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記事 5件
  • 【福島第一原発・第二原発現場写真レポート】津田大介の「メディアの現場」vol.115

    2014-03-30 12:58  
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    先週、先々週と2週間にわたって掲載した東浩紀さん(@hazuma)との対談でも触れた、福島第一原発と第二原発への視察。今回はあらためて、その視察の模様をじっくりとご紹介します。初めて足を踏み入れた原発の内部で僕らが見たものとは? そして、視察を終えて新たにした「福島第一原発観光地化計画」への意気込みとは? 普段マスメディアではなかなか伝えられない原発内の実態を、新津保建秀さん(@kshintsubo)の写真とともにお届けします。

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  • 【九州で「福島」はどう受け止められているか】津田大介の「メディアの現場」vol.114

    2014-03-21 20:42  
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    1995年1月17日午前5時46分に発生し、兵庫県南部地震に起因した阪神・淡路大震災から丸19年。そして、2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震によって引き起こされ、東北から関東地方にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらした東日本大震災からもうすぐ丸3年。昨年発売された『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』に寄稿したルポで、「我々が本質的に戦わなければならない敵——ヤツの名は『風化』だ」と書きました。広島も、長崎も、神戸も、福島も、大きな災厄に見舞われた当事者は常に負の記憶を遺すこと、遺さないことについて考えます。負の記憶をきちんと後世に伝えなければ、人は同じ過ちを繰り返すものです。しかし、人はそれが辛い記憶であればあるほど、そこから目を背け、早く忘れたいと思ってしまうものでもあります。そして、時間が経てば経つほど、当事者の生々しい記憶や証言は消えていき、記憶の風化が進んでいく。昨年4月に行ったチェルノブイリ取材でもっとも印象に残ったのは、負の記憶を遺すため、風化と戦い続けているウクライナ人たちの姿勢でした。翻って日本はといえば、まだ東日本大震災から3年しか経っていないのに、震災関連、とりわけ福島のニュースが話題に上ることは日増しに少なくなってきています。「伝える」ことを生業としている自分が、このような状況に対してできることは何なのか。そのことを改めて自分に問い直す意味も込めて、「風化」をテーマにしたシリーズ企画を始めることにしました。本企画第1回の発行日1月17日は阪神・淡路大震災の発生日です。東日本大震災が発生した3月11日まで「負の記憶を遺し、伝えることで風化と戦う」というテーマについて、さまざまな角度から記事を作っていきます。この2カ月間、僕と一緒に「風化」という重く、難しい問題について考えていただければ幸いです。

    先週に引き続き、2月に福岡で開催された東浩紀さん(@hazuma)との対談イベントの模様をお届けして、本企画の最終回とさせていただきます。実はこのイベント、本編のあとに行なわれた来場者の方々との質疑応答にもかなり時間を割いていて、内容も東日本ではなかなか尋ねられない福岡ならではのものが多かったんですね。震災から放

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  • 【「日本的なるもの」との戦い】津田大介の「メディアの現場」vol.113

    2014-03-15 13:14  
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    1995年1月17日午前5時46分に発生し、兵庫県南部地震に起因した阪神・淡路大震災から丸19年。そして、2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震によって引き起こされ、東北から関東地方にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらした東日本大震災からもうすぐ丸3年。昨年発売された『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』に寄稿したルポで、「我々が本質的に戦わなければならない敵——ヤツの名は『風化』だ」と書きました。広島も、長崎も、神戸も、福島も、大きな災厄に見舞われた当事者は常に負の記憶を遺すこと、遺さないことについて考えます。負の記憶をきちんと後世に伝えなければ、人は同じ過ちを繰り返すものです。しかし、人はそれが辛い記憶であればあるほど、そこから目を背け、早く忘れたいと思ってしまうものでもあります。そして、時間が経てば経つほど、当事者の生々しい記憶や証言は消えていき、記憶の風化が進んでいく。昨年4月に行ったチェルノブイリ取材でもっとも印象に残ったのは、負の記憶を遺すため、風化と戦い続けているウクライナ人たちの姿勢でした。翻って日本はといえば、まだ東日本大震災から3年しか経っていないのに、震災関連、とりわけ福島のニュースが話題に上ることは日増しに少なくなってきています。「伝える」ことを生業としている自分が、このような状況に対してできることは何なのか。そのことを改めて自分に問い直す意味も込めて、「風化」をテーマにしたシリーズ企画を始めることにしました。本企画第1回の発行日1月17日は阪神・淡路大震災の発生日です。東日本大震災が発生した3月11日まで「負の記憶を遺し、伝えることで風化と戦う」というテーマについて、さまざまな角度から記事を作っていきます。この2カ月間、僕と一緒に「風化」という重く、難しい問題について考えていただければ幸いです。

    1月17日から2カ月にわたって続けてきた本企画も、今企画が最終シリーズ(次号で最終回となります)。今回は先日東浩紀(@hazuma)と2人で「福島第一原発観光地化計画」について対談したイベントの模様をお届けします。なぜ東浩紀は福島にこだわるのか。なぜ僕は「福島第一原発観光地化計画」をサポートするのか。両者の思いがよくわかる対談になっているかと思います。

