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記事 4件
  • 「千葉真一とヒステリック臆病の落差」小林よしのりライジング Vol.408

    2021-08-24 17:35  
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     俳優の千葉真一が、新型コロナ感染による肺炎で亡くなった。インフルエンザの流行時なら、インフルエンザ感染から肺炎になって死亡という経過を辿っただろう。コロナが特別怖いウイルスというわけではなく、インフルエンザでも関連死の一つには肺炎がある。
     千葉は自分の意志でワクチン接種をせず、酸素吸入器の装着も嫌がっていたと聞いて、わしは改めて千葉真一とは凄い俳優だった、凄い人間だったと見直した。
     人間は人生の終幕まで美学を貫き、自分自身を表現して、その価値を示すことが出来るのだ。
     千葉真一のデビューは昭和35年(1960)のテレビ『新 七色仮面』で、仮面をつけてのアクションも吹き替えなしで自らこなしていたそうで、わしとしては子供の頃から見ていたヒーローだった。
     その後、千葉は『キイハンター』の大ヒットでスターとなるが、自分だけのことには留まらず、それまで日本の映画界では「B級」扱いされ、人材も少なかった「アクション」の地位向上に尽力。JAC(ジャパン・アクション・クラブ)を設立して多くの人材を育成した。
     千葉真一がいなかったら、日本のアクション・エンターテインメントの世界は、今とは比較にならないほど遅れたものになっていたことは間違いないといわれている。
     さらに千葉は数々のアクション映画に主演し、『柳生一族の陰謀』などでは従来の時代劇のイメージを覆すようなアクロバティックなアクションを披露。『戦国自衛隊』では主演と日本初の「アクション監督」を兼務し、その後、映画のプロデュースや監督、舞台制作などへ活動を広げていった。
     千葉はデビュー前から大山倍達の空手道場に通っていて、極真空手四段の腕を持つ空手家でもあり、フルコンタクトの試合経験もある。
     その実力を活かしたカラテ映画は海外でも大ヒットを記録し、そのアクションは「本職の空手家が見ても本物」「ブルース・リー以上」とも評され、熱狂的なファンを生んだ。
     キアヌ・リーブスは千葉を「マエストロ(巨匠)」と呼んで尊敬し、クエンティン・タランティーノは熱烈なオファーで『キル・ビル』に出演させるなど、ハリウッドにもそのファンは数多い。
     そして千葉は90年代以降、活動拠点をアメリカに移し、ここでも高い評価を受けた。
     あと、わしは新田真剣佑が千葉真一の息子だと知らなかったので驚いた。子供たちも立派に活躍しているのだ。
     ところが、その訃報を伝える「羽鳥慎一モーニングショー」では、これらの華々しい功績を伝えるよりも、 「ワクチンを打たずにコロナで死んだ人」 としての扱いの方が重要そうな様子で、呆れ果てた。
     何でもコロナ煽りに利用するモーニングショーにとっては、千葉真一の死も、志村けんや岡江久美子と同じ、格好の「煽りネタ」でしかないのだろう。
     そんな中で長島一茂だけは 「生き方だったり、生きざまだったり、そういう所での判断、決断だったと思うので、ワクチンを打っていれば…という前提は悔やまれる部分、たくさんあるが、打たなかった千葉さん、変な言い方ですが格好良かったなっていう風に思います。ただ、残念なのは間違いない」 と発言し、案外「美学」としてワクチンを打たなかったという決断について理解している様子だった。
     だが、玉川徹ら他の連中はみんな 「ワクチンを打っていれば、まだ生きていたのに」 みたいな言い方しかしなかった。
      コロナを過剰に恐れる 「ヒステリック臆病」 の連中には、ワクチン接種を自ら拒否するという感覚など、おそらく全くわからないだろう。
     玉川徹に至っては、皆目見当もつかないはずだ。 「命が一番大事」 という価値観しかなかったら、ワクチンは必ず打たなければならない、それ以外の選択などあり得ないということになるわけだから。
      もっとも、本当はコロナワクチンを打ったために重篤に陥ったり、障害が残ったり、なんと急死した人もずいぶん多い。
     これから数か月後、あるいは数年後に、ワクチンが原因の得体のしれない死者も増えてくることだろう。だがそれらは国家によって隠蔽されるのだが。
