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「『女性差別撤廃委員会』の勧告という『外圧』の危険性」小林よしのりライジング号外
2016-03-14 17:20102ptゴーマニズム宣言 「『女性差別撤廃委員会』の勧告という『外圧』の危険性」 3月7日、国連の「 女性差別撤廃委員会 」が日本政府に対する勧告を発表、その中には元慰安婦への「完全かつ効果的な賠償」を求めるばかりか、指導者や政治家の慰安婦問題についての発言にも制約を加え、教科書に慰安婦を取り上げろという要求まで書かれていた。
わしはその報道を聞いてものすごく腹が立ち、即座にブログで「国連女子差別撤廃委員会という連中は何の権利があって日本の内政干渉をしてるのだ?」「戦勝国を優遇する国連で、敗戦国を「差別」したがっている実にくだらない「反日委員会」の主張なんかを、日本の新聞は載せるんじゃない!」と書いた。
https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=joa21321w-1998#_1998
だが、よく調べてみるとこの批判は当たっていないことがわかった。
日本は昭和60年(1985)、「国連女性差別撤廃条約」というのを批准、締結している。
この条約は、男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女性に対するあらゆる差別を撤廃することを基本理念としている。
問題の「女性差別撤廃委員会」は同条約の第17条において、各国の条約実施の進捗状況をチェックするために設置することが定められている機関だ。
そして条約締約国は条約実施の進捗状況を国連に報告し、委員会はそれを検討して、今回のような「勧告」などの見解を発表することになっている。
つまり日本が「国連女性差別撤廃条約」を締結している以上、「国連女性差別撤廃委員会」が日本政府に対してこのような勧告を行うことは、条約に定められた当然の権限であって、これを内政干渉とは言えないのだ。
現在、安倍政権が国会でTPP関連法案の成立を急いでいるのを見てもわかるとおり、 国際条約を締結する場合、それが国内法と齟齬をきたしていたら、国内法の方を変えなければならない。
日本における法的な位置づけとしては、国際条約は憲法よりは下位だが、国内法よりは優位とされている。
そのため憲法に違反しない限り、条約に違反する国内法や条例はあってはならないのだ。実を言うと、昭和60年に「 男女雇用機会均等法 」が制定されたのも、国連女性差別撤廃条約を締結するための国内法整備だったのである。
TPP批判の際に何度も指摘したことだが、国際条約の締結によって、その国固有の文化や慣習に反する国内法を制定せざるを得なくなり、国柄が損なわれたり、重大な主権侵害を受けたりする事態は、いくらでも起こりうる。だからこそ条約の締結には慎重さが求められるのだ。
国連女性差別撤廃条約を締約している国は現在189ヶ国に上るが、条約文に署名はしたものの、国内議会の承認が得られないために締約に至っていない「署名国」も、98ヶ国もある。
実はアメリカ合衆国も、1980年に署名はしているが、国内法が条約に制約されることを議会上院が拒否しているため、未だに締結していない。 -
「慰安婦問題『解決』への道」小林よしのりライジング Vol.167
2016-02-23 15:55153pt引き続き慰安婦問題について、今週はその「解決」はありうるのかということをもう少し考えてみたい。
先週号で論点整理したとおり、慰安婦問題の「解決」とは決して韓国の納得を得ることではなく、「 日本の父祖の歴史の名誉を、国際社会の中で日本人が取り戻し、未来の日本の歴史を作っていく新しい世代に、正しい歴史を受け継ぐことができるようにすること 」である。
そこで、どう国際社会を説得するかが問題になってくる。
今や国際社会の中では強制連行の有無は問題にされず、前借金に縛られて強制的に性を売らざるを得なかったとなれば、性奴隷「sex slaves」と見なされるようになっている。
このことに対して藤岡信勝氏は、前借金に縛られるというのはあくまでも雇用契約の一種であり、「身売り」という言葉が使われているとはいえ決して人身売買ではなく、欧米でも徒弟制度の雇用関係などに、普通に例はあると言った。
