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記事 4件
  • 「太ってるから人気出た芸人はダメか?」小林よしのりライジング Vol.393

    2021-03-23 17:30  
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     東京五輪・パラリンピック開閉会式のクリエイティブディレクターだった演出家・佐々木宏が内部のグループLINEでのアイディア会議で、渡辺直美にブタの格好をさせて「オリンピッグ」という案を出していたことを週刊文春にすっぱ抜かれ、「女性蔑視」だと非難を浴びて辞任に追い込まれた。
     週刊文春は記事のタイトルを 『「渡辺直美をブタ=オリンピッグに」東京五輪開会式「責任者」が差別的演出プラン』 として、 「渡辺直美をブタに」 というアイディアこそが最大の問題であるかのようにポリコレ棒を振り回してスキャンダラスに煽り立てた。
     どんな卑怯な手段を使っても 「女性蔑視発言」 を仕立て上げ、ポリコレの問題にして騒ぎ立てさえすれば、誰でも失脚させることができる時代になったのだ。
     そもそもアイディア会議というものは、戯れにどんなものでも言ってみるのが基本であって、それを禁じられたらクリエイティブなことなんかできやしない。
     しかし今やポリコレ優先、創作など二の次というのが世界的な潮流になってしまっていて、創作者であるわしにとってはそれが不愉快でならない。
     週刊「SPA!」編集部も一度ヒステリック・フェミのポリコレ軍団に目をつけられて、あわや「新潮45」の二の舞かという思いをして以来、どうしようもないほど臆病になってしまった。
    「よしりん少女像」の章はボツにされたし、他の雑誌に持ち込めば即掲載で、単行本にも収録した。「SPA!」だけが掲載できなかったのだ。
    「ポリコレ修正」を要求されると、延々と時間をかけて説得しなければならないので、仕事が進まないし、ストレスが溜まる。
    「ちょっと持ち帰って、もう一度考えてみます」なんて言われることがあり、そうなるとものすごい不愉快を溜め込んだまま寝なければならなくなって、その欲求不満が翌日にまで持ち越されてしまう。
     アイディアというものは、脳の前頭葉にドーパミンという快感物質が噴出している状態でないと、面白いものが浮かばない。不愉快は創作活動にブレーキをかけることなのだが、それが創作者にとってどれだけ辛いことなのかが、誰にも分かってもらえない。
      どうして誰も彼もそんなにポリコレに弱いのか? ポリコレ軍団の言ってることなんか、100万パーセント間違っているじゃないか。
     ポリコレ軍団は自分が「リベラル」と思っているのだろうし、「平等主義者」なのは間違いない。特に 「男女平等主義者」 なのだろう。
      差別に反対するのがリベラルで、差別に反対するリベラルは善人であり、差別に反対するためなら言葉狩りでも弾圧でも粛清でも何でも正義であるという思い込みが強いのだろうし、その思い込みにマスコミも、エセ知識人も逆らえない状態になっている。
     実は「リベラル」なんて名称は定義が曖昧で、その正体は 「枯れ左翼」「うす甘いサヨク」 、自由より平等を重んじる 「極左」 と言った方が実態に近づける。しかもSNSという匿名の武器を使って、個人より集団で破壊衝動を満たす卑怯者なのだ。
     極左ポリコレ軍団は、世の中に破壊しかもたらさない悪魔である。奴らが今回のようなことをやった時には、ネットを使える者は全員でこれに抗議し、叩き潰すようにしなければならない。そういう反動勢力を作らなければ、社会は破壊されるがままになってしまうだろう。
     最近は極左ポリコレ軍団に怯えた企業や雑誌社が、CMを中止したり、作家に自主規制の圧力をかけてくるようになった。
      先日は『ゴー宣』でわしが引用した女性読者の文章まで、修正してくれと言ってきた。他人の文章を勝手に改変させるなんて、あまりにも非常識で絶対にOKしなかったのだが。
     果たして、その作品が発表されても、誰も抗議して来ない。
      そもそも今回の「ブタ鼻」事件で奇妙なのは、肥満体の女性芸人を「ブタ」に例えたら「女性蔑視」になるのか?
