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大会後恒例!RIZIN広報の笹原圭一さんの大晦日総括23000字です!(聞き手/ジャン斉藤)


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笹原圭一「格闘技ファンの皆さん、RIZINと朝倉未来に見事に騙されましたね!!」




――あけましておめでとうございます!

笹原 おめでとうございます!

――とはいっても、笹原さんは25年近く大晦日興行に関わってきてるから、新年を迎えた感じはしないんじゃないですか?

笹原 ボクが正月気分をようやく感じるのは、1月2日にゆっくり起きて、テレビで箱根駅伝の山登りを見ているときですね(笑)。

――笹原さんの元旦は箱根駅伝の往路5区ですか(笑)。大晦日興行の余韻があるから、なかなか正月気分に浸れないんですけど、今回の大晦日もすごかったですねぇ。

笹原 斉藤さん、はっきり言いますけど、こんなスペクタクルな格闘技イベントは世界中見渡してもRIZINだけですよ!!

――長州力以来の「スペクタクル・スポーツ」宣言! (笑)。とくにシェイドゥラエフvs朝倉未来の衝撃は……結果だけ見たら「こうなるでしょ!」と言っちゃう人もいるんですけど、想像を超える衝撃があったというか。

笹原 もちろんシェイドゥラエフの実力はみんな知ってるので「ワンサイドゲームになる」「勝負にならない」という事前予想もあったんですけど、それにしても……という試合内容でしたよね。

――腰の重い朝倉未来を何度も軽々と担ぎ上げて投げ飛ばしたりとか、ちょっと考えられない光景でしたね。

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笹原 大会後に社長とシェイドゥラエフが会話しているところにたまたま同席してたんですけど、シェイドゥラエフが「なんであんなに何度も投げたのかわかりますか?」って社長に聞いてきたんです。当然社長もボクも「なんで?わからない」って答えたら、「ミスターサカキバラがいつもお客さんを楽しませる派手な試合をしてくれと言われていたので、エキサイティングになるようにいつもより多く投げました」とニコニコしながら言ってきて、2人とも口あんぐりですよ(笑)

――染之助・染太郎の「いつもより多く回しています!」。RIZINファンに届かない例えですけど(笑)。

笹原 もちろんサービストーク的な部分もあるでしょうけど、シェイドゥラエフの意識の中には間違いなく観客論やお客さんの目線というのがあるんでしょうね。

――シェイドゥラエフってもともとそういう色気があるファイターでしたっけ?

笹原 いや、それはたぶんRIZINで戦うようになってから磨かれていったんだと思います。やっぱりファンから「シェイドゥラエフ、シェイドゥラエフ!」って大歓声を浴びれば、プロとしての意識は当然変わってきますよね。

――最近興味深いと思ったエピソードはUFCで6勝1分のロシア人ファイターが契約更新されなかったんですよ。それを受けてUFC王者のマカチェフが「黙って戦って勝つだけではダメだ。WWEを勉強しなくちゃならない」と。無骨で戦闘機械的なロシア人とは思えない姿勢だなって。

笹原 それでいえば、PRIDE時代のヴァンダレイ・シウバがヒョードルに「オマエは素晴らしいファイターだけど、プロレスを見て勉強しなきゃダメだ」とアドバイスをしたことと同じですね(笑)。

――ハハハハハハハ! それでもヒョードルは無口で感情を露わにしなかったたことでキャラクターが完成されたんですけど。シェイドゥラエフはエンターテイナー性が磨かれて、こんな大一番で魅せる余裕があったと。

笹原 シェイドゥラエフを連れてきた柏木さんに「なんであんなの連れてきたんだ!」って冗談半分に言う人がいますけど、違うんです。連れてきたのは柏木さんですけど、化け物に育てあげたのは、彼に声援を送ったRIZINファンの皆さんなんですよ!犯人はアナタなんです!(笑)。

