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知らないと損をする世界の裏ルール:その4「人はなぜ死ぬのか?」(1,591字)
2022-01-31 06:00110pt人がなぜ死ぬのかというと、そうすることで宇宙のエネルギーの均衡が図られるからである。そもそもこの宇宙は、深い意味でのサスティナビリティが高い。そのため、エネルギーの均衡が図られやすい。おかげで時間は、基本的にスムーズに流れている。
それを前提とする中で、死は自然的・必然的に発生している。だから、あまり深く考えても仕方ないのだ。人間がこれを感覚的に理解するには「そういうものだ」と受け止めるのが一番の近道だろう。
人間が死ぬことは、宇宙がとても自然でスムーズに流れる中で発生したできごとなのである。そう考えると、「死なない」ということには、大きな無理がある。そして、宇宙のような巨大なエネルギーを前にすると、無理というのはそうそう実現させられることではない。だから、「死なない」という現象も成立しないというだけの話である。
ただ、これを逆に考えると、時間が逆流するような巨大なエネルギーを生み出すこと -
トヨタ生産方式について考える:その6(1,601字)
2022-01-28 06:00110ptぼくが成長した時期というのは、人生で大きく3つある。
1つは大学受験をした18歳のとき。
1つは放送作家見習いをしていた22歳から25歳までのとき。
1つは放送作家をクビになって収入が途絶えた30歳から32歳までの2年間だ。
なぜその時期に成長したかというと、圧倒的な「自習」をしたからだ。その意味で、自習こそが人を成長させるといえるのである。
では、「自習」とは何か?
それについて、最近、ぼくは恐ろしいことに気づいた。それは、自習とは「学習の仕方を自分で考えること」なのである。「勉強をすること」ではなく、「勉強方法を考えること」なのだ。これを自習というのである。
これは、すごい発見だ。ぼくは、『トヨタ生産方式』を読んだおかげで、この概念を導き出すに至った。
トヨタ生産方式というのは、いくつかのメソッドやスキームはあるものの、根源的には決まった形があるわけではない。トヨタ生産方式の根源は、方 -
マンガの80年代から90年代までを概観する:その39(1,985字)
2022-01-27 06:00110ptニヒリズムという思想は、現代の人々にはほぼ忘れ去られている。しかし終戦から70年安保の頃くらいまで、若者の間にはその嵐が吹き荒れていた。とにかく、ニーチェが流行りまくった。若者は、一も二もなくニーチェを読んだ。
『おれは鉄兵』という、ちばてつやが1970年代(つまりニーチェの流行が終息した直後)に描いた、ぼくの大好きなマンガがある。
おれは鉄兵 全31巻
このマンガには、主人公・鉄兵の友だちとして、ニーチェを読みまくる中学生が出てくる。あだ名はそのまま「ニーチェ」で、『ツァラトゥストラは如く語りき』を読んで興奮したりしているのだが、運動は全くできず、また勉強もできない。しかしながら、運動神経抜群ではあるもののやっぱり勉強はできない鉄兵とは馬が合い、奇妙な友情を構築していく。
ぼくは、このニーチェというキャラも好きだったが、その描かれ方は、「ニーチェのような時代遅れの本を読んでいる堅物ゆえ -
[Q&A]喫煙を注意された男が男子高生に重傷を負わせた事件についてどう思うか(2,001字)
2022-01-26 06:00110pt[質問]
SNSをしている人ほど不幸に、なるともいわれています。クレームや批判が、気になっている人が、多いように見えます。批判されるほど自分の主張に固執していくように見えます。また妬みや嫉妬も出るようです。
日本はSNS利用はトップクラスらしいです。ということはSNSとの上手い付き合い方があれば教えてください。よろしくお願い致します。
[回答]
SNSとの上手いつき合い方――というのは難しいですね。ぼくの見ている限りでも、最近は文化人の常軌を逸した論争――というよりも喧嘩が、Twitterでは絶えないので、少なくともTwitterには、確実に人を狂わせる何かがあるのだと思います。
一方で、そういう狂喜とは無縁にTwitterを楽しんでいる人が多いのもまた事実で、そういう人たちの使い方を参考にするといいかもしれません。
一つには、全く個人的なつまらないことをつぶやき続ける人。ほとんど独り言に -
生きるとは何か?:その18(1,951字)
2022-01-25 06:00110pt生きるとは何か?
