【90年代プロレスメディア史】活字プロレスは1996年に死んでいる■高崎計三
2026/04/06(月) 00:00
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高崎計三さんが語る90年代プロレスメディア史! 活字プロレスよ、オマエは1996年に死んでいる!(聞き手/ジャン斉藤)
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・“Uと馬場”を支えた黒衣の絵描き……更級四郎インタビュー「ボクは手助けをしていただけですよ」
――90年代のプロレス格闘技は、サブカル・文化方面との親和性が高かったというか、プロレス格闘技は大人の嗜みみたいなところってありますよね。
高崎 80年代の村松友視さんから始まり、著名な文化人とかが注目してくれるとプロレスファンが盛り上がりますもんね。
――だからプロレス格闘技にそこまで興味がなくても、とりあえず『週刊プロレス』を読むみたいな流れがあって。
高崎 試合は見ないけど、『週プロ』は読む。それも活字プロレスの一つの側面としてありましたよね。90年代は活字プロレスが最高潮に盛り上がって、1回死ぬ時代なんですよね。
――死んでいるのに、さまよってる活字プロレスゾンビがたくさんいるわけですか(笑)。その現場にいた高崎さんに90年代を振り返っていただきたいんですけど、高崎さんはどういう流れで『週刊プロレス』発行元ベースボール・マガジン社に入社したんですか?
高崎 その話を始めると長くなるんで、はしょると(笑)、就職活動していたら、偶然にベースボールとのコネが浮上してきて。
――ああ、そっか。ベースボールってコネでしか入れない時代がありましたね。
高崎 いまはわかんないけど、当時はコネか、バイト上がりかしか入れないんですよ。ウチの親父がベースボールの社名を言わずに「相撲の本を出してる会社と付き合いがあるが入りたいか?」と。それが『月刊相撲』を出してるベースボール・マガジン社だとわかり、入社を決めたんですね。
――ベースボールは入りたい会社だったんですか?
高崎 出版社にまず入りたかったんですけど、『週プロ』は週刊になったときから読んでたんで、入れるなら入りたいじゃないですか。だけど『週プロ』には「徹夜、徹夜で家に帰れてない」みたいな編集後記ばっかりなんで、そこはイヤだったんですよ(笑)。
――週刊の編集は自由時間はない感じですよね。
高崎 まあそもそも、当時の『週プロ』はバイト上がりからしか編集部員を取らないというターザン(山本)の意向があったから、『週プロ』には入れなかったんですけど。ターザンが書いていたUWF三都物語(北海道、徳島、福岡)に博多のバー「勝手にしやがれ」って出てきたじゃないですか。じつはウチの兄貴がそこに通ってて、マスターに「今度、弟がベースボール入ることになった」と話したんですよ。そうしたら、マスターがターザンに「知り合いの弟が入るから、ちょっと目にかけてやってくれ」と。ボクは結局、『週プロ』とは違う部署に配属になったんですけど、ある日ターザンがやってきて「キミはプロレスファンなのか?」と聞かれて「はい。G1の両国7連戦のチケットもすべて買ってます」と応えたら、ターザンがすげえ呆れた顔をして(笑)。
――そこまで全力プロレスファンなのかってことですかね(笑)。
高崎 そしたら後日、ターザンから内線がかかってきて「プロレスの本だけを編集する部署を作るからこっち来てくれ!」と。当時の部長に報告したら「山本さんが言うんじゃしょうがないな……」って。
――当時の『週プロ』ってめちゃくちゃ売れてたから、ターザンは部署を超えて自由にできる権力を持っていたわけですね。
高崎 何かあるとターザンが会長に直訴するんですよ。会長は許しちゃうので、あの頃のターザンは何でもできましたね。
――高崎さんが移った部署はどういうところだったんですか?
高崎 ボク以外にフリーの女性編集者がいて、プロレスの本を作り始めたんですよ。その女性編集はベテランだったけど、プロレスのことはわからないから、プロレスに関する確認はボクがやってたんですよね。最後まで正式な部署にはならなかったんですけど、仮で「プロレス出版部」って呼んでたんです。『週プロ』の隣の島に机が用意されて。
――書籍ってどのくらいのペースで出してたんですか?