     千葉真一は空手家でもあったわけだから、当然武士としての死生観とか、生き方に対する美意識を持っていたはずだ。
     そういう人があのような死に様を見せたら、何かを感じ取るのが普通だ。高齢になってまで生命に執着して、ただ生き永らえるようなことを良しとしない価値観だったから、ワクチン接種を拒否したのかと、感慨深く思うのが本来ならば普通の感覚であろう。
     それなのに「ヒステリック臆病」のコロナ脳の大人は、あれを見ても何も思わない。ただ 「ワクチンを打っていればまだ生きられたのに」 としか思わないのだ。とてつもない感性の劣化ぶりである。
  • 「天皇陛下・眞子さま・小室氏」小林よしのりライジング Vol.407

    2021-08-17 19:45  
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     ゴー宣道場やwebサイト「愛子さま 皇太子への道」では、天皇や皇室に対して敬意を持つのは常識だという認識が当然のように醸成されている。
     もちろんそれはいいことではあるが、しかしこれは世間一般の感覚とはものすごく乖離しているということは、自覚しておいた方がいい。
     わしとて天皇陛下に敬意は持っているが、ただ賛美のみしているわけではない。場合によっては、懸念や疑念を持つこともある。
     例えば今回の東京オリンピックの開会式だ。
     開催国の元首が行う開会宣言の文言は、オリンピック憲章で一言一句まで細かく決められている。
     原文は英文と仏文だが、JOCの邦訳によればこうだ。
    「私は、第 〇 回近代オリンピアードを祝い、(開催地名)オリンピック競技大会の開会を宣言します」
     実際、前回の東京五輪は昭和天皇が 「私は、第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」 と憲章どおりに開会宣言をされている。
      ところが今回、天皇陛下はこの文言の「祝い」を 「記念する」 に変更し、「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを 記念する 、東京大会の開会を宣言します」と言われたのだ。
     英文で「祝い」は「celebrating」であり、これを「記念する」としたのはギリギリの「意訳」である。
      だがわしは「第32回近代オリンピアードを祝い」と言っていただきたかった。
     この文言の変更は、宮内庁が 「天皇陛下がコロナ禍での五輪開催を祝福していると誤解を招く」 と懸念して行ったと報じられているが、もちろん、こんな変更が天皇陛下のご意思と無関係に行われるはずがない。
     わざわざ「祝い」という言葉を使わなかったのは、やはり陛下ご自身が新型コロナを本当に怖い病気だと信じ込んでいるからだろう。
     天皇陛下は新型コロナについては、政府からの情報しか受けていない。 昨年4月と11月には、あの尾身茂がご進講を行って直接説明しており、陛下は尾身を相当に信用していると思われる。だからこそ尾身は、首相よりも偉そうに見えるほど大きな態度が取れるのだ。
     尾身は五輪開催5週間前の6月18日、 「五輪は無観客が望ましい」 と提言したが、有観客開催に意欲を燃やしていた菅義偉首相は、提言を受け入れるかどうかを明言しなかった。
      その4日後の22日、菅は天皇へ内奏を行った。 その内容は一切公表されないが、当然ここで五輪に関する報告が行われ、観客問題も話題に出たはずだ。
      さらに2日後の6月24日、宮内庁の西村泰彦長官は定例会見で、天皇陛下が「五輪・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか、ご懸念、ご心配であると拝察する」と異例の発言を行い、大きなニュースになった。
     もちろんこれも、宮内庁長官が勝手に憶測を言うことなどない。例によってこれは、天皇陛下が自ら語れないご意思を世に伝える際に使う奥の手だ。
     西村長官は警察官僚出身で警視総監まで出世し、安倍政権で内閣危機管理監を務めた後、宮内庁次長に転じて長官に昇進した。
     この人事は安倍政権が宮内庁を支配下に置き、皇室までもコントロールしようとしたものだったのだが、その目論見は完全に外れた。
