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「劣化ネトウヨ議員の増殖」小林よしのりライジング Vol.263
2018-03-27 20:05153pt森友問題に関する19日の国会集中審議で、自民党参院議員の 和田政宗 は 「太田理財局長は民主党政権時代の野田総理の秘書官も務めておりまして、増税派だから、アベノミクスをつぶすために、安倍政権を貶めるために、意図的に変な答弁をしているんじゃないですか?」 という、前代未聞の侮蔑質問をした。
根拠の一切ない、ネトウヨそのものの妄想陰謀説である。
太田理財局長は 「あの、私は、公務員としてお仕えした方に一生懸命お仕えするのが仕事なんで。それをやられるとさすがに、いくらなんでも、そんなつもりはまったくありません! それはいくらなんでも、それはいくらなんでも、ご容赦ください!」 と憤慨に声を震わせて答弁。
和田の質問に対してはメディアでも非難轟々となり、翌日の国会質問では「部下が辱めを受けたら抗議すべきだ」と指摘された麻生太郎財相が「レベルの低い質問はいかがなものか。軽蔑する」と答弁せざるを得なくなり、和田の発言は議事録から削除された。
和田は現在43歳。元NHKアナウンサーで2013年の参院選にみんなの党から出馬して当選。次世代の党(後・日本のこころ)を経て昨年6月自民党に入党した。
以前からネトウヨ議員として有名で、辺野古の座り込み現場へ行って「不法占拠だ」と演説し、もみ合いになると「暴行を受けた」として同行者と共に被害届を提出。その時に「加害者」として名指しした人の中に87歳のおばぁまで入っていたということで、ネットで話題になったことがある。
そして和田は安倍首相の大のお気に入りらしく、昨年自民党に入党したばかりなのに異例なほど安倍と面会し、安倍の党首討論や街頭演説、ネット番組への出演の際にも同行しているという。
また、今年2月には安倍がフェイスブックに 「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳。予想通りでした」 と書き込み、首相とは思えない下品さに騒然となったことがあるが、これも和田が書いた朝日バッシング記事につけたコメントだった。
一方、前川喜平前事務次官が行った講演の内容照会を、文科省が名古屋市教育委員会に求めた問題に関わっていた国会議員は、自民党参院議員 赤池誠章 と衆院議員 池田佳隆 で、この二人は自民党の文科部会長と部会長代理だ。
赤池誠章 は56歳、松下政経塾出身で2005年に衆院に初当選。その翌年に成立した第1次安倍政権下で教育勅語を絶賛するなどの発言を積極的に行ったが、1期で落選。
2013年に参院に当選して国政復帰し、文科相政務官などを務めているが、2015年には文科省が「国際教育」をテーマに東宝とタイアップした映画『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』の 「友情に国境はな~い」 というキャッチコピーに激怒し、ブログにこんなことを書いた。
「国家意識なき教育行政を執行させられたら、日本という国家はなくなってしまいます。文科省の担当課には、猛省を促しました」
外国人の友達ができるという話の映画に「友情に国境はない」ってコピーを付けたら国家意識がなくなって、日本という国家がなくなる!? ほとんど狂っている。
だったら「芸術に国境はない」とか「音楽に国境はない」とか言ったら亡国か!?