高崎 単発でポコポコ作ってたのと、『THEプロレス本』というシリーズを2ヵ月ごとに同時に2冊ずつ出してました。あとボクは『日本プロレス全史』にも携わってたんですよ。
――そんな歴史書大作に!
高崎 それはボクが入社する前に外部の人間がターザンに「年表を作らせてくれ」と直談判してやりだして。もう9割は出てきてるから、あとはもうまとめるだけだ……ということで、入社半年ぐらいのボクが進行を任されて。その人と会って原稿を預かったんですけど、読んでみたら本当に酷い原稿で。打ち間違いや書き間違いがものすごい多いし、ライターとして基本的な能力がない。
――なんでそんな人間に任せたんだ(笑)。
高崎 ターザンって、やる気のある人が好きなんですけど、やる気のある人が書けるわけではないので(笑)。完成するまでいろいろなことがあったんですけどね。
――隣の『週プロ』とは仕事のリズムが違うんじゃないですか?
高崎 かなり違いますよね。『週プロ』は毎日徹夜でやってて。ボクも『日本プロレス全史』をやってて、無駄に泊まったりしてたんですよ。でも、何もないときや他に用事があるときは早く帰るじゃないですか。そうしたらあるとき、ターザンから呼び出されて「オマエが早く帰るから、編集部が怒ってる」と。でも、部署は違うし、言われる筋合いないんで、気にしなかったんですけどね。
――ボクも『紙プロ』に入ったときから、なるべく泊まらず家に帰って仕事するタイプだったんですけど、『紙プロ』の先輩方は怒ってたみたいですね(笑)。
高崎 当時の『週プロ』はめちゃくちゃ忙しいから、気持ちはわかるんですよ。でも、『週プロ』編集部って昼間はすっごい静かで、デスクのイスで寝てた人も夕方ぐらいから起き出したり、サウナから帰ってきたりとか。活気があるのは夜中なんですよ。
――ピークが違うだけですね。
高崎 ボクが泊まるときはその活気を味わうことができたんですけど、みんなからは「なんだ、アイツは」みたいに思われてましたよね。ボクがプロレス技の本を作ってたときに、「神取スペシャル2」という技の詳細がちょっとわからなかったんですよね。神取忍、LLPWといえば宍倉清則さんじゃないですか。
――当時『週プロ』の次長で、いまブログで大暴れしてるシッシーですね。
高崎 それで宍倉さんに聞いてみたら「興味ない!」って一刀両断されて(苦笑)。
――感動させてよ!(笑)。ボクが言うことじゃないですけど、当時の『週プロ』編集者はクセがある人たちが多かったんでしょうね。
高崎 市瀬(英俊)さんと小島(和宏)さんとは関わることが比較的多くて、そのお2人には優しく接してもらった記憶があります(笑)。
――ターザンって編集部にずっといたんですか?
