは、やっぱりテリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスだよ。
    ――殺人魚雷コンビ! スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディのミラクルパワーコンビではないんですね。
    京平 まあ、ハンセン&ブロディも強いんだけど、タッグチームとしての連携が見事だったのはゴディとウィリアムスの2人のほうじゃないかな。いまのプロレスって6人タッグだったら、3人がかりで攻撃することがあるじゃないですか。それも反則は5カウント以内は許されるというルールを無視して。
    木原 コーナーにいるべきレスラーがリングインするのは、実際には反則の範疇ですからね。
    京平 そう、あれはレフェリーの目を盗んで行なうべき攻撃だから。でも、いまのプロレスってレフェリー無視なんだよね。だったらレフェリーなんていらないじゃんって。
    ――反則攻撃が普通に許されている現状に、ファンの不満も高まってますね。
    京平 いまのレフェリーの権限が弱すぎるというか、そういう流れになっちゃったというか。その点、ゴディ&ウィリアムスのタッグは、レフェリーが注意する前にもう攻撃を終わらせているから。
    木原 そこが絶妙なんですよね。
    京平 バコンバコンと殴ったら、レフェリーが注意する前にスーっと逃げちゃう。小気味のいいタッグチームだった。ハンセン&ブロディの場合は、ブロディはルールに基づいているけど、ハンセンは無視しているから(苦笑)。まあ、そのへんがまた面白いんだけどね。でも、基本的に昔の全日本に来たタッグチームというのはルールを無視したりしないですよ。
    ――レフェリーとしても勝手なことはさせない、と。
    京平 反則には厳しかった。「ウチは絶対に許さん」ということで控室でもよく注意していたよね。レフェリーが見てないときにやるのがテクニック。いまはレフェリーが見ていないあいだにやるという、その「あ・うん」の呼吸がない。
    ――そこが肝なんですね! 反則をやるならレフェリーにバレないようにやれと。
    京平 昔のタッグって片方が攻撃しているときに、もう片方がレフェリーを引き止めてたんだからね。やり終わったらまた違うほうが出てくるという。そのへんの小気味のよさが見ていて楽しかった。でも、いまはもう堂々と反則をやってるじゃん。たとえばトップロープに上がってブレンバスターやるのに20秒ぐらいかかってるんだよ?
    木原 トップロープは5カウント以内に降りないといけないんですよね。
    京平 だから、なんつーかな。俺から言わせれば、いま日本のプロレスはやりたい放題で楽しくないよ。木原にもよく言われるもん。「京平さん、あれ反則じゃないんですか?」って。でも「あれを反則にしたら客が怒るだろ?」と。そんな感じですよ。
    木原 本当のルールを理解している人が少ないんでしょうね。いまは京平さんがおっしゃるとおりで、トップロープに登ってお客さんを煽って、お客さんの反応を待っていますから。もっと言うと、コーナーにいる選手が自分のチームを応援したりもしないし、「なんとか決めてもらおう」という悲壮感もない。待っているヤツは、ずっと見ているだけですもんね。
    ――ルールに則ることで試合の緊張感を生み出すというか。反則が許されたり、動きに制限がなければ勝負の意味がないですね。最近は技術に優れた本格的な「タッグ屋」は存在しいないということなんですかね。
    京平 うん。超世代とか四天王とかの時代まではちゃんとしてたけど、ここ10年ぐらいルールを守っている人はいないんじゃない? 関本大介&岡林裕二が小気味がいいのは、そういうところなんだろうね。もともと彼らはヘタだったんだよ。でも、俺が注意したんだよね。要するにルールを知らなかった。
    木原 おそらく彼らが所属する大日本プロレスさんで、ずっと反則ありでやってきてるから。
    ――ルールを守るだけじゃなく、ルールを活かすことによって、お客さんがより熱狂できるようになるということですね。
    京平 すべてに意味があるの。レスラーたるもの、攻めているんだったら自分のコーナー側で攻めるべきだし。自分が有利なのに敵陣のほうで攻めているのはおかしいでしょ。
    木原 たとえばボディスラムでガーンと投げて、タッチした次のヤツもボディスラムを投げて、またタッチしたらまたボディスラムをやる。でも、センスないヤツは、そこでロープに振っちゃうんだよね。
    ――「そこはボディスラムだろ!」と。
    木原 腰を狙うなら徹底的に攻めないと。パートナーが腰を攻めてるのに、アキレス腱固めやヘッドロックをやってると「何を考えているんだ?」と思いますよ。さっきのゴディ&ウィリアムスの話に少し付け加えると、ハンセン&ブロディというのはボクがまだファンの時代に活躍していた選手で、ガキの頃から見ている立場からすると、ハンセン&ブロディは強いけど暴走しがちというか。反則負けがしょっちゅうあったんですよね。
    京平 ブロディはジョー樋口さんをよくぶん殴ってたよ(笑)。そうなるとレフェリーは「許さん!」ということで反則。
    木原 ハンセンもリング外で暴れてリングアウト決着とか。でも、ゴディ&ウィリアムスってそういうのがあまりないんですよね。たとえば、場外に出てガチャガチャやってても、すぐにリング内に戻ったし。そのへんはたしかに京平さんのおっしゃるとおり、ゴディ&ウィリアムスがタッグチームとして完成されてましたよね。また、ゴディみたいな荒くれ者と、スティーブ・ウィリアムスみたいな全米アマレスチャンピオンとのバランスもよかったですし。
    ――そのウィリアムスに目をつけて新日本とトレードした馬場さんも凄いですね。
    京平 新日本はウィリアムスを使いきれなかったからねえ。ジュニア系では、やっぱりカンナム・エクスプレス(ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット)が面白かったよね。カンナムとマレンコ兄弟が対戦するときは面白かったよ。その中で一番ヘタというか、あんまりプロレスがうまくなかったのがダグ・ファーナス。でもね、これがまた面白かったんだけど、ダグ・ファーナスのしょっぱさと、ダニー・クロファットのうまさがちょうどうまく噛み合ったんだよね。