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  • 【“震災遺構”をめぐる現状を知る】津田大介の「メディアの現場」vol.112

    2014-03-08 15:52  
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    1995年1月17日午前5時46分に発生し、兵庫県南部地震に起因した阪神・淡路大震災から丸19年。そして、2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震によって引き起こされ、東北から関東地方にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらした東日本大震災からもうすぐ丸3年。昨年発売された『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』に寄稿したルポで、「我々が本質的に戦わなければならない敵——ヤツの名は『風化』だ」と書きました。広島も、長崎も、神戸も、福島も、大きな災厄に見舞われた当事者は常に負の記憶を遺すこと、遺さないことについて考えます。負の記憶をきちんと後世に伝えなければ、人は同じ過ちを繰り返すものです。しかし、人はそれが辛い記憶であればあるほど、そこから目を背け、早く忘れたいと思ってしまうものでもあります。そして、時間が経てば経つほど、当事者の生々しい記憶や証言は消えていき、記憶の風化が進んでいく。昨年4月に行ったチェルノブイリ取材でもっとも印象に残ったのは、負の記憶を遺すため、風化と戦い続けているウクライナ人たちの姿勢でした。翻って日本はといえば、まだ東日本大震災から3年しか経っていないのに、震災関連、とりわけ福島のニュースが話題に上ることは日増しに少なくなってきています。「伝える」ことを生業としている自分が、このような状況に対してできることは何なのか。そのことを改めて自分に問い直す意味も込めて、「風化」をテーマにしたシリーズ企画を始めることにしました。本企画第1回の発行日1月17日は阪神・淡路大震災の発生日です。東日本大震災が発生した3月11日まで「負の記憶を遺し、伝えることで風化と戦う」というテーマについて、さまざまな角度から記事を作っていきます。この2カ月間、僕と一緒に「風化」という重く、難しい問題について考えていただければ幸いです。

    今回のテーマは東日本大震災の被災地にある「遺構」。震災後、津波被害にあった各地では街の復旧作業が優先され、記憶伝承作業のひとつである遺構の保存がなかなか進まない状況でした。保存するかどうかの結論が出ないまま、“被災地のシンボル”とされてきた遺構が次々に解体されるなか、昨年の秋になって被災地の遺構保存への動きが加速したと言われています。その背景にはなにがあるのか。各地での遺構をめぐる議論の現状はどうなっているのか。さまざまな資料と取材をもとにまとめ、自治体からの回答をリストにしました。

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  • 【浪江町の未来を照らす“ホープツーリズム”】津田大介の「メディアの現場」vol.111

    2014-03-01 02:28  
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    1995年1月17日午前5時46分に発生し、兵庫県南部地震に起因した阪神・淡路大震災から丸19年。そして、2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震によって引き起こされ、東北から関東地方にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらした東日本大震災からもうすぐ丸3年。昨年発売された『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』に寄稿したルポで、「我々が本質的に戦わなければならない敵——ヤツの名は『風化』だ」と書きました。広島も、長崎も、神戸も、福島も、大きな災厄に見舞われた当事者は常に負の記憶を遺すこと、遺さないことについて考えます。負の記憶をきちんと後世に伝えなければ、人は同じ過ちを繰り返すものです。しかし、人はそれが辛い記憶であればあるほど、そこから目を背け、早く忘れたいと思ってしまうものでもあります。そして、時間が経てば経つほど、当事者の生々しい記憶や証言は消えていき、記憶の風化が進んでいく。昨年4月に行ったチェルノブイリ取材でもっとも印象に残ったのは、負の記憶を遺すため、風化と戦い続けているウクライナ人たちの姿勢でした。翻って日本はといえば、まだ東日本大震災から3年しか経っていないのに、震災関連、とりわけ福島のニュースが話題に上ることは日増しに少なくなってきています。「伝える」ことを生業としている自分が、このような状況に対してできることは何なのか。そのことを改めて自分に問い直す意味も込めて、「風化」をテーマにしたシリーズ企画を始めることにしました。本企画第1回の発行日1月17日は阪神・淡路大震災の発生日です。東日本大震災が発生した3月11日まで「負の記憶を遺し、伝えることで風化と戦う」というテーマについて、さまざまな角度から記事を作っていきます。この2カ月間、僕と一緒に「風化」という重く、難しい問題について考えていただければ幸いです。

    昨年9月、『福島第一原発観光地化計画』の取材で福島県郡山市を訪れ、震災前は福島県双葉郡浪江町を拠点にしていた不動産会社「双葉不動産」の石田全史社長にお会いしました。石田さんはいまも不動産業を営む傍ら、2011年8月より外部向けに自身の故郷である浪江町の視察ツアーを行っています。なぜ視察ツアーを始めたのか。原発事故の当事者として、また地元密着型の不動産業者として描く未来の浪江町像はどのようなものなのか。お話は同書に1ページのインタビューとしてまとめられていますが、カットしたエピソードも多く、別のかたちで紹介できればと思っておりました。完全版となる今回のインタビュー記事を読むことで、双葉郡の方々が抱えている思いの一端を知っていただければ幸いです。

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