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「芸能とは何なのか?(前編)」小林よしのりライジング Vol.478
2023-08-22 19:15300pt「ジャニーズ問題と日本の性文化」と題して、日本には歴史的に男色文化があったことを書いたら 「ジャニーズ問題と、日本に男色の歴史があったことに何の関係があるのか?」 という反応まで出て来て、本当に驚いた。
我々、日本人の現在の文化やルール感覚とて、古代から中世から江戸時代から明治以降の歴史に繋がっていることくらい当たり前ではないか!
日本は欧米やシナのように、革命で歴史が寸断された国ではない。古代から連綿と繋がっていることを実感できない鈍感人間が出てきたこと自体が危機的なのだ!
ほかならぬ漫画文化も、漢字という表意文字があって、鳥獣戯画から発展してきた文化である。歴史感覚のない人間など、そもそも日本人ではない。
ジャニーズ問題と、日本の男色文化は間違いなく深すぎる関係があって、だから欧米キリスト教徒の日本バッシングは、「人権真理教ザビエル派」だと、わしは言ったのだ!
ここに来て、「なぜ歴史が必要なのか?」なんて初歩の初歩を、幼児に教えるように説明しなければならないのだろうか?
必要ならばそんなこともやってもいいが、今回は論を先に進めて、日本の「芸能」の歴史について語っておきたい。
日本最古の「芸能」とは何だろう?
神話の世界では、高天原(たかまがはら)の天(あめ)の岩屋の前でアメノウズメノミコトが行った舞踏が最初である。
以下、わしがかつて「新しい歴史教科書」に書いた記述を引こう。
スサノオの命は天照大神を訪ねていくが,何しろ気性の荒いスサノオは神殿に糞をするわ,天照大神の神聖な機屋に,馬の皮をはいで落とし入れるわで,ついに天照大神はおそれて天の岩屋にこもってしまう。すると,天も地も真っ暗になり,あらゆる災いがおこった。
そこで神々は策を考え,祭りを始め,常世の長鳴き鳥を鳴かせる。アメノウズメノ命が,乳房をかき出して踊り,腰の衣のひもを陰部までおしさげたものだから,八百万の神はどっと大笑い。天照大神が不思議に思って,岩屋戸を少し開けたところをアメノタヂカラオの命に引き出され,岩屋には注連縄を張られてしまったので,ついに世界に光がよみがえった。
神話を歴史教科書に載せる(もちろん「史実」としてではないが)というのは画期的なことだったが、この記述は次の改定の際にあっさり消されてしまった。一度は文部省検定も通ったのに、「新しい歴史教科書をつくる会」の側が自主規制してしまったのだ。
教科書に「乳房」とか「陰部」とかいう言葉はふさわしくないと思ったのかもしれないが、これは『古事記』にある 「掛出胸乳、裳緖忍垂於番登也〈胸乳(むなぢ)を掛(か)き出で、裳緖(もひも)を番登(ほと)に忍(お)し垂れき〉」 という記述そのままである。
日本における芸能は最初から、神に奉げるものであるのと同時に、相当にワイセツなものだったわけだ。
その後、アメノウズメはニニギノミコトの天孫降臨に加わり、その途中で出会ったサルタヒコノカミと結婚した。
アメノウズメの話は、古くから 「舞」 が神に奉げるものとして存在していたことを反映している。
アメノウズメは芸能の神であると共に、 巫女 の起源ともいわれる。
古事記にはアメノウズメは 「神懸り」 して踊ったと書かれているが、巫女の源流は「シャーマン」であり、神霊や精霊をその体に憑依させて神託を伝えたり、舞を踊ったりしていたと考えられている。
後に仏教が伝来すると、仏教の儀礼で披露される 舞楽・雅楽 なども定着し、やがて神前で舞楽が神に奉げられるようになり、一方で日本固有の舞も整えられていった。
平安時代には、神社での祭祀に 雅楽や神楽舞 が奉納されるようになり、その祭祀には アメノウズメの子孫とされる 猿女君(さるめのきみ) の一族 が携わった。
そして中世以降には、各地の神社で巫女による神楽の奉納が恒例となっていく。
こうして神社における祭祀が整備されるに伴なって、 巫女は神社に所属して祭祀を補助し、神楽を舞う存在となり 、神懸りして神託を告げるという役割は失われて行った。
その一方でイタコやノロのように、神社には所属せずに、昔ながらの神のお告げや占いを行って生業とする「民間の巫女」のような者は各地に存在した。
そしてその中には 定住の場も持たず、諸国を放浪しながら神のお告げや占いや、舞を披露するなどして生計を立てる「歩き巫女」という女性もいた。