     西村は実直な能吏タイプで、安倍政権の危機管理監を務めたからといって政権の言いなりになるつもりなどさらさらなく、宮内庁長官になったからには実直に天皇陛下にお仕えしようとする人物だったのだ。
     だからこそ政権に都合の悪い 「天皇陛下がオリ・パラに懸念」 という発言もしたわけだし、それが天皇陛下の本心であることも間違いない。
      そしてこれを機に菅首相の態度はずるずると後退していき、その後の「感染拡大」の影響もあって、五輪は無観客で開催されることになったのだ。
     あくまでも推測ではあるが、天皇陛下は尾身の提言を強く意識して、内奏の際に菅に五輪は無観客にはできないのかと尋ね、菅はこれに明確な答えを避け、有観客に含みを残したのだろう。それで2日後に宮内庁長官があの発言をした。菅はこれで、天皇陛下がそこまで強く無観客開催を望んでいるということを思い知らされ、方針転換を余儀なくされたのではないか。
  • 「東京五輪の妨害と成功」小林よしのりライジング Vol.406

    2021-08-10 19:20  
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     ありとあらゆる点で異例の大会となったコロナ禍での東京オリンピックが開催された。
     非難と感動と手のひら返しと感染拡大と中止圧力と高視聴率とバッシングと、カオスの世論の中で、日本選手は、いや外国人選手たちも、魂が震えるような感動の記憶を人々の記憶に刻み付けて、大会は無事に閉幕した。
     先週書いたとおり日本は「検証しない文化」であり、今大会の持つ意味も誰も総括しないまま流されていくのは目に見えているが、せめてわしだけでも、ここにその検証を書き残しておこう。
      開会直前までマスコミも、専門家も、世論も、圧倒的に東京オリンピック・パラリンピックに反対で、中止または再延期を求めていた。
     開会まで2か月余りに迫った5月15・16日に朝日新聞が行った全国世論調査では、 「中止」が43%、「再延期」が40%で、合わせてなんと8割を超え、「今夏に開催」はわずか14%にとどまった。
     これを受けて朝日新聞は5月26日の社説で 「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」 と題して強硬に中止を主張した。
     その第一の理由として挙げていたのは「健康への脅威」で、 「選手と関係者で9万を超す人が入国する。無観客にしたとしても、ボランティアを含めると十数万規模の人間が集まり、活動し、終わればそれぞれの国や地元に戻る。世界からウイルスが入りこみ、また各地に散っていく可能性は拭えない」 として、 「もちろんうまくいく可能性がないわけではない」 と保険を打ちつつ、 「問題が起きたら、誰が責任をとるのか、とれるのか。『賭け』は許されないと知るべきだ」 と偉そうに諭していた。
    「世界からウイルスが入り込み」 という一節が、いかにウイルスについて無知かをさらけ出している。
     開催1週間前に迫った7月17日の毎日新聞の調査結果でも、 「延期か中止」が40%で最も多く、「無観客開催が妥当」が36%、「有観客で開催してほしかった」は20%だった。
     メディアでは五輪開催を強行しようとする菅政権に対して 「戦争に突き進んだ、かつての日本の状況にそっくりだ」 などという頓珍漢な非難があふれ、開会式当日にも、極左コロナ脳の活動家たちが国立競技場付近で反対運動をしていた。
      ところがふたを開けて見ると、開会式中継の最高視聴率は60%にも及んだ。そして開会早々から日本選手のメダル獲得が相次ぐと、マスコミはあれだけ反対していたくせに、オリンピック報道の洪水となった。
     テレビ各局は連日長時間の中継を組み、日本選手の活躍を放送して高視聴率を稼ぎ、メダルラッシュに国民は感動の嵐となった。
     ネット等ではマスコミの手のひら返しを批判する声も強かったが、マスコミは居直って、ヌケヌケと感動を隠さずに報じ続けた。
     メダルを取った選手たちは、つい最近までオリンピックに大反対していたテレビに出ても、 「開催してくれたことに感謝します」 と口にしていたが、その姿は実に健気であった。
     先に引用した朝日新聞の社説にも顕著なように、左翼コロナ脳が五輪開催に反対した最も大きな理由は、 「外国人が海外から変異株を持ってくる」 という偏見だった。
