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記事 21件
  • トヨタ生産方式について考える:その19(1,608字)

    2022-04-29 06:00  
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    これからの子供に必要なのは、学校ではない。研究室だ。そして、研究ならだいたい10歳くらいからできる。
    イチローや鈴木誠也が本格的に野球の研究を始めたのも10歳くらいだろう。ちなみに、20世紀最大の天才・ノイマンが学校に通い始めたのは10歳である。それまでは家で勉強していた。ウィトゲンシュタインは発話が遅かったため、14歳まで家で勉強していた。
    ノイマンとウィトゲンシュタインには共通点がある。2人ともオーストリア生まれで、20世紀前半にギムナジウムに通っていたことだ。彼ら以外にも、この時期のオーストリア生まれ、ギムナジウム育ちの天才は多い。
    なぜこの時期、オーストリアのギムナジウムで天才がぽこぽこと生まれたのか?
    理由は一つしかなく、「環境」が良かったからだ。
    ぼくは、天才は大きく2つの理由で生まれると考える。この2つとは、言うまでもないが、「才能」と「環境」だ。才能がないと天才にはなれない

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その52(1,958字)

    2022-04-28 06:00  
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    60年代は、世の中がかなり野蛮に推移した。活気はあったが、神経をすり減らすようなとげとげしさが支配していた。
    そうした時代に、赤塚不二夫のマンガは処方箋になった。きつい毎日を、明るいギャグでなんとか慰めることができたからだ。忘れることができた。
    それは、一種の麻薬のようなものだった。前回の記事で、「これでいいのだ『教』」と書いたが、むしろそれは即効性の強い「麻薬」的な便利さで、子供たちに消費されていった。
    ただしそれは、もちろん本質的な解決ではなかった。そのため、70年代に入ると、より本質的な「安心」を求めるムーブメントが起こった。きつさからの解放を求める声が増えていった。
    その意味で、70年代は錯綜した時代だった。2つのタイプの子供が混在した。
    1つは、きつさに直面しながら、それをギャグという麻薬――「これでいいのだ」という思想で乗り切ろうとした子供たち。もう1つは、きつさそのものから逃

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  • [Q&A]左翼のどこが嫌いか?(2,470字)

    2022-04-27 06:00  
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    [質問]
    ハックルさんはたびたび左翼に対する嫌悪感を口にされていますが、どこがお嫌いなのでしょうか? ぼくも嫌いなのですが、それは直感的なものなので、自分では上手い説明が見つかりません。
    [回答]
    ぼくは、実は若い頃は右翼の方が嫌いで、どちらかというと左翼的でした。しかし今は、右翼的とはいかないまでも、右翼と左翼を比べると、左翼の方が断然嫌いです。
    理由はかなりはっきりしていて、ぼくは保守的な人間が嫌いなのです。この場合の「保守」というのは、自分の小さな既得権益を守って、他の人の新しい挑戦を邪魔する人のことです。
    ぼくはおそらく、死ぬまで新しい挑戦をし続けると思います。そういう回遊魚的な生き方を強いられている。そういうぼくにとって、子供の頃は右翼が壁として立ちはだかったので、大嫌いでした。しかし今は、左翼が壁として立ちはだかっているので、大嫌いというわけです。
    例えば、ぼくは第二次世界大戦

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  • 生きるとは何か?:その31(1,504字)

    2022-04-26 06:00  
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    これからの時代は、より本質的に生きることが求められる。しかも、誰に対してもそれが求められる。
    昭和のように、時代や社会構造に乗っかったり、逆に平成のように、変化を追いかけたりの時代ではなくなった。誰もが一様に、本質的に生きることが必要な時代になったのだ。
    そして、「本質的に生きる」ということの一つの答えが大工だ。だから、これからは大工的に生きなければならない。
    では、どうすれば大工的に生きられるのか?
    それは、「自分が研鑽できる領域を作る」ということである。そして、そこで研究と実験を繰り返す。そうしながら生き続けることだ。
    惰性で生きていると、人は活き活きしない。それは、ぼくがこの50年、人間というものを観察する中で得た結論だ。
    人間には「明日試してみたいこと」がどうしても必要だ。そして、その試したことの結果に興味を持つこと(わくわくすること)が何より重要なのだ。
    試してみたいことは、体力

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  • 知らないと損をする世界の裏ルール:その16「貧乏の恐ろしさ」(1,821字)

    2022-04-25 06:00  
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    ぼくが常々「知らない人が多いな」と思うのは「貧乏について」である。特に現代では、貧乏について知っている人がほとんどいない。
    では、ぼくが詳しく知っているかといえば、擬似的に体験したことはあるものの、本物を体験したことはない。ただ、知識としては知っている。そして、実は知識を知っているだけの方が、その恐ろしさの本質に迫れるということがある。これを実体験してしまうと、むしろその恐ろしさは分からなくなる。
    その意味で、貧乏で大切なのは「それを知識として知っている」ということだ。その上で、なるべく近づかないようにすること、である。徹底的に遠ざけることだ。
    そこで今回は、「貧乏とは何かということの知識」について書いてみたい。
    まず、日本はもちろん外国でも、「悪魔」という概念が存在する。これは、かなりメジャーな概念だ。そして、その定義もたいていの人が共有している。
    それは、たいてい「人間に取り憑いてこれ

