• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 2件
  • 「芸人の闇営業や、哀れ」小林よしのりライジング号外

    2019-07-09 14:40  
    102pt
     芸人の「闇営業」問題には、可哀そうで気の毒でたまらない思いがする。
     あれを謹慎処分にするなんてことは、しちゃいけない。しかも無期限だなんて、あんまりだ。
     そもそも芸人の間では、事務所を通さない営業は「直(じか)営業」とか、内職をひっくり返して「ショクナイ」とかいって、普通に行われていたことだという。
     なにしろ吉本興業の若手芸人って、事務所を通した仕事では本当に食えないのだ。
     吉本興業には6000人の所属芸人がいるが、お笑いで食えているのはほんの一握り。
     現在、吉本の芸人になりたい者はまず吉本が運営する吉本総合芸能学院(NSC)に入るが、NSCを卒業しても吉本芸人として身分が保証されるわけではない。
     NSC東京校の場合、卒業生は劇場でネタバトルランキングを行い、客の投票でギャラがアップしていくシステムとなっている。
       ギャラが出るのは上位190組で、それ以下はノーギャラ。しかもギャラが出るといっても、最底辺のランクでは1ステージ500円だという。
     1日放送のテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」で証言した元芸人の場合、1ステージ500円で、しかもトリオだったから1人がもらえるのはわずか167円。横浜の自宅から渋谷の劇場まで行っていたから、交通費が往復1100円かかり、一度ステージに立つごとに933円の赤字だったという。
     そのうえ吉本には所属芸人が山ほどいるので、ライブは1カ月1回、60秒しかチャンスがない。そこで勝てば3分とか、月3回とか出られるようになり、吉本社内から注目され、仕事やオーディションの声がかかるようになるが、それまでが過酷だという。
     しかもそこを乗り越えたとしても、若手芸人は月10~15本のライブをこなしても月収2万円程度で、とても食っていけるわけがなく、飲食店アルバイトなどで生活費を稼ぐしかないという。
     ところがこの話が放送されたら、現役の芸人がツイッターに「そういう『ぬるい』情報を流すのはどうかと思う」「俺ならもっと厳しい現実を言える」と書いたというから、実際にはどこまで暗黒が広がっているのか想像もつかない。
     テレビ等のギャラの、芸人と所属事務所の配分は通常「5:5」か「6:4」で、良心的な事務所だと「7:3」という場合もあるが、吉本の若手はなんと「1:9」だという。
     実際、ある程度売れている若手でも、同じ程度の芸歴の人の同じ程度の仕事のギャラを比べたら、吉本よりも他事務所の方が何倍も高いということなどザラだそうだ。
     それを「ケチモト」とか、「ピンハネじゃなく『ピンクレ』だ」(ピン=1割をかすめ取るのではなく、1割しかくれない)とか言ってネタにもしていたのだが、もうさすがに笑い事では済まなくなっている。
     わしにも新人漫画家だった時代はあるから、そういう話を聞くと身につまされる思いがする。
     わしは幸いにもデビューしてすぐ「週刊少年ジャンプ」で連載が決まったものの、その時は大学を出たてで全くお金がなかった。原稿料は作品が雑誌に載ってから1カ月くらい経たないと入らないので、生活費も底をついて、ついにはバイトをしながらじゃないと描けないという状態になってしまった。
     そんな時に編集者から「次のコンテをなぜまだ送ってこないのか」と催促の電話が来たので、素直に「バイト先を探していたもので」と言ったら編集者がびっくりして、連載も始まっているのにバイトなんかやられちゃ困る、専属契約にして契約金を払うから描き続けてくれということになり、それで原稿料とは別に50万円が入ってきて、安心して執筆に専念できるようになったのである。
     わしはその時の50万円がそれまで見たこともない巨額の大金に思えて、仰天したものだ。昭和50年(1975)のことで、当時の大学初任給が平均89300円だったというから、給料約5カ月半分。現在の価値に換算すると90万5000円くらいに相当するらしいが。
     専属契約金は2年目以降、100万円、150万円と上がっていった。
     その代わり専属契約だから集英社以外の出版社では一切描けず、それが後々には嫌でたまらなくなってきた。連載が終わっても他社の雑誌に移ってすぐ次の連載を起こすということはできず、集英社の雑誌からお声がかかるのをじっと待っていなければならないのだ。
     それで、わしはもう勝手にどこででも描きたいと思って専属契約を打ち切り、少年画報社の「週刊少年キング」で連載を始めたのだった。
     吉本興業は最低限の生活保証もせず、あれほど酷いギャラしか払わないのに、それで若手芸人はどうやって食っていけばいいんだ?
