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水垣偉弥が見た復活UFC249 「ドミニク・クルーズのステップは以前のものとは……」
2020-05-12 10:43100pt北米MMAを知り尽くした男が語る水垣偉弥が語る「UFC249 」! ファーガソンvsゲイジー、セフードvsクルーズ、そしてマネル・ケイプのUFC契約も語ります!(この記事はニコ生配信されたインタビューを構成したものです)
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・水垣偉弥が見た「RIZINvsベラトール対抗戦」
・コールドウェルはなぜパウンドを打てなかったのか?■水垣偉弥
・帰ってきた中井りんインタビュー「だから、だから、私が悪いんです!」
・地獄の青春!! 平成の昭和格闘技集団「和術慧舟會」を語ろう/門脇英基×大沢ケンジ
――帰ってきたUFCを水垣さんに振り返っていただきます! UFC249は無観客イベントになりましたが、水垣さんは無観客イベントを経験したことはないですよね?
水垣 さすがにないですね(笑)。想像しかできないですけど、どんな感じなんですかね。どんな激しい試合をしても、まったく歓声がないわけじゃないですか。どういう気持ちで戦えばいいのかなと。
――やっぱりファンの声援が選手の背中を後押しするところはあるってことですね。
水垣 気持ちが乗ってくる面もあるじゃないですか。ただ、見てるほうからすると無打撃のえぐい音が歓声にかき消されず響いてきますよね。これは新鮮だったんじゃないのかなと思います。
――いまは新型コロナの影響で練習方法も限られてますから調整も大変になってきますね。
水垣 そうですよね。他の選手たちがどういう環境で練習してるのかはわからないですが……日本よりアメリカのほうが練習の制限は厳しい状況だとは思うんですよね。セラーニvsペティスの試合も調整不足を感じましたし、メインのファーガソンvsゲイジーも若干それを感じました。 練習をやりきれてないのか……観客がいなかったこともメインイベントに関しては影響があったんじゃないかと思います。ちょっと予想外の試合展開にはなったので。
――ファーガソンvsゲイジーには、どういう展開を予想してたんですか?
水垣 2人ともにテンションを振り切れるタイプじゃないですか。特にゲイジーは立ち上がりはもうちょっと攻めるのかな……と思ったんですけどね。
――ゲイジーはUFCで経験を積むことで“大人”になったというか、あまりムチャに攻めなくなったという見方もありますよね。
水垣 いや、それ以前に1~2ラウンドの動きを見るかぎり、ゲイジーの身体は重そうに見えたんですよね。パンチなんかもキレがイマイチだなって。
――ゲイジーもヌルマゴが出られなくなったことでの緊急出場ではありますね。
水垣 体重を整えるのも大変だったと思いますけどね。
――このUFC249は本来4月19日に開催される予定でしたが、直前に大会は飛びました。でも、なぜかファーガソンは幻に終わった4月19日前日まで減量をやりとげて(笑)。
水垣 そうなんですよね。普通に考えたら絶対にあんなことはやらないほうがいいですよ(笑)。ファーガソンはそうすることでメンタル的に落としどころを作ったんだと思うんですけど。無謀ですよ、あんなこと。年3回の試合の水抜きだけでもイヤなのに。
――短期間で2度の減量は確実にダメージになる。となるとファーガソンは、いつものファーガソンじゃなかったとも言えるんですね。
水垣 今回のファーガソンには、いつもの悪魔的な強さが見られなかったですよね。アッパーでゲイジーをダウンさせたシーンがあったじゃないですか。あそこで流れが変わると思ったんですけど。いつものファーガソンなら、ああいうきっかけから追い込むんですけどね。
――悪魔のエンジンがいつになってもかからなかった。
水垣 それはいろんな影響があったと思いますけどね。 2週間前に水抜きをしていたこと、無観客でやったこと、きっと練習も100パーセントはできてないじゃないですか。
――外的要素の影響が大きいっていうところもある。
水垣 そこはメッチャあると思います。でも、コロナはしばらく続くとは思うので、そこにいかに適応できるか。UFCのこのへんのクラスだと、ちょっとの差が試合に影響すると思うですよね。ただ、普段の状況でも100対100の万全の戦いはそうそうないですから。
――何かしらケガを抱えていたり。
水垣 100からの引き算をいかに小さく抑えるのか、という。いままで以上に調整力や適応力が問われるんじゃないかと思いますね。
――今回の勝利でライト級暫定王者に就いたゲイジーは、ディビジョン1のレスラーで打撃も強い。正規王者ヌルマゴは圧倒的なレスリング力で相手をねじ伏せてきましたが、ゲイジーなら……という声はあります。相性的はどう思われますか?
水垣 いやあ、それでもヌルマゴじゃないですかね。ボクはヌルマゴ最強説も支持者なんですけど(笑)。ゲイジーはたしかにレスリングは強いですけど、ヌルマゴがテイクダウン回数のUFC記録を作った試合の相手はオールアメリカンのレスラー(アベル・トルヒーヨ)なんですよ。 ヌルマゴ相手にレスリング力は関係ない。ケガやトラブルが抱えないかぎりはヌルマゴは最強だと思いますね。
――夢がないことを言いますね!(笑)。
水垣 じゃあ、ヌルマゴが誰に負けるのかな……って想像したですけど、一番最初に想像したのはブライアン・オルテガみたいなタイプなんです。オルテガのギロチンチョークのようなスーパー必殺技を持ってるような選手だと勝機があると思うんですよね。
――一発で仕留める武器があるかどうか。
水垣 タックルに来たところを極めちゃうとか、もしくは不用意にタックルにこさせないようにする。そういう尖ったものがないと難しい。オーソドックスな選手にヌルマゴは負けないと思うんですよね。
――ヌルマゴとは五度対戦が流れたファーガソンでも崩せないですか?
