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記事 11件
  • 1994:その11(1,790字)

    2024-04-11 06:00  
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    1994年の男女関係、男女交際はどうだったのか?
    男女の恋愛が大きく変化し始めたのは1980年代に入ってからで、柳沢きみおの『翔んだカップル』に、その傾向が象徴的に見られる。若者が恋愛に悩み、新たな形を模索し始めたのだ。
    それまでの恋愛は、面白いことに型が決まっていた。だから、新たな形を模索するということがなかった。決められた形の中で、どう上手くこなすかという勝負だった。
    『愛と誠』というマンガがあるが、これがまさに人々の間に共有されている理想とされた型をとことん追求するという話だった。
    ただし、この頃からすでに型の崩壊の予兆はあった。それが崩壊しかかり、風前の灯火だからこそ、惜しみ、残そうとする気持ちが、人々の間にあった。
    だから、それを愚直に追求する『愛と誠』がヒットしたのだ。この作品は、1973年から1976年まで連載されている。まさに「70年代」を代表する作品だ。それに対して『翔ん

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  • 1994:その10(1,721字)

    2024-04-04 06:00  
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    2024年の今年、株高になったが「庶民にはその実感がない」ということが話題となった。これと同じで、1994年当時、バブルはすでに崩壊していたが、庶民はまだそれを実感していなかった。
    それを実感――いや「痛感」するのは、1998年になってからだ。長銀や山一証券が破綻して、給料の目減り――というより「増えなさ」が顕著になっていく。ハンバーガーや牛丼の値段が際限なく下がりはじめ、本格的なデフレ社会へと突入していくのがこの辺りだ。
    そのため、1994年はまだまだ世の中は明るかった。バブルはとっくの昔に弾けていたが、庶民にその実感はゼロだった。
    おかげで、むしろバブルの延長戦ともいえるような文化が最後の一花を咲かせていた。1995年には阪神淡路大震災とオウム真理教事件によってその花も枯れてしまうので、燃え尽きる直前の線香花火のように、束の間パッと明るくなったのが1994年だった。
    話を80年代に戻す

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  • 1994:その9(1,551字)

    2024-03-28 06:00  
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    宇多田ヒカルは1983年生まれなので、1994年には11歳だった。人間にとってさまざまなものを吸収するとてもいい時期だ。
    それを1994年で過ごし、ミュージシャンとして大成したのだから、この年にも何か魔力があったのだろう。
    パッと思いつくのは、日本は音楽業界が空前のバブルを迎えていたので、その活況を肌身で感じたということだ。井上雄彦の11歳が、ちょうど『ドカベン』が一番盛り上がっていた時期だったようなものだ。
    一方、1994年にルーズソックスをはいていた1977年生まれは、11歳を1988年で過ごしている。
    1988年はどういう年か?
    バブルのちょうど真ん中ともいえるし、昭和の最終年ともいえる。
    1988は、毎日昭和天皇の芳しくない容態がニュースの速報で流れていた。そうしてプロ野球のビール掛けが中止になるなど「自粛」という言葉が流行語にもなった。バブルで浮かれる一方、表面的には自粛している

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  • 1994:その8(1,568字)

    2024-03-21 06:00  
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    1994年に17歳の子供は、1977年生まれである。3歳のときに1980年代を迎え、13歳のときに90年代を迎える。そんなふうに、子供時代がそのまますっぽり80年代だ。3歳から13歳のさまざまなものを吸収する時期に、80年代という異常な時間・空間の中で過ごすことになるのだ。
    その結果、1997年の子供たちはチョベリバルーズソックスになった。空前の女子高生ブームを引き起こした。ただ、最初の女子高生ブームはおニャン子クラブが1985年に起こしている。1994年の9年前だ。しかしこのときは単発的、局所的だった。むしろ時代の主役は女子大生で、ジュリアナ東京などが流行っていた。まさにバブルの時代だ。
    バブル時代の主人公は女子大生で、女子大生ブームが起こった。そのブームに乗って、1983年にフジテレビで『オールナイトフジ』という番組が始まった。この番組は、女子大生ブームを生み出したわけではない。むしろ

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  • 1994:その7(1,638字)

    2024-03-14 06:00  
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    80年代に日本社会は人知れず「ブラック」になっていった。理由はバブル経済だ。バブル経済というのは不思議なもので、最初はそれが起こっていると気づかれなかった。というか、その最盛期でさえ、それがバブル経済だとは誰にも分からなかった。それがバブル経済だったと気づいたのは、完全に弾けきった後だった。
    そもそも当時の日本人は、本格的なバブル経済を経験したことがないから(その前は大正の第一次世界大戦特需)、それがどういうものか全く分かっていなかった。それよりも、不況(貧乏)の経験なら豊富だった。高度経済成長は体験したが、それは単に貧乏からようやく抜け出せたというだけで、必ずしも豊かさにはつながらなかった。
    むしろ、豊かになりかけたときにオイルショックが起こり、浮かれ気分を打ち砕かれた。そうして、いっそ戦中戦後の貧乏な頃よりも暗い気分になった。その気分は、80年代に入ってからもしばらくは引きずっていた。