     マスコミ知識人は、「女性の容姿を笑いものにするのはいけない」とかきれいごとを言っているが、渡辺直美は、最初から自分の肥満体を利用して出てきたのだ。
  • 「コロナ禍の被害者」小林よしのりライジング号外

    2021-03-16 11:05  
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     コロナ禍の本当の被害者は誰か?
     それは、コロナに罹って死ぬ高齢者ではない!
     わしはこれまで何度もそう言ってきたが、それでも未だに本当の被害者に目を向け、手を差し伸べようという動きが一向に高まらないので、今回も改めてこの問題についてまとめて述べておきたい。
     東京新聞は3月12日、『コロナと障害者』と題する社説を掲載し、コロナ禍のしわ寄せが社会的弱者に集中していることを指摘、障害者も例外ではないと主張している。
      例えば 視覚障害者 は、外出先で声をかけてくれる人が少なくなっていて、危険が増しているという。
     確かに、以前だったら白杖をついて電車のホームを歩いている人がいたら、周囲の人が腕を取って案内することもできたが、今では人との接触を避けるということでそれができなくなっている。そのためか、視覚障害者が線路に転落して列車にはねられ、死亡するという事故も相次いでいる。
     しかも視覚障害者がマスクをすると嗅覚が鈍くなるため、これも危険を増すことになり、ストレスを高めているらしい。
     そしてさらには、 視覚障害者が多く働く鍼灸院やマッサージ業も客が激減しており、解雇が相次いでいるという。
     一方、 施設で暮らす 知的障害者 は家族らとの面会が制限され、孤立感を募らせているし、自立訓練などを行う障害福祉事業所も、コロナ禍で経営難に直面している。
     事業者への報酬は、利用回数を基にした日額払いとなっているので、利用者がコロナ禍で減れば減収となってしまい、それでも固定費は重くのしかかるのだ。
      障害者には健常者に比べ、手洗いやマスクの装着が難しい人が少なくなく、しかも精神科病院では、換気が十分ではない閉鎖病棟のためにクラスターが多発しており、これまで30以上の病院での発生が確認されている。
     ところが一般病院へ転院させようとしたら、患者の対応の難しさを理由に拒まれ、死亡する例も出ているという。
     このような完全に弱者の立場にいる人たちが、とてつもない地獄に追い込まれてしまっているのだ。
     女性が置かれている状況も深刻である。同じく東京新聞3月12日付に掲載された「データで見るコロナ禍の女性」では、 非正規労働の女性は、休業を命じられても補償を受け取れない人が多い と指摘している。
     総務省が発表した2020年平均の労働力調査によると、非正規労働者は前年から約75万人減少して2090万人。
     これを男女別で見ると、 男性が約26万人減の665万人に対して女性が約50万人減の1425万人と、減少数が約2倍になっているのだ。
      さらに「失業予備軍」とされる休業者は、男性が35万人増の104万人に対し、女性は45万人増の152万人。
     しかも、パートやアルバイトのシフトが5割以上削減された上に、労働基準法が定める休業手当も受け取れず 「実質的失業者」とされる女性は、推計90万人に上っている。
     ところがこのようなデータも、十分には浸透していない状態だ。
     そのうえコロナ禍による経済不安や自粛生活によるストレスは、女性への暴力を深刻化、増大化させている。
     内閣府の調査によると、 ドメスティックバイオレンス の相談件数は昨年4~12月の総数で約14万7000件と、これまた過去最多。特に5、6月は前年同月の約1.6倍に増加している。
      性暴力被害 も増大していて、支援センターに寄せられた 相談件数は、昨年4~9月の累計が前年同期の約1.2倍。
     外出自粛で家庭内性暴力が深刻化したり、虐待や暴力から逃れるために家出した少女がSNSで知り合った男の家に泊まって性的搾取に遭ったりする事案があり、望まぬ妊娠の相談件数も急増しているという。
  • 「官僚バッシングの行きつく先」小林よしのりライジング Vol.392

    2021-03-10 18:05  
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     いつもいつも重大なことが起きていながら、マスコミ及び大衆はそれを単なる話題として消費するだけで、片っ端から忘れ去っていく。
