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劣化する人:その29(1,726字)
2024-09-24 06:00110pt「劣化する人」というのがぼくの年来のホットなテーマだった。40歳以降に急速に能力を衰えさせる人がそこかしこにいて、どうしてそうなるかというのが不思議だった。だから、それを考察するためにこの連載をした。
すると、そこで分かったのは彼らが短絡的思考人間、モノマネ人間であるということだった。物事を深く、あるいは長く考えず、すぐに結論を導き出そうとするため、モノマネをする。まるでそれが頭が良いことの証明でもあるかのように。
そういう人間は実は多い。なぜかというとこれまでの社会はそういうモノマネ人間に有利だったからだ。特に産業革命以降は有利だった。
なぜなら、機械が発達したことで、機械を扱うモノマネ人間、機械人間の居場所が爆増したからだ。それで人口も爆増したが、増えたのはほとんどモノマネ人間、機械人間の子孫だった。だから、そういう人たちの割合が一気に増したのだ。
しかしそれが21世紀に入って、主にA -
劣化する人:その28(1,602字)
2024-09-10 06:00110pt現代はマルチツールの時代になった。マルチツールとは武器が複数あるということである。専門性が複数あるということだ。そしてこればかりは、あればあるほど有利である。
従って成長・変化のしやすい人ほど有利になっている。逆に、成長・変化の苦手な人が不利になっている。モノマネ人間は、意外なことにこの成長・変化が苦手である。社会の行動様式をそのまま写し取るだけレバから、変化に対応して新しいものを採り入れても良さそうなのに、そうはならない。
そう考えるとモノマネ人間は本質的な意味での「器用さ」というものがない。肉体は器用かもしれないが心が器用ではないのだ。いわゆる懐が狭いのである。
その昔、双葉山という横綱がいた。いまだに最多連勝記録を持つ伝説的な存在だが、その特徴は肩を持っていないことだ。いつでも相手の型に合わせ、取り口を変化させていたのだ。
そのため、必ず相手の攻撃を「受け」ていたという。受けてから対 -
劣化する人:その27(2,054字)
2024-09-03 06:00110pt今回は、「抽象化が上達する方法」について見ていきたい。
モノマネ人間は抽象化できない。それは表層しか見ていないからだ。目に見えているものしか知覚できない。表層の下の本質を理解しないからである。
抽象化は、いうならば「本質を見える化する」ということだ。そう考えると、「抽象化」というのはおかしな言葉である。なぜかといえば、少なからず矛盾しているからだ。
どう矛盾しているのか。まず「抽象」という言葉だけだと、本質つまり「目に見えないもの」のことを指す。ちなみに「抽象」の対義語は「具体」である。つまり「目に見えるもの」のことだ。
「具体的」というのは、「目に見えるようなもの」という意味である。「抽象的」というのは、「目に見えないようなもの」という意味である。「具体的に語る」というのは、実際にあった事実を語ることだ。「抽象的に語る」というのは、実際にあったことの本質を語るということである。
例えば「 -
劣化する人:その26(1,652字)
2024-08-27 06:00110pt劣化する人は傾向として「解剖」を軽視する。彼らの思想は「現れるのは表面だから、表面だけ整えておけば(モノマネしておけば)いいではないか」というものだ。
そのためモノマネ人間は、どうしてもオリジナリティがなくなる。オリジナリティのある人間は、解剖した結果として構造を理解する。その上で、表層には別のものを持ってくる。だから、構造は似ているが表層は違ったもの――が出てくる。これがオリジナリティの正体である。
また、構造を理解した結果、表層の違うものを持ってきても、一見似たようなものになることもある。しかし、実は表層は異なっている。ややこしいが、これは「似て非なるもの」という現象だ。
明石家さんまのモノマネでいうと、明石家さんまが言ったことは、モノマネ人間でも構造人間でも同じようにマネできる。しかし明石家さんまが言わないことは、モノマネ人間にはマネることができないが、構造人間にはマネができる。これ -
劣化する人:その25(1,760字)
2024-06-04 06:00110ptモノマネ人間というのはたいてい表層だけを真似る。本質を理解しそれを自分なりに咀嚼して作り変えたりしない。
本質を理解しそれを自分なりに咀嚼して作り変えることを「換骨奪胎」あるいは「守破離」という。そんなふうに、四文字熟語や慣用句になるくらい、この方法は古来より伝わってきた、確立された人間の成長メソッドなのである。
それゆえ、モノマネ人間にも二種類いるといえよう。表層を真似ただけのものと、換骨奪胎をしたものである。両者は似て非なる存在である。
この両者は、モノマネ人間の一つの究極ともいえる「モノマネ芸人」にも存在する。表層を真似ているだけのモノマネ芸人と、換骨奪胎したモノマネ芸人である。
そうして、以前は「表層」タイプばかりだったが、近年は「換骨奪胎」タイプが増えている。原口あきまさが鏑矢だったように思うが、モノマネをすると、その相手になりきれるという芸である。
換骨奪胎タイプは、モノマネ相 -