水垣 そうだと思うんですよねぇ。ただ、ファーガソンの場合は腕が長くて極める力を持っているので、ゲイジーによりはチャンスがあったと思うんですけどね。申し訳ないですけど、ゲイジーって派手な試合をするだけのファイターというイメージがあって。当然強いという前提ですけど、飛びぬけて強いイメージはなかったんですよ。今回も後半は完全に疲れた動きになってたんですけど、それでもファーガソンの逆襲を許さなかったのは凄いですよね。「評価が低くてごめんなさい、ゲイジー!!」という風に見てましたね(笑)。
――では、次はバンタム級タイトルマッチ、ヘンリー・セフードvsドミニク・クルーズの感想をお願いします。
水垣 普通に考えたら3年半ぶりの試合となったクルーズの勝利は厳しいはずですよね。クルーズの戦績をあらためて振り返ったら、ボクをぶっ飛ばしてから3回しか試合をしてないんですよ(苦笑)。
――水垣さんとクルーズの試合は6年前の2014年のことですよ(笑)。
水垣 あの試合の動画、ダイジェストじゃないですかね。あっという間に終わっちゃっただけです(苦笑)。
――ハハハハハ。あの試合を見直したんですが、クルーズのステップのキレが全然違いましたよね。
水垣 それがケガの影響なのか、コロナの影響なのかわからないですけど……クルーズはいわゆるステップの動きで相手を混乱させるのが本当に凄いんですよ。
――いまのMMAではスイッチするのはあたりまえですけど、クルーズの場合はスイッチを交互に繰り返してシャッフルするかのように相手を幻惑する。水垣選手は実際にクルーズと戦ってみてどう感じましたか?
水垣 ボクはクルーズにタックルされて背中がマットにドーンとつくまで、タックルされたことにすら気づいてませんでしたからね……
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RIZIN広報・N野さんの秘密 「選手たちの意識や雰囲気が磨かれていく姿が見えて……」
2020-05-10 14:44110pt北岡悟選手や笹原圭一広報のツイートにその名前が頻繁に登場するRIZIN広報・N野さん。「ぬの〜」とあたりまえのように出てくるので、N野さんのことを知った気になっているが、ふと考えたらあの人はいったい何者なんだ? N野さんの秘密を12000字インタビューで迫ります(聞き手/松下ミワ)【1記事から購入できるバックナンバー】
・「神興行(C)RIZIN」を12000字で振り返るRIZIN広報・笹原圭一インタビュー
・完全体・那須川天心――衝撃の大晦日徹底分析!!■鈴木秀明
・朝倉未来選手の試合に日本格闘技界の「希望」が見えた■川尻達也・ハム・ソヒの強さが「キラー浜崎」を引き出した■藤井惠が見た年末女子格闘技
・北米を知り尽くした男が見た「RIZINvsベラトール対抗戦」■水垣偉弥
――「N野さん」という呼び名で、たびたび選手・関係者のSNSに登場している中野さんですが、今日はあらためてお話をおうかがいしたいと思います!
中野 よろしくお願いします!
――中野さんはRIZIN広報ということで、具体的にはどういうお仕事を担当しているんしょう?
中野 そうですね、選手の取材対応や原稿チェックをはじめ、映像や写真の貸出し、プレスリリースの作成、会見の準備など各所との調整が多いですね。あと大会当日はプレス対応だったり、ゲストや選手のアテンドなど、いろいろやってます。それから、各団体の会場にお邪魔して、RIZINのチラシを配ったり観戦したりもします。
――けっこう仕事の幅が広いですね。そもそも、RIZINで仕事をする以前、格闘技との最初の接点はどんな感じだったんですか?
中野 もともとはべつに格闘技が好きだったわけじゃないんですよ。最初はJリーグが好きで、名古屋グランパスのファンだったんです。
――最初はサッカーファンだった。
中野 私、出身は東京なんですけど、学生時代の友達が名古屋グランパスファンで。名古屋にも遠征したり、日本代表戦とかも一緒に観に行くうちにどんどんハマっていったんですよね。そんなある日、サッカーショップだと思って入ったお店が、たまたま格闘技グッズも取り扱っているお店で。渋谷の『ワールドスポーツプラザ』というお店だったんですけど。
――『ワールドスポーツプラザ』って都内に何店舗かありましたよね。
中野 新宿店がサッカーグッズを扱っていたので、その渋谷店を通りかかったときに「ここもサッカーグッズ売っているかも」と思って入ったら、格闘技のグッズがいっぱい売られていて。その店内のモニターで修斗の試合映像が流れていたんですよね。そこで「なんだ? これは」と。
――なんの競技かわからなかったけど気になった、と。
中野 一瞬「プロレスなのかな?」とも思ったんですよ。でも、どうもプロレスじゃないし。そこで、初めて総合格闘技というものを知った感じでしたね。
――ちなみに、それは誰の試合映像だったんですか?
中野 三島☆ド根性ノ助さんです(笑)。まず、名前からしてインパクトがあるじゃないですか。
――まさかコブラ会の魔球なネーミングセンスがこんなところで響いていたとは(笑)。
中野 まあ、そういう変わった名前だったんで、よけいにプロレスなのかなと思ったんですけど。当時は2000年くらいですかね? その後も家でケーブルテレビを見ていたら、また三島☆ド根性ノ助さんの試合が放送されていたんです!
――またしても三島☆ド根性ノ助に引き寄せられたんですね(笑)。
中野 偶然にしても、「これはちょっと気になるな」と。それから、格闘技にベクトルが向いた感じですね。
――そこから会場に行ったりもしてたんですか?
中野 それで言うと、じつはバイト先の男の子たちが格闘技好きだったんですよ。そういう繋がりがあったんで、本当は修斗を観に行きたかったんですけど、みんなが言うには「いまはPRIDEの時代だ」と。それでPRIDEの会場に行くようになりました。
――では、一番最初に会場に行ったのは?
中野 微妙にPRIDEではないんですけど、2001年の猪木ボンバイエですね。そのときは同じクラスのプロレス好きの友達に誘われていったんですけど。
――安田忠夫vsジェロム・レ・バンナのあった、あの大会に!
中野 2002年の年末も会場に行ったし、PRIDE男祭りも含めて年末は5年連続ぐらいで観ていると思います。でも、当時は試合というよりも、あの会場の雰囲気に完全に飲まれちゃいましたよね。「自分の知らないところでこんなことが行なわれていたんだ!」という驚きと。
――たしかに、あの当時の格闘技会場も本当に一体感があったというか、オープニングセレモニーから凄かったですもんね。
中野 派手でしたよね。そこから、全部の大会に行ったわけじゃないですけど、バイト仲間の皆が行く大会には連れていってもらっていました。ただ、会場の雰囲気は楽しんでいるんですけど、リング上で何が行われているかは、たぶんわかってなかったですね。
――じゃあ、ルールとかもわからずに?
