-
「『新戦争論1』は右翼か?左翼か?」小林よしのりライジング Vo.119
2015-02-03 22:45153pt『新戦争論1』の発売から1週間経てば、ネットの中では必ずわしへのアンチが蠢き出す。
アンチには2種類いて、極右のアンチと、極左のアンチである。
在特会や、ネトウヨや、安倍首相信者の極右が罵詈雑言を投げかけてくるが、反戦リベラル左翼も、罵詈雑言をぶつけてくる。
本の内容も読まず、理解する脳力もなく、ここ何年もずっとこの調子である。本が売れること自体を妨害したいのが、極右と極左のアンチどもだ。中には極左の工作員が、極右に成りすまして、攻撃してくるケースもある。
極右も極左も「ポジション・トーク」に堕しているから、自分の頭で考えない。 意見は自分の属する世間(ポジション)に同調しているから、右も左も紋切り型で、それぞれの陣営の統一見解に固着している。
なにしろ戦後70年、戦争に関する日本の言論界そのものが硬直しきっている。
「保守」「右翼」は好戦的!
「革新」「左翼」は反戦的!
ただこれだけなのだ!
いったん自分の立つポジションを「保守(自称)」に定めてしまったら、好戦的な意見しか言えなくなってしまう。
侵略戦争だろうが、対テロ戦争だろうが、あるいは避けようとすれば避けられる戦争だろうが、どんな戦争でも断固やるべしと言わなければならなくなってしまう。
もしも、「それは侵略戦争だから反対だ」などと言おうものなら、たちまち「左翼」と思われてしまうのだ。
わしには自称保守やネトウヨの「好戦的」な言動が理解できない。
左翼は左翼で、このポジションに立ってしまったが最後、この世のありとあらゆる戦争に反対という意見しか言えなくなってしまう。
過去の戦争も、現在の戦争も、未来の戦争も、すべてがダメだと言わなければならないのだ。
全くおかしな話である。
全ての戦争には、それぞれ異なった事情がある。
やらざるを得ない戦争もあれば、やってはならない戦争もある。
それは右とか左とか、保守とか左翼とかいう立場には関係がない。
……たったこれだけの当たり前のことが、ポジションを決めてしまった人々には一切通用しないのだ!!
右か左かのポジションによって、かたや100%賛成、こなた100%反対、その両方の極論以外は、決して許されないということになっているのである。
極論になってしまったら、どっちの側についても必ず道を誤る。
1 / 1