それは確かにそうだろう。考えてみれば、ドラマの『おしん』を欧米人が見ても、主人公のおしんが米俵一俵で子守奉公に出されるのを「子守奴隷」だとはいくらなんでも言わないはずだ。
だが、労働の内容が売春だったら「性奴隷」になってしまう。 そこが本質なのだ。 日本人は、特に公娼制度があった時代においては、売春も職業の一種だという認識があるのに対して、キリスト教文化圏では決して売春を職業とは認めない。だから「奴隷」に結びつけてしまうのである。
これはもう捕鯨の問題と全く同じで、今現在の価値観から過去を断罪してしまう。 過去は今の価値観とは違うとか、民族によって違うという、「文化相対主義」をキリスト教文化圏の者にも、主張し続ける必要があるだろう。
とはいえ、 国連人権委の「クマラスワミ報告書」に書かれた 「慰安婦の総数は20万人で、その大部分は殺された」 などといった全くのデマは厳重抗議していくしかないし、クマラスワミ報告書も取り下げさせなければならない。
報告書を書いたスリランカ人の女性人権活動家、ラディカ・クマラスワミは当初、慰安婦の何が問題なのか全然わからなかったという。やはり、キリスト教文化の影響が薄い人が見れば、これはどこの国にもある戦場の娼婦じゃないかと思うものなのだろう。
ところが報告書の作成過程で、「強制連行」の吉田清治証言やら、シナの古典の残酷話をそのまま写してきた北朝鮮の元慰安婦証言と称する文書やら、ありとあらゆるデマ話が寄せられた。そして一切検証もせずにそれを全部鵜呑みにしてしまったクマラスワミが、なるほどこれは一大事だと、報告書にまとめ上げてしまったのである。
だから、もしもクマラスワミ報告書がデマだということが国際社会に認められれば、キリスト教文化圏以外からは「じゃあ、何が問題だったんだ?」という疑問も出るようになり、慰安婦問題全体の見直しにつながることもあるかもしれない。
わずかな可能性かもしれないが、まずは事実に反することを訂正させるのが第一歩である。
だが今回安倍政権がやった「日韓合意」は、そのためによかったのだろうか?
むしろ、デマに反論しようとしたら「問題を蒸し返すな」と発言を封じ込まれ、デマが事実として流通していく事態になってしまうのではないだろうか?
今回の「合意」では、それが一番懸念される問題である。
いくら慰安婦問題の解決と日韓関係は別問題とは言っても、わしとて日韓関係は改善した方がいいとは思っている。だが今回の「日韓合意」はどう考えてもその役には立たず、到底評価はできない。 -
「日韓慰安婦『合意』という売国」小林よしのりライジング Vol.166
2016-02-18 16:15153pt第53回ゴー宣道場 「慰安婦〈合意〉は正しかったのか?」 を2月14日、拓殖大学客員教授・藤岡信勝氏を迎えて開催した。
今年は、当時の中学歴史教科書7社全てに「従軍慰安婦」が登場し、この異常事態に対抗すべく「新しい歴史教科書をつくる会」を設立する動きが始まってからちょうど20年に当たる。このとき西尾幹二氏とともに「つくる会」を創設し、その活動にわしを招こうと提案したのが藤岡氏である。
それから20年、「つくる会」の活動やわしの『戦争論』の影響により、中学歴史教科書から「従軍慰安婦」は消え、日本人の「自虐史観」(この言葉を普及させたのも藤岡氏である)も相当に払拭されたかに見える中、昨年末に唐突に慰安婦問題の「日韓合意」が行われた。
自称保守論壇の中にはこれを評価・歓迎する向きもあるが、果たしてそれでいいのだろうか?
論点は多岐にわたるが、今回は事前にブログで以下の5つの論点を提示した。
1)なぜこのタイミングで日韓合意?
アメリカの圧力で、ではないのか? 他に理由があるのか?
2)日韓合意のメリット・デメリット
本当に韓国を追い込んだと言えるのか?
7対3で日本の勝利などと言う新聞記者もいるが本当か?
再び教科書に記述されて、日本が再び自虐史観に戻ることはないのか?
3)安全保障か、歴史の真実か
安全保障のためなら譲歩やむなしなら、歴史戦はすべて敗北しかないのではないか?
4)慰安婦の真実が伝わらない理由
なぜ慰安婦の真実は伝わらないのか?
5)慰安婦問題の解決はありえるのか
前々回のゲスト、松竹さんは「保守先鋒の安倍首相が謝罪する」ことで解決すると言っていたが、今回の〈合意〉で日韓共に解決ということか?