中野 ルールとかは連れていってくれた人たちに教えてもらって、それでもよくわかっていなかったですね。あぁ、そのバイト仲間はUWFファンだったんですよ。
――となると、詳しいどころの騒ぎじゃないですね(笑)。
中野 「なんだ、中野、おまえは『U』を知らないのか!」と(笑)。私からしたら「『U』って……?」という感じなんですけど、みんなは熱く語っているし、そのバイト仲間はグッズ売り場を指さして「あそこを見ろ、みんな『U』の信者だ!」みたいな。
――ハハハハハハハ! それは誰の試合だったんですかね?
中野 たぶん田村(潔司)さんとか桜庭(和志)さんですかねえ。でも、彼らの言うとおり、たしかにみんな同じキャップとかパーカーとかを身につけていて、そういう部分も見て楽しんでいましたね。
――ただ、中野さんはファンとしてだけじゃなく、格闘技を習ったこともあるとうかがいました。
中野 ああ、そうなんです。それは、影響されて「総合格闘技を始めるぞ!」というわけではなかったんですけど。というのも、その後、就職して。出勤のために朝、駅に向かって小走りしたら、駅のホームで突然倒れてしまいまして。気を失ってしまったんですよ。意識が戻ったときは顎から出血しているし、肋骨もやってしまって。
――そ、そんなことがあったんですか!?
中野 初めての経験だったので何か病気なんじゃないかと心配になり、病院に行ったら「低血圧すぎるから、運動しなさい」と。先生いわく、低血圧を治す薬はないし、運動しないと血圧は上がらないよということだったので、とりあえずいろんなフィットネスジムに見学に行っていたんです。そんなときに、PRIDEの会場で観客席の椅子に田村さんのジムがオープンするというチラシが置いてあって。しかも、よく見たら家から凄く近かったので、もう「これは運命だな!」って(笑)。
――三島☆ド根性ノ助の次は「U」に運命を感じていた(笑)。
中野 さんざんいろんなジムを回っててもピンと来ない中、そのチラシには田村さん主宰のジムでその皆がいう「U」でありながら、「フィットネス」とか「ダイエット」とかも書いてあったんですよ。「ここなら家が近いし、自転車で通えるから続けられるかも」と思って入会しまして。それが、いまはなき調布のU-FILE CAMPだったんです。
――伝説の西調布アリーナがあった、あのU-FILE CAMPのジム生だったんですか!
中野 そうなんです(笑)。しかも、オープン前に入会すると、入会金無料と書いてあったんで、「ラッキー!」くらいの軽い気持ちで入会したんです。地下に潜っていくあのジムに勇気を出していったんですけど……でも、いざ入会したら私の想像していたフィットネスとはちょっと違いました(笑)。
――やっぱり、けっこうガチな感じだったんですか?
中野 凄かったですねえ。私、オープン初日から行く勇気なくて、怖くて行けなかったんですよ。でも、頑張って2日目に行ってみたら、みんなぎゅうぎゅうにピシッと並んで全員でワンツーの練習していたんですよね。たぶん、みんなオープンしたばかりで気合入っていただけなんだと思いますけど。でも、そういうことに免疫がない私には異様な雰囲気に見えて(苦笑)。
――まさに「Uの信者」たち(笑)。
中野 でも、いざ始めたら凄く楽しくて。教えてくれるトレーナーもジムの会員さんたちもやさしかったんですよね。
――指導者は誰だったんですか?
中野 白井(裕一郎)さんが打撃を教えてくれました。あとは、大久保(一樹)さんも。
――現在は頑固プロレス主宰でPRIDEにも上がっていた大久保さん。
中野 大久保さんは今でも大森のゴールドジムにあるU-FILE CAMP大森で指導されていて、前にAACCに取材で行ったときにお会いましたけど、あの天然な感じも全然変わってなかったです(笑)。あとは、中村大介さんや佐々木恭介さんもいました。とにかく、みんながやさしく教えてくれましたね。
――田村選手もいました?
中野 オープン当初、田村さんは登戸ジムがメインだったので、調布ジムではたまにお見掛けするくらいでした。その後に調布ジムにも田村さんのクラスができて、技もたくさん教えてくれましたし、なにより褒めて伸ばしてくれるんですよ。筋トレしていてもアドバイスやサポートしてくれたり、回数を数えながら煽ってくれたり。
――へえ~、やさしいんですね。
中野 弟子には厳しいのかもしれないですけど、一般会員の私にとっては凄くやさしい方という印象ですね。そんな感じで、打撃から始めて、途中で寝技も皆が楽しそうにやっているのを見てやりはじめたんです。私自身は運動神経悪いし、それまで運動が大嫌いで、学生時代も体育の授業をいかにサボるかばかり考えていたタイプだったんですけど(笑)、ジムに入ってからは身体を動かすことの楽しさを知りました。女性会員も何人かいたので、それもよかったですね。でも、やっぱりどこでもそうだと思うんですけど、辞めたり新規入会したりの繰り返しで、女性会員が私一人だけの時期もありました。
――一人でも続けていたなんて凄いですね。でも、さすがに一般会員さんとプロ練とは別ということですよね?
中野 はい、そこはきちんと分けられていました。でも、土曜日はお昼ぐらいまでプロ選手が練習して、そのあとに一般会員のクラスがあるんですけど、ちょっと早めに行っちゃうと、やっぱり空気が違いましたね。あたりまえですけど。みんな黙々と休みなしでスパーリングしていて。
――U-FILE CAMPってけっこうジム内大会が行われていましたけど、試合には出たことはあったんですか?
中野 ジム内の大会ではないんですけど、一度アマチュアのキックの試合に出たことがありました。私、途中で2ヵ月ぐらいタイに行くんですけど、帰ってきたあとに試合しました。あとは、グラップリングの試合も2回ぐらい出ましたね。たしかフジメグ(藤井惠)さんがいろんなジムの人に声をかけて女子を集めてくれたんです。
――当時は女性の競技者が少なかったから、そういう感じで大会を開いていたんでしょうね。
中野 そうだと思います。
――ちなみに、途中で2ヵ月間タイに行ったというのは、どういうことだったんですか?
