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  • 「福島ルポ:Jヴィレッジに見る原発マネー依存の現実」小林よしのりライジング Vol.129

    2015-04-21 15:30  
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     引き続き、原発収束作業のつづく福島県双葉郡についてレポートしたい。
     前回紹介した、原発のない原発作業員タウン・広野町に建設されている、除染作業員のための宿舎(※)は、あれから2週間、さまざまな利権亡者の妨害をくぐりぬけて荒れ地を均し、コンテナハウスをビシバシ組み立て中。
    (※ 第54回「福島ルポ・終わらない収束作業となくならない利権①」を参照)
     
      なんと二階建てだった! 猛スピードで1500名分組み立て中。
     窓があるとは言え、コンテナ住まいは狭苦しいだろう。しかし、多くの除染・原発作業員は、大部屋で雑魚寝するか、被災者から借り上げた一軒家に大勢で押しこまれ、男所帯で寝床やトイレの争奪をするという状況。この宿舎は待ち望まれている。
     近隣では、この日も除染作業が行われていた。マスクをした作業員たちが、モーター音を響かせながら、ブレードカッターで雑草を刈っている。 事故から4年経っても、いまだ草木を「放射性廃棄物」として扱わねばならないのだ。
     広野町の北、楢葉町の海辺にあるすすき野原で行われていたのは、除染作業で使用した放射性物質除染布を土嚢に詰める作業だ。
     
      重機で除染布をつまみあげ、作業員の手作業と連携して土嚢のなかへ詰めていく。
     
      使用済み除染布は、野原に山積み状態。せめて雨が降る前に片づけなければ…。
     
      楢葉町の放射性廃棄物仮置き場。画面左側にも莫大な敷地が広がっている。
     楢葉町の放射性廃棄物仮置き場は、もとは稲穂の実る豊かな田園だったそうだ。終わりのない除染作業、覆い尽くすグリーンのシートは、震災直後の遺体安置所の光景を思い出させもした。
     今回は、広野と楢葉、この二つの町にある、 原発マネーの代名詞であり、震災後は、原発事故収束の対応拠点となった施設 を訪れた。
    ◆電源立地地域対策交付金施設「Jヴィレッジ」
     火力発電所を抱える広野町、そして、福島第二原発を抱える楢葉町。この二つの町をうまくまたぐように建設された巨大スポーツ施設がある。
     
      東京電力が総事業費130億円で建設し、福島県に寄贈した日本初のサッカー・ナショナルトレーニングセンター『Jヴィレッジ』 だ。
     サッカーのことはよくわからないが、世界レベルのトップ選手をトレーニングする特別強化施設らしい。総敷地面積49.5ヘクタール、全11面の天然芝ピッチ、5000人収容のスタジアム、フィットネスクラブ、ホテル、レストランなどが併設されている。1997年の開設以来、日本代表はもとより、各国の代表チームが合宿や大会に利用してきた。
     2011.3.11発災以降は、福島第1原発から20km地点にありながら、比較的被ばく線量が低いという条件が重なり、政府と東京電力の管理下に置かれ、事故収束の最重要拠点として使用され続けている。
     
      巨大さ、伝わる? 赤枠がJV。画面中央、薄紫の破線が、楢葉町と広野町の境界。
     地図を眺めると、「ここもかよ!」と思う。
     原発マネーを効率よく流すために、2つの町にまたがって建設された第1原発、第2原発と同じく、Jヴィレッジもまた、広野町と楢葉町を巧妙にまたぐ立地になっている。
     実際に敷地のなかへ入ると、主要施設はほとんど北側の楢葉町にあり、南側の広野町は山林しかない。くねくねと車道を進むと、最南端にようやく巨大なスタジアムが出現するというかなりのムリヤリ感がうかがえるのだが、このスタジアムのおかげで、広野町は「サッカーの町」として胸を張ることができていた。
     