藤岡氏は、今回の「日韓合意」は「 全く評価できない、やるべきではなかった。大失敗だった。日本外交の世紀の失態だ 」という。この認識はわしも同意である。
ではこの5つの論点に沿って、当日の議論を整理しておこう。
1)なぜこのタイミングで日韓合意?
藤岡氏は、まずアメリカの世界戦略の変化を挙げる。
中東政策が大失敗し、対ロシア外交でもやられっぱなしという状況の中で、アメリカの世界覇権が怪うくなる一方、世界第二の覇権国である中国が台頭。尖閣諸島をめぐって日本と摩擦を起こし、南沙諸島を軍事拠点化しようとしている。
ここにきてアメリカは中国との対決姿勢をとるようになり、そのために日本に対して協力を求めている。
アメリカは4年前の野田政権の頃から、日本と韓国の手を結ばせようと水面下で動いていた。
これが表面化したのは昨年3月、中国が提唱するAIIB(アジアインフラ投資銀行)に、韓国がアメリカの制止を無視する形で参加、さらにヨーロッパ諸国がこぞって参加するという事態に危機感を抱いたアメリカが、同盟国の締め付けを図った。
昨年11月の日韓首脳会談で、朴槿恵大統領は安倍首相に慰安婦問題の年内の妥結を求め、このとき安倍は期限を区切ることを拒否。12月15日の外務省の交渉も不調で、年越しは確実と思われていた。
ところが24日に安倍首相は突如、岸田外務大臣を韓国に送る決定を下し、28日に「日韓合意」となる。
この急転直下の原因は不明だが、アメリカの圧力なしには考えられないという。 -
「寝屋川中1殺害事件、近代化の闇に魔物の徘徊」小林よしのりライジング Vol.145
2015-08-25 19:20153pt偏見は差別を助長する。
だが偏見が人間の警戒心として有効に機能する場合もある。
偏見という言葉の持つ両義性の間で、「これは差別か?」「これは真っ当な警戒心か?」とバランスをとる判断能力が必要になる。
大阪・寝屋川の中1男女二名誘拐・殺人犯は、2002年にも同様の監禁事件を犯していたとテレビで言っていた。
その時は男の子が監禁されてるから、どうやら今回の事件は男の子の方が目的だったようだ。女の子は一緒にいたから、先に始末したということか?
少年監禁性欲という極めて特殊な変質者もいるのだろう。
性的な変質者は再犯する可能性がある、これは一概に偏見とも言えず、性欲の問題だから抑制できずに暴走する危険性を考慮せざるを得ない。
だからアメリカでは「ミーガン法」で性犯罪者にGPS探知機の装着を義務付けて、近所の人々が追跡できるようにして再犯を防止している。
人権問題のようにも見えるが、被害者になり得る女子供の人権の方が大事だというのは、わしには理解できる。
しかし深夜に子供を徘徊させる親も問題だが、何度でも同様の事件が起こっているし、「親は何してるんだ?」とその度に思ってしまう。
それほど家族間の絆は切れてるのだろう。子供は家族共同性の綻びをツイッターやラインなどのSNSで繕って、誰かと繋がっていれば安心するようだ。
親は親で、ケータイを持たせているから安心と思うらしく、貧困層の親は仕事だけでくたびれて、子供を見守る余裕もないという状態なのだろう。
ケータイがあり、コンビニがあり、ファミレスがあり、漫画喫茶があり、近代化されて便利な社会だから、我が子を放っておいてもどこかで生きているはずとしか思わないようだ。
便利で近代化された時代にも、人間という獣は蠢いている。
今の時代は弱者が弱者を狙うから、男子も女子も関係なく、獣に狙われる。 -
「安倍首相の戦後70年談話を検証する」小林よしのりライジング Vol.144
2015-08-18 17:40153pt8月14日、安倍首相の戦後70年談話が発表された。
安倍談話は戦後50年の村山談話の約2.6倍、戦後60年の小泉談話の3倍近い長ったらしいものだった。
もともと安倍晋三が戦後70年談話を出そうとしたのは村山談話を否定するためであり、安倍を支持する自称保守派はみんなそれを期待していたはずである。
ところが蓋を開けてみれば、 ただ村山談話を冗長にしただけの代物。「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」という村山談話の4つのキーワードも全て入れ、「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」と、村山談話の揺るぎない踏襲を宣言してしまった。