――真の犯人は、声援という水を与えたRIZINファン! ついでに柏木さんはヘビー級GP失敗もRIZINファンのせいにしそう(笑)。

笹原 シェイドゥラエフ本人も異国の地でここまで人気が出ると想像してなかったはずですよ。

――RIZINのライブ感って世界屈指ではあるから、あの熱を浴びたらいつもよりも多めに回してやろうとなりますよね。

笹原 そういうスイッチが入ってもおかしくないかなと。大晦日のベラトールとの対抗戦のときにヌルマゴがガジ・ラバダノフのセコンドとして来日したじゃないですか。第1試合から満員の会場を見てビックリしてましたからね。ヌルマゴ本人はPRIDEをリアルタイムで経験してないとはいえ、知識としては把握していたと思いますけど、あの熱狂を目の当たりにして「初めて来た異国の地で、格闘技がこんなに盛り上がっているなんて信じられない。アメージングだ!」と。

――ベラトールファイターも日本で来ると弾けるですよね。アーチュレッタもベラトールでは無口な男と思われていたのに。

笹原 アーチュレッタも日本だとフレンドリーだし、気難しいマイケル・チャンドラーも、ベラトールのスタッフから「日本だとむちゃくちゃ素直だ」って驚かれてましたからね(笑)。

――アーチュレッタをいい気にさせた犯人もRIZINファンってことですね(笑)。

笹原 まさにピグマリオン効果ってやつですね。評価されれば評価されるほど、認められれば認められるほど、本人のやる気は上がっていく。シェイドゥラエフも確固たる実力に加えて、RIZINで戦うことでプロファイターとしても成長していったと思います。

――しかし、シェイドゥラエフは全然、底が見えないですよぇ。

笹原 まだ全然見えてないですよねぇ。本当に1vs2とかやっても勝っちゃいそうですし(笑)。

――1日2試合でも普通に勝ちそうで……。

笹原 MMAという名前すらなかった頃は、ロシアで32人のワンデイトーナメントがあったんですよね。いまのファンは信じられないですけど。シェイドラエフがそのうちそういうことを言い出すかもしれない(笑)。

――ボブチャンチンが見い出された大会ですよね(笑)。ワンデイトーナメントは勝ち上がっても万全の状態で試合ができるわけじゃないから、結果に紛れが出ますよね。

笹原 トーナメントは組み合わせや運なんかも左右してくるので、ドラマチックな物語になることが多いんですけどね。普通に平場の大会でワンマッチをこなしているぶんには、シェイドゥラエフを倒すのは容易じゃない。勝利予想した選手がことごとく負けることで、悪魔の予想屋と言われる大沢ケンジさんの負の魔力をもってしてもシェイドゥラエフは負けそうにないです(笑)。

――「俺はわかる。シェイドゥラエフは絶対に負けない」と予想してほしいです(笑)。シェイドゥラエフの次の相手はどうしましょう?

笹原 本人はフェザー級で防衛戦をはたしつつ、ライト級での2階級制覇を狙ってますよね。いずれにせよ試合はどんどん組んでいきます。本人は3月の有明アリーナも、4月のマリンメッセ福岡も両方とも出たいと言ってますし、2026年も荒鷲台風が吹き荒れると思います。

――3月の試合が終わったらそのまま日本に滞在して4月も出るとか。PRIDEのミルコ・クロコップ方式で、そのあいだ都内の格闘技ジムを自転車で回る地獄の道場破り(笑)。

笹原 それ、RIZINのYouTubeで企画にしますよ!東京の格闘技ジムの皆さん、居留守は禁止です!(笑)。

――しかし、久しぶりに銭が取れる外国人ファイターって感じですよね。

笹原 PRIDEでいえば、ヴァンダレイ・シウバやミルコ・クロコップ、ノゲイラとか、イベントのアイコンになれるような外国人選手がいましたけど、RIZINではイリー・プロハースカやマネル・ケイプが近かったですけど、シェイドゥラエフが初だと思います。これからもっともっと人気が出ると思いますよ。

――試合後に病院に搬送された朝倉未来選手の容体はどうなんでしょうか?

