• 中野たむvs上谷沙弥の「引退マッチ」に騙されたい■プロレス事情通Z

    2025-03-05 18:11会員無料
    プロレス格闘技業界のあらゆる情報に精通する「週刊プロレス事情通Z」のコーナー。今回のテーマは中野たむvs上谷沙弥に騙されたいです!


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    ――
    Zさん! 中野たむvs上谷沙弥の敗者スターダム退団マッチですが、いろいろと物議を醸してます!ボクもあの結末は許せないですよっ! 試合は見てないですけど、切り抜き動画だけで充分わかります!詐欺だ、インチキだ、猪木が泣いている!(イノ泣き)。

    Z 無料配信だったんだから見ろよ!!たしかに後楽園の結末は怒る人がいてもおかしくない。でも、そうやって「怒れる群衆」としてこの物語に組み込まれているんだよ! 

    ――いつのまにかモブ化! 

    Z ドラマやマンガなんかも「次回」を見ないで評価はできない。もちろん「次回」に興味を惹かせられるかどうかは重要。こういうと「台本どおり」とかしたり顔で言い出す人間もいるけど、こうやって賛否両論を巻き起こす「世間と戦うプロレス」を上谷沙弥と中野たむの2人は身体を張って、精神を削ってやってるの!いったい何年プロレスを見てるんだよ。

    ――す、すいません。どうしても「いまのプロレスはダメだあ!」という「イノ泣き」視点が捨てられなくて……切り抜き動画を見ただけでついつい偉そうに物申しちゃうんですよ。

    Z たしかに今回の結末を受けて「これだからプロレスは……」という反応があちこちで挙がっている。そんな声を黙らせる戦いを見せられるかどうか。それって猪木さんをはじめとするレジェンドレスラーがやってきた「世間との戦い」でしょ。

    ――たしかに昭和のプロレスはもっともっとバカにされてましたねぇ。

    Z そんな上谷沙弥vs中野たむを真正面から楽しみながら、メタ的に解説してあげる熱狂と観察がプロレス者の努めだろ。今回の「退団マッチ」からの「負けたら即引退」は、どちらかの引退ありきの逆算で始まってるんじゃないかと。

    ――逆算から始まっていると。


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  • 「生殺与奪」を跳ね返したシュートボクサー、奥山貴大インタビュー

    2025-03-04 13:11会員無料
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    DEEPフェザー級GPに参戦する奥山貴大インタビュー!MMAデビュー戦となった白川陸斗戦から振り返っていただきました!(聞き手/ジャン斉藤)


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    ――
    MMA2戦目にしてDEEPフェザー級GPにエントリーした奥山選手ですが、シュートボクシングで行われたMMAデビュー戦の白川陸斗戦の一本勝ちは衝撃でした!反響は大きかったんじゃないですか?

    奥山
     はい。反響は凄かったですね。

    ――
    MMAデビュー戦の自信はどれくらいあったんですか?

    奥山
     自信というか……自信とか……そのへんはあんまり考えてなかったんです。相手云々よりもMMAをやれることがとにかく楽しみで。もちろん初めてのMMAルールだったのでムチャクチャ緊張感しましたけど。

    ――
    寝技でフィニッシュできるイメージってありました?

    奥山
     いや、まったくイメージはしてなかったです。

    ――
    あ、そうなんですか。

    奥山
     結果的にああいうかたちで勝てたんですけど、とくに十字を狙っていたわけではなかったですね。

    ――
    じゃあ自分でもびっくりというか。

    奥山
     そうですね。

    ――
    シュートボクシングの前は柔道を熱心にやられてたんですよね。

    奥山
     小さい頃から高校まで柔道はずっとやってました。

    ――
    MMAの練習もしてきたから、試合で出せたということですね。

    奥山
     いや、そういうわけでもなくて……。

    ――
    どういうことですか?

    奥山
     正直、練習でも十字は意識してなかったんですよね。

    ――
    えっ、そうなんですか? 

    奥山
     はい。たぶん柔道時代の貯金じゃないですかね。

    ――
    貯金といっても、かなり昔のことになっちゃいますよね。

    奥山
     もちろん空いてます。でも柔道はかなりやってきたんで。そこはホントにやってきました。

    ――
    その貯金がいまになって引き出せたと。

    奥山
     そう言えると思います。

    ――
    ゲームプランはどういうものだったんですか? やっぱり打撃で倒すことだったと思うんですが……。

    奥山
     ゲームプランでいえば、ボクの周りの「相手はストライカーだから……」という話をそのまま鵜呑みにしてたんで。寝技の展開がないと思い込んでいて。

    ――
    えっ、そうだったんですか? 意外な答えが次々と(笑)。

    奥山
     ゲームプランとしては、もう本当に打撃で打ち合うというイメージでした。

    ――
    たしかに分類すれば白川選手はストライカーですが……白川選手が組んできたときはどう思いました?

