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記事 4件
  • 「マスク固執病」小林よしのりライジング Vol.460

    2023-02-21 17:45  
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     2月10日、厚生労働省は「新型コロナウイルス感染症対策本部決定」として新たな「マスクの着用の考え方」を発表し、 「令和5年3月13日以降、個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねる」 とした。
     いや、ちょっと待て。 今だってマスク着用には法的拘束力も何もなく、「任意」じゃないのか?  3月13日から、いったい何が変わるというのだ?
     そもそも厚労省が発表している 「マスク着用の考え方」は、その名の通り厚労省の「考え方」にすぎず、法に基づくものではない。
     そして厚労省は新たな「考え方」において、3月13日以降のマスク着用は「個人の判断に委ねる」とした上で、 「医療機関を受診する時」や「混雑した電車やバスに乗車する時」には着用を「推奨」する としている。
     それならば3月12日までのマスクの着用は、個人の判断に委ねられていなかったのだろうか?
     
     上の画像では、 あたかも3月12日までのマスク着用は個人の判断が許されていなかったかのような書き方だが、これはほとんどデマに等しい。
      マスク着用に関して個人の判断を制限する法的根拠など何もないし、法に基づかずに個人の判断を制限していたのなら、完全な憲法違反だ。
     実際の厚労省の3月12日までの「考え方」では、 「屋外ではマスクは原則不要」「屋内では距離が確保でき、会話をほとんど行わない場合をのぞき、マスクの着用をお願いします」 となっている。
     既に屋外ではマスクは不要となっており、屋内でも、あくまでも強制力のない 「お願い」 でしかないのだ。
     3月13日からはこの 「お願い」 がなくなって 「推奨」 になるわけだが、お願いだろうが推奨だろうが、 それを聞くかどうかは「個人の判断」であることに、全く変わりはない。
     つまり、厚労省は 「これまでマスクの着用に関しては個人の判断に委ねてきましたが、令和5年3月13日以降は、個人の判断に委ねることになりました」 と発表しているのだ。
     だが、それではあまりにもおかしいので、3月12日までは個人の判断に委ねられていないかのようなデマまで飛ばしたのである。
     いわゆる「マスク警察」の連中には、このような厚労省のデマを真に受けて、本気でマスク着用は個人の判断が許されていないものと信じ込み、マスクをしない者は社会秩序を乱す不埒な輩であると「正義感」に燃えて、取り締まりに精を出していた者も相当数いたのではないか?
     だがそもそもマスクをつけるか外すかくらい、個人の判断であることなど言うまでもなく、そんなことで大の大人に誰かが号令をかけるというのは、あまりにも常識に反している。
     それでも、お上が決めてくれなんてことを言う幼児みたいな大人があまりに多かったものだから、厚労省もこんなヘンな発表をせざるを得なくなったのかもしれない。
      それにしても、 「3月13日から」 という日付には、何の根拠があるというのだろうか?
     じゃあ前日の12日には外しちゃいけないのか? 3週間前である現在の時点ではどうなのか? 3月13日午前0時を境に、ウイルスがいなくなるのか?
