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記事 16件
  • 映画のサンプリングについて研究する:その16(1,934字)

    2020-03-26 06:00  
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    映画監督になったキューブリックは、初期の自主制作をしていたときには写真家の時と同様、自分でもそれなりに満足のいくものを作れていたが、大手スタジオで撮り始めてからちょっとした挫折を味わう。スタジオやプロデューサーの力が強すぎて、自分の思うような映画が撮れなかったからだ。
    特に、『スパルタカス』という映画で主演も務めたプロデューサーのカーク・ダグラスとうまくいかず、アメリカの映画業界に絶望する。この経験が、ハリウッドを去ってイギリスへ渡り、独自の映画作りを模索することのきっかけになる。そして、先にも述べたようにキューブリックは、イギリスに渡ってから本格的にその才能を開花させた。
    キューブリックの名を最初に世界に知らしめたのは、1964年に公開された『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』だ。ただ、この映画は作品としての完成度はすぐれているものの、必

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その15(1,685字)

    2020-03-19 06:00  
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    ノーマン・ロックウェルは、1940年代から50年代にかけて絶大な人気と大きな影響力を誇った画家でありイラストレーターである。彼の名前は知らなくとも、その絵を見たことがない者はいないのではないだろうか。
    その特徴はいくつかあるのだが、ここで注目したいのは、彼が「ドキュメンタリー的な手法を用いている」ということである。ロックウェルはアメリカの市井の人々をとらえたイラストを数多く発表している。そこで見る風景は、きわめてリアリティが高いのだ。
    例えば、小さな犬がどかないために大型トラックが立ち往生しているイラストがある。

    このイラストに象徴的なのだが、出てくる一つ一つの要素――人物や小物はどれもありふれたものだ。しかしそれを一堂に会させ、特異な構図の中に配置することで、一気に劇的な空間を構成している。見る者は、いやでもそれが劇的な空間であることに気づく。つまり、現実そのものではないことに気づくの

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その14(1,555字)

    2020-03-12 06:00  
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    イギリスへ渡って以降のキューブリックは、今なお世界中でサンプリングされ続ける芳醇な傑作群を生み出した。しかしなぜ、キューブリックの映画はここまでサンプリングされるのか?
    実は、そのことの研究というのは現状あまりされていない。ほとんどの人が、そのことを意識すらしていないだろう。
    ほとんどの映画人は、キューブリックの映画に深層心理的に賛同し、映画を作るときにそれを採り入れている。その意味で、キューブリックをサンプリングするのはほとんど無意識の行為なのだ。
    それがまた映画的な成功を収めるから、キューブリックのサンプリングは幾何級数的に拡散していく。そのためここでは、そんな映画人の無意識が持つ意味を含めて、キューブリックの映画がサンプリングされることの本質的な理由というものを分析し、概念化していきたい。
    では、あらためて「キューブリックの映画はなぜサンプリングされるか?」ということを考える。
    まず

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その13(1,762字)

    2020-03-05 06:00  
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    ここで、『フォレスト・ガンプ』における『フルメタル・ジャケット』のサンプリングを見る前に、そもそも「キューブリックとは何か?」ということについて見ていきたい。
    なぜかといえば、キューブリックは映画120年の歴史の中で、最大の「サンプリング元」だからである。キューブリックほど、引用、参照される作家は他にいない。
    そして、映画120年の歴史の本質が「サンプリング」にあるのだとしたら、世界の映画史においてキューブリックが最も「本質的な映画監督」ということができよう。実際、後世に与えた影響の大きさという意味では、キューブリック以上の存在は他にいない。これは衆目の一致するところだ。
    そのため、「キューブリックとは何か?」を考えることは、「サンプリング映画とは何か?」を考えることにもつながり、引いては「映画とは何か?」を考えることにもなる。そこで、ここではキューブリックとは何かというのを、紙幅の許す限

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その12(1,893字)

    2020-02-27 06:00  
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    映画『アマデウス』においては、老齢のサリエリが神父に対して問わず語りにモーツァルトのことを話し始めるところから映画が始まる。そのまま回想シーンに流れ込んでいくのだが、その中で時折サリエリのモノローグが指し挟まる。観客は、それがモノローグと分かっているから純粋なナレーションとは思わないが、しかしそれは本質的にはナレーションの役目を果たし、映像では表現しきれない作品世界の奥行きや裏側を解説してくれるので、見る者はより立体的にその世界に入り込める。
    『フォレスト・ガンプ』では、この手法をほぼそのまま踏襲した。つまり「サンプリング」した。この映画は、最初に主人公のガンプがバス停でバスを待っているシーンから始まる。実は、この「バス停でバスを待つ」というシークエンスそのものが、サミュエル・ベケットの有名な戯曲『ゴドーを待ちながら』のサンプリングだ。『ゴドーを待ちながら』は結局ゴドーが現れないのだが、『

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その11(2,052字)