結論からいうと、それはエネルギーが変位する状態であり、その一過程に過ぎないのだが、人間には意識があり、また思考をするため、立ち止まってふと「生きるとは何だろう?」と考えたりする。
しかし、そもそも「生きている」ということは、人間の思考の概念を超越しているので、なかなかすぐには「状態のことである」という結論には至らない。ところが、面白いことに古代の思想家たちは、そういう結論に達していたし、それ以降も分かっている人はたくさんいた。
ぼく自身が「生きるとは状態である」ということを知ったのは、最先端の科学を学んだからでもあるが、同時に古代人の知見も知っているからでもある。またそれ以上に大きいのは、ぼく自身が実感としてそう思っているということもある。
ぼく自身は、子供の頃の記憶が他者と比べて少ない。一番古い記憶は、祖母の記憶である。幼い頃、祖母の家に行ったこと。祖母と電車を見に行っ -
知らないと損をする世界の裏ルール:その3「差別はなくならない」(2,062字)
2022-01-24 06:00110pt多くの人が、「差別をしてはならない」と考えている。が、そのことが人の判断を狂わせ、結果として人間関係を阻害し、社会を混乱させている。なぜかというと、「差別をしてはならない」という考えは、端的にいって誤りだからだ。それを押し通そうとするので、無理が生ずるのである。
まず、この世から差別はなくならない。むしろ、差別がないと人間社会は存続しない。その意味では「必要悪」といえるかもしれない。しかし差別は、「悪」と呼ぶことすら憚られる、もっと奥の深い概念である。
なぜ差別がなくならないかというと、差別のない世界というのは、すぐに「新たな差別を生み出す」という矛盾に突き当たるからだ。
例えば、「貧乏人を差別してはならない」とする。平等に扱わなければならない、と。お金持ちと貧乏人の権利を同じにし、平等にしようとする。
ところが、これを実現すると、逆にお金持ちも、貧乏人と平等に扱わなければならなくなる。お -
トヨタ生産方式について考える:その5(1,934字)
2022-01-21 06:00110pt2工場を持っている企業は強い。なぜ強いかというと、現場があるからだ。
実は、「現場を持っていること」こそ、イノベーションの生まれる鍵である。だから、現場を持っている企業は強い。というよりも、現場を活かす企業こそが、最も強い。
トヨタは、現場を活かす企業である。では、「現場を活かす」とは何か? それは、現場を実験の場所として使う――ということである。現場そのものを、生産システムを発明するための実験場として活用するということだ。
このソリューションは、とても強い。なぜかというと、一石三鳥だからだ。
第一に、工場は製品を作っているので、それだけでお金が回る。だから、そこで実験をしても、基本的に無料なのだ。タダで実験がし放題である。こんな実験場は、他になかなかない。
第二に、その実験によって、生産効率がますます上がる。だから、原価が下がり、利益がどんどん上がっていく。つまり、実験をすればするほど、企 -
マンガの80年代から90年代までを概観する:その38(2,045字)
2022-01-20 06:00110pt2呉智英の『現代マンガの全体像』という本がある。すでに絶版だが、とてもいい本だ。
現代マンガの全体像
ぼくにとって呉智英は、とても好きな評論家だ。彼の評論は面白いし、すすめるマンガも面白い。ぼくは以前、呉智英がすすめているのを見て、『テレプシコーラ』を読み始めた。
テレプシコーラ/舞姫 第1部 1
これが、とても面白かった。『テレプシコーラ』はバレエマンガの金字塔のみならず、マンガそのものの金字塔でもある。
最初に読んだのは、まだ連載開始当初の2000年頃だったが、当時のぼくはあらゆるマンガをつまらなく感じ、しばらく離れていた時期だった。
だから、これを読んだときは「こういうマンガを読みたかったんだ!」と快哉を叫んだ。ぼくがまだマンガを読める体質であり、つまらなくなったのはマンガ自体の方だったのだと知って、とても安心した。
そんな呉智英が、ギャグマンガの歴史について上記の本の中で触れている -
[Q&A]東大前高2無差別刺傷事件についてどう思うか?(2,095字)
2022-01-19 06:00110pt2[質問]
SNSを見ると文章を読めない人や文脈を読めない人が多い印象を受けますが、なぜ彼らは文章や文脈を読めないのでしょうか?
[回答]
これは多くの人が知らないと思うのですが、人は文章を書いていると凶暴化します。車を運転をすると凶暴化するのと一緒の現象ですね。心の種の箍が外れて、本性がむき出しになってしまうのです。あおり運転の頻発が問題になるのもそのためです。
ただ、全ての人が運転したからといって凶暴化するわけではない(あおり運転するわけではない)のと同じように、全ての人が文章を書いたからといって凶暴化するわけではありません。凶暴化するのは、およそ1割くらいでしょうか。
しかし1割といっても、現実世界で凶暴化する人は1万人に1人にも満たないので、これは相当な数です。現実世界の1000倍以上、凶暴化すると考えていいでしょう。
しかしながら、昔の人は「文章を書く機会」があまりなかった。例外は -
生きるとは何か?:その17(1,774字)
2022-01-18 06:00110pt「意識」というのは幻である。ぼくは、本を読んでそのことを知るまで、全く気づかなかった。しかし言われてみると、納得するところも大きかった。
というのも、そもそもぼくは「無意識」というものの存在が、ずいぶん前から気になっていた。大学1年生のとき、新歓コンパで痛飲し、気づいたら三鷹駅にいた。次に気づいたときには下宿している小金井の祖母の家の布団で寝ていた。新歓コンパの場所は上野だ。
その間、どうやって移動したのかは分からない。しかしぼくは、確かに自分で移動したのだ。救急車に運ばれたり、誰かの世話になったりしたわけではない。祖母に聞いても、普通に帰ってきて寝ていたという。しかし全く記憶がない。
これは全くおかしなことだった。ぼくが無意識に関心を持ち始めたのも、これがきっかけだった。しかしながら、人に話してみると「それはよくあること」と言う。なんなら「大人の仲間入りをした」などと洒落たことを言う人ま
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