高崎 昼間に部長会議があったりするから編集部にいる時間は長かったんですよ。昼間はバイト以外の他の編集部員はほとんどいなかったけど、ターザンはデスクの間をウロウロしてることもよくありましたね。
――ターザンといえば、電話で「何かあったか?」って聞きまくることが有名で。
高崎 あの「何かあったか?」はみんな本当に気にしてて。編集部の誰かは、何か面白いことを言えるようにノートをつけてたとか。
――松澤チョロさんも気にしてたなあ。ウェブ日記で変に書かれかねないと。
高崎 ターザンが編集部の自分のデスクに行く途中に俺らの島があるんですよ。だから通るたびに「高崎、何かあったか?」ってよく聞かれたんですけど、「いまはないですね」と返して。「そうか!」って通り過ぎていきましたけど(笑)。
――ターザンって「しょっぱい奴だな」って言いながら、翌日には「面白い奴だ!」みたいにころっと変わるから、あんまり気にしなくていいんだろうなって(笑)。ターザンはどこかの部屋に籠もって、誰かとずっと電話してたとか。
高崎 それはね、深夜なんですよ。当時『週プロ』の編集部は2階にあったんですけど、1階に応接室が2つあって。他の部署の人間がみんな帰っちゃったあと、そこをターザンが占拠して。山口(日昇)さんや柳沢(忠之)さん、骨法の堀辺(正史)さんたちと電話で話をしたり。
――そうやって自分の考えをまとめていくわけですね。
・ターザン山本vsパンクラス
・『週プロ』の衛星雑誌『格闘技通信』
・骨法との蜜月、朝岡の乱
・新日本取材拒否FAXの現場
・「夢の懸け橋」が狂わせた
・活字プロレス終焉はサムライTV登場だった?……続きは会員ページへ
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副業じゃない、人生だ――椿飛鳥が夢見た「ABEMA格闘代理戦争」、その後の現実
2026/04/05(日) 16:26
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DEEP五明宏人戦で周年の勝利を見せた椿飛鳥インタビュー!格闘代理戦争から修斗SASUKE戦まで語ってもらいました!(聞き手/ジャン斉藤)
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・怒れる修斗王者SASUKE「椿のことはいまで大嫌いです」
――椿選手といえば、個人的には修斗フェザー級タイトルマッチのSASUKE戦がとにかく印象に残ってるんですよ。
椿 あー、あれはいろいろとありましたね(笑)。
――椿選手のほうから、いろいろと仕掛けてましたよね。
椿 いまでも覚えてるんですけど、まずランキング1位の結城大樹選手と後楽園で試合したんですよね。そのときメインとセミがケガでなくなって。
――竹原魁晟vs上原平、旭那拳vs田上こゆるの2試合がケガで中止になりました。
椿 それでボクの試合がセミファイナルになったんですよね。選手としては試合順がメインに近づけば近づくほどちょっと嬉しくて。でも、いざ入場したときの客席のガラガラ具合が……あの光景は、いまでも思い出すくらいショックだったんですよね。
――あの試合は2024年ですよね。それまで客入りは気にならなかったですか?
椿 それまでは、なんとなく入ってはいて。たぶんあの大会が修斗にとっても、きっかけなのかもしれない。
――正直、メインとセミが飛ばなくても客入りはそこまで変わらなかったんじゃないかと思いますね。
椿 あ、そこなんですよ。 ボクもそこに気づいたというか。でも、新宿FACEでやってるときはパンパンだったんですよ。ボクもチケットを頼まれても用意できないぐらい売り切れちゃって。いざ後楽園でやったときのガラガラに、すごく危機感を抱いたじゃないですけど。やっぱり、選手である以上、盛り上がるのが一番じゃないですか。
――それまではそんな意識はあったんですか?
椿 いや、ボクのキャリアはABEMAの格闘代理戦争から始まったし、その次はコロナ禍の試合だったんで。客席をあんまり気にしたことなかったんですよね。
――ああ、なるほど。スタジオマッチだったり、入場制限があったり。
椿 デビュー戦はONEウォーリアーシリーズで海外の無観客試合ですし、プロ5戦目の西川大和戦で初めてチケットの手売りを始めたんですけど。当時コロナだったから座席の間隔を空けてたんですよね。だから客席が埋まらないのがあたりまえの時代だったんですよ。 それが解けてようやく客入りを認識し始めた結城大樹戦のガラガラ具合で……。
――現実が見え始めてきたと。たしかに修斗ってコロナ以降、だんだんとキツくなってましたね。
椿 そのあとにDEEPの後楽園に行く機会があったんですよ。北岡(悟)さんと倉本大悟選手がやったときですけど、もうパンパンだったんですよね。で、修斗って一方向を花道で潰してるけど、DEEPは全方向を使って満員。しかも帰るときは混雑しすぎてロビーが身動きできない状態っていうか。 それもあって「修斗をなんとかしなきゃいけない」と。
――なるほど!それでSASUKE戦を煽り始めたんですか?