呆れるほどのバカである。こんなネトウヨが国会議員で、以前から教育行政に圧力をかけ続けていたのだ。
一方の 池田佳隆 は51歳、元日本青年会議所会頭で、その当時から安倍晋三の「愛国教育」に心酔。自民党が政権復帰した2012年の衆院選で初当選した安倍チルドレン、いわゆる「魔の三回生」で、「安倍の愛弟子」を自任している。
池田は今回、文科省が名古屋市教委へ問題の質問を送る際に、その文面が「手ぬるい」として書き換えさせたという。
そのせいか文面には「天下り問題で辞任」だの「出会い系バー」だのと、文科省の文書とは思えないことまで書かれていたわけだが、とっくに済んだことを持ち出して「安倍政権の敵」を執拗に攻撃しようというこの態度、まさにネトウヨそのものである。
最近騒ぎを起こした和田、赤池、池田、いずれも完全なるネトウヨ議員なわけだが、気が付いてみれば、国会議事堂の中にはネトウヨ議員だらけという、目も当てられない惨状になっている。
この際だから、衆参別五十音順に列挙してみよう。 -
「民主主義を無自覚に壊す『昭恵』という怪物」小林よしのりライジング Vol.262
2018-03-20 18:00153pt森友学園を巡る決裁文書の 「改竄」 について、安倍政権や御用メディアは近畿財務局による公文書の 「書き換え」 問題に矮小化しようと躍起だが、こんなことを官僚が勝手にやったなんて、誰も信じるわけがない。
元建設省官僚の増田寛也・元総務相は、3月16日のNHKラジオの番組でこう語っている。
「官僚同士の世界では、到底考えられないような事態です。ですからよほど何かプレッシャー、書き換えざるを得ないというところまで行ってしまった、何かの原因がですね、官僚以外のところに、何かの外的な要因があるんではないか。
ま、今回はね、国会で後で問題になりそうなところを全部削除したような形跡が見られますから、そうすると政治の世界からですね、よほどプレッシャーがあってですね、それでこういう事態に至ったんではないかという気がします」
ほとんど答えを言っているようなものだが、もっとはっきり言ってしまおう。
全ての元凶は、安倍昭恵である。
安倍昭恵がいたからこそ国有地が8億円も値引きされ、それを隠すために公文書が改竄されたのだ。
この本質を、決して忘れてはいけない。
改竄前の文書には、 「昭恵総理夫人から『いい土地ですから、前に進めてください』との言葉をいただいた」 という籠池の言葉が記されていた。
これについては、「昭恵夫人がそう言った」と籠池が言っているだけで、本当に本人がそう言ったのかはわからないとかいう弁解が出てくる。
だが、もはや昭恵が本当にそう言ったかどうかなど問題ではない。
籠池が昭恵との親密ぶりを誇示し、それを官僚が決裁文書に記すほどに意識していたということが決定的に重要なのだ。
改竄前の文書では、籠池がさらに現地で昭恵と並んで撮った写真を提示したとも記されている。
もしも昭恵が総理夫人ではなく、そこらのPTAのオバサンだったとして、それが「前に進めてください」と言ったら、それを官僚は決裁文書に記したか? そんなオバサン関係ないと一蹴していたはずだ。
あくまでも、昭恵が首相夫人だから問題なのだ。
首相夫人が「進めてください」と言っているから、官僚は「特殊性」を感じてそれを決裁文書に記したのであり、後でそれがヤバイということになったから、絶対にしてはいけない決裁文書の改竄という悪事にまで手を染めたのである。
いくら安倍が「妻の関与はない」と言い張ったって、昭恵が名誉校長になっていたこと自体が十分な関与であり、それが出発点なのだ。
そもそも首相夫人なんて誰も選挙で選んだわけでもなく、何も公的な資格も権限もないはずだ。ただ夫人というだけで特定の私学にお墨付きを与えるようなことはおかしいのであり、名誉校長なんかやってはいかんのだ。
昭恵の関与は明確にあったのだから、安倍は約束通り、ただちに総理大臣も国会議員も辞めなければならない。
そして、もちろんこれで話は終わらない。安倍昭恵がどう具体的に関与していたのかも、明らかにしなければいけない。
そのキーパーソンは、当時経済産業省から出向して首相夫人付職員(秘書)を務め、今は在イタリア大使館の1等書記官になっている谷査恵子だ。
