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記事 23件
  • [Q&A]落合博満と江川卓、どちらの解説が好きか?(1,686字)

    2023-05-31 06:00  
    110pt
    [質問]
    落合博満と江川卓。どちらも理論派で私は江川の方が好きでしたが、監督をしなかった江川の最近の言葉には、説得力が欠けているように思えます。ハックルさんはどう思われますか?
    [回答]
    落合と江川はどちらも理論派で、一見似ているようですが、ぼくは性質は逆だと思っています。落合は、もともと貧しかったので生きることに必死だった。だから、理論を積み上げたのだと思います。もちろん素養もあったでしょうが、努力型でしょう。
    一方の江川は、まず圧倒的な頭脳のアドバンテージがあって、理論も簡単に構築できた。だから、もともと頭が良かったんです。
    そうなると、天才型の江川の方が有利に思えますが、ただ老人になってお互い生きるエネルギーが少なくなったとき、それがまた別の表れ方をしたのだと思います。
    落合の方は、なにしろ後天的に構築した頭の良さなので、考えることが習慣化、メソッド化しており、少ないカロリーで済ます

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  • アーティストとして生きるには:その7(1,891字)

    2023-05-30 06:00  
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    アートは「(貧困なイメージ1+貧困なイメージ2)×豊かな欲望」である。そして貧困なイメージは、自分の子供時代に求めるのがいいだろう。ぼくは1968年生まれなので、1970年代から1980年代にかけての少年時代に、求めるべき貧困なイメージがある。
    おそらく12才から19才までのいわゆる「ティーンエイジャー」の時期にこそ、人は貧困なイメージを豊富に接種できるものと思う。また日本には「中2病」などという言葉もあるが、ちょうど14才のときが、最も貧困なイメージを欲する時期といえよう。
    そこで、みなさんも自分の14才を振り返ってみてもらいたい。ぼくの場合は1982年だ。そこでパッと思いついたのが、前回述べた『ハイティーン・ブギ』なのだが、これはまさに1982年に公開されている。
    さらに、そこから派生して同じ近藤真彦の『ギンギラギンにさりげなく』も思いついた。これは1981年なので13才のときだが、や

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  • マンガのはじまり:その33(1,800字)

    2023-05-29 06:00  
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    マンガとはなんだろうか?
    元々日本には江戸時代から豊かな出版文化、そして絵画文化があった。浮世絵が人気で北斎が「北斎漫画」を描き、かなり受けたので巻を重ねた。そうして「漫画」という言葉は江戸時代、すでにそれなりに根づいていた。
    「漫画」はもともと「そぞろに描いた絵」という意味で、つまりはスケッチ集のことだ。ただしそこには「滑稽味」がはじめから備わっていた。北斎は「滑稽なスケッチ集」のことを漫画と呼び、それが人気を博した。だから、漫画という言葉には「滑稽な絵」という意味もはじめから包含されている。
    そもそも日本人は、滑稽な絵を好む傾向があった。実生活でふざけるのが下手なので、絵(バーチャルな世界)でふざけたいのだ。ふざけた絵を見てストレス解消をするのが日本文化だった。あるいは「ふざけ方」を学ぶという目的もあった。
    だからこそ、浮世絵ではふざけた絵が人気だった。そのため絵師たちは「ふざけ」の技

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  • 庭について:その31(1,852字)

    2023-05-26 06:00  
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    造園家でありながら評論家としての仕事が主となっていったジョン・ラウドンは、時代が進むに連れて「映える庭」に価値を感じるようになり、ハンフリー・レプトンを再評価した。また自らは、世界中の珍しい花々を収集し、それをいかに庭に飾って映えさせるかということに腐心した。それが「ガーデネスク」というわけである。
    そこでは、やがてピクチャレスクが批判の対象となっていった。なぜかというと、「高度なピクチャレスク」は「自然が放置された状態」と変わりないので、人々にはその価値が分かりにくいからだ。これは全くその通りで、誰にも反論できるものではなかった。
    ただし、18世紀末までなら、分かりにくかったらそれは「分からないやつが悪い」となった。しかしここまで見てきたように、産業革命の恩恵で庭は19世紀に入ると一気に大衆化した。それは、勉強するのが義務だった貴族だけのものではなくなった。
    そうして19世紀に入って20

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  • お金にまつわる思考実験:その30(1,687字)

    2023-05-25 06:00  
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    日本の道は、明治維新直後の社会の近代化――特に馬車の普及や自動車の登場――に伴って整備され始めたが、昭和初期の不況で中断した。その中断は戦争もあって、そのまま戦後まで20年近く持ち越した。
    おかげで終戦直後には、日本の道は丸々20年世界から時代遅れとなった。そのため、アメリカの指導を仰ぎながら整備していくことになるのだが、なにしろお金がなかったので最初は騙し騙しだった。それで、アメリカから「日本の道は最低だ」と厳しく罵られることになる。
    では、そんな時代遅れも甚だしかった日本の道が、どこから持ち直していったのか?
    それはやはり朝鮮戦争によって始まる高度経済成長期だ。日本全国で朝鮮戦争で使うための物資の生産が急激に増大した。そのため、それを運ぶための道も急速に整備する必要が出てきた。そのための資金は、朝鮮戦争特需が下支えした。そんなふうに、日本は朝鮮戦争を景気に、一気に道をリビルドしていった

