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マンガのはじまり:その4(1,694字)
2022-10-31 06:00110pt1日本社会は同調圧力が強い。それは人口密度が高いからだ。昔から、狭い村落に寄り固まって生きる必要があった。農作物が豊かな割に、耕作地が狭いためである。
そのため、一人でも和を乱す者がいると、村落全体の存続が危ぶまれた。だから、異端児は排除する必要があった。出る杭を打つ必要があった。
そこで、同調圧力を極限まで高め、いわゆる「村社会」を構築した。そこからはみ出る者は村八分にし、なんなら実際に殺す場合さえあった。
そういう社会は、しかし端的に息が詰まった。そこで、息抜きとして「戯」というものの価値が高まった。「ふざける」という在り方が必要不可欠となった。
ただ、ふざけることは難しかった。やりすぎると、和を乱して村八分にされかねない。しかし、穏便なのもつまらない。ちょうど良い加減や、卓抜したアイデアが求められた。
そこで、ふざけることを「考える」のではなく、「習う」という習慣が生まれた。個々人が独 -
庭について:その5(1,501字)
2022-10-28 06:00110pt日本の庭文化は、今はほとんど一部のお金持ちの趣味になってしまった感がある。しかも、相当のお金持ちでも趣味のいい庭を持っているケースはきわめて希である。
ほとんどの人が、庭にお金をかけるくらいなら家にお金をかける。そうして「豪邸」は日本のほうぼうにあるのだが、「豪庭」はきわめて希少な存在になってしまった。
ただ、最近になって庭を見直す人々も現れている。ただ、その人たちはたいてい「西洋風の庭」を指向している。日本庭園を造る人はほとんどいない。
それは、西洋風の庭は造りやすく、しかも喜びや楽しみが大きいのに比べると、日本庭園は造るのが難しい割に、得られるものが少ないからだ。費用対効果が極めて低いのだ。
そのため、西洋風庭園がどうしたって人気になる。特に、イギリス風庭園は多くの日本人に好まれる。なぜか?
それは、イギリス庭園が基本的に「花を楽しむため」に設計されているからだ。しかも小さなスペースで -
お金にまつわる思考実験:その1(1,688字)
2022-10-27 06:00110ptこの連載はお金にまつわる思考実験を展開していくものである。特に、お金の基礎の基礎について考えてみたい。
まずお金は「道具」である。これはぼくの基本思想だ。そして道具である以上、人の助けになるものだ。どんな人の助けになるかというと、全員だ。すなわち社会全体が助かる。
なぜなら、人々の「交換」が促進されるからだ。
そもそも、人間は生得的に「所有」や「正義」の価値観を有している。だから、子供にもそれはある。幼児は教えなくとも物を取られると怒る。逆に、人の物を取ったりしない。他人がブランコに乗っていたら順番を待つ。
だから、他人の物を奪うのは、何らかの理由があってのことだ。例えば、相手に対して不公平を感じていたりする。つまり、正義に基づいて奪っている。
なぜ不公平を感じているかというと、たいてい「相手は幸せなのに、自分は不幸だ」と感じているからだ。だから、物を奪うことによって公平を保とうとしている -
[Q&A]国内旅行をするならどこへ行きますか?(1,470字)
2022-10-26 06:00110pt[質問]
哲学書的な、論理を学ぶような難しい分厚い本を読もうと思っているのですが、なかなか進みません。その本を読む目的は、映画の感想などを言う時に、面白い筋道で話せるようになりたいと思ったからです。まずは全体を眺めて、今の自分に必要そうなところから読むというのがよいでしょうか? 何かいいアドバイスがあれば教えてください。
[回答]
結論としては、自分で電子書籍化して耳で聞くのがいいと思います。ぼくは最近耳でしか本を読まなくなりましたが、そうするとどうしても電子書籍しか読めなくなり、紙でしか出ていない本はほとんど読めなくなってしまいました。そのため、仕方なく自炊の必要を迫られています。すなわち、裁断してスキャンし、OCRソフトでテキスト化した後、それを音声化して聞き込むのです。
現在、『百年の孤独』の電子書籍が出ていないので、まずはこれからトライしてみようかと考えているところです。手間はかか -
令和日本経済の行方:その18(1,638字)
2022-10-25 06:00110pt大正は1912年に始まり1926年に終わる。明治が45年続いた後だったので、近代化は一通り終わっていた。また、1904年から1905年にかけての日露戦争に勝利した後だったので、日本が日の出の勢いを実感していた時期でもあった。
世界的には、なんといっても第一次世界大戦が起こった。1914年から1918年にかけて起こったので、まさに大正時代のただ中というになる。
この大戦によって、日本には空前の好景気がもたらされた。特にヨーロッパの製糸産業、紡績産業が甚大な被害を受けたので、日本がその間隙を縫って世界中で糸や生地のシェアを拡大した。
トヨタの前身である豊田織機もこの時期、その波に乗って急拡大した。発明王・豊田佐吉の象徴ともいえるG型織機は、1925年――大正14年に完成している。これが世界中で売れたので、自動車製造に乗り出すことができたのだ。
しかしながら、そうした光とは裏腹に、大正には濃い影 -