同日に出演した「朝まで生テレビ」では、この談話は事前にアメリカに見せているはずだと指摘しておいたが、案の定、 談話の作成にあたっては事前にアメリカに内容を説明し、理解を求めていたという報道がすぐに出てきた。
国民はこれを普通の事として受け入れているが、首相自らが「内政干渉」を申し出るというのは属国の証明である。
もし中国に日本の首相談話をチェックさせていたら、大騒ぎになったはずだ。中国には内政干渉させない、アメリカなら内政干渉されていいといのが、この国の従米属国精神なのだ。
結局のところ、安倍首相やそのコアな支持者が唱えていた首相談話からの自虐史観の克服は、戦勝国の監視を恐れてどんどん後退し、ついには安保法制を通すために、村山談話を踏襲するしかなくなってしまったわけだ。
これは完全に安倍首相自身の変節であり、保守派は激怒してデモを起こさねばならないのだが、静かなものである。相変わらず、安倍ちゃんのやることなら何でも支持の、安倍真理教に嵌ってしまっている。
こんなことなら、新談話を出す意味など何もない。村山談話でよかったのである。
わしは外国特派員協会の記者会見で「アメリカの戦争史観に染まったような談話だったら批判する」と表明しておいた。
もちろん、先週批判した有識者懇談会の報告書を見た時点で予想がついていたことだが、 談話は完全に欧米中心の歴史観によって書かれていた。 これについても、批判する以外にない。
談話では日本は満州事変以降、道を誤ったとして次のように言っている。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
日本は、平和を望む欧米諸国が作った「新しい国際秩序」への「挑戦者」になったというのだ。
こんな単純な「欧米=善玉、日本=悪玉」の歴史観は、実は欧米の研究者でさえ否定している。
少々長くなるが、イギリスの歴史家クリストファー・ソーンの『満州事変とは何だったのか』(市川洋一訳、草思社)から引用しよう。 -
「『レッテル貼り』はいけないのか?」小林よしのりライジング Vol.139
2015-07-07 18:45153pt先日、テレビ朝日「モーニングバード」の「そもそも総研たまペディア」の取材を受けた際に、レポーターの玉川徹氏が、自分には「反日」とか「売国」とかいう「レッテル貼り」がされているようだと気にしていた。取材先で、そんなことを言われる場合があるらしい。
「そもそも総研」はかなり厳しく政権批判をしているから、安倍政権を支持することが「愛国」だと思っているような、思考能力の欠如したネトウヨなどが、「反日」だの「売国」だのと言ってくるのだろう。
一方、安倍晋三も「レッテル貼り」を異様なほど気にしている。6月21日の朝日新聞で読んでつい笑ってしまったが、安倍は昨年7月14日、民主党の海江田万里に対する答弁で、こんなことを言ったそうだ。
「レッテルを、私がレッテルを貼ったなら謝るが、海江田さんもレッテルを貼ったなら取り消していただきたい。お互いにレッテルを貼りあうという不毛な。海江田さんがまずレッテルを貼ったから、私もレッテルを貼った。レッテル貼りの議論ではなくて、レッテル貼りではなく中身の議論をすべきだと思う」
1回の答弁で、「レッテル」「レッテル」と8回も繰り返している。異常な執着ぶりである。
ちなみに「レッテル」とは、広辞苑によれば「 商標。ラベル。転じて、ある人物や物事に対する特定の評価 」であり、「レッテル」自体は必ずしも「不当な評価」という意味ではない。
それが、「レッテルを貼る」となると、「一方的に、ある評価・判断を下す」という意味になり、不当な評価を与えて、イメージダウンを図るといった意味合いを含むようになってくるわけである。
とはいえ、一方的に貼られたレッテルでも、それが正しい場合だってあるわけで、全部ひとくくりに「レッテル貼りはいけない」と言うのも乱暴な話である。
最も簡略化した表現で相手を批判することは必ずしも悪いことではない。
貼られたレッテルが正当か、不当かをその都度検証することが不可欠であり、それが間違ったレッテルであれば非難するというようにしなければならないのであって、「レッテル貼り」を全ていけないものとするのは、単なる思考停止である。
百田尚樹や自称保守やネトウヨは、朝日新聞に「 反日 」「 売国 」のレッテルを貼る。