  • 「ウクライナが徹底抗戦しているのが悪い!?怒りのデスロードだぜ!」小林よしのりライジング Vol.441

    2022-07-19 16:25  
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     あんな事件が起きてしまった以上、安倍晋三や統一協会について書かないわけにはいかないのだが、それは次回以降にする。
     それよりも先に、前々回・前回と続けている「表現者クライテリオン」7月号のウクライナ戦争に関する論評の批判を済ませなければ、これがすっかり霞んでしまいかねない。これだけは、どうしてもやらねばならないのだ。
     同誌は「『ウクライナ』からの教訓」と題して約100ページにもわたる特集を組んでいるのだが、ライジングで2回書いても、まだ藤井聡編集長による巻頭言と、藤井氏が筆者であろう匿名の巻頭コラムしか批判できていない。それほどまでに酷いのだ。
     今回はようやく特集そのものを扱うことができる。その冒頭に収録されているのは、藤井氏と元外交官・東郷和彦氏のオンライン対談である。
     わしは藤井氏らと本を出す予定だったが、「オンライン」で話して作ると言われたので断った。しかし藤井氏にとってはオンライン対談での記事づくりは普通のことらしい。
     対談の冒頭、藤井氏はこんなあいさつをする。
      このたびはお時間をいただきまして、ありがとうございます。我々『表現者クライテリオン』は、東郷先生もお付き合いいただいていた西部邁先生がつくられた『発言者』『表現者』の後継の雑誌としてやっております。
     わざわざ「我こそは西部邁の後継者なるぞ」と宣言してから対談を始めることに違和感を覚える。権威主義的な態度に見えて、つい顔をしかめてしまった。クライテリオンは皇室論にしろ、ウクライナ問題にしろ、西部の思想を受け継いでいるとは到底思えないから、なおのことそう思わざるを得ない。
     続けて藤井氏は、対談の趣旨をこう説明する。
      今回の企画は「『ウクライナ』からの教訓」です。テレビ・新聞・雑誌を見ると、「ロシアの軍事侵攻は許されざる暴挙であり、ロシアが全面的な悪でウクライナが完全に被害者である」という勧善懲悪のストーリーになっています。
     それで何も悪くないはずなのだが、藤井氏はそれにこう異議を唱える。
      もちろん、そういう側面があることには同意するのですが、それ以外の様々な文脈もあることもまた事実です。そうである以上、アメリカ・ウクライナ側の激しいプロパガンダ戦も割り引きながら、第三者の視点で冷静にウクライナとロシアの戦いを眺め解釈し、淡々と教訓を引き出していく必要があります。
     要するに、 「『ウクライナ=善、ロシア=悪』以外の視点もある」という「価値相対主義」 を言っているのだ。
     だが、そんなことを言い出せば、これは間違いなく前々回に詳しく批判した 「どっちもどっち論」 に行きつく。
    (https://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar2106378)
     それは確実にロシアの「悪」から目をそらし、ロシアの味方をする結果となる。そう批判されるのが分かっているから、藤井氏は 「もちろん、そういう(勧善懲悪の)側面があることには同意するのですが」 という逃げの一言を用心深く、忘れずに入れておくのだ。その学校秀才優等生的臆病さには、もう笑うしかないが。
     そもそもロシアの国際法無視、ウクライナ侵略というあまりにも明らかな事実を目の前にしながら、なおも 「第三者の視点で」「冷静に眺め解釈し」「淡々と教訓を」 なんて呑気なことを平気で言っていられる藤井氏は、日本人としての立場を完全に忘却しているとしか思えない。
      日本とロシアの間には未だに第二次世界大戦の講和条約も締結されておらず、北方領土を不法占拠されたままである。
     ロシアは日本にとって「敵国」であり、しかも「隣国」である。ロシアに侵略されているウクライナのことは 「明日は我が身」 として見なければならないのだ。
    それを全くの他人事のように「第三者の視点」だの「冷静に」だの「淡々と」だのと言えるのは、価値相対主義に芯まで染まって、日本人としてのナショナリズムを完全に失っているからである。
      ナショナリズムのない保守なんて、ありうるのだろうか?
     そんな藤井氏は、北方領土問題に関してはこう言っている。
      しかも、日本はロシアとの間で北方領土問題を抱えています。そうした関係がある中で、単に欧米と同じ論調でロシアを非難し、ウクライナを支援するだけでは適当とは言い難いように思います。
     何を言っているのだろうか? 北方領土問題があるからこそ、ここは欧米と歩調を合わせてウクライナを支援し、ロシアを追い込むべきじゃないか。 ロシアが徹底的に弱体化した時にこそ初めて北方領土返還のチャンスが生まれるはずであり、むしろ領土拡張に意欲を燃やす「帝国主義化」しているときに、北方領土を日本に返すなんて、100%ない!