    木原 クロファットのほうはコテコテのプロレスラーですよね、テリー・ファンク並みの。つまり、クロファットはなんでもできたんですよ。
    京平 そう。しかも、クロファットは本当に強くて、馬場さんがPRIDEみたいな大会にも出そうと思ってたぐらい。
    ――えっ、そうなんですか?
    京平 プロレスラーは強えんだ、と。その代表として「じゃあ、クロファットでも出すか」と話してた。
    木原 彼はもともとは旧UWFに上がった選手でしたから。
    京平 あと渕(正信)も出そうかなあということで。
    ――渕さんの総合格闘技は見たかったですよ!
    京平 渕は強いよ。この2人は馬場さんの中では出してもかまわないぐらいに思ってた人たちですよ。
    ――意外ですね、馬場さんがそんなこと考えていたなんて。
    木原 YouTubeでカール・ゴッチさんの試合映像を見ると、渕さんとそっくりですもんね、体型も身体の動かし方も。ゴッチさんというと藤原(喜明)組長とか木戸(修)さんとかのイメージがありますけど、試合を見ると完全に渕さん。あんなガッチリした複雑な関節技やらないですもん。
    ――渕さんは某有名柔道家と道場でスパーリングをやって負けなかったという話もありますね。
    京平 道場破りは必ず相手をしていたからね。昔は道場破りが本当に来てましたから。リング上で相手をしてやったこともあったみたい。新日本ではそれが藤原喜明さんの役割でしょ? そういうことを教えていたのは新日本はカール・ゴッチさん。全日本はパット・オコナーだったんだよね。三沢(光晴)とかはパット・オコナーが教えてた。
    木原 パット・オコナーって全日本道場にいたんですか?
    京平 うん。馬場さんがわざわざ日本に呼んでね。試合はやらなくていいけど、合宿所で教えてやってくれって。結局、パット・オコナーって試合に関してはプロレスというものを魅せられないんだよ。そこはカール・ゴッチもそうだけど。グラウンドレスリングみたいなガチガチの試合はパット・オコナーに勝てる人はいないから。
    ――馬場さんもプロレスラーの下地の部分を重視していたんですね。
    京平 馬場さん自体が強かったからね。
    木原 ああ、「馬場さんには敵わない」って言いますよね。あの身体で乗られたら終わりだって。
    ――クロファットが本当に強かったというのはいい話ですね。
    木原 ダグ・ファーナスのほうはパワーリフティングの世界記録を持っていたんですよね。それが日本でたまたま一緒になって、試験的にタッグを組んでいって。カンナムは日本で誕生したタッグチームなんですよ。もともとカンナムとして日本に来たわけじゃなかった。最初はケン・シャムロックとかと一緒に来ていたはずですよ。ボクが全日本に入った頃、シャムロック、ダニー・スパイピー、クロファット、ファーナス、けっこういろいろ馬場さんが外国人レスラーを入れ替えている時期で。マレンコ兄弟も来てましたしね。マレンコもカンナムと同じで、お兄さんがガチガチのシュートスタイルで、弟が万能系というか。
    京平 そう。だからカンナムとマレンコ兄弟が戦うと面白かったんだよ。
    木原 あと、ジュニア系でもいいタッグがいっぱいいましたよね。ザ・ファンタスティックスとか、ロックンロール・エクスプレスとか……。
    京平 ちょっとおちゃらけだけど、俺は覆面コンビのブラックハーツが好きでね。試合中にどっちがどっちからわからなくなるから、これを見極めるのがレフェリーとしてもの凄く楽しみで(笑)。
    木原 京平さん、あのブラックハーツのひとりは、あのあとマスクを脱いでWWEに上がって、もの凄い有名になったんですよ。
    京平 ああ、だってうまかったもんなあ。
    木原 やっぱり90年の初頭が面白かったですよ。まだ超世代軍はなくて、外国人選手がいっぱいいて。その後、2~3年経つと日本人抗争が始まりましたけど。
    ――あのへんから、外国人レスラーのハードルが高くなっていったんですかね。
    京平 というか、もともと全日本はハードルが高かったんだよ。それに、どうしても日本テレビとの契約上、外国人を呼ばないといけなくて。シリーズに7人まで外国人レスラーを呼ばないといけないという契約があったんですよね。ところが、外国人レスラーってめちゃくちゃ高いんです。ギャランティも凄いけど、飛行機代だけで1000万円ぐらいかかるから。
    木原 それに安いホテルに泊まってないですからね。
    京平 日テレからもらったギャランティなんて、外国人レスラーで全部飛んでったもん。いいレスラーは必ず3人呼んで、あとは安いレスラーでOKと決められていたんです。
    木原 いい選手がいっぱいいたから、90年代は1シリーズに10~14人ぐらいいたときもありましたよね。
    京平 どんだけ金かかってるんだよって(笑)。馬場さんってレスラーに対して絶対にエコノミーなんて乗せないからね。身体の大きいレスラーがエコノミーなんてもってのほかだと。そこそこのレスラーでもビジネスクラス、NWAチャンピオンや三冠チャンピオンになった選手はファーストクラスでしたね。
    ――いまはファーストクラスで来る外国人レスラーなんていないですよ(笑)。
    京平 みんなファーストクラスに乗りたいから、早く三冠チャンピオンになりたいと言ってね。馬場さんも言ってたもん。「ジョニー・エースがファーストクラスに変えてくれって言ってきた。バカヤロウ、チャンピオンでもねえくせに」ってね。チャンピオンってそのぐらい権威を持っていたんですよ。
    木原 ボクは空港まで選手の送り迎えもしていたんで、帰りのチケットなんかは全部持っていたんですけど、ハンセン、ゴディ、ウィリアムス、ブッチャー、たまに来ていたファンクスはファーストクラスでしたね。たとえばハンセンだったら、ちゃんと襟付きの服にテンガロンハットを被って来てましたし、ブッチャーもスーツを着て降りてくるんですけど、ゴディとウィリアムスはビーサンだったんですよね(苦笑)。
    京平 それを見た馬場さんが「あっちゃー」って。「あんな格好でファーストクラスに乗せたくねえなあ」と言ってね。お酒も飲み放題だから当然酔っ払ってるし。
    木原 空港についたときにゴディが仮死状態だったことがありましたしね。12000字の王道トークは会員ページへ続く!

