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「遺骨収集・千鳥ヶ淵墓苑が形骸化する理由」小林よしのりライジング Vol.69
2014-01-14 22:20157pt「遺骨収集・千鳥ヶ淵墓苑が形骸化する理由」 安倍首相は昨年4月、大東亜戦争末期の激戦地で、今も日本兵約1万2千の遺骨が残る硫黄島を訪れ、「 遺骨帰還事業を着実に進める 」と表明した。
これを受け政府は 厚労、防衛、外務各省による作業チームを結成。 事業費として平成26年度予算に数十億円を計上し、部分的な収容と調査を並行して着手するという。
さらに安倍首相は今年から2年間を目標に、同じく大東亜戦争末期の激戦地だった南太平洋の島国へ、現職首相としては29年ぶりとなる歴訪の方針を固め、合わせて 政府は平成26年度から、南太平洋諸国やミャンマーなどでの戦没者の遺骨収集事業を強化する方針を固めた。
いずれも日本人戦没者を慰霊し、遺骨収集活動を強化したいとする安倍首相の強い意向によるという。
南太平洋諸国やミャンマーへの訪問には、中国の進出を牽制する狙いがあるとか、 昨年末の「 靖国神社参拝 」と「 遺骨収集の強化 」を「 慰霊のため 」の一連の行動だと強調する ことで、靖国参拝に対する中国や韓国の反発を和らげようとの思惑があるとか言われている。
「靖国神社参拝」が「遺骨収集」と同じ「慰霊」だと、国民にも、諸外国にも、強調すること自体が完全に間違っている。
靖国神社は「特段、英(ひい)でた霊」に対する「顕彰」の施設であって、「慰霊」の施設ではない。
英霊は犠牲者ではなく、英雄であって、靖国神社に参拝したら、命を賭けて国を守ってくれた英霊に感謝し、我々もその覚悟を誓うのが本当なのだ。
「遺骨収集」は「犠牲者」に対する「慰霊」だから、靖国神社とは根本的に理念が違う。
そもそも硫黄島への入島制限を緩和し、事業費を10倍に拡大するなどの方針を打ち出し、同島の遺骨収集事業を大幅に推進したのは民主党の菅政権で、政権交代以前から国による遺骨収集事業は推進される傾向にあった。
菅直人も以前から遺骨収集には積極的だったということで、当時、菅は
「 せめて御遺骨を御家族の待つ地にお返ししなければならない。これは国の責務であります 」
「 われわれは、尊い命を賭して祖国を守ろうと硫黄島で奮闘された英霊に思いを致し、この国の平和と繁栄をしっかり築いていかなければなりません 」
といった発言をしている。ただ、自称保守派やネトウヨたちが、靖国神社に冷淡な菅直人のやることだから「欺瞞」だと決めつけ、無視していただけのことである。
遺骨収集など、戦没者慰霊事業の担当部署である厚生労働省によると、海外における戦没者は約240万人で、収容された遺骨は約127万体。海に沈むなどして収容が不可能なものや、国交のない北朝鮮などにある遺骨を除き、まだ約60万体の収集が可能という。
これらの戦没者を、一人でも多く、一刻も早く「帰還」させたい…実はわしもかつてはそう思っていた。遺骨に魂が宿っているという遺骨信仰がわしの中にも残っていたのだ。
だが同時にこういう疑念が拭い去れなかった。
それでは、遺骨が収容されていない戦没者の霊は、日本に「帰還」していないのか?
太平洋に没した遺骨、シベリアに斃れた遺骨、満州・シナ・朝鮮に埋もれた遺骨はどうなるのか?
戦没者の霊は、全て英霊として祖国に帰還し、靖国神社に祀ってあるのではなかったのか?
靖国神社に遺骨はない。祀られているのは「霊」だけだ。
遺骨収集は日本人の骨への信仰で成り立つのだろうが、その聖地は千鳥ヶ淵墓苑である。
もともと神様を数える単位である「柱」が、遺骨を数える単位としても使われていることなどから混同されやすいのだが、 遺骨信仰と、霊魂信仰は違う。むしろ、相反するものとさえ言える。
遺骨が還らなければ帰還したことにならないというのでは、靖国神社の否定につながってしまうのだ。
だから、菅直人が靖国神社を否定する一方で、遺骨収集事業に熱心だったとしても、これには全く矛盾はない。
逆に靖国神社と遺骨収集事業を一続きのもののように思っている、安倍政権や自称保守の感覚の方がおかしいのだ。
遺骨収集は昭和27年の「遺骨送還に関する閣議了解」などに基づき実施されているが、政府が推進する上での法的根拠は弱く、民間が中心となって行なわれてきた。
この「民間」というのは具体的には各地の 戦友会 や 遺族会 などである。これらの人々にとっては、 戦没者は自分に近しい存在だったわけだから、遺骨を野ざらしにしておきたくはない、できれば日本に帰還させ、きちんと弔いたいという思いは「情」として全く当然のものだった。
だが平成に入った頃から、戦友会や遺族会の人たちが高齢化し、現地入りすることが困難となってきたのに伴って、戦没者とは直接のつながりを持たないボランティア団体が遺骨収集に関わるようになってきた。ここが、遺骨収集事業の大きな転機となったのである。
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