      薄汚れてしまった、物悲しい、サッカーボールのオブジェ…。
     
      ホテル棟。現在は、作業員の放射線防護教育やホールボディカウンター施設等が入っている。
     東京電力がJヴィレッジ構想をほのめかしたのは 1994年、Jリーグ設立の翌年 のこと。
  • 「福島原発:終わらない収束作業と利権問題」小林よしのりライジング Vol.127

    2015-04-07 21:30  
    153pt
     福島県双葉郡。海に面する全8町村のこの郡は、 東京電力 の3つの発電所を抱え、首都圏へと電気を送り続けてきた。
     北から、双葉町と大熊町に 第1原発 。富岡町と楢葉町に 第2原発 。そして最南の広野町に 火力発電所 。このうち広野町の火力発電所は、震災後に増設を行い全6機で稼働し、現在も7号機の増設を急いでいる。
      
     地図を眺めると、つくづく、発電所というものは、非常に巧妙な位置に設置されるのだなと感じる。 第1も第2も、原発はふたつの町の境界をまたぐように建てられている。これによって、 ひとつの発電所から、同時にふたつの町へ原発マネーを流すことができる というわけだ。
     交付金、固定資産税、核燃料税そして東電からの寄付金……。財源の乏しい町が、効率よく 原発ジャンキー にされていった過程が、生々しく地図上に浮かび上がる。
     双葉・大熊・富岡・楢葉の4町には中間貯蔵施設の設置受け入れ要請がなされ、除染廃棄物の搬入がはじまったというニュースも記憶に新しい。
    「ウチは、東電の『植民地』から、とうとう『ゴミ箱』になった」――。
     地元民の声だ。
    ◆不思議な常磐道モニタリングポスト
     4月3日、曇り。
     この日は海から吹き込む湿った東風が非常に強く、東京では桜の花びらが白い空へと吹き上げられていた。
     常磐自動車道でいわき市を北上していくと、広野ICの手前に、放射線量を示すモニタリングポストが登場する。この先の帰宅困難区域については、二輪通行不可を予告する案内板もくり返し現れ、ライダーたちは姿を消してゆく。
      
       この日は、0.2~5.5μSv/hかあ……って、どこが0.2で、どこが5.5なん?
     測定範囲も数値の幅も広すぎて、一体どう参考にしてよいのかすらわからないこのモニタリングポストは、広野IC~南相馬IC区間に、上下あわせて9つ設置されているもの。サービスエリアに入ると各区間のリアルタイムな測定値を、モニターで見ることもできる。
     ……できるが、ただ、見るだけだ。
     通行中の被ばく線量を計算する方法を紹介したパンフレットも置かれていたが――
    広野ICから南相馬IC(49.1㎞)間の空間線量率(μSv/h)を基に、時速70kmで1回通行する際に運転手等が受ける被ばく線量は?
    自動車の場合: 0.37μSv
    二輪車の場合: 0.46μSv
    「もくれんさん。では問題です。
     きょうの浪江IC~常磐富岡ICの空間線量は5.36μSvでした。時速100kmで8km走ったところで車が故障して、再発進するまで40分間立ち往生となりました。この間の被ばく線量は何μSvでしょうか?」
     わかるかーっ! どこの高校の入試問題だ。サイン・コサイン・タンジェントで悩んでゲロ吐いて、担任の先生に「きみには国語があるから」と励まされたほど数字の苦手な私に、こんな危険な計算を振らないでほしい。事故る。
     だいたい、0.2~5.5マイクロシーベルトなら、 『最大5.5マイクロシーベルト』 と表示してくれたほうが目安としてはよっぽど親切だし、 そもそも、線量なんてほんの数十センチ位置をずらすだけでとんでもない差が出る のだから、正確さもあやしいものだ。
     難解な数式の並ぶパンフレットなんかサービスエリアで大量に配って、NEXCO東日本、いったい、ドライバーをどうしたいんだよーっ!
     すっかりカッカして、広野ICを降りる。今日の目的地は、広野火力発電所近く、海べりの広野工業団地だ。
    ◆原発のない、原発作業員タウン「広野町」
      第1原発から20kmラインのすぐ外側に位置する広野町 は、震災前の人口が5490人。もともと炭鉱の町だったこともあり、火力発電所が誘致された。
     事故時は全町避難が指示されたが、風向きが幸いして放射線量が“相対的に”低く、1年後には解除。しかし、町民のうち戻ったのは1300人程度で、転出も多く、生活環境が整わなかった。
     戻らない町民の代わりに、続々とこの町を占拠したのは、東京電力の社員と、大勢の原発作業員、そして除染作業員たちだった。 現在、町民の2倍以上にのぼる3000人弱の作業員が暮らす とされている。
     福島ルポ②でまた詳しく紹介するが、広野町には、 東京電力が総工費130億円で寄贈した『Jヴィレッジ』と呼ばれる世界規模のサッカートレーニング施設 がある。
      