椿 やっぱりお客さんに見てもらえなかったら、なんにもなんない。SASUKE戦に繋がるストーリーを作ろうと思ったんですよ。でも、ケンカでオラオラするのは、ブレイキングダウンもあるんで、出尽くしてると思って。自分らしいというか、 ちょっとチャラついた感じで攻めようと思って、SNSの投稿をやりだした感じですね。
――そういう狙いがあったんですね。
椿 そしたらSASUKEが本当に怒って(苦笑)。
――作られてないから最高なんですよ!(笑)。 SASUKE選手がそういう性格だと知ってたんですか。
椿 いや、 まったく。それどころか共通の練習仲間がいたんで、ちょっと喋ったりするような仲だったんです。 ボクの予定では環太平洋のベルトを獲ったあとにSASUKEをやりたいと思ったんですよ。結局、環太平洋の試合はできなかったんですが、タイトルマッチ経験者のタテオ選手と組まれて。そこではスプリットの判定勝ち、フィニッシュじゃないからタイトルマッチはどうなんだろう?と。
――挑戦への手応えはなかったんですよね。
椿 そのタイミングでDEEPの会場でSASUKEから寄ってきたんですよ。 友達に「面白いからとりあえずカメラを回してくれ」って撮った動画を投稿していたら、知らず知らずのうちに向こうが本気で怒って。 修斗側は試合を組む気がなかったんですが、全日本アマチュア修斗の会場でSASUKE と遭遇したときも面白おかしく返したら、それに怒ったSASUKEが修斗に「椿と試合させてください」って言ったらしいんですよ。
――じゃあ椿選手の挑発が動かしたんですね。
椿 自分としては実力的にもまだ早いし、このカード自体がまだ盛り上がりきってない状態だったので、やるかどうか悩んでいたら、当時の師匠の森(修)さんが「ここは絶対にやったほうがオマエのためになる」と背中を押してくれて。それで試合が決定した感じですね。
――あとで格闘代理戦争の話は聞くんですけど、 椿選手って「何がなんでも修斗!」というタイプじゃないですよね。
椿 そうではないですね。 ボクがアマチュアのときはDEEPのフィーチャーキングや、パンクラスのアマチュアも全然そんなにやってなくて。 当時のボクはUFCを本気で目指してたし、アマ修の歴代優勝者を見たら、水垣偉弥さんや田中路教さんとかそうそうたるメンバーだったんで。アマ修の全日本で優勝できたら、イコールUFCに行ける才能があると。実際に優勝できたんです。デビュー戦はONEで、修斗に出た理由もいろいろあったんですけど。
――そのへんはあとで伺います!その椿選手が修斗を盛り上げよう、と。
椿 そうです。 だからメインイベントのタイトルマッチで入場したときに見えた空席が本当に残念で。 そこはボクの力不足っていうか、そこはチケットの手売りもありますよね。ボクは100枚に届かなかったです。 それでも頑張ったって言われるんですけど。いま思うと、もっとやれることがあったんじゃないかなって。
―― 手売りじゃなくても格闘技ファンを動員できたんじゃないかと。
椿 あと当時の修斗のチケットは一番安い席で1万円だったんですよね。 価格の相談もできたんじゃないかなと。 まあ試合内容の部分では、見せ物としては成立できたんじゃないかなと思うんですけど。
――試合は面白かったですし、試合後のSASUKE選手の怒りのマイクも最高だったんですよ。
椿 ボクは試合で締め落ちて、そのまま控室に運ばれたんで、マイクの内容を聞いてなかったんですよ。 会場の外で応援に来てくれた人たちと会ったときに「ムカついたよ!」みたいに口を揃えて。あとで記事を読んだら「修斗から出ていけ!」と(苦笑)。
――「副業だの遊びみたいな格闘技やってる奴が取れるわけねえだろ」「スパイみたいな姑息なことやってる奴らがベルト取れるわけねえだろ。数々の愚行と行ないを反省し、オマエら、修斗から出て行け」ってやつですね(笑)。
椿 ボクと一緒に練習している方が、SASUKEとの試合が正式に決まってない段階でマスタージャパンに練習で呼ばれたんですよ。 その方はもちろんSASUKEとは練習はしてないし。
――森さんが抗議してマスタージャパン側も謝罪したんですね。
椿 いま思うと、いろいろと話題になったのは、修斗にとってもよかったと思います(笑)。
――すごく面白かったですよ!