     そもそもコロナウイルスは常に変異を繰り返す「RNAウイルス」の一種であり、「英国株」とか「インド株」とか言っていたのはたまたま英国やインドで最初に見つかったからに過ぎず、 「英国株」や「インド株」と同じ変異株は国内でも、あるいは世界同時多発的にも産まれるものだ。
     ところが、そんなウイルスの常識すら専門家やマスコミは知らない。ましてやマスコミなどにそんな知識があろうはずもなく、ただひたすら非科学的な恐怖を煽りまくった。
     おかげで外国人選手や関係者たちはバブルの中に押し込められて、外出もままならず、圧倒的に「おもてなし」が不足する事態となっていた。
      そして開催期間中に、デルタ株の新規陽性者が急増し始めた。 東京都ではそれまで1日1000人台で推移していたものが、7月27日に2848人とほぼ倍増、翌28日以降は連日3000人台となり、「過去最多」が続出した。
     だが、感染者数のデータはその2週間前の動向が反映されたものだというのであれば、五輪の開幕が7月23日、外国人の入国ラッシュがその数日から1週間前程度前からのことなのだから、この急増は五輪開催とは関係なく、その前から始まっていたことになる。
     そもそも五輪で来日した外国人からデルタ株が広がったのであれば、バブルの中の外国人がクラスターだらけになっていなければおかしいはずだが、そんな事実もない。 デルタ株陽性者の急増と五輪には何の関係もないのは明らかだった。
     それなのに「デルタ株急増」に怯えたマスコミ・コロナ脳は、今からでも五輪を中止しろと叫び出したのだった。
  • 「米軍、イラク撤退。検証しない文化?」小林よしのりライジング Vol.405

    2021-08-03 21:55  
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     もう日本では、世の中にはコロナとオリンピックしか存在しないかのような状態で、世界でどんな歴史的なことが起こっていようと一切無視されている。
     わしもコロナ禍・ワクチン禍という喫緊の課題に対処しなければならないので、「SPA!」では『コロナ論4』シリーズを集中して描く以外にない。
     だが「ライジング」くらいは、その他の話題も扱っておきたい。
     アメリカのバイデン大統領は先月26日、ホワイトハウスでイラクのカディミ首相と会談。両政府は声明を出し、 年末までにイラクの駐留米軍が戦闘任務を終えると発表した。
      イラク戦争は2003年に始まり、2011年にはオバマ大統領(当時)が完全撤退に踏み切ったものの、イスラム国(IS)が勢力を拡大させ、その掃討のために再派兵を余儀なくされていた。
     今回は完全撤退ではなく、約2500人の米兵は駐留を続けるが、イラク軍への助言や支援に専念し、直接戦闘にあたることはなくなるという。
     一方アフガニスタンの駐留米軍については、今月末までに完全撤退することが既に決まっており、先月2日には最大拠点だった首都カブール近郊のバグラム空軍基地に駐留していた米軍の撤退が完了している。
     2001年9月11日にアメリカ・同時多発テロが勃発、米軍は直ちにその翌月アフガニスタンに侵攻し、それから約20年もの歳月が経過。 アフガニスタン戦争は「米国最長の戦争」とも言われるが、これがようやく終わることになる。そして時を同じくしてイラクでも、米軍は直接の戦闘任務から手を引くという。
     いま、明らかに時代の一区切りがつけられようとしている。世界中に甚大な被害と禍根を残したままで。
     米軍はアフガニスタンへピーク時に約9万人を派遣。イラクへは、ピーク時に約17万人を派兵した。
      戦死者は合わせて約7000人。そして帰国後に心を病んで自殺した復員兵の数は、戦死者数をはるかに上回ると推測されている。
     また、 米軍のアフガニスタン、イラク、シリア、パキスタンにおける2001年以降の戦費は5兆6000億ドル(約638兆40000億円)にも上る と、米ブラウン大学ワトソン国際公共問題研究所(WIIPA)が試算している。
     この額は米国防総省の試算の3倍以上に達するが、国防総省の試算は「直接戦費」だけであり、手足を失ったり失明したりした重傷者の生涯の年金、治療費や国債の利息など将来の費用を加算すれば、ここまで膨れ上がるというのだ。
      そしてこれだけの犠牲を払いながら、これで米国が得たものは何もなく、何一つ解決されたことはなかったのである!
