-
石原莞爾と東條英機:その55(1,769字)
2024-09-30 06:00110ptこうして永田鉄山は殺されてしまった。東條英機はそれを左遷先の久留米で聞いた。
この頃、東條英機は久留米で苦しみながらもなんとか部下を掌握していた。当時の若手将校は、その多くが皇道派だった。しかも久留米は、真崎甚三郎が自分の子飼いを赴任させ、固めていた。
そのため東條英機にとっては完全にアウェーだった。誰も言うことを聞いてくれなかった。それでも、東條英機というのはリーダーとしての不思議な才覚があった。天性の「人たらし」のところがあった。特にその実直さで、多くの人を魅了した。
東條英機の魅力とは何だったのか?
それは、自分が優秀ではないことを知る者の強さだった。東條英機は自分が優秀ではないことを百も承知していた。それは一つには父の英教が優秀だったこと。そんな父と比べると、自分はいかにも劣っているということが幼いうちから分かっていた。
また長じてからは、永田鉄山をはじめとする一個上の先輩に優秀な -
庭について:その82(1,808字)
2024-09-27 06:00110ptここまで2年に渡って庭について見てきたが、次回を最終回としたい。その前に、今回は重森三玲について書きたい。
重森三玲は1896年、明治29年に岡山県に生まれる。日本美術学校で日本画を学ぶ。その後、東洋大学で文学を学んでいる。
大学卒業後、画家を目指すが挫折。その後、生け花の道に進み、花を通して庭に出合う。30代で生け花の新たな流派を立ち上げようとするが、家元制度を敷く旧来からの流派と衝突し、上手くいかなかった。
重森三玲が38歳の1934年、室戸台風で京都の数多くの神社が壊滅的な被害を受ける。当時、神社やお寺は経営に苦労していたので、なかなか庭の修復費用まで捻出できず、その多くが荒廃してしまう。
これを憂えた重森三玲は、ボランティアで修復作業に乗り出す。またそこで、庭についてより深く学ぶためと、貴重な設計やデザインを記録し残そうという意図で、1936年(昭和11年)より全国の庭園を巡って独 -
1994:その22(1,749字)
2024-09-26 06:00110ptなぜ1994年のことを書こうと思ったかといえば、それが1995年の前の年だからだ。1995年はなにしろ阪神淡路大震災とオウム真理教事件があったので、人々の記憶に今も鮮やかに残っている。ここが日本社会の一つの転換点だった。ここから失われた30年が本格化した。最も景気が悪かったのが1997年頃だ。
出版界の売上げのピークも1995年だ。CD売上げのピークもまた1995年である。テレビ業界は2000年くらいがピークだった。いずれにしろ古いメディアが隆盛を極めたのがこの頃である。
ここから古いメディアは下り坂になる。なぜかというとインターネットが普及したからだが、その前段としてパソコンが普及した。そしてパソコンが普及した背景には、Windows95の爆発的なヒットがあった。これも1995年である。
そんなふうに1995年は、さまざまな意味で変わり目なのだ。境目なのである。そのため、1994年は「古 -
[Q&A]自民党の総裁選についてどう思うか?(1,184字)
2024-09-25 06:00110pt[質問]
ハックルさんは自民党の総裁選についてはどう見ていますか?
[回答]
ぼくは小泉進次郎氏がいいと思います。なぜかというと、それが一番自然だからです。
今、世界中の政治家が劇場型になっています。政治能力よりもトリックスター性が何より求められる。それは、そういう政治家の方が今の社会にアジャストしているからです。
ぼくは、なんだかんだ人類はよくできていると思います。頭は悪いのですが、無意識の力がすごい。無意識のうちに世の中を良くする力がすごいのです。
そして今、世界が選んでいる指導者が、トランプ、プーチン、ゼレンスキー、ネタニヤフなどです。皆、カリスマ性があって、考えが浅いという感じ。そういう指導者こそ、今の世の中にぴったりです。
そのため、日本もそうならなければなりません。そういう無意識の力に従った方が、世の中は絶対に良くなります。
それでいうと、トランプやプーチンらに匹敵するのは、小 -
劣化する人:その29(1,726字)
2024-09-24 06:00110pt「劣化する人」というのがぼくの年来のホットなテーマだった。40歳以降に急速に能力を衰えさせる人がそこかしこにいて、どうしてそうなるかというのが不思議だった。だから、それを考察するためにこの連載をした。
すると、そこで分かったのは彼らが短絡的思考人間、モノマネ人間であるということだった。物事を深く、あるいは長く考えず、すぐに結論を導き出そうとするため、モノマネをする。まるでそれが頭が良いことの証明でもあるかのように。
そういう人間は実は多い。なぜかというとこれまでの社会はそういうモノマネ人間に有利だったからだ。特に産業革命以降は有利だった。
なぜなら、機械が発達したことで、機械を扱うモノマネ人間、機械人間の居場所が爆増したからだ。それで人口も爆増したが、増えたのはほとんどモノマネ人間、機械人間の子孫だった。だから、そういう人たちの割合が一気に増したのだ。
しかしそれが21世紀に入って、主にA -