中野 それは、べつに格闘技のために行ったわけじゃなく、学生時代の友達が急にタイに移り住んだので会いに行こうと。当時はちょうど世の中がバックパッカーブームだったんですよ。関連本もけっこう出ていて。私自身もそういう海外一人旅みたいなことをやってみたいという思いがあったので、タイやその近隣国を2ヵ月ぐらいかけてプラプラしていました。
――ということは会社をやめて?
中野 そうです、いきなり「私、タイに行きます」って(笑)。それでタイにいるあいだも身体も動かさなきゃということで、せっかくだし本場のムエタイジムに通ってみようと。なぜか大久保さんがジムを紹介してくれて、バンコクの郊外にあるマトリックス避けで有名なガオグライ(・ゲーンノラシン)がいるジムに行きました。その後、帰国しては働いてお金を貯めつつ、またタイに行くというのを繰り返し、最終的にはタイで働きたいという思いが強くなり移住したんです。
――もう面倒だから、本格的にタイに移り住んじゃった。
中野 2007年の後半には完全にタイに移り住んでいましたね。1年間、現地のタイ語学校に毎日通って、その後に現地の会社に就職したんです。
――タイではどんなお仕事をしていたんですか?
中野 日本語ができるタイ人を、タイ現地の日本企業に紹介する就職斡旋会社でコーディネーターとして働いていました。
――そのあいだも格闘技には触れていたんですか?
中野 バンコクに柔術のジムがいくつかあったので、ときどきそこに通っていましたね。
――タイって立ち技のイメージが強いですけど、柔術のジムもあるんですね。
中野 それが、外国人が多く住んでいるからか意外とあるんですよ。当時タイ人で柔術やっている人はそんなに多くなかったとは思うんですけど、やっている人はたぶん海外留学したときに留学先でやっていたのかもしれないですね。だから、比較的富裕層の方が多かった気がします。通っていたジムも、ジムのオーナーが持っているマンション1棟のワンフロアを改装してジムにしていました。日系企業で働いている日本人も何人か通っていましたね。
――現地で働いていたということは、タイ語は必須ですよね?
中野 そうですね、社内でもタイ語使うことが多かったです。日本に帰ってきてから話す機会がないのでだいぶ忘れましたけど、日常会話程度ならなんとか。タイ語って、じつは皆が思っているより簡単なんですよ。1年間勉強したというのもあるんですけど、英語や日本語よりずっと簡単ですね!
――母国語より簡単(笑)。その後、日本にはいつ戻って来られたんですか?
中野 2012年の春です。帰国後も柔術は続けようと思っていて、そんなときにU-FILE CAMPで教えてくれていた白井さんが「いま、ロータス世田谷で練習しているから、ジムを探しているなら一度体験しにくれば?」と誘ってくれたのをきっかけに、通うようになりました。主宰の八隅(孝平)さんの教え方が本当に凄くわかりやすかったので入会したんですけど、そしたら、そこに「N野」の名付け親である北岡(悟)さんがいたという。
――おお~(笑)。北岡選手のツイッターには、よく「N野さん」が登場しますが、北岡選手とはRIZINが誕生するずっと前から接点があったということなんですね。
中野 ロータス世田谷のグラップリングクラスの指導者が北岡さんだったんです。最初は柔術クラスに出ていたんですけど、やっぱり元はグラップリングをやっていたんで、北岡さんのクラスにも出るようになったというのが接点ですね。
――北岡選手、最初は怖くなかったですか?
中野 めちゃくちゃ怖かったですっ!
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猪木、高田、PRIDE、K-1…マイク・タイソンに踊らされた人々
2020-05-10 12:31100pt不定期更新「ジャン斉藤のMahjong Martial Artas」――今回のテーマは猪木、高田、PRIDE、K-1…マイク・タイソンに踊らされた人々です!【1記事から購入できるバックナンバー】・カイvsウルカ、視聴率、台風19号……RIZIN大阪1万字トーク■笹原圭一RIZIN広報
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ボクシングヘビー級史上最強と讃えられたマイク・タイソンが2020年のいまになって突然脚光を浴びている。チャリティー・エキシビジョンマッチに向けてのトレーニングを開始したタイソンが、53歳とは到底思えないド迫力のミット打ちの動画を投稿したことが発端だった。https://twitter.com/majan_saitou/status/1257108202614738944このダイナマイトパンチなムービーが瞬く間に世界中に拡散されると、各方面からタイソン獲得の表明が相次いだ。オーストラリアのプロモーターが100万ドルのファイトマネーを掲げれば、素手で殴り合う危険なベアナックル・ボクシングイベントBKFCは、それを遥かに上回る2000万ドルを出すとメディアに語った。
栄光と醜聞に満ちたタイソンのボクサー人生は、いまなお多くの人間の耳目を集めている。とうの昔にグローブをおいたタイソンをプロモーターたちがこぞって獲得に手を上げるのは、実現するかはさておきレジェンドに触ることでの売名行為も含まれているのだろう。かつての日本の格闘技団体も、タイソン招聘の狼煙を上げていた。アントニオ猪木、高田延彦、PRIDE、K-1……中には「契約合意に至った」と発表するケースも見られた。そこでマイク・タイソン自伝「真相」を引いてみると、“ある団体”以外は名前すら出てこなかった。タイソン本人が口にした団体はどこなのか。
高田延彦の場合
98年にPRIDE.1でヒクソン・グレイシーと対戦した高田延彦は同時期にマイク・タイソン側からオファーを受けたという。繰り返すがタイソン側のほうから「高田と戦いたい」とリクエストがあった、と高田いうのだ。
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ムエタイ三冠王・雅駿介「キックを引退してイチから MMAファイターを目指します 」
2020-05-08 15:48100pt「本日2020年4月28日をもちまして、3本の日本タイトルを返上し、キックボクシングから総合格闘技へ転向します。転向に伴い所属していたPHOENIXもマネジメント契約解消し退会する運びとなりました」――SNSでキック引退、MMA転向を宣言したムエタイ三冠王・雅駿介インタビュー。キックの実力者はなぜその地位を捨ててまでMMAに殴り込むのか。【1記事から購入できるバックナンバー】
・平本蓮インタビュー「“昔のK-1”を取り戻すために、いずれMMAをやります」
・平本蓮RIZIN契約、MVPvs安西決定の舞台ウラ■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
・【MMA転向宣言】全日本選手権覇者・中村倫也を育んだ“大宮”とは何か?/池田久雄
・中村倫也MMA転向表明で思い出す――山本KID徳郁デビュー前夜/朝日昇
――雅選手はいつぐらいからMMA転向を考えていたんですか?
