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Twitterでデマが蔓延する構造(1,681字)
2020-02-28 06:00110ptここのところ、世間ではコロナがとても流行しているが、それに伴ってデマが蔓延する格好となっている。デマというか、デマ以前の「怪しい言説」がまかり通っている。その結果、多くの人がおかしな行動を取るようになって、事態は悪化の一途を辿っている。
例えば、肺炎の検査を受けられなかった人が「政府の陰謀」だと騒ぐ。おかげで、人々の不安がますます煽られる。
不安を煽られた人々は、自分(あるいは家族)が肺炎にかかっていると思い込んで、病院に押しかける。結果、病院がさらなる混乱をきたし、診察が滞ってしまう。
また、さまざまなイベントが中止された。イベントの中止は、イベント業者や飲食店に大打撃を与える。彼らの中には深刻な経営不振に陥る者もいるだろう。また株価も暴落しているから、潰れる会社もいくつか出てくる。そうして、人々の生活に与えるダメージが拡大してしまっている。
なぜこうしたことになるかというと、今の日本は -
映画のサンプリングについて研究する:その12(1,893字)
2020-02-27 06:00110pt映画『アマデウス』においては、老齢のサリエリが神父に対して問わず語りにモーツァルトのことを話し始めるところから映画が始まる。そのまま回想シーンに流れ込んでいくのだが、その中で時折サリエリのモノローグが指し挟まる。観客は、それがモノローグと分かっているから純粋なナレーションとは思わないが、しかしそれは本質的にはナレーションの役目を果たし、映像では表現しきれない作品世界の奥行きや裏側を解説してくれるので、見る者はより立体的にその世界に入り込める。
『フォレスト・ガンプ』では、この手法をほぼそのまま踏襲した。つまり「サンプリング」した。この映画は、最初に主人公のガンプがバス停でバスを待っているシーンから始まる。実は、この「バス停でバスを待つ」というシークエンスそのものが、サミュエル・ベケットの有名な戯曲『ゴドーを待ちながら』のサンプリングだ。『ゴドーを待ちながら』は結局ゴドーが現れないのだが、『 -
[Q&A]「要領がいい」とはどういうことか?(1,765字)
2020-02-26 06:00110pt[質問]
映画を深く理解するために、感情移入するのとは別に、自分がその人物だったらどうするか考える、と言う方法があります。確かに、見ているときとは違う頭の使い方が出来ます。しかしながら、その人物に興味が持てなかったり理解できない場合は、その人物がどうするかなど、考えられません。岩崎さんは映画を見る時、自分がその人物だったらどうするか考える、ということをやっておられますか。
[回答]
それを、意識してすることはないですね。しかし、いい映画(ドラマ)を見ているときには、その登場人物の選択について、つい考えたりしています。
今、『ベター・コール・ソウル』というドラマのシーズン5が始まったのですが、その第1話を見ていると、登場人物たちがいずれも切ない選択を迫られていて、とても切ない気持ちにさせられました。人生は、果たしてどうすれば正解なのか? 正解はないというか、何をしても結局切ない気持ちは避けら -
きみは一人でも生きていける:第3回(1,610字)
2020-02-25 06:00110pt「モラハラ」とは何か?
それは「モラル・ハラスメント」の略である。モラル・ハラスメントというと、多くの人が「モラルが破綻している人のことでしょ?」という。つまり、暴言を吐いたり、暴力を振るったりする人が、モラハラだと思っている。
しかし、それは大きな勘違いだ。暴言を吐いたり、暴力を振るったりするのは、「モラル・ハザード」である。
モラハラは、その逆である。モラルでこちらを縛り付けてくるのが、モラハラだ。だから、「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」「静かにしていなさい」などというのがモラハラである。「普通はこうするでしょ」「常識はこうするでしょ」「人間ならこうするでしょ」と、モラルを押しつけてくるのがモラハラである。
モラハラとは、文字通り「モラル」で「ハラスメント(嫌がらせ)」をすることである。だからモラハラをする人は、きみの周囲にもたくさんいるはずだ。まず、親や先生が、モラハ -
忖度ジャパンの終焉(1,686字)
2020-02-24 06:00110ptコロナウイルスはなかなか興味深い展開になっている。もちろん、ウイルスが広まることは深刻な問題なのだが、それ以上に、ウイルスの広まる経緯が今の時代の滑稽さを浮き彫りにしている。
最も滑稽なのは、いうまでもなくダイアモンド・プリンセス号をめぐるドタバタである。対応に当たったほとんど人たちがお互いに忖度しあって、結果的にウイルスのさらなる拡散を招いた。抑止するどころかむしろ状況を悪くさせた。
なぜそういう悲喜劇を招いたかというと、これは別に皆が安倍首相に忖度しているからではない。上司や役人、あるいは被害者である乗客に忖度しているからでもない。みんながみんな、全員に対して忖度しているからだ。
「忖度」というのは、事を荒立てないようにするということだ。目の前に存在するウイルスを、まるでなかったことのように振る舞う。その結果、ウイルスは撲滅を逃れるどころか、逆に拡散を許される格好となり、晴れて日本に上 -
コロナウイルスがあぶり出すもの(1,552字)