       Jヴィレッジ内にあるサッカー場の看板。広野は「サッカーの町」だった。
     1997年に開設されたJヴィレッジは、代表チームなどの強化合宿や練習試合、児童・学生向けのサッカークラブ育成、住民のフィットネス施設として利用されてきたが、事故直後、その立地条件と線量の低さから国の管理下となり、事故対策本部、自衛隊ヘリの発着場、原発作業員の線量検査を行う入退管理施設などが置かれることとなった。
     現在も、Jヴィレッジは東電が借り上げており、原発作業員や作業車両などの一大集合施設となっている。そして、このJヴィレッジが旗印になり、広野町は、 原発が存在しないにも関わらず、 原発事故収束作業の最前線として変わり果てることになった。
  • 「被災者感情まで悪用する原発推進派」小林よしのりライジング Vol.63

    2013-11-26 17:35  
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    「被災者感情まで悪用する原発推進派」  櫻井よしこは11月4日付産経新聞の連載コラムで、こんなことを書いた。
     原発事故で被災した福島・浜通りの人々約30人が9月、チェルノブイリを訪れた。そこで彼らが見たのは日本で報じられてきた放射能汚染に苦しむ荒廃した町とは全く異なる、よみがえった町と子育てにいそしむ人々の姿だった。
     その上で櫻井は「 安全のためには1ミリシーベルト/年を超えてはならないというかのような過度な恐れが、今も人々を福島から遠ざけている。人の戻らない故郷は廃墟となる 」と書いた。
     チェルノブイリの例に学べば、福島の被災地の多くは帰還可能であるのに、過剰に放射能の危険を主張する者がそれを阻んでいるというのだ。
     ネトウヨ連中は、大喜びでこの櫻井のコラムを拡散させまくった。
     全く不思議な話である。
     作家・東浩紀氏やジャーナリスト・津田大介氏らは、今年4月にチェルノブイリを訪れている。先日、わしは東氏と初めて対談したが、その対談や、終了後に津田氏を交えて行なった懇談でも、チェルノブイリの町がよみがえっているなんて話は一切なかった。
     東氏、津田氏らがチェルノブイリを訪ねたのは、事故跡地の廃墟などを観光地化して記憶を留めさせようとする「ダークツーリズム」の実地調査のためである。
     その模様をまとめた本『チェルノブイリ ダークツーリズムガイド』には、チェルノブイリ原発周辺は今も多くが立入禁止で、廃墟が広がっている様子が多くの写真で紹介されている。
     また、 チェルノブイリ原発とチェルノブイリ市街は直線距離で15キロ離れているのだが、そのチェルノブイリ市も、立ち入りは可能なものの居住は禁止で「 大人はいても、子供はだれひとりいない 」と書いている。
     櫻井よしこが紹介する「浜通りの人々」が訪れたチェルノブイリと、東氏、津田氏らが訪ねたチェルノブイリは、同じ場所なのか?
     どういうことなのかスタッフの時浦に調べさせたら、櫻井よしこがその「浜通りの人々」の代表と話している動画のページを見つけてきた。そしてそのページには、「浜通りの人々」が訪れたのはチェルノブイリではなく「 スラブチッチ 」と書いてあった!
      スラブチッチとは、チェルノブイリ原発から約50キロ離れた比較的放射線量の低い地域に作られた、 移住都市 である。
      櫻井は、全く別の場所であるスラブチッチを「チェルノブイリ」と書いたのだ!!
     完全な、嘘だったのである!!