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  • トヨタ生産方式について考える:その18(1,698字)

    2022-04-22 06:00  
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    イチローという野球選手がいる。彼は1973年の生まれでもうすぐ50歳だが、「新しい子供」の先駆けではなかったか。つまり、「道路で遊べなくなった最初の世代」だ。町が遊び場でなくなった最初の世代である。
    そのことが、イチローという選手の偉大さを生んだ。イチロー選手は、彼より年上の野球選手たちとは明らかに違う。野武士のような荒々しさや雑味がない。純粋培養の過激さがある。
    だから、あれほどの選手になったのだ。日本史上最強の野球選手になった。それは、彼の純粋培養という養育環境が強く影響していると思う。
    ぼくは1968年の生まれだ。同い年には野茂英雄投手がいる。一つ上には桑田、清原、佐々木主浩などがいる。この世代は、ソフィスティケートされている部分もいくらかあるが、しかし野武士的な面が強い。そういうものの最後の世代だ。
    それに対し、イチローはソフィスティケート第一世代である。松井秀喜もそうだ。彼は風貌

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その51(2,184字)

    2022-04-21 06:00  
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    今回は1950年代について見ていく。というのも、赤塚不二夫というマンガを生み出した背景が、あるいはその揺りかごのようなものが、この時代にあると考えるからだ。
    ところで、赤塚不二夫以前にギャグマンガというのは存在しなかった。もちろん、笑いやユーモアはあったが、赤塚のようなスタイル、あるいは思想的背景――哲学を持ったマンガはなかった。
    その哲学とは、「ニヒリズムのオルタナティブ」だ。ニヒリズムからの脱却と、新しい価値観の提示である。
    そして、その新しい価値観こそ「これでいいのだ」だ。だから、それはニヒリズムの否定ではあるが、広い意味ではニヒリズムをも肯定している。ニヒリズムの価値観さえも、「これでいいのだ」と許しているのだ。
    言い換えるなら、それは「許し」の哲学なのである。
    そして、その許しの価値観を育んだものこそ、50年代といえよう。では、なぜ赤塚不二夫は50年代に許しの価値観を育んだのか?

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  • [Q&A]カリスマのある人は誰ですか?(1,398字)

    2022-04-20 06:00  
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    [質問]
    ハックルさんが好きな接続詞の流れはありますか?
    [回答]
    「接続詞の流れ」なるもののことを考えたことはないですね。ただ、ぼくの文章の中に「接続詞が多い」といわれたことはあります。
    例えば、このページに、接続詞の一覧がありますが――
    接続詞について (一覧と解説)
    こうして見ると、ぼくは実にさまざまな接続詞を使っていますね。しかも、華麗に使い分けている。ここに書かれている接続詞は、ほぼまんべんなく使っています。
    ですので、「好きな接続詞の流れ」というものはないですが、接続詞そのものは好きといえるでしょう。
    [質問]
    ユーチューバーのヒカルの職業はカリスマらしいです。彼にはカリスマ性はあるとハックルさんは思いますか?
    [回答]
    あると思います。その昔、石橋貴明さんが自分自身のことを「カリスマ」と言っていましたが、実際とてつもないカリスマ性がありました。ぼくの青春(及び人生)は、ほとん

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  • 生きるとは何か?:その30(1,890字)

    2022-04-19 06:00  
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    今思うと、昭和の時代は牧歌的であった。若者は、大人になったらサラリーマンか、それともミュージシャンかを選ばなければならなかった。ただし、ミュージシャンを選んだのは100人に1人くらいだ。それ以外の99人は、皆サラリーマンを選んだ。
    しかし、そんな中でサラリーマンでもなく、またミュージシャンでもない道があった。それが大工だ。大工には、サラリーマン的な部分と、ミュージシャン的な部分が混在している。いうならば、両者のジンテーゼのような職業だ。
    そして、昭和の時代に大工を目指すのはほんの少数だったが、今の時代、ほぼ全て――つまり100人いたら100人が、なんらかの形で大工的な生き方を模索しなければならない。そうしないと、生きてはいけない時代になった。
    そこでここからは、大工的な生き方とは何か? また、どうすれば大工的に生きられるか――ということについて見ていきたい。
    まず、大工の最大の特徴は、「人

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  • 知らないと損をする世界の裏ルール:その15「自分は存在しない」(2,041字)

    2022-04-18 06:00  
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    「自分」というものは存在しない。それは、科学ではもうずいぶん前から証明されている。
    それ以前に、そもそも人間には「自分」がいなかった。自分は発明されたのだ。
    発明されたこと自体はいつか分からないくらいの昔だが、広まったのは19世紀だ。産業革命に伴って、近代化が訪れた。その訪れとともに「近代的自我」が生まれ、広まったのである。
    この近代的自我こそ、自分である。だから、つい最近定着したものなのだ。まだまだ歴史が浅い。
    しかしながら、定着したらこの概念は、人類に非常にしっくりきた。近代以降の社会を生きるのに必須の概念となり、しかも今では、まだ意識が芽生える前の乳児のときに潜在意識に植えつけられるので、ほとんどの人が疑えない。そういう非常に強力な存在となったのである。
    『2001年宇宙の旅』という映画があって、テーマの一つが「機械が意思を持ったらどうなるか?」というものだ。劇中では、コンピューター

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