    この続きと、アポロ菅原vs鈴木みのる、斎藤裕、和田京平&木原文人、ウォリアーズ里…などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
     
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1970192
    この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!

     
  • 偉大なるグラップラー、ハビブ・ヌルマゴメドフの凄さ/水垣偉弥

    2020-11-06 00:00  
    105pt
    北米MMAを知り尽くした男が語る水垣偉弥が偉大なるグラップラー、ハビブ・ヌルマゴメドフの凄さ(この記事はニコ生配信されたインタビューを構成したものです)
    【1記事から購入できるバックナンバー】
    ・内柴正人が出るなら出ません……矢野卓見、QUINTET出場辞退騒動を語る

    ・北米のプロスポーツで殺人、レイプやDVの経歴を持ってる選手を売り出すことは難しい■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    ・佐伯さん、KINGレイナはどうなるんですか!?

    ・【RIZIN24の裏側】RIZIN広報・笹原圭一の1000倍返しインタビュー
    ・水垣偉弥が見たRIZIN24…ジャッジの難しさ「画面とリングサイドからでは見えるものが違ってくる」

     


     

    ――水垣さん!本題にはいる前にRIZIN RADIOという番組で、RIZINアンバサダーくるみさんが水垣さんの勝敗予想YouTubeにダメ出しを……
    水垣 あー、ジャンさんが出ていた番組ですね。笹原(圭一)さんやジャンさんたちがボクのことを言ってくれるのかなと思ってたんですけど、くるみさんがボクのことをイジってくれるとは。嬉しいかぎりです(笑)。ボクのYouTubeを見ててくれてるんだなって。
    ――くるみさんのチェックは厳しいですので今後お気をつけください(笑)。
    水垣 これでもうボクのYouTubeは、RIZINオフィシャル予想番組を名乗っていいんですかね?(笑)。
    ――勝手に名乗っていい思います(笑)。それで今回は“ヌルマゴ大好き”な水垣さんにヌルマゴvsゲイジー戦についてお聞きします!
    水垣 いやあ、いま“ヌルマゴ・ロス”が激しくて。
    ――“ヌルマゴ・ロス”ってメキシコのルチャにいそうなネーミングですね(笑)。ヌルマゴは勝利後に引退を宣言しちゃいましたねぇ。
    水垣 ダナ・ホワイト様が「また戻ってくる」みたいな話もしてますけど。
    ――水垣さんの事前予想では、ヌルマゴが難なく勝つだろうと。試合展開を含めて予想どおりでしたか? 
    水垣 ただ、ヌルマゴは1ラウンド序盤は動きが固かったですねぇ。いつものヌルマゴではないな、っていう。計量もシンドそうだったじゃないですか。入場もいつもより固い感じはしましたし。試合の出だしも固かったので「今日はよくないのかな」と思ったんですけど、その固さが取れたあとはいつものヌルマゴだったんですけど。 ちょっと心配になるぐらいの固さでしたね。 
    ――コーチだったヌルマゴの父親が新型コロナでお亡くなり、ヌルマゴはキャンプ中におたふく風邪にかかったり、足を骨折していたとか。
    水垣 骨折とかの情報は事前に知らなかったので、計量がキツかったのかなとは思ったんですけど。引退を決意していたことを含めていろいろなものがトータルであの固さに繋がっていたんだなと納得したんですけど。
    ――逆にゲイジーの動きはどうでしたか?
    水垣 タックルを取られないように頑張って動いていたとは思うんですけど、パンチを打とうとするとヌルマゴがスッとバックステップをして、追っかけようとすると組付かれそうな怖さがある。ゲイジーはそのジレンマの中にハマってしまったのかなと。 
    ――1ラウンドのゲイジーはローキックが有効でしたね。
    水垣 ローがかなり当たってましたね。意外と当たっていたんですけど、 やっぱりその先の展開が見せられなかったなと。さっきも言いましたけど、ゲイジーがパンチを打とうとするとヌルマゴは一瞬下がる。その外し方が絶妙だったので、ゲイジーがパンチを打つ距離まで踏み込めなかったのかなと。 
    ――ヌルマゴは1ラウンド終盤にテイクダウンからマウントを奪い、腕十字を極めかけて。
    水垣 あの攻防でリラックス感が出たというか、 ヌルマゴの肩の力が抜けたというか。 やっぱり一度組むと、“組み感”じゃないですけど……表現が難しいんですけど、組みの選手は落ち着けるんですよね。 ボクは組みの選手ではなかったとは思うんですけど、相手の力感がわかって落ち着けるという。
    ――意外だったのは1ラウンドのジャッジは、3人中2人がゲイジー支持で。
    水垣 実際ローをバシバシ蹴ってましたけど、最後はテイクダウンからマウントは取られて極められそうになったので、ヌルマゴが取った印象のほうが強かったんですけどね。
    ――水垣さんもUFCファイトパスの解説で最後の腕十字がなければ、1ラウンドはゲイジーだとおっしゃってましたね。
    水垣 「あそこまでヌルマゴがローを蹴られるなら……」というジャッジの印象があったんですかね? 「今日のヌルマゴが違うぞ」と。でも、プロのジャッジなのでそんな影響はなかったと思うし、そこまでヌルマゴがやられた感じではなかったんですけど。ゲイジーには打撃を見せてテイクダウンに行ったら……という期待もしてたんです。対戦相手によっておもいきったことをするのか、 それとも普段どおり戦うのか。相手によって作戦を変えることってけっこう難しいと思うんですよね。ゲイジーがテイクダウンを仕掛けて失敗したら「なんで普段どおりやらなかったんだろう?」となりますし。 タイトルマッチという大勝負を考えると、おもいきって行動を取ることは難しいし、かなり勇気がいることだと思うので。ゲイジーは打撃でやりきる自信があったからこそテイクダウンの考えはなかった。 打撃で倒す自信がなかったらテイクダウンに行ったかもしれないですし。 
    ――ヌルマゴは2ラウンドにテイクダウンから三角絞めで一本勝ち。圧勝でした。オールアメリカンのゲイジーすら難なくテイクダウンを奪うヌルマゴは恐ろしいですね……。
    水垣 このあいだも話しましたけど、ヌルマゴがテイクダウン回数のUFC記録を作った試合の相手はオールアメリカンのレスラー(アベル・トルヒーヨ)なんですよ。
    ――おかしなことをやってますね(笑)。
    水垣 そのあと戦ったマイケル・ジョンソンもレスリングが強い選手ですし、テイクダウンを防ぐのが超うまいエジソン・バルボーザにも勝っている。ヌルマゴのテイクダウンを取る技術、 そして立たせない技術、殴る技術は本当に凄いんです。 
    ――なぜヌルマゴはここまで組みで圧倒できるんですか。
    水垣  ヌルマゴは相手を担ぎ上げるテイクダウンが印象に残るじゃないですか。 でも、ボクが注目しているのは……

    この続きと、アポロ菅原vs鈴木みのる、斎藤裕、和田京平&木原文人、ウォリアーズ里…などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
     
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1970192
    この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!

     
  • 斎藤裕インタビュー「朝倉未来選手はUFCやベラトールの選手から見れば特別な存在ではない」

    2020-11-02 00:00  
    110pt
    大晦日前なのにクライマックス!RIZIN初代フェザー級王座決定戦として朝倉未来戦に臨む斎藤裕インタビュー!
    【1記事から購入できるバックナンバー】・朝倉未来戦はタイミングが合えば……斎藤裕はいったい何を考えているのか?・皇治ロングインタビュー「どんな結果になっても皇治ワールドになるんですよ」
    ・神龍誠「NOAHに入るために中卒で総合格闘技をはじめました」
    ・平本蓮 縦横無尽ロングインタビュー!! 大晦日MMAデビュー、朝倉未来、天心vs皇治のこと