谷も、前国税庁長官の佐川宣寿と同じ状態といえる。
権力にとって忠実だったものの、問題が発覚して非常にまずい存在になってしまったものだから、栄転ということにしてマスコミや国民の追及の手の届かないところに異動させたのだ。
こんなものは適材適所でも何でもない。権力に尽くしたから、よりよい身分にしてやっただけだ。
佐川を辞めさせたのなら、谷も辞めさせて、証人喚問にかけなければいけない。 -
「アカデミー賞に見るアメリカの理念の復元」小林よしのりライジング号外
2018-03-13 16:15102pt今年のアカデミー賞は、作品賞・監督賞など4部門で 『シェイプ・オブ・ウォーター』 が受賞した。
これまでアカデミー賞といえば、「なんで?」と思うような作品が受賞してポカーンとすることが多かった。
例えば昨年の『ムーンライト』にしても、映画そのものに対する評価はともかく、作品賞にしてはあまりにも小粒すぎて、黒人のゲイというマイノリティーを描いた作品だったから、ゲタを履かせて受賞させたのではないかという「偽善」を感じざるを得なかった。
だが、今年の『シェイプ・オブ・ウォーター』は全く納得のいく結果だった。
『シェイプ・オブ・ウォーター』 もマイノリティーの映画で、主人公は唖の女性清掃員だし、周りの人間たちもゲイの画家とか黒人の同僚とか、一見、善意で描かれた映画のような作りにはなっている。
しかしそれが偽善に感じないのは、作品のオリジナリティーが突出していて、ある意味、偽善を凌駕する不気味さに満ち満ちていたからだ。
マイノリティーの女性が、アマゾンの奥地から運ばれてきた半魚人を助けようとする。もちろん、半魚人もマイノリティーの極致としての存在だ。
主人公と半魚人は、言葉は通じないが、心が通い合っている。
ところが心の通わない残忍な白人が、半魚人を軍事目的のために解剖しようとする。
白人は半魚人を人間と思っていないが、唖の女性清掃員にとっては半魚人の方がよっぽど人間的で、言葉が通わないけれども、心が通い合えるのだ。
……と、こう書くとすごく陳腐な話のようになってしまうのだが、これがあのメキシコからの移民であるギレルモ・デル・トロ監督の映像のスタイルで描かれることで、怪物映画の趣も感じさせるものになっていた。
主演女優のサリー・ホーキンスも、全然美人じゃなく、本当に便所掃除のおばさんみたいなリアルな雰囲気のあるところが見事で、なんと半魚人とセックスするというのはあまりにも悪趣味で、おぞましいほどである。
一方、主演女優賞を受賞した 『スリー・ビルボード』 のフランシス・マクドーマンドが演じた主人公も、全然美人じゃない逞しい生活感のある女だった。
ところがこの女が、周囲の住民たちから嫌がらせを受けても全く意に介せずに堂々と権力と戦っていき、その姿が実に痛快なのだ。
『スリー・ビルボード』は田舎町で孤立していく女性が主人公であり、これもマイノリティーの映画だといえる。
こうして見ると、昨年はマイノリティーの映画が次々に公開され、しかもそれがおそるべき傑作ぞろいだったことに気付く。
『グレイテスト・ショーマン』 は、フリークスばかりを集めてサーカスを始める興行師の話で、これもマイノリティーの団結を描いている。
偽善になりかねないテーマを作品化して、それがしっかり独特の世界とエンターテインメントを兼ね備えつつ、非常に芸術性の高い映画に仕上がっており、すごく楽しかった。
『デトロイト』 も、白人の黒人に対する差別心と、その裏返しの恐怖心によって起こされた、警官による暴行殺人事件を描いており、まさにマイノリティーの問題を真正面から扱った映画である。
『グレイテスト・ショーマン』は挿入歌が歌曲賞にノミネートされただけで受賞を逃し、『デトロイト』に至ってはノミネートすら一切なかった。この結果、特に『グレイテスト・ショーマン』については、わしは不満である。
『ゲット・アウト』 もまた黒人に対する恐るべき白人の差別心を、恐怖映画の域まで高めてリアリティーを崩さない見事な作品だった。
この1年間、映画の醍醐味を満喫できる傑作が続出し、しかもそれがなんとマイノリティーの映画ばかりで、アカデミー作品賞に『シェイプ・オブ・ウォーター』が選ばれるという結果は、まるでドラマを見ているようで、あまりにも劇的だった。
