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記事 16件
  • 今そこにあるSNS呪いの危機(1,872字)

    2015-08-31 06:00  
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    これは2年ほど前のことだ。ぼくが飛行機の窓から外を撮った写真をツイートしたら、「これって滑走路を走行中に撮った写真じゃないですか? だったらアウトですよね?」というリプライが来た。もちろん、それは停止中に撮った写真で、当時の航空会社のルールに違反していたわけではないのだが(今は走行中でもセーフになった)、そのときに強烈に感じたのが、「多くの人々はぼくがルール違反を犯すことを潜在的、無意識的に望んでいる」ということだった。
    多くの人にとって、ぼくはどうでもいい人間だ。そういう人間がルール違反に手を染めることほど、愉快なことはない。そのために、多くの人が潜在的、無意識的に、ぼくがルール違反を犯すことを望んでいるというわけである。
    そういう、人々の潜在的、無意識的な悪意が言葉となって顕在化することを「呪い」という。人間の心理は不思議なもので、こうした呪いに対する防御力がないと、すぐそれにやられて

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  • 互酬性が人の生き死にを分ける(1,969字)

    2015-08-28 06:00  
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    最近、ぼくのテーマになっているのは「貸し借り」の感覚だ。難しくいうと「互酬性」という言葉になる。「互恵性」ともいうそうだ。
    意味は、相手から何かを恵まれたら、それを相手にもするということである。「借りたら返す」という感覚だ。ぼく自身が、これのあるなし、あるいは多い少ないを、人間評価の基軸にしているということに気づいたのだ。
    ぼく自身、互酬性という言葉を知る前から、常に貸し借りを考えるようなところがあった。それは、「借りを作りたくない」という感覚とは違う。借りることにも積極的なのだが、そこで返すのも忘れたくはないという感覚である。貸し借りで均衡が保たれるなら、貸し借りがなくて均衡が保たれるよりよっぽど良い。だからぼくは、進んで借りるようにしていたし、進んで貸すようにしていたのだ。
    ぼくは、よく人に貸すようにしている。そこで、それを借りない人がいると、「ああ、この人はダメだな」と思う。「借りる

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  • 教養論その2「時代によって変化しない教養」(2,088字)

    2015-08-27 06:00  
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    教養とは何か?
    前回紹介した川上量生さんのインタビューには、「ある時代のあるクラスター(集団)の人たちにとって、コミュニケーションをするのに最低限必要な共通言語」とあった。
    しかしながら、ぼくはこれを定義としては狭いと思った。というのも、必ずしもあるクラスターの共通言語になっていなくとも、能力を分かつ知識というものがあるからだ。共通言語になっていないからこそ、そこで大きな差がつくというものが。
    今日は、そのことについて見ていきたい。
    ここで考えたいのは、上の川上さんの発言にあった「ある時代」ということだ。川上さんは、教養というのは「時代によって変化する」ということをいっている。そして、その代表例に挙げられているのが「シェイクスピア」や「夏目漱石」だ。かつては(昭和ぐらいまでは)それを知っていることが教養だったが、今はそうではなくなっている。あるいは、夏目漱石の生きていた時代は漢詩を知ってい

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  • [Q&A]包容力がありますか?(3,734字)

    2015-08-26 06:00  
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    [質問]
    ホリエモンこと堀江貴文氏の著書を読んで、堀江さんは自分には包容力がないと、自分の能力や才能を周りの仲間や家族、知り合いに分け与えること、能力がない人に無償で奉仕する事が苦手だと、理解できないと言っていて、しかし、これからの時代そういう無償のトレードオフも必要なのかも知れないとも言っています。私自身も器が小さいのか、与えることでのメリットがあるのは分かりますが、自分が努力や苦労で培ってきたものを奉仕するのが、違和感や納得いかない部分がなくはないです。虫けらになりきれてません。ハックルさん自身は包容力はどうなのでしょうか?
    [回答]
    包容力、かどうかは分かりませんが、ぼく自身が先輩と接してきた中で培ってきたものを、自然と他の人との関係にも当てはめているように思います。
    まずぼくは、先輩からいろんなものをもらったという思いがあります。先輩は気前よく色んなことを教えてくれました。ご飯も奢

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  • ライトノベルの書き方:その31「いま、物語を紡ぐことの意味」(2,312字)

    2015-08-25 06:00  
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    今、物語が作りにくくなっている。作りにくいというか、必要とされていない。そもそも小説が売れない。ライトノベルにしても、一部の人気は高いものの、全体としてはビジネスになっていると言いがたい。いや、もっと広い視野で見れば、出版界全体が停滞している。小説はその中でも特に停滞していて、全体の足を引っ張っている。いや、足を引っ張っているというより、今や多くの出版社が見切りをつけてしまっているので、そもそも出版されていない状況だ。そんな状況の中で、ネットで小説を発表する人も増えている。今は、小説を読みたい人より書きたい人の方が多い。そうした傾向に加え、ネット小説だと人気作は似たような作品ばかりになるという構造があるので、物語を巡る状況はますます逼迫している。特に小説は、ほとんど瀕死の状況といっていい。しかし、そうした状況だからといって、物語が持つ本質的な価値そのものが死んだわけではない。物語そのものは

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  • ゆっくりと殺されていく存在(1,952字)