雅 決断したのはちょうど1年ぐらい前ですね。ボクが所属しているPHOENIXの会長(加藤督朗)が独立して、自分で新しくジムを立ち上げたいと。会長はPHOENIXを運営する会社の社員というかたちだったんです。その運営会社の代表と会長の話し合いで「選手は自由にしていい」という結論になって。
――このままジムに残ってもいいし、 新しいできるジムにも移籍していいと。
雅 もしくは他のジムに移籍してもいいよってことで。実際に会長に付いて行った選手や、他のジムに移籍した選手もいるんですけど。ボクは昔から「MMA に挑戦したい」と考えていたので、このタイミングしかないんじゃないかと思ったんですけど。 ただPHOENIXというジムには思い入れがあったし、いますぐキックを止めるのは中途半端になるなと。1年間はキックをやってジムを盛り上げつつ、2020年だとキリがいいし、オリンピックイヤーでスポーツが盛り上がると思うのでMMAに転向しようと決めましたね。
――ジムの体制が変わらなかったらMMA 転向は考えなかったかもしれないんですか?
雅 いや、ずっと考えていたので、きっかけになったということですね。いずれはMMAはやっていたと思いますね、どこかのタイミングで。 何もなくても同じ時期に入ってたんじゃないかと思います。それは間違いないです。
――結果的に背中を押してくれたということですね。
キックの実績があることで周囲の反対もあったんじゃないですか?
雅 止める人はいなかったですね。ボクはかなり熱があったし、転向を決めたということで周りに相談したので。「行くか・行かないかで迷っている」という相談は奥さんにしかしてなかったです。
――奥さんは、なんとおっしゃったんですか?
雅 「好きなことをやればいいんじゃない」と。ただ現実的にいままでようにキックでファイトマネーは稼げなくなくなっちゃうので、生活が厳しくなるという話もしたんですけど。「1回しかない人生だから好きなことをやったほうがいいよ」と。
――背中を押してくれたわけですか。
雅 キックで日本タイトルのベルトを3本持ってて、2020年の今年もいろいろとチャンスがもらえる……という話もあったんですけど。それなのにMMA転向を考える人はいない、と周りからは言われましたね(笑)。
――いや、ホントですよ。このままキックをやったほうが経済的にはいいですし、MMAだとしばらくは持ち出しになっちゃうわけじゃないですか。
雅 ホントそうですね。でも、そこはボクの熱が強かったので奥さんも納得してくれたのかなと思うんですけど。それに今後キックの3倍4倍5倍以上、MMAで稼ぐつもりなので!(笑)。
――ハハハハハハハハ!いや、まあMMAは青天井ですもんね。
雅 そこは力説しましたね。 ただ、やりたいことをやることはお金以上の価値があると思ってるので。人生は一度きりしかないのでそこは大事にしました。
――MMAの練習はされてるんですか?
雅 去年から津田沼のFIGHT FARMに立ち技の出稽古で週1で通ってたんですけど。 MMA に転向すると決まった時点でFIGHT FARMの方に相談をして、キックだけじゃなくてMMAの練習にもさせてもらってますね。あとはK-Clann。
――葛飾にある横田一則さんのジム。
雅 K-Clannには選手の繋がりがあるので出稽古させてもらったり。
――手応えはどうですか?
雅 いやあ、本当に凄い難しくて。これホントに「MMAで勝てるのかな……」って感じなんですけど(苦笑)。でも、ボクはドンドン練習をして早くうまくなっていきたいなって思います。
――大沢ケンジさんが言うのは「総合は最初の頃の練習で心を折れがちになる」みたいな。
雅 ハハハハハハハ。たしかに寝技は本当に難しいです(笑)。でも、楽しくてしょうがない感じです。ファン目線としては寝技のほうが好きだったんですよ。PRIDEだったらノゲイラが好きで。だから寝技でやられたにしても心が折られるということはないですね。――これまで築き上げたキックボクサーとしての地位を捨ててまで転向するということは、覚悟を決めてるということですもんね。
雅 そうですね。むしろ覚悟しかないですね(笑)。
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死神衝撃の願望 ハリトーノフ「一度、コロナにかかってみたかったんだ」
2020-05-08 14:43100pt編集部発北米ニュース! 今回は「ロシア人格闘家 それぞれのコロナ事情」です!【1記事から購入できるバックナンバー】・第5代新日本プロレス社長から見たシンニホン暗黒時代■サイモン・ケリー
・平田樹ONE狂乱ダンスの舞台裏■コーチ横田一則の証言
・堀口恭司「……復帰戦は、さいたまスーパーアリーナスタジアムバージョンの超満員の中で」
・ベラトール対抗戦激勝! 世界に実力を証明!! 渡辺華奈インタビュー
・ボクシング界の闇……亀田兄弟vsJBCはなぜ揉めているのか?