劣化する人:その24(1,615字)
2024-05-28 06:00110pt「劣化する人」がこの世に増えたのは、そういう教育をしてきたからだ。そのため、これからの教育は、「劣化する人」にしないよう、注意する必要がある。
ところで、なぜぼくが「劣化する人」を問題視しているかといえば、社会の中で居場所を持つ人を、より多く作りたいからだ。社会において、有機的に機能する人が多くなれば、それは安全や平和に直結するため、誰にとっても得となる。
そしぼく自身は、そういう社会の得を、なるべく多く作っていく必要がある。なぜかといえば、そうしないと、社会の中でぼく自身の居場所をなくすからである。
ところで、今の「劣化する人」と同じスペックの人は、30年前には「劣化する人」ではなかった。なぜかというと、30年前まで、つまり1994年頃までは、50歳になっても60歳になっても、同じことしかできなくても社会に居場所があったからだ。バカの一つ覚えで同じことをくり返していても、それはそれで需要 -
劣化する人:その23(1,797字)
2024-05-14 06:00110pt劣化する人のことを考えるたびに思うのだが、この50年で社会は大きく変化した。何よりその価値観が変化した。これまではロボット人間が有用だったが、これからはオリジナル人間が有用になった。そうして、ロボットの人間の居場所がなくなった。
人類の長い歴史の中で、ロボット人間の価値がこれほど低下したのはおそらく初めてではないだろうか。人間はその特性上、「社会」と「道具」が不可欠な生き物である。社会と道具がなければ、人間は生きていけない。ここが他の動物と大きく異なるところだ。
そして、社会を構成する上でも道具を使いこなす上でも、ロボット人間はどうしても必要だった。
それはまず社会の構成要因として有用で不可欠だった。指導者が求めることをその通りすることが社会成立には欠かせないからだ。
また、道具を使いこなすのはモノマネ人間の得意技だった。鍬一つでも使い方の上手い下手がある。そしてモノマネ人間はその習得が上 -
劣化する人:その22(1,776字)
2024-05-07 06:00110pt2024年の今、劣化する人が目立っているのは、単純に劣化する人が行き詰まっているからだろう。行き詰まっている理由はただ一つで、コンピューターの進化などによって「モノマネ人間」の需要が極端に下がったからだ。
例えば、昔はどこの会社でも「電話番」というのが重要な仕事だった。おそらく2010年くらいまでは重要だった。出るタイミングや応答の文言などが、高度にマニュアル化されていた。
そして、そういうものが得意なのはモノマネ人間だった。電話番の他に、メーカー企業はどこもたいていカスタマーセンターという部門(はじめは内部組織がほとんどだったが、次第に外部委託がほとんどになった)があり、客からの問い合わせや苦情に対応していた。
そういうところで働く人間は、モノマネが上手ければ上手いほど良かった。なぜなら業務は高度にマニュアル化されていたので、それをどれだけ正確に再現できるかがだいじだったからだ。
80年 -
劣化する人:その21(1,922字)
2024-04-30 06:00110pt今の教育のどこが問題かというと、満7歳の年度から始まる小学校での、生徒同士の関係性の在り方だ。ここで同じ学年全員に対して横並びの教育が始まるため、出遅れると劣等感を味わう羽目になる。
人間は、7歳にもなるともう立派な社会性を身につけているので、横並びの中での自分の順位は本能的に、かつ非常に気になる。この特性を利用して子供たちを勉強に追い込むのが、明治以降に始まった学校教育の最も基本的なスキームだ。
そして、このスキームの中では当然のことながら本当に勉強ができる子以外は誰も幸せになれない。勉強はできないがモノマネだけは上手い子は、ここで「勉強ができるフリ」をし、なんとか急場を凌ぐ。するとモノマネに味を占め、ますます励むようになる。そうして33年後、あえなく「劣化する人」となってしまうのだ。
さらに、勉強ができない上にモノマネもできない子は、ただただ劣等感を募らせて、以降はいじけた人生になって -
劣化する人:その20(1,942字)
2024-04-23 06:00110pt1劣化する人が増えたのは、結局勉強に向いていない人に勉強をさせてきたからだ。今から60年前の1960年代までは、勉強に向かない人は勉強をしなかった。しかしそこから勉強社会、受験社会に移行し、全ての子供にほとんど強制的に勉強をさせるようになった。
その結果、勉強に向いていない子供も勉強をするようになった。だから、心に不調をきたす子供が増えたのだ。
それでも、中には勉強ができないのに、心に不調をきたさず、学校の成績を上げられる人々も現れた。いわゆる器用で、モノマネが上手い人たちである。彼らは、勉強ができる人のモノマネをすることで、学校時代を乗り切った。そしていい会社に就職し、最初はできる社員のモノマネをすることで好成績をあげた。
ところが、30代後半からきつくなった。10年くらい前まで、「プログラマー40歳定年説」というのがあった。プログラマーは若い人にしか向いていないため、40歳が限界である。
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