椿 でも、これで修斗はもういいかな……と思っちゃいましたね。自分が何かこれ以上できることがあるかっていうと……。そのあと修斗からも、ありがたいお話はいただいてたんですけど。 ボクとしては出るなら修斗、DEEP、パンクラスの3つと決めてたんで。ただ、DEEPは一番ないだろうなと。
――それはまだどうしてですか?
椿 DEEPはボクを必要としてないというか。フェザー級GPができるくらい選手が集まってるし、ボクは若くないし、戦績もまったく綺麗じゃないし、めっちゃ強いわけじゃないし(笑)。
――自虐的です!(笑)。
椿 ボクの居場所はないだろうなって思ってたんですよね。
――ところが、ですね。
椿 山本有人の中国の試合の打ち合わせでDEEP事務所に初めて来たときに「ウチで試合どう?」みたいな話をもらって。「えっ、いいんですか?」って感じです。本当に必要とされてないと思ったので嬉しかったんですね。しかも牛久(絢太郎)戦と言われて「ぜひお願いします!」と。
――いきなりいいマッチメイクですよね。
椿 ホントにそうです。ボクが「やりたい」と言って、やれる相手じゃないですよね。 まあ、牛久選手サイドからしてもボクとの試合はメリットがあるというか。フェザーにまた戻していきなり厳しい相手ではなくて、強くもないし、弱くもないし、椿ぐらいがちょうどいいだろう、みたいな(苦笑)。
――椿選手からすればチャンスですよね。
椿 はい。 それこそ勝った先を見ちゃったというか、いろんな希望を持っちゃったというか。勝ったらDEEPのタイトルマッチ、もしかしたらRIZIN大晦日で誰かが欠場したら……そんな夢を見ちゃうじゃないですか!!(笑)。
――ハハハハハハハ!
椿 格闘技やってて、その夢を見れる奴が何人いるんだよみたいな。
――夢すら見れない選手がほとんどですからね。
椿 でも、58秒で負けちゃって……。ホントに悔しかったですよ。牛久戦に負けたのが人生でも一番悔しいというか。 それは自分自身に対する期待値が大きすぎて、それが思いどおりにいかなかったときの落差がすごかったんで。いまでも思い出すとちょっと悔しい。油断はしてないですけど、簡単にいうと欲があったし、舐めていたのかなっていう。
――反省会みたいになってますけど、DEEP第2戦の五明宏人戦は快勝でした!
椿 ありがとうございます(笑)。このタイミングで相手が五明というのは、もう負けたら次はないなとは思いました。 DEEPで試合はできるけど、立ち位置が……若手の壁みたいな役割になるんだろうなあと思ってましたね。 その試合に勝てて本当にホッとしましたねぇ。
・ABEMA格闘代理戦争に見た夢
・青木真也は仕事熱心だった
・あの時代のDEEPは選択肢には…
・ONEにロマンがあった時代
・サラリーマンになって気づいたこと
・ブレイキングダウンに嫉妬してない
・プロと兼業、それぞれの大変さ……13000字インタビューは会員ページへ
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・外国人だったらブレイキングダウンを利用する■シュウ・ヒラタ
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「殺し」と小さな幸せ――佐藤将光、人生の教え
2026/04/03(金) 11:56
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RIZIN52でキラーな勝利を収めた佐藤将光選手インタビューです!(聞き手/松下ミワ)
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・秋元強真が世界に見つかった! スーパースター誕生と世界戦略の裏側■笹原圭一の16000字!
