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記事 4件
  • 「皇后陛下、お言葉に込められたご真意」小林よしのりライジング Vol.106

    2014-10-28 21:30  
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     皇后陛下は10月20日に80歳、傘寿のお誕生日を迎えられた。
     お誕生日には毎年、宮内記者会の質問に対するご回答という形で文書によるおことばが発表されるが、今年は例年にも増して深く、重いおことばであった。
     今回は、その中から特に印象に残ったところを挙げておきたい。
     まず驚いたのは、皇后陛下のおことばの中に「A級戦犯」という語が出てきたことだ。「来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちを」という質問へのご回答の中で、こうおっしゃったのである。
     私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います。
     わしはいつも「いわゆるA級戦犯」と表記しているが、それはABC級の別を問わず、かつて「戦犯」とされた人々を犯罪人とする根拠は、もはや国内法にも国際法にも存在せず、日本に「戦犯」はいないという主張を込めているからである。
     しかし皇后という立場におられる方が、殊更にそのような主張をなさるわけにはいかないので、「いわゆる」などはつけられない。
     皇后陛下は、あくまでも中学生当時に感じた思いをそのまま述べられる。戦後になってからの感情を記憶に上書きして、当時から彼らを恨み、憎んでいたかのように言う人もよくいるが、そんな都合のいい態度とは全く違う。
     そして皇后陛下が当時お感じになったことは、「 国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れ 」だったというのだ。
     もちろん、皇后陛下はそれ以上のことはおっしゃらない。しかし、わかる人にははっきりわかるはずだ。
    「国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場」の最も重い位置におられるのが、天皇陛下であるということを。
     皇后陛下は、靖国神社への合祀もしてはならない極悪人扱いまでされている「A級戦犯」を、天皇陛下にも通じる厳粛な立場を引き受けた人々だったのではないかと暗に匂わせておられるとしか思えない。
     終戦70年を前に、あえてこのようなことをおっしゃったことに驚くばかりである。
     さらに凄かったのは、「皇后さまにとって芸術・文化はどのような意味を持ち、これまでどのようなお気持ちで触れて来られたのでしょうか」という質問に対するお答えで、その中でこうおっしゃっている。
     建造物や絵画、彫刻のように目に見える文化がある一方、ふとした折にこれは文化だ、と思わされる現象のようなものにも興味をひかれます。昭和42年の初めての訪伯の折、それより約60年前、ブラジルのサントス港に着いた日本移民の秩序ある行動と、その後に見えて来た勤勉、正直といった資質が、かの地の人々に、日本人の持つ文化の表れとし、驚きをもって受けとめられていたことを度々耳にしました。  先週号の「ゴー宣」でわしが「保守」すべき日本の「公」の実例として挙げた、東北の大震災の際にも秩序ある行動をする日本人に世界が驚嘆したという話と完全に共通するのだが、注目すべきはその続きである。
     当時、遠く海を渡ったこれらの人々への敬意と感謝を覚えるとともに、異国からの移住者を受け入れ、直ちにその資質に着目し、これを評価する文化をすでに有していた大らかなブラジル国民に対しても、深い敬愛の念を抱いたことでした。   異民族に対しても、その資質に着目し評価する文化を有する、寛容なブラジル国民への深い敬愛の念。
     なぜいまこの時期に、日本国民に対してこういうことを説かれたのか?
  • 「保守がいない保守バブル」小林よしのりライジング Vol.105

