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庭について:その47(1,706字)
2023-09-29 06:00110pt日本庭園の特徴の一つは、それが「ミニチュア」であるということだ。何のミニチュアかというと、自然である。日本庭園は、石や植栽そして池などの各要素を、山や木そして海などの自然に見立てる。そうして「見立て」という言葉が生まれるほど、その概念が重視されているのだ。
その見立ての中でも、特に重要なのは「水」だ。日本庭園では、池は「海」に見立てられ、流れは「川」に見立てられる。面白いことに、実際には水を使わない「枯山水」の庭でも、砂を海や川に見立て、ミニチュアという特徴は失われていない。
ところで、江戸以前の日本には「雑草」という言葉がなかった。雑草は、江戸時代中期から用いられた比較的新しい概念である。
そう聞くと、それは古代の日本人が「八百万の神」的な宗教観を持ち、あらゆる自然を平等に尊んだからだ――ととらえがちだ。しかし、それは大きな誤りである。日本人は、古来より雑草とそれ以外とを区別する価値観を -
偽物の個人時代:その10(1,763字)
2023-09-28 06:00110pt今の時代の流行哲学は、「人生を楽しく、賢く生きる」というものだ。そして、それを第一に実践しているのが今の若者である。今の20代だ。Z世代からα世代にかけてである。
そして、そんな若者を指示・肯定・絶賛している大人たちがいる。それは、今や大人の中の最大ボリュームともいえる「団塊ジュニア」だ。
団塊ジュニアの親である「団塊の世代」は、今や平均寿命にさしかかってかなり減ったため、発言権も自ずから小さくなった。おかげで、次のボリュームゾーンである団塊ジュニアが、今や最大勢力の時代となった。
そんな団塊ジュニアが、Z世代やα世代の生き方を肯定している。Z世代やα世代は、団塊ジュニアから見れば自分たちの子供世代に当たるが、だから応援しているというわけではない。歴史的には、親と子の世代は反発することが少なくない。団塊ジュニアとZ世代、α世代が異例なのだ。
ではなぜ団塊ジュニアが自分たちの子供世代を肯定す -
[Q&A]起業で成功する人はどういう人か?(2,329字)
2023-09-27 06:00110pt[質問]
起業で成功する人と失敗する人の差は、どういうところにあるのでしょうか? そろそろ定年なのですが、そのまま年金生活を送る気もないので、何か自分でやろうと思っています。何かヒントを教えてください。
[回答]
差は色々ありますが、一番は「バランス感覚」ですね。経営者は、とことんジェネラリストを目指すべきなのですが、たいていの人はこれができないんです。
例えば、「世の中に貢献したい」という人はいますが、それと同時に「自分も儲けたい」と思える人があまりいないんです。「世の中に貢献して、自分も金持ちになったら最高じゃね?」って一見バカみたいな考えをためらいもなく抱ける人こそが経営者に向いています。だから、ヤンキーは経営者に向いているんですよね。
それと、「ライバルは潰す」という感覚も必要です。「世の中のためになり、自分も儲けるけど、ライバルは遠慮なく潰す。あいつらは路頭に迷えば良いんだ」とい -
アーティストとして生きるには:その23(1,730字)
2023-09-26 06:00110ptこれからおそらく20年をかけて、「幸せ」が再定義、いや再評価される時代が来る。なぜなら、今の時代は幸せがあまりにも阻害されているからだ。多くの人が、自由を尊重し過ぎている。その結果、自由の反対にある幸せを疎かにしているのだ。
幸せが疎かにされている社会だから、人々は競争主義社会を容認している。また、ロシアのウクライナ侵攻もどこか他人事だし、なんならコロナ禍さえ粛々と受け入れた。この「粛々と受け入れる」というのが、自由を尊重しすぎた時代の最も主要な流儀かもしれない。
今、人々は粛々と人間関係を解消していっている。こう書いているぼく自身が、なにしろ人間関係を希薄にさせている。一人の時間が圧倒的に増えた。
まだ小さい子供がいてさえこうなのだから、独身の人にとってはなおさらだろう。近年、日本の単身世帯数は過去最高を更新し続け、2022年は1785万だった。この先、人口が減るにもかかわらず、なお増え -
石原莞爾と東條英機:その16(2,233字)
2023-09-25 06:00110pt石原莞爾には同志であり尊敬できる先輩がいた。板垣征四郎である。
板垣は1885年、石原は1889年生まれだから、4歳年上である。板垣は岩手出身、石原は山形出身だから同じ東北同士で、ともに仙台陸軍地方幼年学校出身であった。
東條英機にも、やはり同志であり尊敬できる先輩がいた。永田鉄山である。
永田は1884年、東條も1884年生まれだが、早生まれなので永田の方が1学年先輩だ。永田は長野県諏訪町(現諏訪市)出身だが、父の死に伴って11歳のときから東京新宿で暮らしていた。東條も、父は岩手出身だが自分は千代田区で生まれ、移行、ずっと東京で育った。
つまり、(石原と板垣もそうなのだが)、東條と永田は似たような出自を持つ。共に父の出身は地方だが、育った場所は東京のど真ん中だ。
そういうふうに、「地方と都心のハーフ」のような人物は、明治時代に一気に増えた。いずれも、地方のエリート家系に多かった。
永田も -
