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[Q&A]歴代最高のゲームは?(2,449字)
2021-03-31 06:00110pt[質問]
ハックルさんのおすすめのswitchゲームを教えてください。
追加で可能であれば、歴代最高ゲームも教えていただけますと幸いです。
[回答]
Switchとなると、やはり『ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド』一択ではないでしょうか。これをやらないのは大袈裟ではなく人生の損です。それから、『マリオカート』はゲーム史上最も成功したゲームシリーズなので、これもやっぱりしておくべきでしょう。マリオやゼルダよりマリオカートの方が売れてるってなんか面白いですよね。ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド - Amazon
歴代最高ゲームは、言わずもがなで『FFXI』、次点で『ドラゴンクエスト1』だと思います。
理由は、『FFXI』は参加した人の心の変な場所を開きました。それはぼくだけではなく。
『ドラクエ1』は、ベートーヴェンの第九のような、古典であり傑作としかいいようがないですね。
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情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その25(1,695字)
2021-03-30 06:00110pt2人は俯瞰で夢を見る。それは、不条理を受け入れる「箱庭効果」を期待してのことだ。世界を俯瞰で見ると、心が落ち着くのである。
そして、心が落ち着くと人はものごとを哲学的にとらえられるようになる。ものごとの表層ではなく本質に目が行くようになる。
その意味で、俯瞰の視点は人の心を落ち着かせ、哲学的思索に導く効果があるのだ。そのため、映像においても俯瞰視点を用いれば、見る者を哲学的思索に導くことができる。彼らの不安を取り除き、ものごとの表層ではなく本質を見させるようにすることができるのだ。
「Hungry?」のCMにも、そんな効果がある。この映像には「俯瞰視点」が用いられており、その効果で見る者は自然と哲学的に考えられるようになる。ものごとの表層ではなく本質を見られるようになる。
特に、それまでは恐怖の対象だった「不安」について、哲学的に考えられるようになる。そうして、その不安の背後に潜む本質につい -
学生に伝えたいお金のこと:その22(1,606字)
2021-03-29 06:00110ptこれからの時代のお金稼ぎは、生活探求者になり、何らかの新しい様式を生み出す――という構造ほとんど一択といっていい。あらゆるビジネスがこれに当てはまるし、逆にこれ以外のビジネスとなると、もはやほとんど完成されてしまって、新参者が立ち入る隙はないだろう。
そのため、誰もが生活探求者になる必要があるのだが、ここまで見てきたように、そこでは「他者に迷惑をかける」という事態が避けて通れない。そのため、「どう上手に(サスティナブルに)迷惑をかけるか?」ということがだいじになってくるのだが、それには相手を自分の生み出した新しい価値観に巻き込んで、こちらの都合に合わせさせる――というのが最も建設的な答えになる。
その最も成功した例が、何度もいうようだがジョブズのiPhoneだ。ジョブズはもともとボタンのある電話が大嫌いだった。しかし多くの人がボタンのある電話を使っていて、しかもそれに何の疑問も感じていなか -
報ステの炎上問題について思うこと(1,757字)
2021-03-26 06:00110pt2報道ステーションのwebCMが炎上した。
これははじめから炎上覚悟であえて配信し、それで炎上したので確信犯だ。だから、とやかく言っても仕方ないと思うのだが、これを燃やしたい人は存外に多かった。
なぜ報ステが炎上覚悟のCMを配信したかといえば、この尖ったCMを分かってもらえる人にシンパシーを抱いてもらう――つまりより深く「客を刺そう」という戦略だったのだ。
その戦略そのものは悪くないと思う。何ごとも尖らせないと刺さらない。テレビはここ20年尖らないように尖らないように作ってきた結果、今では誰にも刺さらなくなりコンテンツとしての価値を失った。だから、「もう一度尖らせたい」という思いが、制作陣の内部からマグマのように突き上げてきたからだと思う。
しかし結局は炎上という形でそのマグマに「冷水」が浴びせられたため、報ステスタッフは意気消沈したことだろう。おかげで彼らは世間への憎悪を募らせ、次からは分 -
正解はあります:その24(1,851字)
2021-03-25 06:00110ptその昔、人間には、自分は「生きている」のではなく「生かされている」という価値観があった。また、「命は借りもの」「天からの授かりもの」という価値観もあった。
しかし、近代になって人間のできることの可能性が大幅に広がると、人々は「生かされている」から「生きている」という主体的な感覚を強めるようになった。また、命は「借りもの」「授かりもの」ではなく「自分のもの」という所有意識も強くなった。
ところが、さらに時代が進むと、無意識の影響力の大きさが証明されるようになった。科学がますます進歩するに連れ、逆に自分自身をコントロールすることの不可能性が明らかになった。そうして、「生かされている」という感覚や、非所有意識が復活するようになったのだ。
この流れは、おそらく今後も加速するだろう。「我々は、我々自身もコントロールすることができない肉体を持っている」という価値観がもっと広まるようになる。
そうなると -
[Q&A]ミソジニーについてどう思うか?(2,8836字)
2021-03-24 06:00110pt[質問]
今度仕事でインスタライブに出る事になりました。司会は別の方がして、私は作業をしてからカメラに向かって少し話す役目です。
けれど話すことが大の苦手で、カメラもほぼ初めてです。挙動不審になる気しかしません。
カメラや動画に撮られる時、どういう心構えで臨めば、普段通りで映ることが出来るでしょうか?