朝日の記者や論説委員だって、「反日」や「売国」のためだと自覚的にやった人などいないだろう。わざわざ慰安婦問題に火をつけたのも、それが日本のためになると勘違いしてやったのだろう。
自衛戦争と侵略戦争の区別もせずに、「戦争=悪」のレッテル貼りをした方が、平和を維持できると思い込んでいたのである。
そして、それが結果的に「反日」「売国」となったのである。慰安婦問題や靖国問題で、中国や韓国に「ご注進」報道を繰り返し、向こうのナショナリズムを沸き立たせて、実際に日本の国益を損なう事態が起きたのだから、自覚的でなくとも、確かに「反日」「売国」の意味合いはあったといえる。
過去の朝日新聞を見ると、「反日」「売国」というレッテル貼りを否定するのは確かに難しい。
ただし、朝日新聞の記者たちも、そろそろ世代交代しているだろうから、過去の悪行を叩くだけよりも、今後の更生を見守ろうとわしは思う。櫻井よしこや自称保守派やネトウヨや自民党議員のように、「廃刊にせよ」とか、「潰せ」などとは、わしは言わない。
百田が沖縄の2紙を「 左翼 」だとレッテル貼りして、袋叩きにあっているが、「潰さなければいけない」と権力者の勉強会で言論弾圧を煽るからである。
もっと丁寧に根拠を出しつつ言わねばならない。 -
「自主独立のために必要な“信頼醸成”とは?」小林よしのりライジング Vol.138
2015-06-23 20:20153pt第48回ゴー宣道場は6月14日、「戦争と道徳」をテーマに、思想家・東浩紀氏と社会学者・宮台真司氏をゲストに迎えて開催された。
東氏が主宰する「ゲンロンカフェ」がゴー宣道場をジャックするというコンセプトで、第1部では司会を東氏に任せ、宮台氏とわしらの議論を自由に仕切ってもらうという初の試みに挑戦した。
試みは成功したようで、参加者のアンケートを見ても好評なものが多く、特に二人の人柄の面白さに好感を持った人が多かったようだ。
だが、言うまでもなく東・宮台両氏とわしの意見が完全に一致しているわけではない。むしろ、相違点があるからこそゲストとして招く意味があるのだ。
会場が和気あいあいの雰囲気になったのはいいが、それに流されてしまわぬように、当日の宮台氏の発言の中で、わしが疑問を感じた部分を挙げておこう。
宮台氏は、「 戦争に負けたんだから、戦勝国のレジーム引き受けるのは当たり前 」という。そうしなければ、誰も戦後復興に協力してくれなかったからだという。
その上で、「東京裁判史観」とは日中共同声明で周恩来が繰り返した「 日本国民は悪くない。日本国民も中国国民も、共通して日本の軍国主義者の被害者である 」というものだという。
つまり「A級戦犯」とは天皇陛下や日本国民から戦争責任を免罪するためのスキーム(仕組み)だというのだ。
要するに宮台氏は、東京裁判の図式を認めれば中国と友好関係が築けると考えている。
村山談話のような謝罪を繰り返して、靖国神社からいわゆるA級戦犯を分祀するか、国立追悼施設を作るなどしてしまえば、首相の靖国参拝も天皇陛下の御親拝も許されるし、宮台氏の言う重武装中立が可能になるというわけだ。
まあ、いわゆるA級戦犯の方々に申し訳ないが、軍部=悪、国民=犠牲者の図式を建前上だけ認めておくという偽装ができれば、確実に自主防衛が出来るというなら、妥協してもいいかもしれない。
だが、わしは宮台氏の意見に異論を呈しておいた。
わしは、中国には日本を「永遠の敗戦国」にしておきたいという意図があると見ている。
日本を、ポツダム宣言に言われているような「世界征服を企んだ悪の国」だったことにして、国連の「敵国条項」の中に封じ込め、国際社会の覇権ゲームに参加させないというのが中国の意志であり、それはアメリカもロシアもそうであり、そして韓国も事大主義で日本のプレイヤーとしての復活を願っていないと思うのだ。
この意見に対して、宮台氏はこう言った。
「 それはわかる。しかし問題はね、その状態からどうやって僕たちが脱することができるかということだよね。そこから脱するという目標を立てた場合はですね、基本、政治家がやってきたことは非常によくないことなんだよね。
まず、僕たちは敗戦しました。で、僕たちが民主主義国として再建できるためには、日本国民は駄目な国民ではないという枠組みを作る必要があるので、まあ、極東国際軍事裁判(東京裁判)図式は不可避。それ以外の図式で日本が民主主義国として再出発することはありえない。これまず認める必要がある 」
さあ、読者諸君はこの意見をどう思うか?