歩き巫女は 「旅女郎」 とも呼ばれ、 中には売春を生業としながら各地を渡り歩く者もいた。 そういう意味では、 神事と売春は非常に近い関係 にあったともいえる。
日本人は古来、万物に神が宿ると信じ、神と共に生きている。そのため神に奉げる舞踊も、神職が独占するものではなかった。 -
「男色文化は明治をどのように生き延びたか?」小林よしのりライジング Vol.477
2023-08-15 19:25300ptジャニーズ問題は、単なるひとつの時事問題では済まないものになった。
これは日本古来の文化・民俗性に関わる重大なものであり、今後もライジングでは連続して取り上げていくことにする。
キリスト教文化圏は、性に対して極めて厳格である。
日本では、性に対して限りなく寛容である。
男性同士の性行為にしても、キリスト教では自然に反する最悪の罪とされているが、日本では古代から「男色」の文化があり、自然なこととして受け入れられてきた。
ジャニー喜多川がやっていた「美少年愛」という性癖は、 「今ならもう許されることではないし、変質者と言うしかないが」 、江戸時代なら咎められることはなかっただろう。
レイプでは絶対なく、 同意の上の性的いたずらなら枕営業 ということになる。拒否することも可能、逃げることも可能、警察に訴えることも可能なら、強制性がなくなってしまう。
唯一、強制性を訴えるなら、「グルーミング」しかないが、子供には「主体性」が全くないのか?子供を預けた親にも「主体性」が全くないのか?ジャニーズ出身のスターは、全員、「グルーミング出身者」で、変質者に騙されて餌食になった男たちか?ということになって、とてつもない偏見を植えつけてしまう。
そもそもジャニーズ問題は個人の精神性の問題に帰結するものではない。
キリスト教文化と日本文化の感覚の差は埋めがたいほど大きい。 ジャニーズについて、日本国内ではずっと 「黙認」 されていたにもかかわらず、欧米からの外圧によって問題化されてしまったという構図も、この価値観の相違がもたらした典型的なケースといえる。
日本では豊臣秀吉の時代から明治時代半ばまでの300年余りの間、キリスト教が禁じられていた。
その理由としては、西欧がキリスト教の布教によって他国を侵略していたためということがよく挙げられるが、今後はそれだけではなく、そもそもキリスト教と日本の価値観が、根本的に異なっていたという面にも注目していかなければならないだろう。
日本は明治時代「文明開化」の名のもとに急速に西欧化を目指し、キリスト教的価値観を 「無批判に」 受け入れようと邁進した。
わしはこれこそが日本の堕落の始まりであったと確信している。
そのように考える人は、かつては右側にはいたものだが、今では右にも左にも全くいない。 今の右側は、皇統問題で明らかなように、なんと明治以降につくられたものを「伝統」と思い込むほど劣化し尽くしてしまったし、左側は昔も今も、欧米的価値観こそが「進歩的」と信じて疑わないのだ。
明治政府は西欧の価値観に合わせて「文明国」の仲間入りをするために、男性同士の性交を禁ずる法律をも制定したというところまでは、前回述べた。
そもそも男色文化は、江戸時代後期には大都市の男女比が正常化したことや、幕府の改革政策によって既に衰退に向かっていた。
これに明治の文明開化政策が加わったのだから、男色文化はすんなり消滅してもおかしくないところだったのだが、ところが実際には全然そうはならなかった。
その原因は、第一には倒幕維新の雄、薩摩にあった。
当時の男色文化の状況には地域差がかなりあったが、薩摩は日本で最も盛んといっていいほどだった。
その理由は、他のどの藩とも異なる薩摩の社会構造にあった。
他藩は武士の比率が5~7% で、ほとんどが城下町に居住していたが、薩摩では武士が30%近くを占めており、領内100以上の「郷」に分かれて居住し、半農半士の生活をしていた。
その武士の子弟は、郷ごとに兵児組(へこぐみ)と呼ばれる数百人単位の組織に編成され、 14、15歳までの元服前の少年を「稚児(ちご)」 、 元服してから妻帯するまでの14~25歳くらいまでの青年を「二才(にせ)」 といった。
二才は稚児に剣術などを教え、薩摩隼人としての人間形成を担い、二才と稚児は、とても親密な関係にあった。
しかも 薩摩には極度の女性忌避があり、「道を歩いていて女性に会っただけで、女性は穢れているからと避けて通っていた」というほどで、そんな男尊女卑感覚の中、男だけの集団が作られていた。