庭について:その46(1,503字)
2023-09-22 06:00110pt日本にとって庭というのは実はかなり重要な存在なのではないだろうか。というのも、日本最大の観光地といえばなんといっても京都だが、では京都で何を観光するかというと「建築」と「庭」なのだ。
そして日本の「建築」は、たいていの場合脇役で、主役は「庭」となっている。だからある意味、全ての観光客は京都まで「庭」を見にくるといえるだろう。
そしてその庭が、日本人のみならず外国人にも突出的な人気を誇っている。理由は簡単で、単純に「素晴らしい」からだ。日本の庭は、もはや「美しい」を超えてただただ「素晴らしい」。
そしてその素晴らしい庭が、一つだけではなくいくつも群生している。そんな街は世界広しといえども京都だけだろう。
京都は、いうならば街自体が「巨大な庭のテーマパーク」なのだ。そのため、日本の庭園の神髄というのも、ここ京都に行き着く。「日本の庭」とは京都にある神社仏閣の庭を意味する。その意匠の名も、そのも -
偽物の個人時代:その9(1,721字)
2023-09-21 06:00110pt団塊ジュニアの多くは、「自分は特別な存在」と思って育った。親からそう教えられたからだ。それで、その考えを補強してくれる『世界に一つだけの花』が好きになった。そういう人が多かったから、この歌は大ヒットした。
しかし、この歌の末路が今、どういうふうになっているかは誰もが知るところであろう。作詞・作曲の槇原敬之氏は麻薬中毒から抜け出せず、二度目の逮捕をされるに至った。歌ったSMAPは日本国中を巻き込んだ解散騒動の末、今またジャニーズ事務所そのものが崩壊の危機に瀕している。
槇原敬之氏もSMAPも、そしてファンたちも、団塊ジュニアだった。そのため、彼らのマインド(哲学)は一種の宗教的結束を生み出し、この歌の大ヒットへとつながった。
しかしそれは、2020年に轟音を立てて砕け散った。それは、花がしおれるようなひっそりとした死ではなく、ダイナマイトが爆破したような、あまりにもド派手な死だった。それもま -
[Q&A]ホワイト化する社会をどう思うか?(3,658字)
2023-09-20 06:00110pt1[質問]
会社でホワイト思考の人達が勢力を伸ばしています。真面目に仕事をするし、人が嫌がることもするので発言権を増しているのです。
でも、ホワイト化しすぎると困ることも出てくるのですが、それよりも信念の正義優先主義なのです。
まあ、時代はそういう方向に向かっているので、それならそれでいい気もしています。
グレーゾーンもいい事と悪い事がありますが、いき過ぎたホワイト化はいい事ない気がします。
ハックルさんは、このホワイト化に対してどのようにお考えでしょうか?
[回答]
基本的には一過性のものだと思います。大衆が作り出した、流行の一つですね。
こうした流行は人類が始まって以来連綿とくり返されてきました。その根底にあるのが、大衆の付和雷同をよしとする愚昧性です。多くの人が、自分の頭で考えられるのにもかかわらず、それを怠る。そのため、流行が生まれるとそれに流されるのです。ホワイト化社会はその最新の -
アーティストとして生きるには:その22(1,705字)
2023-09-19 06:00110pt今の時代の問題とは何か?
それは、まず間違いなく今の時代の「豊かさ」の影に隠れている。
例えば、近代化による工業化の時代、人々は物質的な豊かさに恵まれた。しかしその影で、生活の潤いである「美しさ」からは遠ざかった。そういうふうに、問題はたいてい豊かさの影に隠れるのだ。
では、今の時代の豊かさとは何か?
ズバリ言うなら、それは「自由」である。今、人々は昔に比べて格段に自由になった。それこそが、現代における最大の豊かさだ。
精神科医の名越康文氏によると、人間の究極の目的はほぼ2つに集約できるという。1つは「幸福」で、もう1つは「自由」だ。
そしてこの2つは、相反するという。なぜかというと、人は幸福を「人といるとき」に感じるし、人は自由を「人といないとき」に感じるからだ。つまり、幸福と自由は同時には味わえないのである。
ただし、幸福と自由はどちらも絶対に必要なものである。これはほとんど本能的なも -
石原莞爾と東條英機:その15(1,938字)
2023-09-18 06:00110pt帝国陸軍の秘密結社を最初に作ったのは山縣有朋だ。しかしはじめ、それは秘密結社というより単なる「藩閥」だった。長州閥だ。山縣は、長州出身者を依怙贔屓し、要職に引き立てていったのだ。
しかし当たり前のことだが、その動きは他藩出身者の反感を買う。それを敏感に察してから、山縣は表立った行動を控えるようになる。そうして、長州出身の者だけではなく、他藩の人間も引き立てるようなポーズを取った。
その一方で、裏に回って自分の足場を固めていった。部下を秘密裏にスパイに仕立て、陸軍のあちこちに配備したのである。
そうして、自分に対して反感を持つ者はいないか、謀反を起こすような人物はいないか、嗅ぎ回っていったのだ。
その甲斐あって、山縣に対するクーデターの芽は事前に摘まれるようになった。山縣は、自分に反感を持つ人間に目を付けると、あの手この手で出世を妨げた。そうして謀反を起こさせないようにしたのだ。そういうふう
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