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記事 4件
  • 「小悪に挑む小物の野党という構図」小林よしのりライジング Vol.337

    2019-11-26 21:05  
    150pt
     在任期間が憲政史上最長記録を更新した政権が、たかが「桜を見る会」で倒れたりしたら、本当に笑い話である。
     安倍政権自体を擁護したいわけではないが、こんなちっぽけなことで政権が崩壊するような事態が起きたら、それは日本のためにはよくないのではないかとわしは懸念する。
     この夏、『新聞記者』という映画が公開され、勇気ある安倍政権批判映画として話題になった。
     この映画は、記者会見における執拗な質問で菅官房長官を怒らせたことで名を上げた、東京新聞の望月衣塑子記者の同名手記などを原案としており、望月本人や、加計学園問題で安倍政権に不利な発言をした元文科官僚の前川喜平も出演している。
     公開にあたって望月は「萎縮や忖度が蔓延し、時に息苦しさ感じる日本社会の中で、一人一人がどう直面する問題に向き合い、声を上げ社会を変えていけるのか。映画を観た方々が一歩を踏み出す勇気を持って頂けたらと思います」とコメントした。
     映画は左翼方面に大絶賛され、 「優れた社会風刺、政権批判作品が多く作られ広く上映され大々的に評価されてきたのは欧米ばかりだったが、待望の日本舞台の日本のための作品」「間違いなく日本映画の特異点であり、転換点にもなり得る大傑作。監督キャストはじめ今作に携わった全ての人に最大の敬意と感謝を」 といった賛辞が並んだ。
     そこで、わしも『新聞記者』を見てみた。
     だが、見終わった感想は「バカじゃないの?」だった。
     フィクションとはいえ、現役新聞記者の手記を原案に、露骨に現政権の批判・風刺を目的として、現実に起きた伊藤詩織さんレイプ事件の容疑者逮捕もみ消しや、加計学園問題などをモデルにしたストーリーを展開しているにもかかわらず、この映画は一番肝心なクライマックスにくると、突然SFになってしまう。
     なんと、明らかに加計学園を思わせる、政府が強引に設立を進めていた大学は、実は政府が生物兵器開発に転用しうる研究施設として秘かに構想していたもので、その地下には秘密の細菌兵器製造プラントが建設されていたという話にぶっ飛んでしまうのだ!
     なんだこれ? 昭和の仮面ライダーか? 安倍政権って、悪の秘密組織「ショッカー」か? こんな荒唐無稽な話、今どき仮面ライダーでもやらないぞ!
     いくらなんでも、現実の政権がやってもいない「巨悪」をでっち上げて叩いたのでは、批判にも何にもなりはしない。
      なぜこんなことになったのかといえば、現実の安倍政権が「巨悪」ならぬ「小悪」であり、やってる悪があまりにもちっぽけすぎて、映画にならなかったからだ。
     これがアメリカだったら、ベトナム戦争に介入するために自作自演の事件を起こしたり、イラク戦争を起こすためにありもしない大量破壊兵器の脅威を煽ったり、本当にスケールの大きな陰謀をやってしまう巨悪がいる。だから、これらを告発し、批判する映画が成立するわけで、傑作も数多い。
     それに対して安倍政権はというと、官僚の自殺者まで出した最大の悪事である加計学園問題でさえ、 「お友達に利益誘導するために、強引に学校を新設させた」 という、たったこれだけのことである。
     これではあまりにもスケールが小さすぎて、つまんない映画しかできない。だから現実離れした陰謀話を盛りに盛って、無理やり「巨悪」に仕立てるしかなかったのだ。もっとも、それも陳腐すぎてちっとも面白くなかったが。
     安倍政権の悪の本質は 「忖度とお友達優遇が蔓延する公私混同」 でしかなく、こんなセコくてみみっちい悪を映画にして告発したところで、何の説得力もなく批判が成り立たない。
     あまりにもちっぽけな悪だというところに、安倍政権を風刺することの難しさがあるのだ。
  • 「『泥にまみれて』は男尊女卑小説か?」小林よしのりライジング Vol.336

    2019-11-19 21:15  