――RIZIN.52でのジョン・スウィーニー戦が素晴らしかったので、今回ぜひお話をおうかがいしたいな、と。
佐藤 ああ、今回の取材はそういう主旨だったんですか。たぶん試合のことだろうなと思ったけど、ちょっと全容が見えなかったので。
――スミマセン、それが全容です(笑)。試合後の祝勝会で「相手が弱いんじゃない、俺が強いんだ」と話されていたのも含めて、凄くいいなと思いまして。
佐藤 そうそう。父親にね「今回はぬるま湯に屁こいたような試合じゃなかったでしょ?」と言ったら、「もっとピンチからやっつけないと、俺なんかは相手が弱かったんじゃないの? と思ったよ」と言われたので、そのカウンターですね。
――お父さまは厳しいですね(笑)。ただ、確かに試合は佐藤選手が圧倒していたので、結局相手がどういう選手だったのかはよくわからなかったという。
佐藤 そうね。でも、LFAのチャンピオンだった選手で8連勝しているというのは、強くないとできないじゃないですか。
――そういう意味では、初見の外国人ファイターと戦うのってなかなか難しいんですね。
佐藤 あんまり旨味がないなという感じはしますね。やっぱり強さも伝わってないし、今回みたいにキレイに勝っちゃったらこんな感じになっちゃうし。みんなの物差しがないんで、やっぱ定期的に出てもらわないと本当のことがわからない。だから、試合が終わってすぐ柏木(信吾)さんに「スウィーニーの強さが伝わってないと思うんで、また呼んであげてください」と言いました。もう1回チャンスをあげてほしいなって。
――そんな中、今回の試合は佐藤選手の狂気性みたいなのをかなり感じて。ご自身は「自分の中に狂気があることを自分は知っていて、それが出ただけ」とお話しされていましたね。
佐藤 練習でやってる動きがめっちゃ出たという感じで、もともと持ってる部分が出たんですけど、RIZINではまだ見せられてない部分がようやく出せたなというのもあります。
――そこが解放されたのは何か理由があったんですか?
佐藤 うーん、気持ちのつくり方かな? 試合に向けて「ちゃんと勝負しにいくぞ」というところかなと思いますけど。練習中でも、もう一歩行くというか。いつもはそのまま逃がしちゃうところをしっかり追っかけていく、まとめる部分でまとめる、ちょっとこだわる、そういう細かいところだと思いますね。
――今回はなぜそこを突き詰めていこうと?
佐藤 いや、キム・スーチョル戦ぐらいからフィニッシュがないことが自分の中でも気になっていて。RIZINに来てから1回もフィニッシュを取れてないなと思っていたので、ちゃんと殺しのある部分を見せたいし、やっぱフィニッシュはほしいですね。
――ダニー・サバテロ戦の戦術でご自身でも「のらりくらり」と発言されていましたが、今回はモードが違ったんですね。
佐藤 「いぶし銀」「のらりくらり」「柳に風」みたいなことを言ってもらえてますよね。でも、ボクが表現できることはそこだけじゃないから。そういう一面も見せたいというのはありました。
――「いぶし銀」とか言われることは不服なところもあったんですか?
佐藤 不服ではないですよ。のらりくらり戦えるテクニカルなファイターというのも、もちろんボクの一面ではあるんで。ただ、もっとあるぞというのはやっぱり見せたい。
――途中、相手はカットで血まみれになってました。あらためてMMAは怖い競技なんだなと思いました。

佐藤 ヒジ得意なんで。押し切れたって感じだったんですけど、確かにちょっと残酷な面が出ちゃいましたね。
――凄くさらっと言いますけど(笑)。
佐藤 でもまあ、普通に見たら確かに恐ろしいですよね。こっちは単純にゲーム感覚でやっちゃってますけど。サッカーで点を取るみたいに、パスをつないでこうやってゴールを決めようみたいな。でも、ふと見るとただの暴力にも見えちゃうし、大ケガすることもあるし。そういうところは間違いなくある競技です。
――試合後のマイクで「生き残った」とおっしゃってましたが、いい試合を見せないと生き残れないという意識もあったということなんですかね。
佐藤 そうですね。やっぱり団体やお客さんに求められる試合をしないと、必要とされなくなってしまうものだと思うから。どのぐらいの人がボクを支持しているかわからないですけど、やっぱり大多数に評価されないといけないし、賛否両論を生まないといけない。
――センターラインの向こう側の人もかなり気にしているぞ、と。
佐藤 にわかの人に向けてもやっぱりいい試合をしないといけないですね。
――その反響って、いまどんな感じで実感されてるんですか?