    2014-10-21 21:40  
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     いつからか政界も言論空間も「保守」が大ブームで、誰も彼もが「保守」を名乗っている。
     わしは既に10年前の2004年9月発売の「わしズム」で「 最近の保守論壇はバブルなのだ 」「 ステレオタイプの言説のたらい回しは強がりオヤジと保守オタクの癒しにしかならない 」と批判しているから、この「保守バブル」はもう10年以上も続いていることになる。
     わしは2001年9・11の同時多発テロを機にいわゆる保守論壇とは手を切り、親米・従米の保守言論人を「 ポチ保守 」と批判したが、その後も、資本の暴走を規制しないグローバリズムの信奉者や、科学力が自然に勝てると盲信する近代合理主義の原発推進派や、挙句の果てには排外主義や人種差別を公然と唱える極右運動集団までが「保守」を自称するようになってしまった。
     中には「靖国神社参拝が保守の条件」などと言い出す者までいるが、そんな定義が成り立つのなら、確かにどんなレイシストだろうと、グローバリズムに日本を売り渡そうとする者だろうと、どんな者でも靖国参拝さえすれば「保守」になれることになってしまうが、そんな馬鹿げた話はない。
     ともかく、 こんな「自称保守」ばかりが蔓延している世の中だから、わしはあえて「わしこそが保守」という立場を演じるしかないのである。
     ちょうどそんな時に、テレビ朝日のワイドショー「モーニングバード」のコーナー「そもそも総研たまペディア」から「 そもそも保守って何を保ち何を守るんですか? 」というテーマで取材を受けた。
     番組は10月16日に放送されたが、なかなかよく出来ていたので、今回はその内容を紹介しつつ「保守とは何か」を考えてみたい。
     政治の世界では戦後、ずっと「 保守 」と「 革新 」の対立と言われてきた。
     最近では「革新」はすっかり影が薄くなって「死語」に近い観さえあるが、それはともかく、「保守」とは何を保守し、「革新」とは何を革新しようとしているのだろうか?
     憲法に対する態度を見ると、「保守」「革新」の定義の混乱ぶりが端的に表れてくる。自民党は憲法を変える、つまり「革新」を目指しているはずなのに、「保守」を自称している。
     一方で旧社会党、現在の社民党などは憲法を守る、つまり「保守」を唱えているはずなのに、「革新」を自称してきたのである。
     東京大学名誉教授の御厨貴氏は、「 少なくとも日本に関して言えば、保守に明確な定義はありません 」と言い切った。
     例えば アメリカの保守は、「 建国の時点のことを守る 」 ということが基本である。アメリカの保守派が銃規制に反対するのも、建国当時に市民が銃を持ち戦った精神に基づいている。
      イギリスの場合は、王に対して貴族階級が反乱を起こし、近代議会政治を始めた時点のことを守るのが基本。 政治は貴族階級が行なうものであり、貴族の利益を一番反映すること、すなわち「 階級社会を守る 」ということがイギリスの保守である。
     つまり、保守とは歴史上のある時点の体制を守るということなのだ。それでは 日本ではいつの時点の体制を守るのが「保守」なのだろうか?
     御厨氏はそれを、「 戦後の占領体制から受益者として登場してきた人たちの利益 」だと言った。
     要するに アメリカとは仲良くして、安全保障をアメリカに任せて、経済中心でやっていくという人たちが、戦後日本では「保守」と呼ばれたのだ。
     そのために 戦後日本では日米安保体制を守ることが「保守政治」と言われ、吉田茂や池田勇人を源流とする政治集団が「保守本流」と言われてきたのである。
     つまり、わしが「 親米ポチ 」と批判する者たちは、この定義によって「保守」を自称しているわけだ。それにしても「敗戦受益者の利益を守るのが保守」とは、あまりにも情けない定義ではないか。
     ところで、番組では安倍晋三の言う「 戦後レジームからの脱却 」とは戦後体制の「革新」という意味であるから、これは保守ではないのではないかという疑問が出ていた。
      だが、安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」などは完全に言葉だけであって、有名無実とはこのことである。
      安倍がやっていることはアメリカ依存で経済中心という戦後レジームそのものだから、実際にはこれこそがまさに「戦後保守」なのである。
     しかも、集団的自衛権行使容認によってどこまでもアメリカの戦争の手助けをするようにまでしてしまうというのは、「 戦後レジームの強化・完成 」と言っていいほどの行為ではないか。
     番組ではもう一人、新右翼・一水会最高顧問の鈴木邦男氏にインタビューして、「右翼」と「保守」の関係について聞いていた。
  • 「幼児化する大人たち」小林よしのりライジング Vol.104

    2014-10-14 22:05  
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     先日開催した「ゴー宣道場」のテーマ「 幼児化する大人たち 」の議論に沿って、わしの考え方を簡略に整理しておく。
     ゲストは批評家・ 宇野常寛 氏と社会学者・ 古市憲寿 氏。
     日本の将来は今の若者たちの考え方にかかっている。宇野・古市両氏は今の日本をどう分析しているのか、何を守りたいのか、何を理想とするのか、彼らはこれからの日本や世界をより良いものに出来るのか?それを確認しておかねばならない。
     そして、若い観客にとっては、若者だからこそ共感できる意見や感性もあるだろうし、わしが思想し続ける上でも、彼らから学ぶこともあろう。