    今回に関しては欧米と協調すること日本の国益になるのだ。
    ところが、藤井氏は決してそうは考えない。むしろ欧米とは違う論調を探るべきだと思っている。
     藤井氏は、どの立場にも立たずに高みに上り、「第三者」として「冷静に」「淡々と」見ることが「中立」で「客観的」で「知的」な態度であり、これこそが知識人たる態度だとでも思っているのだろうか? だとしたら、あまりにも単純で幼稚な感覚だと言うしかない。
     以上、疑問だらけの前口上を述べた上で、藤井氏は本題に入る。
  • 「ロシアと戦前の日本が同じだと?」小林よしのりライジング Vol.440

    2022-07-05 18:45  
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     先週予告したとおり、「戦前の日本」と「プーチン・ロシア」は同じだと主張する「表現者クライテリオン」7月号の巻頭コラムを徹底批判する。
     それにしても、仮にも西部邁門下を名乗る知識人たちが、臆病者の戦後民主主義サヨクと全く同じ心性によって価値相対主義に陥り、誰一人わしの『戦争論』にも追いついていなかったという事実には、唖然とするばかりだ。
     問題の巻頭コラムで、匿名の筆者(どう見ても編集長の藤井聡氏だろう)は、次のように述べている。
      さらに言えば、今回のプーチンの決断を眼にした際に思い浮かべるべきは、「ヒトラー」などではなくて、むしろ、追い詰められていった先で暴発した戦前の日本だろう。 (中略) 戦前の日本がアメリカと衝突する直接の切掛けを作ったのは、「日本の利益線・生命線」であるところの満州――ロシアにとってのウクライナ――であったことを想い出すべきである。そんな過去を持ちながら、今回の戦争を前に、狂気の膨張主義者の所業だと他人事のように批判できてしまう日本人の感覚が私には分からない。
     えらそうに言っているが、言ってることが全て間違っている。
     プーチンが戦前の日本と同様に 「追い詰められていった先で暴発した」 なんてことは、断じてない!!
     確かに戦前の日本は、経済制裁によって極限まで追い詰められた末に戦争に踏み切った。ただし、わしは決してそれを「暴発」とは言わない。
     日本は「ABCD包囲網」(A=アメリカAmerica、B=イギリスBritain、C=中国China、D=オランダDutch)と呼ばれる対日経済封鎖網によって対外資産を凍結され、さらに石油やゴム、タングステン、ボーキサイトなど、生活必需品の原料となる資源をことごとく禁輸され、徹底的に経済を締め付けられた挙げ句に開戦を決断したのだ。
     だが、 ロシアが欧米から経済制裁を受けたのは 「開戦後」 である!
     ロシアが経済制裁で追い詰められて開戦したという事実は一切ない。
     たった4,5カ月前の出来事の前後関係も分からないのだろうか?
     戦前の日本がアメリカから受けた経済制裁の中で、致命的だったのは 「石油全面禁輸」 だった。
     石油のほとんどを輸入に頼る日本では、 「石油の一滴は血の一滴」 と言われていた。石油備蓄量は平時で2年分、戦時で半年分しかなく、これを使い切ったら軍も産業も全てが崩壊する。日本はまさに国家存亡の崖っぷちまで追い込まれたのだ。
      それに対してロシアは、 世界第3位の原油産出国 である!!
     ロシアはウクライナ侵略後に強力な経済制裁を受けても、「石油輸出」をカードにして欧州に脅しをかけ続けることができて、今も石油で1日10億ドルの利益を上げている。
      これでどうして、戦前の日本と現在のロシアが同じと言えるのか?