    2015-08-24 06:00  
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    近頃ぼくが思うのは、この国(日本)は驚くほど平和だということだ。犯罪の件数が少ない。それは歴史を学べば学ぶほど感じる。どうしてこうなったのか?
    一番は食料の共有が安定していることだ。食料にさえありつければ、人はやけにならない。そうして犯罪も起こさない。
    また、食料以外の生活のインフラも整っている。むしろ整いすぎていて怖いと感じるくらいだ。
    ぼくは毎日肉を食べているが、この肉はいったいどこから来たのかと思う。あるいは先日も、トルコライスを食べたら必要以上の豚肉が出てきて、不本意ながら残してしまった。もっと少なくてもいいと思ったのが、逆にいえば、そのお店は客が残すくらいに豚肉を出したって経営には困らないわけだ。それは豚が大量に生産されて、肉が非常に安価になっているからである。この世界では恐ろしいほど豚が生産され、恐ろしいほど殺されている。それこそ余るくらいなのだ。
    そういう世界で、ぼくがちょっ

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  • 犬も歩けば棒に当たるが切実な問題として胸に響く今日この頃(1,787字)

    2015-08-21 06:00  
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    暑い夏、みなさんはいかがお過ごしだろうか?
    ぼくはといえば、とりあえずブロマガは一週間休ませてもらったとはいえ、日刊スポーツの甲子園についての連載があったので、気の休まらない日々が続いている。日刊スポーツの連載は、甲子園をずっと見てその果てに書かなければならないので、拘束時間はとても長い。ほとんど丸一日かかる。だから、今は疲れが徐々に溜まっているという状態だ。
    さて、今日は「犬も歩けば棒に当たる」がテーマである。なぜこれがテーマかといえば、オリンピックのエンブレムで話題になっている佐野研二郎氏のことが、ぼくもやっぱり気にかかるからだ。
    どう気にかかるかというと、佐野氏はオリンピックのエンブレムに自分の作品が選ばれなければ、こんなことにはならなかった。ネットで散々叩かれた上に、とうとうサントリーの仕事で盗用をしたことまでバレてしまった。オリンピックのエンブレムに選ばれたことで、逆に散々な目に

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  • 教養論その1「教養は必ずしも『ジャンプ』だけではない」(2,288字)

    2015-08-20 06:00  
    文科省の方針で、国立大学では今後、文系の科目を減らす、もしくはなくしていくらしい。そのことの是非が今、議論されているが、そもそもだいぶ前から大学は教育機関として機能していないので、どちらに転ぼうが大勢に影響はないだろう。
    しかしながら、たとえ大学で習わなくとも、これからの時代はますます教養が必要になってくる。なぜなら、教養の有無こそが、その人の総合的な能力を分かつ決定的な要因となり、そしてその人の総合的な能力こそが、その人の地位や立場を決定づけるような社会になっていくからだ。
    そこで今回からは、教養とは何か? それはどうすれば身につけられるのか? 教養を身につけることの効用は何か? 教養によってどのような能力が身につけられるのか? その能力は社会の中でどのような力を発揮するのか? といったことを考えていきたい。
    まず第1回の今回は、「そもそも教養とは何か?」ということを考えていきたい。その

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  • [Q&A]絵が上手くなる方法は?(1,236字)

    2015-08-19 06:00  
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    [質問]
    国立の芸大出身のハックルさんは、受験前も受験後入ってからも相当デッサンをしたと思いますが、デッサンが上手くなるコツのようなもの、被写体を風景を捉える上達法などありますか?
    [回答]
    コツは二つですかね。
    一つはデッサンの仕組み、メカニズムを知ることです。どういうふうに描けば上手くなるのか、それはけっして勘やセンスなどではなく、100%「知識」です。そのためまずは、絵の知識を蓄えるところから始めます。
    ただし、もちろん知識だけでは絵が描けません。そこには「技術」が必要になってきます。初心者がつまずくのが、線の引き方。真っ直ぐな線を引くにも上手い下手があるというのをたいていは知らないし、知ったからといってなかなか魅力的な真っ直ぐな線を引けるようにはなりません。
    この技術ばっかりは修練が必要です。それこそ、飽くことなく描き続けていれば、誰でも上手くはなります。
    技術力は百難を隠すので、

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  • ライトノベルの書き方:その30「『桃太郎』の道徳を超えた本質とは」(2,050字)

    2015-08-18 06:00  
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    「桃太郎」における鬼の描き方は稚拙である。彼らは特に悪いことをしていない。桃太郎と敵対しているわけでもない。にもかかわらず、桃太郎の攻撃にさらされ、一方的に物を強奪される。
    その状況は、童謡「桃太郎」の歌詞にも明らかだ。そこにはこんなふうに描かれている。
    「そりゃ進め そりゃ進め 一度に攻めて 攻めやぶり つぶしてしまえ 鬼が島」
    「おもしろい おもしろい のこらず鬼を 攻めふせて 分捕物を えんやらや」
    ここで鬼は、桃太郎一味に攻め破られるだけの存在として描かれている。桃太郎一味は、その攻撃を「おもしろい」とまでいって、物を強奪することにも自覚的、積極的だ。
    この歌の初出は1911年なので、日本が日露戦争後の繁栄を謳歌していた時代だ。この頃の子供たちは、こういう歌詞を何の疑問もなく歌っていた。
    しかし現代においては、この歌詞に不当な侵略戦争を思い浮かべ、アレルギーを感じる人が多いだろう。

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