    ――斎藤選手! いきなり変な質問から入っていいですか。斎藤選手の恋愛観なんですけど。
    斎藤 えっ、恋愛観?(笑)。いいですけど。
    ――誰か好きな人がいた場合は待つタイプなのか、特攻するタイプなのか。
    斎藤 あー、えっと……逃したくないと思ったら自分から行きますね。ハハハハハ。ま、あまりそういうケースはないですけどね(笑)。この人を逃したら、あとに残りそうだなと思ったら玉砕覚悟で……。
    ――いままで「逃したくない!」と思ったファイターはいたんですか?
    斎藤 うーん、あんまりいないかなあ。その目標を倒したら終わっちゃいますからね。負け続けてダメだったらやめるしかないよねっていうふうに思ってますけど、 試合に勝っていけば、強い相手と戦えるだろうし、自分も強くなるだろうし。そこで新しい景色が見えてストーリーが続いていくかもしれないですよね。 誰か追いかけて戦うとなると、その選手を倒したら終わっちゃいますからね。
    ――今回対戦が決まった朝倉未来選手にはどういう思いがあるのかなと。いろいろとあった2カ月間の中で“待った”ところもあるわけじゃないですか。
    斎藤 朝倉選手は同じ時代に同じ階級、同じ団体にいた選手ということです。ボクはアマチュアの頃からずっとフェザー級でやってますからね。 フェザー級で強い選手がいれば、めぐり逢うのは必然なのかもしれないです。
    ――11月の対戦は外野からすると急遽実現された感がありまして。
    斎藤 そう見えるかもしれないですね。この試合でいうと、機を逃すと、ちょっと機会がなくなるのかなと思って。やるんだったら、このタイミングなのかあとは思いました。この試合って自分から望んでもやれるもんじゃなかったり、いろんなことに左右されると思うので。大晦日になったら、また違う話になってるかもしれないですし。それがRIZINなのかなと(笑)。
    ――ハハハハハハハ。大晦日なりの選択肢が増えるかもしれないですね。
    斎藤 うまくは言えないですけど、こういう流れができたら、やったほうがいいよねって思いますね。今回は向こうがボクを選んでくれたと思ってるので。
    ――主導権は朝倉選手にあると。
    斎藤 向こうはある程度、選べる立場だと思うんですよ。やっぱりRIZINで7連勝してるんで、こっちは1勝なので……ってことですよね。この選手と戦うと言える立場だと思うんですけど。今回は向こうがボクを選んで、こっちはこのタイミングしかないかなってことで思惑が一致したというところじゃないですかね 
    ――斎藤選手は振り回されたくないっていうスタンスだけど、という。
    斎藤 RIZINで王座戦を争うというところでは仕方ないですね。自分が4連勝5連勝していたなら話はちょっと違うと思うんですけど。 この現状では仕方ないなと。
    ――冷静ですね。
    斎藤 そうですか(笑)。どうなんでしょう。
    ――だと思いますけど(笑)。斎藤選手としては大晦日の考えはなかったんですか?
    斎藤 それがベストだとは思っていたんですけど、9月から大晦日まで3ヵ月間あるので「そのあいだに何があってもおかしくないね」という話はしてて。それがRIZINなので(笑)。
    ――ハハハハハハハ!
    斎藤 そういう気持ちではいました。大晦日に海外勢が入ってこれるかどうかで、また状況も違ってきますし。 8月に参戦してからいろいろあったのでボクはなんでも来いの状況ですね(笑)。あとはやるだけです。
    ――今回は大阪大会ですけど、当初は仙台大会開催という話だったと聞いてるんですね。
    斎藤 はい、そういう話は聞いてました。
    ――仙台でやる場合はRIZINのスピンオフ的なイベントになると聞いてたんですけど。仙台大会のオファーはあったんですか?
    斎藤 具体的な話はなかったです。仙台大会の話は聞いてましたけど、そこでは試合はないと。
    ――大阪城ホールのビッグマッチだからこそこの朝倉未来戦ということですね。
    斎藤 RIZINさんとは逐一連絡は取り合っていたので、そのあと大阪城ホールで大会があると聞いたときに「もしかしたら、これはあるんだろうな」と思いました。
    ―― オファーは即答だったんですか?
    斎藤 即答ですね。
    ――この試合が決まった背景にはリング外での両者の因縁が雪だるま式に膨れ上がっていったことがあったと思ってまして。斎藤選手の「タイミングが合えば」というマイクもそうですし、9月大会でもこの試合がギリギリまで調整されていたと榊原(信行)さんは明かしてましたね。
    斎藤 オファーがあったので「できます」と。驚きもありましたよね。2戦目でタイトルマッチができるのは幸運だったので。
    ――榊原さんいわく朝倉選手も同意していましたけど、最終調整がつかず9月大会は流れたということですね。
    斎藤 結果的にですね。
    ――8月に試合があったばかりなので、斎藤選手があまり乗り気じゃなかったのかなという憶測も流れて。
    斎藤 進んでいる話もあったので、何がどうこうとは自分からは言えないですよね。朝倉選手は何かツイートしてましたけど。あれも他人から送られてきたんですよね(笑)。でも、あの時点でも何がどうなるかのかわからなかったので。
    ――いまって選手がSNSなんかで交渉の内幕を明かすことが多いじゃないですか。
    斎藤 それもやり方のひとつなのかもしれないですけどね。 
    ――そこはグッとガマンするというか。
    斎藤 ガマン強いというか言えないですよね、その状況では。 そういうものも見せちゃいけないんですよ、もう“試合”は始まってるので。
    ――ああ、なるほど。
    斎藤 勝負はミスしちゃいけないです。墓穴を掘るのが一番ダメなパターンですからね。
    ――そこで手の内を明かすことはしたくない。「タイミング合えば」のマイクのときから相手のペースに乗りたくないというか、振り回されたくないという姿勢は常にあるという。 
    斎藤 そうですね。彼が何を考えてるかもよくわからないので、そこはボクが考えても仕方ないとは思うんですけど。それより格闘技は勝たないと意味がないですからね、 そこは考えるところではないですよね。
    ――発想が凄くシンプルですね。
    斎藤 ああいうやり方を彼はやってますから、自分をよく見せるというか。それはやり方のひとつだとは思いますけど。
    ――おふたりが出席した記者会見では朝倉選手から刺激的な言葉が飛び出しましたね。「競った相手ではない」と。

    この続きと、アポロ菅原vs鈴木みのる、斎藤裕、和田京平&木原文人、ウォリアーズ里…などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
     
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1970192
    この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!