新型コロナウイルスの影響で興行の中止・延期を強いられていたUFCがいよいよ帰ってくるが、興行を再開したからといって以前の日常が戻ってくわけではない。今回は新型コロナの中を生き抜くロシア人の格闘家たちの現実をお届けしよう。
本来ならば4月19日に開催予定のUFC249において、因縁のトニー・ファーガソン相手にライト級王座の防衛戦を行うはずだったカビブ・ヌルマゴメドフ。コロナの影響で開催場所がアブダビへ変更となる可能性が高いと聞かされ、いったん母国ダゲスタンに帰国したが、今度は出国制限がかかってしまいアメリカに向かうことできず試合をキャンセルした。ヌルマゴの今後の試合の見通しは立っていないが、イスラム教徒の彼は現在ラマダン中(断食時期)なので、いずれにせよ今回のUFC249への出場は叶わなかった。
ヌルマゴの不運は重なり、彼の父親が肺炎の疑いで入院。新型コロナの感染有無は明らかにされていないが、父親は心臓病を患っていることもあり容態は悪化。特別機でモスクワの病院の搬送されるという事態となってしまった。
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小川良成…孤独と苦難から生まれた「孤高のテクニシャン」■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
2020-05-06 10:52105pt
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は「小川良成…孤高のテクニシャンの歴史」です。
<1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>新型コロナ禍の中のプロレスW-1活動休止、NOAH新体制、全日本はWWEと接近?追悼“喧嘩日本一”ケンドー・ナガサキ
【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
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――NOAHの小川良成選手のレスリングマスターとしての注目度が上がってますね。小佐野 彼の場合は周期的にこうやって注目されるんだよね。プロレスが荒れてくると脚光を浴びるというか。プロレスのスタイルが変化していくときに普遍的な小川良成のプロレスが注目される。
――小佐野さんが小川選手と初めて会ったのはだいぶ昔のことですよね?
小佐野 初めて会った日のことは覚えてないんだけど、『ゴング』が週刊化されたのが1984年なんですよ。その年の5月から私は『ゴング』の担当記者となった。小川が入門したのはその年の夏前ぐらいなんです。入門の頃から知っててデビューした初めての選手が小川良成。
――小川選手は53歳ですから長い付き合いですね(笑)。
小佐野 17歳の頃から知ってるから53歳になったと聞いてビックリしちゃってますよ(笑)。小川は高校をやめて全日本プロレスに入門したんだけど、その頃の全日本の合宿所には寮長の冬木弘道、ターザン後藤、川田利明の4人しかいなかった。
――凄い組み合わせ!
小佐野 小川以外にも新弟子はいたんだけど逃げちゃったし、冬木さんはその年の11月にメキシコに修行に出ちゃったから、3人だけになっちゃった。小川は先輩の雑用仕事が大変だったのか、2~3回いなくなってるんですよね。「あれ、消えたんだ」と思ってまた別の日に道場に行くと小川の姿はある。
――どういうことですか?
小佐野 結局小川がいないと後藤と川田が雑用をやることになるから困るわけですよ。百田光雄さんなんかも小川を説得したみたいですよ。小川のお父さんが厳しい人だったみたいで「家にいるより、こっちのほうがいいだろう?」と(笑)。
――ハハハハハハハハ! 合宿所より怖い実家って!
小佐野 戻ってきても、なかなかデビューできなかった。翌年の85年にはジャパンプロレスが全日本にやってきて選手が溢れ過ぎちゃったしね。小川は身体が細くて体重は70キロ程度だったから、デビューするまで1年以上かかったんですよ。85年の9月。
――当時で1年といったら、かなり時間がかかったほうですね。
小佐野 アメリカから帰国したカブキさんが「オマエは何ヵ月練習生やってるんだ?」って呆れるぐらいだから。彼がまだ幸いだったのは、天龍(源一郎)さんの付き人をやっていた冬木さんがメキシコに行っちゃったことで、練習生の頃から天龍さんの付き人になったこと。天龍さんがねじ込んでデビューさせてもらったんですよ。「1年も練習生やってるんだからデビューさせてやってくれ」と。
――天龍さんの配慮がなかったら、もっとデビューは先延ばしにされていたかもしれないんですね。
小佐野 天龍さんが「オマエは身体が小さいから目立たないといけない」ということで、黒と黄色の縦縞のロングタイツを履けと。もうそのタイツが派手すぎて 客席から笑いが起きるぐらいだったんですよ(笑)。
――冬木さんと川田さんのタッグ「フットルース」の派手なバンダナとタイツも天龍さんのアイデアだったそうですね。ロックンロールエクスプレスの影響で(笑)。
小佐野 天龍さんが「ジャパンにも挨拶してこい」ということで、小川はその派手なタイツのままジャパンの控室に向かったんですよ。そして「全日本プロレスでデビューすることになりました小川です!」と挨拶したら、長州さんたちに大笑いされて(笑)。
――ハハハハハハハハ!
小佐野 全日本の先輩たちからも「かわいそうになぁ」と言われてね。デビュー戦は天龍さんが控室から出てきて試合を見てくれたらしいんですよ。 小川いわく「ちゃんとタイツを履いてるかどうか確認したんじゃないか」と(笑)。
――チェックが厳しい(笑)。
小佐野 デビューした当初の小川は、相手をロープに飛ばして自分もロープに飛んだ反動でエルボーパッドみたいな技をやっていて。それも天龍さんのアドバイス。「オマエは身体が軽いからこういう技をやってみろ」と。天龍さんにはかわいがられたみたいだね。小川は付き人として巡業中に天龍さんのコスチュームを毎日洗濯するでしょ。シリーズ中に洗濯代ということで、新人の試合のギャラをはるかに超えるお小遣いをもらってたらしいから。「気付いたら20~30万円もらってましたよ」と。
――さすが天龍源一郎!