    奥山
     びっくりしました(笑)。

    ――
    ハハハハハハハ。

    奥山
     びっくりして反応が遅れてるんですよね。そこは動画を見てもらえばわかると思います。組まれたときの反応は遅れてます。

    ――
    でも、そのあとはうまく対応してましたよね。

    奥山
     そこはそうですね。「ヤバイ!」と慌てたんですけど、ロープに跳ね返って……ギリギリで対応できましたね。

    ――
    外掛けで片ヒザを付かされされましたが、バックに回ってそこから腕十字の態勢に。

    奥山
     あのときは反射的に背中をマットにつかないようにしたというか。柔道は畳に背中をつけたら負けの競技なんで、勝手に身体がそう動きました。

    ――
    そこから腕を極めるまで自然に動けたということなんですね。

    奥山
     本当にそうなんですけど、ああいうかたちで勝つ予定ではなかったですねぇ。

    ――
    てっきり寝技にも自信があったんだと思いました。

    奥山
     特技だったわけではないです。

    ――
    奥山選手が最初の打撃戦で主導権を握りかけたように見えたんですが、短い試合とはいえ白川選手の打撃はどうでした?

    奥山
     白川選手は打撃ですか? うーん……距離がめちゃくちゃ近いなと。MMAとキックって距離が違うじゃないですか。

    ――
    MMAのほうが遠いですよね。

    奥山
     MMAのわりにはめちゃくちゃ距離が近いなと思ってて。ボクもジャブとストレートのパンチ2発しか出してないし、本当に一瞬の打撃戦だったんで、感想を言えるほどのデータがないというか。最初のジャブがうまいこと入ったんで、このあと打ち合ってくるのかな……と思っていたところのタックルだったので。

    ――
    白川選手は打撃戦をやるつもりはなかったんじゃないかなって思いますけどね。最初からテイクダウンを狙う作戦だったのかもしれないですけど。

    奥山
     打ち合ってくると思ったんですけどねぇ。

    ――
    打ち合うつもりはなかったと思いますよ!(笑)。

    奥山
     ハハハハハ。いやもう打撃で来ると思ってました。ボク的には正直打ち合いを楽しみにしてたくらいの感じだったんで。

    ――
    ちなみにMMAの練習は、どういうスケジュールでやられてきたんですか?

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  • 【追悼】西村修17,000字インタビュー

    2025-03-03 16:59会員無料
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    急逝した西村修さんのインタビューを再録します(2015年に掲載されたものです)


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    ――
    かつてのプロレス界は「ぶっ潰すぞ!」「コノヤロー!」系の煽りアピールが主流でしたが、西村さんはほかのプロレスラーとは一味違った語彙センスをお持ちでしたね。マイクアピールが聞き逃せなくて。

    西村 それはみんなが「バカヤロー!」ばっかりだったので、わざわざ変えたんですよ(ニッコリ)。

    ――やっぱりそうだったんですか。

    西村 あの頃はレスリングスタイルからしてみんな「長州力スタイル」を押し付けられていたわけですよね。

    ――当時の新日本のレスラーって髪型も長州さんっぽかったですね(笑)。

    西村 ハハハハハハ! 後ろ髪だけ伸ばすヘアスタイルですね。

    ――まさか髪型も押し付けられていたんですか?

    西村 さすがにそれはないですけど。みーんな長州力のイエスマンでしたから。

    ――西村さんは当時から長州さんを「独裁主義者」として徹底的に批判されてましたね(笑)。今日はそんな西村さんのプロレスラー人生を振り返りたいんですが、もともとは新日本プロレス学校の出身なんですよね。

    西村 そうなんですよ。新日本プロレス学校が88年にオープンしてすぐの入学ですよ。誰でも入れるんですよね、会費を払えば。

    ――会費はおいくらなんですか?

    西村 月15000円。普通のスポーツジムと比べるとちょっと高いですけどね。私は高校時代のときから通っていたんですけど、営業時間は15時から20時までやっていて。平日の18時から20時までは小鉄さんが指導するプロ養成コースがあるんです。会員が全員そこに参加するわけじゃないんですよ。道場の施設を使って自分なりにトレーニングする方もいて。

    ――スポーツジム代わりに利用するわけですね。

    西村 そうです。週末になると名古屋や浜松から通ってる方もいましたし、会員自体は100名くらい。プロ養成コースは多いときは20名くらいですね。

    ――プロ養成コースに参加しなくても、新日本道場の雰囲気には触れたい方がいたんですね。

    西村 プロレス学校に通っていてのちにプロレスラーになったのは、ザ・グレート・サスケ、中嶋半蔵、浅子(覚)、池田大輔、金原(弘光)、新山勝利、三澤(威)トレーナー……。

    ――天山(広吉)さんは?