[回答]
ぼくも、テレビやラジオに出ていたときは相当に緊張しました。ぼくの場合は、よく言われる「考えないようにする」という方法で対処しました。というのも、ぼくは人並み以上に「考えないこと」が上手いのです。それは、普段から考える癖があるので、考えない練習もそれなりに積んできたからです。
おかげで、テレビやラジオもどうにかこなすことができました。ちなみに講演ではほとんど緊張しませんでした。生身の人間だと、それなりに場慣れしているので緊張しないということがあったでしょう。
そう考えると、結論として -
情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その24(2,347字)
2021-03-23 06:00110pt4『Hungry?』のCMは、「俯瞰」という映像の見せ方が、見る者に「食べるとは何だろう?」という哲学的な疑問を抱かせる仕組みとなっている。
これは「映画における俯瞰映像のラストシーン」とも似ている。人は、映画における俯瞰映像のラストシーンを見ると、ついその映画の主題について、哲学的な疑問を抱く。そして、そういう疑問を抱かせてくれた映画そのものに無意識の好印象を抱く。
そんなふうに、俯瞰映像は人を哲学的な疑問へと誘う強い力があるのだ。
では、なぜそうした力があるのか?
それはおそらく、「不安」そして「夢」と強い関係があるだろう。
そもそも、人間にとって不安は「つきもの」である。それは、不安がないと危機を知らせるセンサーが機能せず、長生きできないからだ。
ただし、この不安は諸刃の剣で、強すぎると逆にその人の心を蝕んでしまい、やはり長生きできない。
だから人は、不安を働かせつつ、同時に心を蝕まれ -
学生に伝えたいお金のこと:その21(1,919字)
2021-03-22 06:00110ptこれからの時代、お金というのは「生活探求者」にならなければ稼げない。そして生活探求者になるためには、人に迷惑をかけなければならない。
なぜなら、生活探求をして新しい生活様式を生み出すとき、そこで古い様式は排除されるのだが、それにしがみついている人には必然的に迷惑をかけることになるからだ。
例えば、スマホが普及すれば、それはガラケーファンには迷惑をかけることとなる。
だから、他人に迷惑をかけることを躊躇ってはならない。ただし、迷惑をかけるのはそうそう簡単な話ではない。単に迷惑をかけられただけでは、相手も反撃してくるからだ。
そこで、迷惑をかける上での工夫が必要になる。工夫は二つあって、一つは迷惑以上の利益を与えること。もう一つはその迷惑に相手を巻き込んで、相手の価値観を変えることである。
このうち、前者は継続が難しい。利益を与え続けるには限界があるし、与えられなくなった途端に反撃を食らう。
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70年代はマンガの時代だった(1,735 字)
2021-03-19 06:00110pt1最近、70年代のことを考えている。今は20年代なのでちょうど半世紀前が70年代だ。
70年代とはなんだったのか?
70年代は、日本の場合、安保闘争の混沌の中から始まった。アメリカでもベトナムへの反戦運動が盛り上がり、国中が大変なときだった。1969年にビートルズとサイモン&ガーファンクルが解散し、マイケル・ジャクソンがジャクソン・ファイブとしてデビューした。ウッドストックがあったし『イージー・ライダー』も公開された。そしてアポロが月面着陸した。それが1969年だ。
そんないろいろあった翌年、日本では大阪万博が華やかに開催され、空前(そしておそらく絶後)の人気を誇った。日本国中の目が大阪に向けられ、アメリカ館にアポロが持ち帰った月の石が展示され、「8時間待ち」などという行列ができた。それはつまり、開場時間に到着したら、ちょうど閉園時間に見られるという感じだ。
ぼくは幸運にも68年生まれで、 -
正解はあります:その23(1,809字)
2021-03-18 06:00110pt「自分はなぜ死んでいないのか?」
その答えは、「生きようとする意思」と「生きるための条件」の二つが整っているからだが、しかしこれらを「一体」と考えると、その前提条件として立ち上がってくるのが「身体の健康」である。なぜなら、身体の健康がなければ生きようとする意思は生まれないし、同時に身体の健康は生きるための絶対条件として存在するものでもあるからだ。
そう考えると、自分が死んでいないのはひとえに「身体の健康」によるものだ。「そんなことはない、自分は病気がちだ」という人や「重篤な病気で余命を宣告されている」という人もいるかもしれないが、それにしたって「すでに死んでしまった人」よりは健康といえる。少なくともまだ生きていられるくらいには健康で、これは全ての生きている人に等しく当てはまることだ。
そこには確かに段階的な優劣――つまりより健康な人もいれば、あまり健康ではない人もいるだろう。しかし少なくと
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