小佐野 ただ、環境的には小川の下には誰もいないでしょ。孤独は孤独でジャパンプロレスの佐々木健介だけは仲が良かった。お互いに下っ端同士だからね。ジャパンプロレスには新人の馳浩がいたけど、彼はエリートだから。
――そのうち小橋建太、北原光騎、菊地毅の3人が全日本に入ってくるんですね。
小佐野 この3人の後輩との人間関係は微妙で。菊池や北原は小川よりも年上なんですよ。それに菊池はレスリングの大学チャンピオンで、北原はシューティング(修斗)をやっていた。
――バックボーンがあったんですね。
小佐野 小橋も早生まれだから小川とは学年が一緒。そういう後輩たちが87年に入ってくる。それまでにも新弟子は何人か入ってきたはずなんだけど、長続きしなかった。ジョン・テンタや高木(功)とか経歴がある人は入ってるんだけど、彼らは普通の新弟子とは違うから。小橋、北原、菊池の3人は同期だから仲がいい。 小川はこの3人とは絶対につるまないし、若手の頃は小川のことは大嫌いだったはず。だってイヤな先輩だもん(笑)。
――ずっと孤独だったんですねぇ。
小佐野 そのあいだ小川はずっとドンジリなんですよ。ようやく新弟子が入ってきたと思ったら年上や同い年だったり。しかもその頃の小川はスランプで。87年の正月シリーズで花巻で試合があったんです。笹崎(伸司)との第1試合でダイビングボディアタックをやったら、着地の位置が悪くて左から手をついてしまって、左肘を脱臼。そのまま救急車で運ばれて4月ぐらいまで復帰できなかった。その1年後の88年にもマイティ井上さんと試合でまた左肘を脱臼しちゃって、夏ぐらいまで休むことになった。翌年の89年の夏か秋ごろには三頭筋を断裂しちゃって移植手術を受けてる。
――毎年何かしらケガをしてるんですねぇ。
小佐野 90年に師匠の天龍さんはSWSに移籍するけど、小川はその手術もあって長期欠場中。仮にSWSに移ろうにも無理だった。小川本人はSWSに移籍するつもりはなかったと言ってるけど、その気があっても天龍さんにはついていくことはできなかった。
――小川選手は天龍同盟の一員でしたけど、そこまで天龍同盟のイメージは強くないですね。
小佐野 小川いわく「俺は天龍同盟でも何でもなかった。ただの天龍さんの付き人だ」と。 天龍さんが離脱以降、後輩の小橋と菊池は超世代軍として存在感を出していた。小川は鶴田軍のメンバーだったけど、そのイメージもあまりない。ずっと前座のファイトに徹していたね。
――海外修行にも出てないですよね。
小佐野 あの年代で海外に行ってるのは北原だけ。小川がようやく脚光を浴びたのは、秋山準が出てきた頃。90年代半ばだよね。――もう10年選手になってから!
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「あなたはもう”Times Up”(時間切れ)」――イリマ・レイ・マクファーレン、勇気ある告発
2020-05-03 22:21100pt和術慧舟會HEARTSの中田大貴が綴る世界のMMAシーン――今回のテーマはイリマ・レイ・マクファーレン、勇気ある告発です!【1記事から購入できるバックナンバー】・【1万字リポート】いまアメリカで何が起きているのか?■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
・ダナ・ホワイトの過激なリーダーシップ「俺は容赦しないぞ!! 試合はやると言ったらやるんだ」
・【UFC249電撃中止】ダナ・ホワイトと、ファイト・アイランドと、セックステープ
・【プロレスは不要不急ではあらず】政治とウイルスの狭間でWWEは踊るのか
UFCがいまだ進出できてないアメリカの最人気リゾート地、ハワイ。同地でベラトールはすでにイベントを2度開催しているが、いずれもメインイベントを務めたのが、ハワイ出身でベラトール女子フライ級初代世界王者であり、MMA11戦無敗のイリマ・レイ・マクファーレンだ。
イリマは今年の2月には5年10試合の大型契約を更新したばかりでベラトールの顔のひとりである。その彼女がその姉であるマヒナ・マクファーレン・ソウザと共に勇気ある告発を行なった。
いまから約15年前に彼女たちが当時通っていたハワイ州ホノルルにある私立学校であるプナホウスクールにおいて、バスケットボールチームのコーチを勤めていたデュエイン・ユエン氏からイリマ姉妹が性的虐待を受けていたとして、ホノルル巡回裁判所に訴訟のための資料を提出したことが明らかとなった。
「当時12歳の私は権威的な地位とその力を持った大人と不適切な関係にあった。そして12歳の当時の私にとって適切な関係というものの価値観に100%影響を与えた」(イリマ)
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女王は父親の死後、柔道を始めた――ドキュメンタリー「ロンダ・ラウジー 父の信じたもの」
2020-05-03 21:38100ptこの記事はドキュメンタリー「ロンダ・ラウジー 父の信じたもの」を語ったDropkickニコ生配信を編集したものです(語り:ジャン斉藤)
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・無観客レッスルマニアが生み出した“異常な2試合”■斎藤文彦INTERVIEWS
・あなたが成功を願う格闘家の姿が見えてくる……映画「コナー・マクレガー: ノートリアス」
・「天下を取り損ねさえしなかった」元スーパーエリート中西学、引退
・格闘技の空白――忘れろというのか 繋ごうというのか
2016年に公開された女子格闘家ロンダ・ラウジーのドキュメント作品「ロンダ・ラウジー 父の信じたもの」がNetflixで配信されましたが、これがまた感慨深い内容なんです。女子格闘技をジャンルとして確立させた彼女はこんなディープな物語を背負っていたのか――と。
UFCや北米MMAを批評する際に「ドラマがない」とか言われがちですよね。単なる競技の世界で余白がない、みたいな。ところがUFCこそドラマがたくさん詰まっていて余白だらけの世界なんですよね。あれだけ大きくなってるのに、まだまだ可能性に満ちている。その面白さがなぜ伝わらないかといえば、やはり海の向こうの出来事であることが大きい。
ボクも含めて日本のファンからすれば、ロンダ・ラウジーという傑出したファイターもどんな人間なのかを完全には把握できてない。 女子格闘技の扉を開いたファイターという認識で良くも悪くも止まっているんですが、このドキュメンタリー作品を見ると、ロンダが格闘技の歴史を変えることが宿命付けられたとしか思えないんですね。ここまでその資格や才能がある人材はいない。選ばれし者。プロフィールからして完璧なんです。
まず柔道でオリンピックに2回も出ていて、アメリカ柔道女子初のメダリストでもある。そんな逸材がMMAをやってくれる時点で満点に近いじゃないですか。さらに物語に深みが出るのは、ロンダのお母さんが有名な柔道家で、アメリカの選手として初めて世界大会での金メダルを獲得したほどの人物だからです。
「朝、起こされるときに母親からアームバーを極められていた」
寝技が得意だった母親からアームバーを叩き込まれたロンダは、アマチュアのデビュー戦からそのアームバーで11連続一本勝ちするんですよ。まるでマンガだ!
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【全文公開】矢野卓見の「骨法の祭典2020」後編
2020-05-02 08:01令和の時代に骨法を堪能しろ! 先日実現したヤノタクこと矢野卓見のDropkickニコ生配信。90年代の格闘技界をリードした喧嘩芸骨法の裏話をたっぷりと明かしてくれたが、その文字起こしの後編をお届けします。 骨法が好きか、嫌いか、ハッキリさせろ! 前編はコチラ https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1894427――骨法から生徒が離れないのは、やはり骨法自体に魅力があったということなんですか?