佐藤 あんま響いてないんじゃないかなあ。
――ええ~! そんなことないんじゃないですか?(笑)。
佐藤 そもそも、そこまで注目されてない試合だったかもしれないですね。
――そこは、やっぱり対戦相手の認知度に尽きるんですかねえ。ハードコアなファンは「LFAのチャンピオンクラスがこんなふうにやられちゃうんだ……」という衝撃があったと思うですが。
佐藤 そうなんですよ。でも内容はそれなりによかったんで、この次につながってまた見てもらえるきっかけになれば。やっぱり、昔観てたPRIDEとかは「すげー、すげー!」があったんですよ。三角極められながらもバスターしてドーンみたいな。そういう「すげー!」を今回見せられたから「こいつの試合、なんかすげーから注目してみよう」みたいなのにつながればいいかなって。
――佐藤選手は、これまでパンクラス、修斗、戦極、ONEなどいろんな団体で試合されてますが、vsお客さんというのはファイターとしてどういう意識で戦っていたんですか?
佐藤 どうだろう。ちょっとずつですね、お客さんを意識するようになったのは。パンクラスや修斗のときは、チケットを買って自分を応援してくれるお客さんに「いいとこ見せたいな」という感じでしたけど、修斗の途中ぐらいから……ボクって外様というか、パンクラスから修斗に移った人って、当時はあんまりいなかったんですよね。なのに、けっこう暖かく修斗のお客さんが受け入れてくれている感じがして。「お客さん」という意味では、そこから意識したのかな? 個人的な知り合いや友だちじゃない人にも「勝つところを見せたいな」と意識するようになったのは。
――ONEだと海外大会だから、そこはまた違うものがありました?
佐藤 ONEはね、あんまり言葉が通じないし、プロモーションも日本向けにはやってたんですけど、海外向けプロモーションはそんなにやってなかったんで。だから、日本からAbemaとか観て応援してくれる人に向けてやってたかな。世界で戦う日本人を応援しようみたいな空気感があったと思うんで。会場はけっこう盛り上がってる感じはあったんですけどね。ただ、コロナ禍は無観客とかなんで、ボクを知ってる日本の人に向けてやってた感じですかね。
――じゃあ、大会場のお客さんを熱狂させたいみたいなのは、ここ数年というか。
佐藤 そうかもしれないです。ああ~、でもONEでやったパンクラスvs修斗の対抗戦、あれなんかも会場のお客さんが盛り上がっている感じはスゲえありましたね。
――4vs4対抗戦の大会で、佐藤選手はハファエル・シウバ戦を戦ったときですね。
佐藤 あの試合もめっちゃ気持ちよかった。下馬評がね、たぶん8:2か9:1で向こうが優勢という感じだったんですけど、そういうのをひっくり返すのが最高に気持ちよかったですね。会場も修斗が2敗してて「もうこれパンクラスの勝ちだ」みたいな流れの中での自分の試合だったんで。より爆発した感があって、すげー気持ちよかった記憶があります。
――そういう意味で、大会前後の反響は選手としては大きいほうがやる気は出ますよね。
佐藤 もちろん、もちろん。反響は凄い気にしますね、ボク。
――だからこそ、もっとお客さんに喜んでほしいというのがあるんですかね。
佐藤 自分が持ってるもんは、それだけじゃねーよって。そういうのが見せたいです。ずっと一緒だったらお客さんも飽きちゃうんで。
――思うだけじゃなく、本当にそれが魅せられるのがまた凄いです。
佐藤 というか、自分の中で変わりたいという思いが一番あったかもしれないですね。変わりたいというか、出したい。そういう一面を出したいと思ってました。
――これまで上がってきた団体に対して、毎回帰属意識みたいなのもあるんですか?
佐藤 ありますよ。これって会社に属してるのと一緒じゃないですか、きっと。使ってもらってお金をもらったり、場を提供してもらったり。そこは自分が活躍する場所なんで。
・パッチーはメンタルの問題
・辛いときほど幸せを思い出す
・ジム経営とファイターの両立はオススメはしない
・「辛そうに格闘技やってる」格闘家
・楽しかったら貧乏でも生きていける
・自分の本質と違うことをやるとボロが出る……13000字の教えは会員ページへ
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