     宇野氏は「 そもそも戦後日本において、『大人』なんて本当にいた試しがあるのか? 」という疑問を呈した。
     宇野氏によれば、「大人」とは、本当は存在しないことがわかっていても、「立派な大人」という概念があれば世の中はもっとよくなるんじゃないかという理由で、存在するかのように扱われていた一種のマジック・ワードではないかと言う。
     さらにもっと俗なレベルで「大人」とは何を意味しているかといえば、「 世間の空気になじむこと 」だという。そして、 日本的な「世間」の力は弱くなってきて、個人化が進んでいるからこそ「大人」が成立しづらいのではないか と分析した。

     一方、古市氏は「 幼児化する大人たち 」を普段自分が使っている言葉に置き換えると「 階級社会化 」と「 おじさん化 」の二つだという。
     そもそも 「若者」という言葉が日常的に使われるようになったのは1960~70年代、「一億総中流」と言われるようになったのと同じ時期 だそうだ。
     戦後すぐの日本には、今よりもはるかに階級差があり、同年代の人をひとくくりにして「若者」として論じることはなかったが、経済成長で格差がなくなったことによって、初めて年齢だけで「若者」としてくくられるようになったという。
      ところが今は格差社会化によって再び揺らぎ始めており、年齢で区切るよりも階級や生まれで区切ったほうが、理解ができるという議論が起きてもおかしくなくなっている。
     そうなると、 「幼児化」とは年齢が低いということだけではなく、階級が低いということを含んでいるかもしれない という。
     もう一点の「 おじさん化 」だが、「おじさん」とは、ただ単に年齢が上の男性という意味ではなく、 一個の組織やコミュニティの中にずっと居続けてしまって、自分のことを疑わなくなった人、既得権益にどっぷり浸かってしまった人 をいうそうだ。
     日本の大企業には「おじさん」が多い。会社の価値観に染まり、会社の論理だけを、社会のルールや世の中のルールよりも優先してしまう態度こそが、その「幼児化した大人」だというわけである。

     高森明勅氏は、ヨーロッパ人が江戸時代の日本人を見た時の描写と、文明開化以降の日本人を見た時の描写では、イメージが全く違っていたという、民俗学者・石田英一郎の研究を紹介。
     近代の日本人は、矮小で、どこか落ち着かない、頼りなさげな「子供」のように描かれていたが、江戸時代の日本人は恰幅がいい、堂々としている、落ち着いた「大人」に描かれていたそうだ。
     その理由を石田は、 明治の日本人は自分たちが受け入れようとする文化をしっくりと着こなせておらず、自らのアイデンティティーに対する安心感、信頼感、自信を喪失しており、それがまして自分たちのモデルとしているヨーロッパ人の前に立たされた際には、なおのこと萎縮したふるまいになっていたのだろう と分析したという。
      近代以降の日本に「大人」がいないとする根の深い問題に加え、戦後は日本という国家自体が一人前の大人になれず、アメリカという保護者の前で良い子を務めることに汲々としているという国際的なポジションがある。
     そして政治家たちも最後の責任は取るろうとせず、アメリカにお願いをするという政治構造があるため、社会の中にも本来の大人を成立させにくくしていると、高森氏は指摘した。

     古市氏は、 ある時期までは社会に目標があった。宇野氏の言葉で言うと「 大きな物語 」があった。その時代には、生きる意味のようなものを社会が与えてくれたから、人は浮遊しないで済んだと言う。
     それがこの数十年、特にバブル崩壊以後変わって、これからは自分で生きる意味を探さなければならない。そうなると「 終わりなき自分探し 」が始まり、人々がますます浮遊していく。
     ただし、これはどちらがいいという話ではなく、 「安定」と「自由」はトレードオフの関係にあり、自由になればなるほど安定は失われるものである。
      そこに耐えられない人がネット右翼になったり、わかりやすいナショナリズムの物語に飛び付くということはありうるし、別にそれは右翼イデオロギーじゃなくてもよかったのではないか と古市氏は指摘した。

     一方宇野氏は、日本人は国家というものに対する参加意識が希薄であると言う。
  • 「防衛費大幅削減の片山さつきがネトウヨ脳に!?」小林よしのりライジング Vol.103