    西村 天山は最後のほうなんですよ。

    ――サスケさんとは最近でも「宇宙大戦争」で対決されたりして息の長い付き合いなんですねぇ。

    西村 あれはですね、会場に行ってから何をやるか知ったんですよ(笑)。

    ――ええっ!? さすが宇宙大戦争!(笑)。

    西村 私も貴重な経験をさせていただきましたけど(笑)。まあ、プロレス学校は凄くありがたい場所でしたよね。当時はアニマル浜口さんのジム、栗栖正伸さんのジムがあったくらいですし。プロ養成コースはスクワット、ブリッジや受け身やら、基礎以前の基礎を教えてもらうんです。それは本当にためになりました。それに本物のリングを使って練習ができるし、基本的に小鉄さんが指導するんですけど、いろんな選手が臨時コーチとして指導することもあって。たーまに鈴木みのるがやってきて、スパーリングが好きな連中を集めてグチャグチャにしてましたけど(笑)。

    ――ハハハハハハ! プロレス学校の時間のあいだでも、新日本のレスラーたちが練習したりするんですか?

    西村 新日本の合同練習はプロレス学校が始まる15時までには終わってしまうんですよ。それにあのときジャパン女子も新日本の道場を使ってましてね。

    ――ああ、小鉄さんが教えてましたね。

    西村 ジャパン女子は最初は江戸川橋のほうに道場があって(グラン)浜田さんが教えてたんですけど、そこがなくなったあとは新日本の道場を13時から15時まで借りてたんですよね。だから大変ですよ。新日本の選手はジャパン女子とプロレス学校が終わった20時以降しか個人的な練習ができないから。選手にとっちゃ邪魔な存在ですよね。

    ――選手からそんな雰囲気を感じたんですか?

    西村 邪魔者扱いの目線はありました。プロレス学校なんてお構いなしにマサ(斎藤)さんは来てましたけど(笑)。こっちは見て見ぬふりをするしかないですよ。海賊みたいな身体をしてトレーニングしてるわけですから。時には長州さん、小林邦昭さんと一緒に来たり。本当にたまに猪木さんや藤波さんも来たりして。でも、恐れ多くて近寄れないですよねぇ。

    ――プロレス学校に通っていると、新日本の入門テストを通りやすくなったりするんですか?

    西村 いや、全然関係ないです。身長は180センチ、体重は70キロ以上の基準があって、有利なることはないですよ。私が受けたときは150人くらいの応募があったらしくて、そこから書類選考で50人くらいに絞られて。入門テストで50人が20人になって、六本木のテレビ朝日で最終面接があったんです。

    ――そこからまた面接でふるいにかけるんですね。


    西村 「お父さんは何をやってるのか?」とか一般的なことを聞かれるんですよ(笑)。実際に会ってみなきゃわからないところもあるじゃないですか。
    それで20名のうち、私を含む5名が受かったんです。そのうち1人がオヤジが倒れたかなんかで入門できなくなって4人に。天山ともうひとりが3月に入門したんですけど、ついていけなくて3日でやめちゃったんです。私は高校卒業して4月2日から入門、その前日の4月1日には小原(道由)が入って。

    ――5人のはずがもう2人しかいない!(笑)。

    西村 そうなんですよ(笑)。

    ――新弟子生活は相当キツかったんですよね?

    西村 いやあ……大変ですよ。一番キツイのは練習なんですけど、24時間体制で雑用しなくちゃいけないし、身体を大きくするために最低でもラーメンどんぶり大盛2~3杯は食べないといけない。すべての面で厳しいんです。ホッと一息つけるするのがトイレと風呂、目を閉じて寝るまでのあいだだけ。

    ――寝てるあいだは……。

    西村 いやあ、目が覚めたらシゴキが待ってるわけですからねぇ。

    ――目覚めたくないわけですね(笑)。

    西村 何をされるのかわからないからドキドキするわけですよ。スクワット何千回やらされるのかもわからないですし。逆に何もかもわからないからいけちゃうところもあるんですけどね。

    ――小原さんは国士舘大学柔道部出身でバリバリの体育系ですから、シゴキには慣れたもんだったんですかね?

    西村 たしかに小原の場合は大学でシゴキを経験したかもしれないですけど、4年生から練習生という立場になるじゃないですか。それはそれでキツイかもしれないですよ。

    ――なるほど。神様から奴隷に戻るわけですもんね。

    西村 でも、小原は私より二段階も三段階も大人でしたね。日に日に練習がキツくなっていくんですけど、「ようやく来たな……」ってあらかじめ覚悟が決まってましたから(笑)。

    ――失敗すると先輩に殴られるのは日常茶飯事なんですか?

    西村 それは普段からですよね。殴るといってもプロレスラーが殴るんですよ? そりゃあもう大変なもんですよ。殴られた勢いで、自分の歯が唇を貫通しちゃたり……。

    ――うわあ……一番キツかったことっておぼえてますか?

    ・地獄の新弟子時代
    ・野毛道場の専用運転手
    ・寮長時代のクーデター
    ・vs長州力
    ・『ケンファー』の告白
    ・ゴッチさんとの思い出
    ・藤波さんには本当に迷惑をお掛けした……17,000字インタビューは会員ページへ続く