笹原 現時点だと自宅で安静にしています。眼窩底骨折をしたそうですけど、いますぐ緊急手術が必要みたいな重篤な状況ではないようです。

――朝倉未来選手も弱いわけじゃないし、日本人のフェザー級のトップ。それが手も足も出なかったという……。

笹原 未来選手は腰が強くて簡単にテイクダウンされない自信があった。加えて一撃で試合を終わらせる打撃力も持っている。そういう選手が軽々とリフトされて投げられて上を取られて……未来選手ファンからすれば、悲願のベルトを巻く瞬間を見たいと心から願っていたんですけど、その夢をシェイドゥラエフが粉砕していったわけですからね。

――パウンドを打つたびに夢が打ち砕かれていく……こっちの心も削られていく感じがしました。SNSで「もっと早く止めろ!」という意見も出てますけど。

笹原 レフェリーは当然一番間近で見ているので、ギリギリまで未来選手が動いているかぎりはすぐには止めなかったでしょうね。あれがベストかと言われると、ワーストだとは思わないですけど、ベターだったかもしれない。すごく難しかったと思います。

――10周年のトリを飾るメインイベントだから、レフェリーにもその意識って少なからずあったんだと思いますけど。

笹原 理想論をいえば、世界中で行なわれている、あらゆる試合の重さは同じなんですよ。どの選手もそれぞれの思いを持って戦っている。どっちが深いのか、重いか、そこに差があっちゃいけないと思うんですけど、現実はやっぱり違いますよね。

――UFCでもメインイベントとそれ以外では止め方が微妙に変わってくることがありますね。

笹原 競技でありながらお客さんに観てもらって成立しているエンターテインメントの特性上、どうしてもメインイベントほうが価値として重くなるのは仕方がない。なので競技だけで思考停止するのもダメだし、エンタメに全振りするのもダメで、相反する価値観のなかでベストタイミングを見極めることを諦めないことだと思います。

――今回の試合で不幸だったのは、シェイドゥラエフがパウンドを止めた瞬間と、レフェリーが割って入ろうとしたタイミングがちょうど重なってしまったんですよね。そこでレフェリーが次の展開を見てしまったことで、試合が続いて結果的に疑念を生む形になってしまったという。

笹原 試合後もJMOCの福田さんとすぐにその話をしました。しっかり検証したいと思います。


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・オープニングショーの裏側
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続々更新中!
https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/202601


 
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2027年の春まで大規模改修工事のため休館となる“格闘技の聖地”さいたまスーパーアリーナ。担当者に話を聞いた記事を再録します(23年8月収録/聞き手・松下ミワ)


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――
今日は“格闘技の聖地”さいたまスーパーアリーナについて、ご担当のおふたりにインタビューさせていただきます!

大立目・川畑 よろしくお願いします。

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向かって左が大立目 司さん、右が川畑尚也さん


――おふたりは、いつ頃からさいたまスーパーアリーナのお仕事に携わっているんですか?

大立目 まず、ボクは格闘技の大会が初めて行なわれたPRIDE.12の頃はすでにここで働いていて、むしろこの会場ができるということで「オープニングから関わりたい」と思って転職してきた感じですね。

――最初から携わっている歴史の生き証人ですね。

大立目 前職はオーディオメーカーにいたんですけど、ずっと音楽が好きで、オープニングから関わりたかったのも、音楽でも使える会場ができるという話があったので。で、じつは実家がここから200メートルぐらいの場所にあるんですよね。さいたま新都心の駅がなかった頃から住んでましたから(笑)。

――めっちゃ近い(笑)。川畑さんはいかがですか?

川畑 ボクは2008年11月に入社したので、それこそPRIDEのときはただの視聴者でした。ボクが入った頃はDREAMの時代ですね。あとは戦極もやってたので、当時は「格闘技イベントっていろいろあるんだなあ」みたいな感じで。ボクも転職組で、その前はカリブ海専門の旅行会社で働いていたんですよ。

――それもまた特殊ですね(笑)。

川畑 ジャマイカ、キューバ、プエルトリコ、カリブ海だけを扱っている会社だったんですけど、当時はちょうど燃料サーチャージが異常に高騰していた時期で。遠方まで旅行に行く人が全然いなくなっちゃって、老舗の会社だったんですけど倒産しちゃったんです。そこで、転職活動していたときに、転職エージェントの方からいまの会社を紹介していただいて。当時は「スーパーアリーナって、名前は知ってるけど一度も訪れたことはないんだよなあ」と思いながらダメ元で入社試験を受けました。イベント業界についても未経験でしたが、縁があって入社することができて、いまはRIZINも担当をさせてもらってます。

――じゃあ、初めてのライブ格闘技は2008年末のDynamite!!だったんですかね?

