記事 44件
  • 1994:その44(1,729字)

    2025-03-20 06:00  
    会員無料
    1990年代になって、突如「恋愛ブーム」が始まった。それまでも若者たちは恋愛していたが、それとは違った形の恋愛が、90年代になって急速に広まったからだ。そしてそれに、ほぼ全ての若者が参加した。
    そのブームの兆しは、70年代後半にまで遡る。70年代後半にラブコメブームが巻き起こり、中高生の恋愛が一般的になった。そんな彼らが80年代に入って本格的な恋愛にのめり込み、それを一種のレジャーにまで昇華させたのである。
    そうして90年代に入ると、80年代に広まったそのレジャーとしての恋愛が、一つの形式として整備され、ほとんど全ての若者が参加可能になったのだ。バブルはすでに終わっていたが、バブルの頃に始まった恋愛文化だけは、90年代に入ってもとどまるところを知らず、むしろ拡大することとなったのである。
    バブルの中で、新しい恋愛形式が醸成されていった。その中で最も重要だったのは男性が自動車を持っていること

    記事を読む»

  • 1994:その43(1,637字)

    2025-03-13 06:00  
    会員無料
    1990年前後に「月9」というブーム(ブランド)が生まれ、ふくらんでいった。1990年代の半ばには支配的になって世間を席巻する。それはまさに「テレビの時代」だったともいえよう。そしてテレビの時代の中心にいたものこそ「月9」だった。
    それがバブル崩壊や『ちびまる子ちゃん』の隆盛、あるいは音楽ブームと同時に起こっているのが面白い。いずれもバブル崩壊の後遺症がもたらしたものという見方もできるが、同時に虚飾から本質へと移行する、その過渡期に咲いた一つのあだ花とも見ることができる。
    なぜ「あだ花」かというと、その在りようが「夢」だったからである。夢には2つの意味がある。1つは、現実とは別の世界(夜に見る夢)。もう1つは、これから叶えたい願い(将来の夢)。いずれも、「現実」ではない。だからこそ、結局はあだ花で終わったのだ。
    1990年代、日本人は虚飾の宴が終わったことによって現実を突きつけられた。その

    記事を読む»

  • 1994:その42(1,853字)

    2025-03-06 06:00  
    会員無料
    おニャン子クラブは、1985年4月にデビューし、1987年9月に解散する。わずか2年半の活動であった。
    ただし、シングルレコードオリコン初登場連続1位記録は継続中であった。さすがに絶頂期は過ぎていたが、しかしまだまだ人気は保っていたのだ。
    それでも解散に至ったのは、母体となっている「夕やけニャンニャン」の視聴率低下に歯止めがかからなかったからだ。そしてその主因に「とんねるずロス」というものがある。
    とんねるずは、最初から「夕やけニャンニャン」のレギュラー出演者であったが、おニャン子クラブの人気が上がるに連れ、次第に「この番組は自分たちのものではない」と感じるようになった。そのため一時は月曜日から金曜日まで毎日出演していたのを、徐々に減らし最後はとうとう水曜日だけとなった。
    そして、この水曜日担当のディレクターこそ、後に「みなさんのおかげです」を立ち上げ、さらにはフジテレビの社長となって、最

    記事を読む»

  • 1994:その41(1,863字)

    2025-02-27 06:00  
    110pt
    おニャン子クラブは1985年にデビューすると、瞬く間に国民的な人気を獲得する。グループとしてはもちろん、そこから数々のメンバーやユニットがソロとしてレコードデビューし、毎週のようにシングルを発売する。
    すると、そのことごとくが大ヒットを記録し、オリコンの週間1位になる。1986年、オリコンのシングル1位は46曲あったが、そのうちなんと30曲がおニャン子クラブ関連曲だった。
    おニャン子クラブはフジテレビが夕方の帯番組として放送していた「夕やけニャンニャン」のレギュラーメンバーだった。若い女の子(その多くが女子高生)を集め、番組のマスコットとして出演させた。常時20人くらいのメンバーがいたため、いつも決まったメンバーが出るわけではなかった。20人もいると、なんらかの理由で欠席するメンバーも多かったのである。
    「夕やけニャンニャン」は、フジテレビが土曜日の深夜に生放送していた「オールナイトフジ」

    記事を読む»

  • 1994:その40(1,793字)

    2025-02-20 06:00  
    110pt
    松田聖子や中森明菜、小泉今日子など、当時は単なるアイドルにしか思っていなかったが、今振り返ると若者たちをリードし、それによって社会を大きく変えていった。彼らの存在が、文字通り「時代」を作っていった。
    「歌は世に連れ世は歌に連れ」というが、誠に真理である。アイドルは時代の要請によって生まれるが、その生まれたアイドルがまた時代を変化させていくのである。両者は相互補完的で、影響され合いつつ転がっていくのだ。
    中森明菜ははじめこそ松田聖子路線を踏襲したものの、隠し切れない「暗さ」というものがあって、すぐにその前の時代を席巻した山口百恵風に路線変更した。するとこれが上手くいって、松田聖子と山口百恵がミックスされつつ、そのどちらでもない「中森明菜風」が誕生した。
    中森明菜風というのは、ブリッコからは全く逆のアンニュイな路線である。そこにはどこか「スケバン」的な匂いもした。
    スケバンというのは女番長のこ

