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2年ぶりのUFC復帰戦で見事勝利した魅津希インタビューです!(聞き手/ジャン斉藤)


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RTU唯一の生存者・中村京一郎の証言「俺、UFCに呼ばれてるなあって」




――
2年ぶりの試合なのに圧倒して勝ちきったので、あらためて天才だと思いました!

魅津希 ハハハハハハ。ありがとうございます。

――
ただ、相手は4連勝中。魅津希さんのオッズはアンダーでしたし、かなり分が悪いと予想はしてまして……。

魅津希
 いや、自分でもそう思ってました(苦笑)。もちろん勝つ気で戦うんですけど、2年ぶりの試合というよりかは、相手のジャケリニ・アモリンは4連勝4連続一本勝ちしてるし、極めの強い選手。チョークもアームバーも得意だったので、スッと極められるってことも頭に入ってました。逃げられる自信はあったんですけど、相手とコンタクトしてみないと、その力はわからない。強くてうまいことはわかってたんですけど。

――
実際1ラウンドにリアネイキドチョークで極められかけて。

魅津希
 あのときは「死んだ!!!」と思いました(笑)。

――
ハハハハハハ!……って笑いごとではないんですけど。

魅津希
 試合序盤で汗はかいてなかったんですけど、顔にワセリンを塗るじゃないですか。

――
カット対策で両選手ともに塗りますね。

魅津希
 相手の腕が顔を回ってきたとき一瞬ヌルっとしたんですよね。そのときにちょっとズラせた感じです。それでも相手は締めにきて、一瞬入ったから私も苦しい顔をしてたんですけど。チョークを抜けてもマウントを上げるかたちにはなったんですけど、なんとか逃げ切れた感じになりましたね。

――
危機一髪のシーン以降は魅津希さんのペースでした。

魅津希
 相手が急に失速したんですよね。たぶん1ラウンド最後のパウンドが効いてたのかな。1ラウンドはあのパウンドで印象よく終われたんですけど、相手のポジションキープの時間がちょっと長かったから、ラウンドを取れたかはわからなかったんですけど……。

――
スコアは2-1で魅津希さんでした。

魅津希
 一応「取ったぞ!」っていう感じですぐ立ち上がってコーナーに戻ったから、気が付かなかったけど、相手がフラフラしながら立ってたみたいで。たしかにパウンドしたときに一瞬、目が飛んでて……。それがわかったからバンバン殴っていたんですけど(笑)。

――
相手の目の動きって気にします? 相手の目がちょっと嫌がってたら自信になるというか。

魅津希 それはありますね。「やってやるぞ!」ってなります(笑)。2ラウンド目もそんなにガッと攻めて来なくて、打撃をすごい怖がってるというか。最初はタックルがちょっと見破れなくてテイクダウンされたんですけど。遠い距離からのタックルだとよく見えたし、相手も仕方なく下になったみたいな感じで。

――
相手も粘りませんでしたね。

魅津希
 もともと打撃で攻めるつもりだったんで、思ったよりもそのゲームプランがハマった試合でしたね。

――
フィニッシュできなかったのがもの足りなかったくらいですか。

魅津希
 2ラウンド目にヒザとアッパーを入れたときも、相手が崩れたのか、引き込んだのかがちょっとわかんなくて。ヒザを打って1秒ぐらい経ってから、相手は尻餅をついたみたいな感じになって。ボディって当てたときじゃなくて、時間差で効くじゃないですか。相手の目も死んでるわけじゃなかったんで、嫌がって引き込んだんだと思って……。

――
状況判断は難しいんですね。

魅津希
 立ちでもうちょっと効かせたかったんですけど、3ラウンドもずっと逃げるタックルをされてて。いま思えばグラウンドで極めにいっても全然よかったんですけど……。

――
相手の庭で勝負してもいいと。

魅津希
 でも、セコンドの指示は「打撃で行け!」という感じだったんで、そこは徹底しようと。今回のセコンドはセラロンゴのプンミーさんにいつもどおりついてもらって、あとリバーサルジム新宿Me,We の山崎(剛)さん、一緒に練習してる村田夏南子選手の3人。プンミーが「離れろ、離れろ」の指示だったので。ボディで散らして攻める作戦がうまくはまったかなって。

――
終わってみて、ここまで完勝するとは……。

魅津希
 私も思いませんでした(笑)。4連勝の相手を打ち破れたという喜びもあるし、アンダードックを覆せた喜びもあります。寝技の強い相手にこういう勝ち方をできることを見せられたかなと。

――
4連勝中の相手のオファーがあったときはどう思われたんですか?

魅津希
 最初は断ったんです。小さいケガがあったりして、コンディションも考えるとちょっと難しいなと。万全の態勢でやれるとなったときのオファーがまた同じ相手だったので。ここで断り続けてもいいこともないなあと。

――
1回目のオファーはいつぐらいのタイミングだったんですか?