     
  • マーク・コールマン、性的虐待の告白

    2020-11-01 00:00  
    100pt
    アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマはマーク・コールマン、性的虐待の告白です!<1記事から買えるバックナンバー>
    アメリカのプロレスから“ハウスショー”が消える日
    欠場者続出! 新型コロナウィルスに苦しむアメリカンプロレスシーン
    ストーカーの狂気! WWE女子プロレスラー誘拐未遂事件

    盟友の死、コロナで破綻する生活……それでも血を流すデスマッチファイター
    「男が男に性的虐待をするなんて思わなかった」
    初代UFC世界ヘビー級王者、PRIDE GP 2000王者、そして、UFC殿堂入りも果たしているマーク・コールマンは、オハイオ州立大学在学中に、中年で小柄な男性のドクターから性的虐待を受けていた。その男性ドクターは「健康診断するわよ」とまるで女性のような口調で囁くと、コールマンの服を脱がし、筋骨隆々に鍛え上げられたコールマンの身体に触れた。しかし、コールマンにはドクターの手を拒否することができない理由があったのだった……。
    被害にあっていたのは、コールマンだけでなかった。いわゆる「オハイオ州立大学性的虐待事件」と呼ばれ、大学体育局の担当医師を務めていたリチャード・ストラウス医師が、1978年から1998年の20年間にわたり、男子学生350人以上に性的虐待を加えてきたスキャンダルである。ストラウス医師は、学外の診療所のほか、学内の検査室、更衣室、シャワー室、サウナなどで男子学生に対し性的な行為を行なっていたそうだ。
    性器が炎症を起こした、あるレスリング選手は感染症の治療後、およそ20分にわたりストラウス医師の手で性器を弄ばれたという。
    被害に遭った男子学生の多くは、病気や症状に関係なく、診察が終わると性器をまさぐられた。ストラウス医師は学生たちに「男の子はリンパ節が睾丸にあるのよ。だから、ここも念入りに診察してあげるわね」などと医師の立場を利用し、言葉巧みに若い彼らにセクハラ行為を繰り返した。
    あるヘビー級レスラーは、20回の診察中19回も被害を受けたと語る。
    「診察を終えると、彼の細長い指が股間に伸びてくるんだ」

    この続きと、アポロ菅原vs鈴木みのる、斎藤裕、和田京平&木原文人、ウォリアーズ里…などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
     
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1970192
    この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!

     
  • 人生の判定勝ちを狙う男・川名雄生 「ラムしゃぶとプロ格闘家とは何か」

    2020-11-01 00:00  
    110pt
    修斗世界ライト級王者川名雄生12000字インタビュー。RIZINデビュー戦は武田光司に判定負けを喫したが最後まで武田を苦しめた。ツイッターや公開練習などで独特の存在感を示す川名の素顔とは? 川名が店長を務めるラムしゃぶ店にうかがった。【1記事から購入できるバックナンバー】・【RIZIN24の裏側】RIZIN広報・笹原圭一の1000倍返しインタビュー
    ・内柴正人が出るなら出ません……矢野卓見、QUINTET出場辞退騒動を語る

    ・佐伯さん、KINGレイナはどうなるんですか!?



