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「アジア解放は理念も実行もあった」小林よしのりライジング Vol.143
2015-08-11 22:55153pt8月6日、「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」という長ったらしい名称の会議が、安倍首相に報告書を提出した。
戦後70年にあたり、14日に閣議決定の上で発表されることになっている安倍談話とやらの下地になる歴史観をまとめた報告書である。
これを一読して、『戦争論』以降の17年間の論戦は、一体何だったのだろうと思わざるをえなかった。
その歴史観は完全なる「司馬史観」であり、「東京裁判史観」だったのである。
まず報告書では19世紀について触れ、 「 世界最大の経済大国だった中国が、英国に、しかもアヘン戦争という極めて非道な戦争に敗北してしまった 」 結果、 「 西洋諸国を中心とする植民地化は世界を覆った 」 とする。
そしてその一方、 「 アジアにおいては、植民地化を免れようと近代化を遂げた日本が日清戦争に勝利 」 、さらに 「 日露戦争で日本が勝利したことは、ロシアの膨張を阻止したのみならず、多くの非西洋の植民地の人々を勇気づけた。のちに1960年前後に独立を果たしたアジア、アフリカのリーダーの中には、父祖から日露戦争について聞き、感激した人が多かった 」 と書いている。
アヘン戦争を 「 極めて非道な戦争 」 とまで表記し、そんな西洋列強の植民地化から免れるために日本は近代化したこと、そしてさらに日露戦争の功績も十分に認めて書いている。
ところが、昭和に入ったあたりから一変。 「 日本は、満州事変以後、大陸への侵略を拡大し 」「 世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた 」 等々、これでもかとばかりに断罪をし始め、しまいには 「 1930年代以後の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ない 」 と切り捨てるのだ。
そして、戦後になるとさらに一変。 「 日本は、先の大戦への痛切な反省に基づき、20世紀前半、特に1930年代から40年代前半の姿とは全く異なる国に生まれ変わった 」 と言ってのけるのだ。
日露戦争までの日本はいい国。1930年代に入ると魔法にかかったように極悪な国になり、戦後はまた全く異なった国に生まれ変わった、というのだ!!
歴史を分断し、自分の気に食わない時代の日本を「別の国」にしてしまうのだ。歴史教科書論争の頃にも散々批判してきた「便利すぎる歴史観」が、こんなところで大手を振ってまかり通っている。
こんなこと、まともな学識者だったら主張できるはずがない。バカの歴史観と言うしかない。
さらに報告書では、満州事変以後を「侵略」と書いている。これに朝日新聞などは「侵略」と明記した!と大喜びしているのだが、実は報告書には「侵略」の語に注釈を付け、 「 複数の委員より、『侵略』と言う言葉を使用することに異議がある旨表明があった 」 として、その理由を以下のように書いている。
1.国際法上「侵略」の定義が定まっていないこと、
2.歴史的に考察しても、満州事変以後を「侵略」と断定する事に異論があること、
3.他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを「侵略」と断定することに抵抗があるからである。
左翼新聞のウェブサイトの中には、この注釈を省いて載せるという悪質なものもあった(さすがに朝日新聞デジタルには載っていた)。
この3点の理由を退けて「侵略」と表記したからには、そう判断した理由も明らかにする必要があるはずだが、それはどこにも書かれていない。
国際法上、「侵略」の定義が定まっていなかったというのは確かにその通りである。パール判決書でも、日本のいかなる戦争も国際法上「侵略」とはされていない。
だが、わしは国際法上の観点とは別に、道義上の観点が必要であると考えるようになった。
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