川畑 そうです。もう「なんじゃこりゃ!」という感じでした。運営チームの人の多さと、12月31日なのに、あのみんなの汗かき具合(笑)。

――ハハハハハ! でも、先ほどの話だと、会場ができたときはまだ、さいたま新都心駅はなかったんですね。

大立目 いや、会場は2000年9月にオープンしたんですけど、駅は4ヵ月前の2000年5月にできてます。で、当時はオープニング前からイベンターさんやレコード会社さんに「会場ができますので」と営業したんですけど、最初はパンフレットすらもらってくれなかったんですよ。それこそ駅もまだ完成していないから「場所どこですか?」みたいな。

――いまの人気ぶりからは考えられないです!

大立目 9月にグランドオープンということで『SUPER DREAM GAMES』というバスケットボールの大会で幕を開けたんですけど。音楽ではV6がこけら落としですね。あと蜷川幸雄さんの『火の鳥』というミュージカルもやったんですよ。当時も『火の鳥』はお客さんがいっぱいでしたけど、いまやっても満員になるんじゃないかなあ。だから「スポーツ」「音楽」「文化」の三本柱のイベントをやっていきましょうと。で、そのときの「スポーツ」というのはバスケットボールのことだったんですけど、ここってプロレスのメッカと言われた大宮スケートセンターが近いということで、音楽系とは違ってプロレス・格闘技の団体さんからはわりと注目は高かったんです。

――
大宮スケートセンターは、それこそ第一次UWFの旗揚げ会場だったり。

大立目 とはいえ、ウチの会場使用料はけっこうお値段もしますので(笑)。簡単に使える感じでもなかったんですけど、当時PRIDEを主宰するドリーム・ステージ・エンターテインメント(以下、DSE)さんのプロデューサー加藤(浩之)さんですね。加藤さんから連絡があって「我々こういうイベントをやっているんですが、さいたまスーパーアリーナと一緒にここを本拠地にしてやっていきたい!」という熱いメッセージをいただきまして。

――その熱さが目に浮かびます(笑)。

大立目 音楽系のほうはこちらからお願いしないと来てくれなかった当時、DSEさんが熱烈なオファーをくれたので、そこに賭けてみようかなと思ったのがはじまりですね。最初の大会はクリスマス時期だったかなあ。

――PRIDE.12は12月23日が開催日ですね。

大立目 その前の大会のPRIDE.11を大阪城ホールまで観にいったんですよ。PRIDEはテレビでは観たことありましたけど、ライブで観たことはなかったので。あの大会って、たしかサザンオールスターズの桑田佳祐さんが歌ったイベントでしたよね?

――小川直也vs佐竹雅昭の応援歌を歌うということで、桑田さんがギターを持ってリングに登場したんですよね。

大立目 そういう演出を観て「面白いなあ」と。だから12月も盛り上がるなという予感がありました。で、その大阪城ホールでの大会が10月末だったんですけど、やっぱり初めての会場だったから大阪大会が終わってからほぼ毎日、会場までスタッフさんが下見に来てましたね。

――初めての会場だとそんなに準備に時間がかかるんですか。

大立目 やっぱりこれだけ大きな会場だと、どこがどうなってるのかを把握するために隅々まで確認する必要があるんですよね。楽屋をチェックしながら「桜庭さんはここの楽屋だな」「VIPはこの場所を使ってもらおう」とか。舞台チームは舞台チームで「こういう演出ができるな」とか。で、火薬だったり特殊効果だったり……まあ、当時はボクらもまだ確約できるようなルールがなかったので、一緒につくっていった感じだったんです。ちなみに、ここって消防でいうと当時は旧与野市の管轄だったんですけど、管轄内で初めての大型施設ですから、当時は大きなイベント開催を想定した細かな基準やルールがなかったんですよ。

――へえ~、面白いですね!