    ・俺たちのスーパースター!! 皇治を100倍楽しむ方法■大沢ケンジ
    ――今日は川名選手が店長を務める藤沢の『北海しゃぶしゃぶ 湘南藤沢店』にやってきました! このお店はもう長いんですか?
    川名 今年の5月で3年が経過しました。じつは、オープンしたのが2017年で、環太平洋タイトルマッチがあった年なんですよ。
    ――大事な年になったんですね。それ以前に飲食店での勤務経験はあったんでしょうか?
    川名 経験はまったく(笑)。
    ――えっ!(笑)。
    川名 バイトでもやったことなかったです。この店は、ボクが所属する『Y&K MMA ACADEMY』の山城裕之代表が経営していて、代表はもともと外食産業出身の方なんですよ。その方がいきなり「もうハコを用意しといたから」と。
    ――いきなりでも店長の仕事は務められるんですか?
    川名 正直、最初は戸惑うことも多かったです。ウチはしゃぶしゃぶの店なので、お肉をスライスしたり接客したりするんですけど、一応いまではボクも全般的にやっている感じですね。
    ――料理といえば、最近は「北岡悟丼vsまりな丼」がネットを騒がせていましたが、専門家からはどう見えるんでしょう?(笑)。
    川名 そうですねえ、個人的には「丼」といえば、やはり米の上にしっかりおかずが乗っているというのが「丼」じゃないか、と。
    ――なるほど(笑)。
    川名 ただ、それは個人的見解だったので、あらためて「丼」の定義を調べたんですよ。そしたら、やはりボクの見立てどおりで。そうなると、あのYouTuberの方の料理には米がないので、結論としては「丼」ではなくサラダボウルだということになりますね。
    ――「サラダボウル」だとネーミングにインパクトがないですね(笑)。
    川名 まあ言いやすいですよね、「ナントカ丼」のほうが。あのサラダボウルとは別に茶碗でご飯を用意したとしても、それはただの定食だろうと(笑)。ボクの見解としては、こういう感じです。
    ――解説ありがとうございます(笑)。今回は、なぜ川名選手がそうした飲食のプロになったのか、そしてプロ格闘家になったのかの経緯もおうかがいしたいと思います。川名選手はもともとは柔道をやっていたんですよね?
    川名 中学と高校の6年間は柔道をやってました。でも、普通に和気あいあいとした部活動でしたし、自分が高3のときは部員が自分1人とかだったんですよね。そのときに、ちょうど高校の同級生に山田哲也がいまして。
    ――山田哲也選手というと、“闘う高校生”としてZSTでは早くから活躍していましたね。
    川名 彼が家の近くのジムに通っていて、運動できる場所がほしかった自分は、彼に「ジム紹介してよ」と。そこで同じジム(当時「しんわトータルコンバット」)に通い始めたという感じです。もともと山田哲也が高1から格闘家として活動し始めたのは知っていたんですけど。
    ――では、高校卒業後もそのままジムに?
    川名 ジムには高3の4月から通い始めたんですけど、その年の6月頃にはもう「総合格闘技をやる」と決めていたんです。
    ――決断が早い!
    川名 それからZSTの系列イベントのSWAT!に出て、たまにZSTの本戦にも出ていたんですけど、平(信一)選手と戦ったのがZSTに出た最後かな?
    ――山田選手とのつながりがあるから、ZST系に参戦していたんですね。
    川名 そもそもジム自体がZST系の選手が多かったんです。高校を卒業してからはジムを経営している会社にそのままお世話になりました。
    ――それが介護を中心とする「しんわグループ」で。
    川名 そうです。説明すると当時のジムは「しんわグループ」が経営してて、代表は山城さんなんですが、ジムの名前が『Y&K MMA ACADEMY』に名前が変わってから、ジム経営も山城代表になりました。そして2017年にY&Kコミュニティーズのお店として『北海しゃぶしゃぶ 湘南藤沢店』がオープンしました。
    ――山城代表とは公私ともにお付き合いが長いんですね。
    川名 もしそのジムに通ってなかったら、いまごろ何やっていたのか……。ただ、普通のサラリーマンにはなりたくないなあと思っていたんですよ。それにしては進路とか考えてなかったんですけどね(苦笑)。
    ――仕事もしながら格闘技ができる環境を手に入れて。
    川名 それが両立できる職場だということで、親からもOKをもらいました。ただ、最初に就いた仕事はコンビニの店員だったんですけども(笑)。
    ――「しんわグループ」はコンビニも経営しているんですか?
    川名 そうなんです。なので、社会人の最初の半年ぐらいはコンビニで働いていました。そのあとは介護系で、訪問入浴の仕事でしたね。
    ――でも、介護の仕事とは若いうちからなかなか大変ですね。
    川名 でも、もう身体が慣れちゃってるので大変という感覚がなかったです。仕事が終わって夕飯を食べたらすぐにジムで練習する一日でしたし。
    ――そのあいだにもZSTに継続参戦しつつ、途中からは修斗に参戦するようになって。
    川名 当時、ZSTではなかなか勝てなかったんですよ。ZSTって判定決着がなくて、勝敗はKO・一本勝ちするか、そうでなければ全部引き分けだったので。
    ――川名選手としては、どちらにしても勝敗の結果がほしかったというか。
    川名 そうです。だから「なんか格闘技、面白くないなあ……」と思っていた時期がありましたね。「判定があったら俺が勝ってるのに、また引き分けか……」と。そんな時期に、代表から「ZSTじゃなくて、もう1回アマチュアからやっていこう」と。当時、アマチュアの最高峰というと全日本アマチュア修斗ということだったので。
    ――それはZST系のジムとしては大丈夫だったんですか?
    川名 まあ、ウチのジムはけっこう自由なので。むしろ代表のほうから「修斗に行こう」と言ってくださったんで。もともと代表は修斗系のジムに通っていたこともあって、自分のジムから修斗の選手を出したいという思いがあったみたいです。
    ――アマチュア修斗に出るにあたって、ZSTでの経験も有利に働きそうですよね。
    川名 ほかのアマチュア選手とは戦ってきたレベルも違うし、経験値もあるしとは思っていました。アマチュア修斗に行くにあたって、代表とは「絶対に今年でプロになるぞ」と。2~3年もアマチュアを続けてたらモチベーションがもたないから、と。でも、ウチは修斗の選手がまったくいなかったんで、そういうポッと出のジムの選手がプロになるには、確実に全日本アマチュア修斗の決勝まではいかないとダメだという見立てだったんですよ。「アマ修のレベルってどのくらいなんだろう」ということで、DVDとか買いあさりました。それ観て、アマチュアでもレベルが高いなあと思いましたね。