     櫻井のコラムは、すべてが疑問だらけである。
     例えば、こんなことを書いている。
     ウクライナの首都キエフでは国立放射線医学病院を訪れ、原発事故の健康被害についても学んだ。同病院が原発職員や周辺住民約2万3千人を27年間追跡調査した結果、他地域の住民との間にがん発生率で有意の差はなかったとの分析に、浜通りの人々は驚いた。チェルノブイリの放射線拡散量は福島の50倍といわれているのに、である。
     チェルノブイリ原発事故後25年の2011年4月にウクライナで行なわれた キエフ国際科学会議に、ウクライナ政府(緊急事態省)は報告書を提出したが、その内容は櫻井が紹介しているものとは全く違う。
     この報告書は最も多くのページを住民の健康に関する部分に割き、 原発事故の被災者の間に深刻な健康被害が発生していると訴えている。
     ウクライナ政府はキエフ国立記録センターで、被災者236万人余の健康状態を追跡したデータを一括管理しており、報告書はこのデータを根拠としている。そして執筆者は、事故前から現地で診療活動をして、事故後25年に亘って汚染地帯の住民を見続けてきた35人の現場の医師たちである。
      この報告書では、被災地域の住民に甲状腺疾患、白内障、心筋梗塞、脳血管障害などが増えており、その原因の一つが放射線であるという見解を示している。
     中でも深刻なのは、子供たちの被害である。
      事故で被曝した人から生まれた32万人の子供を調べたところ、1992年には子供のうち22%が健康、20%が慢性疾患を持っていた。
      それが2008年には、健康な子供がわずか6%に減少。逆に慢性疾患を持つ子供は78%に増加していた。
     事故後に生まれ、汚染地域で育った子供の78%に慢性疾患が見られる!
      だがIAEAなど国際機関は、甲状腺がんなど一部の病気以外は未だに「放射線の影響とは科学的に認められない」としている。
     この報告書についてはNHKが2012年9月23日にETV特集「チェルノブイリ・汚染地帯からの報告」として放送、取材内容は『低線量汚染地域からの報告 チェルノブイリ26年後の健康被害』という本にもまとめられている。
     また、ウクライナ政府報告書の健康被害に関する部分は、市民団体によって日本語訳され、ネットに公開されている。
    http://archives.shiminkagaku.org/archives/csijnewsletter_010_ukuraine_01.pdf
      果たして、「浜通りの人々」を驚かせた「国立放射線医学病院」とは一体何者なのだろうか!?
      平然と「スラブチッチ」を「チェルノブイリ」と偽装して書くデマ女・櫻井が言っていることである。必ずここにもカラクリがあるはずだ。
     さて、わしは先日NMB48のゲネプロを見るため大阪に行ったが、その新幹線の車内で「WEDGE」という雑誌を見たら、たまたまこの「浜通りの人々」のウクライナ訪問の「完全密着レポ」が載っていた。
     「WEDGE」は東海道・山陽新幹線の車内誌としてJR東海グループの出版社が発行している月刊誌で、一部書店やキヨスクでも売っている。
      JR東海の葛西敬之会長はゴリゴリの原発推進派である。 原発がなければ、バカみたいに電気を食うリニアモーターカーが動かせないからとも言われるが、そのため「WEDGE」の論調も以前から原発推進一色で、この「完全密着レポ」にも、あらゆるインチキがちりばめられている。