-
【プレイバック】“日本の陽気な奴ら”JJジャックス解散の理由■AKIRAインタビュー③
野上彰として新日本プロレスでデビューしたAKIRAインタビューシリーズ第3弾(聞き手/ジャン斉藤)AKIRAインタビューシリーズ②海外修行で感じた異様な新日本プロレス
☆この記事は2021年4月に掲載されたものです――ヨーロッパから凱旋帰国したAKIRAさんはIWGPジュニアのベルトを獲りましたよね。AKIRA そうでしたっけ? 何か忘れちゃいましたよね。――ご本人としてはヘビーとジュニア、どちらでやって行こうと考えていたんですか?AKIRA どうだったかなあ。帰ってきたときはジュニアでしたよね。だからジュニアのベルトを獲ったのか。――かなりボンヤリしてるんですね(笑)。AKIRA あの頃のジュニアの体重は幅が広かったですよね。105キロとかがリミットだったはずなので。体重が全然足りなかったので「ジュニアなんだろうなあ」とは思ってましたね。憧れの人がダイナマイト・キッドや藤波(辰爾)さんだったので、そのつもりもありましたけど。――それなのにそんなに時間が絶たず、ヘビー級に転向することになるわけですね。AKIRA そこは会社側の意向もあったのかな。それとジュニアはあの頃から上限を知らない技のオンパレードになってきたので「これはちょっと違うな」「あまりやりたくないな」と自分で思ってましたね。 海外で学んだプロレスは、その技にたどり着くまでの過程を見せるというか、そこがプロレスの醍醐味だと。日本に帰ったら、そういうプロレスをやっていきたいなと思っていたので、上限知らずの技のびっくり箱みたいなプロレスとは違うし、身体もしんどいなあと思っていたのかもしれないですね。――飯塚高史(当時・飯塚 孝之)、エル・サムライ(松田納)の3人で「闘魂トリオ」というユニットも結成されましたね。AKIRA あれ自体の活動は、ほとんどなかったですよね(笑)。――でも、いまだに印象に残ってるからすごいです!AKIRA なんとなく括られて、そういう名前が出てきただけで。海外修行に出てるときに松田くんとはイギリスでタッグを組むはずだったんですけど。湾岸戦争が始まったあたりぐらいでセキュリティーが厳しくなって。イギリスのプロモーターから労働ビザじゃなくて観光ビザで入国してくれという手紙をあろうことか空港で係員に見せちゃったらしいんですよね。それで松田くんはイギリスに渡ることができなくなったらしいです(笑)。――ハハハハハハ! じゃあ、闘魂トリオには、なんの思い入れもないわけですか。AKIRA ないですねぇ。トリオってなんだよって、コント集団かなって(苦笑)。――「闘魂トリオとして頑張ろう!」と3人で話し合いもなかったんですか?AKIRA なかったですよねぇ。本当に名前だけで。3人で写真を撮ったのかなあ。6人タッグで試合に出たことすら覚えてないです(苦笑)。――闘魂三銃士と6人タッグで試合をしていたことはおぼえてますよ!(笑)。新日本って選手に何かきっかけを与えて、あとは選手に任せっきりみたいなところもあるじゃないですか。AKIRA そこは会社が何かちゃんとしたものを用意するのは怖かったところもあったんじゃないですかね。もしそれでダメだったら、誰かが責任を取らなきゃいけないし。――それに、いまみたいに会社がストーリーをガッチリと提示する時代ではなかったですね。AKIRA そうですね。いまのプロレスみたいに「こういう方向性で、キャラ作りがあって……」みたいな指示があるわけでもなく。あくまで自然発生的に起きたものを尊重しましたからね。女子プロレスなんかも、そういうことがよくあったらしいですけど。―― プライベートのトラブルや上下関係をリングに持ち込むわけですよね。AKIRA とくに新日本はリアルな路線じゃないと受け入れられないなって選手や会社側もたぶんに思っていたし。だから、そのあとボクがJJジャックスを組んでも周りはうまくいかないことはわかっていたし(苦笑)。――飯塚選手との伝説のタッグチーム、日本の陽気な奴らこと「ジャパニーズ・ジョウリー・ジャックス」ですね。・管理主義だった長州・新日本道場・三銃士誰ひとり合同練習に来なかった・「あっと驚くものを用意してるからな」(長州)・JJジャックスどっちがリーダーだったのか・解散のきっかけは小林邦昭さん……JJジャックス解散の真相は会員ページへ続く
-
扇久保博正インタビュー「マコトのことは……どこまで言っていいのかわからない」
大きな反響を呼んだRIZIN記者会見の扇久保vs神龍の「言ってみろ!」「喋んな」劇場! その記者会見が行われた数週間前、扇久保博正はDropkickの取材に「難しい……」と漏らしていた。いったいオギちゃんは何を悩んでいたのか(聞き手/ジャン斉藤)
【1記事から購入できるバックナンバー】
・「RIZINに潰れてほしくないから箱庭のままでいいよ!」■川尻達也――ゴールデンウィーク中も練習なんですね?扇久保 もちろん試合(神龍誠戦)が決まったんで。
――どこか遊びに行く予定もないと?