    ――2012年とかってまだPRIDEやK-1の余韻が残っているから、格闘技を目指そうという人が少なくない時期ですもんね。そこを勝ち抜くのはけっこう大変そうですけど。
    川名 そこから小谷直之さんがいるロデオスタイルに出稽古に行ったりして、あそこはけっこう選手が多いんでたくさん練習させていただきました。アマチュアの地方予選に出るんですけど、大阪、北海道、北信越などいろいろ大会がある中、出られる大会全部に出て、とにかく優勝するぞ! ということで。一発目の大阪大会で優勝できたので、結局出たのは大阪大会だけです。
    ――つまり、優勝できるまで全部出るつもりだったということですね。
    川名 もし大阪がダメだったら、新潟の北信越、それがダメだったら東海、それがダメだったら北海道までいくぞ、と。それでもダメだったら関東予選しかないんですけど、関東は全日本より厳しいというか(苦笑)。
    ――もう選手層が厚すぎて。
    川名 でも大阪で優勝できたんで、とりあえず全日本には出られるぞということで、「あとは全日本で決勝まで行くだけだ」と。その全日本で準優勝だったので、一応プロにはなれました。もうZSTではすでに10戦ぐらい戦っていたので。まあでも、やっとプロとして胸を張れる状態になれたという気持ちはありました。
    ――一方、そこから段々と国内メジャーイベントが消滅していくわけですが……。
    川名 その頃はUFCを目指す選手が多かったですよねえ。ONEやROAD FCもあったんですけど、UFCを含め自分の中ではあんまり現実的ではなかったです。当時はもう修斗でいっぱいいっぱいというか、まず「修斗で新人王を獲るぞ」というレベルだったので。でも、それを獲ったらすぐにクラスAの選手と当てられましたけど。「いきなりこのレベルの人を当てられるの?」と(苦笑)。
    ――でも、そのわりには戦績がキレイですね。
    川名 修斗だと松本(光史)と戦う環太平洋のタイトルマッチまでは勝ち続けてました。だから、いきなり上の選手と当てられても、それなりの対応ができていたんでしょうね。
    ――それができたのは、やっぱり練習だったんですか?
    川名 練習量と、あとはイメトレですね。仕事中も対戦相手の映像を観て、ずっと頭の中でイメージ力をつけてましたから。
    ――武井壮さんとかも、よく「イメージすることが重要だ」とおっしゃっていますけど。
    川名 自分自身は試合のときに「これ、イメージどおりだ!」というのはけっこうありますよ。というか、すべてイメージで終わらせたいというか。何通りものケースを考えて、何がきてもすぐに判断できるようにイメージして動きを身体に染み込ませるというか。やっぱりこっちは普通の仕事をやりつつなので、ほかの選手より練習時間が少ないじゃないですか。そういう中でどう効率よく練習するかというのはずっと考えているので。
    ――よく考えたら、プロになってからもずっと働いているわけですもんね。たとえは、スティぺ・ミオシッチなんかいまだに消防士ですし、浜崎朱加選手も仕事を続けながら練習もしているじゃないですか。それって、兼業にも何かしらのメリットがあるから続けているということですよね?
    川名 メリットでいうと、やっぱり日々の生活には困らないですからね。
    ――やっぱりそこは大きいですか。
    川名 ファイトマネーに頼らずとも、そこに基盤がありますから。あとは、意外と正社員のほうがスケジュールを組みやすかったりします。バイトをやりながらの人もいますけど、試合前になかなか休みが取れないことがあると思うんで。正社員だとあらかじめ予定を組んで動けますから。
    ――それは会社との信頼関係を構築できているからこそですよね。
    川名 あとは「サプリメントを買いたいけどお金がないぞ」とか困ることはないですし。自分の身体づくりもそうですけど、単純に試合に行くのにも交通費がかかるじゃないですか。それに、ファイトマネーは後払いですから。
    ――そのファイトマネーも、めちゃくちゃ高いわけでもないし。
    川名 そういう意味では、修斗だとランカーあたりが一番キツイんじゃないですかね?
    ――ああ、それは凄く納得の指摘です。
    川名 ファイトマネーはそんなにないけど、練習量を増やさないと勝てないし。「チャンピオンになるまでもうちょっとだ」と言いつつも「じゃああと何戦やればいいんだ?」みたいな。
    ――逆に、ど新人のファイターは「まだ自分はお金もらわなくていいや」ぐらいの感覚ですもんね。
    川名 新人の頃はまだお金を期待していなかったですね。
    ――川名選手自身は、たとえば修斗のランカー時代、どういうスケジュールで練習していたんですか?
    川名 自分の場合は、ヨソでいろんな刺激を受けたほうが向いているという感じだったので、ほぼ出稽古でした。一番しっかり出稽古に行っていたときは、まず月曜日はロータスに。
    ――場所は世田谷の千歳烏山ですよね!? この湘南藤沢近辺から行くんですか?
    川名 片道1時間半ぐらいですか? で、火曜日はシューティングジム横浜でやっていたマモル塾。いまはパンクラスイズム横浜さんでやっていますけども。それが終わったあとに夕方ぐらいから門前仲町にある安藤晃司さんのネバークィットさんに。
    ――それも遠い!
    川名 で、水曜日はパンクラスイズム横浜さんのプロ練、木曜日は長南亮さんのトライブまで行きますかね。
    ――えええ! 練馬まで!? 移動は車ですか?
    川名 いや電車です。だから、片道2時間ぐらいかかりますよ。練習時間より移動時間のほうが長いです(苦笑)。コロナ前、フルで出稽古していたときはそんな感じですかね。いまはコロナになって、奥さんと子供も守らないといけないので、出稽古はパンクラスイズム横浜さんだけにしてますけど。
    ――ちなみに、ご結婚はいつ?
    川名 ちょうど結婚する年にお店の店長になったんで、もう3年ぐらいですか。子供はもう2歳になります。
    ――格闘家って結婚するタイミングも難しいですよねえ。
    川名 まあ、アルバイトだと奥さんが心配だったでしょうね。ボクの場合もケガとかの心配はあるんでしょうけど、ちゃんとした固定収入がありつつ、試合はボーナスみたいな感じなので。
    ――川名家はお小遣い制ですか?
    川名 はい。臨時収入のファイトマネーは「これぐらいのお金もらったよ」というと、「じゃあこれは何々に使うから」と言う感じで、余ったお金を「はいどうぞ」と渡されます。ただ、交渉の余地はありますよ(笑)。
    ――その戦いが一番シビアそう!(笑)。12000字インタビューはまだまだ続く!

