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記事 10件
  • ドラッカー学会糸島大会がいよいよ明日に迫ったことについて(1,191字)

    2024-09-13 06:00  
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    毎週金曜日は『庭について』を連載しているが、今日は予定を変更していよいよ明日に迫ったドラッカー学会糸島大会について書きたい。
    ドラッカー学会糸島大会
    ぼくはドラッカー学会の会員だがそれほど熱心に活動しているわけではない。それがなぜか今回実行委員長をすることになってしまった。するからには最高の会にしたいと思った。そこで、以下のような内容を企画した。
    ぼくが最近考えているのは「これからの時代は『空間に関する感度』が重要になる」ということだ。そして、空間に関する感度を上げるためには「いい建築を味わう」のがいい。
    そういう建築が、糸島にはある。それは九州大学のキャンパス内にある椎木講堂である。これを作られたのは内藤廣さんという建築家だ。建築家というと普通は派手な意匠で奇抜さを前面に出す人が多いが、内藤先生はむしろまるで何十年も前からそこに建っていたかのような建築を建てる。そういうコンセプトでそもそ

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  • 1994:その21(1,633字)

    2024-09-12 06:00  
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    桑田佳祐と松任谷由実という二人のシャーマンの存在で、1980年を境にした日本の恋愛事情の急激な変化というものが見えてくる。
    松任谷由実に『埠頭を渡る風』という歌がある。ユーミンの代表曲の一つだが、この曲が全く売れなかった。発売したのは1978年10月である。『勝手にシンドバッド』が1978年6月だから、その半年後だ。
    この『埠頭を渡る風』と『勝手にシンドバッド』の関連性について論じる者は皆無だろう。ユーミン本人にしたって、『勝手にシンドバッド』を意識して書いたとは思っていないはずだ。
    しかし『勝手にシンドバッド』は大ヒットしたから、当然聞いたことがあったはずだ。そのためこの曲の持つ真価というものが無意識に響き、知らず知らずのうちに影響を与えていたということは考えられるだろう。勝手な想像に思われるかもしれないが、しかしこれは誰が証明できるわけでもない。
    『埠頭を渡る風』という歌の最大の特徴は

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  • [Q&A]新しいiPhoneは買いますか?(1,701字)

    2024-09-11 06:00  
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    [質問]
    岩崎さんにとって恐いものはありますか? ちなみに私の子供は「オバケが恐い」と言っていましたが、オバケについてはどう思われるでしょうか?
    [回答]
    ぼくが恐いのはやはりヤクザでしょうか。殴られること、刺されることへの恐怖はやはり強いですね。車を運転していても煽り運転が一番恐いです。
    ただ、そうは言いながらケンカになるとなぜか負けず嫌いになって恐いという感情が吹き飛ぶんですよね。そうしておそらく殺し合いでもなんでもするような気がします。
    ぼくにとって「恐怖」はそんなふうに錯覚のようなものです。本当は恐くないけど、なんとなく恐く感じているだけなのです。
    オバケはいないと思っている――というより「いない」ので、「いない」とはっきり言ってあげるのがいいのではないでしょうか。それこそ「錯覚で、オバケを見ることは普通だけれども、その存在を信じるのはどうかと思う」と、真実をお話になるのがいいと思

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  • 劣化する人:その28(1,602字)

    2024-09-10 06:00  
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    現代はマルチツールの時代になった。マルチツールとは武器が複数あるということである。専門性が複数あるということだ。そしてこればかりは、あればあるほど有利である。
    従って成長・変化のしやすい人ほど有利になっている。逆に、成長・変化の苦手な人が不利になっている。モノマネ人間は、意外なことにこの成長・変化が苦手である。社会の行動様式をそのまま写し取るだけレバから、変化に対応して新しいものを採り入れても良さそうなのに、そうはならない。
    そう考えるとモノマネ人間は本質的な意味での「器用さ」というものがない。肉体は器用かもしれないが心が器用ではないのだ。いわゆる懐が狭いのである。
    その昔、双葉山という横綱がいた。いまだに最多連勝記録を持つ伝説的な存在だが、その特徴は肩を持っていないことだ。いつでも相手の型に合わせ、取り口を変化させていたのだ。
    そのため、必ず相手の攻撃を「受け」ていたという。受けてから対

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  • 石原莞爾と東條英機:その53(2,039字)

    2024-09-09 06:00  
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    気のいいオッサンの荒木貞夫は1931年、満州事変の真っ只中で、永田鉄山らの後押しもあって陸相に就任する。しかし1932年から若手将校たちが荒木の元に参集するようになり、やがて「皇道派」を形成する。いい気になった荒木は盟友真崎甚三郎とともに自らを利する独裁的な人事を行う。
    しかしこれが皇道派以外の反感を買い、やがて「統制派」の形成を促す。そもそも統制派という派閥はなかったのだが、皇道派があまりにも専横的なので、それを良く思わない者たちが一致団結したのだ。
    しかもこの頃から若手将校たちが暴走し始め、荒木の手にも負えなくなった。さらに陸相としての能力にも国会や国民から疑問を持たれるようになり、急速に求心力を失っていった。
    そうして1934年に、とうとう病気を理由に陸相を辞任する。表向きの理由は病気だが、周囲からの批判にとうとう耐えられなくなったのだ。
    引退を決意した荒木は、陸相の後釜に真崎甚三郎