さらに宮台氏は、中国は日本を単に「永遠の敗戦国」にしておきたいと思うほど感情的なバカではなく、偉い人はたくさんいると言った。
そして大事なことは、 中国が危惧しているのは、日本が本当に戦前と手を切ったのかという問題なのだという。
中国はそのことに危惧を抱き続け、1970年代、田中角栄の日中国交正常化の頃には、もうそろそろ危惧するのはやめてもよいかなと思った時期もあったが、すぐその危惧は復活し、現在に至っているというのだ。 -
「メルケル首相演説の誤解と評価」小林よしのりライジング Vol.125
2015-03-17 14:15153pt3月9日・10日の2日間、ドイツのメルケル首相が来日した。
ドイツは中国との経済関係を深めており、メルケルは2005年11月の首相就任から10年弱の間に7回も訪中している。
それに対して訪日は3度目、それも2008年の北海道・洞爺湖サミット以来、実に7年ぶりである。露骨なほどの差をつけている。
そんなメルケルが今回、突然日本にやって来た。何しろ外務省がメルケル訪日を発表したのが10日前の2月27日という慌ただしさである。
唐突な来日で、何をしに来たのかさっぱりわからなかったが、一応、今年6月にドイツ南部のエルマウ城でサミットが開催され、さらに来年は日本でサミットが行われることから、その協力要請のための来日であるとか、ウクライナ情勢やギリシャ支援への対応、テロ対策などについての意見交換をするためとか言われていた。そう聞いても、やっぱりよくわからない理由だが。
中には、安倍政権の経済政策やアジア外交、さらに特定秘密保護法導入による「言論の自由の危機」に対する懸念がドイツ国内に高まっており、それを伝えに来たのではないかとか、6月のサミットで安倍が場違いな発言をしないように釘を刺したのではないかといった推測もあった。それならありうる、と思えてしまうところが情けない。
メルケルの訪日に関して、特にマスコミが大きく報道したのが9日に行われた講演だった。
報道だけ見ていると、戦後70年の「歴史認識」と「脱原発」がテーマの講演だったかのように思ってしまうが、講演の全文を読んでみると、142年前の岩倉使節団のドイツ訪問から話が始まり、東日本大震災、ウクライナ情勢、テロとの戦い、軍拡と核拡散の阻止、国連安保理改革、G7の重点課題、少子高齢化と地域間格差の問題など、実に様々なテーマを語っており、歴史認識も脱原発もあくまでもその中の一テーマという扱いになっている。
しかし左翼マスコミは、最初から「歴史認識」と「脱原発」で「ドイツに見習え」という記事が書きたいという意識しかなかった。
というより、この講演自体が、メルケルから「ドイツに見習え」的な言葉を引き出すためにセッティングされたものとしか思えない。なにしろ講演会の主催者は朝日新聞社だったのだから。
実際にはメルケルの講演では、「歴史認識」についてはかなり抑制的な表現にとどまっていた。
おそらく、それでは物足りないと思ったのだろう。質疑応答に入ると、真っ先に「主催者代表」がこんな質問をした。
過去の克服と近隣諸国との和解の歩みは、私たちアジアにとってもいくつもの示唆と教訓を与えてくれています。メルケル首相は、歴史や領土などをめぐって今も多くの課題を抱える東アジアの現状をどうみていますか。今なお、たゆまぬ努力を続けている欧州の経験を踏まえて、東アジアの国家と国民が、隣国同士の関係改善と和解を進める上で、もっとも大事なことはなんでしょうか? 要するに「『日本よドイツを見習え』って話をして!」とリクエストしているのだ。かなり露骨に。
メルケルはこの質問に対して、「 ドイツは幸運に恵まれました……ホロコーストの時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれたという幸運です。どうして可能だったのか? 一つには、ドイツが過去ときちんと向き合ったからでしょう 」と回答。これで朝日新聞は大喜びである。
「ドイツが過去ときちんと向き合った」朝日はこの一言を待ちに待ち望んでいたのだ。 日本は過去ときちんと向き合っていない! ドイツを見習え! …とにかく朝日はそう言いたくて、言いたくて、言いたくてたまらないのだから。
だが、ドイツが過去ときちんと向き合ったなんて話は大ウソなのである。
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