    この続きと、アポロ菅原vs鈴木みのる、斎藤裕、和田京平&木原文人、ウォリアーズ里…などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
     
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1970192
    この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!


     
  • アポロ菅原 SWS鈴木みのる戦シュートマッチ全真相1万字インタビュー

    2020-11-01 00:00  
    110pt
    国際プロレス、全日本プロレス、パイオニア戦志、SWS……昭和から平成にかけて様々なプロレス団体を渡り歩いてきたアポロ菅原インタビュー第4弾。SWS鈴木みのる戦シュートマッチ全真相を1万字で語り尽くします!【アポロ菅原インタビューシリーズ】
    ①アポロ菅原「国際プロレス最後の夜は、麻雀をやっていました」②【全日本プロレス編】アポロ菅原インタビュー「いま振り返っても何もできなかったんじゃないかな」
    ③「剛竜馬とパイオニア戦志、北尾光司」


    ――今回は菅原さんがメガネスーパーのプロレス団体SWSに入団してからのお話を聞かせていただきます。菅原さんがコーチをしていた北尾(光司)さんを通じて天龍(源一郎)さんから入団の許可を得たそうですが、面接なんかはあったんですか?
    菅原 ええと、ありません(笑)。SWSの道場があった新横浜で若松(市政)さんと「キミ、来てくれるんだってね?」という話をしたことはあります。
    ――若松さんはSWS設立における中心人物で。給料の話もされたんですか?
    菅原 給料は話はしたのかなあ。したような記憶もありますね。
    ――当時のSWS には唸るほど資金があって、破格の契約金をもらった選手もいれば、もらわなかった選手もいたじゃないですか。 
    菅原 契約金はボクはもらわなかったです。やっぱりそれは早い者勝ちじゃないですか(笑)。
    ――菅原さんの入団はだいぶ遅かったですもんねぇ。
    菅原 まあ、そうですね。契約金をポーンともらった人も多かったと思いますよ。 
    ――ギャラは国際プロレスや全日本プロレス、新日本プロレス時代と比べてどうだったんですか?
    菅原 金額的には満足なものでしたね。SWSが一番よかったぐらいです。
    ――新日本をやめてよかった、じゃないですけど。
    菅原 うーん、お金だけを比べると、そうかもしれませんけど。新日本でもああいうことがなければ、残ってたとは思うんでね。そこは金じゃないんですよ。
    ――SWSは“金権プロレス”と『週刊プロレス』がネガティブキャンペーンを張ってたじゃないですか。『週刊プロレス』の記者もじつはSWSからお金をもらっていたのに。ああいう報道はどう思われていたんですか?
    菅原  どう思っていたんだろうなあ。いまだったら企業がプロレス団体を持つのはあたりまえになってきてますよね。でも、当時は馬場さん・猪木さんというかたちがあったから、企業が業界に入ってくるということに対してのアレルギーなんかがあったんじゃないですかね。
    ――プロレスをわかってないヨソ者が何かやろうとしてるみたいな。
    菅原 そうですよね。でも、資本を投入してくれることはありがたいことですし、それがメガネスーパーだったわけですからね。俺のところに挨拶に来なかったから気に食わないじゃなくて、プロレス全体のことを考えればよかったんじゃないですかね。 
    ――メガネスーパーが参入することに反対するレスラーなんてひとりもいなかったわけですからね。
    菅原 そうですよね。歓迎する人は多かったんじゃないでしょうか。
    ――やっぱりプロとして高い給料を払ってくれることに越したことないですもんね。
    菅原 プロの評価はやっぱりお金だと思ってるんですよ。そこに義理や人情がついてくれれば最高なんでしょうけど、なかなかそうはいかないので。「お金で動いた」と言われれば、みんなそれはそうですけど。お金で動くのは、あたりまえだと思ってますよ。
    ――当時はプロ野球史上初の1億円プレイヤーとなった落合博満が異分子扱いされたり、お金で動くことへの嫌悪感ってありましたからね。
    菅原 あの当時の日本はまだ堅物なところがあってね、いまだったらあたりまえになってるんじゃないですか。
    ――そのSWSって部屋別制度だったじゃないですか。天龍さんの「レボリューション」、若松さんの「道場・激」、高野兄弟の「パライストラ」。菅原さんはどこにも所属せずにフリーでしたけど、これはどういうことなんですか。 
    菅原 別に理由はなくて。 本音で言えばね、横綱(北尾)がね、どこかの部屋に入るとは思ってなかったんですよ。最終的に天龍さんのとこに入りましたよね、レボリューションに。そのときにちょっとだけガッカリしたんですよ。あの中のフリーとしてやってほしかったなあという気持ちがありまして。
    ――SWSの中でフリーでやっていくことって居心地は悪くないんですかね?
    菅原 いや、快適ですよ。フリーだから誰とでも試合はできるだろうしね。
    ――ああ、どの部屋の選手とも試合ができるわけですね。
    菅原 フリーは自分と新倉(史裕)さんだけだったからね。そこに横綱が来てくれるんだったら面白くなるんじゃないかなと思ってたんですよ。
    ――SWSにも派閥はあったじゃないですか。菅原さんの立場は……。 
    菅原 自分はプロレスラーとしては天龍さんのことを尊敬してますから。ですからレボリューションといえばそうなんでしょうけども……そこは何か違うんですよ。天龍さんは好きですけど……というところがあるんです。
    ――天龍さんは好きだけど、部屋に入るのとはまた違うんですね。
    菅原 横綱がレボリューションに入るとは思ってなかったから。横綱がフリーでいれば自分と新倉さんで3人で、タッグや6人タッグマッチの試合が組まれると思ってたから。プロレスラーとしては横綱より天龍さんのほうが格上なんですけど、生身の凄さというものは横綱にありましたからね。俺は天龍さんと横綱の試合が見たかったんですよね。
    ――天龍さんに向かっていったほうほうが面白かったかもしれないですね。
    菅原 いきなりシングルはないだろうとすれば、フリー軍団として6人タッグあたりからやっていくのがよかったんじゃないかなって当時は思ってたんですよね。お客さんも天龍さんと横綱の一騎打ちが見たかったんじゃないかなって。 
    ――SWSは仮道場が横浜にあって、そのあと新百合ヶ丘の一等地に本道場を作りましたよね。
    菅原 新横浜駅から歩いて10分もかかんなかったんじゃないかな。いまだったら考えられないですけど、千葉から新幹線で通ってましたからね(笑)。千葉から快速で東京駅に出て、そこから新幹線ですよ。
    ――それは交通費が出るんですか?
    菅原 いや、自分のお金です。 やっぱり時間を考えれば在来線で行くよりも20~30分近く違うんですよ。 
    ――それだけお金はもらってたということですね。練習時間も部屋ごとに分かれていたんですか?
    菅原 そんな感じだったですよね。新横浜のときはノビノビやってたような気がしますけどね。新百合ヶ丘の頃は雰囲気があまり良くなかったですよね。だから、なんとなく時間割をしようとかそういう話もあったみたいで。かといって、若い選手はともかくとして、みんなで合同練習というかたちではなかったんですけど。 新百合ヶ丘のときは俺が行かなかっただけかな(笑)。
    ――千葉からは遠いですよねぇ。
    菅原 いや、通ってはいましたよ。新宿から小田急線に乗って。新百合ヶ丘の時は本当に大変で。
    ――SWSは天龍派vs反天龍派の派閥争いが原因で消滅に追い込まれますけど、それは新日本と全日本の出身レスラーが合わないこともあって。
    菅原 プロレスはプロレスなんですけども、本当に基本的なところが違うんでしょうね。こことここが違うとは具体的には言えないんですけど。 
    ――関西人は納豆が食べられないみたいな話がありますし、生まれ育ちで違いは出てくるんでしょうね。
    菅原 それはね、秋田、千葉を経て、いま熊本にいる俺も口には出さないですけど、違和感は感じますよ(笑)。なんだかんだ日本は広いですよね。プロレスも団体が違うと空気感が違うんですよ、やっぱり。新日本と全日本だと全然違うんですよ。
    ―― SWSの忘年会も大荒れだったって聞きますもんね。 酒に酔って大暴れしたジョージ高野さんが周囲からボコボコにされたとか。
    菅原 なんかそうだったみたいですけど、「なんだこれは……」って感じですぐに自分の部屋に引き上げちゃいました(笑)。そのあとのことはわかってないですよ。なんと言うかのかな、酒を飲んで、じゃれ合うんじゃなくてマジになってるから。お酒も入ってるからそうなったのかもしれないですけど、こんなことに関わってる場合じゃないなって。 自分の部屋は2階だったんだけど、さっさと戻って部屋で飲んでました。
    ――菅原さん、独特のポジションを築いてますね。 部屋別制度なのにフリーですし。
    菅原 まるで俺が他人との交わりが苦手みたいな感じで言いますね(苦笑)。
    ――いや、揺るぎない位置を作ってるなって。
    菅原 ハハハハハハハ。そういう褒め言葉は初めて聞きましたよ。次の日に「昨日は散々だったよ」なんて話は聞きましたけど、あんな揉めことを見せられたらメガネスーパーの人たちもイヤな気持ちになるでしょうね。
    ――ハメを外した楽しいお酒ではないわけですもんね。 
    菅原 別の団体同士が忘年会をやって揉めただけですもんね(笑)。昔の言葉でいうと、シャレにならないよっていう。
    ――そういう大人の菅原さんがいまだに語り継がれる伝説のシュートマッチをやったわけじゃないですか。1991年4月1日、神戸の鈴木みのる戦。
    菅原 あー、はいはい。
    ――いままで菅原さんは、こういう試合を仕掛けたことはあるんですか?
    菅原 自分は1000試合以上やってきてるんですけど、 そう言われれば、この試合だけですよ。ほかの試合はすべて「イエッサー!!」で従ってきましたよ。
    ――そんな仕事マジメな菅原さんがなぜ物騒な試合をしたのが気になるんですね。
    菅原 あれは試合の3~4日前かな。新横浜の道場で偶然田中(八郎)社長にお目にかかって、ちょっとだけ2人で話をしたんですよ。
    ――SWSの母体メガネスーパーの社長ですね。
    菅原 田中社長からは「菅原くん、今度の試合は楽しみにしてるから」と言われたんですよ。自分が「社長、今度の試合は難しい試合になると思います」と言ったら田中社長は「どうして? おもいきり、やっつければいいんじゃないの?」と。自分は「そうですね……」って答えたのが精一杯ですよ。
    ――それはつまり田中社長がプロレスというものを……。
    菅原 自分としては対戦相手に恨みはないけど、船木(誠勝)選手や鈴木選手は「自分たちは真剣勝負で強いと」いうふうに言ってたじゃないですか。
    ――Uスタイルは本物志向だというプロモーションですよね。
    菅原 真剣勝負で強い、と。真剣勝負ということは真剣に勝負するということだろうから、仮に自分が鈴木選手に負けたとしたら「なんだ、菅原は真剣勝負でも弱いじゃないか」となっちゃうでしょ。それがプロレス界の人間だったら、そういうふうには受け止めないんですけども、田中社長やメガネスーパーの幹部の人たちは……。
    ――田中社長のプロレス観は、業界人のそれではなかったというのが定説にはなってますよね。
    菅原 そうなると自分の見立ては間違ってなかったということなんですけど。1万字インタビューはまだまだ続く!
    この続きと、アポロ菅原vs鈴木みのる、斎藤裕、和田京平&木原文人、ウォリアーズ里…などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
     
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1970192
    この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!