    記事を読む»

  • 1994:その39(1,825字)

    2025-02-13 06:00  
    110pt
    松田聖子は当時は単なるアイドルあるいは芸能人として社会的には軽視されていたが、今考えると実に巨大な社会的アイコンであった。松田聖子の真に偉大なところは、無数の若い女性フォロワーを生み出し、日本の文化――特に恋愛文化を大きく変化させたことである。
    当時の松田聖子は、若い女性に巨大な影響力を持っていた。そして80年代から90年代にかけては、若い女性が社会の中で最も強い影響力を持った層だったから、それはそのまま日本そのものに巨大な影響力を持っていたということにもなる。
    松田聖子は女の子の在り方――「スタイル」というものを規定した。多くの女の子が、「松田聖子のようにならなければ男性からモテない」と強く信じた。そして当時は、多くの女性が「男性からモテたい」と思っていた。いや「モテなければ女じゃない」という強い強迫観念に縛られてさえいた。
    この二つの思いすなわち「松田聖子でなければモテない」「モテなけ

    記事を読む»

  • 1994:その38(1,553字)

    2025-02-06 06:00  
    110pt
    1990年かそれより少し前辺りから、新しい「若い女性」というものが出てきた。80年代前半は松田聖子に代表されるかわいい「ブリッコ」が若い女性としてほとんど唯一の価値だった。顔がまずいと「ブス」と呼ばれ、それだけで社会における価値は大きく下落した。まだ今のような女性に対する人権意識は社会の中になかった。わずかに男女機会均等法が施行されたくらいだ。
    「かわいくなければ女じゃない」という価値観は当時の世間を覆い尽くしていた。だから顔がかわいくない女性と、たとえかわいくてもその価値観に賛同できない女性は隅っこで小さくなっているほかなかった。
    しかしそうした価値観に徐々にカウンターが現れ始めた。「顔だけが女性の価値ではない」という声がそこここに表れ始めたのだ。その端緒は「Olive少女」ではなかったか。
    Olive少女は松田聖子に代表されるブリッコ少女へのカウンターとして生まれ、広まっていった。では

    記事を読む»

  • 1994:その37(1,854字)

    2025-01-30 06:00  
    110pt
    『おどるポンポコリン』は1990年暮れにレコード大賞を獲得する。このときがヒットの絶頂であった。この曲がエンディングテーマになっていたアニメ『ちびまる子ちゃん』の視聴率も、同年10月28日に39.9%を記録し、これが番組としての歴代一位であると同時に、全てのアニメの中でも歴代一位となった。この記録は、今後永遠に破られないだろう。
    39.9%という数字は、当時でもサッカーのワールドカップの日本戦をしのぐレベルである。しかもワールドカップは4年に1回だが、『ちびまる子ちゃん』は「毎週」なのである。毎週日曜、ワールドカップ並みの数字を文字通り叩き出し続けていた。
    このときの日本は、はっきりいって「躁状態」だった。躁状態の極まった感じが、このアニメと主題歌のヒットに集約された。
    ただし『ちびまる子ちゃん』と『おどるポンポコリン』は、その後も人気を保持し続ける。これだけの躁状態を記録した異常なヒット

    記事を読む»

  • 1994:その36(1,673字)

    2025-01-23 06:00  
    110pt
    『クリスマス・イブ』と『ちびまる子ちゃん』は実は全く同じ時期にヒットしている。牧瀬里穂のCMが国民的ヒットとなったのが1989年暮れ。そして『ちびまる子ちゃん』のアニメがスタートしたのは、その数週間後の1990年1月7日である。これは偶然ではない。両者はともに、当時の世の中をビビッドに反映していた。だからこそ、同じ時期に同じくらいヒットしたのである。
    その「当時の世の中」を表すキーワードは「不安」である。80年代の暮れ頃から、日本には言い知れぬ不安というものが押し寄せていた。それはバブル崩壊への不安と同時に、予想もしていなかった「失われた30年」に対する不安でもあった。とにかく当時の日本人の多くが、バブルが長く続かないことは無意識のうちに分かっていた。
    そこで「安心」が求められた。『クリスマス・イブ』と『ちびまる子ちゃん』はその安心を提供するものだった。しかも全く同じ形で提供するものだった

    記事を読む»

  • 1994:その35(1,835字)

    2025-01-16 06:00  
    110pt
    山下達郎の『クリスマス・イブ』という曲がある。この曲は、90年代を「代表」していたのではなく、ある種「支配」していたのではないだろうか。
    なぜかといえば、当時は「恋愛の時代」だったが、恋愛が最も盛り上がるのがクリスマス・イブだった。そしてクリスマス・イブの定番曲として、文字通りこの『クリスマス・イブ』が君臨していたからだ。
    当時は同時に「音楽の時代」でもあって、CDが異常なくらい売れていた。その中にあっても、この『クリスマス・イブ』は毎年クリスマスシーズンになると、必ずベストテンにランクインしていた。
    そんな曲は他にはなかった。そもそも一度ランク外に落ちた曲が再びランクインすることすら奇跡なのに、その奇跡を毎年、しかも最もCDが売れる苛烈なクリスマスシーズンに成し遂げていたのである。そんなふうに、音楽界でもこの楽曲は、王者としての揺るぎない地位を築いていた。
    そのため『クリスマス・イブ』は

    記事を読む»