扇久保 まったくないです。あっ、明日から沖縄に1週間行きますけど、松根(良太)さんのジムが改装したというか、移転したみたいで。すごく広くなったし、平良(達郎)選手もそろそろUFCで試合なんで。どのくらいの仕上がりか一緒に練習しようと思って。――ブラックベルトジャパン繋がりで沖縄に。沖縄のジムはかなり広くなるみたいですけど、沖縄って家賃が高いから松根さんが頑張ったってことですね。
扇久保 大きいお風呂もついたみたいなんで、ちょっと入りに行こうかなと(笑)。
――7月の超RIZIN3で対戦する神龍選手との因縁めいたものはぼんやりとは伝わってはいるんですが、2人のあいだにはいったい何があったのかと。
扇久保 どうなんですかね。こっちからすると、そんなに因縁という感じはしないんですけど。
――因縁はないですか? 胸ぐらをつかんで殴り合いをしたとか、そういうわけではなさそうですね(笑)。
扇久保 「殴り合いをした!」と言ったほうが盛り上がるのかな(笑)。
――数年前に神龍選手が扇久保選手に対戦アピールしたツイートが物議を醸したことはありましたよね。「RIZIN最高でしたね🔥ここで大晦日喧嘩売りたい相手がいます扇久保先生、適正の58Kgで僕とやりましょう元同門で中1の頃から指導を受け特別な思いがあります。あなたは言った、僕が日本MMAの未来だと。時は来たあなたを倒さないとフライ級最強は名乗れませんフライ級最強を決めましょう」扇久保 あれ、何年前ですかね。すごい前ですよね。――2020年の9月ですね。
扇久保 あの挑発にボクはまったく反応しなかったんですよね。ボクはバンタムで試合は決まってたんですよ(RIZIN瀧澤謙太戦)。しかもアイツ、(パラエストラ柏を)やめてまだ1~2年しか経ってなくて。それに「あなたは言った、僕が日本MMAの未来だと」と書いていたけど、俺、そんなこと言った覚えがないんですよ(笑)。
――えええええ!?(笑)。
扇久保 「オマエにそんなことを言うわけねえだろ!」って思ったんですけど、よく振り返ったらツイートしてるんですよ(笑)。
――ハハハハハハ! 物的証拠がありましたか(笑)。
扇久保 全然そんなつもりなかったんですけど(笑)。まあでもアイツの言ってることは気持ち悪いし、もう絡みたくねえっていう感じで無視したんです。あのときの俺は堀口恭司選手を倒すためにバンタムで来てるわけだから「あなたの適正の58キロでやりましょう」って、なんでオマエに合わせなきゃなんねえんだよって。でも、彼からすれば「無視された!」みたいな感情があるんですかね?
――キッズの頃から神龍選手のことをよく知る鶴屋怜選手をインタビューしたときに思ったのは、ジムの中で神龍選手はいじられキャラだったのかなって。
扇久保 というか、彼がウチにいるときから浮いてましたよね。かなり浮いてましたけど……うーん、どこまで言っていいのかわからない。いやあ、誠と因縁があるのかな。
――因縁のあるカードとして発表されてますよ!(笑)。
扇久保 うーん、誠に対してあるのかなあ。でもまあ言いたいことはあるんですよ。もうちょっとしたら記者会見をやる予定だし、そこで言ったほうがいいのかなあ。どういうふうに試合につなげてるかはまだ模索中ですね。わざわざ柏まで取材に来てもらって申し訳ないんですけど。
――いえいえ。どうせ言うんだったら、本人や映像で語ったほうがいいときもありますよ。
扇久保 なんかすいません。この取材から3週間後、記者会見が行われ…
――そもそも先輩後輩の関係ってすれ違いが生まれやすいですよね。
扇久保 ああ、そこは思いますね。格闘技以外のこともいろいろと教えてあげたけど、もしかしたら彼にとっては意地悪されたというふうに捉えてるのかな……ってちょっと思って。
――神龍選手からすれば、怒られたことに納得できないと。
扇久保 ですね。彼がやめたあとにこんなことを言っているということがこっちに伝わってきて驚いたんですけど。ボクは当時指導員で昼間、誰も来ていない時間に道場の掃除は指導員のボクらがやっていたんですが。夜の全体練習が終わるとみんなでジムの中を掃除するじゃないですか。
――どこのジムでもそうですね。
扇久保 まず全員が雑巾掛けをするんですけど、たとえばシャワー室やトイレは誰が掃除するかは決まっていない。そういうときに、光ってる子や目にかけてる子に「君はあの棚をちょっと整理して」とか「君はシャワー室やトイレ掃除担当ね」って言っていたんですよ。それはボクが若手の頃も、鶴屋さんに言われてやっていましたし、それを言われて嬉しかったんですよね。みんな雑巾掛けをしてるのに俺は違うことを頼まれた、目にかけられてるってことだなって。――つまり扇久保さんも神龍選手を目にかけていたってことですね。