大立目 PRIDEってけっこう演出が派手じゃないですか。だから特効などの演出方法については消防さんと「こういうのをやりたいんですけど」という話をしながらコンサートの特効の基準も決まっていった感じですね。

――となると、じつはPRIDEの演出が特効の判断基準になってるという。

大立目 そうですね(笑)。PRIDE.12は初めての会場だということで、お客さんの期待感も凄かったんですよ。クリスマスが近いからということで、リングの上の空間にLEDモニターをクリスマスツリーの形につくったんですけど、それがすんごい時間がかかって(苦笑)。それをセンターに吊るんですけど、全然具合が悪くて。ちょっと仕込みすぎちゃったなと思いましたね。

川畑 いまでも仕込むボリュームとか熱量は相当ありますよね。

大立目 音楽コンサートだと全国ツアーとかで各地決まった演出をすることが多いけど、格闘技は何が起こるかわからないじゃないですか。1ラウンドで終わるかもしれないし、試合が膠着するかもしれない。そうなったら熱を持続させるために「ここであの発表をしちゃいましょう」とプランが変更されたり。

川畑 すべてが「生」なんですよね。

大立目 だから打ち合わせが一番多いんじゃない? 「箱打ち」と言って、会場で最終の打ち合わせをするんですけど、スタッフさんは300人ぐらい集まるから、大きな控室を2部屋ぶち抜いて使ってますから。

――300人!!

川畑 いまじゃ考えられないですけど、当時はまだタバコとかもみんな吸っていて。300人ぐらいの人が一斉に吸ってましたから、部屋の中が煙モクモクで真っ白になっていましたよね(苦笑)。

――“昭和”ですねえ。

川畑 その頃ぼくは新人だったので、打合せ後に灰皿を回収するんですが、一斗缶がすぐに満タンになっちゃうんですよ。もうそれぐらいみんな吸ってました(苦笑)。

大立目 打合せが煮詰まるとみんなタバコに火をつけてたよね。最初は全体の運営をやるんですけど、そのあと演出会議に入ったら「うーん……」と停滞して。「ちょっと大立目さん、川畑さん、こういう演出をやりたいんですけど」って、こっちが戸惑う提案があって(苦笑)。

――無理難題を言われるわけですね。

大立目 「うーん、じゃあ現地で1回確認しましょう」と。たとえば壁に360度LEDをつけて光らせるとかね。いまだったらCGでできることも多いんでしょうけど、当時は豆球で対応した演出とかもあったりして。

川畑 あと、PRIDEの頃は空撮とかもやってましたよね? 高田(延彦)さんが会場の屋根に登って。

大立目 ああ~、空撮は寒かったですねえ(しみじみと)。

――2003年PRIDE男祭りオープニングで、高田さんが屋上から開会宣言しましたね。大晦日はとくに演出プランが派手でした。

大立目 そう、高田さんのふんどし太鼓だったり、タップダンスだったり。

――それでいうと、超RIZIN2のフライングケージもよく成功したなって。

川畑 あの日も遅くまで何度もテストをやってました。時間を計りながら。

――まさか、あの照明の中をケージが通過できるとは思いませんでした。

川畑 そうですよね。お客さんの反応も凄くよかったですし。

大立目 でも、そういうのを演出にしちゃうところが凄いですよね。「リングとケージの入れ替えの時間どうするのかなあ」って思っていたんですけど、さすがに間を埋めてくるなあみたいな。

――ちなみに、PRIDE.12で初めて格闘技会場として使われて、当時はフジテレビでの地上波放送もあったと思いますが、それがPRになって利用者が増えたというのはありました?

大立目 ありましたね。PRIDEがこのさいたまスーパーアリーナを全国区にしてくれたので、そういう意味では我々としては思いは強いですよ。たぶん社員もそれがわかっているので、わりとPRIDEからの流れで「年末はやっぱり格闘技でいこうよ」と。年末ってやっぱり音楽系も含めて凄くニーズがあるんですよ。だから、PRIDEやDREAMもちょっと沈没しかけるときもありながら、スーパーアリーナと歩んできた歴史が格闘技にはあるので「なんとか頑張りましょう!」と。


・たまアリ争奪戦
・大晦日格闘技がなかった2013年
・スタジアムモードは2009年の魔裟斗引退興行が最後だったが…
・中止危機だった天心vs堀口……続きは会員ページへ

 
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レスリングオリンピック代表からプロレスに転向、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWS、SPWF、PRIDE出場……流浪のプロレス人生を送ってきた谷津嘉章がすべてを語るインタビュー連載の第2回! 今回は維新軍、ジャパンプロレス時代を振り返ります!(2016年に掲載されたものです)