    150pt
     次から次へと女遊びをして、その女を自宅に連れ込み、さらに外に子供まで作って、それを妻に洗いざらい話して世話までさせる夫。そんな夫の言動に毎度のごとく驚愕させられ、全身傷だらけのような気持ちに陥れられながらも、折り合いをつけて飲み込んでいく妻。
      石川達三『泥にまみれて』 を読むと、夫を必死で受け入れようとして、自分の独占欲と闘わなければならなくなった妻の心理描写にはとても共感する部分が多いのだが、現実には、とてもじゃないがこんな男とはつきあいきれないとも思えてくる。
     そもそも夫の女が訪ねてきて悪びれる様子もなかったら、私だったらその女とつかみ合いの乱闘になり、物理的に血まみれ泥まみれの戦争を巻き起こすだろう。
      けれどもこれは、あくまでも現代っ子の、わがままで、ロマンティシズムにはまりがちな私から見た超近視眼的な感想だと思う。 もう少しこの小説を俯瞰しながら考えたい。
    ●夫と妻の決定的な違い
    『泥にまみれて』は、20代前半で結婚した夫婦が、20年間に体験した出来事を、時代背景とともに妻の目線で描いた作品だ。1925年頃に結婚し、1945年の敗戦までの様子が綴られている。
     夫は帝国大学、妻は女子大学で、社会主義思想に傾倒してマルクスの『資本論』を耽読するなど言論活動を行っていた同志で、夫はその中心人物だった。時代的に相当危険な活動をしていることになる。妻は夫についてこう語っている。
     私の心に一番強い印象をあたえたものは、ほかの社会主義者たちが一様に一種深刻めいた暗い表情をしているなかで、あの人だけが明朗闊達な性格をしておられたことでした。天衣無縫と言っては言い過ぎだろうけれど、何ものにも拘らないで押しまくって行くあの強さと、恥も外聞も問題にしないあの開けっ放しな天性とは、私にとってこの上もない魅力でした。
     
     この夫婦には、決定的な違いがある。
     調べてみると、この時代に高等教育を受けていた女性は、わずか0.1%。かなり特殊な人だ。だが妻は結婚すると、ただただ夫のことばかりを考えて生きるようになる。その一方で、夫のほうは、筋金入りの表現者として生きていくのである。
     当時は 治安維持法の時代 だ。夫は何度も弾圧を受けるが、屈することはなく、左翼劇団で社会風刺の脚本や劇評を書きつづける。特高警察に逮捕されても、自由になればまた書きはじめる。そのなかで、どうやら拷問を受けているらしいと想像させる描写もあるのだが、それが夫から語られることはない。
     中国に渡って上海の新聞に掲載されたりもし、戦況の変化に従って、ますます狂気を発して立ち向かう。あえて書けば、女子供が一緒に闘える程度の生易しさではないものと闘う男、という部分が垣間見えるのだ。 超強靭な反骨精神と闘争心を抱えた激情家の男 なのである。
     そして、この激情は権力だけではなく、女性に向かっても発揮される。劇団の女優や、劇場で出会ったピアニストなど新しい刺激をくれる女性に次々と惚れては、自分の女にしてしまうという身勝手な状態を巻き起こすのだ。
     一方の妻は、これほどの反骨精神を持つ激情家の夫に惚れ込み、子供を抱えながら夫の活動を支える人生を選ぶ。自由恋愛からはじまったため、最初は 「愛する夫に愛される私」 という幻想に浸っているが、すぐに夫の凄まじさを目の当たりにする。手始めに、結婚前に付き合っていた女をあっけらかんと紹介され、その現実によって幻想を粉砕されるのだ。
     でも、夫と生きたい。そのため妻の頭のなかはどんどん 「夫と私」の幻想 を求めるようになり、現実の夫の言動によって常に動揺させられ、自分の身の振り方にすら迷うようになる。夫は表現活動をしながら次々と女にも惚れる。ますます 「夫と私」の幸せ だけが欲しい。頭のなかが欲望に占領されてしまう。
     そうして妻は、自分の中に襲い来る数々の感情の波に揺さぶられ、それを夫にぶつけたり、夫の愛人への憎悪として心のなかに積もらせたり、夫を理解しようとするがゆえに、それらの感情を自分の内面で処理しようと論理を展開したり、理屈を編み出したりして苦悶する。