     米政府は9.11テロ事件の黒幕とされるオサマ・ビンラディンを匿っていたアフガニスタンのタリバン政権にその身柄の引き渡しを要求し、断られた。
     そこでブッシュ大統領(当時)は「テロとの戦い」を宣言して2001年10月7日、米英を始めとする連合軍がアフガンを攻撃した。
     それから約2カ月でタリバン政権は崩壊、11月には有志国連合とアフガン諸勢力の代表らが暫定政府の樹立などに合意し、12月には暫定行政機構が発足した。
     そして次にアメリカはイラクがテロに関与しているとの疑いをかけ、イラク攻撃へと突き進んだ。
     翌2002年初頭の一般教書演説でブッシュは、イラク・イラン・北朝鮮を、大量破壊兵器を保有するテロ支援国家として名指しで非難。
     この時、ブッシュは三国を「悪の枢軸」と称したが、これは言うまでもなく第二次世界大戦におけるドイツ、イタリア、日本になぞらえたもので、明らかに日本への侮辱になる言葉だった。
     ところが日本の自称保守派は誰一人この発言を非難せず、それどころか、こぞってこれを大歓迎した。
      連中は、アフガンをやっつけたアメリカは次にイラクをやっつけ、さらにその次には北朝鮮をやっつけてくれると思っていた。だから、アメリカを支持さえしておけば、日本も安心できると本気で信じていたのである。
     米国はイラクが「大量破壊兵器」を保持していると主張し、これにより危機が迫っているから「自衛」のためにイラク攻撃が必要だと唱えたが、これにはアフガン攻撃の際とは違って、国連の合意を取り付けることができなかった。
     それにもかかわらずアメリカは2003年3月19日、イラク侵攻を強行。
      わしは西部邁と共に、戦争の大義とされる「大量破壊兵器」などイラクに存在せず、これは侵略戦争であると批判。さらにこの戦争は泥沼化し、米軍が負けることになると予測した。
     そしてこれに対して、親米保守派の連中は総がかりでわしと西部へのバッシングを繰り広げたのだった。
     開戦後1か月足らずでフセイン政権が崩壊したあたりの、親米保守派の勝ち誇り方はものすごかった。
      ところが結局、戦争の大義であった大量破壊兵器は結局存在せず、イラク戦争は侵略戦争以外の何物でもないことが明白になった。 するとあろうことか、親米保守派は 「戦争に大義など要らない」 などと言い出したのである。
     しかも米軍は、イラクの占領政策に完全に失敗した。独裁者・フセインさえ倒せばイラク国民は大喜びで民主国家を樹立するだろうという楽観的すぎる予想はあっさり覆され、 それどころか、フセイン独裁だったからこそ抑えられていたシーア派とスンニ派の衝突が勃発して内戦状態となり、さらにはテロ組織が続々と流入して、イラクは完全なカオスと化してしまったのだ。
      米軍は治安維持のための増派などを余儀なくされ、完全に泥沼にはまってしまった。