前回はこちら


――
アメリカ遠征中だった谷津さんは、帰国して維新軍に加入するように新日本プロレスから命じられたんですね。

谷津 俺は日本に帰りたいとは思わなかったんですけどね。それはアメリカの生活が楽しかったから。日本に帰る前に会社からホノルルに寄るように言われたんですよ。「長州が待ってるから」ってことで。それでホノルルで長州に会ったら「おまえはよ、俺のところに入るんだよ」って。要は俺のことを維新軍に誘いに来たっていう表向きなんですよね。

――谷津さんは維新軍団入りを知らされてなかったんですね。

谷津 うん。マスコミ的には「長州と谷津がホノルルで共闘!」って書くんでしょうけど。会社としては長州にパートーナーがほしかったんでしょうね。(アニマル)浜口さんはいたんだけど。

――当時の長州さんは維新軍団として上り調子でしたし、谷津さんとしてもやる気が出てきたんじゃないですか?

谷津 うーん、「入団したときは主流派だったのになあ……」って感じでしたよね(笑)。

――イマイチですか(笑)。

谷津 俺は会社と契約してるから命令に従わないといけないんだけど。会社としては長州力と同じレスリング出身だし、いいアイデアだと思ったんでしょう。新日本に入った当初も旅館では長州さんと同じ部屋だったんですよ。そこは会社からの配慮。レスリング同士で話が合うだろう、と。

――実際に長州さんと話は合ったんですか?

谷津 話が合うというか、レスリングという共通点はありますからね。ただ、それまで長州力なんて知らなかったんですよ。吉田光雄という名前は知っていたけど。

――それくらいプロレスのことはよく知らなかったんですね。

谷津 それに同部屋といってもね、シリーズ中、彼は部屋に寝に来るだけなんです。

――えっ、どういうことですか?

谷津 長州力はね、とにかくパチンコが好きだったんですよ。シリーズ中に「おい、谷津。金を持ってないか? 負けが込んでるんだよ」って金を借りにきたり。

――パチンコに夢中で部屋にいない。

谷津 俺はやりませんでしたよ。入ったばっかで遊んでらんないという理由もありましたけど、人生そのものが博打というかさ(笑)。みんなはパチンコ以外の博打も好きでね。坂口征二や倍賞鉄夫たちと麻雀や花札、ポーカーもやってたね。日本のプロレス界は博打好きな相撲取りが作ったんですから、みんな当然博打好きになるんですよ。

――安田忠夫さんもその流れですね(笑)。

谷津 博打が原因でケンカも始まりましたからね。「金返せコノヤロー!!(怒)」って。誰とは言わないけど、相撲取り出身同士のケンカ。金の貸し借りでトラブルになったんじゃなくて、先輩がインチキしたんですよ。それがバレちゃった。

――まるでカイジの帝愛地下編だ(笑)。

谷津 そうなったら上下関係なんかないから後輩が怒った怒った。面白いよね(笑)。

――話は維新軍に戻りますが、維新軍には専用の巡業バスが用意されてたんですよね。

谷津 あった。それまでは外国人と日本人のバスが2台でしょ。だけど、維新軍になってからバスは3台になったの。俺たちは小さいなマイクロバスだけど、重苦しいアントニオ猪木が乗ってるバスと、わけのわからない外国人たちが乗ってるバスと違って楽しいんですよ(笑)。

――維新軍のバスは自由なんですね。

谷津 俺はずっと寝てますから。キラー・カンたちはひたすら博打をやってるしさあ。

――どこでも博打やってますね(笑)。猪木さんが乗ってるバスではバカはできないもんですか?

谷津 そりゃあできないですよ。俺はあとで全日本に移りますけど、馬場さんのほうが楽。馬場さんは運転席の後ろの次くらいに座るんですけど、猪木さは真ん中よりちょっと前に出るんですよ。

――それは全方位にプレッシャーかかりますね(笑)。

谷津 イヤなもんですよ。それに猪木さんの隣に外国人の男が乗ってるんだけど、それは猪木さんが雇った英会話の先生。バスの中で英語の勉強してるんですからね(笑)。

――猪木さん、勉強熱心ですねぇ。

谷津 あと猪木さんはいろいろと事業をやってたでしょ。プロレス以外の人間と打ち合わせしてたりね。でも、猪木さんはいつもバスに乗ってるわけじゃないんだよ。打ち合わせかなんかで東京に帰って飛行機で巡業に戻ってきたりしてて。猪木さんがいないときのバスの雰囲気はまだいいんですよ。坂口征二が録画して持ち込んだ火曜サスペンス劇場やモノマネ番組を見たりね。「ま〜た見るのかよ」って内心呆れていたけど(笑)。