     そして、これが重大な問題なのだということを、誰ひとり指摘しない。
    「SPA!」で描きたいが、他のテーマで描いている時はつい描きそびれ、ライジングでしか書けないこともしばしばある。この話もライジングでだけになってしまうかもしれない。
     山田真貴子内閣広報官が、菅義偉首相の長男が勤める「東北新社」から7万円ほどの接待を受けたことを追及され、辞職した。
     その接待が、利益誘導につながっていたのかどうかも明らかではないのに、マスコミ大衆は自粛警察みたいに過剰な倫理を振り回して、徹底的に追い詰め、辞職させてしまったのである。
     しかもマスコミ大衆はそれだけでは飽き足らず、なぜ菅首相はすぐに山田を辞めさせなかったんだ、また後手後手に回ったじゃないかと批判した。
     そしてこの「後手批判」を気にした菅はその後、小池都知事らが要請しようとしていた緊急事態宣言の延長を「先手」を取って発表するという、「後ろ向きの先手」を取ってしまったのだ。実に馬鹿馬鹿しい。
     内閣広報官にまで出世した官僚が、汚職だったのかどうかの検証もされないまま、ただ接待を受けただけでマスコミ大衆から完全に「悪」として袋叩きにされ、失脚してしまった。こんな光景を見て、今後官僚を目指そうとする優秀な若者など出て来るだろうか?
     かつては確かに官僚が驕ってしまい、接待漬けになって汚職に手を染めた時代があった。
     平成10年(1998)に発覚し、官僚7人が逮捕・起訴され有罪判決が確定した大蔵省接待汚職事件、いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」はその象徴として強い批判を浴びた。
     さらにこれと前後して住専破綻や防衛庁調達本部巨額背任事件、特養老人ホーム汚職事件など官僚不祥事が相次ぎ、これに天下り問題も絡み、官僚バッシングがブームのようになってしまった。
     わしが追及に加わった薬害エイズ事件も、官僚バッシングを激しくした要因となったわけだが、わしはこの当時から「単なる官僚バッシングには与しない」と明言していた。
     一部に不祥事を起こす者がいたとしても、基本的に日本の官僚は優秀であり、官僚の働きによって日本が支えられていることを否定できるはずはない。
     官僚バッシングなど、その実は無能な大衆の単なる破壊衝動の表れでしかなく、そんなことによって、優秀な官僚の足が引っぱられることがあってはならないとわしは考えたのである。
     ところが世間では「官から民へ」が合言葉となり、官僚が諸悪の根源だと主張するオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンの本がベストセラーとなり、官僚バッシングは激しくなる一方で、歯止めがかからなくなってしまった。
      官僚には潔癖なほどの倫理観が求められるようになり、接待などまず受けられなくなってしまったが、それでも官僚バッシングは一向に収まらなかった。
      とにかく官僚よりも「民」の代表である政治家の方が圧倒的に強くなければならないという風潮が強まり、官僚は政治家の「小間使い」に徹しさせろというような勢いにまでなっていった。
     そして一連の官僚バッシングの完成形として成立したのが、 政府が官僚人事を完全に掌握する 「内閣人事局」 だった。
     かつての官僚人事は実力主義・実績主義で組織内で行われていたが、これによって実力・実績よりも「内閣に都合のいい人」が出世できるようになり、公務員の権限はもうなくなってしまった。
      以前の日本は「政治は三流だが、官僚が一流だからもっている」と言われていた。 そして官僚にもその自負があって、この国は我々が支えているのだという誇りと、我々がこの国のためにやらねばならぬという使命感を持っていた。
     だからこそ、東大を出た一番優秀な者は民間企業には行かずに官僚になって、そういう人たちがずっとこの国家を繁栄させてきたのだ。
     官僚支配が日本を不幸にしているなどと外人ジャーナリストが唱え、それを日本のマスコミ大衆がありがたがっていたが、実際には「官僚支配」が最も強かった頃の日本は高度経済成長期であり、その頃こそが、日本が一番強い時期だったのである。
     それなのに、日本人が自ら官僚をどんどんぶっ叩いて、どんどん日本を弱くしていってしまったのだ。