     これだけでも、あまりの狂いっぷりに大爆笑である。
     だが、藤井氏の歴史認識の誤りはこれに留まらない。あまりに多すぎて手が付けられないほどだが、なるべく丁寧に解説していこう。
      対米開戦前、日本・東条英機内閣は戦争を回避すべく、アメリカに「甲案」「乙案」という譲歩案を提出した。
    「甲案」の概要は以下のとおりで、軍の猛反対に抗して東郷茂徳外相が必死にまとめたものだった。
      1.日本と支那の間に和平が成立した際は、支那に展開している日本軍を2年以内に全面撤兵させる。
     2.支那事変が解決した際は、「仏印」(フランス領インドシナ=現・ベトナム)に駐留している日本軍も撤兵させる。
     3.通商無差別待遇(自由貿易)が全世界に適用されるなら、太平洋全地域と支那に対してもこれを認める。
     4.日独伊三国同盟への干渉は認めない。
     後の「東京裁判」において、アメリカ人弁護人・ブレークニーは 「日本の真に重大な譲歩は東条内閣が作成した『甲案』であり、『甲案』において日本の譲歩は極限に達した」 と言っている。
     そして東条内閣は「極限の譲歩」をした上さらに、甲案での交渉が決裂しても、 日米開戦だけは防ぐための暫定協定案として「乙案」も用意していた。 その概要は以下のようなものである。
      1.蘭印(オランダ領東インド=現・インドネシア)での物資獲得が保障され、アメリカが在米日本資産の凍結を解除し、石油の対日供給を約束した際には、南部仏印から撤退する。
     2.更に、支那事変が解決した際には、仏印全土から撤退する。
     経済制裁さえ解除されれば撤退するというわけで、つまり日本の南方進出はあくまでも経済的問題のためであり、 「領土的野心」はないという意思の表明だったのである。
     ところが、アメリカは「甲案」「乙案」を一顧だにせず、それまで積み重ねてきた日米交渉の経緯も全て無視した 「ハル・ノート」 を突き付けた。その概要は以下のとおりだ。
      1.日本軍の支那・仏印からの無条件撤兵。
     2.支那における重慶政権(蒋介石政権)以外の政府・政権の否定(日本が支援する南京国民政府=汪兆銘政権の否定)。
     3.日独伊三国同盟の死文化(独伊両国との同盟を一方的に解消)。
      つまり、日本に対して明治以降大陸に築いた権益の全てを放棄せよと迫ったわけである。
     これは、後に「東京裁判」で パール判事 が、このようなものを渡されたら 「モナコやルクセンブルクのような小国でも矛をとってアメリカと戦ったであろう」 と評したほどのものだった。
     しかも、これを渡したら戦争になるということはアメリカの側も百も承知で、ハル国務長官は「ハル・ノート」を日本側に手交した後、スチムソン陸軍長官に、 「私は日米交渉から足を洗った。今や、この問題は貴方とノックス(海軍長官)、すなわち陸海軍の手中に落ちた」 と言った。
     ハル・ノートを渡したらもう交渉はなく、あとは軍隊の仕事だと分かっていたのである。
      さて、ロシアは戦争を回避するために「甲案」「乙案」を出したか?
      アメリカはロシアを開戦に追いこむために「ハル・ノート」を突き付けたか?
     そのようなことは一切なかった。
      ロシアは一方的に軍を展開し、戦争回避のための外交交渉など何ひとつやらず、問答無用で侵略を始めたのだ。
     また、日本は米英に「宣戦布告」をして(米国への通達が遅れるという大使館のミスはあったが)戦争を行ったが、ロシアはウクライナに宣戦布告もしていないし、「特別軍事作戦」と称して未だに「戦争」であることすら認めていない。
     どこをどう探しても共通点が見つからないではないか!
     そして何よりも、この立論の根本である 「日本にとって満州が『生命線』だったのと同様に、ロシアにとってもウクライナが『生命線』である」 という主張が、根本的におかしいのである。
  • 「マスクは子供の虐待である!」小林よしのりライジング Vol.432

    2022-04-05 19:10  
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     普通にマスクを外して出歩けない限り、コロナ禍は終わりではない。
     ところが先週あたりからまた新規感染者(陽性者)数が増加傾向に転じたとかで、マスコミは「感染対策の徹底を」と連呼し、マスクの着用を推奨している。
     このままいくと今年の夏も、猛暑日に人々がマスクをして出歩くという狂気の光景を見ることになるのだろうか? 3年も連続で!