トランプ政権を生み出したレイシズムの横行が、これらの映画が作られるきっかけとなったのだろうが、それが昨年の「#MeToo」運動の盛り上がりを経て、こういう形で結実したわけである。
アカデミー賞授賞式のスピーチでは、『シェイプ・オブ・ウォーター』のギレルモ・デル・トロ監督をはじめ、受賞者やプレゼンターが、女性や移民、性的マイノリティーの問題について堂々と政治的な主張を行い、それ自体がまたトランプ政権に対する批判になっていた。
ところが、授賞式の視聴率は前年比で2割も落ちたという。政治的メッセージを前面に出されると、説教されているような気がするとして敬遠する視聴者が多かったのだそうだ。
どうやらアメリカでも、政治的メッセージは大衆には嫌われる傾向にあるようだ。 -
「朝日新聞を憎み過ぎるエセ保守は韓国に似ている」小林よしのりライジング Vol.261
2018-03-06 21:50153pt自称保守論壇誌「月刊Hanada」の朝日新聞バッシングが、トンデモない状態になっている。
朝日新聞社は昨年末、安倍政権の太鼓持ち・小川榮太郎が書いた、「モリカケ疑惑」はすべて朝日新聞のでっち上げだと主張するフェイク本 「徹底検証『森友・加計事件』 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」 が名誉棄損に当たるとして、小川と出版元を相手取り、5000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴訟を起こした。
実はその出版元が「月刊Hanada」を出している飛鳥新社で、同誌の編集長・花田紀凱自身が本の刊行にも深く携わっているのだ。
そりゃ負けたら死活問題になるから、必死のキャンペーンも張るだろう。
先月号では 「総力大特集 朝日新聞の提訴と断固、戦います!」 と題し、今月号では 「総力大特集 赤っ恥、朝日新聞!」 と題して誌面を組んでいる。
そしてこれを産経新聞の全面広告で大々的に宣伝し、 「朝日新聞と徹底闘争宣言!」 などと謳っているのだ。
わしは裁判に訴えたことも訴えられたこともあるが、その経験から、裁判というものは勝っても負けても、ものすごい費用と労力が必要になるということが身にしみてわかった。
もちろん裁判で争うことになれば、一個人よりも、資金・人員ともにはるかに体力のある大企業や政治家・政党などの方が圧倒的に有利になる。そのため、大企業や政治家などが個人を名誉棄損で訴えたりすると、それだけで大きな圧力となり、個人の活動を封じ込めることができる。
そのような、社会的に優位な立場の者が相対的弱者を相手取って訴訟を起こし、それによって恫喝や報復の効果を与えることを「スラップ訴訟」(SLAPP=Strategic Lawsuit Against Public Participation)という。
Hanadaは 「これはスラップ訴訟だ!」 と主張、小川も 「これは『言論の自由』に対する禁じ手、訴訟自体が業務妨害、圧力だ」 と朝日を非難している。
確かにスラップ訴訟によって言論が萎縮させられるようなことはあってはならないし、言論には言論で戦い、訴訟には持ち込まないというのが原則であるべきだ。
実は朝日新聞社もその原則はわきまえていて、これまでどんなデタラメな批判を浴びても、抗議はするものの、実際に裁判に訴えることはほとんどなく、業界内では「弱腰」とまで言われていたらしい。
一方、逆にスラップ訴訟を何度も起こしているのが読売新聞社だ。
読売新聞社は、新聞販売店に実際の購読数よりも多くの新聞を押しつけ、その部数の分の金額を請求するという法外な手法で販売部数を水増ししていた 「押し紙」問題を取り上げたジャーナリストを名誉棄損で訴えるなど、自社に都合の悪い記事を書く個人を標的にした訴訟を連発してきた。
読売側はそのほとんどに敗訴しているのだが、裁判の勝敗など関係なく、裁判を起こすこと自体で相手に負担をかけることができるわけで、これは典型的なスラップ訴訟であり、言論弾圧訴訟である。
それに比べれば朝日新聞社ははるかに良識的と言ってよく、今回の提訴は朝日としては極めて異例の事態なのだ。
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