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1974年春、池田高校は人々にとってどのような存在となったのか?

まだ誰も池田高校の名を知らなかった。もちろん蔦文也の名も知らない。徳島県は強豪県の一つではあったが、それにしても無名の田舎の公立校が勝ち進めるほど甲子園は甘い場所ではない。ましてや部員が11人しかいないのであれば、初戦敗退かせいぜい一勝が順当なところだろう。

ところが池田高校は初戦の函館有斗を4-2、二回戦の防府商も3-1と立て続けに破った。しかも勢いに乗った準々決勝は倉敷工に延長12回の末に競り勝つ。点差の上でこそ辛勝だったが、勢いでは完全に勝っていた。文也の采配ミスがなければもっと楽に勝てた試合だった。

おそらく、全国の高校野球ファン、あるいは一般の人々にも池田の「さわやかさ」が強烈に植えつけられたのはこの試合においてだろう。なにしろ、さんざん拙攻を積み重ねた。試合「巧者」ぶりではなく「劣者」ぶりをいかんなく発揮し
移動感覚はどう養えば良いのか?
それにはやはり、家から駅までの「行程」を工夫するということが一番だろう。その工夫の過程で移動感覚が養われる。

ではどう工夫すれば良いのか?
これにはいくつかのアプローチがあるが、まずは家から駅までのルートを三つ作ることである。ルート1、ルート2、ルート3の三つのバリエーションを作るのだ。

このバリエーションを作る過程で、いろいろと工夫が生まれる。例えば時間的には最短だが、距離的にはこちらの方が短い。直進した方が早そうだが、信号の折り合いで考えるとあえて回り道した方が良い。こちらの道は遠回りだが、車がなくて安全だし、景色も良い。

そんなふうに、それぞれの道の長所短所などを考えながら、個性の異なる三つのルートを作り上げるのだ。

これは、ぼくが子供の頃に実際にしていたことである。そしてこれは、する人は当たり前にすることなのだが、しない人は当たり前のようにし
[質問]
長渕剛さんが1992年に東京ドームで、ほとんど1人でギター1本で弾き語りをする伝説のライブがあったのですが、その時、観客が6万人くらい、いたのですが、見る限りでは、全然、緊張してなくて平常心でした。普通の人だったら、びびって足や手が震えると思うのですが、いったい、どういう心理状態なのでしょうか? エンタメ博士のハックルさんの考察をお願いしたいです。 

[回答]
これは簡単です。そういう特別なライブには長渕さんの熱心なファンしか来ません。そのため圧倒的な「ホーム」が形成されます。これはアーティストにとっては文字通り「家に帰る」ようなもので、緊張する要素はゼロといっていいいでしょう。むしろリラックスするくらいです。なぜならたとえ六万人だろうとそれは「家族」だからです。

逆に、たった一人でも知らない人や長渕さんを嫌いな人がいると、長渕さんでも緊張するはずです。人は「アウェー」でこそ
ハックルベリーに会いに行く

『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。

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岩崎夏海

1968年生まれ。男性。本名同じ。東京都日野市出身。東京芸術大学美術学部建築科卒。 秋元康氏に師事し、放送作家や秋元氏のアシスタントとして17年間働き、AKB48にも関わる。独立後、『もしドラ』を著し41歳で作家に。 ブロマガのタイトルは、大好きなザ・ブルーハーツの「1000のバイオリン」より。

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