     バイトで生活するにしても、芸人はいつ仕事が入るか分からないから、拘束時間が決まっている普通のバイトはなかなか出来ない。
     そうなると若手芸人が直営業をやるのも無理はない。拘束はないし、基本的にギャラは高い。新人でも相場は最低3万円、運がよければ、テレビのギャラならM-1優勝芸人クラスに相当する10万円以上になる。しかもそれが事務所を経由しない「取っ払い」でもらえるとなれば、それは手を出して当然というものである。
     そもそも吉本興業には契約書すらないのだ。契約を交わしていないのなら、事務所と関係なくどこでどんな仕事をやっていても、法的に何の問題もないはずではないか。
     いまでは食えない芸人の窮状もある程度知られているから、今回の「闇営業」に関しては、売れていない芸人に対する風当たりはそれほど強くはなく、もっぱら売れている雨上がり決死隊の宮迫博之と、ロンドンブーツ1号2号の田村亮が矢面に立たされている。
     ただしこれにも事情があるようで、闇営業の仲介をしていたカラテカの入江慎也は人の懐に入って恩を売るのがものすごく上手いらしく、明石家さんまでさえ「俺、入江には世話になっているから、入江に頼まれたら俺も絶対に行っていた」と、参加した芸人たちに同情を示していた。
     そう考えれば、行かなくても食えるのに後輩のために闇営業に行って、特に激しく叩かれて仕事を失った宮迫と亮も、かなり気の毒という気がしてくる。
  • 「正しい宗教のつくりかた」小林よしのりライジング Vol.320

    2019-06-25 20:55  
    153pt
    ●わたしの先生
    「溶田研究会にご寄付をしてくださったみなさま、本当に、本当にありがとうございました。厚く、厚く、御礼申し上げま……あっ、溶田先生」
    「今日の練習かい? 偉いなあ。鶴見さん、よろしく頼むね。きみはこの溶田研究会の期待の星だよ。素直で真面目な良い子だし、きみのような若い女の子は、ただ存在するだけでいいぐらいだ。溶田研究会のアマテラスだね」
    「そ、そんな、畏れ多いです。先生、昨日配信の溶田宗泰チャンネルも拝見して勉強させていただきました。今日は先生のお役に立てるよう、精一杯がんばります!」
     楽屋前の廊下で緊張して立ち尽くし、挨拶の練習を繰り返していた私をわざわざ励ましに来てくれたのは、尊敬する溶田宗泰先生だった。旧皇族の溶田家に生まれ、日本と皇室についての著書をたくさん出版している溶田先生は、多数のテレビ出演をこなしながら、国史や伝統文化を学ぶ「溶田研究会」を主宰し、全国で講演活動を行っている。私は研究会に参加して学ぶ一女子大生に過ぎないが、今日は先生の講演の場で、特別に挨拶の時間を任されることになった。壇上で大勢に向かって話すのははじめてのことで、昨夜は緊張で眠れていない。
    「あれ、目が充血してるぞ? 鶴見さんはがんばり屋だからな。僕ね、きみを一番評価しているんだ。リラックスしていこうね」
    「は、はい!」
     四角い眼鏡の奥でやわらかく微笑みながら、先生が一歩こちらへ近づき、私の左肩にそっと手を置いた。先生がこんなに近くにいて、私に触れている――!
     その途端、先生の触れた部分から痺れるような熱い電流が走り出すのを感じた。それは渦を巻いてたちまち全身をかけめぐり、脳の隅々の神経細胞から手足の指先まで細密にゆきわたって、私の内側を感激の恍惚でいっぱいにした。
     なんてことだろう、旧皇族の溶田宗泰先生が、歴代の天皇の血を引く御方が、いま私の体に触れている。そして、私だけを見て微笑んでいるのだ。ここには溶田先生と私だけがいる。先生は、私が緊張でよく眠れていないことに気づいてくれた。一緒にこの会場へやってきた両親ですら言ってくれないことを、すぐに悟ってくれた。やっぱり先生は普通の人じゃない。そんな普通じゃない凄い人に、私は評価されているなんて。
     大地から浮き上がるような感覚だった。胸がいっぱいになり、涙があふれ出そうだった。
    「溶田先生、まもなくお時間です」
     呼び掛けるスタッフのほうを振り向き、壁の時計を確認した先生は、右手でさっと眼鏡の位置を整えると、表情を引き締めて舞台袖へと向かっていった。
     なんて素敵なんだろう。勉強会でもテレビでも、私は先生の横顔を見るのが好きだった。大きな下顎と立派に突き出た喉仏。そこには男性としての強さと逞しさが宿っている。けれども決して粗暴なイメージはなく、全体の佇まいは上品そのもの、時に激しく、時に相手を説き伏せるように、とめどなく繰り出される知識もやはり旧皇族としての凄さを感じさせた。
     生まれも育ちも私なんかとはまるで違って、本来は同じ空間にすらいられない人のはずだ。そんな人が気さくに励ましてくれる。それどころか、肩に手まで置いてくれる。そんな溶田先生のために、今日はがんばらなければ。
     ほどなくして、「君が代」の前奏が流れだした。溶田研究会開幕の合図だ。