マンガのはじまり:その3(1,911字)
2022-10-24 06:00110pt※「です・ます」調では調子が出ないので、今回から「だ・である」調にします。
そもそもマンガはなぜ生まれたのか? その根底には、日本特有の「諧謔精神」がある。
では、「諧謔」とは何か? 辞書では「気の利いた冗談やユーモア」と書かれている。ただ、それは単なる冗談やユーモアではない。根底には、権威や常識を混ぜ返す、あるいは茶化す精神がある。社会を斜めに見る態度がある。
諧謔精神は、日本のさまざまなところに現れる。狂言や狂歌など、狂ったものを尊ぶ精神は芸能の分野で古くからあった。
演劇もそうである。道化や能面など、権威を皮肉ったキャラクターが好まれた。
あるいは「ひょっとこ」も、その象徴的な存在の一つだ。大人がわざと変顔をする。それがひょっとこの元だが、これは「にらめっこ」が伝統的な遊びとして定着したことにもつながる。日本には、いにしえより「変顔」を尊ぶ伝統があるのだ。
戦国時代には「ひょうげる」 -
庭について:その4(1,586字)
2022-10-21 06:00110ptこれを書いていて思い出したのが、ぼくが最初に庭に目覚めたのは『ドリトル先生』を読んでいたときだった。それも、『ドリトル先生航海記』を読んでいるときだった。
ドリトル先生航海記
ぼくは小1のときに母に勧められて『ドリトル先生』を読み始めた。最初に読んだのはシリーズ第1作の『アフリカ行き』だったが、一応読み終わりはしたものの、難しくて面白いとは思えなかった。まだ幼かったのだ。
そのときは挫折したのが、あらためて小3で『航海記』に挑戦した。すると今度はすらすらと読めた。そしてとても面白かった。ぼくは夢中になって読んだ。そしてこの本が一番のお気に入りとなった。そればかりではなく、ぼくが生まれて初めて完読し、理解できたいわゆる「小説」となったのだ。『ドリトル先生航海記』はぼくの小説の原体験である。
面白かった理由はいろいろあるが、一番はドリトル先生の家の描写に魅入られたことだ。普通は「航海記」なの -
マンガの80年代から90年代までを概観する:その73(1,762字)
2022-10-20 06:00110ptこの連載は、今回で一旦終わりとしたい。
マンガに限らず、日本全体の歴史を振り返ると、1980年に大きな境目がある。これ以前と以降とで、はっきりと断絶している。
それに比べると、バブル崩壊などは小さな変化だ。バブル崩壊は、バブルが始まったときにすでに予感されていた。一般には1985年のプラザ合意によってバブルが起こったとされるが、その前からすでに実態経済は縮小が始まっていた。80年代は、実はそれほど上手くいってなかったのだ。
ただ、60年代までの成長があまりにも凄まじかったので、その余波で好況に見えていただけだ。つまり見せかけの好況だった。その意味でもバブルだった。
しかしそう考えると、逆に面白く見えるのが80年代の特徴でもある。どこまでも偽物の時代だ。こういう時代は貴重である。
アメリカでは1920年代(狂乱の20年代)とか1950年代(パスク・アメリカーナ)がこれに当たる。パリでは19世 -
[Q&A]遺伝的に能力がない人はどう生きればいいのでしょうか?(2,508字)
2022-10-19 06:00110pt[質問]
言葉の言い回しや表現、語彙力を増やすためにはどのような取り組みを継続してやったら良いと思いますか?
[回答]
ぼくも若い頃、語彙力をどう増やせばよいのか悩んでいました。ただ、やがてそれ以上に重要だと思ったのは「文体」です。魅力的な文体をどう手に入れるか、というのが最大の関心事になりました。なぜかというと、文体さえ手に入れられれば、語彙力はあとからついてくると分かったからです。
そう考えて、ぼくは文体を意識しながら本を読むようになりました。最も意識したのは筒井康隆ですが、彼の文体はとても真似できそうにありませんでした。というのも、彼の文章はとにかく省略がすごいのです。ムダのなさがすごい。
しかしぼくは、そういうムダのない文章は書けません。そのため、ちっとも真似できなかったのです。
ところが、面白いことにその筒井康隆自身が文体に悩んでいました。彼自身が、自分の文体のムダのなさが、逆に -
令和日本経済の行方:その17(1,899字)
2022-10-18 06:00110ptなぜ日本の教育はうまくいったのか? 取り分け20世紀に入ってからうまくいくようになったのはなぜか?
そこで、今回はこの時代を代表する科学者たち――堀越次郎と湯川秀樹、そして浅永振一郎の来歴を見てみたい。そこと教育との関係を考えてみたい。
まず堀越次郎は1903年(明治36年)の生まれだ。つまり、江戸の雰囲気がだいぶん失われてから生まれている。
生まれた場所は、群馬県の藤岡市。まあまあの田舎である。両親は農業を営んでいた。そこで四人兄弟の次男として生まれた。
ただ堀越は、生まれたときから大秀才で、小学校はもちろん、地元の藤岡中学や、全国から俊英が集まる東京の第一高校も首席で卒業。東大に入学すると、なんとそこの工学部航空学科も首席で卒業するなど、エリート街道をまっしぐらに突き進む。
次に、日本人初のノーベル賞を獲得した湯川秀樹は、1907年(明治40年)の生まれである。「湯川」は養子先の姓で、
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