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  • 1994:その6(1,844字)

    2024-03-07 06:00  
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    前回、金属バット殺人事件が『金八先生』の第1シリーズ放送中に起こったと書いたが、正しくは第2シリーズの放送中に起こった。誤りだったので、ここに訂正します。
    ただ、第2シリーズは校内暴力がテーマなので、当時の学校状況が反映されていることは確かだ。また金属バット殺人事件も、何らかの影響を及ぼしたと推測される。
    1980年というのは、世相はどこかまだ70年代のオイルショックや一連の暗い事件の影を引きずっている。しかし実は人々の生活実態そのものは、そうした状況からはすでに脱却していた。そうして各所で、さまざまな「明るい文化」が勃興してくる。
    その代表格は「竹の子族」である。竹の子族とは、原宿の歩行者天国で「竹の子」というブランドの服を着て踊っていた若者たちの総称だ。この頃、原宿のいわゆる「ホコ天」に若者たちが集って、奇矯な振る舞いを見せるのが話題になった。他にも、ロックンローラーの格好をした「ロー

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  • 1994:その5(1,909字)

    2024-02-29 06:00  
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    1994年の若者を象徴するものといえば、まずは「ルーズソックス」である。次に「渋谷」であり、「援助交際」だ。「テレクラ」ブームもあった。いわゆる「女子高生ブーム」だった。渋谷の街をルーズソックスの女子高生たちがポケベル片手に闊歩していた。
    1994年に17歳ということは1977年生まれである。小学生の頃にバブル社会だったが、中学になってそれが弾けた。そして高校生になる頃から、経済がおかしくなり始める。
    この世代は「ポスト団塊ジュニア」とも呼ばれる。団塊ジュニアの少し後に生まれた世代だ。1975年から1981年生まれくらいを指す。
    なぜこの世代の子供たちは「絶望」していたのか? それは、バブル崩壊で経済が落ち込んだということ以上に「学校が完全に崩壊していたこと」が大きい。
    日本の学校(教育)には、潮目が180度変わった巨大な転換点がある。それは「金属バット殺人事件」だ。
    1980年11月、受

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  • 1994:その4(1,678字)

    2024-02-22 06:00  
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    1994年は地味な年である。政権は非自民系の連立与党が担った。首相は村山富市である。このときの連立与党の失敗が、自民党の再生を促したといってもいいだろう。1996年から、自民党が再び政権に返り咲き、橋本龍太郎が首相になる。
    そう考えると、1995年の阪神淡路大震災は村山内閣だった。また、2011年の東日本大震災は菅直人内閣だった。2つの大震災が、ほんの束の間しか成立していない非自民系の政府だったことは、日本にとって運命的である。自民党はある意味で運がいい。その運の良さに、日本国民は賭けているのかもしれない。
    ただ、1994年はまだ阪神淡路大震災も起こっていないし、東日本大震災も起こっていない。関東大震災は1923年なので、なんと70年前である。人々が、最も震災から遠ざかった時期といえるだろう。
    イチローが200本安打を達成するが、この年は野茂が日本のプロ野球で投げた最後の年でもあった。ドジ

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  • 1994:その3(1,594字)

    2024-02-15 06:00  
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    1994年最大のヒット曲はMr.Childrenの『innocent world』で、売上げ枚数は193.6万枚となっている。リリースは6月1日で、「アクエリアス ネオ/アクエリアス イオシス」のCMソングだった。ミスチルは同年11月10日に出した『Tomorrow never knows』もミリオンヒットさせている。この曲は翌年にかけて276.6万枚も売れた。
    アクエリアスはコカ・コーラ社の製品だが、CMは今見ると安っぽく、また古くさくて80年代っぽい。天下のコカ・コーラもそれほどのヒットを期待せずにおざなりに作ったという感じだが、それでも大量出校でテレビの視聴率も良かったので、当時の日本人でこのCMを見なかったという人はほとんどいないだろう。見れば「懐かしい」という気分になれる。
    1994年というのはバブルはとうに弾けているが、面白いことに当時の人々や世相にまだ「弾けた」という実感はな

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  • 1994:その2(1,745字)

    2024-02-08 06:00  
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    この連載を書くのにあたってなぜ「1994」年を選んだかというと、その次の「1995」年がなかなか印象深い年だからだ。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件があった。音楽では小室やミスチルがブームで、CDは史上空前の売上げを記録した。出版界も盛り上がり、やはり史上最高の売上げを記録する。テレビもまだまだ上り調子で、新聞は元気だった。
    そんなふうにマスコミは隆盛を誇ったが、一方であの「Windows95」が発売された。今思うと、このOSの名前に「95」が入っているのも象徴的である。そんなふうに、1995年は世界中の人々にとって変わり目となった。
    それに比べると1994年は地味である。大きな災害や事件はなく、ヒット商品も1995年と比べると見劣りする。時代を俯瞰したとき、ここに「変わり目」といえる大きな断層があるわけではない。
    しかし、だからこそこの年は、重要なのではないかと考える。1995年という変

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