-
庭について:その36(1,878字)
2023-06-30 06:00110ptガートルード・ジーキルの庭造りはどのようなものだったのか?
ここでジーキルの生い立ちを簡単に見てみたい。19世紀半ばの1843年、ロンドンに生まれる。ちょうどロンドンの公害が深刻さを増す一方、植物園が人気を博す頃だった。
5歳のとき、ロンドン南西に位置するサリー州に移動する。当時のサリー州は、ロンドンの隣とはいっても文化的にだいぶ隔たっていて、まだ18世紀の古き良き景観を残していた。ここでジーキルは自然の魅力に目覚める。特に植物を見たり育てたりするのが好きになった。
またジーキルは、単に趣味として植物を好んでいただけではなく、学術的な研究や分析も行った。生態系全体を観察して相互の関係を読み取ったり、植物の種類や成長度合いを見て取り生育のメカニズムを学んだりした。
1861年、17歳の頃になると絵の学校に通いはじめ、いつしかアーティストを志すようになる。2年後の19歳のときには、卒業をきっか -
お金にまつわる思考実験:その35(1,603字)
2023-06-29 06:00110pt『シムシティ』というゲームがある。街を造るシミュレーションゲームだが、今度最新作が出るそうだ。
Traffic AI I Feature Highlights #2 I Cities: Skylines II
このゲームで重要なポイントとなっているのが「道」である。街を造るということは、すなわち道を造るということなのだ。
そして、道は経済と深く結びついている。お金と深く結びついている。「タイム・イズ・マネー」という言葉があるが、「ロード・イズ・マネー」ともいえる。ロードを造るのにもお金がかかるが、ひとたび造り出されるとそれがお金を生み出しもする。
ところで、このロード――道の進化には「イノベーションのジレンマ」がつきまとう。特に、AI技術の進化にはそれが避けられない。
なぜかというと、AIが進化すると道交法違反者をロボットが取り締まれるようになるのだが、そうなると警察官の行き場所がなくなる -
[Q&A]不倫を報道することは必要か?(1,745字)
2023-06-28 06:00110pt1[質問]
広末涼子さんの不倫に対する世間の反応が賛否両論です。鬼の首を取ったかのように批判する人がいる一方で、犯罪でもない単なるプライベートのできごとなのだから、そもそも報道するのがおかしいという人もいます。ハックルさんはどのようなご見解ですか?
[回答]
ぼくは、確かにおかしいとは思いますが、まあ仕方ないとも思います。というのも、広末さん自身が「不倫はしません」というスタンスを、はっきりとではなくても暗に示していたところがあるので、それを裏切ったというところはあるでしょう。
ぼくは、「不倫は文化」という言葉もありましたが、今の時代、男も女もして当然だと思っています。しかし、結婚という制度に対してそれが相反するのならば、これからますます結婚する人が減るのかなとも思っています。
[質問]
子供の教育のことで質問です。ハックルさんのブロマガを読んでいると、今の学校教育はあまりにもおかしく、必要 -
アーティストとして生きるには:その11(2,215字)
2023-06-27 06:00110pt70年代まで、日本では(あるいは世界でも)大多数の人が「無意識」に生きていた。しかし70年代の10年間を通して、徐々に意識的な人が増え、1980年代になると、その割合が逆転した。
それは、当時の流行歌に暗示的に現れている。例えば『北の宿から』という70年代を代表するヒット曲があるが、これは70年代のちょうど半ば、1975年のヒット曲だ。
面白いことに、この曲は「無意識人間」から「意識人間」への変身を示唆している。無意識的な内容で始まりながら、やがて意識的な内容へと変化するのだ。
まず、一番の歌い出しが、
「あなた変わりはないですか/日毎寒さがつのります」
である。
これは、いわゆる手紙の「定型文」だ。誰でも真似をすれば書けるもので、つまりは「無意識」人間のためのツールである。
ところが、この曲の2番の歌い出しはこうである。
「あなた死んでもいいですか/胸がしんしん泣いています」
言うまでも -
石原莞爾と東條英機:その4(1,504字)
2023-06-26 06:00110pt1東條英機の父・英教は、1888年に陸大を卒業した後、ドイツ・ベルリンに留学する。このとき33歳。
そこへヨーロッパを視察旅行に訪れていた山縣有朋が来る。すると英教は、同じく留学していた陸大の同期・井口省吾とともに山縣有朋をホテルに訪ね、陸軍の長州閥をあらためるよう、かなり強い口調で詰め寄った。
このとき、山縣有朋は何も返事をしなかったという。しかし腹の中は煮えくり返っており、自分の目の黒いうちは英教と井口省吾を出世させないと難く心に誓い、周囲にもそれとなく伝えた。
おかげで英教は陸軍内で立場をなくした。しかし捨てる神あれば拾う神ありで、鹿児島出身の川上操六が目をかけてくれ、彼の部隊でいくらか立場を回復した。当時の陸軍は、確かに長州閥が牛耳っていたが、その権勢は必ずしも盤石ではなかった。建前的には身分制度のない平等な世の中で、軍人も全国から集まっていたから、長州閥を快く思わない者もそれなりに -
庭について:その35(1,670字)
2023-06-23 06:00110pt19世紀には支配的だった「風景式庭園」は、やがて貴族の衰退とブルジョワの台頭と共に廃れていく。
なぜならブルジョワは、貴族ほどの広大な庭園を所有することはできなかったからだ。そのため、風景式庭園を造ることは非現実的だった。それよりも、自分たちの邸宅の適度な広さの庭にマッチした新しい様式が必要だった。
そうしてできたのが「コテッジガーデン」という様式である。「コテッジ」とは、郊外に建てられた比較的小規模な建物のことを指す。ここで「郊外」というのが重要である。
というのも、当時の都市はすでに「公害」と「過密」が進んでおり、人々が庭を楽しむような場所ではなくなっていたからだ。その代わり、都会で庭を楽しみたい人のためにテーマパーク化された植物園や、公園などが用意された。
そうして新興の中産階級(ブルジョワ)は郊外に小規模な邸宅(コテッジ)を有し、そこで庭を楽しむようになった。ガートルード・ジーキル -
お金にまつわる思考実験:その34(1,843字)
2023-06-22 06:00110ptTPSによって道をどう作るか?