    2020-02-20 06:00  
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    『フォレスト・ガンプ』(1994年公開)は、そもそもがロバート・ゼメキス監督の「サンプリング映画を作る」というコンセプトから始まった。
    ゼメキスは、1978年に『抱きしめたい』で映画監督デニューすると、1984年の『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』で一定の評価を得た。これをきっかけにスティーヴン・スピルバーグから新作を依頼され、1985年に公開した『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で大成功を収める。
    思えば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も一種のサンプリング映画だった。ゼメキスは、この作品で当時流行していた「SF」と「50年代」をサンプリングし、組み合わせる。
    「SF」は、『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』『E.T.』などの大ヒットで映画の一大ジャンルに成長していたし、また「50年代」は、この頃「古き良きアメリカ」の代名詞として盛んに取り上げられるようになっていた。
    アメリカは、

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その10「映画の禁じ手」(2,046字)

    2020-02-13 06:00  
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    『フォレスト・ガンプ』は、典型的な「サンプリング映画」である。
    ここで「サンプリング映画」の定義を確認しておきたい。それは大きく三つある。
    一、監督が映画好きで、「あの映画のあのシーンをサンプリングしたい」という明確な目的をもって映画を制作している。
    二、場合によっては、ストーリーやキャラクターよりも、むしろサンプリングの方が優先される。その結果、ストーリーやキャラクターに思わぬ歪みが生じるのだが、それが逆に面白さにつながっている。
    二、サンプリングをすることによって逆に「オリジナルな価値」がそこに宿り、映画におけるサンプリングの重要性を証明することとなっている。
    ここまで見てきたように、『フォレスト・ガンプ』にはさまざまな映画のサンプリングがちりばめられているが、しかしそれら以上に重要な作品が、この映画ではサンプリングされている。それは、映画の構造にまつわるものだ。『フォレスト・ガンプ』

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その9「なぜ映画のサンプリングは『パクり』と非難されないのか?」(1,964字)

    2020-02-06 06:00  
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    「デジャ・ビュー」という現象がある。初めて見る景色なのに、以前に見たことがあるように思ってしまう感覚のことだ。あるいは、夢で見たことがあるような感覚のときもある。日本語だと「既視感」という。
    このデジャ・ビューという現象は、いまだにどうして起こるのか、よく分かっていない。脳の中で起こっているのだが、その仕組みがよく分かっていないのだ。人間の脳は、これだけ科学が発達した世の中でも、依然として分からないことが多い。
    そして「映画」は、この「デジャ・ビュー」とよく似ている。
    まず、我々はいまだに「映画とは何か」がよく分かっていない。文化的な側面からは説明できても、なぜ脳がそれを魅力的に感じるかは説明が難しいのだ。
    また、すぐれた映画というのは、デジャ・ビューに似ている。なぜか、以前に見たことがあるような気がするのだ。あるいは、夢で見たことがあるような気もする。つまり、既視感を覚えさせるのである。

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その8「映画と音楽の違い」(1,817字)

    2020-01-30 06:00  
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    キューブリックの作品は、1970年代半ば頃からくり返し模倣されるようになった。特にときどきの若い監督に模倣された。
    彼らの多くは子供の頃にキューブリックの深甚な影響を受けており、いざ監督になってみると、どうしても影響を受けたシーンを模倣してみたくなるからだ。サンプリングしたくなるのである。
    すると、そのサンプリングもまた成功した。例えば、キューブリックの『バリー・リンドン』には格闘シーンがあるが、普段は滑らかな、あるいは定点撮影を多用するキューブリックが、ここではなぜか手持ちカメラを用いている。そうして、視点が大きく揺れている。いわゆる「ブレ」ている。まるで酔いそうなほどだ。
    この格闘シーンの手持ちカメラは、しかしその後、格闘シーンのある種の定番となった。多くの監督が、もはやサンプリングしているという意識すらなしに、この手持ち撮影によるブレた映像を格闘シーンに用いるようになったのだ。
    こう

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その7「映画史上最高の監督は?」(1,616字)

    2020-01-23 06:00  
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    映画はおよそ120年の歴史がある。その長い歳月の中で、最高の映画監督を一人選ぶとしたら、おそらく多くの人がスタンリー・キューブリックの名前を挙げるだろう。理由はいくつかあって、一番は彼の映画が後世に多大な影響を与えた――ということだ。キューブリックほど映画という文化に大きな爪痕を残した存在は他にいない。彼の影響の大きさを示す例の一つとして、例えば彼が『2001年宇宙の旅』(以下『2001』)を作らなければ、映画史上最大のヒットシリーズである『スター・ウォーズ』も生まれなかった――というものが挙げられる。ルーカスは、『2001』の特撮を模倣もしくは発展させる形で『スター・ウォーズ』を撮影した。だから、もし『2001』がなかったら、『スター・ウォーズ』は今ほどソフィスティケートされた作品にはなっていなかっただろう。そのため、当然今ほどのヒットにもなっていなかった。キューブリックが最高の映画監督

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