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好きなことを見つける方法:その4(1,650字)
2021-05-31 06:00110pt2「安全な危険」や「好奇心」は、好きなものを探す上で重要な「鍵」となる。
なぜかというと、ほとんど全ての人が「安全な危険」や「好奇心」を子供時代に抑圧されているからだ。そして、抑圧が強い人ほど好きなものを見つけにくくなっている。その逆に、抑圧の弱い人は見つけやすい。
この「抑圧の強弱」は、多くの場合近くにいた大人――特に母親の態度によって決まる。母親が感情的な人間だった場合、まだ抑圧が弱くてすむ。なぜかというと、人間は本能的に「感情的な人間には従わなくていい」という観念を持っているので、親が感情的であればあるほど従わなくなり、従って抑圧も効かなくなるからだ。
逆に、親が「非感情的な人間」だった場合は、抑圧が強くなる。親の支配下に置かれる可能性が高くなって、「安全な危険」や「好奇心」を親から禁止されると、唯々諾々と従うのはもちろんのこと、ひどいときには自ら率先して禁止するようにすらなる。
こう -
これから始めてみたいビジネス(1,366字)
2021-05-28 06:00110pt4いつも行く糸島のイオンの中にお茶屋さん(お茶の葉やコーヒー豆を売っていた)があったのだが、コロナの影響もあってか潰れてしまった。
あとに何ができるかと思ったら、ガチャポンスペースができた。三段重ねのものが50基くらい――つまり150台くらいのガチャポンが設置され、ぼくはイオンで買い物をするときいつもこの前を通るのだが、毎回子供が吸い寄せられるように入っていく。
そのため、最初は何度か買ってあげたのだが、すぐに買わなくなった。理由は、子供はガチャポンのノブをただ回したいだけで、中身のオモチャには興味を示さないからだ。中身が魅力的ではなく、ただノブを回す快感に酔いしれていただけなのである。
それで買わなくなったのだが、いくつか面白いことに気づいた。それは、ガチャポンというビジネス自体は幼児でも無条件で吸い寄せられる強い魅力があるということ。これは大人に対してもそうで、実際このコーナーには大人も -
マンガの80年代から90年代までを概観する:その8(1,680字)
2021-05-27 06:00110ptここで、名作マンガがその時代時代の読者の、どんな身体感覚に訴えかけたかを見てみたい。
『新宝島』
戦後の焼け野原で米軍のジープに憧れる子供たちの身体感覚。
スポ根もの
テレビでスポーツ中継を見、運動選手に憧れた子供たちの身体感覚。プロレス、ボクシング、そしてオリンピック。
野球マンガ
野球少年の身体感覚。
ちばてつや
戦後日本の窮屈な状況――特に狭い空間に閉じ込められた子どもたちの身体感覚。それを打破したいという夢をちばはマンガの画面で叶えた。『あしたのジョー』以外のちば作品は、いずれも「狭苦しさから脱却」をテーマとしている。
70年代少女マンガ
女性の自立(教師)と旧世界の抑圧(母親)によって引き裂かれた少女たちの身体感覚。それを最もよく表したのが萩尾望都。
大友克洋
SF映画の薫陶を受けた子供たちの身体感覚。テクノロジーによって移動がハイパーになることへの夢想。新しい乗り物への憧れ。
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[Q&A]占い師についてどう思うか?(2,010字)
2021-05-26 06:00110pt[質問]
下記のコメント拝見しました。
アナログとデジタルというのは単に二元的に区切れるものではないのです。というのも、読書体験は、Kindle本をiPhoneで読むか、iPadで読むかでさえ大きく違ってくるからです。持っているデバイスの大きさや重さも、読書体験にそれこそアナログに響きます。ですから、紙の本を読むのと電子書籍で読むのとでは、さらに大きな違いになってくるのですね
読書はいつも、紙媒体なのですが、KindleやiPhoneなども違うとのことですが、各々、どのようなデメリットメリットがあるのでしょうか?
[回答]
メリットやデメリットは受け取る側――つまり読者によって異なるので、一概にはいえないでしょう。そこでぼくの場合の話しをします。
ぼくは、今では読書はほとんど紙でしません。なぜかというと、今は家の敷地を作っているのですが、そのときに耳で聞くと非常に読書が捗るからです。そのた -
情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その33(1,542字)
2021-05-25 06:00110pt人間は、誤る。むしろ、誤った方がいい。いや、誤らないとまずい。
なぜなら、成長(進化)に誤りは不可欠だからだ。そして、成長しないと、人は死ぬ。死を避けるためには、誤るしかないのである。
しかしながら、誤ったままでも、人は死ぬ。だいじなのは、「誤った後に正解へと戻ってくること」だ。この「誤った後に正解に戻ってくる力」のことを「レジリエンス」という。近年、レジリエンスは人が生きていくためにはきわめて重要な能力だとして注目されている。
では、レジリエンスとはどのようなものか?
また、どうすれば育まれるのか?
まず、レジリエンスとは「失敗にへこたれず、再チャレンジする力」のことである。では、どうすれば失敗にへこたれず、再チャレンジできるのか?