魅津希
 あー、いつだったか……今年の4月ぐらいだったかな。その相手もここまで試合をしてなかったんで、UFCとしては「この相手とやってくれ」というメッセージなのかなと思いまして。

――
しばらく試合をしてなかったですし、ここで断ったらリリースされるんじゃないかという恐怖はありましたか?

魅津希
 いや、ありました。この試合も勝たないと……って覚悟を決めてやりました。

――
魅津希さんのUFCの戦績は3勝1敗じゃないですか。基本は4試合契約ですが……。

魅津希 試合後に更新しました。

――
おお、よかったです! 

魅津希
 ありがとうございます(笑)。


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谷津嘉章「昭和・新日本の練習はガチばっかだけど、誘われなかった」

 
プロレス格闘技業界のあらゆる情報に精通する「週刊プロレス事情通Z」のコーナー。今回のテーマは全貌が見えぬノア武道館/上谷沙弥MVP反対運動/UWFルールはもうやめよう/新日本退団者は出るかなどです!(聞き手/非常ベル野郎)






――
Zさん、非常ベルです! ノア武道館大会にLOS TRANQUILOS de JAPONのBUSHI選手とXXXX選手の参戦が発表されました。XXXXって誰なんですかね? 正体を明らかにせずチケットを売るなんてプロレスファンに失礼ですよ!!

Z あのシルエットは内藤哲也だよ! 

――じゃあ、最初から内藤哲也って発表すればいいじゃないですか! 

Z そうやって話題を作ってるんだよ!ひょっとしたら内藤哲也じゃないことも含めて。

――あーあ、昔のプロレスはちゃんとしてたなあ。「Xは誰だ?」なんて売りにせず、正々堂々勝負してましたから。

Z 猪木さんの史上最低の異種格闘技戦、ミスターX戦を100回見てから文句を言えよ!だいたい「非常ベルが鳴っている!」って80年代のプロレス用語。非常ベルがじゃなくておまえの時計が止まってるんだよ。さあ、今回も全国3000万人のプロレスファンに謝罪しなさい。

――令和7年にもなって「◯◯に猪木が見えた!」「◯◯に闘魂を感じた!!」とか偉そうに評論して誠に申し訳ありませんでした。

Z 猪木さんを語ることは喜びである。だけど、猪木さんを通して現代プロレスを語るともっともらしく聞こえるけど、時代性の違いもあって評論としてトンチンカン。二度とやらないように!

――赤いマフラーに銘じます。話を戻すと、内藤哲也選手はマネジメントのトラブルがあったばかりでした。


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谷津嘉章「昭和・新日本の練習はガチばっかだけど、誘われなかった」

 
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*この記事は2016年10月に掲載したものです

レスリングオリンピック代表からプロレスに転向、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWS、SPWF、PRIDE出場……流浪のプロレス人生を送ってきた谷津嘉章がすべてを語るインタビュー連載の第1回!(聞き手/ジャン斉藤) 


――
谷津さんに濃厚なプロレスラー人生を振り返っていただきたくて、小田原の国府津までやってまいりました!(当時は谷津さんは国府津「はかた亭」を営んでいた)

谷津 わざわざご苦労さん。そうだなあ。アントニオ猪木さんに騙されたのかなあ(苦笑)。 


――ハハハハハハハ! 谷津さんといえば、まずはレスリングのオリンピック出場に触れないわけにはいかないですよね。

谷津 俺は足利工大附属高校でアマレスを始めたんですよ。そこの学校の後輩には三沢(光晴)や川田(利明)なんかがいるんだけど。俺はそんなにアマレスはやりたくなかったんですよね。自分は中学のときはルンペンだったから。

――ルンペン?

谷津 帰宅部で何も運動をやってなかったんですよ。いまはさ、ちびっ子レスリングが盛んですけど、昔は柔道や相撲からレスリングに転向する奴が多かったんです。吉田沙保里や伊調馨は小さい頃からレスリングをやってたでしょ。

――谷津さんは高校から始めてすぐに頭角を現したんですね。

谷津 覚えるのが早くてね。国体で優勝して、高校2年のときにひとりだけ選抜チームに入ったし。周りはみんな先輩ばっかだから行きたくなかったんだけど。

――覚えるのが早いどころじゃないですね(笑)。

谷津 モントリオールオリンピックは20歳のときに出ましたからね。俺はオリンピック村で20歳の誕生日を迎えたんですよ。

――19歳で! それはかなり異例だったんですか?