    2014-10-07 21:15  
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     御嶽山噴火の被害のすさまじさには、改めて自然に対する畏れを感じずにはいられなかった。
    たまたまその日に登山していた人々の犠牲は気の毒だが、人智を超えたこの自然災害に対する予防など、たかが人間になす術はない。
     だがそれにつけても、ネット右翼の馬鹿さ加減は救いようがない。連中は何か悪いことが起こると即座に「韓国のせい」「朝日新聞のせい」「民主党のせい」と言い出すのだが、例によって今回も御嶽山の被害拡大を「民主党」のせいだとガセネタを流していた。
     しかも、あろうことかそんなデマを国会議員が拡散させてしまったのだから、馬鹿の感染力は侮れない。
      自民党の片山さつき参院議員は9月28日にツイッターで、民主党の「事業仕分け」で火山の常時監視の対象から御嶽山が外されていたと書いた。
     暗に民主党のせいで御嶽山の噴火が予想できず、被害が拡大したと言ったのだ。
      御嶽山の被害拡大は民主党の事業仕分けのせいだというデマは噴火の翌日にはネットに登場し、「仕分け人」を務めた勝間和代氏に非難が殺到する事態となっていたが、片山はそれを鵜呑みにしたのだ。
      もちろんこれは全くの事実無根で、御嶽山は24時間監視体制から外されてはいなかった。
     今回明らかになったことは、たとえ常時監視をしていても、火山の噴火予知は不可能だという現実である。
     民主党は自民党に正式抗議、抗議文を受け取った自民党の参院国対委員長は「申し訳なかった」と謝罪、片山を厳重注意とする考えを示した。
     片山は当初、記者団に「対応は国対に任せている」と言い、ツイッターの内容についても人から聞いた話を書いただけで「私が言ったわけではない」と釈明していた。
     だがさすがにこれはヤバイと自民党も思ったようで、自民党の参院幹事長が片山を厳重注意するとともに、陳謝するよう指示。よほどこっぴどく叱られたのか、 片山もこれを受け入れ、自身のツイッターへの投稿を削除し、「事実誤認に基づく発信だった」と書き込み謝罪した。
     ツッコミどころ満載のエピソードなのだが、真っ先に指摘しておきたいのは、仮に民主党の事業仕分けで何らかの被害があったとしても、片山にそれを責める資格があるのかという問題だ。
      片山さつきは財務省の防衛担当主計官時代、防衛費の大幅削減に尽力し、それを手柄のように自慢していた人物である。
     そのために現場がどれだけ苦労しているかという話を、わしは『国防論』の取材中、軍事ジャーナリストの井上和彦氏から聞いている。予算削減のためにどこも必要な人員が確保できていないということで、井上氏に言わせれば、イージス艦あたごが漁船と衝突し、2名の死者を出した事故も、人員不足で十分な見張りを置けなかったことが背景にあったというのだ。
      片山は財務省時代、防衛費削減の根拠として「 憲法9条擁護 」まで掲げ、「 この平和な日本を何処の国が攻めるのか 」「 潜水艦は冷戦構造を前提とした時代遅れの兵器であり増やすことなど認めない 」などと言っていた。
     この片山さつきと、現在の極右超タカ派の片山さつきは、同一人物なのだろうか!?
      片山は2年前、ツイッターで「ハム速を守ろう!」と発言し、ネット住民を困惑させたことがある。
     ハム速こと「ハムスター速報」とは、ネット掲示板「2ちゃんねる」のまとめサイトである。
     ネットに詳しくない人のために説明すると、「まとめサイト」とはネット内に散らばる情報から、特定のテーマに沿う話題を集めて読みやすく提供するものなのだが、著作権無視の無断転載や、怪しい情報、誤った情報を拡散するといった弊害が指摘されている。
     ハム速は「便所の落書き」とも揶揄される「2ちゃんねる」のまとめサイトで、虚偽情報を拡散させて問題になったこともある。
      その上ハム速は、問題のあるサイトとして当の2ちゃんねるから名指しで「転載禁止」を通告された、いわくつきの代物だった。
     ところが片山はハム速に慰安婦問題に関する嫌韓記事が載っていたのを見て、これを「愛国サイト」かのように思い込み、その情報をツイッターで拡散して「 みんな、ハム速を守ろう! 」と呼びかけたのだ。
     これにはさすがにネットでも「 まさか国会議員が2ちゃんねるのまとめサイト(しかも2ちゃんねるさえも問題視しているサイト)から情報収集する日がこようとは 」との声が上ったものである。
      片山さつきはネットリテラシー能力が極めて低く、何度も嫌韓派らが書き込むネットのガセネタに釣られては「誤爆」を繰り返している。
     以下、ニュースサイト編集者・中川淳一郎氏の東京新聞10月4日付コラムから、その「誤爆」の歴史を紹介しておこう。