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記事 23件
  • 庭について:その78(2,274字)

    2024-05-31 06:00  
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    明治期に小川治兵衛(おがわじへい)という庭師が活躍した。彼は「近代」日本庭園の先駆者、あるいは創始者ともいわれる。つまり明治以降(大名庭園以来)の新しい庭を造り、その方向性を形作った人物なのだ。
    治兵衛自身は、まだ江戸期の1860年に、現在の京都府長岡京市に生まれる(長岡京市は京都と大阪の中間地点である)。10歳のとき、京都の名門庭師だった六代目小川治兵衛の養子となって、七代目小川治兵衛を名乗るようになる。後に、植木屋の治兵衛なので「植治」と呼ばれた。
    そんなふうに、植治のルーツは京都である。幼少の頃から、京都の庭をたくさん見てきた。それで、彼の中に当時としては特殊な「作庭観」が育まれる。江戸時代に主流だった大名庭園の広大さを志向するのではなく、かといって当時流行していた西洋風を志向するでもなく、あくまでも京都の伝統に固執した、限られた土地に囲って作る、昔ながらの日本庭園を志向するのだ。

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  • 1994:その17(1,536字)

    2024-05-30 06:00  
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    1994年は今から30年前である。1984年はそこからさらに10年遡った、今から40年前である。
    その時代に、ユーミンとサザンがシャーマニックな働きをなし、日本の文化の方向性を、ある種決定づけていった。あるいは、すでに方向づけられた社会の動きに、彼らが言葉を与えていったということもできよう。「歌は世に連れ世は歌に連れ」というが、当時、この言葉はまさに彼らのためにあった。
    変な話だが、ぼくの妻の岩間よいこは1985年4月の生まれである。つまり身ごもったのが1984年だ。そのため彼女の両親が、ユーミンやサザンが方向づけた世界線の中で恋愛をし、セックスをしていたのである。それで産み落とされた存在が岩間よいこである。さらにその岩間よいこが産み落とした竹という存在が、ぼくの子供にもなっている。なんとも不思議な話だ。
    そう考えると、1984年の時代の方向性は、今現在も、全ての日本人にとって無関係とはい

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  • [Q&A]「成長するスキル」とはどのようなものでしょうか?(1,615字)

    2024-05-29 06:00  
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    [質問]
    誰かの言葉を受け取る時、同じ内容であっても、肉声で聞くのと文章で読むのとでは、どうしても違ってしまいます。岩崎さんが誰かの言葉を聞いたり読んだりするときに、注意している点があれば教えてください。
    [回答]
    ぼくは、まず人の話しを聞くときは、だいたい目をつぶってその人の声のトーンに意識を向けます。「トーンは口ほどにものを言う」という感じなので。
    それと、トーンを聞いていればその人がどういう顔をして話しているかがはっきりと分かります。ですから、その人の目を見るよりずっといいですね。ぼくはだいたい、人の話しを聞くときは、その人の顔を見ないように注意しています。
    また読むときは、だいたいその文章の全体像――分量を知ることから始めます。その点、紙の本は一目瞭然ですが、ネットの記事でも、最後までスクロールあるいはページ送りして、どれくらいの分量かをわざわざ確認してから読みます。
    なぜかという

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  • 劣化する人:その24(1,615字)

    2024-05-28 06:00  
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    「劣化する人」がこの世に増えたのは、そういう教育をしてきたからだ。そのため、これからの教育は、「劣化する人」にしないよう、注意する必要がある。
    ところで、なぜぼくが「劣化する人」を問題視しているかといえば、社会の中で居場所を持つ人を、より多く作りたいからだ。社会において、有機的に機能する人が多くなれば、それは安全や平和に直結するため、誰にとっても得となる。
    そしぼく自身は、そういう社会の得を、なるべく多く作っていく必要がある。なぜかといえば、そうしないと、社会の中でぼく自身の居場所をなくすからである。
    ところで、今の「劣化する人」と同じスペックの人は、30年前には「劣化する人」ではなかった。なぜかというと、30年前まで、つまり1994年頃までは、50歳になっても60歳になっても、同じことしかできなくても社会に居場所があったからだ。バカの一つ覚えで同じことをくり返していても、それはそれで需要

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  • 石原莞爾と東條英機:その49(1,857字)

    2024-05-27 06:00  
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    皇道派の荒木貞夫は「気のいいおっさん」だった。気のいいおっさんで若者好きだったのだが、こういう人物はときどきいる。
    そしてここからが少し複雑なのだが、荒木貞夫はやはり頭が少し悪かった。陸大を主席で卒業しながら「頭が悪い」とはどういうことか? それは「言われたことは苦もなくできるが自分の頭で考えるのが苦手」ということである。エリートや秀才には、このタイプが一定数いる。
    また荒木の盟友・真崎甚三郎は自己顕示欲の塊だった。いうならば真性の「俗物」だ。荒木と真崎は、お坊ちゃんとその取り巻きの俗物という感じで相性がいいのである。
    ちなみに真崎は昭和天皇とも非常に相性が良く、戦後においても何くれとなく引き立てられた。やはり、人の上に立つ育ちの良い人間にとって「俗物の側近」ほど助けになり、頼りになる人物はいないのである。ここが、育ちの良い人間が人の上に立つということの本当に難しいところだ。
    また越境将軍