扇久保 そうなんですよね。でも、彼はマイナスに捉えちゃったんだなと。「便所掃除をやらされたことがとにかく悔しくて」という話が伝わってきたときは悲しくなりましたよ(苦笑)。
――ふと思ったんですけど、「トイレ掃除」と「便所掃除」だとだいぶ印象が違うなって。「便所掃除」というと何かイヤなものを押し付けてくる感じがあります(笑)
扇久保 俺もどっちで言ったかは覚えてないですよ(笑)。
――この話を聞いたブラックベルトの若い子は「俺はトイレ掃除を命じられていないから、扇久保さんに目をかけられていない」と慌てるかもしれないですよ!
扇久保 誠がそんなことを言ってるという話を聞いてから、俺は誰にも便所掃除させなくなったんですよ(笑)。
――ハハハハハハ!
扇久保 「そういう風に捉える子もいるんだ……」って怖くなっちゃったし、俺がイジメてるみたいじゃないですか。だからいまはもう言わないです。自分で便所掃除してます(笑)。
――ジムのあり方を知らない人だと一方的に便所掃除だけ命じてるように聞こえますけど、練習後はみんなでジムを掃除するし、それは感謝の表れですもんね。扇久保 そうなんですよ。だから、それが因縁なのかなっていうと……ただ、彼にとっては「扇久保、許せない!」ってショックだったんですかね。たぶん17歳18歳ぐらいだったのかな。あの子は格闘技選手としてはとても強かったし、若い頃から上には行くだろうなと思ってたんです。でも、普段の行動が伴わないと成功しないじゃないですか。気になるところをたまに言ってあげたりしてたんですよ。でも、それが合わなくて、やっぱりやめちゃいましたね。
――神龍選手がやめるときは何か挨拶はあったんですか?
扇久保 挨拶はたぶんなかったです。メールもなかったかな。覚えてないですけど。
――さっきの「MMAの未来」じゃないですけど、あとからメールボックスを検索したら発見されるかもしれないですよ!(笑)。
扇久保 ハハハハハハハ。それぐらい覚えてないですけどね、正直。
――やめたときはどう思いました?
扇久保 やっぱりやめたなあっていう……うーん。これはどういうふうに試合に結びつけるかホントまだ考えてるから、記者会見とかで言おうかなって考えてるんですけど……。彼が18歳になったときに親と一緒に来るのをやめろって言ったんですよね。ひとりで道場に来いと。でも、そこから来なくなったので。
――ああ、なるほど。それはたしかに煽り方が難しい。
扇久保 誠はまだ10代だったじゃないですか。ボクなりに彼の気になるところを注意してたところは、親父の言うことを聞いてたんじゃないかなって。・俺はマジで腹立ってますよ・あのマイクはアイツが考えたとは思えない・銭湯で一度、会ったときに…・キッズの頃から変わっていない・短期の海外練習で強くならない・ドーピングの件……11000字インタビューは会員ページへ
-
【8万字・プロレス記事詰め合わせ】馬場元子、長井満也、“Show”大谷泰顕、曙、AKIRA……
非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part124大好評記事8万字・プロレス記事詰め合わせで500円!!(税込み)◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉
◎「海外修行で感じた異様な新日本プロレス」■AKIRAインタビュー②◎K-1参戦、安生洋二の前田日明襲撃……リングス退団後の長井満也◎ALL TOGETHER不入り/ロッシー小川に「ジャニー問題」はない■事情通Z◎最高のプロレスラーだった曙さん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」◎最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん■小佐野景浩◎7月は「超サイバーファイトフェス」か■事情通Zの「プロレス 点と線」◎00年代の怪しい目撃者“Show”大谷泰顕■松澤チョロの「脱線プロレス」◎ヒクソン来襲!! 安生道場破り、幻の長州戦真相――中村頼永インタビュー後編◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