谷津 格闘技では異例ですね。まあレスリングを始めてわずか数年の出来事ですよ。 

――それはつまり相当強かったんですね。

谷津 うん。

――さすが「日本重量級史上最強の男」ですね(笑)。

谷津 それがいいんだか悪いんだかね、人生そこで変わっちゃいましたよね。そこから車屋なんかで働こうなんて思わないじゃないですか。どんどんとレスリングのほうに見出されていっちゃうわけだからね。

――当時はオリンピックレスラーいえども待遇はあまりよくはなかったんですよね。

谷津 全然ですよ。その次にモスクワオリンピックがありましたよね。アメリカとの政治的事情で日本はボイコットしちゃったけど。

――谷津さんが出場すればメダルは確実だったと言われて。

谷津 まあ、やってみなきゃわからないですけどね、それは。あの1年2年手前くらいから待遇がよくなってきましたね。強化指定選手というのがあってね、ABCとランク付けされるんですよ。それぞれ栄養費として毎月お金がもらえるんだけど。自分はね、重量級の中でBだったんですよ。

――Aクラスじゃないんですね。

谷津 Aっていうのは世界選手権のチャンピオンクラスですよ。Bってのはアジア大会クラス。Cは強いかな弱いかな、とりあえず強化指定って感じで。19歳でBは俺しかいなかったんです。それはアジア大会優勝したから。

――Bだと栄養費はどれくらい支給されるんですか?

谷津 Bはね、月5〜6万円もらってたかな。あと遠征費も全部じゃないけど協会が出してくれる。それだけじゃ足りないから世界選手権に出るときなんかは県庁や地方自治体に挨拶に行って、壮行会をやってもらって資金を集めるんです。いまでもスポーツ選手というのはね、周囲の応援がなきゃできないですから。そっちに忙しくて練習できなくて勝てなかったなんて言い訳だからね。強い奴は強いですから。

――当時は“日本レスリングの父”八田一郎さんがレスリング協会の会長でしたけど、練習方法がとにかく独特で厳しかったんですよね。

谷津 根っからの怠け者の俺でさえ、あの頃は練習をやってましたよ(苦笑)。練習は1日10時間。朝練、昼練、夜練。練習方法も異常。たとえば1年間、左手で飯を食えとか。

――利き腕じゃないほうを使いこなせるように。

谷津 強化選手が合宿に行くじゃないですか。朝いきなり起こされてね、上野動物園に連れて行かれてライオンの檻の前で寝るとかね。

――ハハハハハハハハ! 精神修養ですね(笑)。

谷津 「かつて日本はロシアのバルチック艦隊に勝ったんだから、おまえらもロスケに負けちゃいかん!」とよく言われましたよ。「なーんか時代錯誤だなあ……」とは思ってたんだけど。「強いところで練習しないと強いくならん」という方針で、強い選手に揉まれて精神的コンプレックスを払拭しろと。「ロシアは強い」という潜在意識があったけど、一緒に練習すればなくなるだろうっていう発想なんですよ。だから俺も2ヵ月くらいモスクワに住んで向こうの選手と練習しましたよ。

――当時はソビエト連邦として未知の国で。

谷津 相撲でいう心技体の「心」で負けちゃいけない。「強い」という先入観があると落ち着かなくてどこかで上ずっちゃたりしてね、ホントの実力が出ないうちに勝負が終わっちゃうから。

――トップクラスになると精神が重要になってくるわけですね。

谷津 心が一番大事。あとで自分もプロレスデビューするわけじゃないですか。スポットライトを浴びてお客さんがウン千人も見てる。もっと大きな会場だと何万人もいるでしょ。異常な大歓声とスポットライトの中で「……これ、何をやったらいいの?」と戸惑ったこともありましたよ。

――レスリングで実績を積んでいてもジャンルが違うと戸惑うもんなんですね。

谷津 ガチンコだったらできますよ。ガチンコじゃなくて、プロレスはある程度、技と技を競うわけだから。ガチだったら、そりゃあ楽ですよ。プロレスは難しいです。

――谷津さんはモスクワ五輪ボイコットによりプロレス入りをするわけですよね。あのボイコットで五輪出場が絶たれてしまい、涙を流した選手は多かったですけど……。

谷津 俺も「ありゃまあ」って感じでしたよ。

――「ありゃまあ」ですか(笑)。

谷津 卒業して2年間は学校の職員をやりながらオリンピックを目指していたのに、その目標がなくなってしまったから。あっちこっちで4年間練習して、けっこうなお金も使ってたじゃないですか。100万200万という単位じゃないからね。モスクワがダメになってこれからどうするかって考えたときに「そうだ、アレがあったなあ……」って。それがプロレスですよ。 

――たとえば教師や指導者という道もあったと思うんですけど。

谷津 うーん。その頃はオツムが足りなかったせいか、その考えはなかったね。まだ若かったからね、自分の身体を使って何かをやりたかったんですよ。

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