さて、そうなると、どうなるか? -
「ジャニーズ問題と日本の性文化」小林よしのりライジング Vol.476
2023-08-01 18:20300pt「ジャニーズ問題と慰安婦問題はよく似ている」
『ゴー宣』読者は、固定していない。流動的だ。コアな読者はずっとついてきてくれるが、『コロナ論』から入って来た人もいて、わしの慰安婦問題での戦いも『脱正義論』も読んでいない人が増えた。
『ゴー宣』読者の中にも、 「ジャニーズ問題と慰安婦問題はよく似ている」 の一言ですっかりわかったという人もいれば、猛反発して離れていった人もいる。
その分かれ目は、キリスト教系の人権真理教に、どのくらい冒されているかによる。
戦後民主主義の歴史教育しか知らない者と、学校では教わらない歴史を知っている者との間には、教養の落差がある。
日本文化は歴史的に性に対して寛容である。
これに対して欧米キリスト教文化は性に対して極めて厳格である。
日本では売春に対するタブー感が薄く、江戸時代には吉原をはじめとする遊郭文化が花開き、遊女を身請けして結婚するというケースも普通にあった。
その文化がその後も残り、戦時中には「慰安所」となった。また、現在の日本に多種多様な性風俗が存在するのも、その「性に対して寛容」という歴史が基底に残っているからである。明日花キララや三上悠亜がAV女優であるにも関わらず、女性にまで人気があるのも、「性に対して寛容」な日本文化のおかげだろう。
ところがキリスト教文化においては、これが全て「性奴隷」ということになってしまう。
まだヨーロッパでは売春がやや大目に見られているところもあるが、特にアメリカでは原理主義的に忌避されてしまうのだ。
それと同じ構図で、 日本には古くから「男色」の文化があるのに対して、キリスト教圏では男性同士の性行為は自然に反する最悪の罪とみなされた。
その歴史的な価値観の根本的な相違が問題なのである。
日本の男色は歴史的に 「古代ギリシャに匹敵する」 ともいわれ、その最古の記録は「日本書紀」に表れているとする説もある。
だが、定説としては日本の男色文化は仏教とともに伝来したとされる。
仏教では女性を不浄とみなし、寺院は女人禁制だったから、男だけの世界で僧侶が男色に走ることはよくあった。 ただしシナ大陸や朝鮮半島では「破戒僧のやること」とされ、あまり好ましくない行為とされていた。
ところが日本ではこれが寛容で「許容範囲内の逸脱」程度の扱いで黙認され、仏教の広まりと共に、寺院における男色も広まっていったのである。
僧侶が自分の身の回りの世話をする有髪の少年「稚児」を寵愛する風習は、奈良時代以降広く仏教界に浸透した。
天台宗などでは僧と稚児の初夜の前に 「稚児灌頂(ちごかんじょう)」 という儀式が行われ、 灌頂を受けた稚児は観音菩薩の化身とされ、僧侶は灌頂を受けた稚児とのみ性交が許されたという。
そして 平安時代末期には男色の流行が公家の世界にも及び 、盛んとなった。
日本の男色文化は、 武士の台頭と共にさらなる展開を遂げた。
女性を連れて行けない戦地や寝所の護衛などに就いた武士が、部下や身辺に仕える「小姓」を相手にするようになったのが始まり で、室町時代中期以降、特に盛んになった。
そして、もともとは女性のいない場所での性欲処理から始まった男色が、 強力な精神的な結びつきを伴う 「衆道(しゅどう)」 へと独自の発展をする。 肉体関係のみならず、 武士同士の主従関係など独特の「道義」を説く「道」 になったのである。
それは戦場で生死を共にする間柄として、絶対的な信頼感を確認するための行為であり、主君と家臣の関係では、究極の忠義のかたちとなった。
男色は主従の絆を確かめる行為であり、家臣は主君と体を交わすことによって信頼を得て、出世が期待されるということもあった。
戦国武将の男色については、 織田信長と森蘭丸 のように今も有名なものがある。また、現在の大河ドラマ『どうする家康』では同性愛的な描写が出て来て、いまの視聴者に媚びて「BL展開」を入れたのかなどという的外れな批判もされているが、本当はこれこそ時代考証的に合っているともいえるのだ。
そのような文化が、キリスト教圏の人間に理解できるはずがない。
聖書には、同性愛を罪 とすると読める記述がいくつもある。
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