     諸外国ではもうマスクの義務化は撤廃され、ほとんど誰もマスクをしていない。
     先月24日にブリュッセルで行われたG7首脳会議でも誰もマスクをしておらず、岸田首相もマスクをしていなかった。
     ところが岸田は帰国して国会で報告する際には、しっかりマスクを着けていた。国会議員たちも全員マスクをしていたし、 海外ではノーマスクの日常を取り戻しているのに、日本ではマスクの同調圧力に逆らえないのだ。
     29日にトルコで行われたウクライナとロシアの停戦協議のニュースを見ていたら、誰もマスクをしていない中でただひとり日本人記者だけがマスクをしていて、そのマスク姿のままテレビカメラに向かってレポートをしていた。
     ものすごい違和感だった。テレビ画面を介して、日本の視聴者にウイルスが感染するとでも思ったのだろうか?
     とにかく 日本人は、法律で義務化もしていないのに、マスクを外した顔を見せてはいけないという、強固な観念に縛られ続けている。
     週刊ポスト3月4日号に、『感染症の権威が断言「7月以降はマスクを外せ」』という記事が載った。
     その「権威」は浜松医療センター感染症管理特別顧問の矢野邦夫という医師で、ワクチンの効果に何の疑問も持っていないなど肯定できないことも言っているが、マスクの弊害に対する警鐘については注目すべきものがあった。
     矢野医師はこう語っている。
    「人間は生まれてから様々な病原体に遭遇し、それに感染することで抗体を獲得していきます。特に幼少期は、親や同年代の友人の唾液などを介して、病原体に自然に感染するものです。
     しかし、長期にわたってマスク生活を続けていることにより、子供たちは水痘(みずぼうそう)やムンプス(おたふくかぜ)、手足口病といった『かかっておくべき病原体』と接触する機会を奪われているのです」
     コロナ論シリーズを読んでいる人なら、すぐ納得のいく話だろう。人は、それも特に乳幼児には、 「免疫の軍事訓練」 が必要なのだ。
     矢野医師によると、 幼少期に感染すべき病原体に感染せず、抗体を持たないまま大人になって、それから初めて感染すると、重症化や後遺症が残るリスクが高くなる という。
      水ぼうそう も成人になって初感染すると重症化しやすいし、 おたふくかぜ だと、睾丸が腫れて精子の数が減少するという。
     ヘルペスウイルスの仲間である サイトメガロウイルス は、子供の頃に感染すれば無症状か鼻風邪程度で済むが、大人になって初感染すると、様々な大病を発症することがある。
     特に妊娠中の女性が感染すると深刻だという。妊娠初期の女性が 風疹 に罹るとお腹の子に障害が出る恐れがあることはよく知られているが、 サイトメガロウイルスの場合は、お腹の子の目や耳に生まれつきの障害が出たり、小頭症という頭が小さな状態で生まれたりする恐れがある。 しかもその 発症リスクは風疹の数千倍 といわれ、そのうえ風疹のようなワクチンもないのだ。
     矢野医師は、こんな怖いことを言う。
    「ずっとマスクをしていて幼いうちにサイトメガロウイルスに感染せず、免疫を持てなかった子供たちが20~30年後に妊娠適齢期になった時、目を覆うような事態が待っているかもしれません」
      子供たちは既に2年間マスクを着けさせられて、感染しておくべき病原体に感染していない状態にされている。
     それで昨年は子供に突然 RSウイルス が大流行したわけだが、 ここで一斉にマスクを外したら、水痘、ムンプス、サイトメガロウイルスなどが同時流行して、小児科の医療が逼迫するかもしれない と矢野医師は言う。また、2年間流行していない インフルエンザ のピークがずれて、夏頃に流行する可能性もあるという。
     だがそれでも、夏が来る前にマスクは外させてやらなければならない。マスクの最大のリスクは、 熱中症 だからだ。
     マスクをつけると熱が体外に出にくく、体内温度が下がりにくい。また、マスクで口の中が湿っていると喉の渇きを感じにくく、無自覚のうちに脱水症状になりやすくなる。
     消防庁の統計によれば、新型コロナでマスク生活が日常化した 2020年の熱中症患者の救急搬送件数は、8月だけで全国4万3000件超で、調査を始めた2008年以降で最多だったという。
     コロナで子供は死なないが、熱中症では死ぬ危険があるのだ。
     いいかげんにマスクを外さないと、このままじゃまずい。特に子供たちは将来にわたって、さらに深刻な問題を抱えてしまう恐れがある。