長井 今回は若い世代のプロレスラーも読んでいたみたいで「課金しちゃいましたよ」って言われましたよ(笑)。――ありがたいお話です(笑)。長井さんが懸念されていた批判のほうもそこまでなかったみたいで。長井 私のほうにはないですね。そこは斉藤さんが波風が立たないように書いてくださったからだと思います。どうしても自分が信じてる人、大好きな人のことがよく言われなければ波風は立つだろうし、何か言われても仕方ないなと思ってたんですけど。斉藤さんが編集後記でも気を使って書いていただいたんで、ボクは今回すごく助かりました。――そこは時間が経っていることも大きいんじゃないかと思います。どこまで踏み込んでいけばいいかって年代によって違いますし。長井 ボクも「どこまで話されますか?」って相談を受けることがあるんですよ。やっぱりリングスに関わってきた人間ってどこまで言っていいのか、ダメなのか。線を引くところってすごく難しいのかなって思いますね。――ボクは後ろ向きなかたちじゃなかったら、ある程度はいいんじゃないかなってスタンスなんです。それでプロレスや格闘技、リングスの凄さが伝わればいいんじゃないかなと。長井 誹謗中傷する内容でなければいいのかなと思っているんですけどね。――まあどんな言い方をしても悪く受け取る人もけっこういるのかなと思います(笑)。長井 今日は話を膨らませられなかったら申し訳ないんですけど(笑)。斉藤さんが編集後記でドン・中矢・ニールセンの名前を出されてましたけど、俺もニールセンとの試合が飛んだことがあったなと。――ニールセンとはリングスでやるはずだったんですよね。長井 競技としてやろうという話があったんですよ。ケガで流れて数ヵ月経ってからまたマッチメイクされて。日にちも決まってたんですけど、乗るはずだった飛行機にニールセンが乗ってなくて。――ああ、当時はそんなことってよくありましたよね(笑)。長井 あったんですよ。乗らなきゃいけない飛行機が着いたらニールセンが乗ってなかったことがあって。向こうのばっくれで試合が流れちゃったからショックだったんですよね。それから数年後だったのかな。それがK-1の会場だったのか、キックボクシングの会場だったかは思い出せないんですけど、会場にニールセンがいたんですよね。「あ、ニールセンだ」と思ったら、向こうもこっちを見てたんでペコリとしたら、ニールセンが私のほうに来てくれて「あの日リングスの会場に行かなくて申し訳なかった」と謝ってくれて「試合が怖かったんだ」と言ってくれました。――そういう理由ですか!あれだけの猛者が……。長井 ぶっちゃけボクにネームバリューがあるわけでもなかったところもあったのかなと。――ニールセンは総合格闘技自体のキャリアはほぼなかったですけど、日本格闘技界の鍵となる試合をやってますね。長井 新日本プロレスで前田(日明)さんとやって名前がガッと上がったから、キック界が使ったところもあったんでしょうね。――佐竹雅昭さんがニールセンに勝ったことがK-1誕生に繋がってますし、ニールセンという存在がUWFやキックを盛り上げたところはあって。長井 当時のスターでいえば、リングスに出てくれたロブ・カーマンもお亡くなりになりましたね。カーマンはリングスで角田信朗さんとやったじゃないですか。――カーマンがリングスルールに挑戦して圧勝したという。K-1以前のスーパースターがよくやるなと。長井 あれ、私が木村浩一郎選手とやったNKホールの大会だったんですよ。カーマン、めちゃめちゃかっこよかったですねぇ。あの時代にスマホとかあったら私も写真を撮ってもらいたかったくらいかっこよかったです(笑)。時代が違ったりしてたら、もっと世の中に出ていたのかなと思います。あのときカーマンの履いてたキックのパンツに虹や魚のマークが入っていたのかな。あの日はゴルドーも佐竹選手とやったんですが、ゴルドーも同じパンツを履いてるんですよ。どうやらゴルドーはパンツを忘れてきたカーマンに借りたらしいんです。――そんなオランダの交流が!(笑)。当時は“まだ見ぬ強豪”が続々と来日してましたね。長井 モーリス・スミスもそうですよね。私がリングス在籍中に全日本キックの試合に出てたじゃないですか。あれはシアトルのモーリス・スミスのジムに練習に行ったときにモーリスのトレーナーから「挑戦してみたらどうだ?」って勧められたからなんですよね。――それで全日本キックのライセンスを取ったんですね。長井 そのときにパンクラスの柳澤(龍志)選手も同じ日にライセンスを取りに来てたんですよね。ボクはそのときまで柳澤選手とまともに喋ったこともなかったですね。――当時のリングスとパンクラスは超険悪な関係でしたねぇ。
8万字・プロレス記事詰め合わせはまだまだ続く……
2 / 1073