石原莞爾と東條英機:その54(1,854字)
2024-09-23 06:00110pt真崎甚三郎は陸軍大臣になれず、代わりになったのは林銑十郎だった。これによって今度は真崎と林が対立するようになり、真崎は林の追い落とし工作をあれこれと計るが、逆に林の怒りを買って、今度は林が真崎に教育総監の地位も辞職するよう求める。
真崎はこれに頑として抵抗したが、ついにその地位を剥奪されてしまう。真崎は、この更迭劇の裏には軍務局長に就いていた永田鉄山がいると見る。林一人でこんなことはできないと考えたからだ。
そうして陰で永田鉄山の悪口を言うようになり、それを受けて皇道派若手将校が作成したと思われる永田批判の怪文書が撒かれたりもして、皇道派と統制派の対立は日ごとに険しさを増していった。
そんなときに、とんでもない事件が起こる。真崎に私淑していた皇道派の若手将校、相沢三郎が、陸軍省内で、永田鉄山を剣で斬りつけ、殺害してしまうのである。1935年8月12日のことだった。太平洋戦争終結のちょうど1 -
能力とは何か?(1,735字)
2024-09-20 06:00110ptこれの究極の答えは「人類の存続に寄与する力」だろう。
「利己的な遺伝子」という考え方は、やはり強力な説得力がある。我々人間はDNAを運搬するリレー走者に過ぎない。だから、種を残すために個人が犠牲になっている。個人が死ぬのはそのためである。
人間個人は必ず死ぬ。それは、その方が種の存続に有利だからである。ところで、これまで死んだ人というのは累計で1080億人らしい。意外に少ない。昔は人口が少なかったから、累計も少ないのである。1万年で1080億で、そのうち今生きている人は、なんと6.5%にも登る。20世紀は、文字通り「人口爆発」の時代だった。
しかし人口が爆発しても変わらないのが「利己的な遺伝子」で、人類の存続に人口の多さが不都合となれば、やがては人口縮小へとベクトルを変える。人口縮小は「すでに起こった未来」である。そこで個人にどのような悲劇が訪れようとも、種全体が存続すればいい――それが人 -
今は頭が上手く回らない(1,669字)
2024-09-19 06:00110ptドラッカー学会糸島大会が行われて以来、頭の中がヒートしっぱなしなので、上手く回らない。そこで、今日と明日もやっぱり連載をお休みし、頭を冷やすような文章を書かせていただきたい。申し訳ありません。
ぼくは変な話だが自分の幸せということについてあまり考えなくなった。それは幸せなことなのだと思う。ぼくの場合は自分の子供が生まれたことによってそれまでの不幸が全てチャラになってしまった。こういう人ははっきりいって意外に多いと思う。
こう書くと子供がない人には申し訳ないのだが、ぼくはこれまでさまざまな体験をしてきた。その中でも一番目と二番目の体験が、子供を奪われたことと、その後に子供が生まれたことである。最初の子供が生まれたのは、三番目の体験だ。
最初はやっぱり子供が生まれることがどれほど幸せかということを自覚していなかった。しかし連れ去られたことで嫌でも自覚した。そして子供の連れ去りは地獄ということが -
[Q&A]ドラッカー学会のこぼれ話はありますか?(1,227字)
2024-09-18 06:00110pt[質問]
ドラッカー学会の成功おめでとうございます。
何かこぼれ話のようなものがあったら教えてください。
[回答]
「こぼれ話」というのはいろいろあるような気もしますが、ないような気もします。今一番思っているのは、ドラッカー学会の集客に苦労したということでしょうか。特に学生さんが集められませんでした。一番の理由は九州大学がまだ夏休み期間で学生さんがいなかったことです。しかし逆に考えれば椎木講堂は夏休みだからこそ借りられたというのもあるので、仕方ないところもありますね。
九州大学伊都キャンパスは昔はミカン畑だったそうです。それが売りに出されていたのを九州大学が買ったのですが、国からの補助金がほとんどなかったので苦労したそうです。そのため九州大学の最大の命題は生徒集め。いかに生徒を集めるかに大学を挙げて取り組んでいて、その一環として外国人留学生の受け入れも盛んにしているということでした。
なぜ -
ドラッカー学会糸島大会で疲れたという話(1,205字)
2024-09-17 06:00110pt今回も引き続きドラッカー学会糸島大会について書きたい。
閉会から2日経ったがまだその余韻は覚めやらない。その上、精算など諸々の事務作業も残っているので、本当に終わったと思えるのはもう少し先になるだろう。
今思うのは、今回の活動を機にぼくはもう少し自分の名前ではないところで活動しようということだ。岩崎夏海からは少し離れたい。アノニマスで活動したい。岩崎夏海は、よっぽど魅力的な仕事でなければ、当面は岩崎夏海の仕事を控えたい。
理由は疲れたからである。ぼくは明らかに更年期障害で、体調は変化した。老化といえば老化だが、老人というよりは若者を卒業といったところだろう。壮年期という言い方もできるが、初老という言い方もできる。
いずれにしろ「若くない」。肉体が若くない以上、精神や活動もそれに比例して「若くない」ようにしないとバランスが悪い。そしてそのためには、精神や活動の休息が必要である。ぼくはもっと安
1 / 3