     この苦悶の果てに、ついに妻は、 「妻」という立場にこだわるのでなく、一切の我欲を捨てて「夫の母親となる」ことで、すべてを包んで安定しようという境地 を見るようになる。
    ●『泥にまみれて』に見える男尊女卑
  • 「ジョーカーって傷ついた人なの?」小林よしのりライジング号外

    2019-11-12 09:50  
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     久しぶりに映画評を書こう。
     映画評を書くのが億劫になっていたのは、少しでも踏み込んだ内容に触れると「ネタバレだ!」と騒ぎまくって炎上させようとする「ネタバレ警察」が跋扈するようになってウザいという理由がひとつ。
     そしてもうひとつの理由は、どんな映画でも相当の制作費と人手がかかっていて、費用を回収するために多くの人が宣伝に必死になっていることを考えると、褒めの批評ならともかく、けなす批評は書き難いという気分になっていたからだ。
     とはいえ、世間の評価とわしの評価があまりにもかけ離れているのに、それについて何も言わずにいるとフラストレーションがたまってくる。
     それに、ネタバレが嫌なら読まなきゃいいだけなのに、わざわざ読んで文句をつけてくる者の気が知れない。
     そんなわけで、有料webマガジンの「小林よしのりライジング」なら、本当に読みたい人しか読まないだろうし、しかももう大ヒットしちゃっている映画なら、ここでわしが酷評したところで誰の迷惑にもならないだろうということで、書くことにした次第である。
     完全ネタバレありだから、これから見ようと思っている人や、すでに見て、良かったと思った人は決して読まないように。
     前置きが長くなったが、今回取り上げる作品は、ホアキン・フェニックス主演、トッド・フィリップス監督作品 『ジョーカー』 である。
     この映画は『バットマン』の悪役・ジョーカーの「誕生秘話」を、原作コミックスにはないオリジナル・ストーリーで描いた作品で、第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門で、アメコミの映画化作品としては史上初めて最高賞の金獅子賞を受賞した。
     10月29日時点で世界累計興行収入は7億8810万ドル(約857億円)にも上り、R指定映画の興収ランキングでは史上トップ。日本でも10月27日時点で興収は約35億円、公開から4週連続首位という大ヒットで、評論家の批評も観客のレビューも、絶賛の嵐となっている。
     ところがわしは、この映画は全然ダメだと思ったのである。
     バットマンは何度も映画化され、何人もの俳優がジョーカーを演じているが、わしはクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』(2008)でヒース・レジャーが演じたジョーカーがベストだと思っている。
     今回の『ジョーカー』も、てっきりヒース・レジャー版ジョーカーの前日譚を描いたものと思い込んでいたのだが、それは全然違った。
     これは今までのバットマン映画とは一切関係なく、独自のジョーカー像を創作した上でその誕生までを描いた単発映画であり、続編は作らずシリーズ化もしないという。そのため、この映画にはゴッサムシティの市長の息子で、後にバットマンになるブルース・ウェインの子供時代は登場するものの、バットマン自体は一切登場しない。
     もちろん『バットマン』は原作誕生から80年にもなる作品であり、作風もキャラクターの造形も、時代によって全く異なる。わしが子供の頃にテレビで見た『バットマン』なんかコントみたいな作りで、ジョーカーも無害なおふざけキャラだった。
     だから人それぞれに好きなジョーカーが違っても全然かまわないというのは前提である。明石家さんまはティム・バートン監督の『バットマン』(1989)でジャック・ニコルソンが演じた陽気なジョーカーがベストで、ヒース・レジャーのジョーカーもホアキン・フェニックスのジョーカーも暗くてダメだったと言っている。
  • 「アメリカの文明の野蛮」小林よしのりライジング Vol.335