――そんな本隊からすると、維新軍バスは天国なんですね。

谷津 自由にできるから。上下関係はいちおうあるけど、猪木さんみたいな重苦しい人間はいませんから。だってオーナーと一緒だといろいろと気を遣うでしょ。

――馬場さんもオーナーですよね?

谷津 猪木さんはプライドが高くてとっつきにくいけど、馬場さんは人間味があるから。試合前に馬場さんは「おい、まんじゅうでも食えよ」って。「試合前にまんじゅうかよ」って話だけど(笑)。

――試合前にまんじゅうを食ってたら猪木さんなら殴りそう(笑)。

谷津 馬場さんはね、どっかのデパ地下で甘いものを買ってこさせんですよ。で、自分が食べきれなくなったやつを翌日に寄越すんです。まんじゅうも固くなっちゃってね(笑)。

――うーん、馬場さんも面倒(笑)。

谷津 全日本の中には、馬場さんがバスに乗っててイヤだなって思ってた連中がいたかもしれないけど、俺は気にならないですよ。会場に着いたら馬場さんは売店の前で葉巻を吸いながらお客さんにサインしてるし、控室はまあノビノビできるんです。新日本の場合、猪木さんが控室にいると、みんな外に出ますからね。非常階段で着替えたりしてましたよ。

――そんなにイヤなんですか!(笑)。維新軍は宿泊先も本隊や外国人とは別なんですか?

谷津 3つに分かれますよね。外国人選手は旅館の便所が合わないからビジネスホテル。小さい町だとそんなにホテルはないですし、ラブホテルいうわけにはいかないから、必然的に我々は旅館になっちゃうんですよ。で、旅館は部屋が畳だから博打が始まるんですよ。

――また博打!!(笑)。会場入りも別々なんですよね。

谷津 そうだね。俺らは自分の試合が終わると帰っちゃうんですよ。そうしないとお客さんの帰り道で混んじゃうでしょ。本当は親方(猪木)の試合が終わるまで待たないといけないんだけどね。

――どこまでも自由だったんですねぇ。

谷津 維新軍はブレイクしてたから会社はなんでも言うことを聞いたんですよ。ドル箱ですから長州さんもいろいろと会社に要求してたと思いますよ。

――ギャラもよかったんですよね?

谷津 給料は1試合いくらって決まってましたしね。

――谷津さんは1試合いくらだったんですか?

谷津 うーん、10万くらいだったかなあ。150試合やったら年間1500万。あとグッズの売り上げ、サイン会、パチンコの営業周りは別でもらえるんで3000万ぐらいあったかもしれないですね。トップはもっと稼いでいたでしょ。でも、面白いもんで、そんだけ稼いでも手元に残らないんですよね。

――バーっと使っちゃうんですね(笑)。

谷津 使っちゃう、とくに独身はね。プロレスラーってほとんどアンポンタンが多いでしょ。

――ハハハハハ。

谷津 でも、結婚してる奴は堅実なんですよ。それはプロスポーツ選手にも言えることなんですけど、早く結婚したほうがいいんですよ。プロレスラーは身体が大きいけど、子供なんですよ。社会人であって社会人じゃない特殊な職業だから。マネジメントできる女性がいないと全部使っちゃうんですよ。

――猪木さんはプロレス以外の事業に稼いだ金を突っ込みましたね。とくに夢のバイオテクノロジー事業アントンハイセルに。

谷津 アントンハイセルに酷い目に遭ったなあ(苦笑)。

・アントンハイセルの社債

・馬場と猪木が佐川清と面談

・第1回IWGP決勝戦の猪木舌出し失神事件

・維新軍の新日離脱

・昭和のプロレスの闇、営業

・新日本は早漏、全日本は遅漏

・ジャンボ鶴田は柔軟運動だけ

・SWS移籍の裏側

・カブキを信用してしまった馬場さん……続きは会員ページへ

 
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