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  • 庭について:その81(1,852字)

    2024-09-06 06:00  
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    ここまで二年の長きにわたって庭について見てきたが、そろそろ連載も終盤に近づいてきた。
    前回、小川治兵衛の無鄰菴について述べた。これは近代日本庭園の最高傑作で、無鄰菴を越えるものはなかなかないと今でもいわれている。以降の日本庭園は、小川治兵衛と無鄰菴を無視できなくなった。
    日本庭園はさまざまな流派を生み出しながらそれがうねりのように混ざり合ったり統合したりまた離れたりしている。その中で通奏低音のように流れているのが「借景」で、これはどの庭園にも共通して見られる。「見立て」もまたそうだろう。どんな庭も、だいたい何かを山や川、海に見立てて作られている。
    そういう日本庭園の流れの中に、明治期には新たなうねりが加わる。それは西洋庭園である。そうして和洋折衷様式ができた。実は無鄰菴も和洋折衷様式なのだ。全く目立っていないが、日本建築の背後にちゃんと西洋建築が建っている。明治期には、和と洋の二棟を建てる

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  • 1994:その20(1,752字)

    2024-09-05 06:00  
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    桑田佳祐はやはりすごいと思う。「歌は世に連れ世は歌に連れ」というが、彼こそはまさに時代を先取りしたシャーマンだった。ユーミンが「世に連れた歌を歌う存在」ならば、桑田佳祐は「世を連れさせる歌を歌う存在」だった。桑田佳祐が歌った歌を追いかけるように、世の中が変化していくのである。桑田佳祐は時代を完全に先取りしていた。
    まずデビュー曲の『勝手にシンドバッド』で、女性とうまくいかなくても強がる情けない男を歌う。これは映画の二枚目ではなく三枚目を歌の主人公にしたJ-POPにおける大革命だった。
    もちろん、モテない男の悲哀を歌った歌はそれまでもあったが、それらはあくまでもコミックソングという扱いであった。そして当初、『勝手にシンドバッド』もその歌詞の内容からコミックソング扱いであった。しかしそれを聞いていた若い男性の多くは、そのコミック性の裏に溢れ出るほどの詩情を感じた。
    そうして感情移入した。みっと

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  • [Q&A]VTuberの盗撮騒動について(2,069字)

    2024-09-04 06:00  
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    1
    [質問]
    ニコ動のシステムエラー中にどのような心情だったのか教えて頂けると幸いです。
    [回答]
    ぼくはニコ動のトラブルは「なるべくしてなった」と思います。それはぼく自身がブロマガを運営している中でもいろんな不満や不平があったからです。一言でいうとドワンゴは傲慢な感じがします。サービスに真剣に向き合わず、たまたまヒットした日本のオタク文化との親和性だけ高めている。
    つまり文化を作るのではなくすでにある文化に寄り添うだけのように見えます。一言でいうと「ポリシー」や「プライド」が見えないのです。そういう社風だったから、目に見えないところは疎か、あるいは蔑ろにしていたのでしょう。いろいろといいところもあるのですが、正直欠点は大きいです。
    もちろん、犯罪は犯人が悪いということはあると思うのですが、それでも、正直ブロマガで続けていくのはしんどいなとは思いました。しかしこれ以上のサービスは他にないので、

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  • 劣化する人:その27(2,054字)

    2024-09-03 06:00  
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    今回は、「抽象化が上達する方法」について見ていきたい。
    モノマネ人間は抽象化できない。それは表層しか見ていないからだ。目に見えているものしか知覚できない。表層の下の本質を理解しないからである。
    抽象化は、いうならば「本質を見える化する」ということだ。そう考えると、「抽象化」というのはおかしな言葉である。なぜかといえば、少なからず矛盾しているからだ。
    どう矛盾しているのか。まず「抽象」という言葉だけだと、本質つまり「目に見えないもの」のことを指す。ちなみに「抽象」の対義語は「具体」である。つまり「目に見えるもの」のことだ。
    「具体的」というのは、「目に見えるようなもの」という意味である。「抽象的」というのは、「目に見えないようなもの」という意味である。「具体的に語る」というのは、実際にあった事実を語ることだ。「抽象的に語る」というのは、実際にあったことの本質を語るということである。
    例えば「

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  • 石原莞爾と東條英機:その52(1,800字)

    2024-09-02 06:00  
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    2
    荒木貞夫は陸軍を「天皇の軍」という意味で「皇軍」と呼び、その在り方=「道」を道徳に説いていた。だから、荒木の元に参集した若手将校たちは「皇道派」と呼ばれた。
    その皇道派の行動理念は昭和恐慌、あるいは世界恐慌を機に始まった経済の混乱に対する「義憤」にある。彼らは猛烈に怒っていた。何に怒っていたかといえば、政治家と財界人である。政治家と財界人が私腹を肥やすから、多くの庶民が困窮し、貧乏のどん底に喘いでいるという構図を固く信じていた。
    若手将校たちは必ず前線の部隊に配属される。するとそこには軍隊に入りたての二等兵たちがいる。二等兵はたいてい農家をはじめとする田舎の次男か三男である。彼らは、不況で失業率が高まり、他に仕事がないから仕方なく陸軍に入隊したのだ。
    若手将校たちはそんな田舎者の次男三男を直接指導する。年は近いが自分たちはキャリア組の出世コースで彼らは最底辺の二等兵だから階級が三つも四つも

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