  • 「本当の女性活躍社会とは?」小林よしのりライジング Vol.391

    2021-03-02 18:00  
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     橋本聖子が東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長に就いたら、やっぱりすっかり話題は終息してしまった。森喜朗バッシングはコロナ禍の一時的なストレス発散のためのスケープゴートだったので、追放したらすっきりしてしまったのだろう。
     よりによってセクハラ&パワハラの女王・橋本聖子が次期会長になったのは、なかなか皮肉が効いていて可笑しかったが、橋本がただ女性というだけで、こんな大変な状況で「火中の栗を拾う」役目を押し付けられたのは気の毒でもある。
     こうなったら森喜朗には「娘」同様という橋本聖子が何とかオリンピックを成功させてほしいと願うばかりである。
     その手始めに、女性理事の割合を40%に引き上げることから始めるのだという。白々しいが「ヒステリック・フェミ」のご機嫌取りから始めなければならないのだろう。だが、ヒステリック・フェミは左翼だから、自民党支持じゃないので、心から喜びはしないのだが。
     例によって今回も、全く無責任に男尊女卑糾弾運動だけが、一瞬にして燃え盛り、何が「女性蔑視」なのか、何が「男女平等」なのか、そもそも「男女平等」は可能かという本質には一切触れることもないままに、女性の人数だけが問題だったという結論になってしまった。
     もちろん、ライジングの読者はそんなふうに話題を消費して満足する人たちではないはずなので、この機会に本当の「女性活躍社会」のあり方というのはどういうものなのかを考えてみたい。
     実はこの問題を考える場合、いま「ゴー宣道場」がサンプルとして実に面白い状況になっている。
     ゴー宣道場では「3大目標」として「皇位の安定継承」「立憲的改憲」と共に「女性の地位向上」を掲げている。
     そして現在、「全国推進隊長」として道場開催の設営等のトップに立っているのが、ちぇぶという女性である。
     だが、これは誰でもいいから女をお飾りで置いたわけではない。
     ちぇぶという女は「全国推進隊長」という名目を与えられるや、本気で全国拡大を実践し始め、そのためには自分の権力を固めることにも躊躇しない。
     設営隊の一部の男たちを親衛隊として取り込み(男たちも望んでそれを受け入れる度量があるのだが)、先にできていた派閥との権力抗争を始めてしまった。
     どんな小さな集団でも、往々にして人が集まれば派閥ができ、権力抗争が起こるものだ。それには男女は関係ない。女だったら権力抗争をしないなんてことはないのだ。
     わし自身は困ったことになったと思いながらも、まるで天皇の下で武家同士が権力の奪い合いをしているようなもので、成り行きを見守るしかなかった。(わしを天皇に例えるのは不遜だが、分かりやすい例として)そして、詳細を書くのは差し控えるが、結局はちぇぶが権力を掌握して、今の体制を作りあげてしまったのだ。
     ちぇぶは設営のための実務的な能力が非常に高い。しかも飛び込みの「新規開拓営業職」という、「ゴミ扱いの視線を向けられるところからスタート」の修羅場で鍛えられているから、メンタルがむちゃくちゃ強い。営業職というのは、「呼んでもいない、邪魔なのが来た」と、ゴミでも見るような目で見られるのが最初なのだ。
     ちぇぶは地方で開催するとなったらどこへでも出かけていって、地元の設営隊に全部の指示をしてくる。これでは地方の設営隊に依存心ができるし、独裁制が高まるから大概にしろとわしが注意したので、今は地方の自主性を損なわない程度にアドバイスするようになった。
     ともかくこのフットワークの軽さも、営業職で鍛えられたからこそできたものだ。
     そうして、ちぇぶは地方の設営隊諸君と、東京にいるわしをつないでいるし、もしも地方の設営隊に何かあったら、いざという時には自分が乗り込んでいって、どこの設営隊だろうと全部仕切って、その支部の設営を遂行してしまうことだってできる。
     そんな実力を持っている人間は、今まで男でも一人も現れたことはなかった。
     持っている実力は、認めなければどうしようもない。
     しかもちぇぶの考えていることはもっとすごい。