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  • [Q&A]猿之助さんの事件について(2,585字)

    2023-05-24 06:00  
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    1
    [質問]
    市川猿之助さんが自宅で自殺未遂し、ご両親が亡くなるという事件が起きました。ハックルさんは、これについてどのように思われましたか?
    [回答]
    これは憶測でしかありませんが、猿之助さんはおそらくジャニーさんが連日連夜、バッシングされる報道を見て、自殺するまで追い詰められたのではないでしょうか。また、ご両親の死がご両親自身の意思による自殺だったとしたら、ご両親も相当心を痛めていたということになるでしょう。
    なぜ両親まで心を痛めていたかといえば、それは彼らの生き方や価値観が否定されるような時代になったからだと思います。これまでの歌舞伎役者的な生き方や価値観は、今や完全に認められなくなりました。そのことに対する絶望が深かったのではないでしょうか。
    これまでの歌舞伎役者は、社会から逸脱することで素晴らしい演技をする――というスキームの中で生きてきました。それは歌舞伎創設以来です。ですから、飲

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  • アーティストとして生きるには:その6(1,672字)

    2023-05-23 06:00  
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    アートの定義とは、
    豊かな欲望×貧困なイメージ=アート
    である。このとき、「豊かな欲望」ももちろんだいじなのだが、それ以上にだいじなのは「貧困なイメージ」であろう。
    では、「貧困なイメージ」とは何か?
    それは、「ありきたりな道具」のようなものである。使い古された社会の仕組みのようなものだ。ありふれていて、目に入っても意識することは少ない。コンビニに売っている定番商品のようなものである。
    この定番商品を自分の性欲と掛け合わせる。そうして、おどろおどろしい何かに仕立て上げる。それこそがアートなのである。TOTOの『アフリカ』も、「したたかでミステリアスな若い白人女性」という貧困なイメージがまずあった。それにペイチとポーカロ、2人の性欲を掛け合わせたからこそ、音楽史上に残るアートになったのだ。
    だから、発想の種はあくまでも「貧困なイメージ」にある。『アフリカ』の場合は、女性だけではなくアフリカに

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  • マンガのはじまり:その32(1,689字)

    2023-05-22 06:00  
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    近藤日出造は、読売新聞に連載された政治風刺漫画が人気を博し、見事に復活する。特に、自分が支持する吉田茂が首相になってからは厭世観も抜け、しばらく安泰に過ごしていた。
    しかしながら、そんな近藤に新たな不安の種が宿る。それは手塚治虫が登場し、新しい漫画をヒットさせたことだ。特に、赤本をヒットさせたことだった。
    赤本は、手塚が一番人気だったが、それ以外の数多くの漫画家も描いていた。ただしその内容は、子供におもねった低俗なものがほとんどだった。戦争直後であるにもかかわらず(いやだからこそか)、時代劇やスパイものの「殺し合いアクション漫画」がブームとなったのだ。
    近藤の息子も、ご多分に漏れずそうしたマンガの大ファンで、父の描く政治漫画にはほとんど興味を示さなかった。近藤は、そんなふうに息子が自分の作品に関心を示さなかったからというわけではないが、ただの殺し合いが延々とくり広げられる低俗な赤本漫画には

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  • 庭について:その30(1,803字)

    2023-05-19 06:00  
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    ジョン・ラウドンは、1783年スコットランドのグラスゴー近郊に、農家の子として生まれる。出自は必ずしも良くなかったが、幼い頃から植物への高い関心とセンスとがあった。
    11歳のとき、エジンバラの種苗店の徒弟となる。さらに、働きながらエジンバラ大学で植物学や農学を聴講する。つまり苦学生であった。
    それからおよそ10年が経過した1804年、21歳のときにロンドンに出、風景式庭園の造園家としてデビューした。
    それと同時に、早くも造園についての本を著す。そこで、当時流行していた「ピクチャレスク」を称揚し、レンプトンが作っていたブラウン流の「映える庭」を否定した。
    ところがその後、ガーデンニングの潮流が少しずつ変わり始める。庭園会に、3つのできごとが同時に起こるのだ。
    1つ目は、経済が豊かになって中産階級が急激に増えたこと。これによって彼らが都市部に小さな家を持ち、同時に「小さな庭」を持つようになった

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  • お金にまつわる思考実験:その29(1,520字)

    2023-05-18 06:00  
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    ぼくは、日本経済の要は今までも、そしてこれからも「道」にあると思う。なぜなら、日本人は道が得意だからだ。道が得意だからこそ、明治維新後猛スピードの近代化に成功し、なおかつ戦後猛スピードの復興を成し遂げられた。
    そもそも、日本人は江戸時代から道が得意だった。経済は発展していないのに、道だけは発展した。普通、道が発展すれば経済も発展しそうなものだ。何よりローマは、その形で経済を発展させ、自国を際限なく富ませた。
    しかし、日本人は道だけ作って経済的に発展しないという「離れ業」を江戸時代にやってのけた。それは、徳川が特殊な中央集権制度を構築するためであった。この施策は結局260年くらい「しか」保たなかったが、逆にいえば260年「も」保った。それほど堅牢なシステムだった。
    その堅牢なシステムを維持する上での鍵は「参勤交代」にこそあった。参勤交代こそ、日本人に道を得意にさせ、明治や戦後日本の成長を決定

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