• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 75件
  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:最終回(1,767字)

    2017-07-04 06:00  
    110pt
    手塚治虫、宮崎駿、宮本茂の三人に共通するのは、一にデザイン力、二に省略力ときて、三つ目が「物語力」だ。彼らは、単に絵の才能がすぐれているだけではなく、物語に対する深い知識と造詣がある。それを、持ち前の美的感覚と結びつけたときに、大きなケミストリーが生まれるのだ。手塚治虫は、単にマンガやディズニーといったエンターテインメントだけではなく、文学や音楽に対する深い造詣があった。それゆえ、ドストエフスキーやゲーテなど、文学の名作を下敷きにした作品も多い。特に後半生は、そうした側面を活かして次々とマンガをものしていった。宮崎駿も、若い頃に超人的な働きをしながら、一方で岩波書店や福音館書店の児童書を乱読するなど、物語の力を養っていった。彼の監督した作品のほとんど全てが、そうした児童書を下敷きにしていることは今さら説明するまでもないだろう。宮本茂も、そのキャリアの最初期から物語の力がずば抜けていた。例え

    記事を読む»

  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その75(1,837字)

    2017-06-27 06:00  
    110pt
    手塚治虫、宮崎駿、宮本茂の三人は、日本のエンターテインメント史の中でも突出したクリエイターだ。
    そのため、彼らの共通項を探せば、日本におけるすぐれたクリエイター像、あるいは美的感覚の本質が見えてくるのではないだろうか。
    こうして見ていくと、まず気づく共通項は、三人ともにすぐれた「デザイン性」を有しているということだ。三人とも、個性はむしろ少なめで、きわめてバランスの整った絵を描く。
    そのため、三人の絵は再現性が高い。真似しやすいのだ。それは、単にデザインがすぐれているからだけではない。もう一つの理由もそこにはある。それは「簡潔」ということだ。シンプルなのである。多くのものが省略されているのだ。
    なぜ彼らの絵がすぐれた「省略性」に富んでいるかといえば、それは彼らが制約の中で描いていたことと無関係ではない。手塚治虫も宮崎駿も、いつも時間に追われていた。宮本茂はハードのスペックに限界があったため

    記事を読む»

  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その73(1,826字)

    2017-06-13 06:00  
    110pt
    マンガの神様といわれた手塚治虫が語っていた「創作の方法論」の中でも、取り分け印象的なのが「アイデアは必ず堂々巡りし、最後は『一番初めに考えたアイデア』のところに戻ってくるから、最初にアイデアを考えたらそれ以上考えないようにしている」というものだった。つまり彼は、ものごとが一周回ることこそ本質だと分かっていたために、あえて最初のところから動かないで、その分時間短縮を図っていたのである。
    ところで、日本の美的感覚においてひときわ顕著なのが、「すぐれたコンテンツを生むのは組織ではなく、個人である場合が多い」ということだ。すぐれた個人がほとんど一人で状況を打ち破り、革新的な仕事を為す。
    日本には、マンガ、アニメ、ゲームといういずれも社会の中で大きな役割を果たしている巨大なエンターテインメントジャンルがあるが、そうしたジャンルそのものを強い力で牽引し、また可能性を切り開いてきたのはいずれもすぐれた個

    記事を読む»

  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その72(1,643字)

    2017-06-06 06:00  
    110pt
    宮崎駿は『千と千尋の神隠し』の前作である『もののけ姫』を制作しているときから引退をほのめかしていた。それは『もののけ姫』に自分の人生をかけるくらい集中していたからでもあるが、もう一つ大きかったのは『もののけ姫』が若い頃に考えた映画企画の最後だったので、これ以上アイデアは出ないように思えてもいたからだ。
    このため『千と千尋の神隠し』以降の作品について、宮崎駿は「何もないところから絞り出すように作った」と言っている。しかし、この「何もないところから絞り出すように作る」ということが、宮崎自身の大きな転機ともなるのである。
    『千と千尋の神隠し』は実は企画が二転三転している。『もののけ姫』以降引退をしようという気持ちはおさまり新たな作品こそ作ろうと思ったものの、何を作るかというのはなかなか決まらなかった。いうなれば「生みの苦しみ」を味わっていたのだが、興味深いのはその過程で奇妙な堂々巡りをくり返して

    記事を読む»

  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その71(1,756字)

    2017-05-30 06:00  
    110pt
    宮﨑駿は若い頃から多くの逆境――過酷な生産現場――を体験してきたが、不思議なことに逆境であればあるほど、すぐれたアイデアを生み出してきた。また自意識の強い彼は、自分自身でもそのことに気づいていた。
    取り分け、監督デビュー作の『未来少年コナン』はかつてない過酷な環境となったが、そこではある種のビッグバンともいえるような自身の演出家としての急激な成長を果たすこともできた。
    こうしたできごとを通じて、やがて彼は逆境そのものを一つの「技化」していく。スキームとして構築していくのだ。つまり外部から与えられていないにもかかわらず、自ら作り出していくのである。
    宮﨑駿の映画の作り方は、まずは自らを追い込むところから始まる。前の映画を制作し終わると、いや映画を制作している途中から、「これが最後の作品になる」と自らに念じ続け、実際に映画が終わったタイミングでは引退宣言をする。
    引退宣言をすると、その後に膨大