2020-02-21 06:00110ptこのメルマガでもすでに書いたが、我々はコロナウイルスに慌てる必要はない。時が経てば「そういえば、そんなんで騒いだこともあったねえ」となる類いのものである。今年の年末には、すでに多くの人が忘れているだろう。
ただ、それとは別に今回の騒動は、なかなかに興味深い。まずこれはパニックといっていいと思うのだが、そうなると、それに対する人々の対処の仕方がリトマス試験紙のような役割を果たす。もっと直接的な言い方をすれば、その人の本性をあぶり出す。
今回の騒動で騒いでいるのは、抑圧された人たちだ。彼らは、心の奥に「この世など滅びてしまえ!」という強い厭世観を抱いている。だから、伝染病にひどく興奮する。それは、自分の隠された願望――すなわち人類滅亡が実現するかも知れないという夢想に、一歩近づくできことだからだ。こういう人たちは、福島の原発事故でも興奮したはずだ。
きっと、幼い頃によっぽど窮屈な境遇にいたのだ -
映画のサンプリングについて研究する:その11(2,052字)
2020-02-20 06:00110pt『フォレスト・ガンプ』(1994年公開)は、そもそもがロバート・ゼメキス監督の「サンプリング映画を作る」というコンセプトから始まった。
ゼメキスは、1978年に『抱きしめたい』で映画監督デニューすると、1984年の『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』で一定の評価を得た。これをきっかけにスティーヴン・スピルバーグから新作を依頼され、1985年に公開した『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で大成功を収める。
思えば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も一種のサンプリング映画だった。ゼメキスは、この作品で当時流行していた「SF」と「50年代」をサンプリングし、組み合わせる。
「SF」は、『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』『E.T.』などの大ヒットで映画の一大ジャンルに成長していたし、また「50年代」は、この頃「古き良きアメリカ」の代名詞として盛んに取り上げられるようになっていた。
アメリカは、 -
[Q&A]新型コロナウイルスへの政府の対応についてどう思うか?(2,155字)
2020-02-19 06:00110pt[質問]
ユヴァル・ノア・ハラリ『21 Lessons』の最終章が「瞑想」でしたが、この頃、瞑想が注目を集め始めているようです。岩崎さんは以前瞑想をしていると話していましたが、現在も継続されていますか? また、時間帯や頻度など、やり方について教えてください。
[回答]
今は「瞑想だけ」の時間は設けていませんね。ただ、散歩の時間が瞑想の時間になっているかと思います。
今は毎日、15時から17時にかけて娘を抱っこひもで抱えて2時間ほど散歩をします。近所をぐるぐる回っているのですが、娘はまだ言葉をしゃべれず景色を興味深そうに眺めているだけなので、ぼくもいろんな思索に思いをめぐらせることができます。そうしたときに、景色がいいスピードで移り変わっていくものですから、とても頭の回転が良くなるんですね。そうしていろいろ考えが整理されるので、散歩が終わると心身がリフレッシュし、心地良い疲労で本当にお腹が空 -
きみは一人でも生きていける:第2回(1,617字)
2020-02-18 06:00110ptきみには今、正体不明の苦しさがないだろうか? そして、ゾンビ映画に心引かれることはないだろうか? ゾンビ映画を見ると、逃げ惑う登場人物になんともいえない共感を抱くことはないだろうか?
もしそうなら、きみはしっかりとした人間だ。一人でも生きていける。きみがゾンビ映画に心引かれるのは、ちゃんとした理由がある。それを今から説明する。
きみがゾンビ映画(ゾンビゲームでも、ゾンビマンガでもいい)に心引かれるのは、正体不明の不安を抱えているからだ。「この世界に居場所がない」と、意識的にも無意識的にも感じているからだ。逃げ場がないと感じている。そして、周囲の人に「自分とは相容れない」という違和感を抱いている。
だから、現実世界が好きになれない。おかげで、似たような境遇のゾンビ映画の登場人物たちに、少なくない共感を抱くのだ。
ゾンビ映画の登場人物も、強い不安を抱いている。周囲がゾンビばっかりなの -
YouTubeを始めてみた(1,753字)
2020-02-17 06:00110ptYouTubeを始めてみた。
10分で説明するチャンネル
チャンネル自体はかなり前に始めたものなのだが、ずっと休眠していた。それを久しぶりに再開したのである。
以前の動画は全部削除した。そうして、新しく「10分でいろんなことを説明するチャンネル」を始めようと思った。タイトルもそのままにした。
まだ始めたばかりでなんともいえないが、いろいろと気づいたことがある。
一つは、YouTubeというのは非常にパーソナルなものが好まれるメディアで、大所高所から概論を語るより、むしろ個人的なことを淡々と語った方が受ける――ということだ。
例えば今、自己紹介を連続で投稿しているのだが、これが意外に受けがいい。そのことが分かっただけでも収穫だ。
なぜ自己紹介が受けるかというのを分析すれば、時代がノンフィクションを求めているからだろう。その逆に、フィクションが全く受けない。これはここ10年くらいの傾向だ。
宮
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