そこで必要なのは、以下の3つの要素であろう。
1.失敗を最小限でとどめること
2.失敗を活かせる客観性
3.もう一度チャレンジする気力
順に見ていきたい。
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好きなことを見つける方法:その3(2,013字)
2021-05-24 06:00110pt人間には好奇心がある。
好奇心がどのようなメカニズムで発生するのか――ぼくはまだよく知らないが、しかしそれはほとんど脳内にプログラムされているといってよい。まだ物心がついていない幼児にも、好奇心はある。いや、彼らは「好奇心の塊」とさえ言っていい。言葉さえ喋れないうちから、人は好奇心の虜なのだ。
その意味で、好奇心はほとんど人間の「欲望」とさえだろう。よく「三代欲求」などといって、食事・睡眠・セックスは本能的に求めるものと定義されるが、これに好奇心を加えてもいいくらいだ。好奇心を、「第四の根源的欲求」ということもできるだろう。
幼児の本能的な好奇心を証明するのに、格好の存在がある。それは「ボタン」である。あるいはスイッチだ。幼児はこれが大好きなのだ。
幼児は、ボタンを見ると押下する。もちろん、そこには「大人の真似をしている」という要素もあるが、それ以上に大きいのは、ボタンを押すことによって何 -
現代の結婚はどうあるべきか?(1,734字)
2021-05-21 06:00110pt1新垣結衣さんと星野源さんが結婚したので、今日は結婚について書いてみたい。
まず、結婚は現代において最も価値観の変わりつつある(しかもそれは今後ますます変わると予測される)社会慣習だ。だから、端的にいって難しい。これまでの価値観で結婚をすると、全く上手くいかない。
結婚をする最大の目的の一つに「子供を生む」ということがある。子供を生むことは社会から要請されている。なぜなら、人類の根本的な欲求として「種の存続」があるが、個人個人が死ぬという宿命を背負わされている以上、それは「子供を生む」ということによってしかなし得ないからだ。その意味で、子供を生むということは、人類全体にとって最も重要なテーマなのだ。
だから、結婚という制度も当然「子供を生む」ことを前提にデザインされている。子供を生むための制度として存在しているといっても過言ではない。
そのため、結婚をする以上は、子供を生まないと「損」である -
マンガの80年代から90年代までを概観する:その7(2,182字)
2021-05-20 06:00110pt2マンガは、実は読者の「身体感覚」に訴えかけるものだ。
昭和の中頃、『新宝島』を見た当時の子供たちは、なぜ画面を見て「車が本当に走っている!」と感じたのか?
それは、マンガが読者の身体感覚を刺激したからだ。それは一種の「バーチャルリアリティ」だった。
マンガにはもともと、「聞こえないはずの声が聞こえる」というバーチャルリアリティ的側面がある。これと同じように、動いていないはずの身体が動いているように感じる――というバーチャルリアリティもあるのだ。
そう考えると、マンガの歴史を代表する名作は必ずと言っていいほど身体感覚に訴えかけてくる「動くマンガ」ばかりだ。
『新宝島』『鉄腕アトム』『巨人の星』『あしたのジョー』『アタックNo.1』『エースをねらえ!』。どれも動く。『童夢』や『AKIRA』もよく動いた。『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』も身体感覚に訴えかけた。
それは、岡崎京子や松本大洋のよ -
[Q&A]人がアナログなコミュニケーションを好むのはなぜか?(3,087字)
2021-05-19 06:00110pt[質問]
いつも有益なメルマガありがとうございます。
下記のコメント拝見しました。
ぼく自身、離婚してから『もしドラ』がヒットするまでの12年間は、疑うことなく弱者男性として生きてきたので、その辛さは骨身に染みています。
ただ、弱者男性でも楽しく生きる道はあります。ぼくの場合はその頃図書館をよく利用していて、そこで調べ物や考え事をするのが至福のときでした。
もちろん、いつも自殺念慮とともにあったので、つらいことはつらいですし、もう二度とそういう生活をしたいとは思いません。しかし、逆にそこまで追い詰められたからこそ、たくさん成長できたということもあると思っています。
人間万事塞翁が馬とのことですが、成功者には失敗を聞いた方がよいとしりましたので、いままでで一番つらかったこと、失敗したことは何でしょうか。また、もしドラがヒットした根本のきっかけをご教示願います。
[回答]
一番つらかったことは -
情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その32(1,753字)
2021-05-18 06:00110pt「人間は本質的に間違う」
これは、自分で言うのもなんだが恐ろしい発見である。ここまで連載を続けてきたのは、この結論に達するためだったのかもしれない。これを知ることこそ、情報リテラシーの本質とさえ言えるだろう。
例えば、「差別は誤りだ」というのは、誰でも受け入れられる考え方だが、しかしそれゆえ、誤りだ。差別はむしろ正である。差別がないと、世の中が回らない。
例えば、猫は差別をする。だから、猫の世界は回っている。そして猫は、「差別は良くない」などとは考えない。ただ単に差別するのみである。そんなふうに、初めから正しい。猫は間違わない。
一方人間は、「差別は良くない」と間違う。そうして、それに則って行動する。ところが、それは誤りなので、やがて上手くいかなくなる。そうして、精神を病むか肉体を病むかして、やがて死んでしまう。
ここに至って、人は初めて気づく。
「差別を否定してはダメなのだ」
そうして、
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