    記事を読む»

  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その70(1,849字)

    2017-05-23 06:00  
    110pt
    『未来少年コナン』というのは、特別な作品である。よく「デビュー作にはその作家の全てが現れる」というが、それでいうと宮﨑駿のデビュー作である『未来少年コナン』には、文字通り彼の全てが現れている。
    宮﨑駿の映画の作り方の特徴として、「結末を決めずに作り始める」というのがある。絵コンテはおろか台本も作らないまま制作をスタートさせるのである。
    これは、映画においては宮﨑駿以外、国内、国外を問わず誰一人として採用していない方法だ。しかしテレビでは比較的一般的な方法でもある。テレビでは、台本や絵コンテを完成させないままスタートすることが少なくない。
    宮﨑駿が『未来少年コナン』以前に手がけたテレビシリーズ『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』も、そういう作り方をしていた。そしてデビュー作である『未来少年コナン』も、シナリオや絵コンテを完成させないまま作り始めたのである。
    いや、それはもっと過酷

    記事を読む»

  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その69(1,609字)

    2017-05-16 06:00  
    110pt
    日本の美的感覚は「逆境」でないとなかなか発動しないという特徴がある。それは、空間が不足していたり物資が乏しかったり技術が未熟だったりする状況の中で、世界に互する美しさを生み出そうとしてきた結果、逆境でこそ力を発揮するような心性、あるいは美的感覚を育んできたからだ。
    そのため、日本の美的感覚が発揮され続けるためには逆境に身を置き続ける必要があるのだが、しかし例えばゲームにおいては、最初はマシンが非力という逆境があったにもかかわらず、すぐに進化が押し寄せてきて、いつしか逆境が消えてしまい、日本の美的感覚が発動しなくなるということが起こった。
    このことから分かるのは、逆境は必ずしも待っているだけでは得ることができず、周到に用意、もしくは準備する必要があるということだ。
    そして、それが一番よく分かっている日本人クリエイターの一人が宮﨑駿ではないだろうか。彼は、日本的クリエイションが、もしくは日本の

    記事を読む»

  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その68(1,917字)

    2017-05-09 06:00  
    110pt
    ここまで見てきたように、日本のコンテンツ、取り分けマンガ、アニメ、ゲームは、その歴史の中でさまざまなイノベーションや発明をくり返してきた。それが世界に類を見ない独自の進化をもたらすこととなり、「クールジャパン」と銘打たれ、世界各国に輸出され、大きな影響を与えたことにもつながるのである。ではなぜそうしたイノベーションや発明が日本において成し遂げられたかといえば、この国には世界においても先進的な美的感覚の文化が伝統的に育まれていたからだ。そして歴史を紐解けば、そうした日本の伝統的な美的感覚はこれまで何度も世界に衝撃を与えてきた。日本建築はフランク・ロイド=ライトに深甚な影響を与え、浮世絵は印象派の下敷きとなり、伊万里焼はマイセンやロイヤル・コペンハーゲンをインスパイアした。それら古来から世界に影響を与え続けてきた日本の美的感覚が今も脈々と息づき、マンガ、アニメ、ゲームといった20世紀のコンテン

    記事を読む»

  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その67(1,849字)

    2017-05-02 06:00  
    110pt
    『バーチャファイター』を大きな契機として、3Dゲームは一気に進化していく。
    その翌年の1994年にリリースされた『バーチャファイター2』は、ポリゴンにテクスチャーマッピングを施したことで表現力が格段に向上し、よりリアルな「絵」を表現できるようになった。
    ただこの頃になると、表現の工夫以上に絵の「リアルさ」が競われるようになり、『バーチャファイター』までには存在した日本の美的感覚によるイノベーションは徐々になりを潜めていくこととなる。
    その後、3Dゲームブームに拍車をかけたのはソニーから94年に発売されたプレイステーションであった。このハードでは、それまでの最大シェアハードであったスーパーファミコンにはできなかった本格的な3D表現が可能だった。そのため、人気に火がつきたくさんのユーザーがこぞってこれを買い求めた。
    すると、それに目をつけた既存のゲームクリエイターはもちろん、新規のクリエイター

    記事を読む»

  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その66(1,688字)

    2017-04-25 06:00  
    110pt
    『バーチャファイター』は、最初期の3Dゲームであったためポリゴンで構成されたカクカクとした直線を使ってキャラクターを描かなければならなかった。当時はまだテクスチャーを貼ることもできなかったから、形だけではなく使える色も限られていた。そのため、自然と表現できることの幅は限定されていた。しかしながら、それだからこそ面白い絵ができあがったのである。そこに独特の日本的な美が生まれたのだ。それが生まれたのも、そこで日本の美的感覚が発揮されたからである。これまで何度も見てきたように、日本の美は限られた条件の中でこそ花開く傾向にある。例えばマンガやアニメは、絵にかけられる時間や手間が限られていた。締め切りが短かったり、スタッフの数が少なかったりしたのである。そのためそこで、独特の描画技法が発達したのである。マンガにおいてはコマの割方が進化し、独特の時間表現が生まれた。アニメにおいては大胆な構図や斬新なポ

    記事を読む»