それを考える前に、現代道路の成り立ち(構造)から見ていきたい。
現代道路というのは、なかなか面白い。というのも、それが芸術的ともいえるくらい、よくできているからだ。
19世紀の末頃から、石炭に代わって石油が新しいエネルギーとして注目されるようになった。原油から各種の油を精製する技術が発達したからだ。
そうして石油は一気に大量に精製されるようになった。それにともなって、精製された石油のうち、最も重い部分が余るようになった。石油は精製すると軽油とか重油とかガソリンとかに別れるが、そのうちの最も重い部分がアスファルトである。
このアスファルトが、他に使い道がない上に、大量に余るので、何か使い道はないかということになった。それで、「道の舗装がいい」ということになったのだ。
というのも、これは一石二鳥のアイデアだったからである。当時、ちょうどモータリゼーションが起こっ -
[Q&A]どのような金融投資をしていますか?(1,545字)
2023-06-21 06:00110pt[質問]
iCloudストレージの使用容量がもう少しで上限に達します。というメッセージが送られてきます。50GBなんてスグです。もう少し削除したりした方がいいのかな、とも思ってはいますが、、、ハックルさんは、iCloudストレージの使用容量はどれくらいでしょうか?
[回答]
ぼくは割り切って2テラです。お金を払って最大化していますが、快適ですね。これは十分、お金を払う価値があると思っています。
特に、ぼくの場合は家族で共有していますので、そこのところでも経済効果は高いものとなっています。今のところ1テラも使っていないので、まだまだ余裕がありますね。今見たら843ギガ使っていました。ローカルのバックアップは一部していますが、ほとんどしていません。
[質問]
岩崎さんの好きな詩人は誰ですか?
[回答]
やはり甲本ヒロトと真島昌利ということになりますね。彼らがいなかったら、ぼくはかなりダメだった -
アーティストとして生きるには:その10(1,868字)
2023-06-20 06:00110pt人間社会(人類の生態)は70年代を境に大きく変化した。正確には1980年頃が境なのだが、そこへの助走期間が70年代にあったのだ。
どういう変化かというと、人間の「意識」が「無意識」より優勢になるのだ。それまでは無意識の方が優勢だったから、そこが逆転したのである。
「メディテーション」や「アート」との関係でいうと、70年代までは過半数がメディテーションやアートを必要としなかったが、80年代からは必要とする人が過半数になった。そして、そうした社会要請の萌芽のようなものが、70年代に現れるのである。
70年代から、意識的に生きる人が各段に増えた。なぜかというと、意識的に生きて知能を使うと、経済活動において有利になり、生存確率が上がったからだ。無意識的に生きていたのでは、安い給料に甘んじるようになった。それよりも頭を使った方が、高い給料をもらえるようになったのだ。
これは人類史にとって大きな転換で -
石原莞爾と東條英機:その3(1,644字)
2023-06-19 06:00110pt東條英教は1855年に東京で生まれる。1868年、13歳で明治維新を経験した後、1873年、18歳で陸軍に入隊する。
1877年、22歳のときに西南戦争に出征。そして1885年、30歳のときに陸軍大学を首席で卒業する。同期には4歳下だが『坂の上の雲』で有名な秋山好古などがいた。
1884年、陸軍大学を卒業する少し前の29歳のときに、「三」男の英機が生まれる。1886年、31歳でドイツ留学。1891年に36歳で少佐、1901年46歳で少将となる。
1904年、49歳のとき、少将という立場で日露戦争に出征。ところが同年暮れ、内地に左遷され、1907年、52歳のときに実質的な引退である予備役に回される。このとき、名誉昇進で中将になったものの、実質的には少将どまりであった。会社でいえば部長クラスでの早期定年退職で、役員に昇級することはおろか陸軍にとどまることすらできなかった。
英教は、なにしろ陸軍
1 / 3