    2019-11-06 14:40  
    150pt
     以前も紹介したが、岡本太郎は70年大阪万博のテーマ館プロデューサーに就任し、「人類の進歩と調和」というテーマに対して「人類は進歩なんかしていないし、調和もしていない」と断言した。
    「人類の進歩と調和」は「科学技術万歳」で、科学力さえ進歩すれば人類も進歩するという発想によるものだったが、それを真っ向から否定したのだ。
     50年後の今、岡本太郎は完全に正しかったと常に思わされる。
     先月27日、アメリカのトランプ大統領はホワイトハウスで「昨夜、アメリカは世界最悪のテロリストのリーダーに正義の鉄槌を下した」と演説し、米軍の軍事作戦によって武装過激派組織イスラム国(IS)の指導者、アブ・バクル・アル・バグダディが死亡したと発表した。
     米軍は数週間前にシリア北西部のバグダディの潜伏先を突き止め、2週間ほど前から秘密裏に作戦を計画。
     作戦は現地時間26日夜に実行され、米軍の特殊部隊がヘリコプター8機で潜伏先の建物を急襲。建物の正面には爆弾が仕掛けられていたため、部隊は建物の横に穴を開けて侵入し、応戦してきた戦闘員5人と、自爆ベストを着ていたバグダディの妻2人を殺害。
     バグダディは周辺のトンネルに逃げ込むが、軍用犬に追い詰められて自爆ベストを起動させ、一緒にいた3人の子供と共に死亡したという。
     トランプはホワイトハウス地下の作戦指令室で現地からの生中継を視聴、「映画を見ているようだった」と言い、自爆する直前のバグダディについて「臆病者のように泣き叫んでいた」と述べた。
     本当にバグダディが泣き叫んでいたかどうかについては、記者会見で作戦の詳細を説明した中央軍司令官が「確認できない」と述べており、トランプがバクダディを「臆病者」として印象づけるために話を「盛った」のではないかと言われている。
     ともかくトランプは、現地から遠く離れた全く安全な場所で、まるでゲームのように面白おかしくそれを見物しておけばいいのだ。
     前任の大統領で、なぜかノーベル平和賞受賞者であるオバマも、かつて同じことをやった。
     2011年、米軍が9.11テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディンを殺害した際、オバマら政権中枢は今回と全く同じようにホワイトハウスの作戦指令室で現地からの生中継を見物し、ビンラディンの死亡を確認すると、記者会見で「正義はなされた」と宣言したのだった。
     科学力の進歩が、そういう事態を作り上げてしまった。アメリカという「文明国」だから、それが出来るのだ。
     わしは基本的に、イスラム国は大嫌いである。あれは日本の自称保守派と同じ男尊女卑の連中だから、潰して全然構わない。とはいえ、その指導者が無惨に殺害されていく様を、全くの他人事のように高みの見物で眺めていられる神経には、呆れ果てるばかりだ。
     トランプは、少しは自分の身に置き換えてものを考えるということができないのだろうか。
     例えばものすごく性能のいいドローンが開発されたら、トランプだってどこかの何者かからどんどん追い詰められて、暗殺されてしまうことだってあり得るのではないか?
     大国にしかできないこととは限らない。このままメカの性能がどんどん発達して行ったら、中東からの遠隔操作で暗殺ドローンが大量にホワイトハウスを襲撃することだって、不可能とはいえない。
     そんなことになったら、トランプはどんな臆病者の醜態を見せることになるだろう? 泣き叫びながら小便垂れ流して逃げ回った挙句、惨めな死にざまをさらすんじゃないか?
     そんなことを一切想像もせず、たまたま自分が圧倒的に有利な立場にいるということだけに乗っかって、追い詰められて死んでいく敗者をせせら笑う精神は、とてつもなく野蛮だとしか言いようがない。
     トランプはイスラム国を潰すために利用したクルド人を、あっさり裏切った。
     米国は2014年、イスラム国の支配圏拡大を阻止するためにクルド人に協力を要請。武器と金を渡し、訓練と後方支援を行い、戦闘に当たらせてきた。