矢野 普通に稽古は楽しくやってたんでね。俺も毎日一生懸命通ってたんで、たぶん楽しかったんだと思うんですよ。俺自身、習い事でそんなに一生懸命にやったというのはなかったし。まあ、それまで習い事も親に無理やりやらされていたものもばっかりだったんで、自分でやりたいと思ってやったものって続くものなんだな、と。
――マスコミにも露出していたので、求心力もあったんでし -
山本小鉄さんと天山広吉のイイ話■金原弘光
2020-05-02 07:33105pt伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光が格闘技界黎明期を振りかえる。今回はDropkickニコ生で配信されたものをお送りします!【1記事から購入できるバックナンバー】
・【代理戦争、その後】古瀬美月インタビュー「もう19歳ですし、私には時間がないんです」
・スアキムをムエタイ引退に追い込んだギャンブラーとは何か■鈴木秀明
・ 【UFC249電撃中止】ダナ・ホワイトと、ファイト・アイランドと、セックステープ
・格闘技の空白――忘れろというのか 繋ごうというのか
1・世界一過激な格闘技で稼ぐ男 渡慶次幸平……血とカネとラウェイと
――金原さん、今日は配信というかたちでお願いいたします。
金原 これでみんな聞けるんですか?
――みんな聞いてます。
金原 ウソ!?
――ウソじゃないです、本当です(笑)。危ない発言は控えてください。
金原 いやあ、危ないことは言えないよね、これ。しかし、こんなご時世なのに UWFの話を聞きたい人がいっぱいいるの?
――たくさんいます。金原さんはどうなんですか、新型コロナウイルスの影響は。
金原 そりゃあ多少はありますよ。国家試験の免許を持っている治療院は自粛要請は出てないけど、カイロプラティックやマッサージ屋さんはダメみたいで。でも、緊急事態宣言が出てから通院を控えるおじいちゃん、おばあちゃんは増えてるけどね。いまは首を寝違えたお客さんが多いよ。ストレスなのか、テレワークのせいなのか。
――身体を動かす機会もガクンと減りますし。
金原 俺は念願のテレワークじゃん。俺の仕事は絶対にテレワークができないから。
――あ、この放送が(笑)。
金原 テレワークしたいなあと思ってたんだよ。こんなかたちでテレワークが叶うなんて。
――しばらくは“憧れのテレワーク”というかたちでよろしくお願いします(笑)。金原さんがプロデビュー前に通っていた新日本プロレス学校の頃から振りかえっていただきます。
金原 そんな昔から(笑)。
――新日本プロレス学校とは新日本プロレスが運営していたプロレスの専門学校のことですね。
金原 最初から新日本プロレスに入りたかったんで、「プロレスラーになりたいんですけど」と新日本の事務所に電話したら、「まずはプロレス学校に通ってテストを受けてください」と。
――入学金はおいくらだったんですか?
金原 入学金はいくらだったかなあ。月でも1万円くらいで。
――当時は銀行口座の引き落としじゃないですけど、ちゃんと管理はできていたんですかね。
金原 それがね、できてないんだよね。最初はまとめて6ヵ月分ぐらい払ったのかなあ。そうするとまた振込用紙が送られてきてまた払う。プロレス学校に通うと他の人たちとも仲良くなるでしょ。みんな「月謝なんて払ってないよ」って言ってて(笑)。
――ハハハハハハハハ。
金原 払ってない人がほとんどだったんじゃないかな(笑)。管理ができてないんだよね、ちゃんと。
――何時から道場を使っていいというルールだったんですか?
金原 新日本の選手が使ってない時間だよね。昼から夜まで。道場の空いてる時間を使っていいという感じだったんだけど。
――新日本プロレスのレスラーからすれば「なんなんだろう」とは思いますよね。
金原 邪魔な存在だったとは思うよね(笑)。 選手が巡業に行ってるあいだは使い放題だったんだけど。基本的にプロレス学校生が通う時間は夕方から夜が多かった。
――新日本の道場で練習できるってプロレスファンからすれば夢のような話ですよね。
金原 だって新日本プロレスのリングに上がれるわけだからね。俺も初めて道場に行った日にはリングに上がれることに喜んじゃってトップロープに登ったからね(笑)。
――ハハハハハハハハ!
金原 最初の頃は山本小鉄さんが来て教えていたらしいんだけど、俺が入った頃は2年目かなんかで小鉄さんも頻繁には来られてなくて。
――じゃあ誰が教えていたんですか?
金原 誰も教えてはないんだよね。個々でウエイトトレーニングをやったりとか。
――スポーツジムみたいな感覚ですね。
金原 完全にスポーツジム。小鉄さんが来られるとリングに上がって受け身から始まってロックアップやロープワークをやって、極めっこをやる。最後に小鉄さんがいろんな話をしてくれて。
――プロレスラーの心得なんかを説くわけですね。
金原 山本小鉄イズムだよね。常々「プロレスラーは最強じゃいけない」と言ってたもんなあ、小鉄さんは。近所のスナックにみんなで一緒に行ったりとかもそてね(笑)。野球大会とバーベキューもやったのかな。参加できる人は名前を書くんだけど、その紙に長州力という名前があったんだよ(笑)。
――誰かのイタズラじゃなくて?(笑)。
金原 長州さん本人が本当に来たからね(笑)。プロレス学校の生徒と一緒に野球をやったんですよ。普段、夜の道場にはプロレス学校生がいるからレスラーはあんまり寄り付かないんだけど、長州さんはよくウエイトトレーニングをやっていたよね。
――あの頃の長州さんって現場監督に就任した頃でピリピリしているはずだから「どっか消えろ!」とか怒鳴ってもおかしくないのに。
金原 あと佐々木健介さんとマサ斎藤さんが凄い重たいバーベルを担いでやってるのをよく見たけど。
―― 猪木さんの姿は見ました?
金原 猪木さんは1回だけチラっと見たかなあ。そうしたら急に前田(日明)さんが顔を出したんだよね。それで猪木さんがパッと道場から出て行った。新生 UWFの頃の前田さんだからね。猪木さんと何か話し合いがあったのかなって。
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