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  • 連載についてなんとなく考えてみる(1,105字)

    2024-05-24 06:00  
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    いまだに下痢は続いているが、体調はだいぶ良くなってきた。今日で長かった一週間が終わるが、今月はなぜか予定が立て込んでいてなかなか休めない。しかも、雨が降らなくて気が滅入る。普通は雨がやまなくて気が滅入るのだが、ぼくの場合は庭で植物を育てているので、雨が適度に降ってくれないと困るのである。暑いのと日照りは植物にとって大敵なのだ。
    今日はなんとなく今している連載についての雑感を書いてみたい。来週からも頑張れるように、自分自身、気持ちを新たにするという意味もある。
    『石原莞爾と東條英機』
    総じていえることは、この時代を生きていた全ての人間は「幼い」ということだ。東條英機も石原莞爾も、まるで子供のような無邪気さを有している。子供のように無邪気だから、気が狂った戦争に突入したのだ。これはもちろん軍人だけではなく、全ての日本人がそうであった。おそらく外国人もそうであろう。20世紀前半を生きた人々は、皆

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  • 病気というのは体力・気力の見積もりが甘いときにかかる(364字)

    2024-05-23 06:00  
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    病気というのは体力・気力の見積もりが甘いときにかかるのではないか。「これくらいなら大丈夫だ」と甘く見積もって予定を入れすぎると、体力か気力かが尽きて病気にかかる。風邪などもそうだが、癌などもそうだと思う。違う言い方をすると「無理がたたる」ということなのだが、本人が「無理が利く」と思っているところがやっかいなのだ。
    体力・気力の見積もりが甘いからこそ招く惨事という意味で、病気は遭難に似ている。だから、我々はもっと遭難について学ぶべきだと思う。実際、遭難というのはものすごく人の胸を打つ。遭難に興味がない人はいない。それは、誰もが遭難は他人事ではないから、他山の石とするために関心があるのだ。
    ということで、今日は遭難の動画を紹介したい。単なる遭難の記録なのだが、ついつい最後まで見てしまう。
    【トムラウシ山遭難事故】 地形図から解説

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  • なぜぼくはストレスを溜めているのか?(1,106字)

    2024-05-22 06:00  
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    体が悪くなると心が挫ける。逆に、心がくじけるから、体も弱るということがあるだろう。ぼく自身、ストレスから体調を崩し、体調が崩れて気力も崩れた。何もする記が起きず、原稿も書く気がしない。
    ぼくは、死とはこういうものだろうと思う。最後は、生きる気力がなくなって、それで体も活動を終える。だから、気力が保てば生きられる。ただし、その気力を保たせるのは体力なので、そこのところが挫けているから、やはりなかなか生き続けるのは難しいだろう。
    昔、千代の富士が引退の時に、「体力の限界、気力も衰え、引退を決意しました」といっていたのが印象に残っている。なぜなら、体力が衰えるのは分かるが、気力が衰えるというのは、当時のぼくには想像がつかなかったからだ。特に、千代の富士のような気力に溢れた人間の、その気力が衰えることなどあるのだろうかと疑問に思った。
    しかし今なら分かる。体力が衰えると、気力も続かないのである。だ

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  • ぼくは体が弱いのか強いのか(804字)

    2024-05-21 06:00  
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    先週の木曜日にひどい逆流性食道炎で眠れない一夜を過ごした。金曜日から運が悪いことに東京での用事があり、二泊三日で東京へ行った。
    その間、今度はなんと下痢が治らず、途中で食べたものを吐いて、胃腸が拒絶状態を起こした。おかけでほとんど何も食べられず体重が一気に3キロも減ってしまった。
    直接的な理由は胃腸にウィルスか菌が入ったことだと思う。胃腸がそれを排出しようとして大暴れした。熱は出なかったが栄養失調で力が出ずふらふらしている。意識ははっきりしているが始終トイレに行くので眠りが浅い。そんな土日を過ごした。
    しかし、そのさらに大元はやはりストレスだろう。ストレスで胃腸が弱り、菌やウィルスに抵抗できなかったのだ。
    月曜になっても下痢は治っていないが、胃の方はなんとか持ち直して少しだけ食べられるようになった。厳密に言うと、食べても吐かなくなった。
    ぼくは胃が弱い。胃酸が過剰に出るのはその弱い胃が異物

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  • 本日もお休みさせてください(72字)

    2024-05-20 06:00  
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    申し訳ありませんが、本日もお休みさせてください。体調はどうにか戻りつつありますが、なかなか深く考える気力がないのです。申し訳ありません。

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